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2021年09月30日

●一人の後ろに十人、十人の後ろに百人

布浦氏は商売の初め、西区で小さな調剤薬局を営んでおられました。創業当時は西区で一番売り上げの少ない薬局で、教会からも足が遠のいておられたところに、布浦氏がお導きさせて頂いた田口さんが、反対にお導きをしに訪ねてきて下さって、信心に戻して頂かれたのでした。

★ご主人は二代教会長・伊藤コウ師のお取次ぎを頂かれ、「西区で一番の薬局にならせて頂けますように」と、五カ年計画のお願いを立てられたのです。その願い成就までは無駄遣いを一切しない、自分の背広は新調しない等、ご修行を自ら決められ、毎朝日参と聴教に励んでから、日々の商売に努力されました。

★いつもお客様を第一に考えられ、一人のお客様の後ろには10人のお客様、その後ろには100人のお客様がおられると思って、一人一人のお客様に親切丁寧に対応なさったのです。また、朝早くから開店され、出勤なさる前のお客様に対応なさったのです。食事を摂る時間も惜しんで接客なさって、一切不足を言わず、日々のお商売に実意丁寧に打ち込まれました。すると、場所も店も変わりませんのに、なんと西区で売り上げが一番の薬局になるおかげを頂かれたのでした。願いを立て、ご修行を決めて、日々真心で実意丁寧に励んでおりますと、神様が願いを成就させて下さる、ということが分からせて頂きます。

★銘々に頂いている家業を、神様から与えて頂いた有り難い御用であると自覚して、神様にお使い頂く心で、実意丁寧につとめさせて頂くことによって、人からも、神様からも、喜んで頂ける働きとならせて頂くことができるのです。たとえ、たくさんの知識や技術を身に付けさせて頂いたとしても、信心の徳と力を身に付けさせて頂き、精神も正しく成長し向上させて頂かなければ、有り難い働きをさせて頂けることに、つながってはいきません。

★近江の聖人、中江藤樹師の教えに、次のような有難いものを残して頂いております。
「五事を正す」
貌(ぼう)・・・和やかな顔つきで人と接する

言(げん)・・・温かく思いやりのある言葉で話しかける

視(し)・・・澄んだ目で物事の本質を見る

聴(ちょう)・・・相手の話に耳を傾けてよく聴く

思(し)・・・真心をこめて相手のことを思う

★日々み教えを頂きながら、自律自戒をし、五事を正すことを心掛けながら、それぞれの家業を有り難く励ませて頂きましょう。
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2021年09月29日

●喜ばぬつらい日を過ごしてはならぬ

 松山成三先生は、戦後満州・大連より、ご夫婦で着の身着のままで引き揚げて来られ、後に岡山中部教会の初代教会長となられました。ご晩年は病床に伏せられ、先生のご遺稿が後に見つかったのでした。「略・・・我は終戦と共に何故その様な事になったと、悩み患ひ、或は先々を憂慮、煩悶もしない。この時こそと、本気に一心に信心に飛上り、教師の本分一途にと、心は立上り、信心する時はこの時なり、神の御用をする時はこの所じゃと、その日その日を後先忘れて、信心御用にのみ立上り、その気持ちこそ、今月今日なりと、嬉しく楽しく有難く思ひ続けて人々が心配苦悩している事も、我には一向その様な気になれず、悪い妙な気は起らず、その事その時も良い事のみ思い出しては喜びニコニコして暮らされてあり。人々に比べて阿呆になった。良い阿呆になれたと感謝している。『我心で我身を救ひ助けよ』とはこの様な事かと、み教えを一層有難く思へる。何を食ふても同様においしゅうて、何が無くても苦にならぬ。人のしてくれる事はみな有難い。・・・略」というような、大変有難いご内容です。

★「元気だから有難い」「何も不自由がないから有難い」という喜び方も大切でありますが、例え困難や不自由の最中にあったとしても、「先のことは、神様が一番良いようにしてくださる」ということを信じて疑わず、今日授けて頂いている神様のおかげを、よく分からせて頂いてお礼を申しつつ、今月今日与えて頂いているお役目を、嬉しく有難く精一杯つとめさせて頂く心にならせて頂きたいと思います。

★『金光様は喜びの道を開いてくだされたのじゃから、それをご信心申す者が、喜ばぬつらい日を過ごしてはならぬ。天地の親神様をご信心するのじゃもの、天地のような広い心にならねばならぬ。』

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2021年09月28日

●目先の利欲にとらわれない

あるご信者の息子さんが、お商売の勉強をさせて頂くために、他の店に修行に行かれました。

★そこで、お商売を仕込んで頂いたのですが、その店のご主人から「お前は正直者すぎて困る。真面目に働いてくれるのは良いが、夕方のお客さんが立て込んでいる時は、いわば稼ぎ時なのだから、品物を量ってお客さんに渡す際に少しずつ少なめに盛るのだ。それを10回もすれば、だいぶ稼げるだろう。それが、商売というものだ。お前みたいに馬鹿正直にしていれば、一向に儲からない。」と苦言を呈せられたのです。店のご主人に、「秤の目をごまかせ」と言われたご信者の息子さんは、小さい頃から教会へ参拝され、実意・丁寧・正直・親切な生き方を教えて頂いておられますので、ご主人の言われたことを、そのまま受け入れることが出来られませんでした。

★そこで、店の番頭さんに尋ねたのです。そうしますと、番頭さんは、「それがうちの大将の方針だ。私は長年ここで働かせてもらっているが、大将の良いところはしっかりと学ばせて頂き、これはしてはダメだと思うところは習わないようにしている。あなたも自分が正しいと信じるところを、勉強してゆけばよい。」と言われたのです。息子さんは、どうすれば良いのか分からず、家に帰ってご両親に尋ねられたのです。

★ご両親は「いくら店のご主人がそう仰っても、あなたは、み教え通りに実意・丁寧・正直・親切に働くことを貫き通しなさい。ご主人の姿を見て、世間ではこういうことを言う人があるのだ、という事を学ばせて頂きなさい。秤の目をごまかせば、目先は得をしたように思うかもしれないが、不当に得た利益は、結局はどこかで清算しなければならないのです。天地が裁かれるのです。入れてはいけないところから入れていれば、必ずその何倍にもなって出ていくのです。それが天地の道理なのです。人の目はごまかせても、神様の目はごまかせません。」と教えて下さり、息子さんは今後の生き方の指針を、考えさせて頂く機会を頂かれたのでした。

★同じ商売でも心構えが違いますと、取り組み方も変わってきます。目先の利欲を取るよりも、先々の徳を頂くことを考えさせて頂いて、喜んで働かせて頂きましょう。

★『勝手な欲を出すな。みんな我欲な事をするから困ることになる。』『ご無礼である、お粗末であるというが、商売人がはかりの目盛りをごまかしたり、人の目をくらましたり、農業する人が山や田畑の境目を勝手に動かしたり、水や食べ物を粗末にしたり、自分の勤めをおろそかにしたりするほど無礼はない。人の目をくらまして得をしようとするから、損をしてたおれる。境目を欲張るから、その田畑を放さなければならないようになる。食べ物を粗末にするから食べられないようになる。勤めをなおざりにするから仕事は逃げ、働けないようになる。みな、無礼粗末の心がもとでそうなるのである。』
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2021年09月27日

●厳しいことを有難く受け切る

 以前にあるお方が、「結婚して嫁いで来させて頂いて、随分お姑さんから色々と厳しいことを言って頂いて鍛えて頂きました。その厳しいことを言って頂いたことがおかげでした。でも、初めは辛くて辛くて、何度も涙を流したことがありました・・・」とお届けされました。

★そのお方は、畑仕事をしたことがなかったのですが、嫁いで来られて後に、初めて畑仕事もするようになられました。また、お姑さんから掃除の仕方や食事の味付けなど、厳しいことを言われ続け、褒めてもらったことも認めてもらえたこともなかったそうです。最初は辛くて、心を痛めておられました。そんな中を、実家のご両親のご信心を習わせて頂くように心掛けられました。実家のご両親は、不足一つ言わず、毎日「有難い、有難い・・・」と仰って、生活なさっておられました。その有難い生き方を習わせて頂いて、嫁ぎ先のお姑さんが「砥石の役目」をして頂いているのだと、喜んでお礼を申すようになられたのでした。そのように思えるようになられてからは、辛い苦しい日々であったのが、自分自身を鍛えて頂いている時期で、有難いことであったことに気付かれたのです。

★そうして、子どもさんが成人なさってから、やっと食事のことで何も言われなくなったそうです。先日仰っておられたことは、近年になってから「食事も美味しく作ってくれるようになった。おせち料理も、美味しいおせち料理を用意してくれて、有難い。ようここまで育ってくれました」と言って下さるようになられたそうです。そして、近頃はお姑さんから「私も見込みのある人にしか言いません」と言って頂けたということです。

★厳しいことを言って下さる方があられてこそ、自分自身がお育て頂き、だんだんと自分自身の器が大きくなって、あれもこれもさせて頂けるようになるのです。有難く受け切って、自分自身の糧にさせて頂くことが出来ましたら、どれ程有難い世界が開けるでしょうか。

★『信心は本心の玉を磨くものぞや。』『玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。』

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2021年09月26日

●どこまでも相手の助かりを願う 

9月24日は、あるご信者の御命日でした。このお方は、三代教会長先生の同期で、吉野通りのお広前の頃から、両親に連れられて熱心にご信心なさり、三代教会長先生と共に住吉中学へ進まれ、共に軍隊へ行かれた方でした。そのご信者は国税局の監察官をなされ、税務署の署長を歴任されて、後に税理士として開業され、お役に立たれたのでした。

★ご信者の事務所は、所長であるご信者を初めとして、所員、事務員の3人で仕事をなさっていました。先々、若い所員のお方に事務所を任せる、と伝えておられたのです。しかし、その所員さんは、事務員さんを連れて、無断で事務所をやめ、担当の顧問先までも雌雄のように振舞って独立したのです。

★ご信者は、2人に対して腹を立てずに「私の家の、これまで積んできためぐりを、この度の事を通して、神様がお取り払い下さったのだと思います。不行届きをお詫び申し上げます。どうぞ、やめた方々が立ち行かれますように。これをおかげにさせて頂いて、後々の人材の御都合を頂かせて下さい」と神様にご祈念されました。そして、辞めた方々を恨む事無く、得意先に対しても辞めた方々の悪いことを一言も言わず、立ち行かれることを願われたのです。さらに顧問先に対して「本人が独立をしたいと思って出て行きましたので、申し訳ありませんが、応援してやって下さい。私に遠慮なさる必要はありませんので、その方に仕事を回してやって下さい。どうぞよろしくお願い致します」と、後押しをする声かけをされたのでした。

★その後、そのご信者は、「どうぞ、良い人材を神様から与えて頂けますように…」とお結界でお届けなさっておられました。するとすぐに、以前にもまして心配りがよく出来られる、有能な二人のお方が事務員として来て下さり、丁寧・親切なお仕事が出来られるようになったのでした。また、顧問先の中の何軒かは「やはり先生に仕事をして頂きたい」と戻って来られたところも出てきたのです。

★ご信者は、まず相手の助かりを願われ、神様を目当てに一心におすがりなさったので、ご自身のことは全て神様が整えて下さったのでした。出来事を通して、神様が与えて下さっているところを分からせて頂きますと、後は良い様に導いて下さるのですね。
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2021年09月25日

●お願いの中心はどこに根ざしているのか

 あるご婦人は、ご主人が大酒飲みで、長年苦労しておられました。親戚の人たちも、ご婦人が苦労してきたのを見ておられましたので、「あんたの主人の酒癖の悪さは一生直るものじゃないから、もう別れてしまいなさい」と、言われるほどだったのです。それを受けてある時、三代教会長先生に、「親戚の者たちもこのように申しますので、もう離縁しようかと考えております。先日も主人が、『お前は、教会に参ってわしが酒を止めるように願っているそうだけれども、誰がなんと言おうと酒はやめないからな!』と、言うのです・・」と、お届けなさったのでした。

★三代教会長先生は、「親戚の方達は、神様でもあるまいに、ご主人がこの先お酒を止めることはないと言い切れるとは、どういうことでしょう?あなたは、ご主人の身体の為に、健康の為にお酒を止めてもらえるよう、お願いしていますか?『主人のお酒のせいで、苦労してきた』『主人が大酒飲みでは、生活が立ち行かない』というのは、自分中心の考えです。ご主人が暴言を吐こうとも、また、周りから何と言われようとも、ご主人の体のことを真から想ってお願いすることが出来れば、おかげになっていきます。神様に、ご主人の愚痴不足をお聞かせしながらお願いするのではなく、自分の感情はちょっと横に置いておいて、神様にお喜び頂けるような、ご安心頂けるようなお願いをさせて頂きましょう。」と、み教えになられたのです。

★ご婦人は、一生懸命にみ教えを守っていかれますと、段々とご主人のお酒の量が減っていき、生活は落ち着いていかれ、立ち行くおかげを頂かれたのでした。

★どこにも非の打ち所のない、完璧な人間はいません。お互いに足りないところを補い合いながら、日々の営みが成り立っているのですから、自分も知らず知らずのうちに沢山の人のお世話になり、ご辛抱頂いているのです。また、神様は、私達氏子がお互いに願い合い、お礼を申し合いながら生きていくことをお喜び下さるのですから、そのような神様のお心に近づかせて頂けるよう、日々ご信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2021年09月24日

●親・ご先祖のおかげで、今がある

昨日は、天候を初め万事万端に御都合お繰り合わせを頂きまして、秋季霊祭を無事お仕え申し上げることが出来ました。

★『先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すれば、だれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』このお道では、お国替えなさった方の存在は、無に帰すという考えではなく、「死生は一如、その魂は生き通しであり、その働きは永遠である」と教えて頂いております。生かして頂いている間も、御霊にならせて頂いた後も、生き生きと働かせて頂け、生き死にを通して生神金光大神様のお取次ぎにより、有難いおかげを頂いていくのが、お道のご信心です。生きとし生けるものの命の大元であります、天地金乃神様を拝ませて頂いて、御神徳の中に生かされて生きている自分自身であるということを、しっかりと自覚させて頂くことが大切です。そして、これからどのような生き方をさせて頂いたら結構になっていくのか?ということを習わせて頂くのがご信心です。

★三代教会長先生は、小学校6年生の頃から教会に入所なさいました。箸の上げ下げのような、小さなことから大きなことまで、実に細かく厳しく二代教会長・伊藤コウ師から注意を受けたと仰っておられました。時には夜中まで何時間もかけてお話しなさることもあられたようです。ある時、三代教会長先生は、黄色いくちばしを一層にとがらせて「先生だけですよ。私に小さなことから大きなことまで注意なさるのは。私は他所でほめられこそすれ、注意されたことはありません」と、口答えをなさったことがあられたそうです。すると、コウ師は微笑まれ、「あなたが、外で注意して頂かなくてもよいように、私が家で注意してますのよ」と仰ったそうです。三代教会長先生は「そうか。そういうことなんだな」と得心なされ、それからは【仰って頂くことは、そのまま素直に受けさせてもらおう】ということを一生のご修行にしようと思われたのでした。

★そうしたご修行をして下さったおかげで、有難いことに、後々の者が結構にお育て頂いているということがよく分からせて頂きます。しかし私達は、そうした親・ご先祖の努力なさったこと、御修行なさったことをつぶさに知っているかというと、そうではありません。知らずに、ただただその恩恵に預かっているのです。その積み重ねて頂いたものを、有難いことに「生き抜いていく力」として、自分の体の中に遺伝子として組み入れて頂いております。それを磨かせて頂きましたら、大きく成長させて頂けるということになっていくのです。そうしたことを思いながら、「現在の自分がこんなことでは相済まん・・・。なんとしてでも、一段と向上させて頂かねば・・・」と願わせて頂く日々のです。

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2021年09月23日

●祭り日を忘れない

 本日は、お昼二時より秋季霊祭をお仕え申し上げます。ご家族揃って参拝のおかげを頂かれ、霊様にお礼を申し上げ、より一層お徳の高い霊神様となって頂けますよう、御祈念を込めさせて頂きましょう。

★ 教祖様は、ご養父、義弟、お子様三人、飼い牛2頭(当時は一般に家族同様に大切にしていた)を次々と亡くされ、七墓築かれるという難に遭われました。そして、その後、教祖様もまた42歳の時に、「のどけ」という九死に一生の重い病気に罹られたのでした。親類縁者により病気全快の勢祈念の最中に、御祈念を先導していた古川次郎という方に神がかりがあり、37歳の時の建築が金神に無礼になっていると、厳しく咎められたのです。教祖様は「この度の建築に当たり、どの方角へご無礼しておりますやら。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のことは、ひらにお詫び申し上げます。」と神様に心からお詫びなされたのです。

★お詫びをなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得違い、その方は行き届いておる」と認めて下さったのです。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様は、その後も常に「私共人間の生活には、どこまでも至らないところがある」という心持ちで生活され、神様の仰せになることは、どこまでも信じて守り通され、自らを反省なさるご姿勢が、神様にご信用頂かれる「実意」となっていかれたのでした。

★人間のすることですから、神様がご覧になられたら、どこにどのような不行き届きがあるか分かりません。目に見える範囲や、聞こえてくるものしか信じないということでは、実に狭いものの考え方になります。目に見えないところの多くの働きがあってこそ、私たちは支えられて生かして頂いているのです。ただ見えないだけ、気付かないだけなのです。人の働きさえ気付かないことが多いのですから、霊神様方の働きは知らないことや気付かないことの方が多いことは明白です。私たちには、数限りないご先祖の御霊様がおられ、目に見えないところでお守りお導き頂いているのです。知らず知らずに頂いているおかげに対して、どこまでも御礼申すことを常に心掛けさせて頂きましょう。

★『祭り日は、信心を忘れないための大切な日である。この祭り日を忘れさえしなければおかげがある。忘れたらおかげはない。親の恩を忘れないための法事のようなものである。何事にも恩を忘れてはならない。』

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2021年09月22日

●信心は一粒万倍

昨日9月21日は、伊藤房次郎翁霊神様の御命日でした。明治37年に55才でお国替えになっておられます。

★伊藤の家の信心の初めは、コウ師のご母堂ハル氏お一人の、熱心なご信心によるもので、ご主人の房次郎氏は信心に大反対でした。しかしハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、無礼を働くこのわしの手足は動かなくなるはずだ。」と言って、ハル氏が家で拝んでおられた小さなお社を、庭に投げつけて、足で踏みつけ壊してしまわれたのでした。すると、程なくして愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、湯水も喉を通らない状態になられたのです。人力車に乗せて、医師・薬・針やお灸など、色々手を尽されましたが、一向に良くなりません。とうとう、房次郎氏が「カツはこんなことになってしまった・・・。どうしたら良かろう・・・?」とハル氏に尋ねる心になられました。するとハル氏は、「お父さんが、教会に参拝なさってお取次を頂いて下さったら、きっと良くなります。」とすすめられ、その時初めて、教会へ一緒に参拝なさったのでした。

★房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流してお詫びし、「どうぞ助けて下さい。」と願われたのでした。するとお結界の先生は、「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。」と仰せになりました。自宅へ帰ると、それまで手足も動かず、水もまともに喉を通らない状態であられたカツ氏が、「お父さん、お帰り!」と玄関まで出迎えたのでした。そこで親子が抱き合って泣いて喜び、そこから、家族中が勢を揃えてご信心なさるようになられたのです。

★ハル氏は不足を一切口にせず、「どうぞ主人が改まり、神様に心を向けさせて頂ける氏子にならせて頂けますように。家中が勢信心になりますように。その為には、私がしっかりとご修行させて頂きますので、よろしくお願い致します。」と、神様におすがりなさり、「主人の無礼は私の無礼です。家内である私が代わりにお詫び申し上げます。」と、改まった信心をなさってゆかれたのでした。その真心が神様に届き、大きなおかげを受けられたのです。

★『金光様が、お一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が、天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者が、よい種をまいておかねばならぬ』
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2021年09月21日

●敬う心を厚く

『年寄りを大切にせよ。人間は自分の考えで先へ生まれてきたのではない。みな、神のおかげで生まれてきたので、早く生まれた者ほど世のために働きをたくさんしておる道理であるから、年寄りを敬うのぞ。若い者でも役に立つ人はなんとなく人が敬うようになるが、不都合、不行き届きが重なれば、敬うてくれぬようになる。信心する者は、よう心がけておるがよい。』

★教祖様は、お取次の御用に専念なさるようになるまで、農業を営んでおられました。また、村内の役目も率先して引き受けられ、何をなさるにも実意丁寧に、正直親切になさっておられたので、村の人々からの信用がとても篤かったということです。ですから、それぞれの田んぼに水を引くのに、不公平のないように水の番をするお役目も、村の人々から頼まれて引き受けておられたのでした。つい、自分の田んぼに多く水を入れたくなる弱さを誰しもが持っているものですが、教祖様は決してそのようなことをなさらないということを誰もが信じ、教祖様に対して、自然と敬いの心が湧いて出るようなお人柄、常のご姿勢であられたことが伺えます。

★また教祖様は、『敬いのある人ほど早くおかげを受けられる。人を敬うてわが身に徳を受けるとは、このことである。敬いの少ない人は、せっかく神様のおかげを受けるのに、入れ物を改めておらんということになる。』とみ教え下さっておられ、老若男女問わず、周囲の人全てを敬う心におかげがあると、教えて下さっておられます。敬う心が薄い人は、自分の考えがいつも一番正しいと思い込み、人の言うことに耳をかさず、人の存在、立場を軽んじてしまい、おかげの受け物を、自ら小さく小さくしてしまっている状態だと言えます。

★神様のお徳を現わすことの出来るような実意丁寧、正直親切な生き方を心掛けさせて頂き、また、世の中の人々を神様の御氏子として、「敬う心」を大きくさせて頂く稽古を、日々積み重ねさせて頂きたいと思います。

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2021年09月20日

●周囲を助ける働き

『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを備えて祈れ、一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なき三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就の御信神がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

★このみ教えの中の、「恐れ多き」という言葉の中には、お詫びの意味も含まれているのです。「自分自身は至らない身でありながら、このように結構におかげばかり頂いております。恐れ多いことでございます。」と、日々謙虚な心持ちで、御礼を申しお詫びを申すことが大切です。そして、日に日に新たに不成心を取り去って、心を新たに願いを立て直し、正しいお願いの元に、正しい努力がさせて頂けるのです。心を正しくさせて頂く為には、どのようにさせて頂けばよいのかを学ぶ為、「日々がさら」の気持ちでみ教えを頂き直し、自身の在り方を見つめ直してゆくことが肝要です。

★私たちは、周囲を助ける働きをする為に、神様から生命を与えて頂いているのです。神様から与えて頂いているお役目が分らせて頂きましたら、人の助かりを願うことが出来まする。「働くというのは、はた(傍)をらく(楽)にすることである」と教えて頂いております。はた(傍)を苦しめていては、働いているとは言えないという事です。

★生涯かけて願い続けること
1)限りなく、めぐりのお取り払いを頂けますように。

2)限りなく、み教えを頂き続けられますように。…毎日新たな発見があり、今日一日生まれ変わるつもりで頂き直していく。

3)限りなく、人が助かりますように。

4)限りなく、このお道が成就しますように。

★『人は此方のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心しておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい』
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2021年09月19日

●責任を持って家業に打ち込む

『天地の神様は氏子の親神である。かわいいわが子を、どうして難儀に遭わせなさるであろうか。わが子をもって合点するがよい。常平生、神様に取りすがっていれば、神様と心安くならせてもらっているも同然である。無理も聞いていただける。大難は小難にまつりかえてくださり、小難は無難にお取り払いくださる』

★先日から「台風が通過します」という予報を、連日のように聞かせて頂いておりました。月例祭執行・例会開催、福岡県甘木教会参拝等、予定が連続しましたから、心配や不安が先に立ちますと、居ても立っても居られない状態になりがちですが、何事も神様にお願いしながら準備を怠らずさせて頂きましたら、神様が一番都合の良いようにして頂くことが、よく分からせて頂けます。「今日一日、二度手間、三度手間のありませんように。時間や物を大切にさせて頂いて、間違いのない行き届いた仕事がさせて頂けます様に。」と神様にお願いをさせて頂きながら、自分の家業に打ち込ませて頂くことが大切です。どんな環境にあっても、自分自身が心を乱されずに、常平生と変わらずにさせて頂ける家業になりましたら、有難いですね。

★二代教会長・伊藤コウ師が「お徳を頂こうと思ったら、どのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか?」と神様にお尋ねをなさったら『責任の取れる人間になれ・・・』とみ教え頂かれたそうです。自分自身の為さねばならないところに、責任をもって打ち込んでさせて頂けるよう心がけてゆかれましたら、お徳を頂ける、ということを教えて頂かれたということです。

★お徳を頂くということは、神様からご信用を頂くということです。「神様から信用して頂けるだけの働き」をさせて頂くことによって、身にでお徳を頂けるのです。自分自身が、しなければならないところの責任を果たさずして、遊興にうつつを抜かしておりましたら、全く話になりません。今しなければならないところに、一生懸命打ち込んでさせて頂いて、有難い責任を果たさせて頂ける人間にならせて頂くことが大切ですね。

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2021年09月18日

●信心辛抱のお徳 

16日には、婦人会例会が開催され、吉村氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和27年、ご近所の堀中モト氏が、吉村氏のお母様をお導きなさったことから、ご信心が始まりました。お母様は、吉村氏が嫁がれる前に、お国替えされていましたが、吉村氏が嫁がれる半年位前に、お父様は再婚されました。その義母にあたる方は、大変気難しい人で、吉村氏ご夫婦は大変辛い思いをされました。

★そのような時、お父様が教会に連れて参って下さり、二代教会長・伊藤コウ師に一緒にお取次ぎを頂かれました。コウ師は「いくら辛くても、実家に泣いて帰ってはいけません。心配をかけるだけです。辛いことがあれば、ここでお話を聞いてもらいなさい」と優しくみ教え下さいました。

★その後お父様は、心臓を悪くされ、67歳でお国替えされました。お父様がお元気な時、「私が亡くなったら、一旦は母に相続させてあげるように、その後は、あなた達夫婦が相続出来るのだから、給料を預金してると思いなさい。母には、子供もいないことだし、兄弟三人おられるが、皆さんきちんとされている方だから、心配は無い…」と言っておられました。その後、義母さんは胃がんと診断され、67歳でお国替えされました。

★そして、義母さんが亡くなり、十日祭をお仕えする2日前に義母さんの兄弟から電話がありました。「私たち兄弟三人が法定相続人です。兄弟三人で相続します。遺言状もないはず、あなたたちには何の権利もありません。家賃も払っていないので、居住権もありません。店の什器備品、お皿一枚に至るまで権利はありませんよ」と言われたのです。何が何だか分からず、何をどうしたら良いのか、頭の中が真っ白になり、お結界でお取次ぎを頂かれますと、「怒ってはいけません。義母さんを恨まないこと。何もないところからお店を頂くには、それだけの御修行が必要です」とみ教え下さいました。さらに、三代教会長先生は、「この世の中で、いろいろな困難なことが起こりましても、金銭で解決できる事は、一番たやすいことです」とみ教え下されたのです。

★家族が心を一つにし、み教えを守らせて頂き、先方の言われる通りにさせて頂くことを決められました。家賃を払われ、五年後にはお店を購入させて頂かれたのです。そして、ご両親と義母さんのお墓も建碑させて頂かれ、後の霊様のお祀りも心を込めて仕えられ、亡くなられた後も、恨むようなことをせず、親孝行を続けられたことにより、次から次へと発展繁盛のお繰り合わせを頂いておられるのです。
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2021年09月17日

●神様から女性にかけられた願い

 あるご信者の娘さんが、高校に入らせて頂いた際に、二代教会長伊藤コウ師の元へお届けに来られ、「高校3年間、どのような心構えをもって生活を送らせて頂けばよいでしょうか。」とお伺いされました。

★コウ師は「一番結構なことは、立派なお嫁さんになる準備をさせて頂くことです。頭脳をしっかりと鍛えさせて頂き、手足がしっかりと働かせて頂けるように、信心と勉強と御用に励ませて頂きましょう。頭脳ばかりを鍛えて、手足を動かさず、家事が何もできなければ、世の中へ出た時、家庭を持たせて頂いた時に大変なことになります。」とお話しなさったのです。

★娘さんは、コウ師に頂かれたみ教えを有難く守られ、学校から帰ってきますと、炊事、洗濯、掃除を手伝われ、夏休みには、裁縫のけいこに励まれたのです。そして、大学に進まれた時には、お母様に「10日間、家のことをすべて私にさせて下さい。家事はもちろん、家のお金の出入りを勉強させて頂くため、家計も任せて頂けますか?」と自らお願いなさったのです。そうして、娘さんは、家事を勉強をなさって、色々と分からせて頂いたことがあられたのでした。結婚後、嫁として家を支えていくために助けになるような、内職や和裁・洋裁を家庭内で仕事としてできるように、大学へ通っている間に本格的に習わせて頂きたいと、お母様にお願いされたのです。将来のことをここまで考えられ、学生の間に先々の準備をさせて頂きたいと願われた娘さんは、結婚後、良き家老として、家庭を支えられたのでした。

★コウ師は、【婦人会例会というのは、家が立ち行くように、女性がみ教えを頂いて、神様に「どうぞ、私の信心によって、家中が立派な家に変わらせて頂けますように。」とお願いをしながら、どのようにさせて頂いたら、家が結構になるかを、神様からみ教えを頂く機会です。女性は国家を支える存在ですから、婦人会例会にはぜひ、多くの方がご参集下さい。】と強く願いを込めて、御教話下さったのでした。毎月16日の昼2時より開催されます婦人会例会に、是非参拝させて頂き、おかげ話を聴かせて頂いて、共に信心の勉強をさせて頂きましょう。

★『女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ』

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2021年09月16日

●お礼とお詫びの心を厚く

 先日、甘木教会に参拝させて頂いた際に、教会長先生よりお結界で、阿倍野教会の初代教会長・池田徳次師が、甘木教会でご修行させて頂かれた際のお話を聴かせて頂きました。16歳という年齢から、池田家の代表としての役目を負って教会にご修行に入らせて頂かれ、辛抱も苦労も沢山あられた中を、足かけ8年のご修行を成就なさったということは、真にもったいなく有難いことであると、改めてみ教えを頂いたことでした。一日一日、お礼の心、お詫びの心を新たにさせて頂かれながら、願う心を強くさせて頂かないことには、とてもご修行成就させて頂けることではあられなかっただろうと、有難く感じさせて頂きます。

★ご修行は、今日まで頂いた広大無辺のおかげを自覚させて頂き、お礼の心で有難くさせて頂く真心が、神様に通じていくのです。ご修行が進めば進むほど、自分の信心の至らなさに気が付かせて頂き、お詫びの心とお礼の心が厚くなっていくものなのです。「自分はこれだけの辛抱をした。ご修行をした。」と、公言してしまうということは、辛抱も、ご修行も足りないということを露呈しているに過ぎないのです。

★三代教会長先生は、自分自身の戒めとして、「神様は、私に必要以外の何物も与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあるのであって、無駄なことは何一つもない。元気な心で試練に堪えよ。たとえ天災や病気や怪我であっても、或いは、わけのない中傷であっても、又、気のすすまない仕事であっても、何事も御神意としてとり、明るく生きぬく覚悟を持て」とお書きになったものを私達に残して下さいました。神様の思召しの尊いご意味をしっかりと理解させて頂けるよう、日々ご信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★『金光様は、有難き・恐れ多き・勿体なきの三きを備えて祈れ。一切の願い事を成就させてやる。とおっしゃったが、この有難き・恐れ多き・勿体なき三きの心に、新気・根気・働きが立ち添うてこそ、一切成就の御信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』
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2021年09月15日

●真一心を貫く

 昨日は、福岡県の甘木教会へ参拝をさせて頂きました。

★当阿倍野教会は、来年に開教100年をお迎えするに当たりまして、「信心の初めを忘れなよ」「真一心の信心を立てぬけ」というみ教えを、心に掛けさせて頂きたいと願わせて頂いております。初代教会長伊藤徳次師が、16歳より甘木教会で初代教会長・安武松太郎大人のお手厚い御祈念、お取次を賜り、御薫陶を受けて足かけ8年間ご修行のおかげを頂き、23歳の時に伊藤コウ師と御本部で結婚式を挙げられて、大阪に布教のおかげを蒙りました。安武松太郎大人のご祈念を賜り、徳次師、コウ師がご修行下さったおかげで、今日まで阿倍野教会は結構におかげを頂き、来年で100年を迎えさせて頂けますことは、大変有難いことです。

★『天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ』

★ままよの心にならせて頂くには、『真に有難しと思う心、すぐにみかげのはじめなり』とみ教えを頂いておりますように、日々お礼を申す稽古を積み重ねておりますと、どんなことが起きてきても神様の思し召しであると心からお礼が申せて、神様にすべてをお任せできる心にならせて頂くことができるのです。

★自分の願いが成就すればおかげが頂けた、願い通りにならなかったのでおかげが頂けなかったと思うのは、本当に神様を信じてお任せしている心持ちではありません。また、自分の願い通りにいかないことを不足に思うのは、自分自身の受け物ができていないということです。自分だけのこと、目の前のことに囚われていますと、決して立ちゆきませんね。出来事を通して、神様からどのような思召しを頂いているのかを知り、どこを改まらせて頂けば良いのかを神様にお願いして、考えさせて頂かねばなりません。それが、神様に一心になる姿ではないでしょうか。起きてくる出来事すべてをおかげと有難く頂いて、神様が一番良いようにして下さると信じて疑わず、神様のお徳を十分に頂けるだけの受け物を作らせて頂きましょう。そのようにして、日々積徳の心行に励ませて頂き、積ませて頂いたご神徳は、自分だけにとどまらず、子孫までもそのお徳が輝き、子孫繁盛のおかげを頂いてゆくのです。

★『先の世までも持ってゆかれ子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』

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2021年09月14日

●わが心を改めれば・・・ 

あるご信者は、喘息で8年間も苦しんでおられ、2階への階段を上がることも出来ず、家業である商売の手伝いも出来ず、ご主人を頼っておられました。

★二代教会長・伊藤コウ師から、発作が出た時の症状を尋ねて頂かれた時には、「鼻も口も塞がれたまま、息をしなければならない様な状態です・・・。」とおっしゃったということです。コウ師は、大変気の毒に思われ、「なぜ8年間も、そのような苦しい病気を持ったまま、放すことが出来ずにおられるのか、今日は、それを考えさせて頂く機会にしましょう。」とみ教え下さり、ご婦人はコウ師と共に御祈念をして、これまでの自分を信心の目で真剣に振り返られたのでした。

★そして、「先生、家の中で一番悪いのは私でございました。私は、『家族の為、商売繁盛の為に自分だけが教会に参拝している。自分は信心しているのに、主人が悪い。あれが悪い、これが悪い・・・』と、人を責め立てて苦しませ、いつも不足の心に満ちておりました。これが私の病気の元でございました。今日を良い機会として改まらせて頂きますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。」と、お詫びのお届けが出来られたのでした。

★伊藤コウ師は、「そのような心になられたことが、大きなおかげですよ。『氏子が、このように結構に改まりの心を持たせて頂けるようになりました。有り難うございます。どうぞ、喘息の発作をお取り払い頂きますように』と、私も共にお願いさせて頂きますよ。」と、お話し下さったのでした。

★その翌日から喘息の発作は治まり、生涯再発することなく根切れのおかげを頂かれたのでした。商売も手伝えるようになって、ますます繁盛なさり、また、以前はご主人から、「信心してもお前の様に心が刺々しいなら、信心なんかしたくはない。」と言われていたのが、ご主人も共に参拝して頂けるようになられたのです。

★『おかげを受けられるのも、受けられないのもわが心にある。わが心さえ改めれば、おかげはいくらでも頂ける』
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2021年09月13日

●神様がわが心に教えて下さる

『平生は平生でおかげを受けねばならず、まさかの折にはなおのことおかげを受けねばならぬから、どのような時にでも置き場を忘れて探しまわることのないように、信心の心は肌身離さずに持っておらぬと、用心が悪いぞ。まさかの時には裸でも田んぼの中でもよい、「金光様、お願いします」と頼めば、すぐおかげを持って来てくださる』

★三代教会長先生が戦地に赴かれた時に、陣地を設営するということがあられました。ご祈念なさっておられましたら、心にふと「ここは危ない!」と気付かせて頂かれた三代教会長先生は、大隊長に「陣営を別の場所に変えて頂けますように・・・」と進言をなさったのです。時間をかけて設営された後ですから、改めて機材を運んだり幕もテントも張り直すとなると時間がかかりますね。大隊長は戦術教官もなさったようなお方でしたので、もちろん最初は聞き入れてもらえませんでした。何度も進言なさるうちに「なぜそう思うのか?」と聞いて頂かれ、三代教会長先生は「分かりません。分かりませんけれども、ここが危ないと心に思わせて頂いています」と答えられたのでした。そうして何度目かに「そのように言うなら陣を移そう」と聞き入れて頂かれたのでした。

★陣を移した後、味方の山砲が一発目の砲撃をした時に、仰角が間違っていたために、敵地に飛んでいくはずが、直前に陣を張っていたところの高い木の枝に当たって、何十メートル四方に破片が散らばったのでした。もし陣を移していなければ、味方の砲弾で死傷者が出るところだったのです。帰国後、大隊長が阿倍野教会に御礼参拝をして下さり、「生命を助けて頂きました」とお礼を申されたことでした。

★心中御祈念して、心に気付かさせて頂いたところを、そのまま行わせて頂くということですが、これは神様が思わせて頂いたことなのか、自分が勝手に思っていることなのか、その違いは稽古しておかねばよく分からないものです。一生懸命、御祈念させて頂き、神様から教えて頂いたことを素直に守る稽古をさせて頂かねばならないと、改めて感じさせて頂きました。

★普段から神様に心を向けて、取りすがっていく心持ちにならせて頂きましたら、神様が私達に話しかけて下さっているところを、受け止めさせて頂けるような器が出来ていくということです。

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2021年09月12日

●ご信心を基に、正しい方向へ舵取りをさせて頂く                  

私が、高校に勤務させて頂いて2年目の夏の事です。1年目に受け持っていた、ある生徒の家が一家離散するという事態が起きました。生徒のお父さんは、事業の借金が膨らみ、息子2人と奥さんを残して行方不明になってしまったのでした。生徒はある日、家に帰宅しますと家は差し押さえられ、洋服や教科書やカバンなどに至る全てに差し押さえの札が貼られていたそうです。家の前には、借金を返済してもらおうと金融会社の方々が待っておられ、家に入ることもできない生徒は、夏休み中は友人宅へ泊めてもらい、衣食住の全てにお世話になっていたのです。

★生徒のお母さんは、「息子を連れて関東にいる親戚の家を頼ります」と言われたようですが、生徒は「学校に通いたい」と言って、一人大阪に残ったのです。休みが明けた9月になって、そのことが判明し、関係する先生達が集められ、今後のことを話し合うことになりました。

★ある先生が「伊藤さん、生徒を教会のお広前の一部分に寝かしてもらえないか?」と聞かれましたので、私は「私の一存では決められませんので、帰宅して教会長にお伺いさせて頂きます」と返事をして帰宅し、三代教会長先生に詳細を報告し、お伺いさせて頂きました。そうしますと、三代教会長先生は「衣食住の上で、いくらでもお世話はさせてもらえるが、今のその生徒さんの心持ちで、何もかも人にしてもらって、本当に本人の為になるのかなあ…」とおっしゃいました。

★翌日、学校の先生方に三代教会長先生がおっしゃったことを伝えますと、「その通りです。すべて世話をしてあげることばかりが、本人のためになるとは思えない。住み込みで働けるところを探しましょう!」ということになりました。先生方が多方面に働きかけて下さって、西宮で社員寮に住み込みで、働きながら学校へ通える場所が見つかり、そこへ移って生活することになったのです。生徒さんは、初めは両親に対して不平不満がありましたが、段々と考え違いをしていたということが理解出来、自ら望んで転校し、母親の近くに住み、定時制の学校に通いながら働きました。そして、さらに夜間の大学に進学することが出来、昼間は学校の事務職員として働くことが出来たのです。便りを頂きますと、そこには「あのことがなければ、私の人生はより一層間違えた方向に行っていたかもしれません。あのことがあってよかった、と思えるようになりました…」と書かれており、大変有難いことに気付かれたことを喜ばせて頂いたことでした。

★人生に於いて、様々な事が起こってきます。その瞬間その瞬間、正しい方向へ導いて頂けますよう、ご信心を基に進ませて頂きましょう。
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2021年09月11日

●準備万端にして時節を待つ

 二代教会長・伊藤コウ師は、戦後、ある教会の新築落成祝祭に参拝なされたことがありました。そのお教会は、空襲で教会が焼失するという憂き目に遭われ、そこから再興のおかげを頂かれて、教会の新築落成祝祭をお仕えになられたのでした。その時、コウ師は神様から、「焼けた教会が、こうして新築のおかげを頂いているのに、焼けてない教会がそのままの姿で良いのか・・・」と、問うて頂かれたのでした。

★そこでコウ師は、新しいお広前を建てさせて頂く為のお土地を買わせて頂けるよう、また、お広前のご建築が成就させて頂けるよう、強い願いを持たれたのでした。そうして、旧広前にほど近い、現在のお広前の土地を見つけられたのでしたが、当時地主さんは、土地を売る気が全くあられませんでした。

★コウ師は、神様に願い続けられ、時節を待たれました。代理で地主さんに交渉して下さる方が何人かおられたそうですが、皆さんがあまりにも熱心に頼まれるので、遂に地主さんが、ある条件を提示してこられたのです。それは、金融機関も全て開いていない土曜日の昼から、その日のある時間までに現金を揃えて持ってくるように、ということでした。無理難題と言わざるを得ない条件でしたが、その時、教会には、お賽銭のお金を金融機関に預けずに、貯めたものがあったのです。それは、三代教会長先生が軍服を着て、金融機関に預けに行かれたところ、戦後の荒廃した時代の為に、賽銭泥棒と疑われて、金融機関から預け入れを拒否される、ということがあった為でした。そのお金を全て集めると、丁度地主さんの提示してこられた額が揃い、お土地購入の大みかげを頂かれたのでした。

★「時節を待つ」ということは、何もせずに手をこまねいて、時が経つのを待つ、という事ではありません。お願いが成就するまで、神様に願い続けつつ、準備をしっかり進めていくということです。準備が出来ておりませんと、願い成就に向けて神様が色々と整えて下さったとしても、一番良いタイミングを取り外してしまいます。日々、生神金光大神様のお取次を頂き、強く確かな願いを持ち続けて、願い成就のおかげを頂きたいと思います。

★『神信心をすれば、何事にでも万事に行き届いた信心をせねば、十分なおかげは受けられぬぞ、と金光様は言うてござったから、ご信心する者は何事にでも、ご信心の心を配っておれよ。』『四季の変わりは人の力におよばぬことぞ。物事、時節に任せよ。』

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2021年09月10日

●おかげの受け物を作る為には

二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、あるご婦人が、息子さんのお嫁さんのことについてお届けなさいました。

★「うちの嫁の為にと、着物や色々なものを買ってあげても、お礼の一つも言いません。真に困った嫁です。」と思わずこぼされたのでした。伊藤コウ師は、「それは、あなたのお嫁さんに対するお礼が足りないのです。かわいい息子さんのお世話を日々して下さって、おかげで息子さんは元気に仕事にも行かせて頂けるのでしょう。あなたがお礼が足りないから、それがお嫁さんに現れるのですよ」と、み教えになったのでした。ご婦人は、「先生、有り難うございます。真にその通りでございました。早速改まらせて頂きとうございます。」と、おっしゃったので、伊藤コウ師は、「よく分かって下さいました。あなたは、毎日お参りしてみ教えを頂いておられるから、私の話をすぐに理解することが出来るのですね。」と、大変喜ばれたのでした。

★誰一人として、お礼の十分に足りている人、信心が十分に行き届いている人はいません。家庭も、職場も、至らない者同士の集まりと言えるでしょう。日々、しっかりとみ教えを頂いている人ほど、自分の至らなさが見え、だれに対しても謙虚に、相手を立てて、円満な関係を築くことが出来るのです。自分の至らなさの自覚が、改まりの原動力になるのです。

★謙虚な姿勢で、求めてみ教えを頂かなければ、練り直すことも出来ませんし、受け物を作ることもできません。ましてや、そのみ教えによって心を打たれ、改まりを決意することもないでしょう。「虚を以て心を養う」とありますように、心を空にしてみ教えを頂くことが必要です。そして、日々求めてみ教えを頂き、有難く頂く受け物を作らせて頂きましょう。
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2021年09月09日

●良い縁に従って、おかげを頂いていく

 8日には、みかげ会例会が開催され、松井氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★松井氏のお父様は、和菓子の丁稚奉公をなさっていた頃に、叔父様からお導き頂かれて日参なさるようになられました。その後、お父様は和菓子のお店を独立開業なさったのでした。昭和26年、叔父様からある物件を紹介して頂かれたのです。その土地は、原爆模擬爆弾により、あたり一面が焼け野原で、そんな中にポツンと建った店舗付き住宅でした。ご両親は、あまり気が進まれませんでしたが、二代教会長伊藤コウ師にお伺いされますと、即座に「買わせて頂きなさい」とみ教えを頂かれたのです。購入後には段々と周辺に家が建ち、店が増え、映画館ができ、すぐ前には市場ができ、大変賑やかなところに変わっていき、お商売も繁盛のおかげを蒙られたのでした。

★松井氏は中学生の時に、コウ師より、「お父様の元で修行させて頂きなさい」とみ教え頂かれ、商業高校卒業後は、お父様のお姿を拝みながら日々のご信心を進められ、お仕事を教えて頂かれたのでした。松井氏が35歳の時に、お父様からお商売を譲り受けられて、2人の子宝にも恵まれ、住宅も購入させて頂くおかげを頂かれました。お店を譲り受けられた後に、大阪市の道路拡張計画のため、立ち退きするよう通知が来ました。有難いことにご近所の方のご紹介により、以前のお店の斜め前に当たるところに、スムーズに移転出来られ、新装開店後は、寝る間も惜しんで働く程に商売繁盛のおかげを蒙られたのでした。

★平成12年にお父様が87才でお国替えなさって、お母様は老人保健施設へ入所されましたが、以前に教会長先生よりみ教えを頂いておられた通りに、お母様と同居出来るよう住宅を建て替えられ、一緒に生活ができられたのです。お母様は、松井氏の奥様の食事が「とてもおいしい」と大変喜んで下さり、円満に同居のおかげを蒙られました。お母様は、甲状腺のガン、心筋梗塞、また、脳梗塞も経験されましたが、神様のおかげを頂かれて、103歳3ヶ月の天寿を全うさせて頂かれたのです。

★松井氏は、今日まで様々な出来事がある中、何事もお取次ぎを頂かれ、そして頂かれたみ教えを素直に守られ、ご両親のお世話をされ、また御礼の御用にお使い頂いておられます。松井氏は、毎朝日参なさり、御祭典には楽人の御用にお使い頂いておられるのですが、お父様の実意丁寧なご信心を見てお育て頂いておられますから、御祭典を欠かさないように心掛けて御用にお使い頂いておられます。

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2021年09月08日

●表行よりも心行をせよ

三代金光様の御時代の事です。お風呂に入られた際に、お湯が沸いておらず、水風呂の状態だったという事があられたようです。その時に三代金光様は何も仰っしゃらず、常のように入浴をなされたということです。御用の方が後で調べますと、水風呂であったことが分かり、三代金光様の所へ行かれ、お詫びをなさったところ、三代金光様は「あなたもお疲れでございましょう。」と仰せになられたというお話です。三代金光様は、ご家庭でもどこでもご自分の感情を表に出されることなく、心行に取り組まれ、我を放す稽古を徹底なさり、神様に心を常に向けられて、御礼を申して生活をなさっておられたことを教えて頂くのです。

★水風呂であってもいつもと変わることなく、お風呂に入らせて頂いて一切不足がないということはなかなか出来ることではありませんね。心行の稽古を積み重ねておりませんと、お風呂が沸いていなければ、家族に対して「お風呂が沸いていないじゃないか!」と一言、言ってしまいがちです。恥ずかしい事ですが、私もその覚えがあります。お互いに足りない部分があるのですから、足りないところは足せばよいのですが、それぞれが我を出してしまうものです。どんな瞬間でも、神様に心を向ける稽古をさせて頂いておりますと、何か事が起きてきた時に心が乱れることなく、心行として取り組ませて頂くことができるはずです。

★現在も、新型コロナウイルス感染拡大防止という観点から、緊急事態宣言が発令され、自粛生活を送ったり、新しい生活様式を取り入れさせて頂いております。そうした中で、今まさに心行を実践させて頂く良い機会であると思わせて頂きます。与えて頂いている環境で、自分の心の中に深山幽谷を作り、人や物や出来事に対して不足に思わず、足りない所は足し合い、不自由を行とさせて頂きましょう。

★『世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を潔く勤め、分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これが心行である。』
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2021年09月07日

●心の執着をお取り払い頂く

『荒波の 逆巻く灘を乗りしくも 船に真舵の あればなりけり』(高橋茂久平師が伊藤コウ師に下された御歌)

★時代の変化や環境の変化によって、揉まれて転覆するかと思うような中でも、み教えを頂く有難さが分かって、それを守らせて頂く心になりましたら、人生に正しい舵取りが出来ていくのです。そうして、おかげを頂いていく方向へ物事も環境も整えて頂けるのです。初代教会長・伊藤徳次師がお国替えなさって、十日祭の日に建築委員、役員が総辞職をされたことがありました。その時に伊藤コウ師は、神様に御礼を申し、有難く受け切ってゆかれたのです。

★人間が成長するには時間がかかります。しかし、私達が持ち合わせている不安や心配や腹立ちや不足、ねたみ根性やひがみ根性、人を恨んだり憎んだりする気持ち、それらをすべて神様にお取り払い頂けるようにお願いしながら、真心で一心に信心をさせて頂きましたら、有難いことに道を失わずに、おかげを頂いて行けるのです。

★誰もがすぐにおかげを頂きたいものです。さらに自分の思うように自分を取り巻く人や環境を変えて欲しい、と思いがちです。しかし、自分が変わらないことには、変えられないものがあります。それを分からせて頂くのは、なかなか簡単ではありません。「自分は一生懸命させて頂いているし、自分の考えは正しい」と思ってしまうがゆえに、どこかで衝突したり、摩擦が起きたりします。お取次・み教えを頂き、自分自身が改まりに改まり、少しでもめぐりのお取り払いを頂いて、身にお徳を積んでいく、というご修行をさせて頂きましたら、段々と結構なおかげを頂いていけるのです。

★『心配が増したり、物事に苦を病むようになるのは、ご信心が落ちた証拠ぞ。この折、これをありがとう思うてご信心すると、これが修行になって、また一段とご信心が進んでくるが、そうでないとご信心が落ちてしもうて、心配や難に負けて、どうならぬようになってしまう』『神様は、氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ、このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事はなされはせぬぞ。ご信心しておるがよい。みな末のおかげになるぞ』
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2021年09月06日

●昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ

松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長・伊藤良三師は、その講演を聴かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後は、何処に落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに、来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら、京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら、大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら、御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから、食べることや着ることは、どのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら、着の身着のままですけれども、今着ているものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば、二人で分けて頂きます。何もなければ、断食のご修行をさせて頂きます」と仰せられたのです。実に覚悟の決まられたお姿に、三代教会長先生は、感銘を受けられたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も身一つで「さあ、いよいよこの広い大陸で、初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても、全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と心が勇んで、嬉しく布教なされたのだそうです。さらに、日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日、人が助かる御用にお使い頂けるように一生懸命願われ、御用にお使い頂かれました。すると、それから一年も経たぬ間に、ある場所にお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのです。伊藤良三師は是非参拝したいと思われ、御本部御礼参拝の帰りに、岡山中部教会に参拝され、直接お話を聞かせて頂かれました。時は終戦直後の混乱期で、何もかも、無い無い尽くしの時代で、建築資材も不足していたにも関わらず、なんと檜造りの立派なお広前が完成していたのでした。

★『教祖様は「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」と仰ったが、過ぎたことはどうにもならん。今月今日の信心に油断をせぬよう、明日を楽しんで日に日に生きた信心をせよ。』(二代金光四神様のみ教え)
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2021年09月05日

●信心辛抱のお徳

 三代金光様は、昭和11年に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。

★『天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が、欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって、早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が、座りさえすれば楽じゃ、と言うて座らしてもらいました。初めのうちは、辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事も、いつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事であります』と仰せになられたのです。

★昭和9年頃のことですが、当時御本部お広前で御神勤下さっておられた三代金光様のことを、ある小さな地方紙が、事実無根の内容で悪しざまに書き立てるということがありました。それを知った教内の方々は大変驚かれ、当時まだお若かった、三代金光様のご長男の鑑太郎様は、落ち着かない胸の内を、お母様であられる金光キクヨ姫様に、お話しになられたそうです。そうしますと、キクヨ姫様は、「ご本人の金光様が腹をお立てになっていないことを、あなたが腹を立てるというのはどういうことですか?」と、静かにつぶやくように仰ったのでした。鑑太郎様は、「私が5人の親になる今日まで、金光様が腹をお立てになられたことは、一度もあられませんでした。」と残して下さっています。三代金光様は、お子様を亡くされておられますが、その告別式の日も、お結界を離れることをなされなかったと伺っております。どんな時でも終始一貫、神様に心を向けられ、神様から頂いておられる責務を全うさせて頂かれる、三代金光様の尊い常の御姿をお示し下さっているご内容です。

★信心辛抱というのは、自分の力みや強がりの辛抱では、続くことも出来ず、成就することもできないのです。「自分がする」という心がありますと、無理が生じてくるのです。神様にお願いしてさせて頂く心になりますと、神様が都合の良いようにして下さるのです。

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2021年09月04日

●真に有難しと思う心

私が金光教学院にご修行中に、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、大変立派な先生であられました。重厚なお人柄であられましたから、私はいつも尊敬いたしておりました。その先生が、ネフローゼ症候群を患われ、入院なされた時のお話です。

★入院されて、薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が現われず、医師から「今日も効果が無い・・・」とばかり言われたそうです。毎日「効果がない」と言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。・・・」「私の家族はどうなるのか。・・・」と心配に捉われて、病院食も頂けず、夜も寝れないという、不安でたまらない日々を過ごしておられたのでした。

★そんなある日、松山成三先生の奥様の松山いち先生が、病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んで、あれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思うことが出来られたのでした。そして、お下がりで頂いたりんごを丸かじりに頂きながら、涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に、担当の医師が「内田さん、薬が効いた!」と告げて下さり、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく毎日完食され、夜はゆっくりと休むことができられるようになり、全快のおかげを頂かれたのでした。

★内田先生ご自身が、お話しなさっておられた中に[自分というものは、なんと我の強いものであるかなあ。自分で欲や我を放そうとすればするほど、それができないものです。ところが「お願いしておりますよ」という、いわばお取次ぎの言葉を頂いた瞬間、しつこい我執が放たれ、心配がなくなり、有難い気持ちにならせて頂いたのです。いのちが承服したのです。なんでもないですね。放してみると、楽になるしありがたいし、ご飯はおいしいし、毎日が生き生きしてくるわけです。]とあります。

★『真に有難しと思う心、すぐにみかげのはじめなり』

★我を放しますと、有難いという心に満ち満ちて、おかげの船に乗せて頂くことができる、ということが分からせて頂けます。
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2021年09月03日

●素直に守らせて頂くと、守って下さる

 教祖様ご在世中のことです。

★ある冬の寒い日のこと、二代金光四神様は、教祖様のお使いで、ご霊地から20キロ程離れた、浅尾藩の役所に行かれたことがありました。歩いて行けば、片道5時間程はかかると思われます。その時、どんよりと空が曇っていたので、四神様は、「傘を持ってまいりましょうか」と、教祖様にお伺いなさったところ、教祖様は、「傘は持っていかなくてもよろしい」と、お返事なさったのです。そこで四神様は、傘は持たずに、着ておられるものの上に、単衣の着物を一枚羽織って出発なさいました。

★ところが、玉島を過ぎて、倉敷の辺りまで来たところで、ポツポツと雨が降ってきたのです。馴染みの茶屋で休憩をなさっていると、茶屋の主人が、「傘をどうぞ」と、勧めて下さったそうですが、四神様は、「親様が傘は要らないとおっしゃったので・・・」と、丁寧にお礼とお断りを申されたそうです。そこからも、道中で次々と傘を勧めて下さる方がおられたそうですが、四神様は、どんなに雨が降ろうとも、同じように、傘をお断りなさったのでした。そうして、用事を済まされて教祖様の元に無事にお帰りになり、道中の事も含めてご報告なさると、教祖様は大変お喜びになったということです。四神様が、家に帰られてから一番上に羽織っていかれた薄い単衣の着物を脱いでみられると、なんと、ずぶ濡れの薄い単衣の着物の下は、まったく濡れていなかったということです。

★自分の都合や、世間一般の常識を先に立てるのではなく、頂いたみ教えを、どこまでも素直に有難く守らせて頂いておりますと、目に見えないところ、人間の考えの及ばないところまでも、生神金光大神様、天地金乃神様のお守りを受けさせて頂くことが出来るのです。自分自身に頂いたみ教え、あるいは、自分の家に頂いたみ教えを、自分の宝、家の宝として頂き切っていくことが、子孫繁昌家繁昌に繋がる道です。

★『信心は、素直な信心をせよ。また、信心は、しとやかな信心をせよ。言うとおりを守らないから、おかげはない。言うとおりを守らずに、「まだ治らない、おかげがない」と言って来ても、神は知らぬと申される。おかげのない時には、わが心をよく調べてみよ。』

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2021年09月02日

●霊は道に入って作用する

『霊(みたま)は道に入って作用するものである。人は生きておる時も霊(みたま)となって働かねばならんが、それは信心して徳を受けておらねば、本当の働きは出来ない。(近藤藤守師み教え)』道に入って作用するというのは、日々、道を求めて信心をさせて頂いて、神様から授かっている分け霊(わけみたま)を徳高きものとするために、磨き、鍛え、本当の働きになるよう、生涯かけて積徳の心行に励むことが大切であるということです。人間は、生きている間に充実して働かせて頂くことを心掛けますが、肉体の働きを終えて、御霊にならせて頂いてからも、生き生きと働かせて頂くことが出来るということを悟ることは、大変有難いことなのです。

★『人間は生き通しが大切である。生き通しとは、死んでから後、人が拝んでくれるようになることである。』『木のもとへ肥をやれば、枝振りまで栄える。ご先祖や親を大切にすれば、繁盛させてくださる』 私達はご信心させて頂いて、生き通しのおかげを頂いていくということを、生涯の目標とさせて頂き、お徳を頂いて、有難い御霊の働きがを現せるように、ご修行をさせてもらうのです。

★その為には、み教えに基づいた生き方に少しでも近づかせて頂けますように、お願いをしていくのです。誰もが完全無欠ではありません。それは金光様も、天地金乃神様もよくご存知であられます。ですから、生涯かけてご修行をさせて頂くのです。人のことをどうこう言わずに、自分自身を常に振り返らせて頂く。そうした姿が有難いご修行をさせて頂いている姿ですね。

★1)明き・・・先を楽しみに、明るい心で、思い分けの出来る賢さを持ち、起きてきた事をおかげにさせて頂く。2)清き・・・悪いことを思わず、言わず、人を不足に思わず、人のことを祈ることが出来るよう、常に心を清く保ち、神心を養う。3)直き・・・素直にみ教えを頂き、真に有難く思い、自ら進んで実践を心掛ける。

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2021年09月01日

●すべてにお礼を申す稽古

 ある熱心なご信者は、毎朝起きましたら、まず神様・霊様を拝み、その後に台所と階段を拝ませて頂くのだそうです。そして、トイレを拝みお風呂を拝み、毎日使わせて頂いているところ全てを拝ませて頂くということを、日課としてなさっておられるそうです。

★先日、日々使わせて頂いている木製の階段を拭かせて頂きますと、木のあく、ホコリや垢が付いておりますから、相当、雑巾に汚れが付きました。洗剤とスポンジたわしも使って、相当表面をきれいに出来ましたが、日々させて頂いているつもりでも木のあくは浮いてきますし、汚れはあるものです。また、毎日何度も階段を使わせて頂いておりながら、御礼の申し様が足りないことばかりです。心と身体の掃除をするつもりで、階段に使わせて頂いているお礼を申しながら、拭かせて頂いたことでした。

★四代金光様は朝お出ましの際に、お宅の玄関で下駄をお履きになられる時に、小さい声で「お世話になります。」といつも仰せになられ、また眼鏡を外して拭かれる時に「有難うございます。」と仰せになられたということです。それを、そばで御用なさっておられる弟様は、御礼を申されているという事は分かっておられましたが、改めて四代金光様に「何を仰っておられるのですか?」とお聞きになられました。すると、四代金光様は「兄さんはなあ、御礼を申すことが足りんのじゃ。だから、御礼を申す稽古をしておるんじゃ。人間はなあ、お世話になっておっても、御礼を申すことが足りん。御礼を申すことが足りんところから、難儀が起きてくるんじゃ。」と仰せになられたそうです。

★御礼を申すことが抜けていることが、難儀というところに直結しているのです。例えば、病気を患うとしましょう。その際に、「この度は、いつも使わせて頂いている身体のお手入れをして頂き、有難うございます。病院にお世話になり、お医者さんにお世話になります。有難うございます。」とお礼を申させて頂きますと、その病気は難儀とならないでしょう。「結構な機会を頂いた」「この病気のおかげで身体を手入れをさせて頂ける」という捉え方ですから、おかげの中の一部と受け止めていけますね。反対に、「ここが痛い、あそこが痛い。」「長い間入院生活は辛い。」と言いますと、後には難儀だけが残ります。普段からお礼を申す稽古が必要です。御礼を申すこと、お詫びを申すことを稽古させて頂いて、それが上達してゆきますと、心も身体も元気で、出来てきたこと全てを、おかげにさせて頂くことが出来るのです。

★『信心する者は、山へ行って木の切り株に腰を下ろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ』

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