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2021年08月20日

●毎日が実地の学問

 先日の教徒会例会で、宇田氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。宇田氏は大企業に勤ておられました。工事の現場やデスクワーク、新しい企画を考えたりと、部下を率いて色々な立場を経験なされた後「教育の現場でお役に立ちたい」と思われるようになりました。そして会社に理解を得て、勤めながら夜間の大学に通われたのです。無事資格を取得され、小学校教員の採用試験に合格のおかげを頂かれました。ご家族の理解を得た上で、会社を退職し、学校に勤めさせて頂くことに決心が出来られたのです。宇田氏が48歳の時でした。

★心新たに、新しい分野でお役に立たせて頂く、という覚悟でしたが、多くの児童・保護者がおられますから、いくら細やかに一生懸命対応をなさっていても、思うようにいかないことがあられたようです。宇田氏は「お参りもさせて頂いて、出来る限りの努力をさせて頂いているのに、なぜうまくいかないのだろう」と原因が分からなかったそうです。今までの仕事では、努力させて頂いたら、必ずおかげを頂いてきたからです。

★教員一年目が終わり、春休みに奥様と話をしていた時に「会社に勤めていた時には、上司を始め職場の方々に恵まれていたから、自分の能力に見合わないような大きな成果を出すことが出来ていたのだ」と、周囲の人が支えて下さっていたことに気が付かれたのです。勤めておられた時も、自分の力だけでは出来ようもない、ということは分かっていたけれども、知らず知らずのうちに、慢心から傲慢な雰囲気が醸し出されていたのだ、と気付かれました。クラスの一部の児童から反発を受けて、何をしても思い通りにいかないということから、その慢心がくじかれ、謙虚さや素直さを取り戻すことが出来られたのでした。反発していた児童の存在は、実は自分の長い会社生活で身に付けたマイナス面を取り払って頂く為に、神様が与えて下さった信心の材料であった、と気が付かれたのです。

★神様のなされることには無駄がない、ということが分かっていても、その渦中にある時には、すぐにご意味が分からないこともあります。おすがりして、懸命に努力させて頂いているといっても、至らないところや分かっていないところが実は多くあるのです。毎日が実地の学問です。状況が改善されない時は、そのことに意味があるのです。それは、「自分の真が足りないと気付かせて頂く」ための出来事であるということなのです。それが分からせて頂けるごとに、謙虚にならせて頂けます。そのようにして改まりが進んでいって、おかげを頂いてゆくのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:02 | 令和3年の「み教え」