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2021年07月31日

●有難い生き方が身に付くように

 以前、物置を整理しておりましたら、二代教会長先生のご時代、さらに、三代教会長先生のご時代にお供えになった下駄が、7足程箱に入ったままで保管してあるのが見つかりました。どれも、ご信者が真心込めてお供えになった物ですから、新品のまま箱に入れてきれいに保管してあったのですが、何十年も経っているので、鼻緒が弛んでいたり、朽ちていたり、あるいは、桐の板にシミが出てきたりしていました。

★そこで、下駄の修理をしてもらえる店を探して、修理をお願いしに持って行かせて頂いたのです。今日では、下駄を履く人がすっかり減って、修理に来る人もめったにいないそうで、下駄を7足も持って行って修理をお願いすると、「うちの店が販売した下駄も何足かありますわ。」と下駄屋のご主人は驚かれながらも、大変喜んで下さいました。昔の桐の下駄は、現代の桐の下駄よりも大変良い材質の桐を使っているそうで、経年劣化していたとしても、手入れをすればきれいになるということでした。「直りますけど、お金かかりますよ?」と言われましたが、お供えになったご信者の真心と、物の命をどこまでも大切にさせて頂くことを教えて頂いておりますので、持って行った下駄を全て修理して頂きました。数週間経って、修理の出来たものを取りに行かせて頂きますと、それはそれは、見違えるようにきれいに、新品同様に修理して頂いておりました。二代教会長先生、三代教会長先生にもお喜び頂けたことであろうと思わせて頂き、大変有難いことでした。

★四代金光様は、「実意を込めてすべてを大切に」と、み教え下さっておられます。神様にいつもお願いさせて頂きながら、生活の一つ一つを通して稽古をさせて頂いておりますと、出来ないことも見えてきますから、そこを、反復練習させて頂いておりますと、有難い生き方が身に付いて離れないものになってくるのです。

★『おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。』

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2021年07月30日

●御礼を申す稽古

九州布教の始めとなられた、桂松平師の奥様・桂ミツ師は、幼い頃より病弱で、腰から下に温もりが無く、夏でも座布団を何枚も重ねないと、畳の上に座る事も出来ない程に冷え性であられました。体質改善を願われ、一里も離れた沙美という村より、御本部へ日参を続けられました。村でも「これほど熱心な信心家はいない」と評判になるほど、お参りされていましたが、なかなか身体が良くならないので、ある時、ミツ師は二代金光四神様に「私はたいてい信心しておりますが、まだおかげが頂けません。」と涙ながらにお届けされました。

★すると、金光四神様は『そうかなぁ。たいてい信心できておりますかなぁ。私がおかげをあげるのなら今すぐにでもあげるが、神様が下さるのじゃからなぁ。神様からおかげを頂けるような信心をせねばならん。信心は何ぼ通りもある。参るのは参り信心。頼むのは頼み信心。拝むのは拝み信心というてなあ。まあ、そのなかでも参り信心が取り所じゃ。数多く参っているうちには、ああいう信心をすればああいうおかげ。こういう信心にはこういうおかげと、神様からおかげの頂ける信心がおいおい分かってくるようになる。まあ、いっぱし参るんじゃなあ。』と仰せになられました。

★ミツ師は、足が痛いとかどこが悪いと言わずに、お礼を申す事を中心に、ただひたすら、一心にお参りを続けられたのでした。すると、病弱であられた身体が、段々と強い心と丈夫な身体に作り変えて頂かれ、体質改善のおかげを蒙られたのです。

★『神を拝礼するのに別に決まりはない。実意・丁寧・正直・真一心がかなめである。日々生かされているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身で、知らず知らずにご無礼、お粗末、お気障りなどしている道理であるから、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい。』
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2021年07月29日

●喜びを積み重ねる稽古

『人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神様のご機感(み心)にかなわないことになる。』
『病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる。氏子の心では、助かるか助からないか、わかりはしないであろう。また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。それがみな心で殺すのである。それよりは、どうぞ向こうが改心しますようにと、神様に祈念してやれ』

★すれ違う人の事でも祈らせて頂き、また、考えの違う人や迷惑をかけてくるように感じる相手の事でも、広い心で助かりを祈らせて頂くことが出来ますと、相手も助かり、自分も助かる有難いおかげを頂くことが出来ます。

★毎日頂いているそれぞれの家業を、神様から頂いている天職だと思って、嬉しく有難くつとめさせて頂いておりますと、有難い働きが周囲にも伝わっていきます。自分に頂いている家業は、命を頂いている御礼を初めとして、目が見える御礼、耳が聞こえる御礼、手足を使わせて頂ける御礼等々、今日まで頂いているおかげに対する、御礼の働きなのだと分からせて頂きますと、喜びに満ちてつとめさせて頂くことが出来ます。有難い生き方を、一日一日と積み重ねさせて頂きますと、やがて大きな働きとなって現れてきます。
一、日参と聴教により、正しい心(神心)を養う。
二、喜びを積み重ねる。
三、御礼の働きを積み重ねる。
四、誰とでも円満に生活する

★自分の日々の生活が、御礼の心に満ちた有難いものにならせて頂きますと、どうにもならないように感じる難しい問題でも、次第に解決に向かわせて頂くことが出来るのです。

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2021年07月28日

●素直に守らせて頂く 

三代教会長先生は9人兄弟であられましたが、その中で6人がご病気でお国替えなされたのです。しかしご両親は信心を離されませんでした。ご両親は三代教会長先生をどうあっても長く生きてほしいという思いで、小学校6年生の時に教会へ入所させる決心がつかれたのでした。当時、教会では高価であったお茶を頂かれることはありませんでしたから、毎日御隠居様が煎じて下さるお洗米を頂かれる事を初めとして、日々神様のお下がりを頂かれて、お身体を丈夫に作り変えて頂かれました。戦地で三度生命の無かったところを奇跡的に助けて頂かれる等、大病を小病にと何度も助けて頂かれ、90歳6カ月という御年まで御長寿を保たれたのです。

★三代教会長先生のご実家のお父様は、酒類も煙草もたしなむ方でしたが、三代教会長先生は、二代教会長・伊藤コウ師から、「お酒を飲んではいけない。」「煙草を吸ってはいけない。」「賭け事をしてはいけない。」等々、生活全般にわたって色々とみ教えを頂いておられ、全て「はい」と素直に守り通されました。外地に出征された時も、周囲がお酒を飲む場でも、三代教会長先生は一切飲まれなかったのです。また、外地で頂く給料の使い方についても、コウ師が「あなたは御本部に御礼参拝させて頂きたくても出来ないから、私が代わりにお参りさせて頂きます。頂いたお給料の中から、お供えとして送らせて頂きなさい。」と、厳しくみ教えをなされたのでした。そのようなみ教えを守り通された結果、身体をこわすことなく、危ない所も助けて頂かれて、無事に戦地から帰還することが出来られたのです。

★また、脳梗塞や、クモ膜下出血等を患われた時にも、アルコールやニコチンの汚染を全く受けておられなかったので、最小限の症状で、回復のおかげを頂かれました。

★み教えを守らせて頂くことによって、神様、霊様のお守りを十分に受けさせて頂くことができ、自分自身の体も心も健全に保つことが出来るのですね。
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2021年07月27日

●人生のケアをして頂く

 福祉に「ゆりかごから墓場まで」という言葉がありますが、このお道では、人として生まれる前から、亡くなられて御霊になられても、ずっと祈り続けて頂き、その人の命をかけがえのない命として守って頂き、育んで頂くのです。

★たとえ生きる力を失くしたような方でも、その方が助かられるように、手を差し伸べて支えて下さり、有難いことに守り通して下さるお道です。また生き生きと活きた働きが出来、自己実現をさせて頂く為に、必要な力を与えて頂けるのです。すなわち「一人一人の人生のケア」をして下さるのが金光教の信心です。

★松本氏は、台湾で画家としての華やかな経歴をもっておられましたが、36歳の時に突然網膜色素変性症という症状で、両眼の視力をほとんど失われました。終戦後、帰国して大阪に戻られた時には、歩くのも奥様に手を引いてもらわなければならない状態に絶望し、医師から次第に視力を失うことを告げられた後は、自殺未遂を図るほどに、生きる気力を失われたのでした。

★そうした時に、奥様がお導き頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「今から神様にお願いさせて頂いて、再び筆を持って絵を描かせて頂けるようになりましょう。」と有難いみ教えを頂かれたのが、昭和26年のことです。

★松本氏は、日々教会に参拝なさり、頂かれたみ教え通りに、一心にお願いが出来るようになられました。すると、暗闇の中に針ほどの視野で見ることが出来る時間を、朝の一分間程ですが、頂けるようになったのです。そのわずかな映像を脳裏に焼き付けて、奥様の献身的な手助けを頂かれながら、手探りで油絵を描くことが出来られたのでした。

★そうして、一水会という芸術展に昭和27年から40年までの14年間、連続で入選されるという大変素晴らしい功績を残され、「盲目の画家」として新聞や雑誌で全国に紹介して頂かれたのです。更に有難いことには、松本氏は、無償の奉仕で後進の絵画の指導に力を入れられ、若い方の縁談のお世話なども積極的になさったのでした。

★人生をケアして頂き、良い方向へ導いていくということは実に有難いことですね。神様はずっと願って下さり、霊様になられても神様の御許でお守りを頂かれて、生き生きと働かれるような霊神となられて、おかげを頂けるのです。実に広く、大きく、長年にわたって願い続けて頂けるのがお道のご信心です。そうしたお祈りの中で、人生の正しい舵取りがご信心によって出来ていくように、生神金光大神様のお取次を頂いて、天地の親神様の御神徳のまにまに、助かりの道をつけて頂いて頂けますように、共々にご信心を進めさせて頂きましょう。

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2021年07月26日

●喜びを見出す稽古

私が、金光教教師にお取り立て頂いて、10年程経た後の事です。あるご信者の地鎮祭の御用を終えて、教会へ戻らせて頂きますと、お広前の真ん中に、泥酔された方が上半身裸で座っておられました。その方は、声を荒げるような事もなさいましたが、その方を外へ誘い、北野境内地の風通しの良いところで腰を下ろして色々とお話を聞かせて頂きますと、その方のお母様が熱心なご信者であり、その方が生後間もない頃に、大病に患われた時に、金光様に命を助けて頂いた、ということでした。お参り出来る教会が無いので、通りかかりにお参りなさったそうです。そして、私に「お前は修行生か?修行生と言っても、修行らしい修行もせず、何をしておる。偉そうに修行生などと言うな。だいたい信心の心構えとは、どういうことをいうのか、知っているのか?」等々…あれやこれや一時間ほど話しかけてこられたのでした。段々とその方は、酔いが醒めてきて正気に戻られますと、服を着て御祈念をしたいと言われました。そして一緒に御祈念させて頂きますと、丁寧に挨拶されて「またお参りにしてよろしいか?」と尋ねられ、「いつでもお参りなさって下さいよ」と伝えますと、機嫌よく帰っていかれました。その後も、お酒を飲んで酔うと教会へ来られる方でしたが、お広前でご祈念をされ、み教えを頂かれて帰られる時にはいつも機嫌よく帰っていかれたのです。

★私は、神様がその方を私に差し向けて下さり、私自身の至らないところを、この方の口を通して私に教えて頂いたのだ、と思わせて頂きました。そして神様にお詫びを申し上げ、その方の助かりをお願いさせて頂いたことでした。

★この方のように、様々な境遇の方が、このお広前にお参りなさって御祈念し、おかげを頂いてゆかれることが出来る有難い場があります。日々、御神徳に満ちたお広前にお参りし、人生の様々な季節に於いて、色々なことが起こってくる中を、喜びを見出す稽古に努めさせて頂きましょう。
★『人生の五計』1、生計(体の健康、健やかに生きる道を考える)

2、身計(自分の身をどのように役立てるか、社会生活を考える)
 
3、家計(家庭をどのように維持していくかを考える) 

4、老計(衰えないために、いかに年を重ねるかを考える) 

5、死計(どのように死に向かうか、死を考える、その間に一日一日を大切に、どのように生かして頂くのかを考え、人生の大切なことを学ぶこと)
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2021年07月25日

●不自由の中でも、喜びを見つけて生活させて頂く

 中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で、生きてゆくことも出来られない程くじけてしまい、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。

★しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、お子さんが自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほど、きれいに書いておられたそうです。腕の付け根から三センチ程の残った腕で、脇にお箸を挟んで食事も頂かれ、自転車にも乗られました。また、義足をはめての歩行は、ご不便もあられたことと思われますが、「電車の中では、席に座れない時には、義足をはずして、その上に座るとなかなか便利です。」と喜んでおられたそうです。先生は、義足をはめるご自分の足の部分が少し短く、長めの人に比べて、使いながら外れてしまい易かったそうですが、先生は、義足が外れやすいことも「諦める」のではなく、喜びに変えておられたのでした。そして、他人と比べて引け目を感じ、人を恨み「運命を憎み、呪う」という生き方ではなく、引け目を誇りにして、『運命を愛し、運命を生かす』生活に変わられたのです。

★亀太郎師は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として 
1)「より健康にならせて頂いたこと」
2)「不自由の少ないこと」
3)「明朗になったこと」とお話しになりました。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、有難い方々にお世話になられて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。

★たとえ不自由があったとしても、それが不幸せであると決めつけない生き方、不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても、以前より生き生きと輝いた生活を送らせて頂くことが出来るのですね。

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2021年07月24日

●正しい舵取り

私達は、何か問題が起きてくれば、その問題が解決するよう神様にお願いさせて頂きますし、病気や怪我になれば、回復をお願いさせて頂きます。

そうした時に、心を落ち着かせて、生神金光大神様のお取次を頂き、頂いたみ教えを繰り返し繰り返し心に頂き直しつつ、正しい舵取りをさせて頂くことが大切です。
大きな問題に直面した時ほど、心が動揺してしまい易いですから、せっかくお取次を頂き、み教えを頂きながら、そこに込められたご神意を我が心に頂くことが出来ず、焦ったり、迷ったりして、自分の力だけで何とかしようと、判断を間違えたり、ともすれば、反対方向に舵を切ってしまうこともないとは限りません。

★二代教会長・伊藤コウ師は、
「東京に行こうと思えば、東京行の列車に乗らなければいけません。反対方向の列車に乗ったのでは、いつまで経っても目的の東京には着かないでしょう。反対方向に随分進んでしまってから、間違いに気が付いても、目的地に着くまでには随分と時間も労力もかかります。それと同じように、お願いさせて頂いたら、その願い成就に向けて、正しい方向に舵取りをさせて頂けるよう、生神金光大神様のお取次を頂くことが大切なのです」
と、み教え下さいました。

★『信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ』とみ教え頂いておりますように、神様は、氏子が無事達者で、子孫繁盛家繁盛のおかげが頂けるようにと願って下さっているのです。

み教えを得心出来るまで心に頂き直し、どこまでも守らせて頂いておりますと、神様は先の先までを見通しておられますから、全てにご都合お繰り合わせをつけて下さることになるのです。

★『願うことは何事もかなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげをいただける。』
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2021年07月23日

●油断のない信心

 油断のないとは、常に心中御祈念して神様に心が向かわせて頂いている状態のことです。反対に神様に心が向かっていない時には油断が生じております。それは「自分がする」と思っているから、間違いや無理が生じるのです。『無理はめげるもと』ですから、段々とうまくいかないことになっていくのです。一生懸命御祈念して決断させて頂いたことは、後になっても「あれでよかった。結構なおかげを頂いたなあ」と思えます。神様にお願いしてお任せする、という心持ちを忘れないようにすることが大切です。

★「あれもしなければ・・・。これもしなければ・・・。今の自分に出来るだろうか・・・。」と、焦りや心配や迷いがあるときは、「自分がする」という思いが先に立ち、神様にお願いして一番良いようにご都合お繰り合わせを頂く、という心が抜けてしまっているのです。「今日一日しなければならないことを、一番都合の良いようにさせて頂けますように」というお願いを中心にして、日々家業に励ませて頂いていれば、心配や迷い、あるいは焦り等はお取り払い頂けることでしょう。

★四代金光様は「病気のとりこになってはいけません」とみ教え下さいました。人は病気など、何かに囚われてしまうと視野が狭くなり、頑なになって、病気や問題を恨んだり、自分や人を責めたりしてしまいます。何事にも御礼を申す稽古を積まなければなりません。御礼を申す稽古を積んでおりましたら、出来事に囚われなくなっていきます。病気のことを忘れ、いつの間にか症状が回復している、ということも起きてきます。「なぜ私だけがこんな思いをしなければならないのか・・・」と思っていますと、物事は良い方向には向かいません。「神様が私の為にこの出来事をお差し向け下さった。有り難いことだ。」と喜んで御礼を申すことが大切です。

★しかしながら、一度そのように御礼が申せても、油断して再び不足を思ってしまうのが人間です。日々、今の自分は神様に心が向いているか、何事にも御礼が申せているかを顧みて、信心に励んで参りましょう。

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2021年07月22日

●心の眼で見て、心の耳で聞く 

ある時、教祖様は近藤藤守師に『この辺りの者は、大谷の肥かたぎ金神と言うて来るから、肥かたぎだけのおかげはやってあろうがなあ。遠方から来る者は、生神と言うて来るから、生神のおかげをいただいておるのじゃ。』とみ教えなされました。

★教祖様は昔、お百姓をしておられたのを、近隣の方々は皆承知でありますから、「声かたぎ金神」と揶揄するのです。そのようなことで、夫々の敬う心に応じて、おかげを授けて下さることを、教えて頂いているのです。遠方の方は、「生神金光大神様、生神金光大神様…」とおすがり申し上げ、時間も都合もつけてお参りなさるので、「生神のおかげを授けてやる」と教えて頂いております。皆夫々におかげを授けて下さいますが、受け物が悪ければおかげを落とすことになります。それが、後々に大きな違いとなって表れてくるのです。

★私達一人一人は、皆が有難いものを頂いておりますけれども、その有難いことに気付かせて頂いて、より一層大きな器にならせて頂けるように、おかげを頂いて参りたいと思います。それには、日々「本心の玉」を磨く稽古を積み重ねなければなりません。

★私達には、神様から頂いている神心・分け霊を授けて頂いております。掛けがえのない尊い「神様の氏子」として自覚をし、生き生きと働かせて頂くことが、このお道のご信心です。「神様、霊様から頂いている能力を、生き生きと活かして使わせて頂ける、私にならせて頂けますように!」と願うのです。目に見える範囲や、聞こえてくるものしか信じないということでは、実に狭いものの考え方になります。目に見えない働きがあってこそ、私たちは支えられて生かして頂いているのです。ただ見えないだけ、気付かないだけなのです。人の働きさえ気付かないことが多いのですから、霊神様の働きは知らないことや気付かないことの方が多いことは明白です。

★心が澄んでいる時は、色々と感じさせて頂けますが、心が乱れている時は、本来感じなければならないことも、感じることが出来ません。また、見えなければならないことも見えず、聞かなければならないことも聞こえません。それは、自分の心の持ちようが間違っているからです。ですから、心の眼で見て、心の耳で聞かせて頂けるように、日々お参りして稽古させて頂きましょう。
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2021年07月21日

●思い分けの出来るように、日々受け物を育てる

 昨日は、教徒会例会が開催され、前田氏より大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。前田氏は、大変御熱心なご両親のご信心を受け継がれ、現在までお琴の御用をなさっておられます。また、同居しておられた実のご両親のお世話を最期までなさって、平成18年にお母様を、平成19年1月にお父様を見送られたのです。

★そして、お父様の旬日祭を終えられた後に、3月22日の春季霊祭でお琴の御用にお使い頂かれた翌日、前田氏が谷町線の阿倍野駅の上りエスカレーターに乗っている時のことです。前に背の高いよく肥えた老人が、荷物の家電製品を手すりに乗せて上がっておられました。老人はその家電製品が重く、持ちこたえることができず、後ろにおられた前田氏の前に転げ落ちてこられたのです。そして、前田氏はそのまま飛ばされて3回転し、35段程転がってエスカレーターの一番下まで落ちてしまわれたのです。

★すぐに救急車で病院に運ばれ、MRI検査を受けられますと、胸椎の12番目が圧迫骨折していました。医師より「二ヶ月間は絶対安静で、炊事等、家事一切をしてはいけません。食事は寝たままで頂いて下さい。お手洗いの時だけしか体を起こしてはいけません。お手洗いの際には、コルセットをつけて下さい。」と言われたのです。

★前田氏は、日々寝たきりの状態の中で、不自由な生活を送っておられましたが、エスカレーターで上から落ちてこられた老人に対して、一切恨み言をおっしゃることなく生活なさったのです。前田氏は、事故の前にご両親がお国替えされ、また娘さんの出産のお世話などで、前田氏自身が疲れで血圧が上がっておられましたから、「神様が無理をしないように強制的に休ませて下さった」と思い分けをされました。そして、なんと6か月後、コルセットなしで歩けるようにまで回復なさったのでした。

★後に病院の先生から「胸側が骨折したので、下半身に麻痺が無いのです。もし背中側を骨折していれば、一生寝たきりの生活ですよ。」と聞かされ、改めて有難いおかげを頂いたことを感じられ、御礼を申されたのでした。前田氏は、日々熱心に信心と御用に励まれ、双方のご両親に対してこれまで親孝行なさってこられたことにより、大難を小難におまつり変え頂かれたということが分からせて頂きます。

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2021年07月20日

●自分自身の至らなさに気付かせて頂く

明治時代の優秀な政治家であった、学者である大隈重信というお方は、大変頭が良く理解も早いのですが、癇癪持ちであられました。そんな大隈重信氏に対して、親友の五代友厚というお方が、手紙で忠告されたのです。「親友として、敢えてあなたの短所を挙げて、あなたの為に真心から忠告します。どうぞこの5カ条を守って下さい。」
第1条、あなたは、一を聞いて十を知る程に賢いけれども、たとえ愚説愚論だと思っても、人の話は最後まできっちりと聞いてあげて下さい。
第2条、あなたの部下の人の意見と、あなたの意見とが合った時には、「あなたの意見はもっともです。あなたの意見を取り上げましょう。」と相手を賞し、立ててあげて下さい。
第3条、怒りを含んだ言葉、罵詈雑言は慎んで下さい。人の上に立つ人間が怒鳴っては、見苦しいものです。あなたの徳性を失います。
第4条、会議や話し合いでは、参加している多数の人の意見が、およそ固まった時まで待って、あなたが決断して下さい。そうすれば、あなたの決断に対して、皆さんの協力が得られるでしょう。
第5条、あなたが気に入らない人は、その人もあなたを気に入りません。自分が気に入らない人にこそ、丁重に真心で親しく交際を広めて下さい。]大隈重信氏は真心から諌めてくれた親友に感謝なさり、この進言を守られ、努力なさったそうです。

★私達には、皆夫々に良いところがありますが、まだまだ至らないところもたくさんあります。年齢が高くなり、地位が出来て来ても同じことで、完全無欠な人間はおりません。出来ているところは神様に御礼申し、大いに喜ばせて頂いて、出来ていないところは、しっかりと改まらせて頂くのです。これで完成ということはありません。「まだまだ至りません、出来ていないところばかりです。」と自分の至らないところを見つめ直し、己の心に打ち克って、人の良いところを見て、口に出す稽古に励ませて頂きましょう。
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2021年07月19日

●おすがりする心にならせて頂く

 昨日は、御本部への御礼参拝を、団体バスを5台運行させて頂き、また自家用車・新幹線・在来線等を用いてさせて頂けましたことは、真に有難いことでございました。天候・気象の上に、またご信者皆様の健康等の上に、万事万端にご都合お繰り合わせを頂き、問題なくさせて頂けましたことは、神様・霊様のお守りを頂いてこそと、有難く御礼を申し上げております。

★阿倍野教会が、旧広前で御用をさせて頂いていた頃のことです。あるご婦人が脳卒中を発症され、その後遺症で手足のマヒがあり、床についておられた方があられました。ご主人も、娘さんも優しいお方で、後遺症に苦しむご婦人のお世話を、一生懸命になさっておられたのですが、ご婦人は、「足音がうるさい」「布団の敷き方が悪い」「私をのけ者にして、みんなで笑って話をしている」等々、朝から晩まで不平不足ばかりの毎日を送っておられたのです。

★近所にお住まいだったご信者が、そんな様子をいつも気の毒に思われ、何とか助かって頂きたいと願っておられました。そして、ある日ご主人に、「奥様に、今のままでは助からないことを伝えたいと思っても、それを話して理解して頂くのは難しいでしょう。一緒に、お徳の高い先生のお話を聴かせて頂いてはどうですか?私が、車を手配させて頂きますから、それに乗って奥様と一緒にお参りさせて頂きましょう。」と、親切におみちびきをなさったのでした。

★そうして、月例霊祭の日に初参拝されたのです。奥様は、座ることも出来られませんでしたので、お広前の後ろの小部屋に横になって、御祭典を拝まれ、み教えを聴かせて頂かれたのでした。そうしますと、その時のみ教えが、自分の為にお話し下さったとしか思えないようなご内容で、奥様の心に染み込んだのです。そして、親切に看病して下さってきたご家族に「これまで、我がまま気ままばかりで、本当に申し訳ないことだった・・・」と、お詫びの心が湧いてきて、「病気の後遺症があっても、それは神様にお預けして、これからは病人になるまい」と、心に決めさせて頂かれたのです。それからは、「神様にお願いさせて頂きながら、自分のことはなるべく自分でさせて頂こう」「少しでも、主人と娘の役に立つことをさせて頂きたい」という、有難い心にならせて頂かれたのでした。

★そのような有難い心にならせて頂き、神様におすがりしながら、手足を動かす稽古をしていかれますと、段々と手足を動かす機能が回復し、ろれつが回らなかった言葉も段々とはっきり話せるようになられたのです。そして、お参りなさった時には、不自由なお体であられながら、雑巾を持って下駄箱のお掃除をなさったのでした。次第に、お宅祭もお仕え頂けるようになっていかれ、三代教会長先生が、お宅祭にお出ましになられた時には、「先生、階段の昇り降りも、自分で出来るようになりました!」と、一段一段、腰を下ろしながら階段を進む様子を、ご覧いただくことが出来られたのでした。

★み教えを頂くことによって、考え方も生き方も180度変わらせて頂かれ、ご家族にお世話になることを当たり前ではなく、有難いと思えるようになり、また、不自由がありながらも、させて頂けること一つ一つに、御礼が申せるようになっていかれたのです。そして、人様をおみちびきさせて頂くことも出来るようになられ、有難い御用にお使い頂けるようになられたのでした。

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2021年07月17日

●信心が緩まぬよう、油断の無い信心を

 あるご信者は、体のあちこちに不調があられたのですが、ご神縁を頂いてから日参に励み、月々の御本部参拝をさせて頂かれましたら、健康な体に作り変えて頂かれ、お商売もお願い以上の売り上げをさせて頂くようになり、結婚のおかげも頂かれ、家が円満で繁盛させて頂くという、有難いおかげを蒙られたのでした。ある時、二代教会長先生にお礼届けをなさいますと「結構になったら、信心が緩まないようにしなさいよ。毎日のお参りがだんだんと抜けたり、御本部参拝が抜けたりしますと元の木阿弥になってしまいます。一回一回の参拝によって、自分自身の間違っているところを見つけ出して、一つ一つ改まらせて頂けることが有難いのですよ」とみ教え下されたのでした。

★『神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ』ご神徳を頂く為には、求めてみ教えを頂くことが大切ですが、それと同時に、不成心をお取り払い頂くことも大切です。不成心とは「私心・偽りの心・放埓・おごりの心」等のことです。
(1)私心・・・自分さえ良ければそれで良い、といった自己中心的な心。
(2)偽りの心・・・み教えに対して、さらに己の神心に対して偽りの心。
(3)放埓・・・勝手、気まま。生活を顧みず、遊興にふけること。
(4)おごり・・・「自分ほど一生懸命しているものはない」等と思う心。

★こうした不成心を持ち合わせておりますと、家庭の中でも仕事の上でも、ほころびが生じてしまいます。「至らないところばかりでありますが、その至らないところを足して頂いて、今日も一日おかげを頂けますように」とお願いして、毎日の生活を見直させて頂きましたら、結構ですね。お結界というところは、私心をお取り払い頂いて、神様の御心を頂いていくところです。み教えを一生懸命に守らせて頂き、自分自身がご修行と定めさせて頂いたところを、ずっと守り通していくということが出来てきましたら、神様からのご信用も頂けるのです。

★人生には色々なことが起こってきますが、そういう中で、ご信心が進ませて頂けるように、必要な時にさっと神様に心が向かわせて頂いて、すぐにおかげを蒙らせて頂けるような、常平生のご信心を油断なくさせて頂くことが大切です。

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2021年07月16日

●信心は難しくはない 

教会のおがたまの木は、昭和32年に御信者が苗木でお供えになられたもので、当時は人の背丈程のものでした。 一度枯れかけた時には、植木屋さんに根元から少し上を残して切って頂き、二代教会長伊藤コウ師が、バケツの水の中に御神酒を少し入れてかけておやりになり、「どうぞ生き返って下さいよ」と声をかけながら、ご祈念を込められて大切に育てられました。

★以前、このおがたまの木が弱ってきていることに気が付かせて頂き、樹木医の方や、植木屋さんなどに見て頂きました。その方たちのご指導の元、木の周りの硬い土を小面積ずつ何年もかけて1メートル程も掘り返して、柔らかい土に入れ替えさせて頂きました。木が育つには、土にしっかりと空気が入るように、柔らかい土にしてあげることが大切なのだそうです。木は枝が広がっている範囲まで、土の中で根を張っており、水分、養分と空気も摂り入れます。四年程かけて、面積を決めながら、砂やバーク等を入れて水はけを良くし、根の働きが活発になるように土壌の改良をいたしました。更には、有機肥料を使い、腐葉土を入れ、土作りを始めたのです。この作業は、根の活動が静まった冬に、多くのご信者の方々と共に、スコップやつるはしを使っての作業となり大きな労力を要しました。また、良い土が出来ていくには時間がかかることでしたが、おがたまの木からは新芽がたくさん出てきて、青々と茂り、大変有難いこととお礼申させて頂いたことでした。

★環境を整えるということは大事なことです。信心においては、日参と聴教こそが、己を育てる環境作りと言えます。み教えを頂き、正しい方向へ成長していく生き方を学ばせて頂くのですが、それが難しいと考える方もおられることでしょう。み教えを頂き、実行しないうちは難しいと思えるものです。実行させて頂くと、「なんと、有難いことか!」と思えて、「また、させて頂きたい!」と実感するはずです。そうして、信心の稽古を重ね、信心が好きになっていけば、楽ですね。

★『信心を、すぐに難しく考えるが、何も難しい事はない。金光大神の言う事を、はいはいと聞いておけばよいのじゃもの、楽なものじゃ』
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2021年07月15日

●自分の器を大きくして頂く

 あるご信者は、郷里で美容室を営んでおられて、大阪に出てきてからも、美容室を営んでおられました。郷里の美容室は、留守番の方に任せて来られたのですが、その留守番の方が、何かにつけてゴテゴテと言う方であられたようです。二代教会長先生に「私は今ホトホト困っております。何かというたらゴテゴテ言われて・・・」と留守番して頂いている方のことを、お届けなさったのでした。

★二代教会長先生は「私やったらこう思いますけどなあ。その人は言うてみれば空腹で、何でも食べたい時のようなものです。それと同じようなもので、[もっとああして欲しい、こうもして欲しい]と親切に飢えているのです。ですから【これは私の親切心が足りなかったのだ。私が至らなかったのだ】と思わせて頂いたらよろしい。この人が[もう満足です]と言うまで、こちらが親切を尽くさせて頂くということが出来ていったらよろしいですね。そうしましたら、その人もゴテゴテ言わなくなりますよ。あなたは、【私には、あの人に満足に食べてもらえるだけの力がございません。どうぞ、あの人が十分に満足してもらえるだけの、徳も力も頂かせて下さい・・・】とお願いしなさい」とみ教えなさったのでした。

★人が足りないのではなく、自分が足りないのです。真心や親切が足りない、即ち信心が足りないということを教えて頂かれたのでした。もっと自分自身が改まらせて頂いて「これは、自分の実意が足りないのだ」というように、思わせて頂けるだけの大きな受け物・器にならせて頂きましょう。【あんな人間は許せない】となってしまいますと、器は小さく凝り固まってしまいます。そこを自分の器が大きくなっていくように、信心辛抱させて頂くのです。それは、自分がこれまで一対多で多くの方々にご辛抱して頂いて、今の自分があるからです。辛抱して頂いていることを忘れてしまってはいけません。そのように信心辛抱させて頂きましたら、神様が「ああもしてやろう、こうもしてやろう」とおかげを蒙らせて下さるのです。

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2021年07月14日

●御神酒・御洗米の頂き方

昨年6月の中頃に、額から右目の周囲、頬にかけてヘルペスの痛みが出はじめ、帯状疱疹になりかけました。有難いことに御神酒と投薬で抑えて頂き、入院することもなく、毎日御用にお使い頂いたのですが、その後にヘルペス後の神経痛を初めて体験いたしました。

★経験なさった方から、激しい痛みだと聞いてはおりましたが、針で突き刺されるような痛みが、足の甲やすねなど様々なところに出てきました。6月末から激しく痛みだし、御神酒を毎日つけさせて頂いておりましたが、上半期感謝祭の御用、月末月初の御用にお使い頂く間も痛み続け、7月の2日まで痛みは続きました。

★そして2日の月例祭が始まる前に、御神酒の頂きようが間違っていたこと、またお礼の申し方・お詫びの申し方、御祈念のあり方が足りなかったことに気付かせて頂いたのです。祭服に着替えさせて頂く直前に、改めて「生神金光大神様、天地金乃神様、今回は結構なみ教えを頂きました。人の痛みが分かるようにと良い経験をさせて頂き、有難いことでございます。今回は、私に今一番必要な出来事を通して、有難い勉強をさせて頂いております。有難うございます。痛みがあるということは、生かして頂いている結果でございますし、長年使わせて頂いたお礼が足りない、ということは明白でございます。御無礼・不行届きはお許し下さい。どうぞ、しっかり御礼の申せる私に変わらせて頂けますように、何卒よろしくお願いいたします」と御祈念しながら御神酒を付けさせて頂きました。

★そして、祭服を付けて祭主の御用、御説教の御用にもお使い頂き、祭典後お結界に座らせて頂いておりますと、ふと痛みがないことに気付かせて頂いたのです。普段からみ教えを頂いて、分かっていたつもりですが、「御神酒を心から有難く頂く」ということを、体験を通して分からせて頂いた事でした。

★信行期間中、阿倍野教会では、毎朝御洗米を炊いてご信者皆様にお下げしております。御洗米とは、御神殿にお供えしたお鏡餅を小さく切り、御神酒で清めご祈念を込めたものです。「日々お命を頂き、有難うございます。この御洗米を頂いて体中の悪毒・病毒をお取り払い頂けますように」と心から有難く拝んで頂き、体質・性質改善のおかげを頂きましょう。

★『ただただ、生神金光大神様、天地金乃神様有難うございますという心さえあればそれでよろしい。』『今月今日で一心に頼めい おかげは和賀心にありという見識を落としたら世が乱れるぞ。神々のひれいもなし。親のひれいもなし』
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2021年07月13日

●本当の幸せとは

 以前、大工をなさっておられたある方が、お子さんの病気をおかげを頂きたいと思われ、夏の信行期間が始まる日に初めてお引き寄せ頂かれたのでした。

★その方は、自分は、仕事を真面目に、誠実にしていると自負しておられたのでしたが、み教えを頂くずつに、段々と考え方の間違いに気が付いていかれたのです。仕事に必要な材料の代金は、施主に請求できますから、み教えを頂く前までは、材料が残っても、自分がお金を払った物ではないので、勿体ないとも思わず、捨ててしまっていたそうです。また、材料を無駄にしないように、必要な量をあらかじめよく考えて発注する、というような工夫も怠っていたのでした。

★お道のご信心にご縁を頂かれ、み教えを頂くようになられてから、神様のご恩の中に生かされ、全ては天地のお恵みである、ということが分かるようになられ、仕事に使う材料も、天地のお恵みとして、工夫して大切に扱うように心掛けを改められました。また、天地に対するご無礼は、やがて自分や、子孫の者にめぐりとなって残り、難儀の元になるということも、分からせて頂かれ、生活の在り様、仕事の仕方も一つ一つ改めることが出来ていかれたのでした。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「本当の幸せとは、神様からも、人からも、厳しくみ教えを頂き、考え方、生き方全般を改まらせて頂くことです。『生神金光大神様、天地金乃神様』とおすがりして、どんな困難でも乗り越えさせて頂く徳と力を頂くことが、本当の幸せなのです。」とみ教え下さっておられます。困難なことに直面したら、神様から「この人間なら」と、見込んで頂いて、鍛えて頂く時だと思って、覚悟を決めて、受け切らせて頂く心にならせて頂けば、有難いおかげになっていくのです。

★反対に、「いい加減なことしているのに、何事もなくことが運んでしまったり、お金儲けが出来てしまったりすると、間違いが間違いを呼び、難儀の元となってしまうのが、不幸せなことだ」とも、み教え下さっておられます。日参と聴教に励ませて頂き、生神金光大神様のお取次を頂いて、自分のなすべきこと、改めるべきことを教えて頂きつつ、起きてくることを信心向上の材料とさせて頂いて、日々信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★『天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。』

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2021年07月12日

●心眼を開く稽古  

初代教会長先生のご時代のお話です。井村氏というお方が、毎日お参りなさって、神様に何かお願いなさっておられましたが、お届けには来られませんでした。

★ある時、二代教会長・伊藤コウ師が、初代教会長先生に「先生、あのお方はよくお参りに来られますが、何か願い事があるのではないでしょうか?一向にお届けをなさいませんが…?」とお尋ねになりますと、初代先生は「話を聞いてみたところ、実印がなくなったということだが、まだ本当におすがりする気にはなっていない。今はいくら探しても、自分で神様にお願いしても出てこないと、悩んでおられる。自分の力ではどうしようもないということに至ったら、本当に真剣になっておすがりしてくる。その時を待たせて頂いている。」と仰せられたのでした。

★その後、しばらくすると井村氏がお届けに来られ「先生、この間言っておりました実印が、いくら探しても見つかりません。先生から神様に御祈念してください。実は、私達は40日前にこちらに家を移って参りました。そこで荷物を解いているのですが、もしかしたら途中で落としたのかと思っておりました。実印と一緒に現金と通帳を一緒にしていたのですが、それも出てきません。幸い、たかが知れている額ですが、実印が見つからないのにほとほと困っております。神様にお取次ぎ頂けますでしょうか?」とお届けされました。

★初代先生は、御祈念座に進まれてご祈念されました。それをコウ師は、障子一枚隔てて聞いておられ、「神様、あのように願っておられるご信者の願いを、お聞き届け下さいます様に。あの人がおかげを頂けませんと、とても御用になりませんので、何とぞおかげを蒙られますように。」と、自分のことのように後ろ祈念をなさいました。そして、御祈念なさった初代先生はお結界に戻られて、井村氏に「お帰りになられて白い箱を探して御覧なさい。」と仰せられました。井村氏は大変驚かれて、お礼を申して家に帰られました。それを聞いておられたコウ師も大変驚かれ、「もし万が一、間違いでもあったら、この地で御用出来ませんので、神様、その白い箱が見つかりますように」と再び後ろ祈念されました。

★すると、井村氏は「先生ありました!家中、くまなく片っ端から白い箱を探しましたら、実印も現金も通帳も出てきました!」と大変喜んでお礼申されたのでした。

★初代先生は、まさに心眼に映られたのでした。そのような有難い徳も力も、私達一人ひとりに備わっているのです。ただ、心眼が開けるように稽古が出来ている人と、そうでない人との違いが生まれてくるのです。心の眼・心の耳を開いてゆく稽古を、毎日お広前でさせて頂くのです。神様から頂いたみ教えを、素直に守らせて頂くことを毎日実践させて頂くところに、有難いおかげを蒙らせて頂くことが出来るのです。
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2021年07月11日

●神様とのお約束

 7月10日は、伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師の御母堂)の御命日でした。伊藤家の信心の礎を築いて下さったお方ですが、金光教にご神縁を頂かれる以前は、3人の娘さんも身体の弱い、病人が多い家でした。

★二代教会長・伊藤コウ師は、13才の折に肋膜炎と腹膜炎を併発なさり、高熱が出て骨と皮だけに痩せてしまわれ、医師も匙を投げる程の重症になられたのでした。ハル氏は、神様に「これまで親としての育て方が間違っておりました。神様の大切な氏子を預からせて頂いておりながら、大きくなれば家の為に、ああもしてほしい、こうもしてほしいと、勝手なことを考えておりました。元気にならせて頂いたあかつきには、成長後も伊藤の家の為には使いません。神様の御用にお使い頂けるような人間に育てさせて頂きますから、神様のおかげによりまして、生き永らえさせて頂きます様に」と、神様にお詫びを申され、お願いなさいました。ハル氏の一心の願いと、改まったご信心・ご修行により、コウ師は骨と皮のガリガリの体で、お腹だけは腫れているという、死に瀕している状態から2週間で全快のおかげを頂かれたのでした。

★ハル氏は、コウ師に師範学校へ入ってもらいたいと、強い願いを込めておられました。しかし、コウ師は、「どうあっても女学校へ入りたい!」と思われ、ハル氏のお言葉を振り切り、清水谷高等女学校へ受験の願書を提出されました。受験当日、コウ師は試験会場の門前で、受験票を忘れて来たことに気付かれ、急いで帰って受験票を持って引き返されました。しかし、数学の時間は余すところ僅かとなっており、満足な解答が出来ず、不合格となられたのでした。翌年、コウ師は師範学校を受験して合格され、四年間一日の欠席もなく、優秀な成績で卒業されたのでした。

★コウ師の女学校不合格について、ハル氏は「おかげや!おかげや!」とずっと仰っておられたということです。なぜなら、ハル氏は、神様とお約束なさった「伊藤の家のためには使いません。神様の御用にお使い頂ける人間に育てさせて頂きます。」という神様にお約束したことを守らせて頂きたい、との思いがあられたからです。

★病気が治れば、神様とのお約束を忘れてしまい、身勝手な生活に戻ってしまいやすいものです。しかし、ハル氏は、どんなことがあられても神様とお約束なさったことを、生涯守り通され、願い続けられたので、コウ師は初代教会長先生とのご縁を頂かれ、阿倍野教会の創設が実現出来たのです。

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2021年07月10日

●願いのあるところに成就がある

昨日は、ご都合お繰り合わせを頂きまして、二代教会長・伊藤コウ姫の39年廻れる例年祭を、お仕え申し上げることが出来ましたことは、真に有り難いことでございました。

★二代教会長先生は「正しいお願いをしっかり持たせて頂ける氏子にならせて頂かねばなりません。しっかりとしたお願いが無いということは、信心はもう死んでしまっていますよ」とみ教え下さいました。極端なように聞こえますが、しっかりとしたお願いが立てさせて頂けるということは、ご信心が活溌溌地「生き生きとしている」ということです。活き活きとしたご信心は、願いに基づいた生活というものを生み出して行けるのです。

★初代教会長先生がお国替えなさった10日祭には、建築委員の総辞職ということがあられました。その連判状を御神前にお供えされ、「神様、私を可愛がって下さいまして、有難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよ、とみ教え頂きました。有難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように」とお礼とお願いをされました。

★与えて頂いている環境を「こんなに有難く、結構なことはない」とお土地や建物、家族やお仕事を、毎日拝んで暮らさせて頂きましたら、神様が良い方へ良い方へと導いて下さるのです。喜び上手が、おかげの頂き上手なのです。どんなことでも、喜びに変えてゆかれるご信心を、親先生から私達はしっかりと学ばせて頂かなければなりませんね。

★私達は、自分自身が思う以上、願う以上に、今日迄おかげを頂き続けております。先々のことがなかなか分からない毎日ですが、先を見通す千里眼のようなものや、超人的な能力は持っていない私達です。しかし、願いを立てることは出来ます。お願いのあるところに成就があり、願いに沿った生き方が出来ていくのです。そのお願いの中身に沿うように、努力が出来、工夫が出来ていくのです。初代教会長先生と二代教会長先生は、ご布教の始めから「体の丈夫・子孫の信心教育・豊かな生活・平和円満・徳と力」の5つのお願いに基づいて、それぞれの家が、元気な心で先を楽しみに、お願いを立てられるように教えて下さいました。阿倍野教会が、今日までおかげを頂いてきましたその内容も、歴代教会長先生が、願いを持ち続けて下さった結果です。

★『人間じゃもの。生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はなかるまいが、心配がみなおかげになれば心配はなかるまいが。心配は信心しさえすればみなおかげになる。心配は体に毒。神様に御無礼。今日からは心配する心を神様に預けて信心する心になりなさい。おかげになります』
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2021年07月09日

●健康と繁盛の道を歩む

 本日2時より、二代教会長・伊藤コウ姫の39年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。ご家族、お導きの方が揃われ参拝が出来られますよう、お祈り申し上げます。

★昨日は、みかげ会例会にて、上松氏のおかげ話を聴かせて頂きました。上松氏が幼い頃、お父様は病気でお仕事を休みがちで、お母様も甲状腺の病気で家事と育児がままならず、当時3歳の上松氏も小児結核を患っておらるれという状態であられたところ、岡山で金光教のご信心にご縁を頂いておられたお母様の母上が、大阪で金光教の教会に参拝するよう勧めて下さったのでした。上松氏のご家族は、当時昭和町にお住まいだったので、知り合いの方に教えてもらって阿倍野教会に参拝され、伊藤コウ師より、「何もかもお願いしましょう」とみ教え頂かれたのです。お母様は、初めての参拝で、「お参りさせて頂いたら助けて頂ける」という元気な思いで一杯になられ、行きは、休み休み歩いて一時間半もかかった道のりを、帰りは疲れを覚えず30分で帰ることが出来られたのでした。

★やがて、朝参りが出来るようになられ、更に1日に3回参拝出来るまでに回復させて頂かれ、お父様も、上松氏も健康になるおかげを頂かれました。お父様は、国家公務員として定年まで働かせて頂かれ、64歳でお国替えなさいました。お母様は、お父様を見送られてから80歳を過ぎるまで15年間、奈良県から電車を乗り継いで朝参りを続けられました。その間、大腸の病気が進行して命の危険があると宣告された状態から、手術を受けて全快のおかげを頂かれたり、80歳を超えられてからは、度々腰椎の圧迫骨折で入院なさいましたが、その都度、支障なく歩けるまでに回復のおかげを頂いてこられました。97歳の今日も、「また教会に参拝させて頂きたい」というお願いを持たれ、家族親族の立ち行きをお願いなさりながら、穏やかに過ごしておられます。

★上松氏は、お母様のご信心を見習われて、日参・朝参りを続けておられます。お仕事の上にも、地方公務員として60歳の定年を迎えられてからも再雇用して頂かれ、今年3度目の定年を迎えられましたが、引き続き採用して頂くおかげを頂いておられます。お子さん、お孫さん方も共に勢信心のおかげを頂かれ、有難い信心の綱を離さず、子孫繁昌家繁昌のおかげを頂いておられますことは、真に有難いことでございます。

★『日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば、何十年、何百年も立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ。』

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2021年07月08日

●家族の助かりを願って

戦後間もない頃、あるご婦人のご信者が、「どうか、うちの舅の頑固な頭が変わりますように」とお届けなさいました。このご婦人のご主人は胸を病んでおられ、働くことが出来られず、療養に必要な費用を工面しなければなりません。さらには、子供を養育しなければならず、その日の暮らしもままならない生活であるにも関わらず、お義父様は「日に三度、白いご飯を腹いっぱい食べたい」と言われるのでした。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「あなたの三度の食事を二度に減らしてでも、お義父様に食べてもらいなさい。」とみ教え下さいました。ご婦人は、そのみ教えを素直に守られ、「どうぞ、守らせて頂けますように」とお願いしながら、自分の食事を減らして、お義父様にご飯を食べて頂かれたのでした。一週間ほど経った頃、お義父様が「私だけが、こんなご馳走を用意してもらうのは、もう十分だ。」と言って下さったのです。そして、お孫さんの服の修繕費を出して下さったのでした。

★それから、同じ頃、お隣に引っ越してこられた方が、「すみませんが、お宅とうちの間の木塀を新しくさせてもらえませんか。費用は全てうちが出させてもらいますから。」と言ってこられました。新しい木塀が出来上がって、お隣へ御礼に行かれますと、「端材がたくさん出ましたので、よかったら薪にでも使われませんか。」と親切に仰ったのです。お隣は材木屋を営んでおられたようで、有難いことに、お風呂の焚き付けの材料に頂いて帰られたのでした。そして、その後も有難いことに、生活が立ち行くようになっていかれたということです。

★家族が助かってゆくことを願って、自分の欲を放され、お義父様のことを先に考えて、信心を基に家業に励まれましたので、他のことは神様が整えて下さり、生活が立ち行かれるようにして下さったのです。

★それは、決して心が強い方だから、出来られたのではありません。出来そうにないところも「どうぞさせて頂きますように」とお届けなさって神様におすがりしきっていかれたのです。
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2021年07月07日

●病気災難は根の切れるまで

 5日には、真栄根会例会が無事開催され、高元氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。高元氏のご信心は、昭和38年の10月にお母様がお導き頂かれたところから始まりました。

★高元氏ご本人が、自ら進んでお参りになられるようになったのは、高元氏が26歳の頃からでした。急に食欲が無くなり、どこに異常があるのか、検査をしても分からないという状況から「これは、神様におすがりさせて頂かないことには、どうにもならない・・・」と思われ、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいましたら「秋の御大祭までにおかげを頂きましょう」とみ教え頂かれました。御大祭まで10日間しかありませんでしたが、有難いことに御大祭までに全快のおかげを頂かれたのでした。

★平成13年の6月には、背中が痛んで目が覚めるということがあり、病院で検査して頂いても、何も異常が見つからないということでしたが、休日に家で休んでおられましたら、意識を失いかけるほどの痛みに襲われ、吐血と下血をしたのです。救急車で搬送され、胃の入口に5センチの潰瘍があり、「胃の壁がいつ破れてもおかしくない状態です」と診断されました。適切な治療を受けられて、段々と全快のおかげを頂かれたのでした。

★若い頃、食欲が無い時に、おかげを頂かれましたが、一時的に抑えて頂いたのであって、体質は変わりませんから、完全に根を切って頂いたかというと、そうではなかったのです。『井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ』とみ教え頂いておりますが、これは一時のことを仰っているわけではありません。親の代から子供の代、さらに子供の代から孫の代へと、より一層に良い体質や性質に変えて頂き、悪癖・悪習慣を取り除いて頂いて、良い方へと導いて頂けるように、改まりを重ねて頂くということが大切なのです。ですから、信心をより求め、地を肥やしていくことが大切であり、そこに気付かせて頂くということが、重要な所であると思います。

★診断された医師から「神様のおかげやなあ」と仰って頂かれたそうです。知らず知らずのうちに、おかげを頂いていることを、お医者さんの口を以て教えて頂いたのでした。神様は、出来事や人の口を通して、また自分の心に直接に教えて下さることがありますが、その有難いみ教えを、本当に素直に頂かせてもらう心にならせて頂きませんと、おかげを頂く受け物というものは育っていきません。また、私達は神様から尊いご分霊を授けて頂いています。その働きによって、体全体を整えて頂いて、日々の生活が成り立っていくのです。その働きが十全になされていくように、おかげを頂いて参りましょう。

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2021年07月06日

●神様にお使い頂く心で御礼の働きを

 竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。竹本師が42歳の御頃、心臓病と腎臓病を併発され、頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。★その時、親戚の中に金光教のご信者がおられ、その方が「死ぬのを待つようなことをせずに、良くなるように神様にお願いしましょう。」と親戚の方々を説得されて、四組に分かれて、教会に参拝する者、病床でお世話をする者、家業に戻る者と、交代で力を合わせてお願いさせて頂かれたのです。すると、生死を彷徨うほどの大病であられたのが、快復に向かわれたのでした。

★そこで竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされますと、「信心しなさいや。このお道の信心をさせて頂いたら三日と枕をかたげさせん。」「氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。」とみ教えを頂かれ、まだ全快とまではいかないお体であられながら、一心にみ教えを守られ、日参に励まれたのでした。★竹本師が、初めて御本部へ御礼参拝なされた時の事、三代金光様はふくさを開かれずに、名前も見られる事なく『京都の竹本さん、ようお参りになられました。』とお言葉をかけて下さいましたので、竹本師は驚かれ感激されました。その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。

★それからの後半生は正業に就かせて頂かれ、御本部のご建築の時には、金物職人を引きつれて御用に行かれ、ご建築に必要な金物は全てお供えなさったと言うことです。また、いくつもの教会のお広前を、次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。阿倍野教会の旧広前も京都から竹本駒蔵師が来阪して下さり、先頭に立って采配をふるって下さいました。さらに、竹本師が来て下さり、鴨方から宮大工を呼んで下さり、設計図が出来て現場を指揮して下さって、一年後に旧広前完成のおかげを蒙らせて頂いたのでした。★『氏子、商売するというから神は見ておる。商売さしていただくという心になれば、神はつきまとうてさしてやる。』
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2021年07月05日

●己の徳性を磨く

 以前、クラス委員になられたある学生さんが、問題を抱えて三代教会長先生にお結界でお伺いなさいました。クラスの為に一生懸命になればなるほど、ある一部の人から活動を邪魔をされたり、「お前ら気に食わん!」と、暴力に出るような事を言われて、脅されたりすることもあるということでした。

★話を全てお聴きになられた後、三代教会長先生は、「あなたは十代にして、『徳を頂く』という、大変重要な問題に直面させて頂いてるのですね。それは大変有り難いことです。ここで大切な事は、何事も今以上に一生懸命努力して、人よりもずば抜けてしまうことです。クラスの誰からも、『あの人の言うことなら、聴かせてもらおう』と、思ってもらえるように、自分を磨いて磨いて高めていくのです。それまでは、人からどんなに悪く言われても、時には暴力を受けようとも、決してくじけてはなりません。自分を磨くことに脇目もふらず一生懸命努力するのです。その上で、大切なことは、『いつも謙虚である』ということです。神様の目からご覧になれば、いくら努力を重ねても『これで十分』ということはない、ということを忘れないことです。そうすれば、どこまでも謙虚にならせて頂くことが出来るのです。そのためには、教会でみ教えを頂くこと、お取次を頂くことが、一番の基本です。次に、どんな人の口を通してでも、神様がみ教え下さっていると思い、耳の痛いことほど自分の肥やしにさせて頂くのです。後ろに神様がおられるということを、常に忘れなければ、人と対立することがありません。人間どうしのありとあらゆる関係で、対立のない争いのない謙虚で有り難い世界が開けていきますよ。」と、み教えなさったのでした。

★ご信心させて頂く者は、いつも神様を目当てにさせて頂き、人間としての徳性を磨かせて頂くことを、生涯かけての目標とさせて頂きましょう。

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2021年07月04日

●み教えの頂き方を間違わぬよう  

先日のお朔日に、あるご信者がお参りされ、[先生、「今日は会社を辞めてやる!」と口から出そうになりましたが、何とか押し留めて帰ってきました。腹が立って、腹が立って仕方がありませんでしたが、お広前に座らせて頂きますと、段々と落ち着いてきました。ご信心させて頂いて何十年にもなるのに、こんなことではいけないなあと、反省させて頂いております。]とお届けされました。

★そこで「七月一日とは信行期間の始まりですから、神様から結構な信行期間の課題を示して頂きましたね。あなたは、普段は穏やかですのに、何かイライラなさることがあったんですか?」と尋ねますと、「近頃、職場の環境がそうさせまして…」とお話しされました。そのお方は、これまで厳しい環境でお仕事をしてこられ、定年退職なさって、その上で再就職されました。普段穏やかで温厚で、人と喧嘩なさることなどあられないお方ですが、人間は、思うに沿わないことがあれば、瞬間的に全く違う姿が出てしまうものです。それは、他人事ではなく、私達もそのようなところを持ち合わせているのです。親子の間や、夫婦の間、ご近所の場や、職場で、そういうことがないとも限りません。そこにご修行させて頂かねばならないことがあるのです。

★二代教会長・伊藤コウ師のご時代に「上司が言うことと、することが違って困ります…」とお届けされたお方に、コウ師は[口では「こうしなさい」と教えて下さって、態度では「こうしてはいけませんよ」と教えておられるのです。それを間違って受け取ってはいけませんよ]と仰せになりました。私達もみ教えの頂き方を間違ってはいけません。神様はこの人を通して、自分に何を仰っておられるのかを、勉強せねばなりません。神様が人を差し向けて下さり、出来事を差し向けて下さり、色々とご試験をして下さるのです。その試験に、どの様にして及第点を取らせて頂くかを、私達が心掛けて考えてゆかねばならないことです。

★『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』
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2021年07月03日

●先に教えて頂ける有難さ

 ある学生さんが、三代教会長先生に、「先生、うちの母が、いつも口うるさくて仕方がありません。この間も、勉強をしている横であれこれと言いますので、ついカッとなって、持っているペンを投げつけてしまいました。先生、うちの母の口うるさいのが、どうにかなりませんでしょうか?」と、お結界でお届けの際に、愚痴をこぼしたことがあったそうです。親の心というものは、特に幼い子供や思春期の子供にとっては、なかなか理解できない場合が多いかもしれません。「いずれ親になれば、親の気持ちも分かる」などと言ったりもしますが、それでは遅いのです。

★三代教会長先生が小学6年生の時、二代教会長・伊藤コウ師に、「先生、私は、他所では褒められることはあっても、注意を受けたり叱られたりするようなことはありません。私に、あれやこれやとおっしゃるのは、先生だけです。」と、つい唇を尖らせて口答えをなさったことがあったと、後に反省の意を込めてお話しなさっておられます。伊藤コウ師は、三代教会長先生が小学6年生で教会に入所なさってから、日々朝から晩まで、箸の上げ下ろしに至るまで、事細かに教えておられたのです。伊藤コウ師はにっこりと微笑まれ、「あなたがそうして、他所で褒めて頂くことが出来るように、うちであれこれと言うてきかせているのですよ」と、み教えになられ、三代教会長先生は、心から納得出来られたということです。

★受け切る器を備えておりませんと、窮屈に思えるかもしれませんが、先に先に言うて下さっているのは、守ろうと思って下さっているからです。「先々御用が出来ないようなことになったのでは、神様に申し訳ないから、御用がさせて頂ける人間に育てさせて頂けますように。その為には・・・」とお願いして下さり教えて下さっているのです。先に先に教えて頂くということは、有難いことです。先に教えて頂いているから、心が開けて、おかげを頂く方にサッと舵取りが出来ていくようになっていくのです。

★神様が仰って下さっているところを「はい、有難うございます。そのようにさせて頂きます」という器にならせて頂けましたら、結構なお繰り合わせを頂いていき、それが行き届いたご信心になっていくのです。神様に「この氏子のことなら、どこまでも聞き届けてやろう」と思って頂けるような、信者にならせて頂けるようにお願いをさせて頂き、信心を進めさせて頂いて、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2021年07月02日

●傍(はた)を楽(らく)にする

阿倍野教会旧広前の頃、ニワトリを飼っていました。そのニワトリが縁側に上がってきて、フンを残しているのを三代教会長・伊藤良三師が見られたので、後にご結婚なさることになる愛子先生に「愛子ちゃん、ニワトリがまたフンをしている・・・」と仰いました。

★すると、奥の台所でご飯の準備をしておられた愛子先生が「今ご飯の準備をしていて、手が離せませんので、後で掃除させて頂きます。手が汚れますから・・・」と答えられたのです。良三師は心の中で(今してくれたらよいのに・・・まあ、私がすればよいのだが・・・)と思っておられましたら、丁度、二代教会長・伊藤コウ師が廊下を歩いてこられたのです。コウ師は廊下にあるフンを見られて、懐から懐紙を出され、さっと取られて、便所に捨てに行かれたのでした。

★コウ師が、何も仰らずに片付けられたお姿を見られた良三師は(私が一番最初に見つけたのに、わざわざ忙しい人を使おうとしていたなあ。それだけでなく、自分の思うようにすぐに対応してくれなかったら、不足を思ってしまっていた・・・)と反省されたのです。良三師は、ご自身の言動につい「これが我が強い。すなわち、了見が狭いという事です。」と反省を込めて、私共にお話しして下さいました。

★了見が狭いというのは、我が強いということです。考えが狭いとも言えます。我情我欲をお取り払い頂くには、心を広く持つことです。その為には、みんなの意見を聞いて、心が一つになるように、努力する必要がありますね。思い合って、祈り合いをし、相手を立てていくことが、我の取れた姿といえるのです。

★「働くというのは、はた(傍)をらく(楽)にすることである」と教えて頂いております。(はた)を苦しめていては、働くとは言えないという事です。それぞれがこの心掛けを持って生活していれば、相手がしてくれないなどと、不足を思うこともなくなるでしょう。

★自分が一番至らないと思い、どこまでも謙虚な心でみ教えを頂き続け、悪いことを思わず、言わず、仕返しをする心を去っていくことを、日々の御修行とさせて頂きましょう。神様に「今日も御修行させて頂けますように」とお願いさせて頂いて、取り組ませて頂きましたら、少しずつ成長し、心が広くなってゆくのです。
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2021年07月01日

●夏の信行期間・まめな時ほど信心せよ

 昨日は、上半期感謝祭をお仕え申し上げました。神前拝詞を三巻奉唱させて頂き、年の初めから今日まで、万事万端のご都合お繰り合わせを頂いて、おかげを頂き続けて参りました御礼を申させて頂き、また、御礼の足りないお詫び、数々の御無礼不行届きのお詫びを申し上げ、下半期に向けてお願いを共々にさせて頂きました。

★二代金光様は、『氏子いそがしければ信心をせよ。まめならば信心をせよ。とかく氏子は反対をするから、真のおかげがうけられぬ』とみ教え下さっておられます。家業が繁盛し忙しくなれば、なるほど、結構に繁盛させて頂いている御礼を申し上げ、更に繁盛させて頂けるようお願いさせて頂くことが、繁盛の姿が続く元になります。

★また、健康な時こそ、御礼の心を厚くさせて頂いて、更に健康を保てるように、信心を基に節度ある生活を続けさせて頂かなくてはなりません。怪我や大病が治るのも大きなおかげですが、どこにも痛み苦しみなく、思うように身体を動かせて頂けるとしたら、それはどれ程大きなおかげを頂いてのことでしょうか。

★『痛いのが治ったのでありがたいのではない。いつもまめながありがたいのぞ』『信心して我欲を放れて、毎日を楽しみ、日に三度の食事を有難いと気が付けば長者じゃ。信心して長者の暮らしをしなさい』

★若い頃にぎっくり腰になったことがありますが、立つことも歩くことも出来ず、這うのがやっとという状態が4日続きました。思うように身体が動かせなくなって、初めて常平生の有難さが分かるようなことですが、ご信心を頂いている者として、不自由になってから、常に頂いているおかげに気が付くというのではなく、いつも自ら喜びを見つけ、御礼を申し上げる生活にならせて頂かねば・・・と、反省いたしました。

★今日から夏の信行期間に入ります。日参と聴教に励ませて頂き、自らご修行を決めさせて頂き、み教えに照らし合わせながら、自律自戒をし、生活を節制して、より一層神様にお喜び頂き、ご安心頂ける生き方にならせて頂けるよう、稽古させて頂きたいと思います。与えて頂いている仕事を喜び、生まれた家、家族を喜び、「こんな結構な仕事はない!」「こんな有難い親はない!」「こんな有難い家族はない!」と思って、日々の家業を実意丁寧に、有難くつとめさせて頂けば、どんな困難も乗り越えさせて頂き、日増し月増し年増しに、繁盛のおかげを頂くことが出来るのです。

★『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』

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