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2021年09月01日

●すべてにお礼を申す稽古

 ある熱心なご信者は、毎朝起きましたら、まず神様・霊様を拝み、その後に台所と階段を拝ませて頂くのだそうです。そして、トイレを拝みお風呂を拝み、毎日使わせて頂いているところ全てを拝ませて頂くということを、日課としてなさっておられるそうです。

★先日、日々使わせて頂いている木製の階段を拭かせて頂きますと、木のあく、ホコリや垢が付いておりますから、相当、雑巾に汚れが付きました。洗剤とスポンジたわしも使って、相当表面をきれいに出来ましたが、日々させて頂いているつもりでも木のあくは浮いてきますし、汚れはあるものです。また、毎日何度も階段を使わせて頂いておりながら、御礼の申し様が足りないことばかりです。心と身体の掃除をするつもりで、階段に使わせて頂いているお礼を申しながら、拭かせて頂いたことでした。

★四代金光様は朝お出ましの際に、お宅の玄関で下駄をお履きになられる時に、小さい声で「お世話になります。」といつも仰せになられ、また眼鏡を外して拭かれる時に「有難うございます。」と仰せになられたということです。それを、そばで御用なさっておられる弟様は、御礼を申されているという事は分かっておられましたが、改めて四代金光様に「何を仰っておられるのですか?」とお聞きになられました。すると、四代金光様は「兄さんはなあ、御礼を申すことが足りんのじゃ。だから、御礼を申す稽古をしておるんじゃ。人間はなあ、お世話になっておっても、御礼を申すことが足りん。御礼を申すことが足りんところから、難儀が起きてくるんじゃ。」と仰せになられたそうです。

★御礼を申すことが抜けていることが、難儀というところに直結しているのです。例えば、病気を患うとしましょう。その際に、「この度は、いつも使わせて頂いている身体のお手入れをして頂き、有難うございます。病院にお世話になり、お医者さんにお世話になります。有難うございます。」とお礼を申させて頂きますと、その病気は難儀とならないでしょう。「結構な機会を頂いた」「この病気のおかげで身体を手入れをさせて頂ける」という捉え方ですから、おかげの中の一部と受け止めていけますね。反対に、「ここが痛い、あそこが痛い。」「長い間入院生活は辛い。」と言いますと、後には難儀だけが残ります。普段からお礼を申す稽古が必要です。御礼を申すこと、お詫びを申すことを稽古させて頂いて、それが上達してゆきますと、心も身体も元気で、出来てきたこと全てを、おかげにさせて頂くことが出来るのです。

★『信心する者は、山へ行って木の切り株に腰を下ろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:15 | 令和3年の「み教え」