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2021年10月03日

●天地のご恩を知る

 建築の仕事をなさっていた、あるご信者は、教会にお引寄せ頂いて、み教えを聴かせて頂くまでは、自分が努力して技術を身に付け、施主の要望に出来る限り添えるよう、誰にも恥じることのない仕事をしてきたと、自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いて、み教えを頂かれる度に、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な仕事ぶりであったということが、悟らせて頂けるようになられたのでした。

★そのお方は、「自分の木材や釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない、得意先の材料が余りますと、捨てておりました。施主さんに損はさせないように、施主さんに喜んで頂くことだけに意識をおいていました。ところが、み教えを頂きますと、神様から与えて頂いている材料を無駄にすることで、自分自身にめぐりが積み重なっていたことに、初めて気が付きました。神様のお恵みに対するお礼と、当たり前のように、そのお恵みを無駄にしていたことに対する、お詫びが出来ておらず、天地に対する御無礼を重ねていたことを痛感しております。これからは材料を無駄にしないよう、仕入れの量も気を付け、材料が余れば、それを生かして使わせて頂けるように、努力と工夫をさせて頂きます。」とお詫びを申されたのでした。

★また、阿倍野教会の現在のお広前ご建築中のことですが、工事中の境内地に、まだ使えそうな釘が、何本も落ちていたことがあったようです。ある時には、まとめて土に埋められていたこともあったというのです。大工さんからすれば、釘の代金は施主が払うものであって、少々の材料を無下に扱っても、自分の懐に影響はない、という考えがあったのかもしれません。三代教会長先生は、それらの釘一本も無駄になることのないように、拾って集められたということです。

★日々油断なくみ教えを頂き、天地の道理、親神様のご恩をしっかりと分からせて頂くことが大切です。知らず知らずご無礼を重ねることのないように、ご恩を知り、ご恩に報いる信心生活にならせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

★『木の恩を知りておる人少なし。木の生えるはじめ双葉であるが、おいおい成木するのは天地の親神のおかげである。田畑に植える物には肥やしを施すが、山には肥やしを施す者なし。日に月、年を重ねて大木となる。これを用材として家屋建築するにつきては、第一、天地の神のご恩を知らねばならぬ。次に、毎日薪の恩を知りて、食べ物の支度をいたす者少なし。天地の神様のおかげで、四季に応じ水気があがりおりするゆえ、春、芽を出す。秋は木の葉が落ちるを見て、神様のおかげであるということを知らねばならぬ。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:50 | 令和3年の「み教え」