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2021年05月31日

●『有難き、恐れ多き、勿体なき』

『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』

『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを備えて祈れ、一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なき三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就の御信神がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

★このみ教えの中の、「恐れ多き」という言葉の中には、お詫びの言葉も含まれているのです。「自分自は至らない身でありながら、このように結構におかげばかり頂いております。恐れ多いことでございます。勿体ないことでございます。」と日々謙虚な心持ちで、御礼申させて頂くことが大切です。そして、日に日に新たに不成心を取って頂いて、心を新たに願いを立て直し、正しいお願いの元に、正しい努力がさせて頂けるのです。心を正しくさせて頂く為には、どのようにさせて頂けばよいのかを学ぶ為、「日々がさら」の気持ちでみ教えを頂き直し、自分の在り方も見つめ直してゆくのです。

★さらに、「私には、これだけの知識や経験があります。」という、今まで積み重ねてきた経験によりかからず、常に新しく求め、自分自身を成長させて頂く心構えを持つのです。ですから、「私ほど行き届いていないものはおりません。私ほど分かっていないものはおりません。しかし、有難いことに結構なおかげを頂き続けて参りました。勿体ないことでございます。どうぞ、しっかりとご信心を改まってさせて頂きますので、よろしくお願い致します。」とお願いさせて頂くことが、本物の信心に近づかせて頂くことになるのです。正しいお願いにならければ、正しい結果になりません。正しい願いを立てて、それに向かって根気強く努力をし、御礼の働きをしっかりさせて頂くことが大切です。そのように倦まず弛まずコツコツ続けておりますと、後に有難い瞬間を与えて頂くことが出来るのです。
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2021年05月30日

●正しい願いをもつ

 昨日は、阿倍野教会の信徒総代として、熱心にご信心をなさった山階氏の御命日でした。山階氏は、若い頃に実母を亡くされ、義理のお母さんに育てられ、義理の弟さんが出来られました。その義母は、いつも義弟ばかりを大事にし、「自分は疎んじられている」と思って僻んだ山階氏は、10代の終わりに家出をし、30年間以上も実家に帰らず、音信不通となっていました。成功して親を見返してやりたい、という思いが強くあった山階氏は、小さな鉄工所を営んでおられましたが、多額の借金を抱え、中之島公園でアイスクリームを売って、日銭を稼いで生活をしなければならないほど、苦しい状態であられたのです。

★49才の時に、伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)にお導き頂かれ、「何十年も音信不通になっているとは、親はどれほど心配されていることでしょう。そこにあなたが結構にならない元があるのです。根性を改めなさい!親の御恩の分からない人間に、どうして天地の親神様の御恩が分かるでしょうか!相手がどうあろうと、親は親です。まず両親にお詫びに行かせて頂き、安心して頂きなさい。これからは親孝行させて頂けるように改まりなさい」とみ教えを頂かれたのでした。山階氏は、ハル氏のみ教えを素直に頂かれ、早速実家に戻られお詫びをされました。

★しかし、安心して頂くには程遠い状態でしたので、「今日まで、自分の不行き届きから借金をこしらえて、両親には心配のかけ通しで、一度としても喜んでもらったことがありません。只今より、しっかりと心を入れ替えて改まって働かせて頂きますから、何卒世の中のお役に立ち、親に本当に安心して頂けるような人間にならせて下さい。つきましては、私に5万円のお金を儲けさせて下さい。半分は必ず神様の御用に奉らせて頂きます」と目標としてお願いを立てられたのでした。わずか3年後、ついに千坪あまりのお土地を購入させて頂き、新しい工場・住宅・借家数軒を建てられて、従業員も百人以上雇わせて頂けるほどの、有難いおかげを蒙られたのでした。

★正しいお願いを持たせて頂くことが大切なのです。御隠居様がみ教え下さったのは、本気になって一から出直しをさせて頂くことです。「こんな姿は見せたくない・・・」というような状態でお詫びに行くことは、心を本当に入れ替えないと出来ないことですね。「御恩を知って御恩に報いていく私にならせて下さい」とお願いする心が神様・霊様に届き、周囲の方々に認めて頂けるようになっていき、有難いご信用を頂けたのです。大先輩のご信心から、私達もしっかりと勉強をさせて頂きたいと思います。

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2021年05月29日

●天地の恩を知る

桂松平師は、幼い頃から胃腸が弱く、お母様から「あなたにとって生水は毒だ。だから生水に気をつけなさい。」と教えられて育ったため、その考えが刷り込まれて「生水は毒だ!」と思い込んでおられました。

★明治16年の春頃、桂松平師が初めて教祖様のもとへ参詣された時、10数人の参拝者の後ろに小さくなって御祈念しておられました。どこからお参りしたとも何も言っておりませんのに、教祖様は『周防の国のお方、遠方をよくおまいりでしたなあ』と仰せられたのです。さらに、御神前に進まれて教祖様が御祈念なさいました時『氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない』と神様のお言葉をお伝えになられました。続いて『氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ』と御裁伝(神様のお言葉)お伝えになられたのでした。

★松平師は、金光様のご神徳に打たれ、有難くて有難くて、身を震わせて平伏なさり、今日までの生き方・考え方が大きく間違っていた事に気付かれて、お礼とお詫びを申されました。松平師は、何も分からないままお参りなさったのですが、教祖様からご理解を頂かれて、心が開かれ、水のご恩を感じ、日々お礼とお詫びを申しながら生活なさっておられましたら、胃腸の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。そうして、ご自身の実体験を通して、おかげを頂いたお礼に周囲の人々を導いていかれ、九州の地へ初めて布教に出られるほどのご神徳を頂かれたのです。

★人間には誰しも、考え違いやご無礼・不行き届きはあるものです。自分自身が、知らず知らずのうちに積み重ねてきためぐりや、またご先祖からの前々のめぐり合わせが、今日私達に巡り巡って表われてきていると教えて下さっています。ご信心させて頂きますと、そのことに気付くことができ、神様にお詫び申し上げ、改まらせて頂く生活により、おかげを頂いてゆけるのです。
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2021年05月28日

●打ち向かう者には負けて、時節に任せよ

 二代教会長・伊藤コウ師のことを「泥棒」だと言って、ふれ回った人がありました。それが、あろうことか修行生の一人だったのです。その話が、親教会にまで伝わり、吉田新太郎先生が伊藤コウ師をお呼びになり、事情を説明するということになられたそうです。しかし伊藤コウ師は、一切弁明するようなことをおっしゃらず、「全て私の不徳の致す所でございまして、申し訳ございません。」と、お詫びだけを丁寧に申されたのでした。後に、その件が事実無根のことだと分かったのでしたが、伊藤コウ師は相手を責めるようなことを一切なさいませんでした。それどころか、「あの人は、もっと自分を大事に思って欲しいと思っているのです。私の親切が足りなかったのでしょう・・・」とおっしゃり、その修行生の立ち行きを願い続けられ、縁談のお世話までをなさったのでした。

★常日頃からみ教えを頂いておりますと、何か事が起きてきても、一時の感情で腹を立てたり、相手を恨んだりすることなく、み教えに照らして、天地の道理に基づいた正しい判断をさせて頂くことが出来ます。反対に、み教えを頂いておらず、神様のご存在を知らないばかりに、目先の欲に惑わされたり、ちょっとした相手の言動に腹が立ったり、あるいは、人の目をごまかして得をしたように思うような、間違った生き方をしてしまうことを、神様はお嘆きになるでしょう。いつも心を神様に向けさせて頂き、先々を楽しみに、天地の道理に基づいた、お徳を積ませて頂く生き方にならせて頂きたいと思います。

★『打ち向かう者には負けて、時節に任せよ。』

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2021年05月27日

●何事においても心中御祈念させて頂く稽古 

『人間は小天地で、自分の頭をいつも天地の神様がお守り下されてあるゆえに、自分の体を思うように使われるのである。信心も仕事も同じことで、信心に進めば神徳もおかげも一日まさりである。この反対で、心が横着になり慢心すれば、おかげも落ちる。万事に心がけて、何事にも信心しなさい。』

★教祖様は、農業に従事しておられた御頃から、何をするにも神様にお願いされて、仕事に取り掛かっておられました。そして、御祈念なさって心に気付かれたことは、素直にすぐに守られたことによって、何事も神様から、事細かに教えて頂かれるようになられたのです。

★一つ一つの作業をする際に、御祈念してなさっておられますと、ある時、神様から「作業をやめて今すぐ帰れ」と教えて頂くので、すぐに帰られましたら、家に着いたと同時に大雨が降ってきたそうです。また、手伝いの人を呼ばなければひけない唐臼も、神様が力を足して下さいますと、教祖様お一人で楽々とひかれ、神様が「休め」と教えて頂けば急に唐臼が回らなくなり、「今ひけ」と言われてひき始めると回りはじめたのでした。そして、息が切れずに多く唐臼をひく事が出来られたそうです。そのようにして、天地のお徳が現れ、無駄のないように作業が出来られたことにより、能率も上がり、収穫も増えられ、年々家が繁昌してゆかれたのでした。教祖様がなさることに対して、何もかも都合良く行くのを、周囲のお百姓も目の当たりに感じ、感心されたそうです。

★日々の生活の中で、実意丁寧に何事においても心中御祈念をさせて頂く稽古の積み重ねによって、神様からご信用頂くことが出来、日常卑近なところで神様から有難い体験をさせて下さるのです。心中御祈念させて頂いている中で、我が心に気付かせて頂くこともあれば、人の口をもって、出来事を通してというように、神様から教えて頂くことがあります。例えば、事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事があると思いますが、それも大きなことにつながる前に気を付けるように、神様からのお知らせなのです。小さなことに心を配って対処していくことが、大きなことが起こってこないようになる元です。生涯掛けて実意丁寧な信心を心掛け、何事に対しても謙虚に御祈念をかかさず、日常生活の上におかげを頂いて参りましょう。
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2021年05月26日

●信心向上を願う

『これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる』

★何事も辛抱することが肝心です。信心させて頂く上でも、辛抱が弱ければおかげになっていきません。人間には先々のことが見えませんから、今起こってきたことにうろたえてしまうことがありますが、「先々は必ず良い方へ開けていく」と信じて信心辛抱させて頂くことが大切なのです。その為に今必要なことをさせて頂かねばなりません。

★生かして頂いている以上、私達には痛いとか、苦しい、辛いということが、どこかで起こってきます。しかし、それを乗り越えさせて頂けば、道は開けていくのです。これは、必要な経験であり、必要な勉強だ、必要な辛抱であり、必要なご修行だ、と分からせて頂き「これがおかげだ」と思わせて頂けましたら有難いですね。信心しているのに、なぜこのようなことが起こってくるのか、と迷いが出たり、うろうろしてしまうようなこともあるかもしれませんが、人間は皆それぞれ至らない存在なのです。「自分自身は至らないところ、出来ていないところがたくさんある」「分かっているつもりでも、知らないこと、分からないことばかりだ」と自覚させて頂くことが必要です。信心を真一心にさせて頂き、徳と力を頂いて、おかげを蒙らせて頂くことがどういうことかを、しっかりと分からせて頂きたいですね。

★二代教会長先生は「毎日、信心が向上します様に、とお願いさせてもらいなさい」とみ教え下さいました。つい私達は今の状況に甘えてしまって、この程度で良いだろうという気になりやすい部分があります。自分自身にしっかりと打ち克たせて頂いて、信心の向上を願わせて頂くことが大切です。

★『辛抱するがよい。辛抱というぼうは強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり曲がったりしたら、それは辛抱じゃない。金光様は、「信心辛抱」と言うてござったが、おかげを受けようと思えば辛抱になければならぬ。信心は長う続かねばならぬ。長うて強い信心辛抱には、どのくらいなおかげを担えるやらわからぬぞ。先を楽しんで信心辛抱さしてもらうがよい』

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2021年05月25日

●自身が身におかげを頂いて、人の助かりを願う

5月24日は、平成2年に90才でお国替えされました土井氏の御命日でした。このお方は大変熱心な御信者で、お参りすること、み教えを頂くこと、お届けすることが大好きなお方でありました。土井氏は、お国替えになられる前日まで、庭の草引きをなさっておられました。そして、当日食事も美味しく、頂かれ亡くなる直前までご自身のことは全て自分でなさって、ご家族の方に迷惑をかけることもなく、横になって休まれたままの姿で、お国替えのおかげを頂かれたのでした。

★土井氏は戦災に遭われ、奈良に移られました。全くの素人が一から農業を始められたので、稲作、畑作(スイカ・大根等)、果樹園の農作業の上に大変なご苦労をなさいました。ある時、スイカの苗が病気になった時には、バケツの水に御神酒を入れてスイカの苗にかけさせて頂き、泣きながら必死になって神様にお願いされたところ、苗の病気はなくなり、元気に成育することが出来たのでした。

★またある時には、たくさんのスズメが田んぼに実った稲穂を食べに来るので、困られたことがありました。土井氏は、お礼とお詫びを申し上げた後に、「スズメも立ち行かなければなりませんので、どうぞスズメにも餌を与えてやって下さい。」とお願いなさったのです。そうしますと、隣の松林にたくさんの虫が発生し、今まで稲穂を食べていたスズメがその松林の虫を食べてくれ、お米も無事収穫させて頂くことが出来られたのでした。普通であれば、スズメに稲穂を食べられたら、スズメに腹を立ててしまいがちですが、そこをスズメの立ち行きをお願いなされたのです。

★土井氏は、周囲の助かりを願われ、信心の有難いことを伝えていかれました。土井氏のもとに、近所の方がよく身の上の相談に来られていました。そんな時は、じっくりと相手の方のお話を聞いてあげられた後に「私はこのようにおかげを頂いてきました。」と言って、ご自身の体験を通して、信心を基におかげを頂かれたお話を丁寧になさったのです。そうして、相手の相談事に対して具体的に解決策を示すのではなく、じっくりとお話を聞いて助かりを願われ、神様の有難さを話されて、お導きをなさったのでした。
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2021年05月24日

●信心の基本

 私が中学生の頃のことです。三代教会長先生に「私は、大病をしたこともありませんし、命に関わるような事態に陥ったこともありません。健康でこれまでおかげを頂いておりますので、死線をくぐるというような経験をしたことがありません。病気や事故など全く経験せずに、今日まで成長させて頂きました。体験もない自分では、神様の御用などとても勤まらないと思います」と胸の内を聴いて頂いたことがありました。

★すると、三代教会長先生は、「そう思うのも致し方ないが、焦る必要はない。一足飛びに何かを得ようとしなくて良いのです。また、超人的なものを求めようと思わなくて良いのです。お徳を頂いてゆくということに信心の中心を据えて、真面目にコツコツと倦まず弛まず信心させて頂いていると、神様が経験をさせて下さるのです。急ぐ必要はありません。階段を一段一段上りなさい。そうすれば徐々に見えてくる物があります。あなたは階段を一足で何段上れますか?3段ぐらい上れたとしても、4段5段は無理ですね。ましてや一足で10段上るのは無理な話です。だから一段一段上らせて頂くと、見える範囲や聞こえる範囲が広がってゆくのです。そうして進ませて頂きますと、神様が体験させて下さるのです。それを有難く喜んで御礼を申しておりますと、おかげを頂くということはどういうことなのかが、分からせて頂けるのです。そうしますと、あなたが今感じているところを、神様が徐々に乗り越えさせて下さるのです。」と諭して下さったのでした。

★また、三代教会長先生がお話し下された中に、【天地の大親神様は、全知全能ということではあられない。なぜなら、助けてやりたいと願って下さっているけれども、よう助からん氏子が世の中にある。それは神様の方を向いておらない、神様から離れた生活をしているからです。助けてやろうと神様が願っておられても「いえ結構です。私は全くそういう気はありません」というような生活をしている。そこに、助けてやりとうても助けてやれない、という神様のお嘆きがあられる。だから、生神金光大神様を差し向けて下さったのです。『願う氏子におかげを授けてやろう』と仰って下さっているのですから、願う心にならせて頂かねばならん、ということです。】とみ教え下さったことがありました。

★何かを得ようとしても、基本に基づいておりませんと、得られるものではありません。日々真剣に「本物の信心をさせて頂けますように。」「おかげを頂かせて頂けますように」とお願いさせて頂き、み教えを頂き続ける事が信心の基本なのです。それが、真面目にコツコツ、倦まず弛まず信心をさせて頂くことなのです。

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2021年05月23日

●日々頂き続けているおかげ

 教祖様ご在世のご時代に、肺結核(当時は死の病)と診断され、お医者さんからも匙を投げられた方があられました。お導き頂かれて、教祖様のお広前に参拝なされ「金光様、どうぞおかげを頂かせて下さいませ」とお願いをなさったのでした。その方は医師にもかかり、薬も使い、色々な神仏にお願いをなさっても、これまで病状改善のおかげを頂けず、「私ほど、おかげを頂けていない者はおらん」という思いがあられたのでした。その時に教祖様は『あなたが吸うておられる空気も、神様のおかげでございます』とみ教えなさったのでした。

★その方は、その一言のみ教えで、今までおかげの中に浸っておりながら、その有難さを分からずにいた、ということに気が付かれたのです。空気はもちろんのこと、お水も食物も神様のお恵みであり、天地のおかげの現われであり、それを頂き続け、お世話になっていること、お恵みを頂いていることに対して、お礼の心が足りないということに気付かれたのでした。その方は帰り道、一歩出す度に、吐く息吸う息に「金光様、有難うございます」とお礼を申しながら帰らせて頂かれたのでした。そうしますと、その日を境にどんどんと回復に向かわれ、全快根切れのおかげを頂かれたのでした。

★「いつも神様のおかげを頂き通しに頂いている自分である」「それなのに、御礼の申し足らない生活になってしまっていることが、真に申し訳ないことだ」「私ほど至らない者はない。私ほど分かっておらない者はない」という自覚が生まれると、心の底から有難い気持ちがあふれ、自分の至らない部分も謙虚に見つめることが出来るようになり、そこから、「本物の信心にならせて下さい」という願いが生まれてくるのです。親として、子として、夫として、妻として、あるいは、上司として、部下として、いつも天地の道理に基づいた本物の在り方にならせて頂けるよう、日々願いを新たにおかげを頂いて参りたいと思います。

★『神があっての氏子、氏子あっての神じゃによって、病気災難をはじめ何事でも、非常と平生とにかかわらず神に願いをかけよ。信心とは、常平生、神の心のようになって信心するのが信心じゃ。手を合わして拝むばかりが信心ではないぞ。一心とは、一つの心と書いてあるから、二心のうろたえ心を出さずに、天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心じゃ。十分なおかげを受けるのは、一心でなければならぬ』
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2021年05月22日

●神様の仰せ通りに・・・

 教祖様は、津川治雄師に「信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ」このご理解なさいました。そして、数年を経た後に、「あなたは、ものの堪忍をよくされるから、神様も非常におほめになっている。結構なことであるが、もう一つ進んでおかげを受けるがよい。神様が『申の年(津川治雄)はよく聞け。堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』とおっしゃる」と仰せられたのでした。

★教祖様のご在世中に、祈念祈祷を重んじていた修験道の山伏が、教祖様のみ教えを一方的に敵対視し、お広前を度々荒らしに来たのでした。しかし、教祖様は山伏に対して腹をお立てになるどころか、津川治雄師に『このお広前へある山伏が来てかれこれ(暴挙を働く)したことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれ(仕返し)してはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。…この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子先で合点せよ』とおっしゃり、どこまでも「神様のさせなさるご修行」と受け切って行かれ、腹を立てられることも、仕返しをしてやりたいという心にもなられませんでした。それは、常に神様を神様としてお立てになり、「神様の仰せ通りに」という御姿勢を徹底して貫かれたのです。

★信心がまだ浅い時には、自分の都合の良い事については、神様の思召しだと思いやすいですが、自分にとって都合の悪い時には、なかなか神様の思召しだと思うことができません。神様が氏子の「生き抜いてゆく力」を大きくしてやろうとの思召しで、私達を鍛えて下さる為に色々な出来事を与えて下さるのです。

★三代教会長先生は自分自身の戒めとして「神様は、私に必要以外の何物も与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあるのであって、無駄なことは何一つもない。元気な心で試練に堪えよ。たとえへ天災や病気や怪我であっても、或いは、わけのない中傷であっても、又、気のすすまない仕事であっても、何事も御神意としてとり、明るく生きぬく覚悟を持て」と、お書きになったものを私達に残して下さいました。何事も神様の思召しがあり、その思召しの尊いご意味をしっかりと理解させて頂く為に、日々ご信心の稽古に励ませて頂きましょう。

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2021年05月21日

●少しでも神様の御心に近づかせて頂くように

「親切というのは、相手の心になるということです」と二代教会長・伊藤コウ師はみ教え下さいました。「相手の立場に立って」という言い方は、よく使いますが、「相手の心になる」ということは、なかなか簡単なことではありません。しかしながら、神様は私達氏子の助かりを常に分け隔てなく願って下さっています。神様の御慈愛を受けながら、神様の御心を知らない生き方をしていては申し訳ないことです。神様の御心を勉強させて頂いて、少しでも神様の御心を知り、近づかせて頂くということが大切です。

★またコウ師は「わが心が神様に向いている時は、信心になっております。人や物事に心が向いているときには、信心から離れています」とみ教え下さいました。平穏無事の時には「結構なおかげを頂いて有難い」と思えるのですが、ちょっとでも心に引っかかることがありましたら、どうしても心が塞がってしまい、すぐに有難いとは思えないものですね。

★例えば入院して治療を受けさせて頂くことが決まりましたら、入院が決まった瞬間に「金光様有難うございます。『今のうちに手入れをしておけよ、そうしたら結構になるぞ。』と、私に一番必要なみ教えを下さいました。体を良くして頂く為の必要な手当てをして頂き、誠にもったいないことです。有難うございます。」とお礼を申しながら治療を受けさせて頂くことが出来れば、有難いですね。「治るまでお礼など申せない」という人とは大きな違いがあります。先に不足が起きて、その不足が大きくなってしまいましたら、「有難いの一心」ということにはなっておりません。親の心が分かる、神様の御心が分かるということが、本当のおかげを頂いていく姿に、段々と近づいていくことになるのです。

★「私の力はこの程度だ」と卑下して慢心したり、あるいは「これは私には必要ない」と、自分勝手な考えで取捨選択をしてしまったりすると、それ以上成長させて頂くことは出来ません。目の前に与えて頂いていることが、たとえ自分の実力以上の事のように思えても決して諦めず、「どうぞ何が何でもさせて頂けますように」と、お願いさせて頂きましょう。
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2021年05月20日

●自分自身を育てる

 あるご信者のご主人は、結婚後にご信者に対して「あなたが教会に参拝するのは構わないが、私は無神論者だから、私には信心を勧めないようにしてくれ」と言っておられました。一家の勢信心を願っておられたご信者(奥様)とその両親に対して、二代教会長先生は、「信心については、何も言う必要はありませんよ。土地が肥えておらなければ、木は育ちませんから、自分達の信心をしっかりと磨くことです。」とみ教え下さったのです。

★夫婦の間に子供を一人授かった後のことです。流産・死産ということが続いたのでした。そして、ご信者が妊娠なさった際に、前置胎盤で母体の命が危ぶまれたところを、緊急手術を受け命を助けて頂かれるということが起こりました。その事があられてから、ご主人は「今までの悪習慣を断ち切る努力をさせて頂き、朝参り・聴教に励ませて頂こう」と、心に誓われたのでした。そして、一家が勢信心にならせて頂くおかげを頂かれたのです。

★自分たちが地を肥やして、有難い瞬間を与えて頂けるまで、信心の稽古に励み、ご修行させて頂くという事を抜きにして「早くおかげ頂きたい!」と言いましても、成就しないのは当然です。時節を待って、ご信心を練らせて頂くように、長期的なご修行の機会を与えて頂いたのです。その時に焦ったりうろたえたり、腹を立てて不足を思ったりしてはいけないのです。そのようにご修行をさせて頂くことで、自分自身を育てさせて頂くということが大切ですね。み教えは自分自身を磨くものであり、自分自身に頂くものです。自分自身が今、何をさせて頂かねばらないのか、ということを理解させて頂くところに信心向上があるのですね。

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2021年05月19日

●親が稽古すれば、子供も稽古する

先日、真栄根会の勉強会で、二代教会長・伊藤コウ師の昭和40年のある日の教話を聴かせて頂きました。コウ師の孫である私の姉二人(当時、7歳と12歳)が、習字の稽古に励み、表彰状を頂いて帰ってきたことを喜んでおられたのです。コウ師は、親である三代教会長・伊藤良三師も、若い頃に一生懸命稽古させて頂いたので、子供も上達させて頂けるおかげを頂いたと喜んでおられたのでした。

★良三師は、幼い頃は左利きであられましたが、字を書くときには右手で書くように変えるため、大変苦労なさったとのことで、その中を字の稽古に励まれたのでした。良三師が中学1年生の時に、あるご信者で素晴らしい字を書かれる方に、コウ師が「うちの子供を弟子にしてやって下さい。」と願われたのです。ご信者は、小学校の教師として勤めておられましたが、お習字の先生になるため、中等学校で教える書道の検定試験を受けておられました。ご信者は、三度も検定試験に落ちておられましたので、「まだ試験も合格していませんし、弟子も取っておりません。」と申されますと、コウ師は「是非とも一の弟子にしてやって下さい。」と願われたのでした。そして、良三師を弟子にして頂き、その方のもとで、字の稽古に励まれたのです。

★ご信者は、試験に落ちる度に、お届けされますとコウ師は「おかげやおかげや。これがおかげですよ。何度も試験を受けて、合格するまで稽古が進んでいくことがおかげなのです。」と仰せになられたのでした。そして、ご信者は、無事検定試験に合格されるや否や、どんどんと弟子が増えられ、早くから検定試験を受けて合格し、弟子を取っておられた先輩の先生から「君のところは開業するのが遅かったが、たくさんの弟子が来たな。」と言って下さるほど、お弟子さんが増えられたそうです。試験に合格するまでの稽古の積み重ねによって、大変上達なさったのでした。

★良三師は、学校、教会の御用の時間の合間を縫って、一生懸命に稽古なさったので、めきめきと字が上達され、学校の先生より、様々な学校中の掲示板を書く御用を任されたのでした。親が一生懸命に稽古させて頂きますと、子供も稽古をしてくれるようになるということが分からせて頂きます。

★これは、字の稽古に例えてお話し下さっていますが、親が改まらせて頂きますと、それが子供に自ずと伝わってゆき、子供も改まってくれるようになるという事です。それが続くことで、次の代へと正しいことが伝わり、子孫繁盛し、さらには地域社会が繁盛し、国家社会を支えてゆくのです。日々の生活で何を基準にして生活するのか、考え方の根本を教えて頂くのが信心です。正しい生き方ができるように、子孫へ正しいことが伝わるように、日々信心の稽古を続けさせて頂きましょう。

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2021年05月18日

●良いお手本にならせて頂く

『金光様が、お一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が、天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者が、よい種をまいておかねばならぬ』

★先日、婦人会例会で小中氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。小中氏は結婚なさった時に「金光教のことも、信心のことも何も分からないけれど、お参りをすることで、皆が喜んでくれるなら、お参りをさせてもらおう・・・」というところから、ご信心を始められたそうです。また、お姑さんが息子であるご主人に「(お嫁さんに)嫌われても言うてあげた方が良いか、嫌われないように黙っておいた方が良いか?」と尋ねられたそうです。そうしたらご主人は「良いと思うことは、何でも言うてやってくれ」と答えられたので、お姑さんは学校を卒業したばかりの小中氏に、常識から言葉遣いからお付き合いの仕方から、全て事細かく教えられたのでした。おかげ話の中で小中氏は「言われる方はもちろん辛いですが、言う方はそれ以上に気を使っておられたということが、今ならよく分からせて頂きます」と仰っておられました。「あんなこと言われた」と不足に思うのではなく「言うて頂いたことは有難い」と、有難さをよく分かられ、相手のお気持ちをよく分かられていることは、大変有難いことですね。

★さらにお姑さんから「いつもにこにこしていなさいよ。嫌なことや悲しいことがあれば、余計にこにこしないといけませんよ」と教えられたそうです。小中氏のご家族に共通しておられると思わせて頂くことは「家族の悪口を言われることが一切ない」ことです。お互いに、自分自身の立場でみ教えを頂いて、改まりを心がけておられるから、結構におかげを頂いておられるんだなあと分からせて頂きます。お姑さんの教えは、頭では分かっていても、実践するのが大変難しいことですね。そこを良いお手本にならせて頂くことが出来ていきましたら、家の中にご信心が満ちていくのですね。私達も毎日与えて頂いている中に、常に心穏やかに、喜ぶ工夫・稽古をさせて頂けば、有難いおかげが蒙らせて頂けるのですね。

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2021年05月17日

●どんな時でも安らかな心を持ち続ける 

「論語物語」という本の中に収められているお話です。

★ある時、孔子が「剛(つよ)い人間がいない…」と嘆いていました。すると、それを聞いた門人達は皆、申棖(しんとう)という者を思い浮かべました。申棖(しんとう)は大の負けず嫌いで、議論になると先輩であっても遠慮せずに相手を圧倒し、思う存分のことを言ってのける門人でした。「申棖(しんとう)がいます」と門人が言うと孔子は、「申棖(しんとう)は剛くはない。欲が深い。」と仰せになりました。門人達は「申棖(しんとう)は、お金に対して冷淡であり、金銭欲もないし、欲があるとは思えません。」と答えますと、孔子は続けて、「私は申棖(しんとう)こそ、誰よりも欲が強いと思う。金銭がほしいばかりが欲ではない。欲は様々な形で表れる。申棖(しんとう)は負けず嫌いで、我執が強いというのもその一つである。欲というのは、人に克とうとする私心を指している。天の道理に従って、金を貯めるのは欲とは言わない。それに反して仮に、金銭に対して冷淡であったとしても、私心にかられて、人と争うのはまさに欲である。申棖(しんとう)は欲がきつい。欲がきつくては、剛いとは言えない。剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことである。素直に天地の道理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心を持ち続けることである。」と門人達に説いて聞かせたのでした。

★教祖様は「おかげは和賀心にあり」と仰せになっておられますが、本当に剛い人間というのは、どんなことが起きてきても、和らぎ喜ぶ心を持ち続けて、己に打ち克つことであると教えて下さっているのです。病床の中であろうが、今、苦難の真っ最中であろうが、仕事の上で大変な問題が起こって来ようが、安らかな心で、和らぎ喜ぶ心になることが、強い人間であると教えて頂いております。代を重ねておかげを頂くには、長期に亘った願いを持ち続ける事が大切です。二代教会長・伊藤コウ師の御母堂・ハル氏が「私の代で、どうぞ伊藤家のめぐりのお取り払いが頂けますように」と願われた通り、様々なことが起こってくる中で、「これもめぐりのお取り払いに違いない」「これをおかげにさせて頂こう」と思い分けをすることが、心を安らかに持ち続けるご信心の姿勢となるのです。
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2021年05月16日

●いつも心を神様に向けて

 ある教会の先生は、子供さんが障子をよく破るので、初めは注意しておられたそうですが、度重なるごとに子供を責めて叱っておられたのでした。その先生が、金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)の元にご挨拶に行かれた際に、お子さんのいたずらに困っていることをお話しなさいますと、「幼い子供は、ヤンチャをするのが仕事です。子供が病気で寝ついてしまったら、どうぞ元気になって、またヤンチャが出来るようになりますようにと、お願いしなければならないでしょう?」と仰せになり、続けて、「あなたは子供に障子を破られたら、その障子をどうしているのですか?」と尋ねられました。その先生は「また破ると思って、放ってあります。」と答えられました。キクヨ姫様は「口では『破ったらいかん』と言いながら、心の中では『また破るじゃろう』と思って、破られることを待っておるのではないか。破られたままにしておるから、子供心に破っても良いと思うのです。破られたらすぐ貼る。すると子供ながらに、『私が一生懸命に破っているのに、お父ちゃんお母ちゃんはすぐ貼るが、これは破るということは良くないことだなあ。』と思うようになり、破るのをやめる。」また「子供が破ったのを貼ると思えば大儀だが、あなたが30年前にヤンチャをして破ったのを、今貼りよるんじゃ、と思って貼りなさい。子供はまた20年、30年したら貼らされますよ。」と仰せになったそうです。

★親は親の立場で、子は子の立場で、一人一人が神様に心を向けてみ教えを頂き、成長させて頂けることは、真に有難いことです。子供に、あるいは、会社の部下に注意する時にも、神様に御祈念しながら言わせて頂くと、相手に話を聴くだけの受け物がある時に、必要なことを言わせて頂くことが出来、言い過ぎることもなければ、言葉足らずということもないような、おかげを頂くことが出来るのです。また、言ってから後悔したくなるような時にでも、「どうぞ、こちらの真意が伝わりますように」と、追い願いをさせて頂くことも出来ます。何事も、神様にご祈念しながらさせて頂くところに、万事におかげを頂くことが出来るのです。

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2021年05月15日

●お広前という場所

教祖様は『此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。話を聞いて助かるのである』また、『病治しの神ではない、心を治す神である。』と仰せになっておられます。このお道の信心は、氏子の願いを神様にお願いするだけの、「片便の願い捨て」ではありません。ですから、お広前は、ただ御祈祷するだけの場所ではないのです。お広前という場所は、み教えを頂いて、神様のお心を氏子にお諭し下さり、天地の道理を教えて下さる場所でもあります。そして、お結界でお届けさせて頂くことは、生神金光大神様のお取次を頂くことにより、御礼・お詫び・お願いを足して頂いて、天地金乃神様の御神徳を現して下さるのです。

★あるご信者が、入信当初のことです。二代教会長伊藤コウ師、からお結界でみ教え頂いた事に対して「先生、そんなことありますかいな。私は一生懸命してますがな。」と言い返しておられたそうです。信心の初めは、コウ師の仰せになることに、聞く耳を持たず、また、み教え下さるご意味が、理解出来られなかったのです。

★しかし、ご信者は、ご信心を進めてゆかれるうちに段々と、み教えの有り難さ、お取次ぎの有難さが分かられて、熱心に日参なさり御用をなさるようになられました。ご信者は、より一層に信心が進まれ「後で考えますと、入信当初は、なんとおこがましいことを言っていたのかと反省するばかりです…」と言っておられたことを思い出します。

★信心の初めは、自分の願いを聞いて頂きたいとばかり思っていますので、み教えをなかなか素直に頂けないものです。おかげが頂けない事を神様のせいにしたり、人のせいにしてしまいがちです。しかし、信心が進んで参りますと、おかげが頂けないのは、自分のどこが間違えているのであろうと思い、み教えを真剣に頂けるようになり、どこを改まればよいのかと、考えさせて頂けるようになってゆくのです。

★そうして、一段一段信心の稽古を進めさせて頂くことによって、自分の頑なな心や、自分中心の考え方をお取り払い頂きながら、信心をお育て頂いて、正しい方向へ少しずつ導いて頂ける場所が、お広前という場所なのです。
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2021年05月14日

●信心は日々の改まり

 先日、あるご信者がお話しなさっていたことですが、仕事先の関係の方が、一般常識を身に付けていないような言動で、まともに話が通じないことに困っておられました。親から正しいことを教えてもらっておられないのでしょうか。大人になって社会に出ても、正しいことが身に付いていないことは、人に迷惑をかけるばかりで気の毒なことです。

★しかし、自分が至らないが故に、周囲の方にご辛抱頂いているのは、決して他人ごとではありません。私自身も、どれほど両親や二代教会長先生にご心配をおかけし、ご辛抱をして頂いてきたか分かりません。人の欠点が見えると、自分の事をさし置いて、つい相手を批判してしまいがちですが、そんな時は、自分を正しく省みることが必要です。

★お広前は、信心の稽古場所であり、み教えを頂いて生涯教育を受けられる場所であり、また、お徳につからせて頂いて、心身を癒して頂ける有難い場所でもあります。一回でも多くお広前に足を運ばせて頂き、お取次を頂き、み教えを頂いて、自分の改まるべき所を、見直し、聴き直し、考え直しをさせて頂きまして、己に打ち克つご修行に励ませて頂きたいと思います。

○静座して躁を癒す・・・騒がしさ、心の乱れを整える。

○縁に従って愁いを癒す・・・御神縁に従って悲しみを癒して頂く。悲しみも、苦しみも、神様にお預けさせて頂く。

○費やすことを省いて貧しさを癒す・・・浪費を省いて、生活を整えていく。

○欲を少なくして迷いを癒す・・・あれも欲しい、これも欲しいと、貪るような我情我欲をお取り払い頂くと、迷いがなくなっていきます。

○書を読んで俗を癒す・・・尊い教えを探し、求めて読ませて頂く。テレビなどでも、俗世間的なものばかりを見ていると、自然と自分の心、ものの考え方も感化されてしまいます。人間の品位品格は、毎日見聞きしているもので決まっていくものですから、日々尊い教えを頂いて、天地の道理に基づいた生活をさせて頂きたいと思います。

★『ここへは信心のけいこをしに来るのであるから、よくけいこをして帰れ。夜中にどういうことがないとは限らないから、おかげはわが家でいただけ。子供がある者や日雇いの者は、わが家を出て来るわけにはいかない。病人があったりすれば、それをほうっておいて参って来ることはできないから、家族中が健康な時に、ここへ参って来て信心のけいこをしておけ』

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2021年05月13日

●改まりに迷いがないように

旧広前のご時代の頃に、ある年の記念大祭で、当日に後片付けが終了せず、新調なさった御幕や様々な用具を、翌日片付ければよいと、掛け出しに置いて寝られたことがあられました。すると、翌朝になったら、その御幕や用具がなくなってしまっていたそうです。 なんと、夜中に泥棒が入り、持って行ってしまったのでした。

★二代教会長伊藤コウ師は、「このことは決して忘れてはいけない」と心から神様にお詫びを申し上げ改まられました。それ以降は、必ずその日の内に、後片付けをすることを徹底なされました。そして現在も、御大祭の後始末は、必ず当日にさせて頂くことや、親教会・関係教会への御礼参拝は、当日と次の日に必ずさせて頂くこと等、決しておろそかにしないように教えて頂いております。初代教会長先生から、二代、三代、四代と今日まで、守り続けておりますことは大変有難いことです。御礼をさせて頂くということは、後始末をさせて頂くということであり、行届いた後始末は、次のおかげを頂くための準備とならせて頂くのです。

★福田美亮先生の「信者の心得」の中で、「大祭の意義と心得」として、『大祭後の後片付けに気を付けること。信者は立つ後を乱さぬように。手のすいた者は翌日もお手伝いをさせて頂くこと。』『神の一言は千両の金にもかえられぬ。御祭典後は、一つのみ教えでも実行に移し、信心が改まらねばならぬ。大祭が済んでやれやれと、大風の吹いた後のように淋しくなってはならぬ。大祭後の反省会などによって、さらに信心の向上について、共磨きをして、日々の参拝も増加するよう、お互いに努めねばならぬ。』と教えて頂いております。

★どれほど行き届いたことをしているつもりでも、人間ですから改まるべきところは必ずあるのです。出来事を通して、或いはみ教えを頂いて、改まるべきところを教えて頂いたことを、すぐに改まらせて頂くことが、おかげを頂いてゆく元です。この度の御祭典で頂いた「和賀心になる」というみ教えを、生活の中で表わしてゆけるように、より一層信心向上に務めさせて頂きたいと思います。

★『広大なおかげ広大なおかげというが、おかげとは、氏子めいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けてみよ。大きなおかげが我が身に頂ける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形に添うと決まったものじゃ。』
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2021年05月12日

●本当のおかげとは「和賀心になる」こと

 昨日は、皆様方のお手篤いご信心とお導きによりまして、 天候をはじめ、万事万端ご都合お繰り合わせを蒙り、天地金乃神大祭をお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。また、ご信者皆様の真心からの御用奉仕に、心より御礼申させて頂きます。祭典後は、西宮教会長・西村憲正師より『和賀心になる』という御講題でご講話を賜りました。

★【教祖様は『真にありがたしと思う心 すぐにみかげのはじめなり』と教えて下さっておられます。西宮教会のご信者が「真に有難いと思う心におかげが頂けると教祖様は教えて下さっておられますが、私はおかげが頂きたいから参ってくるのです。病気や経済のこと色々と問題が起こってくる。それが、おかげになったら有難いのであって、そのためにお参りをしているのです」と仰ったのです。真に有難い心が先なのか、おかげが先なのかという問いかけでございました。その時に、私は教祖様の『「今月今日で一心に頼めい おかげは和賀心にあり」という見識を落としたら世が乱れるぞ。神々のひれいもなし。親のひれいもなし』『わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる』というみ教えが心に迫りました。

★おかげとは何か?病気が治るのも経済が豊かになるのもおかげです。しかし、それが解決したら、後は何も無いのか?幸せにずっと居られるのかと言えば、そうではございません。生きている限り、色々なことが起き続けるのです。色々と起こってくるのが、人の世の常であります。ですから、私達にとって何が本当のおかげかと申しますと、実は【和賀心になる】ということが、おかげではないか?人間が生きていく上で、様々な問題が起こってくる。そこをどのように解きほぐし、和らぎ喜んで生きていくのかということに、わが心をしっかりと据えていく。そのことを教えて下さっているのです】との大変有難いご講話を賜りました。

★それぞれに、ご信心をさせて頂くことの出来るご神縁を頂いて、私達はお広前に参拝させて頂けるようにならせて頂いておりますが、これも神様から一人一人にお命を頂いて、願いをかけて頂いてのことです。私共は、毎日奇跡的に有難いおかげの連続で、今日まで生活をさせて頂いているのです。そのことをしっかりと喜んで、お礼を申させて頂きたいと、改めて思わせて頂きました。

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2021年05月11日

●本日は、天地金乃神大祭です!

皆様おめでとうございます。本日昼2時より、天地金乃神大祭をお仕え申し上げます。天候・気象を初め、万事万端にご都合お繰り合わせを頂きまして、御大祭の当日を迎えさせて頂きましたことは、真に有難いことでございます。

★私達の日常の生活の中で、目に見えているところの働きも大切ですが、目に見えないところで支える働きは、より一層大切です。人が見ておられないところの働きは、誰も見ていないので「こんな程度でいいだろう…」ということになりがちです。しかし、人が見ていないところでも神様は見ておられますから、神様を目当てにさせて頂く御用とならねばなりません。陰の働き・陰の徳を積ませて頂くことを稽古させて頂くことが大切です。

★「縁の下の舞は清う舞え」という言葉があります。舞台の上にはあがらず、人に見えないところで舞うことから、表舞台に立つことはないが、陰で人知れず支えている者のことをいいます。皆、祈り合い支え合って、一つの舞台が成り立ってゆく。影の働きがあってこそ、全てが立ち行くのです。見えないところで、一所懸命、命がけで働いて下さっておられる方があるからこそ、世の中が立ち行かせて頂いているのです。目に見えないところを粗末にせず、大切にさせて頂く信心を心掛けさせて頂きましょう。そして、人が見ていようが見ていまいが、神様が一番よくご存じですから、いつも神様が見ておられると思って、行き届いた働きに努めさせて頂きましょう。本日の御大祭も、皆が一丸となって、夫々の持ち場・立場で、真心からの御用奉仕を神様にお供えさせて頂きたいと思います。

★本日、御祭典前の昼1時からお広前に於きまして、DVDを上映し、二代教会長・伊藤コウ師のみ教えを拝聴させて頂きます。そして祭典後には、西宮教会長・西村憲正師より『和賀心になる』という御講題でご講話を賜ります。先生のお口を通して、自分自身に今一番必要なみ教えを頂くことが出来ます様に、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。
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2021年05月10日

●『有難き・畏れ多き・もったいなき』の心で

 明11日、天地金乃神大祭をお迎えするにあたりまして、9日には御内殿のお掃除の御用、教会内外の大掃除・お餅つきを終えさせて頂きました。本日は、調撰の御用、習礼をさせて頂きます。多くのご信者皆様の御用奉仕を賜り、準備を整えさせて頂けますことは、誠に有難いことと御礼を申し上げます。

★大掃除で隅々まで掃除させて頂きますと、普段掃除をしていても行き届いていないことが良く分からせて頂けます。本教では掃除を洒掃と言います。自分自身の心の器を改め磨かせて頂くつもりで、掃除をさせて頂くことを教えて頂いております。清々しく喜びに満ち満ちて、お礼を申し上げながらさせて頂きますと、心の中にある心配や不安、苛立ち・・・等をすっかり取り去り、御大祭に向けまして心の準備をさせて頂くことが出来るのです。その心の掃除が体の上におかげを頂くことや、仕事の上での改まりに繋がってゆくのです。言われるからする、仕方ないからするとか、言われてないからしない等、という不成の心のありませんように、実意丁寧に御礼の心で、真心のこもった御用を神様にお供えさせて頂きましょう。それが、まさに『有難き・畏れ多き・もったいなき』の心をお供えするという事なのです。

★また、今与えて頂いている物事に対しても、『有難き・畏れ多き・もったいなき』の心でもって、心の底から喜んでお礼申して目の前の事をさせて頂くことが大切です。今目の前に与えて頂いているものは、信心上の課題です。「あなたは、今こそこれに取り組まなければならないのです」と神様から教えて頂いているのです。起きてきた出来事に対して、「自分自身の心を磨かせて頂くために、神様から与えて頂いた出来事だ」と有難く頂き、日々心を磨かせて頂いて、お徳の頂ける器を作らせて頂きたいと思います。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように、人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心我が身に汚れないように心と体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』 

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2021年05月09日

●商売も信心を基に

 昨日は、みかげ会例会にて、中山氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。大学を卒業されてから、家業を継ぐ為に、阿倍野教会のご信者の沖氏のお店に、商売の修行の為に就職させて頂かれました。

★初めの頃は、沖氏の信心を基にした生活、商売がなかなか理解できられず、反発心もあったそうです。しかし、就職して数ヵ月経った夏の信行期間の青年会例会に、沖氏に連れられて参拝なさり、おかげ話を聴かせて頂いた時に、心が洗われるように感じられ、このことを機に朝参りを三年間続けさせて頂かれました。毎朝の二代教会長・伊藤コウ師のみ教えが有難く、お取次も頂けるように信心が進まれました。

★沖氏のお店での修行の期間を終える時に、沖氏より、「君は、商売を習いに来たのではない。ご信心を習いに来たのです。商売の方法は、年と共に、また、場所によっても変る。しかし、ご信心はいつの時代でもどこへ行っても同じです。絶対に離さないように」と、教えて頂いたのでした。

★中山氏は、実家に帰られてからも、仕事を繰り合わせて教会の参拝、月々の御本部御礼参拝を続けらました。家業に入られて初めのうちは、教会の参拝や、御本部御礼参拝を理由に、夜の飲み会やゴルフの誘いを断ると、「付き合いが悪い」などと言われることもあったそうですが、周囲の方々にも次第に理解して頂け、また、自治会や商店街の皆様のお世話もよくなさり、「お宅ほど結構な家はない。何もかもうまくいきますね」と、言って頂くようになっておられるそうです。

★初めてお宅祭をお仕え頂かれた時に、三代教会長先生より、「今は、十の信心で百のおかげを頂いています。残りの九十は、しっかり御礼の信心をさせて頂きなさい」と、み教え頂かれたそうです。また、沖氏から教えて頂かれた、「地域のお役に立つ店」「時代にあった店」「健全な経営の店」の3つを目標に、お取次を頂かれながら、お商売に励んでおられます。元の商売に加えて、平成15年からは、校区外の中学校と県立高校の制服の販売、平成22年には、以前からお知り合いの方から、奈良県内の会社や工場に、事務服や作業服を納めるお仕事を引き継ぐことになられました。その都度、新しく勉強することや、取引先とのトラブル等もあられる中、実意丁寧に、御礼の働きとなることを心がけられ、ご信心を元に、繁盛のおかげを頂いておられますことは、真に有難いことでございます。

★『金光様は、有難き・恐れ多き・勿体なきの三きを備えて祈れ。一切の願い事を成就させてやる。とおっしゃったが、この有難き・恐れ多き・勿体なき三きの心に、新気・根気・働きが立ち添うてこそ一切成就の御信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

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2021年05月08日

●「私にならせて下さい」と願う

 ある先生が、直信の先生方に「どのようにすれば身に徳を頂けますか?」と尋ねて回られたそうです。すると直信の先生方は、異口同音に「仕返しをする心を去りなさい。」という内容を、お話し下さったということです。

★例えば、盗んでいないのに「泥棒だ!」などと言われて、あらぬ誹謗中傷を受け、顔に泥を塗られるようなことがあったとしましょう。「仕返しはしない」と決めていても、心はずっと荒れたままですね。それでは、自身の徳も失い助かりません。相手の立ち行き・助かりをお願いさせて頂きますと、相手を憎む自分の心を、神様が浄化して下さいます。相手のことを願うことによって、徳を失わず、自分自身も立ち行くおかげを蒙らせて頂けるのです。

★御本部に参拝させて頂いたある日、お広前で御祈念をし、お結界でお届けをさせて頂いて、教祖様・二代様・三代様・四代様の奥城に参拝させて頂いた後、金光英子先生にご挨拶をさせて頂きました。その時、英子先生の御用なさっておられたところに色紙がおいてあり、英子先生にお許しを頂いて、そのご内容を写して帰らせて頂きました。それは、高橋正雄先生が広島の平和集会に参加される時に、お話しなさったご内容でした。そのご内容を、四代金光様がお書きになっておられたのです。それは、@「人を軽く見ない」A「人に恩を着せない」B「人を利用しない」C「人をあてにしない」D「人を責めない」というご内容でした。そして、その最後に四代金光様が、「私にならせて下さい」と付け加えておられたのです。

★『人を軽う見な 軽う見たらおかげはなし』とみ教え頂いております通り、どのような人であっても、神様の尊い分霊を頂いておりますから、「その人の良いところを見させて頂けますように」と願わせて頂くのです。また、人の為に自分自身の手足を使わせて頂いて、お世話をさせて頂いておりますと、神様が自分によいことを返して下さるのです。人から返してもらいたいと思うのではなく、別のところから返ってくることもあり、また自分の子供や孫に返ってくることもあるのです。人を目当てにするのではなく、神様を目当てさせて頂いて、神様の御心に適う生き方に努めさせて頂きましょう。そして、四代金光様が付け加えられた「私にならせて下さい」と一心に願うことは、本当に大切なことで、私たちが日々学ばせて頂かなければならないご内容であるなあと、その色紙を拝ませて頂いて感じさせて頂いたことでした。

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2021年05月07日

●有難く頂く心になればおかげがある

5日の真栄根会総会でお話しなさった、井上氏の長男さんが小学校三年生の時、学校の身体検査で側弯症と診断されました。

「今のところ生活に大きな支障はありませんが、成長期でありますから、これから先、今以上に湾曲する可能性があります。」と医師に告げられたのでした。

経過観察を必要とし、指摘を受けてから一年後、再び受診されますと、「一年前よりも酷くなっています。このままではコルセットを付けるか、進行が進むと手術しなければなりません。一度専門の病院で診察してもらって下さい」と、大学病院を紹介して頂くことになったのです。

★そこで、お結界でお取次ぎを頂きました時に、「まだまだ体が柔軟ですから、筋肉をバランスよく鍛えさせて頂きますと、回復が見込めるはずです。これから、姿勢を正しくさせて頂くことを、日々稽古させて頂きましょう。大学病院に受診させて頂く日まで、神様から日を切って頂いたと思って、毎日御神酒を付けさせて頂き、お願いさせて頂きましょう」とみ教えを頂かれました。

それから、その息子さんは、毎日御神酒を付けられて休ませて頂かれました。三ヶ月後、大学病院に受診されますと、「湾曲していた背骨が真っすぐになっています。何の治療もいりません。どうして治ったのですか?」と医師も大変驚かれたということです。

★本人が「どうあってもよくならせて頂きたい!」と御神酒を付けて、おすがりしたことにより、医師も驚かれるぐらいの全快のおかげを頂かれたのです。

その後、その息子さんは中学生になって野球部に入られるまでに、丈夫な体に仕替えて頂かれたのです。現在は、消防士を目指して一生懸命に努力なさっておられるのです。

★将来に向けて、自分自身が本気で願いを立てて、その目標とするところに近づかせて頂く努力をさせて頂いておりますと、有難い結果を生み出すことになるのです。御神酒を、心の底から有難く頂く心に、有難いご庇礼を頂くことが出来ることがわからせて頂きます。

★『信心する者は、祈れ薬れにすればおかげが早いが、薬れ祈れにするからおかげにならない』『痛いところがあれば、御神酒を付ける心になればおかげがある』

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2021年05月06日

●ご信心を伝え続ける有難いお姿

 昨日は真栄根会総会を開催させて頂き、井上氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★井上氏のご信心は、四代目の信心となり、曽祖父様が娘さんの病気のことで阿倍野教会にお引寄せ頂かれたことから始まりました。また井上氏の祖母様は二代教会長先生に「神様は、人の心の奥底まで良く知っておられますよ」とみ教えを頂かれ、いつも笑顔を絶やさず、子供達に「神様が見ておられるから、悪い事をしたり、嘘をついてはいけない」と教えられたそうです。そして「信心をさせて頂かなければ将来は無い。その為には、是非お教会の近くで住宅を頂きたい・・・」と願い続けておられたのでした。

★祖母様が、井上氏のお母様である娘さんを妊娠中に、一生懸命お参りを続けられ、お母様がお参りを好きになるように【いつも「金光様」と御祈念させて頂けるように】とお育てになられたそうです。そしてお母様も、祖母様同様に「お教会の近くで住宅を頂きたい・・・」と願われました。二代教会長先生から「神様は、不可能なことでも、真心からのお願いは可能にして下さいます」とみ教え頂かれたのです。昭和48年、お教会近くの大阪市住宅供給公社の空き家抽選があり、13倍の競争率の中、当選のおかげを蒙られ、さらに昭和54年には松虫で住宅を新築し、母方の祖父母と同居なさったのでした。

★祖母様が10年間病床につかれた時には、ご両親と井上氏ご姉弟が一生懸命お世話をなさり「お参りしてきたよ」と報告をされると「お参りをしてくれるのが一番嬉しい」と喜んでおられたそうです。祖母様はいつも「お教会の近くで住まわせて頂くんやで。そして毎日何回でもお参りし、み教えを頂きお徳を頂けば、願うことは何でも成就させて下さるし、親戚も孫も周囲の方も皆様が助かり、世の中のお役に立ち、子孫も家も繁盛になって、一生充実した有難い人生を送れます」と伝え続けられたということです。

★常に神様に心を向け「生神金光大神様!天地金乃神様!」とお縋りし、様々な問題を乗り越えていく徳と力を頂くことが、一番幸せなのです。井上氏の祖父母様は、不足は一切言われませんでした。そして、そのお二人のご信心が、有難いことに今日まで伝わって続いておられ、井上氏で四代目になられます。結構なお守りを受けていることを日々喜んで、喜びに満ちた生活をさせて頂かれましたら、家繁盛子孫繁盛のおかげを蒙られるのですね。

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2021年05月05日

●正しい願いを持ち、一心におすがりする 

阿倍野教会が借家での布教間もない頃から、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長伊藤コウ師は「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。恩借やご信者の分担金・寄付の強要、銀行の借入金なしで建てさせて頂きますように。清い真心の浄財だけで建てさせて頂けますように。」と神様にお願いなさったのです。

★旧広前の150坪のお土地を購入させて頂く時のことです。地主さんがもっておられる大きな土地の一部分であり、晴明通りに面した一番良い条件の所ですから、地主さんは切り売りをしないと仰っていたのです。コウ師の御母堂ハル氏を始め、姉のスエ氏・カツ氏は自分のことは横へ置いて、教会設立の為に家族中が力を合わせて、一生懸命に神様の御用にお使い頂きたいと願われたのでした。そのお心をコウ師は受けられ、どうあってもその願いを成就させて頂きたいと願われて、徳次師に「どうぞ、その交渉の役目を私に任せて下さい。」と申し出られますと、徳次師は「それなら任せましょう。」と仰って下さったのです。

★それからというもの、コウ師は毎日、夜中にそのお土地の前で座られ神様にお願いされたのでした。なんと、その熱い願いが神様に届き、地主さんが数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と言って下さり、ついに売ることを決心して頂けることになったのでした。

★お土地を購入されるまでには、神様から2回お試しがあられたそうです。ある時、あるご信者が「警察の許可を得て寄付を集める許しを頂いていますので、ご信者に寄付を募りましょうか?」と申し出てこられたのでした。コウ師は「私は神様に恩借やご信者の分担金・寄付の強要、銀行の借入金なしで建てさせて頂きますように、とお願いさせて頂いておりますので、それはいたしません。」とお断りなさったのです。

★またある時、竹本駒蔵師より、建築費の7割程の現金を「無期限・無利子ですから、遠慮なく使いなさい」とわざわざ京都からお持ち下さいましたが、コウ師は丁寧にお断りになられました。すると、竹本師は「それでは、お供えさせて頂こう」と仰って下さいましたが、コウ師は「先生がお供えなさるのは、御本部があられますから、それは筋違いでございます。神様の心に適いませんので、お受けすることはできません。」とお断りなさったのでした。

★またお土地購入後、木材を買い入れて積み上げられていた段階で、ご建築の途中で徳次師がお国替えなさって、建築委員総辞職という事があられましたが、コウ師は脇目も振らずに一心に神様におすがりなさって、ついに、昭和2年11月11日、開教5年の記念大祭と新築落成の祝祭を、盛大に奉行させて頂くことが出来られたのでした。正しい願いを持ち、一心におすがりするところに神様が応えて下さるのです。
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2021年05月04日

●慎みの心を大きくする

 教祖様は42歳の御頃に、「のどけ」という九死に一生の大患を経験されました。その当時、母屋を建築・移転なさった頃で、そのご建築に際して日柄方位に捉われる等、神様にご無礼があったことに気付かれたのです。その時「この度の建築に当たり、どの方角へご無礼しておりますやら。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のことは、ひらにお詫び申し上げます」と神様に心からお詫びなされたのです。

★お詫びをなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得違い、その方は行き届いておる」と認めて下さいました。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様は、その後も常に「私共人間の生活には、どこまでも至らないところがある」という心持ちであられたのです。

★私の長女が生後10ヵ月の時に、あごの下にウズラの卵くらいの大きさの腫れ物が出来たのです。すぐに三代教会長先生にお届けさせて頂き、病院に行かせて頂きますと、医師より「良いものでも悪いものでも、どちらにしても手術をして切除する方が良いでしょう。」と診断して頂きました。しかし「これからは一切悪い事を思わないようにして、御神酒でおかげを頂こう!そして次回の診察には行かなくて良いというおかげを頂こう!」と夫婦で話し合ったのでした。そして御礼と御詫びを申し上げ、一心にお願いしながら、日々娘のあごの下にある腫れ物に御神酒をつけさせて頂きました。すると何と、2・3日の内に腫れ物の位置が下がりはじめ、受診予定日の朝には腫れ物の口が開きかけたのです。お剣先に御神酒をふくませて腫れ物に当てさせて頂きますと、口が開いてどんどんと血膿をお取り払い頂いたのでした。その後、病院に行く事もなくメスを入れることもなく、一年間かけて計10回も腫れ物に口が開いて、血膿をお取り払い頂いたのでした。

★人間のすることですから、神様がご覧になられたら、どこにどのような不行き届きがあるか分かりません。小さい視野で小さい心でありますから、自分の見える範囲・考えられる範囲でしていると言いましても、見間違いや聞き違いや考え違いだらけです。まだまだ分からない所が多くある自分であることを自覚させて頂き、謙虚に慎み深く生活することを心掛け、「我良しと思う心」をお取り払い頂けるように、心掛けさせて頂きたいと思います。

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2021年05月03日

●新しく生まれ変わってゆく痛み 

先日も、無事に月末、月初の御用にお使い頂きました。毎月末のことですが、月末の午後23時からお結界に出させて頂き、お朔日の朝と10時のお説教をさせて頂き、そして午後19時頃までお結界で御用にお使い頂きました。すると、ここ何年間か、経験したことのないような痛みを足首に感じたのです。その時に思い出させて頂いたことがありました。

★私が金光教学院に在学中、慣れない正座で日々座らせて頂いておりましたら、随分足、膝が痛みました。学院生の中には、足に座りだこが出来、その座りだこが潰れて膿んでしまい、身の置き場が無いというほど痛んでおられた方もあられました。そんな時、当時金光教学院の学監をなさっておられた高橋行地郎先生が、学院生全体に「今みなさん、正座をなさっておられて足が痛いでしょう。しかし、その痛みというのは、自分自身が新しく生まれ変わっていく痛みなのですよ。」と仰って頂いたのでした。その言葉を頂いた途端、「この痛みが有難いご修行になっているのか!新しく生まれ変わっているのか!」と、さっと気持ちが切り替わったのでした。これまでは「足が痛い…痛い…」と痛いことばかりに目を向けていたのが、その足の痛みが有難さに変わっていったのです。

★新しく生まれ変わっていく時に、痛みを感じることがあるかもしれません。それは、成長させて頂く為の痛みであり、それが喜びに繋がる実に有難い体験なのです。人生に於いて、私達は様々な経験をさせて頂きます。その経験を基に、本心の玉を磨いてゆくのです。その中には、病気や、家庭や職場の人間関係、仕事上での難しい問題等々、様々なことを神様から与えて頂くことがあります。その一つ一つの出来事は、全て無駄事はなく、必ず意味があって与えて頂くことであり、経験しなければならないことなのです。逃げようとしても、必要なことならば、どこまでも追いかけてきます。それならばと、覚悟を決めて真正面から受け切ってゆく事の方が、おかげを頂いてゆく生き方になるのです。全ては本心の玉を磨いてゆくために、神様から与えて頂いていることですから、人を目当てにするのではなく、神様を目当てにさせて頂くと、おかげになります。
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2021年05月02日

●出来てくること皆おかげ

 初代教会長先生は、大正15年10月28日32歳という若さでお国替えになられました。甘木教会で16歳から足掛け8年、四条教会で半年、島之内教会で1年ご修行され、大正10年阿倍野の地でご布教を始められてから、開教5年目という時であられました。初代教会長先生は、「おかげやで、おかげやで」と言い通され、「自分が肉体の働きを終えて、これから霊神としての働きをすることはおかげである。そのことによって信奉者一同がおかげを受ける。伊藤家もおかげを受ける。」と、これから御霊となることを、おかげの中の出来事だと言い残されたのでした。

★二代教会長となられた伊藤コウ師は、そのことを「何が何でも、おかげにせねばならない」と悲痛な思いで受け止められておられました。コウ師は、「主人を亡くして、悲しくないことがありますか?悲しいし、辛い。しかし、主人は24才でスペイン風邪にかかり命の無いところを助けて頂き、8年間寿命を伸ばして頂きました。そのことを神様にお礼申し上げます。どうあっても初代教会長先生のご遺志を継がせて頂けます様に。」と初代教会長先生の御心を無にしないように、すべてを神様の思し召しであると、おかげにしてゆく御信心を貫かれたのでした。

★この度の緊急事態宣言は、期間を4月25日から5月11日と発表されたことを受け、深い神様の思し召しを感じさせて頂き、その始まりから御礼を申させて頂いております。4月25日は青年会学生会総会、5月5日は真栄根会総会、5月11日は天地金乃神大祭の日です。この期間を、皆が心を揃えて感染防止に努めさせて頂き、御大祭の直前の特別な信行期間とさせて頂くよう、神様から深い思し召しをもってみ教え頂いていることと思わせて頂きます。日々の生活に不足を思わず、物事を苦にせず、出来てくることを有難く受け切らせて頂き、それぞれの立場で、どのようにしたら、神様に御礼の信心、また、お詫びの信心・改まりの信心をお供えさせて頂くことが出来るかを考えさせて頂きまして、5月11日には、銘々の真心が結集した有難い御大祭をお仕えさせて頂きたいと思います。

★『天地金乃神様は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ』

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2021年05月01日

●喜び上手がおかげの頂き上手である

ある方の子供さんが丹毒という病気であられたそうです。丹毒とは、皮膚の浅いところで化膿性の炎症が起きる病気で、現在では蜂窩織炎(ほうかしきえん)という病名です。当時には珍しいペニシリンの注射を打ってもらい、子供さんの熱が引いて、翌日にはもうほとんど治ったかのように回復なされたので、心配して下さったキクヨ姫様のところへお礼を申しに行かれたそうです。

★キクヨ姫様が「様子はどうか?」とお聞き下さったので、「はい、おかげさまでもう大丈夫です。それにしても、ペニシリンという注射は良く効きますね。驚きました。」と答えられると、キクヨ姫様は「そうかそうか。それは良かった。有難いことじゃ」と仰って、目をつぶって神様にお礼のご祈念をして下さったそうです。そして後に「そういう薬を発明して下さったのは、どこのどなたか知らんが、有難いことだなあ。何度お礼申しても、申し足らんなあ。あなたはお礼を申したか?」と仰せられたのです。そのお言葉をお聞きになって、お薬を発明された英国のフレミング博士に手紙で御礼状を書いて送られたということです。

★私達が薬を使わせて頂いた後に、神様や処方して下さった医師にお礼を申しましても、製薬会社や研究をなさった方々にお礼を申すことはなかなか出来ておりませんね。そうしたことを考えさせて頂きましても、私達のお礼の申しようというのは足りないものですね。だからこそ、自分自身が範囲を広げる努力をしてお礼を申し上げる生活をさせて頂かねば、相済まないことです。『喜び上手がおかげの頂き上手である』喜び上手にならせて頂けるよう、お礼を申す稽古をさせて頂きましょう。

★『どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い』

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