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2021年04月30日

●授かった徳と力を発揮できるように

 あるご信者は、ご主人がアルコール依存症で、飲みに行ったら帰ってこず、まともに働くことも出来ないので、親戚中から離婚を勧められるような状態だったのでした。ご主人は、病院に入退院を繰り返しながらも、一向にお酒への依存が治る気配がない中を、奥様とお母様は神様に一生懸命におすがりなさって、おかげを頂きたいと願っておられたのでした。

★奥様は、子供さん達を連れて参られ、一家勢信心で、ご主人のアルコール依存が治り、生活が立ちゆく様、一心に神様におすがりなさってお願いし続けられたのです。そのうちに、ご主人も、お広前にお引き寄せ頂けるようになり、神様に心を向けて生活出来るようになっていかれたのです。朝参りが続かれ、毎朝「どうぞ今日一日断酒させて頂けますように・・・」と、神様にお願いしてから一日を過ごすようになられますと、有難いことに、一日一日断酒を続けさせて頂くことが出来るようになっていかれました。

★ある時ご主人は、仕事に就きたいと、二代教会長・伊藤コウ師にお届けなさいますと、「職場は近いところではなく、遠いところに、また、給料の安いところにお勤めさせて頂きなさい。」とみ教え頂かれたのです。ご主人はみ教えを守られ、元々お仕事の上でも優秀なお方でしたが、給料が安く、家からも遠い、いわば条件の悪い職場を見つけて、働くことが出来るようになられたのでした。そうしますと、朝早く朝食を済ませて朝参りをしてから出勤され、帰りは仕事が終わったら、すぐ帰路につき寄り道をしない、という生活を続けさせて頂くことが出来たのです。そうして、入社なさってから5年間、無遅刻無欠勤でおかげを頂かれ、課長に昇進させて頂くことが出来られたのでした。

★以前は、給料は全て酒代に消え、奥様もお母様も毎日泣いて暮らしておられたのが、5年後に御礼のお宅祭をお仕えする時には、涙ながらに有難いおかげを頂いているお礼を申すことが出来る、有難い家に変わらせて頂くことが出来られたのでした。子供さん達は、毎日朝参りを続けられ信心を基に成長されて、親孝行を徹底してなさったのです。

★みな生まれもって、神様より徳と力(神心、知力、体力)を頂いておりますが、それらの徳と力を生かし発揮させて頂くには、正しい願いを持ち、弱い心に打ち克つ事が必要です。日々み教えを頂き、生まれながらにして頂いている徳と力を大きくさせて頂きましょう。

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2021年04月29日

●霊様の尊い働き

先日、白内障の手術を受けられた方がおられました。その方が術後、御礼のお届けに来られ、「以前は、何もかもが曇ったように、色も形もはっきりせず、濁った世界に住んでおりました。これまで見えていたつもりですが、手術後と比べたら、実際はこれほど鮮やかであったのか、これほどきれいであったのかと、全く違った新しい世界に住まわせて頂いているようです!」と御礼を申しておられました。

★私達のご信心の世界でも、心が濁った曇ったままの世界に住んでおりましたら、本当に見えるはずのものが見えず、聞こえるはずのものが聞こえなくなってしまうのです。教祖様が、福嶋儀兵衛師に『月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。此方とて生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさず、真一心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせてくださる』とみ教え下さっております通り、私達が夫々に頂いている御霊は、実際に目には見えませんが、必ず一人一人にそのご存在があられ、その御霊の働きによって、有難い尊い体験をさせて頂くことが出来るのです。

★私の大学時代の友人は、大学卒業後に松下電器に勤め、結婚もして二人の子宝を頂かれました。その二人目の子宝を頂かれた、翌年の平成10年のお正月三が日が明けた後に、急にその友人から電話がかかってきました。それまで一月初めに電話がかかってくることなどありませんでした。その友人と電話で近況を話させて頂き、互いに懐かしい思いでおりました。その友人は、「仕事も順調で、二人の子供も頂いて、今が一番幸せだ」と話してくれ、嬉しく電話を切らせて頂きました。すると、その一ヶ月後の二月に、その友人は36歳で突然の疾患で亡くなったのです。今から23年前の出来事でした。世の中一般では、「虫の知らせ」といわれるようなことですが、本人がどうしても私に電話をかけて、話をしておきたいと思ってくれたのでしょうか、亡くなる前に電話をかけてくれたのでした。私の事を心の隅に留めてくれていたことを有難く思わせて頂き、墓前に参拝させて頂いたことです。
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2021年04月28日

●祈りを込めて

 昨日、お話しさせて頂いた中山亀太郎先生が、17歳の頃に経験なさった、忘れることの出来られない出来事について、お話ししておられます。

★ある人から、「あなたは、両腕片足を失ったから、大学にまで進学させてもらえたのですよ。健全な身体だったら、お父さんと同じ鉱夫になっていたに違いないのだから、両腕片足を無くしたことに感謝しなければ」と、言われたということです。相手の方は、中山先生を慰めるつもりで、むしろ親切のつもりだったのかもしれませんが、17歳当時の中山先生にとっては、どんなひどいいじめを受けた時よりも、心が傷つき、無念の涙をこぼされたということです。そのことを後に振り返られ、「相手の身になって、相手の立場に立てるということは、容易なことではないと思います」とおっしゃっておられます。

★中山先生は、お体の不自由な方から、話しを聞いてほしいと頼まれることもあられたようです。そんな時でも、幼少の頃から、お体のことで様々な辛い思いや、辛抱、努力を重ねてこられたご経験があられながら、「相手の苦しい気持ち、経験はとても簡単に分かるものではない。」と、常にご自身の心を戒められ、相手の助かりをどこまでも神様にお願いなさりながら、ご信心の有難いことを伝えられることに努められたということです。

★お導きさせて頂きたいお方のことを、神様に一生懸命に御祈念させて頂く、ということが大切です。そのように心がけさせて頂いておりますと、こちらの心が相手に伝わり、相手の心が開けて、おかげを頂いて頂くことが出来るようになってゆかれるのです。

★『病人に品物を与える親切だけが見舞いではない。見舞いの言いようで、気分が強くもなり弱くもなる。せっかく見舞いに行く親切があるなら、病人の心が丈夫になる見舞いを言うてやると、病人の心が広く大きくなる。この時より、神様のおかげをすぐにいただくことができる。』

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2021年04月27日

●不自由の中でも喜んで生活させて頂く

中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で、生きてゆくことも出来られない程くじけてしまい、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。

★しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、お子さんが自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。腕の付け根から三センチ程の残った腕で、脇にお箸を挟んで食事も頂かれ、自転車にも乗られました。また、義足をはめての歩行は、ご不便もあられたことと思われますが、「電車の中では、席に座れない時には、義足をはずしてその上に座るとなかなか便利です。」と喜んでおられたそうです。先生は、義足をはめるご自分の足の部分が少し短く、長めの人に比べて、使いながら外れてしまい易かったそうですが、先生は、義足が外れやすいことも「諦める」のではなく、喜びに変えておられたのでした。そして、他人と比べて引け目を感じ、人を恨み「運命を憎み、呪う」という生き方ではなく、『運命を愛し、運命を生かす』生活に変わられたのです。

★亀太郎師は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として 

1)「より健康にならせて頂いたこと」 

2)「不自由の少ないこと」 

3)「明朗になったこと」とお話しになりました。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、有難い方々にお世話になられて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。

★たとえ不自由があったとしても、それが不幸せであると決めつけない生き方、不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても、以前より生き生きと輝いた生活を送らせて頂くことが出来るのですね。
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2021年04月26日

●神様にお守り頂いている日々

 昨日は、青年会学生会総会が無事に開催され、小池氏より大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★理学療法士として働いておられる小池氏は、働き始めて2年目のこと、担当患者の方に付き添って屋外で歩行練習をなさっておられた時に、患者の方の片膝の力が急に抜けて、手助けが間に合わず地面に片膝が着いてしまったそうです。幸いにも擦り傷で済んだことでしたが、今までの屋外での歩行練習が順調であったことから、油断があったと深く反省なされ、その日の仕事帰りにすぐに教会へお届けに来られました。お結界の先生より「本日はおかげ日ですね。これからもう一度お徳をしっかり積ませて頂きましょう」とみ教えを頂かれ、患者の方が大きな怪我無く神様にお守り頂いたことのお礼を申されたのでした。

★また同年に、購入したばかりの自動車で、友人と走りやすい慣れた道をドライブしていた際に、急に車の向きが変わり山の木に激突し、車が180度横転し、天井が地面に着いた状態になってしまい、車も大破するほどの事故を起こしてしまわれたのです。しかし、2人とも軽い擦り傷のみで済み、他の車を巻き込むことは無かったのでした。翌日にお礼とお詫びのお届けをなさいますと、お結界の先生より「これまで積み立てていたお徳はおかげに変わりました。これからしっかりと神様の御用にお使い頂き、お徳をもう一度積ませて頂きましょう」とみ教え頂かれたのでした。

★それ以来大きなトラブルもなく、日々無事に仕事と生活をさせて頂けるおかげを蒙られている小池氏は、この2つの出来事を【神様にお守り頂いていると痛感させて頂いたこと】としてお話しされ、さらに「私は無事に過ごさせて頂いているということを、当たり前であるかのように思い違いをし、神様へのお礼が出来ていなかったことに反省し、それ以来何事にも神様に心を向けさせて頂く稽古をさせて頂くと共に、日々万事にお繰り合わせ頂いていることに、お礼を申すことを心がけるようになりました。そして、この事故は一生忘れてはならないお気付けであると思い、毎年事故を起こした日には、お教会でお届けをさせて頂き、私と友人の命を助けて頂いたことにお礼を申させて頂いております」とお話しされました。

★「出来てくることは、みなおかげ」であり、神様は一番良いようにして下さっているのです。ここに神様の思し召しがあると思わせて頂き、どんなことが起きてきても、人や物事に不足を思わず、物事を苦にせず、万物を有難く頂くことを稽古し、自ら有難い物を生み出させて頂くご修行を共々にさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいと思わせて頂きます。

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2021年04月25日

●難儀を願いに改めてゆく

昨日は、二代教会長伊藤コウ師のお姉様であられます、伊藤カツ氏の御命日でした。コウ師のお父上・房次郎氏は信心に大反対でしたが、コウ師のご母堂ハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。神様を拝むくらいなら、わしを拝め」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を、庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なくして愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通りにくい状態になられたのでした。色々と手を尽されましたが一向に良くならず、とうとう房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねる心になられたのです。するとハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさってお取次を頂いて下さったら、必ず良くなります。」と信念を持って伝え、初めて教会へ一緒に参拝なさったのでした。

★房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流してお詫びを申し上げ、「どうぞ助けて下さい。」と願われたのです。するとお結界の先生は「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。」と仰せられました。家に帰られますと、それまで口もまともにきけない、水も喉を通りにくい、身体も自由に動かない状態であられたカツ氏が、お父さんが帰ってこられる下駄の音を聞いて「お父さん、お帰り!」と玄関まで出迎えたのでした。そこで、親子が抱き合って泣いて喜び、そこから家族中が勢信心のおかげを頂かれたのです。

★子供たちの病気を通して、信心がより一層進み、家中が勢信心のおかげを頂かれて、明治33年に教徒の列に加えて頂かれました。実に今年で121年にならせて頂きます。ハル氏は、家中が勢信心にならせて頂く為に、願い続けてこられました。その難儀の瞬間は、「どうしてこのようなことが起こってくるのだろうか…」と思うこともあられたことと思います。しかし「これはおかげに違いない。私が願っている方向へ神様が差し向けて下さっているのだ。先を楽しみにお願いさせて頂こう!」という心になられて、お願いを改めてゆかれたことにより、家中が勢信心にならせて頂かれたのです。次から次へと神様が与えて下さることは、おかげの元なのです。そのおかげの元を有難い良い機会として、家中が改まってゆくことが、良い方向へ導いて頂くことになるのです。

★『信心しながら次へ次へ不幸せが重なると、「なんぞの所為(しわざ)ではないでしょうか。なんぞの罰ではないでしょうか」と言うて参る者があるが、どうして、神様がかわいい氏子に罰をお当てなさろうぞ。「心得が違うておるぞ。気をつけい」とお気づけがあるのじゃから、今までとは心を改めてご信心すれば、不幸せがおかげになってくる。叱って教えてもらうのはありがたいのぞ。叱られるくらいでなければどうならぬ。』
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2021年04月24日

●無駄をなくす稽古

 二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、離婚なさったばかりのある男性が、4年生の娘さんを連れて、教会にご修行に入られたことがありました。元の奥さんは、博打などの遊びが好きで、家のお金を持ち出しては夜遅くまで遊び歩き、誰に何と言われようとも、その生活を改めることがなかったのでした。そのような経緯で離婚なさり、ご主人が、教会でご修行させて頂きたいと願い出られたので、「父娘共にご修行させて頂くつもりで、教会に入らせて頂きなさい」と、み教えを頂かれ、ご修行に入らせて頂かれたのでした。

★ある日、コウ師は、その小学4年生の娘さんが、お金をどれくらい正しく扱えるのか確かめられる為に、子供のお小遣いには随分多いほどのお金を持たせて、1日自由な時間を与えられました。すると、その子は夜中の11時になっても帰ってこず、父親が探しに行ってようやく帰ってきたようなことでした。落ち着いて、話をお聞きになりますと、友達と一日中遊んだり、食べたりして、1日でお金を使い切ってしまったということでした。

★コウ師は、父親に、まずは親からしっかり、お金の使い方、物の使い方を改めるように、天地の賜り物として大切に使わせて頂く生き方に改まらせて頂くことを教えられました。そして娘さんにも、正しいことを身に付けさせて頂くよう、丁寧に教えていかれたのです。すると、段々と、お金も物も、「あるだけ使う」という事ではなく、今あるものを最大限大切に使わせて頂き、お金は出来るだけ使わず、本当に必要な時の為にとっておく事の出来る、有難い生き方が身に付いていかれました。そして娘さんは、学校の成績もどんどんと伸びていき、有難い姿に生まれ変わっていかれたのでした。

★無駄なお金を使わない、物を粗末せず大切に扱わせて頂く、ということは、稽古が必要です。食品でも、安いものを探して求める前に、今ある食材を少しの無駄もなく、有難く頂くことが出来るかを、見直させて頂くことに、気をつけることが大切だと思わせて頂きます。5月11日の御大祭に向けまして、しっかり改まりの信心を進めさせて頂きたいと思います。

★『一円の無駄をすれば十円の罰をこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄をしないようにすれば出世もできる』

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2021年04月23日

●謙虚に耳を傾けて聴く稽古 

御本部の金光教学院で、ご修行させて頂いていた間のことです。ある男性が会堂地下にいつもおられ、時折、学院生や参拝の方々に、声を掛けておられました。お酒が好きな方で、少々飲み過ぎると大きな声を出されるので、そんな時は誰も近寄らなくなっていたのでした。

★私も時々声を掛けられることがあったのですが、ある時、「ちょっと来い!ここへ座れ!」と、言われましたので、その時は覚悟を決めて座らせて頂きました。そして、その方の目の前に正座をさせて頂き、「今日はひとつ、み教えを頂きたいと思います」と申しました。すると、その方の表情が、すうっと変わられました。そして、「今、学院に入って修行をしているつもりかもしれないが、修行の準備じゃ。本当のご修行は教会に帰ってから始まる。教会に帰って、教会長先生の御用なさるお姿を毎日拝ませて頂くところから、本当のご修行が始まるのだ。」と仰り、次から次へと有り難いお話を聴かせて下さったのでした。私も有難い思いにならせて頂いた出来事でしたが、それからも何かと、好意をもって気に掛けて下さるようになられたのです。

★ある先生は、「同じ話でも千遍も聴かせて頂かないことには、信者の部類には入らない」と仰るほどに、み教えを理解し自分のものにさせて頂くには、時間のかかることなのです。み教えは壮大な御内容であり、様々な観点から説いて頂いていますので、一遍、二十遍、五十遍、百遍聴かせて頂いても、一部分だけしか理解できておりませんし、また表面的な聴き方しか出来ておりません。最初は、表面だけ理解しますが、何度も学ばせて頂くことにより、より深くより広く理解させて頂けるようになるのです。『一生が修行である』とみ教え頂いておりますように、常に頂き直して、心を改め磨いてゆく必要があるのです。

★『同じ話でも何度でも聴いておかねばなりません。白い木綿も同じ藍壺に浸けては乾かし、浸けては乾かし、何度も染めますと、終いには何度洗っても剥げぬようになります。神の理解もその通りで、同じ話を何度でも心に聴かしておりましたら、道も忘れませんで結構じゃなあ。』
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2021年04月22日

●神様への一番の御礼とは

 二代金光四神様のご時代に、岡山の玉島というところから、長年病気で苦しんでこられた息子さんと親御さんが、金光四神様にお取次を願って参拝されました。初めは玉島の病院に入院され、それからは、岡山、姫路、神戸の病院に次々と入院なさり、最後には、高い治療費を払って大阪の外国人医師の病院に入院されたのでした。それでも、快方の兆しがなく、「どうせ死ぬなら、実家に帰って死にたい」と思われた、とのことでした。

★金光四神様は、「今日から神様にお縋りさせて頂いて、毎日頂くお食事を薬だと思って、有難くお礼申して頂きなさい。今まで飲んできたお薬は止めさせて頂きましょう。」と、み教えになられたのです。それから3週間後に、5年間も病気を患った息子さんは、玉島から歩いて病気平癒のお礼届けに参拝することが出来られたのでした。資産家であったご両親は、「金光様、恐れ入りました。御礼をしとうございますので、何なりと注文して下さいませ。お金で出来ることなら何でもさせて頂きます。」と言われますと、四神様は、「それでは注文します。命を助けて頂いた御礼をお供えさせて頂きたいと願われるのでしたら、今後は神様に不足をお聞かせ申さないようにしなさい。これが真の御礼じゃ」と、み教えになられたということです。

★これから、5月11日の御大祭まで、およそ20日あります。神様への一番の御礼のご修行は、物事に愚痴不足を言わず、不自由を行とし、日々よろこんで、お礼の働きをさせて頂くことです。有難い御大祭のご庇礼を共々に蒙らせて頂けますよう、共にご修行に励ませて頂きたいと思います。

★『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』

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2021年04月21日

●慈愛に満ちた祈りの賜物 

19日に教徒会例会が開催され、後藤氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★後藤氏のご主人が28才の時、はしかを患われ、体中が痛くなり眠れない状態が続かれました。仕事もさせて頂ける状態ではなかったため、しばらく仕事を休まれることになさったのです。丁度その時期に、千葉への転勤の辞令と重なったので、教会長先生にお取次ぎ頂かれて会社を退職し、まずは体を治す事に専念されました。しかし、体調がなかなか回復せず、不安な苦しい気持ちで毎日を過ごすようになられました。

★それから、気力・体力が回復するのに約3年を要しました。その間、後藤氏が会社勤めをしながら妻としてご主人を支える役目を果たされました。さらに、実家のお母様がお世話をして下さり、病気の後遺症で寝込んでしまい、食事もまともに摂れなくなっているご主人を、大きな心で引き受けて下さったのです。

★愛情深く、慈愛の心で辛抱強くお世話をして下さったご家族のおかげで、ご主人は回復してゆかれ、教会に参拝なさることが出来られるようになり、日々お届けし、今後のことをお願いして、前向きに努力が出来てゆくようになられたのです。それから、当時の体力にあった無理なく続けられるお仕事をその都度頂かれ、次の再就職の準備期間を頂かれたのでした。その後、平成19年4月に、ご主人は現在今の会社に再就職の大みかげを頂かれました。今では、毎日夜遅くまでお仕事をなさっておられますが、健康の上におかげを頂かれ、会社をほとんど休まれる事もなく、気力・体力ともに充実のおかげを頂いておられます。慈愛の心で支えて下さったお母様は、ご主人の再就職を見届けられて、一年後にお国替えされました。真に有難く勿体ない事です。

★1、惻隠の心…慈愛の心。かわいそうだと思う心。(仁)

2、羞悪の心…己の悪を恥じ憎む心。(義)

3、辞譲の心…辞して譲る心。(礼)

4、是非の心…善悪(是々非々)を判断する心。(智)
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2021年04月20日

●心眼を開く

 昨日は、昭和49年72歳でお国替えされました、松本光治氏の御命日でした。松本氏は、台湾で総督府展に昭和8年より毎年入賞し、昭和11年、12年、13年、17年に文部省展、昭和16年、18年に一水会展で入賞されるという、画家としての華やかな経歴をもっておられました。しかし、36歳の時に突然網膜色素変性症という症状で、両眼の視力をほとんど失われたのです。

★終戦後、帰国して大阪に戻られた時には、歩くのも奥様に手を引いてもらわなければならない状態に絶望し、医師から次第に視力を失うことを告げられた後は、自殺未遂を図るほどに生きる気力を失われたのでした。そうした時に、奥様がお導き頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「今から神様にお願いさせて頂いて、再び筆を持って絵を描かせて頂けるようになりましょう。」と有難いお取次ぎを頂かれて、昭和26年に入信されたのです。

★松本氏は、日々教会に参拝なさり、頂かれたみ教え通りに、一心にお願いが出来るようになられました。すると、暗闇の中に針ほどの視野で見ることが出来る時間を、朝の一分間程ですが、頂けるようになったのです。そのわずかな映像を脳裏に焼き付けて、奥様の献身的な手助けを頂かれながら、手探りで油絵を描くことが出来られたのでした。

★そうして、一水会という芸術展に昭和27年から40年までの14年間、連続で入選されるという大変素晴らしい功績を残され、「盲目の画家」として新聞や雑誌で全国に紹介して頂かれたのでした。更に有難いことには、松本氏は、無償の奉仕で後進の絵画の指導に力を入れられ、若い方の縁談のお世話なども積極的になさったのでした。

★松本氏は、視力(肉眼)は失われましたが、一心に神様におすがりされたことにより、心のおかげを頂かれ、心眼を開くことができられたのです。そうして、神様から頂いた尊い才能を十二分に発揮させて頂くことができられたのです。何事も自分の力でしますと、無理が生じます。また、頑なになってしまいがちです。事の大小を問わず、神様におすがりさせて頂きますと、閉ざされた心が開かれ、神様から尊いものを頂いていることに気付くことができるのです。

★『今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ』

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2021年04月19日

●神様が一番良いようにして下さる 

私には、幼い頃より脱腸の症状がありましたが、大学生の時にご時節を頂いて手術を受けることになりました。

★担当の医師はベテランの医師で安心しておりましたが、いざ執刀して下さったのは、若い研修医の方でした。下半身麻酔でしたので、ベテランの先生が若い執刀医に指示する声、「そこは違うだろ!」とか「そこまでしなくて良い!」等、気にかかる言葉が耳に入ってくるのです。「金光様・・・金光様・・・」と御祈念させて頂いておりましても心配がとれず、緊張は極限に達してしまい、出血多量かと勘違いされるほどに、顔面蒼白になってしまったのでした。

★後に分かったのですが、研修医の先生だったので、全てにおいて丁寧に念入りに処置をして下さり、看護師の方に「あなたはラッキーでしたよ!」と言って頂いた程に、後々まで再発の心配のないような、有難い手術をして頂いたとのことでした。「金光様・・・」と御祈念させて頂いたにもかかわらず、神様に一心にお縋り出来ていなかった、自分の信心の程度を分からせて頂いた出来事でした。

★様々な出来事が起こり、思うようにならなくて困ることはたくさんあります。そのときに、「神様が一番良いようにして下さる!」という信念を持ち続けている人は、「不自由を行」と思えるので有難いですね。物事を苦にせず、人や物を不足に思わず、神様に一心にお縋りし、全てのことを有難く頂いてゆけば、自分が思う以上のおかげが頂けるのです。そのような信心を毎日稽古させて頂きましょう。

★『神があっての氏子、氏子あっての神じゃによって、病気災難をはじめ何事でも、非常と平生とにかかわらず神に願いをかけよ。信心とは、常平生、神の心のようになって信心するのが信心じゃ。手を合わして拝むばかりが信心ではないぞ。』

『一心とは一つの心と書く。二心のうろたえ心を出さないで天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心である。十分なおかげを受けるには一心でなければならない。』
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2021年04月18日

●親と子があいよかけよで頼み合いいたし

 16日には婦人会例会が無事開催され、矢野氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。矢野氏のお母様は小学校に通われる時に、旧広前の門の前で手を合わせて拝まれてから、小学校に登校なさったそうです。どういうご信心なのかも分かっておられませんでしたが、子供ながらに神様に心を向けておられたのでした。そして初めて中に入られた際に、二代教会長先生から「よう参られたなあ、あなたのお家はめぐりの深い深いお家や。明日から体の悪いお母さんを連れて参っておいでや」と声をかけて頂かれたのでした。矢野氏のお母様は幼いながらも、自らみ教えを頂いて、おすがりをさせて頂かれたのです。

★手を合わせて拝んで、お参りをさせて頂く心になられたことが、有難くもったいないことですね。お母様のお家では、ご両親(矢野氏の祖父母)の夫婦喧嘩が絶えなかったそうです。お母様は4姉妹の3番目であられましたが、上のお姉さんが二人とも結核で、次々亡くなられたそうです。さらに矢野氏の祖母は心臓に病を抱えておられた為、体調を崩しておられましたが、お母様がお参りを続けられた結果、体調も段々と回復のおかげを蒙られたのでした。

★辛い苦しい毎日の生活でありましたが、その中からご信心をなさって、成長の上におかげを頂かれ、お見合いにて真面目で実直なご主人と出会われ、それからも有難い信心のお徳を頂かれたのでした。

★「めぐりの深い家」と教えて頂かれましたが、信心をさせて頂くことで一年一年有難くなっていき、年が寄るほど位がつかれたのでした。私達には、過去にさかのぼってご先祖の生活がどうであったかということは、詳細は分かりませんが、分からないながらも、今日一日、今日一日とおすがりをして、おかげを頂いていかねばなりません。お願いをさせて頂いて、良い方へ良い方へ導いて頂けるように日々の信心に基づいた生活をさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★『其方取次で、神も立ち行き、氏子も立ち。氏子あっての神、神あっての氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地(あめつち)のごとし、あいよかけよで頼み合いいたし』

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2021年04月17日

●おかげを頂く元、おかげを落とす因 

あるご信者のお家で、「可哀そうな人だから」と女中さんに雇って頂かれた女性がありました。ところが給料日になると、働き盛りの年頃の息子さんが、母親であるその女中さんの給料をむしり取って行くので、女中さんはいつもお金に困って、難しい顔をされていたのだそうです。かまどでご飯を炊いていた時代の話ですが、この女中さんがご飯を炊かれましたら、必ず焦がしてしまわれるのでした。そして、毎回その「おこげ」をゴミ箱に捨ててしまうので、家の主人であるご信者は「私は、おこげが好きだから、捨てずに残しておいて下さい。」と女中さんに仰いました。しかし、食事の後にゴミ箱を見てみると、そう言ったにも関わらず「おこげ」が捨てられてあったのです。ご信者が再度、同様に女中さんに言われると、今度はゴミ箱には捨てられていませんでしたが、汲み取り式の便所に捨てられてあったということでした。

★この女中さんのご無礼な所業は、このことに留まらず他にも色々とあったのでしょう。二代教会長伊藤コウ師は、そのご信者に「女中さんに辞めてもらいなさい。何回言っても理解が出来ず、改まりが出来ない方を家に置いておくと、あなたの家が立ち行かないようになります。使用人のご無礼は主人のご無礼になります。こんなご無礼を繰り返していては、あなたの家のめぐりとなります。」とお話しになりました。コウ師がここまでおっしゃるのは、他にあまり例を見ず、余程のことです。何事にもおかげを頂く元があり、またおかげを落とす因があります。与えて頂いているものを粗末にして、毎日めぐりを積み重ねて、自ら不幸の因を作ってしまい、さらには周囲が助からない因を作ってしまっていては立ち行きません。「どうぞ家老としての使命を全うさせて下さい。家の中のあらゆることは私の責任です。家老としての徳と力を頂き、大きなお役目を果たすことが出来ますように。」と願い、おかげを頂く方へ舵取りをさせて頂きましょう。

★二代金光四神様は、『世の中に徳切れということがある。その徳切れが一番恐ろしいものじゃ。ちょっと見は立派な顔をして、髭の一つも生やしている旦那さまで、牢の中で赤い着物を着て苦悶している者がある。これは徳切れのために、めぐりが出てきて、白いものが黒う見え、黒いものが白う見え、悪いことが面白うなったのじゃ。信心も広大なおかげを受けた時は、これまでの信心の徳によって助かったのであるから、それからは、また改めて一心に信心させていただいて、徳を積んでおかぬと、後の大難が来たとき助からぬわい。』とみ教えなされたのでした。
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2021年04月16日

●神様の御心を悟らせて頂く

 私達は、夫々に神様から頂いているお役目があります。そのお役目をしっかりと自覚させて頂きましたら、神様から自身に与えて頂いているご修行を有難くさせて頂ける、おかげを頂いてゆけます。そこで、私たちが、常平生心掛けていかねばならないことは、「どんな時でも、またどのようなことでも、心から喜んで神様に御礼を申すこと」の稽古です。そのためには、神様が自分自身にどの様な願いを掛けて頂いて、どの様に思し召し下さっておられるのかを分からせて頂くことです。そのように、神様のお心が分からせて頂くことが出来ましたら、氏子の願いは神様にさっと通じてゆくのです。

★初代教会長・伊藤徳次師の十日祭の当日、旧広前のご建築の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられるということがありました。その時に、奥様であられる伊藤コウ師は[「私がお金を出してあげましょう。私がお世話をさせて頂きましょう。」と温かい手を差し伸べて下さる方がありましたら、その言葉に甘えますと、自分自身を弱くしています。「我が袖に 涙の露のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる」という言葉があるように、悲しいことが起こってきた時や、不幸のどん底に陥った時には、本当に自分のことを思って下さる人の心が分からせて頂くのです。実は、その時こそ神様のお心が分かる時なのです。それが今なのです。今こそ神様が「神に縋れよ。人に縋るなよ」と仰っておられるのです。これからは神様がお喜び下さるように進ませて頂きます。]と、神様の御心を悟られたのです。

★それからコウ師は、手のひら返したように離れて行った人に対して、御礼が申せるようになられたのです。そして、恨まず憎まず、どこまでも神様を目当てにさせて頂かれ、「どうぞ、その人々も助かられますように・・・」とお願いなさったことにより、後々が結構なおかげを受けられて、翌年の11月11日には、旧広前の新築落成奉告祭を、無事お仕えになられることが出来られたのでした。

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2021年04月15日

●自然(じねん)の行

当時、学校に勤めさせて頂いていた23才頃のことです。

★私が片側一車線の道を運転中に、渋滞して全く動かなくなり停滞しておりました。すると、反対車線の車が私の車だけに接触し、車体の右前から後まで側面を擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、免許や車検証の控えを取って名刺を頂き帰宅させて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいますので、私は「相手のお方が加害者で、全額弁償するとのことです。」と申し上げると、重ねて「あなたが支払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。「はい、そのようにさせて頂きます。」とすぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。考えてみれば、居眠り運転ですから、車の列のどこへ当たっても仕方のない状態の中、たまたま私の車に当たったという事は、神様からお気付けを頂いたという事です。

★そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂き、私は日々の生活を改めさせて頂く良い機会を神様から頂いたのだと思い、車を修理に出させて頂いた事でした。後に私は何度も、命のないところを危険から逃れさせて頂いて、助けて頂いたのです。

★「自然(じねん)の行」という言葉がありますが、自ら断食をしたり、水垢離をとったりする修行ではなく、文字通り、自然に起きてくることが、神様がさせなさる御修行なのです。自分自身に、至らないところがまだ多くありますから、神様が出来事を通して改まる点を気付かせて下さるのです。改まりに気付くという事がおかげですね。ですから、起きてきたことに心を乱すことなく、自分の為すべきご修行として、有り難く取り組ませて頂いて、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★近藤藤守師が、山に入って修行したいことをお届けされ、『なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります』と申し上げられますと、教祖様は、近藤藤守師に『それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。』 と仰せになられたということです。
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2021年04月14日

●受け物を大きくさせて頂く

『天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ』

★神様は天地の間に住む人間は神の氏子と仰って下さり、全ての人が助かることを願って下さっています。そして皆に平等におかげを授けて下さっているのですから、受け物の大きい人は、それだけ多くおかげを受けさせて頂くことが出来るということになります。受け物の小さい人が、多くのものを入れてほしいと思っても多くは入りません。ですから、大きな受け物にならせて頂けるように、お願いをさせて頂くことを教えて頂いているわけです。

★『神様のお徳を身いっぱいに受けさせて頂けるように、この身この心を神に向けて信心せよ』と仰って頂いております。有難いことに、神様に心が向かわせて頂いております時はご信心になっておりますが、反対に人や出来事に心が向かいますと、ご信心になっていないということです。それは、つい自分中心に物事を考えてしまうということですね。自分中心に考え、我情我欲が先に立ってしまっているような状態でありましたら、神様のお徳は十分に頂くことは出来得ません。

★毎日の生活の中で、み教えを常平生から頂く稽古をさせて頂いておりますが、どのように実践させて頂くかということが大切です。み教えを頂きながらも、なかなか実践が出来ていないということが多くあります。それは稽古が足りないのです。何事も反復練習をさせて頂くことが、上達する元となり、私達の毎日の生活は、小さい頃からの反復練習の賜物です。神様が感心なさるくらいに、根気強く練習させて頂けばよろしいのですが、なかなかそういうことにはなっていませんね。見直しをさせて頂きますと、もっともっと稽古をしていかなければならない部分があるはずです。生涯かけて、その稽古をさせて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

★『何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ』

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2021年04月13日

●おかげの受け物を作る謙虚な姿勢

 以前、金光英子先生からお聴きしたご内容ですが、金光図書館が合言葉とされていることに、【3つのことは言いません】というものがあられるそうです。その3つとは「ありません」「出来ません」「知りません・分かりません」のことだそうです。その3つを言わないように心掛けておられるということです。

★利用者の方が探している資料が、金光図書館にない時には、「ありません」と言わずに、「お探ししましょう。作りましょう。」と提案されるそうです。例えば、視覚障害のある方が求めておられる本に、点字のものがない時には、「作りましょう」ということで、時間や手間を惜しまずに、点字の本を作るよう努力なさるそうです。また、「出来ません」と言わずに「ここまではさせて頂きます。あとはどうすればよろしいでしょうか?」と尋ねられるということです。

また、図書館の職員の方々がご存知ない資料に関しての質問には、「知りません、分かりません」と言わずに、「教えて下さい。聞かせてください。」とお伺いなさり、少しでも利用者の方のお役に立つことを願われ、さらに幅広くお役に立たれるためのきっかけとなさっておられるそうです。実に謙虚であられ、信心のお手本とさせて頂きたい有難いご内容を聴かせて頂いたことでした。

★5月11日の御大祭に向けて、一層心を込めて日参と聴教に励ませて頂き、また、御礼の御用にお使い頂きまして、神様のおかげを十分に頂く妨げとなってしまう、我情我欲、不成心をお取り払い頂いて、心と体におかげの受け物をしっかり作らせて頂きたいと思います。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように、人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心我が身に汚れないように心と体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』 
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2021年04月12日

●受けたおかげを忘れず・・・

 荻原須喜師は、20才の頃に2年間血の道の病にて、病床に呻吟しておられました。

★ご主人の豊松さんが参詣され、日本国中のあらゆる神仏を拝んできたことをお話しになりますと、教祖様は、『それは、あまりの信心である。』と仰せになられたのです。そして、『巳の年(豊松)、昔から神信心しておかげを受けるのには、一心ということを言おうがな。一心に信心すりゃ、おかげが受けられるのじゃ。(中略)たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。(中略)神信心もこの一心というものを出すと、すぐおかげをいただける。(中略)どこでもよいから一心に信心せよと言うのであるぞ』と仰せになりました。

★更に、まだ一度もお会いになったことのない須喜さんに対して『丑の年(荻原須喜)はまことに執念な者で、常に不足ばかり並べておるが、不足にはおかげはない。(中略)それじゃから、病気もしておるのじゃ。ようもならぬのじゃ。(中略)なるほど私は悪かったということが腹の底から得心がいったら、家内中相談のうえで好きな所へ信心せよ。きっとおかげが受けられるからのう。もし丑の年(荻原須喜)にその得心がいって、相談のうえで、ここでおかげを受けるということなら、もう一ぺん参りなさい』と家族で相談して、おすがりするところを「この神様」と決めて、一心に信心するよう、み教え下さったのでした。そして、須喜師が日頃不足ばかり言っていたことを、「ああも言ったであろう」「こうも言ったであろう」と、何十となく言い表され、不足心とわがままから病気になっていることと、不足心を取り除くように教えて下さったのでした。

★早速、豊松さんは帰ってから、須喜師の枕元で一部始終を話されました。すると、須喜師は「わたしはわがままで、不平不足より他にありませんでした。改心せんでどうしましょうか・・・」と改まりが決意できられ、金光様の元で信心して、おかげを頂くことを決心されました。再び豊松さんが参詣されますと、金光様より「三週間を楽しみにおかげを頂くように」とみ教えを下さいました。そこで、日夜ご信心を進められますと、16日目に初めて枕から頭が上がり、21日目には2年前と変わらない壮健な身体になられたのでした。

★そして、15qの道を歩いて参拝が出来、御礼を涙ながらに申し上げた時に、金光様から『今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。ここからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ』とみ教えを頂かれたのでした。それから、須喜師はお道の御用に立たれ、難儀な方々をお導きなさっていかれたのです。

★私達は日々み教えを頂いて改まり、おかげを頂きましたら、その有難いことを忘れないで、次々と周囲の人々が助かっていくように、親切丁寧にお導きさせて頂き、真の信心に進んで頂く方々が増えていかれる事が、神様への一番の御礼になるのですね。

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2021年04月11日

●霊様の働きは永遠である

三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのです。桂岡正三氏は同じように訓練を受け、満州・中支へと戦場に出征なさった後、フィリピン・パターン半島で戦死なさったのでした。それ以降、三代教会長先生は、その方のお墓も常に拝んでおられたのでした。

★すると、ある日突然、その方のご遺族から教会に「伊藤良三先生に祭主におつき頂いて、墓前で50年祭を仕えて頂けますでしょうか?」とお電話があったのです。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが霊様に届き、霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。それから、お祭りをお仕え頂かれ、阿倍野教会の霊舎にもお鎮まりになっておられるのです。

★霊様の働きは、生き死にを通して永遠に続くものです。亡くなられた霊様も、「天地の間に生き生きと働かせて頂きたい…」と願っておられるのです。そうした霊様方が次々と助かり、おかげを頂かれる道を歩まれるようにお願いさせて頂けるのが、このお道のご信心です。自分のことよりも先に、悩み苦しんでおられる霊様の助かりを願わせて頂くのです。生き死にを通して、天地の親神様の御神徳を蒙らせて頂くことが出来る世界を、金光様は開いて下さったのです。また、現在、生かして頂いている私達も助かることが出来るということは、実に有難いことです。

★『先の世までも持ってゆかれ子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』
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2021年04月10日

●真の種を蒔く

 伊藤ハル刀自が、群馬県まで大正11年当時にお話しに行かれたことを、蒲田氏から詳しく聞かせて頂きましたが、蒲田家も群馬県や栃木県からも御大祭の折には阿倍野教会まで参拝され、真心からご信心を進められました。

★阿倍野教会では、ご信者がお宅祭をお仕えなさる時には、ご信者と事前から打ち合わせ等をさせて頂き、準備をさせて頂きます。特に、ご信者が初めてお宅祭をお仕えなさる時には、初代教会長先生のご時代から準備に出向かれ、御神前のお掃除、お供え物のしつらえ等も一緒にさせて頂かれました。その様にさせて頂いておりますと、段々と、ご信者だけでお祭の準備が行き届いてさせて頂けるようになられ、より一層真心のこもった、有難いお宅祭をお仕え出来るようになっていかれます。

★遠方に転宅なさったご信者のお宅へでも、教会から車で、あるいは、必要であれば新幹線や飛行機を利用して出向かせて頂き、お宅祭をお仕えさせて頂きます。二代教会長先生・三代教会長先生も、そのように遠方のご信者のお宅へ出向かれ、家族親族・お導きの方々と共にお宅祭をお仕えになられました。そのような有難い歴史の中で、ご信者の方々が真心を込めてお礼参りをさせて頂かれ、御大祭を初めとする御祭典にも、全国遠方各地からも真心込めて参拝なさっておられますことは、真に有難いことと思わせて頂きます。

★今日のコロナ禍では、人と人との接触を出来るだけ少なくし、一刻も早く感染が収束することを皆が願い、それぞれの所で日々取り組んでおられることと思います。そうした中で、どのようにして神様に対して、あるいは人に対して、真心を向けさせて頂き、真心を現わしていくかが、良い関係を築く上でとても大切になってくると思います。

★5月11日にお仕えさせて頂く天地金乃神様の御大祭に向けて、それぞれに御礼の真心を神様に向けさせて頂いて、有難い御大祭のご庇礼を蒙らますよう願わせて頂いております。『世に一粒万倍ということがあるが、その一粒万倍は、蒔いて生ずるのか、蒔かずに生ずるのか。蒔かずに生えたものには確かなものはない。また、種を蒔かずに収穫のできることはない。信心も真という種を蒔けば、神さまから万倍にして戻してくださる。』(金光四神様のみ教え)

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2021年04月09日

●常平生から手厚く信心をする

昨日は、みかげ会例会が開催され、蒲田氏より大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★お祖父様が、神戸で貿易商をしておられましたが、倒産し阿倍野区吉野通りへ引っ越してこられました。そこで、お祖父様とお祖母様とお母様が、伊藤ハル刀自(伊藤コウ師の御母堂)からお導きをして頂かれたのが、蒲田家の入信の始まりです。大正11年頃、伊藤ハル刀自とお祖母様が、お祖父様の実家である群馬県太田市へ行かれ、近所の人に集まって頂いて、伊藤ハル刀自が金光教のお話をなさりました。その場所が全性寺というお寺の本堂であったということでした。群馬県太田市へ行かれるだけでも、片道一日以上はかかる程の遠方であったにも関わらず、お話にいかれたということからも、お道の有難さを伝えて頂こうとなさるその熱意の程が分からせて頂きます。

★妹さんが三歳の時、お母様が近所の人に田植えを頼まれて手伝いに行かれ、蒲田氏と妹さんは、お母様が仕事をされている近くの小川の橋の上で遊んでおられました。お母様が休憩中にその橋に来られたときに、妹さんがバランスを崩され、増水した川の中に転落してしまわれたのです。それを見られたお母様が、すかさず「金光様!」と叫ばれ、川の中に飛び込んで行かれたところ、ちょうど妹さんの首が右手に触り、掴んで引き上げ、無事に助けることが出来られたのでした。お母様はよく、[何をするにも「金光様」と言ってしなさい]と子供達に教えられていたということです。後にお母様は、近所の人に金光教の信心の有難さを話されるようになられたそうです。

★信心の始めである、お祖父様、お祖母様、お母様の熱心な信心を受け継がれ、ご家族中が有難いおかげを頂き続けておられます。私達も信心に励み、めぐりをお取り払い頂き、お徳を積む生き方をさせて頂いて、結構に子孫が続いておかげを頂いていくように願わせて頂きたいと思います。

★『病気災難があったからと言うて、にわかに信心を始めるよりは、常平生から手厚く信心をしておれ。手厚い信者であれば神から心配してやる。いかに大病とか九死とかいう病難でも峠をこえさせて全快させてやる。とかく信心の地を肥やしておけよ。』
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2021年04月08日

●御大祭を機に改まったご信心を

 昨日は、御本部の天地金乃神大祭に、二名が代表参拝させて頂きました。御大祭は、各家庭が入信の以前から入信の後、そして今日まで、どのようにおかげを頂いてきたかを振り返らせて頂いて、お礼を申させて頂く大切なご祭典です。

★私達は、初心を忘れていないでしょうか?初心とは素直さ・謙虚さ・熱烈さ・純真さ等々、そうした大切なものです。穢れや混じりのない無垢な心というのは、なかなか保ち難いものですね。「お礼の心に満ち満ちて」「喜びに満ち満ちて」という言い方をさせて頂きますが、一瞬はそのようになれても、その後すぐに心が変わってしまうことはよくあります。常に変わらないように、心のおかげを頂いていくことは、簡単ではありません。「有難いの一心」にならせて頂けるよう、毎日が和らぎ喜ぶ心にならせて頂けるよう、稽古を続けさせて頂くことが、私達の日々のご修行です。

★健康な状態にならせて頂くには、そのおかげを頂く基がありますね。お礼を申すべきところに、お礼が申せていないという生活を改めることで、おかげを頂く生活になっていきます。結構な生活が続かないということは、どこかに積もり積もったご無礼があるはずです。それが体に現れて、仕事に現れて、生活に現れるのです。これまでのお礼をしっかりと申し上げることが出来るように、良い機会を神様が与えて下さっているのです。その機会を与えて頂いていることを喜んで「考え直しをし、改まる機会を与えて頂いて有難うございます」とお礼を申し上げる心にならせて頂くと、次の段階へ進ませて頂けます。改まりが出来ていくからこそ、一段一段信心が向上していくのです。

★福田美亮師がみ教え下さっていますように、御大祭を機に、自身の生活が不足がちになっていないだろうか?と自分自身に問いかけ、自分の過ちに気が付かせて頂いて「こんなことでは相済まん。申し訳ございません」と心を改めることが改まりの信心です。目の前に神様から突き付けて頂いている信心の課題は「おかげにさせて頂けよ」と与えて頂いているのですから、改まった心持ちでご信心をさせて頂きましたら、改まったおかげが頂けるのです。

★御大祭を機に、一層改まっておかげを蒙らせて頂こうという心が、有難い御比礼を頂いていく元になっていくのです。

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2021年04月07日

●疑う心を取り除く

あるご信者が、会社に入社して5年の御礼の宅祭を、お仕えになられたことがありました。家族中が終始涙を流しておられたのは「ありがた涙」でした。

★なぜなら、アルコール依存症で働くことも出来ず、入退院を繰り返しておられたご主人が、神様にお縋りして依存症全快のおかげを頂かれたからです。

★ご主人は、伊藤コウ師より『あなたは、一番給料の低く、また、家から遠い所へお勤めに行きなさい。』とみ教えを頂かれました。お酒を好きなだけ飲むためのお金と時間がないように、環境を整えることを教えて下さったのです。それから、「今日も一日、しっかりと働かせて頂けますように!今までのご無礼はお許し下さい。酒一滴も口にせず、どんな誘惑にも打ち克つことが出来ますように!」とお願いして一日が始まり、「今日も一日、しっかりと働かせて頂きました。有難うございました。」と御礼を申して帰られる生活が始まりました。お酒を飲むと、数日でも家に帰って来なかったご主人が、本気で変わるようお願いなさり、朝早く朝食を終えられて、朝参りしてから直接会社へ出勤され、帰りに教会へ参拝なさってから、自宅へ帰られる。寄り道もしないように毎日の生活が変わられたのです。そして仕事において異例の出世のおかげを頂いてゆかれたのでした。面倒な事や利益の薄いこと、人の嫌がることような難しい仕事を、自分が進んでさせて頂きますと、そのご修行により自身を鍛え頂き、変わらせて頂くおかげが頂けるのですね。

★お広前は、有り難いご神徳に満ち満ちており、日々心を改め磨いてゆくことを願わせて頂き、参拝させて頂きますと、結構に心を浄化して頂けます。私たちは生まれてくる時に、神様から尊い御分霊を授けて頂いておりますが、油断しておりますと、それを覆い隠すように不成心が沸き起こってくるのです。

★それは、次のようなことです。
○貪(欲深く自分に取り込もうとする心。)
○瞋(怒りは自分の身も心も、周囲の人の身も心も害してしまう。)
○痴(非理性的なこと。愚痴不足を言うこと)
○慢(横着、気まま我がまま)
○疑(疑いの心)
心のご修行とは、わが心を汚す諸々のことを一つ一つ取り除かせて頂くことです。

★『世の中で疑いが一番悪い。神に任して、一心に信心をせよ。任したうえは、神がよきようにしてやるのぞ。疑いを放れるの一つで、おかげをいただくのである』

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2021年04月06日

●ものの命をどこまでも大切に

 私が高校生の頃、三代教会長先生より「この革靴は、ご信者さんが真心込めてお供えなさったものですから使わせて頂きなさい。私には小さいので履けないから、あなたが履かせて頂きなさい。」と仰って頂きました。

★そこで、早速その靴を履かせて頂きますと、私には随分大きいもので、指を何本か入れてもまだ余る状態でした。三代教会長先生に「これは私には大きいのですが・・・」と申しますと、「大きいなら履けるでしょう。靴の先に脱脂綿を詰めて履かせて頂きなさい。私も中学生の時にそのようにしたから・・・。」と仰って頂きました。仰る通り脱脂綿を入れさせて頂いたのですが、靴を脱ぐ度にその脱脂綿が靴下に付いてどうしようもありません。そこで、何とか工夫してその靴を履かせて頂けるよう、中敷きをいくつか敷いて履かせて頂きました。

★何年も履かせて頂いているうちに、靴の底がすり減ったり、革が破れかけたりしたのですが、その度に当時晴明通りにあった靴の修理屋さんに持って行き、何度も修理して頂きました。その修理屋の方が「これだけ修理されるなら、新しいものに買い替えられたらどうですか。」と言われるほどに長く大切に履かせて頂きました。高校生から履かせて頂いて、大学生・社会人と、大切に履かせて頂くことが出来たのでした。そのことで分相応を教えて頂き、無駄のないようにさせて頂くことが、心豊かな生活をさせて頂く元である事を教えて頂いたのでした。

★全てのものには命があります。物を大切にさせて頂くということは、その物の命を大切にすることであり、その物に関わる人の働き、思いを大切にするということにもつながります。そのような生き方が身に付かせて頂きますと、心が豊かになることは勿論のこと、神徳人徳を頂いて、物質的にも豊かなおかげを頂くことにつながるのです。

★『昔から、あの人は正直者じゃ、神仏のような人じゃという者でも、だんだん不幸なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろうが。人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物ぞ。』

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2021年04月05日

●神様にお喜び下さる願いを立てる

阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。ご近所のある方が初めて参拝された時、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長コウ師がお留守で、お広前にはコウ師のご母堂であるハル氏が座っておられました。その方は「この神様は、何でも願えば聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして、体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか死にません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」と話されたのでした。

★ハル氏は[この金光様のご信心は、そのようなお願いは致しません。お断り致します。「どうぞ、生かして下さい」というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。よく考えてみなさい。今、あなたは死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。それは、生命を与えて下さり、生かして下さろうとなさる天地金乃神様の御心です。「どうあっても生かしてやりたい」と思って下さる神様に対して、「死なせて下さい」というお願いは親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。]とご教導なさったのです。

★それを聞かれたその方は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、[私は考え違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。「どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように」というお願いでしたら聞いて頂けますか?]とお尋ねになりました。ハル氏は「喜んでさせて頂きましょう。3日間の日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。

★すると、居候の病人のお方は、3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところが、おこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして色々と食物を頂けるようにまで回復され、後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。お世話なさった方も、熱心に信心されるようになられ、正しいお願いがさせて頂かれるようになられたのでした。

★後に、コウ師は「私たちの教導が至らないために、ご布教がまだまだ行き届いていない時には、こんな間違えたお願いをする人がご近所におられました。これは、私たちの教導が至らない、そしてお導きが足りない結果です。もっと早くこのお道が伝わり、ご近所の方々が正しいお願いをされ、正しく信心をされて地域・社会が助かり、立ち行かれますように御用させて頂きたいと思わせて頂きます。」と仰せになり、願われたのです。神様にお喜び下さる願いを立てさせて頂き、神様のお心に適う生き方をさせて頂ける方が、次々と増えてゆかれますように、お導きの御用にお使い頂きましょう。
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2021年04月04日

●信心の日を絶やさぬように次々と伝えてゆく

『水は方円の器に従い、人は善悪の友によるというが、家庭は器のようなものである。水は円い物に入れれば円に見え、角の物に入れれば角に見える。家内中が真の心を持ち、神様の氏子をお預かりしておるという尊き心持ちで家業を潔く働き、親兄弟に親切をして信心に油断なく、教育に油断がなければ、先祖へご無礼なく、国家繁盛のもととなるから、日々家業を働く心と真心とを失わぬよう、今月今日で信心するがよろしい』

★2日には、月例祭に併せて勧学祭を無事仕えさせて頂きました。私達は微力でありますから、一人で何が出来るというわけではありません。しかし一人一人が願いをもって取り組ませて頂くことによって、世の中全体に波及していって、良い方へ変えていく大きな力にしていくことは出来るのです。私達は世の中を良い方へ変えていく大きな働きが出来るのです。

★微力ではありますが、無力ではありません。微力は有力であり、集まりましたら大きな力となっていきます。これから未来の社会を担って行かれる方々が、どのように興味を持って勉強され、さらに求めて研究をなさり、どのように世の中のお役に立たせて頂かれるかを楽しみにお願いさせて頂きたいと思います。世の中が良い方へ変わっていきますようにと、同じ方向へ願わせて頂く方々が増えていきましたら、どれ程有難いことであるかと思わせて頂きました。

★人は育つ環境や、周囲の方々によって、影響を受けて人格が形成されます。私達がご信心を基にして、自分自身を育てさせて頂き、それに続く人を育てさせて頂くことが大切なことです。人が育つということは力を必要としますし、時間がかかります。そこに、一所懸命注力していかなければ、簡単に人は育ちません。その為には、まず自分自身が改まって、おかげを頂いてゆかねばなりませんね。

★家内中が揃って、良い方向へと進ませて頂く努力を惜しまずに、たゆむことなく続けさせて頂きましたら、有難い未来が開けていくのです。良い方向へ導いていくように、信心の火を絶やさないように、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2021年04月03日

●『出来てくること皆おかげ』

昨日は、月例祭に併せて令和三年の勧学祭を、無事にお仕え申し上げることが出来ましたことは、真に有難いことでございました。児童・学生の方々の進学進級の御礼と、新年度も心身共に健康で、信心を基にした勉強と御用に励ませて頂いて、神徳・人徳・学徳が蒙れますように、共々にお願いをさせて頂いたことでした。

★二代教会長伊藤コウ師のお母様・ハル氏は、コウ師に師範学校へ入ってもらいたいと、強い願いを込めておられました。しかし、コウ師は、「どうあっても女学校へ入りたい!」と思われ、ハル氏のお言葉を振り切り、清水谷高等女学校へ受験の願書を提出されました。受験当日、コウ師は試験会場の門前で、受験票を忘れて来たことに気付かれ、急いで帰って受験票を持って引き返されました。しかし、数学の時間は余すところ僅かとなっており、満足な解答が出来ず、不合格となられたのでした。

★そのことについてハル氏は、「おかげや!おかげや!」とずっと仰っておられたのでした。出来てきたことは神様のお繰合せであり、ハル氏の受け取られ方は、ただ「有難いの一心」であられたのです。 翌年、コウ師は師範学校を受験され合格されました。そしてコウ師は、四年間一日の欠席もなく、優秀な成績で卒業されたのでした。コウ師はハル氏やお姉さん達から、信心をもって、どのような結果も有難く受け切ることを実践しておられる姿を見せて頂かれ、「出来てくる事は皆おかげである」という深い意味を教えて頂かれたのです。

★伊藤コウ師は、「にわとりが大地に餌を探してついばむように、喜ぶことを探して、小さいことでもしっかりと御礼を申させて頂く稽古をさせて頂きましょう」と常にみ教え下さいました。明るい心で、先を楽しみにお願いをさせて頂くことが、ご信心の上で大切です。また、思い分けの出来る賢さを身に付けることも必要です。

★出来てきたことを、おかげにさせて頂ける人間にならせて頂けます様、普段から求めて、有難い部分を見る稽古をし、喜び上手な生き方に努めさせて頂きましょう。
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2021年04月02日

●天地日月の心になること肝要なり

『金光様は喜びの道を開いてくだされたのじゃから、それをご信心申す者が、喜ばぬつらい顔をして日を過ごしてはならぬ。天地の親神様をご信心するのじゃもの、天地のような広い心にならねばならぬ。』

★教祖様は、『天地日月の心になること肝要なり』と、み教え下さっておられます。お土地は全てのものを受け入れて下さいます。汚いものでも分解して肥やしにして下さいます。大きく受け止めて下さる包容力があり、寛容であられます。日のお照らし、月の光は明るく皆に平等に降り注いで下さいます。どんな人に対してでも、神心を表に出させて頂く明るさを持ち、天地のような広く大きい心になることを願うように教えて頂いております。

★日月と書きますが、日と月の漢字を合わせますと、「明るい」という字になります。明るい心で先を見通せるように、また思い分けのできる賢さを身に付けさせて頂きますように、ということも教えて下さっているのです。人を受け入れ、足りないところを足せるようになるには、それだけ心が広くなくては出来ることではありません。

1)明き・・・先を楽しみに、明るい心で、思い分けの出来る賢さを持ち、起きてきた事をおかげにさせて頂く。
2)清き・・・悪いことを思わず、言わず、人を不足に思わず、人のことを祈ることが出来るよう、常に心を清く保ち、神心を養う。
3)直き・・・素直にみ教えを頂き、真に有難く思い、自ら進んで実践を心掛ける。

★信心にも成長段階があります。初めは赤ん坊の信心から始まり、小学、中学、高校、大学の信心を経て、一人前の真の信心へと、進ませて頂けるように、日々信心の稽古をさせて頂きましょう。どこまでも神様に対して正直に、自分自身をみ教えの鏡に照らし合わせ、改まりの生活をさせて頂きましょう。

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2021年04月01日

●「世の中にこんな方がおられるだろうか」

先月の30日に陶山氏の告別式をお仕え申し上げました。

昭和7年7才頃から親とともに参拝なさって日参と聴教に励まれ、御用に心を配られた陶山氏でしたが、3月28日に94歳7ヶ月で天寿を全うされました。

★2月13日には、医師から「危篤状態で看取りの状態に入ります。余命は1週間です。」とご家族に告げられましたが、それから6週間のお命を延ばして頂かれたのです。その間、点滴も出来られない状態でしたが、お水が頂けるようになり、ゼリーが頂けるようになって、さらには御神酒を毎日一口ずつ頂けるようになられたのでした。

誤嚥性肺炎を起こされることなく、一日一日お命を頂いて来られました。ご家族は毎日、陶山氏が入所されていた施設にお見舞いに行かれ、一生懸命神様にお縋りなさって、一日一日を陶山氏と共に大切になさって来られたのです。

★陶山氏は最期まで意識があり、会話も出来る状態であられたとのことですが、「痛い」「辛い」「苦しい」等の言葉は口に出されることなく、とにかく「嬉しい」「有難い」「有難うございます」としか仰らなかったそうです。

そのお姿に、施設の職員さんをはじめ、お医者さんや看護師さんは感心なさって、「世の中にこんな方がおられるんですねえ...」「私達もお世話をさせて頂いて、良い勉強をさせて頂きました。」と口を揃えて仰っていたということです。

お命を長らえて頂いているという有難さ、また、喜びに満ちておられるお姿、そして、ご家族が愛情深くお世話をなさっているお姿、家中がご信心をさせて頂いてお徳の積み重ねにより、このようなおかげを頂いてこられた陶山氏をご覧になって、「世の中にこんな方がおられるんですねえ...」「私達も良い勉強をさせて頂きました。」と感じられたことと思います。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。神は曲がりも折れも死にもなさらんからのう。』


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