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2021年10月01日

●お礼を言う心が篤いほど、信心が篤い

 お礼を申すということ一つをとりましても、様々なお礼の申し方があります。自分の思うようにならなければ、お礼が申せないというのは、視野の狭い生き方になってしまいます。例え病床にあっても、お礼を申せることは多くあります。

★腸閉塞で入院なさっていた、ある方は、まず「お水が飲めますように」とお願いなさっておられました。腸閉塞を悪化させてしまいますから、水を飲むことも食事を食べることも出来ません。そのような中で、信心辛抱させて頂きながら、お命を頂いているお礼を申し、治療を受けさせて頂いているお礼を申し、看護して頂いて、色々な方にお世話になっているお礼を申されたのです。そうしてお水、重湯と頂けるようになっていかれ、徐々に回復させて頂くごとに、お礼を申す範囲も広がってゆき、全快のおかげを蒙られたのでした。

★厳しい状況に陥らなければ、日々の有難いことに気付けない、ということでは申し訳ないことです。毎日生かされて生きているお礼を申し、お水も食事も頂け、大小便もお取り払い頂けて、通常の生活を送らせて頂いていることが、どれほど有難いことでしょうか。

★自分の不注意で、怪我をしてしまうこともありますが、大難を小難にして下さって、小さなことで教えて下さっているのです。そこに、神様の思し召しがあってのことです。そのことを、まずお礼申さねばなりませんし、今まで積み上げてきた信心のお徳と、身のめぐり・家のめぐりが、せめぎあって、一番軽い状態でご都合をつけて頂いているということが、すでにおかげを頂いてのことなのです。

★しかし、そのことによって、何かをお知らせ下さっているのですから、そのみ教えを、しっかりと、つかませて頂くことが出来てこそ、神様の思し召しが分かるということですね。何かことが起こってきたら、そこには必ず、神様からのお手紙が付いています。そのお手紙を読み解くだけの力を頂かねばなりません。日参と聴教に励ませて頂いて、日々、更なる向上を遂げさせて頂けるように、鍛えさせて頂きたい、磨かせて頂きたいとお願いしましょう。そして、どんなことが起きてきても、おかげにさせて頂ける自分自身にならせて頂きたい、とお願いしましょう。何事があっても辛いと思わず、全てを有難いこととして、受け取らせて頂けるだけの、受け物を作らせて頂きたい、と願わせて頂きます。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:37 | 令和3年の「み教え」