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2021年10月13日

●おごりや慢心をお取り払い頂く

 教祖様は『我慢・我欲はならんぞ』と、み教え下さいました。ここでの我慢というのは、慢心する・わがままに振舞う、ということです。油断をして、日々の生活におごりや慢心が出ましたら、おかげを受けることが出来ない状況に、自らがしてしまう、ということになるのです。そうならないように、心を改めていくことが大切なのです。

★安武松太郎師(甘木教会初代教会長先生)は、「われよしと思う心」に対しての戒めとして多くのお歌を残しておられます。「われよしと 思う心は 道の仇 我が身の仇と 戒めてゆけ」「われよしと 思うは智慧の行きづまり 怪我あやまちも そこよりぞ来る」「われよしと 思う心を仇として 戦いて行け 日ごと夜ごとに」おごり・慢心というものを、お取り払い頂いていくということが、己に打ち克っていくご修行になるのです。何事にも、日に日に新たに、日々がさらというつもりで、取り組ませて頂くことが大切です。

★私達はそれぞれが、神様からお役目を頂いて、この世に生を受けている尊い存在です。自分というのは【全体の一部分】である、と教えて頂いております。家族・親族の一部分、地域・社会の一部分、国家の一部分、神様の氏子の一部分と、それぞれの持ち場・立場で、お役に立たせて頂けるように、願いをかけて頂いているのです。ですから、私達一人一人が、信心を進めさせて頂いて、身にお徳を頂いていくということは、周囲が助かっていくのです。

★『金光様が、お一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が、天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者が、よい種をまいておかねばならぬ』このように、良い方向へ導かせて頂ける、有難い存在にならせて頂けますよう、自分自身向上させて頂き、磨きをかけていくことが大切であると思わせて頂きます。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:57 | 令和3年の「み教え」