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2021年07月02日

●傍(はた)を楽(らく)にする

阿倍野教会旧広前の頃、ニワトリを飼っていました。そのニワトリが縁側に上がってきて、フンを残しているのを三代教会長・伊藤良三師が見られたので、後にご結婚なさることになる愛子先生に「愛子ちゃん、ニワトリがまたフンをしている・・・」と仰いました。

★すると、奥の台所でご飯の準備をしておられた愛子先生が「今ご飯の準備をしていて、手が離せませんので、後で掃除させて頂きます。手が汚れますから・・・」と答えられたのです。良三師は心の中で(今してくれたらよいのに・・・まあ、私がすればよいのだが・・・)と思っておられましたら、丁度、二代教会長・伊藤コウ師が廊下を歩いてこられたのです。コウ師は廊下にあるフンを見られて、懐から懐紙を出され、さっと取られて、便所に捨てに行かれたのでした。

★コウ師が、何も仰らずに片付けられたお姿を見られた良三師は(私が一番最初に見つけたのに、わざわざ忙しい人を使おうとしていたなあ。それだけでなく、自分の思うようにすぐに対応してくれなかったら、不足を思ってしまっていた・・・)と反省されたのです。良三師は、ご自身の言動につい「これが我が強い。すなわち、了見が狭いという事です。」と反省を込めて、私共にお話しして下さいました。

★了見が狭いというのは、我が強いということです。考えが狭いとも言えます。我情我欲をお取り払い頂くには、心を広く持つことです。その為には、みんなの意見を聞いて、心が一つになるように、努力する必要がありますね。思い合って、祈り合いをし、相手を立てていくことが、我の取れた姿といえるのです。

★「働くというのは、はた(傍)をらく(楽)にすることである」と教えて頂いております。(はた)を苦しめていては、働くとは言えないという事です。それぞれがこの心掛けを持って生活していれば、相手がしてくれないなどと、不足を思うこともなくなるでしょう。

★自分が一番至らないと思い、どこまでも謙虚な心でみ教えを頂き続け、悪いことを思わず、言わず、仕返しをする心を去っていくことを、日々の御修行とさせて頂きましょう。神様に「今日も御修行させて頂けますように」とお願いさせて頂いて、取り組ませて頂きましたら、少しずつ成長し、心が広くなってゆくのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:48 | 令和3年の「み教え」