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2021年07月30日

●御礼を申す稽古

九州布教の始めとなられた、桂松平師の奥様・桂ミツ師は、幼い頃より病弱で、腰から下に温もりが無く、夏でも座布団を何枚も重ねないと、畳の上に座る事も出来ない程に冷え性であられました。体質改善を願われ、一里も離れた沙美という村より、御本部へ日参を続けられました。村でも「これほど熱心な信心家はいない」と評判になるほど、お参りされていましたが、なかなか身体が良くならないので、ある時、ミツ師は二代金光四神様に「私はたいてい信心しておりますが、まだおかげが頂けません。」と涙ながらにお届けされました。

★すると、金光四神様は『そうかなぁ。たいてい信心できておりますかなぁ。私がおかげをあげるのなら今すぐにでもあげるが、神様が下さるのじゃからなぁ。神様からおかげを頂けるような信心をせねばならん。信心は何ぼ通りもある。参るのは参り信心。頼むのは頼み信心。拝むのは拝み信心というてなあ。まあ、そのなかでも参り信心が取り所じゃ。数多く参っているうちには、ああいう信心をすればああいうおかげ。こういう信心にはこういうおかげと、神様からおかげの頂ける信心がおいおい分かってくるようになる。まあ、いっぱし参るんじゃなあ。』と仰せになられました。

★ミツ師は、足が痛いとかどこが悪いと言わずに、お礼を申す事を中心に、ただひたすら、一心にお参りを続けられたのでした。すると、病弱であられた身体が、段々と強い心と丈夫な身体に作り変えて頂かれ、体質改善のおかげを蒙られたのです。

★『神を拝礼するのに別に決まりはない。実意・丁寧・正直・真一心がかなめである。日々生かされているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身で、知らず知らずにご無礼、お粗末、お気障りなどしている道理であるから、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:05 | 令和3年の「み教え」