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2021年03月31日

●願いをもって改まる

 在籍教師となられた加川一夫氏が、教会へお引き寄せ頂かれるようになった戦後のこと、世の中は荒れており、下駄を盗まれるという事が頻繁にあった頃です。教会へ参拝された際に加川氏も、何度か下駄の盗難に遭われました。初めは、「おかげを頂こうと思って教会にお参りしているのに、なぜ下駄が盗まれるのだろう?」と不足に思っておられたそうです。しかし、段々とみ教えを頂いていかれるうちに、「自分には新しい下駄をはく資格がない。分不相応なのだ」と悟られたのです。そして「神様からお許しがあるまでは、新しい下駄をはかない」とご修行を決め、何と自分の手作りの下駄を履くようになさったのでした。

★さらには、禁酒のご修行、禁煙のご修行と、自ら決めて神様にお願いしながら、ご修行をなさってゆかれました。遊びも一切やめるように決められ、分相応の生活に改まってゆかれますと、次第に家庭が円満になり、家の中も整ってゆくようになられたのです。ある時、妹さんが来られて、「これをお家の御神殿にお供えして下さい」と包装がしてある箱を持って来られました。それを御神殿にお供えされ、お下げされて中を開けられますと、そこには何と新しい下駄が入っていたのでした。「長い間自作の下駄を履かせて頂いていたが、こうして有難いことに神様からお許しが頂けるようになったんだなあ」と思われたそうです。そのようなおかげを頂かれた後も、手作りの下駄を履かれ、さらに加川氏は徳積みのご修行を続けられました。そして、改まっておかげを頂いてゆかれるご様子を、姉妹も近所の方々も見ておられ、お道の信心の有難いことが伝わってゆき、加川氏のお宅祭に近所の方々がお参りになられて、有難いお導きのおかげを頂かれたのでした。

★『神から金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話しにしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。』

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2021年03月30日

●神様に心を向けるということ

以前、小学校の教師をなさっているご信者が、次年度の担任決めの話し合いの時に、1クラスだけやんちゃな子が集まったクラスがあり、なかなか担任が決まらなかったそうです。そこで次回の話し合いの際に、受け持ちたい希望のクラスを紙に書いて提出するということに決まったそうです。ご信者は「どのように書いて提出させて頂けば良いか三代教会長先生にお伺いをしたいのですが・・・」とお届けに来られました。

★三代教会長先生にお伺いに上がりますと、ご信者の意向をお聞きになりました。ご本人は小さい頃からお教会で【自分が難しいことを引き受けさせて頂いて、責任をもってさせて頂くことをご修行とさせて頂きましょう】と教えて頂いておられますから「一番難しいクラスを受け持たせて頂くつもりですが、み教えを頂いた通りにさせて頂きますので、よろしくお願い致します」と仰っていたことを伝えさせて頂きました。

★三代教会長先生は「希望のクラスを書かずに、白紙で出させて頂きなさい。最終的に学年主任の先生に一任して、仰って頂いたクラスを受け持たせて頂きます、という気にならせて頂きなさい。そうしたら、何か問題が起こった時に【あの時に他の希望者がなかったので、自分が引き受けざるを得なかったから・・・】【難しい方を選びなさいと、み教えを頂いてきたから・・・】という気が起こってこない。神様が自分自身に与えて下さった、一番有難い御用であるというように、心の底から思わせて頂けば、問題が起きた時に【神様が、この出来事を通して、成長しなさいと仰って下さっている】と捉えさせて頂くことが出来るでしょう。神様の仰せ通りにさせて頂いて、一切不足の出ないようにさせて頂きます、という生き方をさせて頂いたらどうでしょうか」とみ教え下さったのでした。

★白紙で出された結果、一番難しいクラスを受け持つことに決まり、色々な問題が起こってきたそうです。しかし、責任を転嫁するようなことは一切思わずに、神様から与えて頂いたクラス・生徒、その成長を願わせて頂いて、自分自身がそのお役に立たせて頂けますように、とお願いしていかれたので、学年の終わりには「結構なみ教えを頂きまして、一切不足を思わずに有難いおかげを頂きました」と御礼届けをなさったのでした。

★人間の心というのは、どちらへ向かうかで、受け取り方が全く違いますね。神様に心を向けることで人に責任転嫁したり、不足が起こらずに済んだのです。み教えを頂く有難さがよく分からせて頂けますね。

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2021年03月29日

●神様と共に信心辛抱

 二代金光四神様はお隠れになる二日前、ご家族にご遺言を残されました。四神様のご遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)は数え年14才というご年令で、御結界の御用を継がれることになられ、高等小学校をおやめになって、お結界で奉仕をなされたのです。明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されました。

★三代金光様は、昭和11年に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。『天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって、早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が、座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。初めのうちは、辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事も、いつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事であります』と仰せになられたのです。

★佐藤一徳先生はご本の中で次のように記して下さっています。「三代金光様は、初めは辛い思いをなさっておられましたが、段々と有難いお心になられたのは、神様の思し召しと受け切られ、神様におすがりさせて頂かれて信心辛抱をなさったからです。ただご自身の決心や覚悟だけでなさった辛抱でしたら、『有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りない』お心にはなられなかったことでしょう。そこに親様のお祈りがあられ、ひたむきに神様にお縋りなさった三代金光様は、神様と共にさせて頂かれた70年間の御修行をもって、神様・親様に向かわれる姿勢を私達に表わして下さり、良きお手本を示して下されたのです。」

★信心辛抱というのは、自分の力みや強がりの辛抱では、続くことも出来ず、成就することもできないのです。「自分がする」という心がありますと、「出来るからする」とか、「出来ないからしない」とかという考えが生まれてしまうのです。また、「とても私にはできない。」「こんなこと最初から無理に決まっている」というような不成心が出てきます。どんなことも神様におすがりさせて頂き、神様と共にさせて頂く辛抱こそ、信心辛抱であり、おかげを頂いている姿なのです。まず、自分自身が神様にお願いし、不成心を取り除き、「徳と力もなく、行き届いたことが出来ず、まだまだ至らないところがたくさんある私でございますが、生神金光大神様のお取次を頂いて、天地金乃神様のお徳を頂けますように」と神様におすがりしお願いしてさせて頂けば、神様がさせて下さるのです。

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2021年03月28日

●日々、新しく頂き直す 

昭和49年のことです。二代教会長・伊藤コウ師がラジオ放送でなさった教話を、あるお寺の奥様が偶然お聴きになったそうです。その奥様は膀胱や大腸から出血する病を患っておられ、生きる気力を無くし、毎日「死にたい、死にたい…」と泣いて暮らしておられたそうです。そんな時に、偶然コウ師のお説教をお聴きになり、身が震えるほどの感激を覚えられ、「有り難い」という思いが、心の底から湧き起こってこられたというのです。そして、どうしても教会へお参りしたいと願われましたが、病気で外出することが出来ませんので、ご主人である住職さんが、代わりに阿倍野教会に参拝されたのでした。

★住職さんは、お結界に進まれ、コウ師に「うちの家内があなたのお声に感じ入りましてなあ。『もう今日から死にたいと言わない』と申しております。おかげ様で出血も止まり、身体も良くなってきております。有難うございます。ところで先生は、これまで余程ご修行して来られたのでしょう。でなければ、あんなに良いお声にはなりません。あのような良いお話も出来ませんからなあ。」と仰いました。

★するとコウ師は、「いいえ、私はご修行らしいご修行はしておりません。このお道では『此の方の行は、水や火の行ではない。家業が行ぞ。』とみ教え下さっています。私たちに与えて頂いた家業を行として、有難くさせて頂くことがこのお道の信心です。家庭や職場でそれぞれにご修行があるはずです。山にこもったり、滝に打たれて修行するのでもありません。断食をするのではなく、食物を有難く拝んで頂くご修行をさせて頂く。与えて頂いた仕事、生活そのものが修行であるのです。和らぎ賀ぶ心にならせて頂き、全てを拝んで有難く受け切ってゆく。誰もが毎日の生活の中でしておりながら、誰もが疎かにしてしまっている事を、真に有難くさせて頂くのが、このお道のご修行であるのです。」と仰せられたのでした。

★物事を通して神様が教えて下さっておられることがあります。この出来事を通して、どのように自分自身が新しく心を開かせて頂くのか、日々み教えを頂いて、見直し・聞き直し・考え直すことが大切です。この年度末、一年間の見直しをして、次の新しい年度を迎えさせて頂くにあたり、今こそ反省と改まりをさせて頂く時期ですね。しかし、本当は毎日が新しい出発をさせて頂く日々なのです。

★『信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない』とみ教え頂いております通り、新しい年が明けますと、皆お互いに旧年中のお礼を申して、さらに今年一年のお願いを申し上げますね。元日だけに限らず、一年中、そのような心持ちで、今日一日今日一日を大切に、生活させて頂くことが出来ましたら、どれ程有難い日々を過ごさせて頂けるでしょうか。毎日、元日の心を保ち続け、毎日新たな気持ちで向上し、日々新たな自分に生まれ変わらせて頂くつもりで、日々、見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂きましょう。
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2021年03月27日

●親様にお喜び頂けることを楽しみに

 25日に、青年会学生会例会で講演をして下さった田口氏は、信心熱心なご両親に幼い頃からお導き頂かれてご信心を進められ、今日まで結構におかげを頂いておられます。ご両親は、どんな時でもコツコツと朝参りを続けられ、たとえ台風の真っ只中でも朝参りを欠かされず、その熱心な参拝のご様子は、近所でも評判になるほどであられたということです。

★ご両親は薬局を営まれ、お仕事の忙しい中でも大変熱心にお知り合いの方々をお導きなさいました。休日には、市内の自宅から近鉄電車に乗ってお導きに行かれる先方に気を使わせない様に、水筒に入れたお茶を持参なさり、時には、訪問先の飼い犬が吠えないよう、犬のおやつまで持参なさるなど、細やかに心を配られながら、親切丁寧にお導きの御用にお使い頂かれたのでした。ご両親は既にお国替えなさっておられますが、そんなご両親の霊様に喜んで頂けることを日々お願いなさりつつ、ご信心に励んでおられます。

★また、二代教会長・伊藤コウ師、三代教会長・伊藤良三師がご生前中のことですが、田口氏がお結界でお取次を頂かれた時に、人の助かりを思ってお届けをなさった内容に、満面の笑みでそのお届けを受けて下さった記憶が、鮮明に残っておられるそうです。そのご記憶から、二代教会長先生、三代教会長先生に、満面の笑みでお喜び頂けるよう、今日も田口氏は、周囲の方々の助かりを願わせて頂かれ、人の助かるお役に立つ働きに努めておられますことは、真に有難いことでございます。

★『神のことを知りたければ、親の有難いことから先に知れたら、神の有難いことも知れる。取り越して知れるようなことはない』

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2021年03月26日

●立ち聞きする心で頂く

私がまだ、小学生になるかならないかの幼い頃だったそうですが、三代教会長先生は私と二人の姉達に「なぜ私が冬でも足袋を履かないか、知っていますか?」と問いかけられたそうです。私は幼くて答えられませんでしたが、姉2人は「知りません。」と答えたということでした。

★三代教会長先生は「実は昔、日本が今のように物が豊かではなく、まだ貧乏であったころ、足袋を履かない人はたくさんいました。田舎の方へ行けば、足袋を履かない人は珍しくない。本来、裸足の方が身体が丈夫になって良いのです。御本部へ御修行に行かせて頂いた時、九州の教会から御修行に来られた方は、足袋を履いていない方がたくさんおられた。寒がりで着ぶくれしている修行生と、足袋を履かずに薄着で御修行している修行生と、食べ物でも何でも有難く頂く人と、好き嫌いを多く言う人と、どちらが幸せでしょうか。足袋も履かずにいても平気で、何でも有難く頂く人の方が健康で幸せな姿になっていかれるでしょう。」

★「また、もう一つ大切なことは、30年も40年も昔のことであったとしても、生活が本当に困窮していた時代のことを忘れてはいけないということです。どんなに結構になっても、何か一つは修行を残しておくことです。今は、衣食住の何もかもが不自由のない生活で、昔のことを思えば結構になりましたが、それに甘えていてはいけません。せめて一つや二つは、昔不自由した時代のことを残して、修行させて頂かねばなりません。生活の中で昔を忘れないように、御修行を決めて不自由を感じることにより、自ずから喜びは生まれてきます。これは、実生活から生まれてくるものであり、理屈から生まれてくるものではありません。喜びを見つけるとか、御礼を申すということは、いくら口先で言っても実際にしてみなければわからない。恵まれすぎて何も言うことがないという生活に浸っていると、自然と喜びは失われてゆきます。最初はびっくりして感激していたことでも、段々と慣れてしまいます。例えば、散髪屋に行っても散髪するだけのお金は払えますが、散髪屋や髪結いさんへ行けなかった時代があったことを忘れない為に、二代教会長伊藤コウ師は70歳までご自身で髪を結われました。そこで、私もそうしなければならないと思って、散髪屋へは行かず、自分で丸刈りにすることと足袋は履かないことを決めました。だからといって、これが一つの形と決まった物ではないし、強制もしませんが、私は生活の中に何か一つ自分の御修行として残しておきたいからこうしています。あなた達も自覚した時に、自ら決めて取り組ませて頂けばよろしい。」と有難いみ教えを残して下さったのです。

★私自身も小学6年生の頃、二代教会長伊藤コウ師が業務用のバリカンを私に買って下さいました。業務用で丈夫ですので、壊れずに現在まで45年以上も使わせて頂いております。三代教会長先生から頂いたみ教えの通り、自分で丸刈りにすることと、冬に足袋を履かないことを続けさせて頂いておりますことは、大変有難いことであるなあと改めて感じております。

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2021年03月25日

●「真心」「一心」「辛抱」

 信心の上において、「真心」と「一心」と「辛抱」が大切であると教えて頂いております。その中でも真心が大切で、教祖様は、「真一心」についての御内容を多く説いておられます。そして、そこに一心と辛抱が備わってゆくことが、信心」がより向上してゆく上に肝要であると教えて下さっています。

★教祖様は、真心について津川治雄師に、『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』と説いておられます。また、一心について『手で香をたいたり断食をしたり好きなものを断ったりする者がある。そういうことは行でない。迷いというものである。これからは食べられるがよい。その代わり心を固めて、どこまでも変わらず、一升の信心でも八合の信心でも続いてゆくのが大事である。神様は信心の固い者とそうでない者と、すべてご承知である。口と心が違っては、何もならない。』と仰せになっておられます。さらに、辛抱については『何事も辛抱ということが肝心である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。(中略)ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神様からおかげが出ると思わずに、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』と教えておられるのです。

★誰もが、人生に於いて様々な経験をします。色々なことを経験していく中に「神様が、このことを通して、私の本心をしっかり磨きをかけて下さり、鍛えて下さるのだ。有難うございます」とすぐにお礼が申せる信心にならせて頂くには、日々み教えを頂き、稽古をしておかねばなりません。心を正しくすることにより、身のおかげが頂けるのです。人間の心というものは、移り変わりやすく「心コロコロ」と言いますが、人間の心は感情に左右されやすいものです。先ほどまで「有難い!」と御礼を言っていたのに、ちょっとした事ですぐに「なぜこんなことが起きるのか・・・」と不足に思ってしまうのは、辛抱が弱いという事です。共々に移り変わる心を有難いの一心にしてゆくように、御修行をさせて頂きましょう。

★『欲で一心な者もあり、意地で一心な者もあるが、やはり有難いの一心でなければおかげは受けられない。』

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2021年03月24日

●了見が狭いとは  

阿倍野教会旧広前の頃、ニワトリを飼っていました。そのニワトリが縁側に上がってきて、フンを残しているのを三代教会長・伊藤良三師が見られたので、後にご結婚なさることになる愛子先生に「愛子ちゃん、ニワトリがまたフンをしている・・・」と仰いました。

★すると、奥の台所でご飯の準備をしておられた奥様が「今ご飯の準備をしていて、手が離せませんので、後で掃除させて頂きます。手が汚れますから・・・」と答えられたのです。良三師は心の中で(今してくれたらよいのに・・・まあ、私がすればよいのだが・・・)と思っておられましたら、丁度、二代教会長・伊藤コウ師が廊下を歩いてこられたのです。コウ師は廊下にあるフンを見られて、懐から懐紙を出され、さっと取られて、便所に捨てに行かれたのでした。

★コウ師が、何も仰らずに片付けられたお姿を見られた良三師は(私が一番最初に見つけたのに、わざわざ忙しい人を使おうとしていたなあ。それだけでなく、自分の思うようにすぐに対応してくれなかったら、不足を思ってしまっていた・・・)と反省されたのです。良三師は、ご自身の言動につい「これが我が強い。すなわち、了見が狭いという事です。」と反省を込めて、私共にお話しして下さいました。

★了見が狭いというのは、我が強いということです。考えが狭いとか、器が小さいとも言えます。我情我欲をお取り払い頂くには、心を広く持つことです。その為には、みんなの意見を聞いて、心が一つになるように努力する必要がありますね。思い合って、祈り合いをし、相手を立てていくことが、我の取れた姿といえるのです。

★安武松太郎師(甘木教会初代教会長先生)は、「われ良しと思う心」に対しての戒めとして多くのお歌を残しておられます。「われよしと 思うは智慧の行きづまり 怪我あやまちもそこよりぞ来る」「われ良しと思う心は 道の仇 我が身の仇と戒めてゆけ」「われ良しと思う心を仇として 戦いて行け 日ごと夜ごとに」
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2021年03月23日

●我を放して自分を生かす

 このお道は、全てのものを生かしていく道だと教えて頂いております。「全てを生かす」とは、「自分を生かす」・「物を生かす」・「人を生かす」・「土地を生かす」・「家を生かす」・「時間を生かす」等々・・・のことで、それらを生かしていくことによって、生き生きとした働きに繋がってゆくということを教えて頂いております。

★学院へ行かせて頂いた時に聴かせて頂いたお話です。ある学院生の方が前庭で煙草を吸い、その灰を地面に落としておられました。それを見ておられた先生が、お叱りになるわけでもなく、ご無礼だと責めるわけでもなく、ただ一言「あなたの灰皿は大きいですなぁ。」とおっしゃったということです。その一言で、その学院生の方は、自分が大変申し訳ない事を長年続けてきたことを悟られたのです。「天地全体が神様のお体である、普段何気なくしている事が神様のお体を汚し、自身がめぐりを積み、お徳を落としてしまう事に繋がっていたのだ。」という事に気が付き、改まらせて頂かれたのでした。

★また、金光教学院では洒掃をさせて頂く時間があります。ある学院生が地面に落ちた桜の花びらをほうきで掃いていました。しかし、掃いても掃いても落ちてくる桜の花びらを見て、どうせ落ちるんであれば早く落としてしまえば、掃除も早く済むと思ったのでしょう。桜の木を揺すり始めたのです。それを、見られた学院の先生は、学院生に「なんと心ないことをするのですか。花びら一枚一枚にも命があり、その命を愛でる、慈しむ心が尊いのです。」と注意されたというお話でした。散りゆく花びらの一枚一枚にも生命の輝きがあり、私たちの目を楽しませてくれるのです。

★生かして頂いていることの意味や尊さを知り、それぞれの命に豊かな心や慈愛の心を持たせて頂きますと、その命は生き生きと働くことができるのです。それは、自分を生かし、人を生かし、物を生かし、すべてを生かし、生きた働き、生きた存在となってゆくのです。それぞれに頂いている慈愛の心(神心)を大きくし、すべてを包み込める器を持たせて頂くために、み教えを頂いて自身の至らない部分を改め、我を放して、了見を広げさせて頂きましょう。

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2021年03月22日

●神様のご領域のこと  

大正15年10月28日、初代教会長先生は「おかげやでえ、おかげやでえ」というお言葉を残されて、お国替えになられました。そのご意味は「私が8年も生命を延ばして頂いたのは有難いおかげです。そして、いよいよお国替えするということは、これからより一層に御霊として働かせて頂けるということです。これは伊藤の家にとっても、阿倍野教会にとっても、信奉者一同にとってもおかげですよ」と、これまでのことと、これから御霊となることを、おかげの中での出来事と、言い残されたのだと悟らせて頂きます。

★しかしそのような時に、二代教会長先生に対し、他の方々は「先生は歳が若いのだから他の方面で生きていきなさい…」「金光教の先生でも早死にしますか…」「子供がなくてよかったですよ。他に御縁を頂いてやり直しなさい」と、個々の立場でおっしゃるのでした。

★後になって、コウ師が述懐なさっておられましたのは、「夫が亡くなって淋しくない、悲しくない妻がおりますか。悲しいに決まっている。辛いに決まっている。しかしそこを生神金光大神様・天地金乃神様におすがりをして一日一日助けて頂いてゆくから、私も霊様も助からせて頂けるのです。私が取り乱していては霊様も助かりません。そういうことになって申し訳ないことです。なんとしてでも、ご信心を基にしておかげを頂いていかねばならんと思い、一生懸命おすがりさせて頂きました」と仰っておられたことでした。

★命をお授け下さったり、お引き取り下さるのは、神様のご領域のことであり、人間がどうこう出来ることではありません。家族の身代わりになって、お国替えになる霊様もあられますから、その深い深いご意味は、私達には到底計り知ることが出来ません。しかし後に残った者が、信心を実意丁寧にさせて頂き、後々が健康で繁盛させて頂けるように、役目を全うさせて頂けるように、正しい方向へ家族親族を導いてゆけるように力を尽くしていくことが大切です。今日頂いている命に御礼を申し、命の元である神様のお働き、霊様のお働き、また親様のお働きに感謝しながら、精一杯お役に立たせて頂けることを願わせて頂きたいと思います。

★『ご信心しておるのに死んだりすると、おかげがなかったと言うて、信心をやめる者があるが、信心しても死ぬる者は、うちの者の身代わりになっておることがあるから、後々の者がご信心して達者で繁盛せぬと、せっかくの身代わりになった者を犬死にをさしたことになり、なお不幸せが続くことがあるぞ。うちの者が難に負けぬご信心をすることが第一ぞ。』
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2021年03月21日

●神様に心を向けて、徳と力を受けてゆく

 昨日は、天候気象の上にも有難いご都合お繰り合わせを頂きまして、春季霊祭を無事にお仕え申し上げることが出来ましたことは、真に有難いことでした。教徒・信徒が共々に真心を込めて、霊神様にお礼を申し上げ、霊徳高くなられ、ご安心なさいますように、御祈念させて頂きますことは、真に有り難いことでございます。

★教祖様はご生前中に『金光大神の姿に目をつけないようにせよ。金光大神の衣服や形におかげはない。金光大神の霊(みたま)の働きにおかげがあるのである』とみ教えを残して下さっておられます。ですから、お結界でお届けをさせて頂く時に、どなたの先生がお座りになっておられましても、生神金光大神様がお座りになっておられるという心でお届けをさせて頂いております。有難いことにお手代わりの先生の後ろに生神金光大神様がお座り下さっておられますから、金光大神様のお取次ぎを頂くということに変わりはございません。

★私たち一人一人も尊い分け霊(わけみたま)を頂いており、神様の一部分を頂いてこの世に生まれてくると教えて頂いております。御霊の働きが生き生きとさせて頂けるようにご修行させて頂き、また信心の稽古に励ませて頂くことで、有難い御霊を生涯かけて磨きに磨いて、徳高きものにさせて頂くことが大切なのです。

★誰もが御霊を頂いている尊い存在ですから、同じようにおかげを頂けることは間違いありません。ただし、『信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ』とみ教え頂いておりますように、私達が神様の方へ向かわせて頂きましたら、有難いお徳も力も受けさせて頂けるのです。反対に、神様に背を向けた生活をしておりましたら、お徳も力も受けることは出来ません。おかげはお徳についてくるのです。ですから毎日お徳を頂く為のご信心をさせて頂かねばなりませんね。

★また『わが心でわが身を救い助けよ』ともみ教え頂いております。生かして頂いておりながら、人としての尊い本心を失う生き方にならないように、させて頂かねばなりませんね。その為には御恩を知って御恩に報いる生き方、そして実意丁寧、真心のこもった生き方をさせて頂くことが大切です。さらに『信心は親に孝行するも同じこと』とみ教え頂いております。親ご先祖を大切にする生き方は、自分を大切にする生き方に繋がっているのです。

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2021年03月20日

●心のおかげ 

あるご信者は、喘息で8年間も苦しんでおられ、2階への階段を上がることも出来ず、家業である商売の手伝いも出来ず、ご主人を頼っておられました。

★二代教会長・伊藤コウ師から、発作が出た時の症状を尋ねて頂かれた時には、「鼻も口も塞がれたまま、息をしなければならない様な状態です・・・」とおっしゃったということです。伊藤コウ師は、大変気の毒に思われ、「なぜ8年間も、そのような苦しい病気を持ったまま放すことが出来ずにおられるのか、今日は、それを考えさせて頂く機会にしましょう」とみ教え下さり、ご婦人は、これまでの自分を信心の目で、真剣に振り返られたのでした。

★そして、「先生、家の中で一番悪いのは私でございました。私は、『家族の為、商売繁盛の為に自分だけが教会に参拝している。自分は信心しているのに、主人が悪い。あれが悪い、これが悪い・・・』と、人を責め立てて苦しませ、いつも不足の心に満ちておりました。これが、私の病気の元でございました。今日を良い機会として改まらせて頂きますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。」と、お詫びのお届けが出来られたのでした。

★伊藤コウ師は、「そのような心になられたことが、大きなおかげですよ。『氏子が、このように結構に改まりの心を持たせて頂けるようになりました。有り難うございます。どうぞ、喘息の発作をお取り払い頂きますように』と、私も共にお願いさせて頂きますよ」と、お話し下さったのでした。

★その翌日から、喘息の発作は治まり、再発することなく根切れのおかげを頂かれたのでした。商売も手伝えるようになって、ますます繁盛なさり、また、以前はご主人から、「信心してもお前の様に心が刺々しいなら、信心なんかしたくはない。」と言われていたのが、ご主人も共に参拝して頂けるようになられたのです。

★『心のおかげが大事じゃぞ。心のおかげを先に受けたら、身のおかげは自然に受けられるのじゃ』(二代金光四神様のみ教え)
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2021年03月19日

●真心からの改まりを

 初代教会長先生の御在世中の頃のお話です。3年間も声が出なくなってしまわれた方が、お導き頂かれて参拝なさいました。「どうあっても声が出ますように」と初代教会長先生にお届けされますと、「一週間でおかげを頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★それから、ちょうど一週間目の晩のことです。休ませて頂いておりますと、いきなり大雨が屋根を叩き付ける音がしました。その瞬間、布団の中で「雨や!」と声を出させて頂けたのです。「なんと有難いことだろう!み教えを頂いた通り、日を切ってご祈念を頂いた、その日までに声が出させて頂けた!明日の朝、御礼参りに行かせて頂こう」と思い、そのまま眠りについたのです。すると翌朝には、もう声が出なくなってしまっていたのでした。

★その旨を初代教会長先生にお届けされますと「どうして声が出たその時に、せめて布団から起き上がってご祈念させて頂いたり、服を着替えて戸口に出て、教会の方を拝ませてもらったりと、真心が表せなかったのですか?『朝になったら、お参りさせてもらおう・・・』というのは、確かに一般的な考え方のように思えますが、ご信心させて頂き、み教えを頂いていたら『どのようにして、神様に真心を向けさせて頂くか』ということを、毎日教えて頂いているでしょう。おかげを頂いて『ああ、良かった・・・』で終わってしまっていては、神様に申し訳ありません。神様が『あなたは、まだ真心からの信心になっていませんよ』と教えて下さったのです。次におかげを頂くのは、今度は時間がかかりますよ。一からしっかり改まらせて頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★その方はよく理解され、その後は改まりの信心を進められました。ある日、天王寺公園で友人と別れ際に、「さようなら」と声が出させて頂けたのです。今度はさっそく電車に飛び乗って、御礼参りが出来られたのでした。

★神様にお願いをさせて頂く時には、一心に神様に真心を向けさせて頂き、どのような改まりを進めさせて頂くかを真剣に考え、実践させて頂くことが大切です。教会に足を運ばせて頂き、数多く参拝させて頂いて日に日に改まりが進んでゆくということも、神様に真心をお供えさせて頂くことになるのです。

★『お上にでも、願い方や手続きが違うておれば、願意はわかっておっても却下になるようなもので、神も、願い方が悪いとお聞き入れがないぞ、と金光様は言うてござった。わが身へは引きやすいものじゃが、横着や便利勝手ばかり考えてはならぬぞ。』

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2021年03月18日

●身に頂いているお徳を減らさない為に

16日は婦人会例会が開催され、井氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★井氏のお母さんは、二代教会長伊藤コウ師より「自分の子供と言いますが、子供は神様からお預かりした大切な御氏子です。だから自分の思う通りにしようとしてはいけません。お願いして育てさせて頂くのです。子供がこの世に生を受けた時、すでに神様から大きなお徳を頂いて生まれてきます。多くの人は成長するに従って、そのお徳を減らしていってしまいがちです。そのお徳を減らさないように育てさせて頂くのが、親にならせて頂いた者の責任です。お徳を積むと言っても、お世話になるばかりで、なかなか積めるものではありませんが、子供の時からお徳を積ませて頂く事と、頂いたお徳を減らさないことを、心掛けさせて頂くことが大切です。」とみ教え頂かれました。

★そこで、お母さんは子供達に、頂いたお徳を減らさずお役に立つ人間に成長するように、小さい頃から家庭に於いて様々な御用を教えられました。井氏は、幼児期から配膳や食後の食器のお運び、洗濯物をたたんだり、掃除や雑巾がけのお手伝いを、遊びの延長で教えて頂かれました。少し大きくなると、食器洗いや食材の下ごしらえが出来るようになり、小学校五年生になると簡単な料理が出来、中学生になる頃には、二人の弟さんの弁当を作るようになられました。掃除も、朝一番と夜布団を敷く前の二回、そしてお風呂やトイレ掃除、庭の手入れ、さらには障子・襖張り、網戸の張替え、ペンキや壁土塗り等、様々な事を教えて頂かれ、何でもさせて頂けるようになられたのでした。ですから、学校でも職場でも、困ったり辛い等と思われたことは、殆どあられなかったそうです。

★短大卒業後は、家業を継がれたのでしたが、卒業して二ヶ月経ったある日、短大の先生から「学校を代表して、ある会社の入社試験を是非受けてくれませんか?」との依頼を受けられました。その会社名を聞かれたお母さんは、「自分の子供が、将来この会社に勤めさせて頂けたら…」と、まだ生まれる前から、神様にお願いなさっておられた会社だったそうです。早速、お取次ぎを頂かれて、受けさせて頂かれますと、百倍を超える競争率の中、無事合格のおかげを頂かれたのでした。

★小さい頃より、自ら求めて家のお手伝いや、弟さん、妹さんのお世話をなさってこられたお徳により、就職のことも結婚のことも、何もかも思う以上に、おかげを頂いて来られたということが、よくわからせて頂きます。
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2021年03月17日

●何事も「させて頂く」という心

 リウマチを患っておられた金光キクヨ姫様は、「リウマチの私が『病気だからできない』と言うてしまえばそれだけのこと。そこをお願いして掃除させて頂けた時の喜びは、元気なものが掃除させて頂く喜びより何倍の喜びかわかりません。神様におすがりして、させて頂きたいという願いを立てれば、掃除の仕方まで神様は教えて下さいます。御用させて下さいます」と仰せになりました。リウマチの痛みで、雑巾を絞ることが出来られなかったので、前の晩に濡らした雑巾を竿にかけておかれ、翌朝には程よく湿った状態になった雑巾を使って、お掃除をしておられたそうです。

★何事も「する」という心でしておりますと、「これはする」、「これは出来ない」ということが出てきます。「出来ない」理由を探して、あきらめて投げ出せば、どのようにさせて頂けば良いか、という事も考えませんね。「させて頂く」という心にならせて頂きますと、神様に「させて頂けますように」とお願いし、また「どのようにさせて頂けば良いでしょうか?」と、神様にお伺いさせて頂くことができ、そこから工夫が生まれ、練り出すことができてゆくのです。

★家庭に於いては、親が子供の真心を作ってゆくのです。家庭環境を作っていくのは親の役目ですから、それを怠りなくさせて頂くことは大変大切なことです。幼小の頃からみ教えを頂き、手を合わせて拝ませて頂く稽古をさせて頂いておりますと、自ずと真心が育っていきます。親は神様から有難いお役目を与えて頂いています。そのお役目を喜んでさせて頂くことが、神様のお喜びお楽しみであると仰せになります。

★さらには、家族の健康に繋がる食事を作ることや掃除も、信心を元にした生活をさせて頂くところに、家庭の者の真心が育ってゆくのです。家事も「させて頂く」という心で日々の稽古に励ませて頂くことにより、段々と工夫ができてゆきます。何事も「させて頂く」という心でお願いして、取り組ませて頂きましょう。

★『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取り扱い注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり。子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも子供の健康のためである。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜ばれる。ここに母親の大責任がある。神の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神に参らない時に信心することがたくさんある』

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2021年03月16日

●「神様が好きになる」という境地

教祖様は『信心せよ。信心ということは、しんはわが心、じんは神なり。わが心が神に向かうをもって信心と言うなり。恩徳の中におっても、氏子、信なければ、おかげはなし』と仰せになっておられます。

★二代教会長伊藤コウ師は「神様に心が向いております時には、信心になっております。しかし、神様に心が向いておらない時(人や物事に心が向いている時)には、信心にはなっておりません。」と端的にみ教え下さいました。物事や人に心が向いておりますと、それに囚われてしまって心が乱されてしまいます。人間の考える範囲というのは狭いもので、人が言うことはその時の都合によって変わりますし、その時代の価値観によっても判断は変わってきます。しかしながら、神様が氏子にそれぞれに願って下さっているお心は、どこまでも変わられることはありません。神様のお心を目当てにさせて頂けば、心は乱されることなく、迷うことがありません。

★三代金光様が御神勤なさっておられる時代のことです。ある学院生が神習(金光様が御神勤下さるお広前で静座してそのお姿を拝み、御神勤を習わせて頂くこと)をさせて頂かれました。そして、神習を終えられて金光様のお結界に進まれ「本日は一日神習をさせて頂きましたが、足が痛いばかりで神様を有難いと思う事が出来ませんでした。」とお詫びを申されました。すると、三代金光様は「神様が好きにならせて頂かれたら良ろしいでしょう。」と仰せになられたとのことです。

★神様が好きになるというのは、ただ好むというような意味だけではないのです。自分の生命が喜ぶ生き方、そのご慈愛にお応え申し上げる生き方をさせて頂くのです。神様あっての自分である、神様の御慈愛の中で生かされて生きており、おかげを頂き続けているという事を自覚し、有難くて御礼を申さずにはおられないという心境なのです。共々に「神様が好きになる」という境地にいかせて頂けますよう、日々日参と聴教に励み、稽古させて頂きましょう。そうすれば、自ずと何事も喜んでさせて頂けるようになり、お参りが有難くてたまらず、み教えを頂くことが有難くてたまらず、ご恩返しの働き(御用)が好きになって、本物の信心をさせて頂けるのです。
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2021年03月15日

●一回一回の参拝を大切に

 昨日は、御本部への御礼参拝を、自家用車・新幹線・在来線等を用いて団体でさせて頂けましたことは、真に有難いことでございました。天候・気象の上に健康等の上に万事万端にご都合お繰り合わせを頂き、何も問題なくさせて頂けましたことは、神様・霊様のお守りを頂いてこそと有難く御礼を申し上げております。

★教祖様ご在世中のことですが、片岡次郎四郎師は、月々14里(約56キロ)の道を歩いて御本部へ参拝なさっておられました。教祖様が御帰幽になられるまでの16年間に、月参拝を欠かさず続けられたのですが、初めの12年間は、家の者が病気になったり、家内に問題が起こったり、天気が悪くなったりと、参拝に差し支えるようなことばかり起きてきたということです。しかし、その中を繰り合わせて参拝させて頂かれますと、教祖様はいつもニコニコとなさって下さり、「道が悪くて困ったじゃろう」とも「えらかったなあ(大変だったなあ)」というような事は一切おっしゃらず、「よう参られた。良い修行であったなあ。おかげを受けたなあ。」と仰って、その信心ぶりをお喜びになられたのでした。

★さらに、片岡次郎四郎師がお参りなさいますと、金光様はたいへんお喜びになって、「才崎の金光は、いつ参ってもいつ参っても、お礼参りじゃ。参る者の大方はお願いに参るのに、その方は、いつもおかげを受けておるお礼に参って来る。神も満足に思うぞ。氏子がお礼に参って来ると、神も喜び、金光大神もいっそうにうれしいが、氏子もうれしかろうが。氏子がおかげを受けてうれしゅうに喜ばぬと、神も喜べぬ」と仰せられたのでした。12年間の神様のお試しをお受けになられても、天候気象の都合や、自身や家族の中で色々と問題があられる中、欠かすことなく有難く参拝を続けられたことにより、めぐりをお取り払い頂かれ、神様からご信用を頂かれまして、それから後は楽々と参拝のおかげを頂かれたのでした。

★私達も月々の御本部御礼参拝を欠かすことなく続けさせて頂いて、めぐりのお取り払いを頂き、自分の心も身体も、また家庭の在り方も、仕事の中身も我流になっているところを正して頂き、御霊地の御庇礼を身いっぱいに頂いて帰るつもりでおかげを頂きましょう。

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2021年03月13日

●お広前は心と身体を癒し、生活を正す場

五つの癒し
1.「費やすことを省いて貧しさを癒す」・・・無理無駄ムラを省き、分相応を過さぬように倹約をすることによって、経済的な貧しさだけではなく、心の貧しさも癒され、物質的にも精神的にも豊かな生活をさせて頂くことができる。
2.「静座して心を癒す」・・・お広前で静かに座ってご祈念し、み教えを頂き、心の騒がしさ・乱れを癒してゆく。心の乱れは、言葉にも、行動にも現れ、問題を生む元になってしまう。また、心が騒がしいと、心の耳、心の眼が閉ざされてしまい、天地自然の働きや、人からの言葉などに込められた神様のお心を感じられなくなってしまう。
3.「縁に従って憂いを癒す」・・・御神縁に従って悲しみや憂いを癒して頂く。いつも心中御祈念をさせて頂きながら、ご神縁に従わせて頂く稽古が出来ていると、良い人、良い仕事、良い家等、有難いご縁がつながって安心の生活を送らせて頂くことが出来る。
4.「書を読みて俗を癒す」・・・人間の品位や品格は、何を重んじて生活していくかによって決まる。み教えから遠ざかってしまうと、考え方が世俗的になったり、あるいは流行に囚われてしまいがちになる。日々み教えを頂いて、天地の道理に基づいた生活をさせて頂くよう心掛ける。
5.「欲を少なくして迷いを癒す。」・・・迷いを生む元は欲。食欲、睡眠欲など、生きていく上で必要不可欠な欲もあるが、欲をむさぼることのないようにする。我情我欲・利欲打算に囚われないようにして、正情正欲を保つ。

★20日の秋季霊祭に向けて、日参と聴教に励ませて頂き、いつも心を神様に向けさせて頂いて、神様のお心が分からせて頂ける、神様を中心とした信心生活が身に付かせて頂きますよう、稽古に励ませて頂きたいと思います。

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2021年03月12日

●日に日に有難く生きるが信心なり

昨日は東日本大震災から10年という日でありました。死亡あるいは行方不明になられた方々18425名、関連死の方々を含めて22200名の方々が亡くなられたのでした。

★当時仙台に住んでおられたご信者は、ライフラインも止まってしまった中で、マンションで生活をして、食べることもままならないという状況にありながら、仕事に行っておられたそうです。一ヶ月もお風呂に入ることが出来られなかったということを、後に聞かせて頂きました。被災地でも車が必要になります。車関連のお仕事をなさっておられたご信者は、水に浸かって動かなくなった車を引き取って、新しい車を用意するという仕事をなさっておられたそうです。

★自身も被災なさっているのですが、毎日他の方々の厳しい現実を、目のあたりにしなければいけない中で、ご信者はお客様の話にじっと耳を傾けられたのでした。「自分が何か出来るわけではないが、目の前の人の話を聞かせて頂いたら、その方の心の苦しみが少しは軽くなられるだろう」と思いながら、その方の立ち行きをお願いせずにはおられなかったということです。

★私達は、毎日の生活を送らせて頂く中に夫々のご修行があり、信心の稽古に励ませて頂かなければいけないことがあります。『日に日に生きるが信心なり』とみ教え頂いておりますが、私達は恵まれた中で生活をさせて頂いていながら、その有難さを分かっていないということでしたら大変申し訳ないことですね。

★あれもしたい、これもしたいと思いますが、それはさせて頂けるだけの環境に置いて頂いているから思えるのです。何もさせて頂けない環境にあれば、そういった欲さえ起こらなくなってしまいます。毎日の生活で出来てくることの中に、私達は勉強させて頂かねばなりませんね。天地のお恵みの中に生かされているというおかげ、国家社会の中でお世話になり有難い生活をさせて頂いているおかげ、お守りを頂いて人様の恩恵の中に生活をさせて頂いているというおかげ、色々な方にお世話になって現在があるのです。

★『真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり』

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2021年03月11日

●神様に真を向けるとは、日々の改まり

 伊藤ハル刀自(二代教会長・伊藤コウ師のご母堂)は、伊藤家の信心の礎を築いて下さったお方ですが、金光様にお参りなさる以前は、ご主人も3人の娘さんも身体の弱い、病人だらけの家でした。そして、神様にお縋りすることを知られなかったので、家の中のどこの引き出しを開けても薬が入っているという状態だったのです。

★ハル刀自がご神縁を頂いて金光様のお教会にお参りなさり、み教えを頂くようになられてからは、ご主人が体調を崩されたら、妻としてのお世話が行き届かなかったことを神様にお詫びなさり、娘さんが病気になられたら、母としての躾の仕方や、食物を扱う上にお粗末ご無礼がなかったかを省みられ、神様にお礼とお詫びを申され、改まりのご修行に励ませて頂かれたのでした。そうして、何かことがあるたびに、ご信心を一層改まられ、家族中が次第に体の丈夫のおかげを頂かれたのです。

★コウ師が師範学校に通っておられた時、蓄膿症の症状があられ、頭を下げて勉強すると頭が縛られるように痛み、いつも鼻水が出るような状態になられたのでした。コウ師はハル刀自にそのことをお話しなさると、「それは有難い。鼻水が出るのはおかげですよ。あなたは13才の時に腹膜炎、肋膜炎を患ったから、まだ身体に悪毒病毒が残っているのでしょう。鼻水が出たら、悪毒病毒をお取り払い頂けるのだと思いなさい。鼻をかんだら、お礼を申して始末させて頂きなさいよ。」と教えて頂かれたのでした。コウ師はその通りに素直にみ教えを守られて、鼻水が出るたびにお礼を申しながらかむようになさいますと、勉強や生活には一切支障なく、優秀な成績で皆勤させて頂かれ、鼻の病気も全快根切れのおかげを頂かれたのでした。

★『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』

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2021年03月10日

●悪いことを言わず、先を楽しみに願う

日々起こってくる事は全て信心の材料です。起きてきた事を通して家族皆が心を揃えて、信心を向上させていかなければなりません。その為には、自分自身は何をすべきなのかを練り出していくことが大事なことですね。

★家庭の中で先頭に立つ者が、誰かと意見が違えば、自分の信念が揺らいでしまうということになってはいけませんね。先頭に立つ者は、言わば機関車です。機関車が、しっかりと客車や貨車を引っ張って行かないことには、全体が進んでいきません。常に怠らずに、皆を前に進めていく働きをする人が家には必要です。進むべき方向を間違えれば、後に続く者を間違った方向に導いてしまいます。正しい方向に導いていけるように、日々お願いして努力し、徳と力を身につけるのです。

★その為には根気と辛抱が肝要ですね。例えば、子供が勝手気ままなことを言ったからといって、親子喧嘩をし、家庭が不和になってはいけません。親は辛抱させて頂くことが必要であり、それがご修行です。心配事は全て神様にお預けして、信心すればおかげを頂く道が開けてきます。「ままよという心」とは、全てにおいて神様にお縋りさせて頂き、結果は神様にお任せするという意味です。信心が進んでいない人は、何か起こってきた事に対して、悪いことを思えば、すぐそれが言葉となって口から出てしまいます。悪いことを思っても、神様にお願いして、簡単に口から出さないようにする事が大切です。信心が進んでいる人は、何があっても先を楽しみにして、神様にお願いしながら待つことが出来ます。そのようなおかげを頂いている姿になれるよう、信心を進めて参りましょう。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』
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2021年03月09日

●神様を杖にした信心・御礼の信心

 昨日は、みかげ会総会が無事に開催され、木下氏より大変有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★木下氏のご両親が長女さんを授かられた時に、手相を見てもらって「養子取りや」と言われたり、「字画が悪いから名前を変えたほうが良い」等と言われ、迷い悩んでおられたそうです。そんな時に母方のお祖母様から阿倍野教会へお導きを頂かれ、二代教会長伊藤コウ師よりみ教えを頂かれました。

★コウ師よりお結界で「人生は名前によって左右されるものではなく、自分自身の行いによって運命が決まります。自分の行いが良かったら運命はどんどん良くなって行きます。自分の行いが良いか悪いかは、毎日のみ教えをしっかりと聴いていたら分かるようになってきます。あなたは男の子が欲しいのでしょう。男の子が欲しかったら、男の子を授けて下さいと一生懸命お願いしたらよろしい」と教えて頂かれたのです。そのみ教えを頂かれたご両親は、本当にその通りだと思われてこのお道に入信されました。それから、2年後に長男さんを授かられ、さらに2年後には次男となる木下氏が授かられるというおかげを頂かれたのでした。

★木下氏が生まれる時には、母子共に命にかかわる危険なところを助けて頂かれ、また三歳の頃には、熱湯を被り、下半身に広く大火傷を負われました。ご両親が毎日お取次を頂いて、御神酒を浸した御剣先を患部に付け、神様に一心におすがりなさったところ、40日後には跡形もなく全快の大みかげを頂かれたのでした。

★このことをきっかけに家族中改まられ、毎日日参出来るようにと、勤めていた鉄道会社を退職して独立開業し、鶏肉の販売業を始められました。それからは、毎朝お届けをされ、日参と聴教に励まれたのです。開業当初は大変苦労をなさりましたが、ご両親はコウ師から大きな願いを持つ事を教えて頂かれました。そして願い成就のため、頂かれたみ教えを素直に一筋に守られて、神様を杖に家業に励まれたのです。木下氏も、お兄様と共に家業に入られ、開業か25年後には、大きな願いであられた、大規模食鶏処理場として認められた工場になるおかげを頂かれたのでした。独立開業なさって今年で54年となり、社長となるお兄様を中心として、3人の子供さんも共に家業相続のおかげを頂かれ、家族・従業員を含め36人となり、助け合って家業に励んでおられます。

★木下氏は、何度もご自身の身体の上におかげを頂いて来られました。44歳の時には、左前庭神経炎に罹られましたが、仕事に支障がないように、入院することなく、大病を小病におまつり替え頂かれました。また、ある時には仕事中に誤って機械のチェーンに右手親指が巻き込まれてしまいました。ほぼ切断された状態で、再び付かないかもしれなかった所を、御神酒でおかげを頂かれ、すっかり元の状態に戻らせて頂いたのです。さらに、52歳の時には急性喉頭蓋炎を患われましたが、各医師より最善の治療をして頂いたおかげで、最小限の入院と手術で済ませて頂くことが出来られたのでした。

★木下氏は、今日まで頂かれたおかげを忘れることなく、ご両親が大切にしてこられた神様を杖にした信心、さらに御礼の信心を受け継がれ、毎朝必ずお参りなさって、お取次ぎを頂いた後に仕事へ行っておられます。また、ご家族揃って毎月の月例祭と御本部参拝には欠かさず参拝なさり、春秋の御大祭、霊祭には奉仕係として御礼の御用にお使い頂いておられるのです。

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2021年03月08日

●『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』  

先日、妻の実父の15年祭をお仕え申し上げました。

★妻の実家は島根県隠岐の島の島前にあり、父のご兄弟は、男6人女7人の計13人おられました。父は、満鉄に勤めておられたのですが、終戦の後に抑留され、帰国の後は、東京の電気系の会社へ就職させて頂きたいと願っておられました。しかし、戦争で長男さんが亡くなられたため、次男である父が両親を手伝って小さい赤ん坊を含む弟姉妹を養ってゆかなければなりませんので、ご自身の夢は捨てられて、家業である稲作、畑作、果樹園、畜産業に励まれたのでした。祖父が亡くなった後は、次男として役目を果たされ、辛抱して家の中心となって家族を養われました。様々な経済的なご苦労があられましたが、結婚なさって6人の子供を授かられたのでした。

★妻の兄弟は女5人男1人で、一人息子である兄は、第五管区海上保安庁に勤めておりました。昭和55年兄は仕事の帰りに車にはねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、28才という若さでお国替えされたのです。相手の方は20才くらいの若い方で、その親は妻の父に土下座して謝罪されました。父は、警察に「相手の方はまだまだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と嘆願書を出されたのでした。一人息子を亡くされた父とって、大変悲しい出来事であった違いないのですが、その後、父は生涯恨みがましい事を一切口に出されませんでした。父は相手を恨むのではなく、相手の幸せを願われ、後々にめぐりを残されぬように辛抱なさったのです。

★有難いことに、父がお国替えの後、妻のお姉さん御夫婦が実家の姓を受け継いで下さり、後継に入って下さったのです。

★『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』というみ教えは、実に大切な内容で、私達が日々守らせて頂かねばならないみ教えです。過去のことに捉われて、現在の生き方が歪んでしまうようでは結構にはなりません。常に、和らぎ喜ぶ心にならせて頂けるように、日々様々なことが起こって来ても、有難く受け切るご修行をさせて頂かねばならないと思わせて頂きます。
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2021年03月07日

●心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい

 5日は真栄根会例会にて、上田氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。上田氏のご両親は色々なことが起きてきても、常に神様を杖につかせて頂くというご姿勢を貫かれ、共に95歳でお国替えなさるという長寿のおかげを頂かれました。

★お母様は御晩年、「主人のお世話をさせて頂くのが私の役目です。どうあっても責任を果たさせて頂きたいと思いますから、長生きさせて頂けますように」とお願いなさっておられました。63歳でのC型肝炎から始まり、膠原病、胃がんの切除、膝の半月板損傷、第二腰椎圧迫骨折、右顎上の骨髄炎、卵巣嚢腫、両頬に悪性のリンパ腫、直腸がんの切除、肝臓がん放射線治療、肝臓がんカテーテル手術、等々次から次へと病難があられましたが、一切悪い事は口に出さずに「これまでもおかげを頂いてまいりましたから、今回もおかげを蒙らせて頂きたいと思います。お父さんのお世話をさせて頂けますように」と徹底してお願いなさったのでした。そしてそのお願い通り、お父様をお見送りなさった後にお国替えなさったのです。

★ご信心に基づいて、神様にどこまでもおすがりして、おかげを頂いていくという信念があられました。お医者様は責任上色々と仰いますが、神様から頂いているお命を大切にさせて頂くという心持ちでおられました。神様から作って頂いたお身体を、お医者様の手をお借りして薬や手術等の治療を受けさせては頂きますが、「どうぞ神様に治して頂けますように」というお願いを徹底なされておられたところが、有難いことであったと、おかげ話を聞き、お姿を思い出させて頂いて、改めて思わせて頂いたことでした。

★出来てくることに打ちのめされたり、焦ったり不安にかられたり、心配したりと人の心の上には起こってきますが、その時こそ日頃のご信心を発揮させて頂く時なのです。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。これほど信心するのにと思えば、もう、それきり信心の筋はとまっているのである』

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2021年03月06日

●諦めずに上達をお願いし続け、努力を続けていれば・・・ 

★坂村真民氏の話の中にある一文です。
『尊いのは足の裏である』坂村真民
尊いのは 頭でなく 手でなく 足の裏である
一生人に知られず 一生きたない処と接し 黙々として その努めを果たしてゆく 
足の裏が教えるもの しんみんよ 足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ…(略)


★先日、果物の販売をされているご信者から、お話を聴かせて頂きました。何ヶ月か前に新しい従業員が入られたそうです。その方は一生懸命にお仕事をなさっておられますが、何ヶ月か勤めたくらいでは、果物についてまだまだ分からないことだらけであるのも無理はないということです。しかし長年仕事を続けていれば、ものを見ただけで品種も産地も、味さえも分かるようになってくるということです。

★また、以前ある伝統工芸師の方が、「70歳を過ぎてから、ようやく自分の思うような仕事が出来るようになってきました」と話しておられるのを、ニュースで聞かせて頂きました。お若い頃から一つのことに打ち込んで、納得のいく境地に辿り着かれ、そして、まだまだこれからも精進して行こうとなさっておられることは、大変尊いことだと思わせて頂きました。

★無心に打ち込んで仕事をさせて頂くと、有難いことに神様から与えて頂いている能力を、十二分に発揮出来るようになってくるのですね。その為には、ただ仕事を続けるだけではなく、自身の能力を限らずに、神様にお願いしながら、どこまでも上達を目指して、コツコツと努力し続けることが大切です。

★『信心する氏子、一日に木綿一反織れる人が、六根の祓にもあるとおりの潔き心持ちで朝より一反半織るつもりになれば、一反半成就する。よそへ行く人でも、一日に十里歩ける人が、十五里は運びができるぞ。神様へおかげを受けるお願いも、その人、人で、違いがある。おかげも仕事も人なみ以上のおかげをこうむり、人にほめられるようにしなさい。』
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2021年03月05日

●神様のご分霊の尊い働き

 内尾氏は、縁あって大分県に嫁がれましたが、阿倍野教会の毎月の御本部御礼参拝には、日を合わせて大分県より参拝され、また春秋の御大祭には、信心友達である陶山氏の家に泊めて頂かれ、参拝なさる熱心なご信者であられたのです。

★晩年、内尾氏は癌を患われ、末期の状態であるということが判明し、ホスピスで治療を受けられることとなられました。6月1日、内尾氏の娘さんから陶山氏に連絡があり、「母が陶山さんに会いたがっているので、お見舞いに来て欲しい」とのことでした。その時の内尾氏は昏睡状態で食事も出来られず、意識が無い状態が続いておられたそうで、いつどうなってもおかしくないとのことでした。陶山氏は2日に教会へお届けされますと「是非行ってあげなさい」とみ教えを頂かれ、6月4日に会いに行かれました。

★すると、会いに行かれた日は意識が回復しておられ、内尾氏は待ちかねていたかのように、大変喜んで歓談が出来られたのです。更に昼食が用意されましたら、「美味しい、美味しい」と完食することが出来られたのでした。後になって判明したことですが、内尾氏は陶山氏に会われた3時間だけ、意識を取り戻されたというのです。その後、6月21日にお国替えなさるまで、話が出来る状態になるということはあられませんでした。

★私達は、それぞれに神様のご分霊を頂いている尊い存在です。神様のご分霊の働きによって、体も思うように動かさせて頂くことが出来るのです。日参と聴教に励ませて頂き、頂いているご分霊を更に磨かせて頂くことによって、より一層神様のご機感に適う心の使い方、体の使い方が出来るようになり、有難い働きを現すことが出来るようになるのです。

★『人間は小天地で、自分の頭をいつも天地の神様がお守りくだされてあるゆえに、自分の体を思うように使われるのである。信心も同じことで、信心に進めば神徳もおかげも一日まさりである。』

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2021年03月04日

●不足信心におかげはない

教祖様ご在世中の御頃のことです。

★国枝三五郎師は、片目がうずいて困った時に教祖様にお届けされますと、『春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ』とみ教えを頂かれたのでした。治ることを楽しみになさっておられた国枝三五郎師は、四日になっても痛みがとまらず、五日に参られて、そのことを教祖様にお届けなさると、『午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう』とみ教え頂かれたのでした。さらに教祖様は続けて『五月の菖蒲を楽しめ』と仰せになられました。すると、その日までにはよほどよくなられ、その時には『七月の七日を楽しめ』と仰せになられたのでした。すると、七月には痛みも全快のおかげを頂かれたのでした。

★国枝三五郎師は、なんと、6年間に3度盲目となられましたが、教祖様にお取次を頂かれながら、先を楽しみにご信心を進められ、出来事を通して神様のお心を頂いていかれる、広く大きな信心へと進まれたのです。そして、後には「乙島の金神様」と呼ばれるまでにご神徳を頂かれたのです。

★命があるからこそ目が見え、目が痛むのですね。痛みがある部分ばかりに気が向いてしまいます。まず命を頂いている御礼、すべてがおかげを頂いていることに御礼を申さず、「まだおかげが頂けない。」というあり方を、教祖様は「不足信心」と教えて下さっているのです。人間は100のうち99までおかげを頂いておりましても、その御礼を申すことよりも、目の前に起きてくる1つの出来事に心がとらわれてしまいがちです。『悪いことを言うて待つなよ。先を楽しめ。』というみ教えにもありますように、「まだおかげが頂けない。」と思わず、おかげを頂いているところに焦点を当て、御礼を申しながら、生活させて頂きましょう。そのようにさせて頂いておりましたら、自ずと神様が整えて下さり、物事は解決してゆくのです。

★『信心していてもおかげが遅い、まだかまだかと思ってうろたえて、真の心が大事であるということを知らない。神様にお頼みして、一週間たっても治らなければ、まだ治らない、おかげがないと言って神を恨む。三年、五年、医者にかかり薬を飲んで、まだ治らなくても、医者には不足を言わず、また頼みすがっていく。神様はお気の毒なものである。』
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2021年03月03日

●自分の事よりも、先に人の助かりを願わせて頂く

 三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのでした。桂岡正三氏は同じように訓練を受け、戦場に出征なさった後、フィリピンで戦死なさったのです。それ以降、三代教会長先生は、その方のお墓も常に拝んでおられました。

★すると、ある日突然、その方のご遺族から教会に「伊藤良三先生に祭主におつき頂いて、墓前で50年祭を仕えて頂けますでしょうか?」とお電話があったのです。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが霊様に届き、霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。

★願いを持って、日々真心込めてご祈念しておりますと、神様にも霊様にも届いてゆきます。ご先祖の霊様方が私達の足りないところは足して下さり、生神金光大神様におとりなし下さるのです。

★後に三代教会長先生が「阿倍野の奥城に参拝させて頂くと、夜休んでいる時に全く知らない霊様が夢の中に出てきます。それは怖いことでもなんでもなく、この人に拝んで欲しいと、霊様から近づいて来られるのです。」と仰っておられました。亡くなられた霊様も、「天地の間に生き生きと働かせて頂きたい」「お徳の高い御霊にならせて頂きたい」「縁に繋がる方を助けさせて頂ける働きがしたい」「子孫を守りたい」…と願っておられるのです。そうした霊様方が次々と助かり、おかげを頂かれる道を歩まれるようにお願いさせて頂くのが、このお道のご信心です。自分のことよりも先に、悩み苦しんでおられる霊様の助かりを願わせて頂くのです。そのような生き方をさせて頂いておりますと、自分自身のことはもとより、子供や孫、縁に繋がる方々にそのお徳が伝わって、有難いお守りを受け、結構にならせて頂けるのです。

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2021年03月02日

●生きても死にても天地は我が住みか

『先の世までも持ってゆかれ子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない』『生きても死にても天と地は我が住みかと思えよ。天に任せよ地に縋れよ』とみ教え頂いております。魂である分け霊(わけみたま)を神様から授けて頂いております。神様の一部分である分け霊としてこの世に生まれるときに授けて頂いたのです。私達一人一人が、尊い分け霊を授からせて頂いている存在です。その分け霊を生涯かけて磨きに磨いて、より一層徳の高い存在にならせて頂けるように、心を込めてご信心に励ませて頂くのが、私達のお道のご信心です。

★生涯がご修行であり、お国替えさせて頂きましたら、天地の親神様の元に帰らせて頂いて、天地の親神様の御神徳の中でお守りを頂きながら、生き生きと働ける霊神になるようにおかげを頂いていくのです。信心させて頂きますと、生き通しのお徳を頂き、天地と共に永遠の命を頂いていくことが出来るのです。そのことを、ご信心させて頂く私達は、しっかりと分からせて頂かなければなりません。生かして頂いている間に、願いをしっかりと持たせて頂いて、磨きに磨いた分け霊の存在というものは、実に有難い働きをして下さるのです。自分自身がおかげを頂いていくだけでなく、周囲が皆おかげを頂いていくことが出来るのです。

★教祖様は『金光大神の姿に目をつけないようにせよ。金光大神の衣服や形におかげはない。金光大神の御霊の働きにおかげがあるのである』とみ教え下さっておられます。私達は信心の稽古に励ませて頂かねばなりません。神様、そして金光大神様がいつもご覧になっておられます。常に生神金光大神様、天地金乃神様とおすがりし、お礼を申しながら生活を営ませて頂き、おかげを頂いていくご信心を実意丁寧にさせて頂かねばならないと思わせて頂きましょう。
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2021年03月01日

●おかげを頂く元、おかげを落とす元

 あるご信者のお家で、「可哀そうな人だから」と女中さんに雇って頂かれた女性がありました。ところが給料日になると、働き盛りの年頃の息子さんが、母親であるその女中さんの給料をむしり取って行くので、女中さんはいつもお金に困って、難しい顔をされていたのだそうです。かまどでご飯を炊いていた時代の話ですが、この女中さんがご飯を炊かれましたら、必ず焦がしてしまわれるのでした。そして、毎回その「おこげ」をゴミ箱に捨ててしまうので、家の主人であるご信者は「私は、おこげが好きだから、捨てずに残しておいて下さい。」と女中さんに仰いました。しかし、食事の後にゴミ箱を見てみると、そう言ったにも関わらず「おこげ」が捨てられてあったのです。ご信者が再度、同様に女中さんに言われると、今度はゴミ箱には捨てられていませんでしたが、汲み取り式の便所に捨てられてあったということでした。

★二代教会長伊藤コウ師は、そのご信者に「その女中さんに辞めてもらいなさい。何回言っても理解が出来ず、改まりが出来ない方を家に置いておくと、あなたの家が立ち行かないようになります。使用人のご無礼は主人のご無礼になります。こんなご無礼を繰り返していては、あなたの家のめぐりとなります。」とお話しになりました。コウ師がここまでおっしゃるのは余程のことです。何事にもおかげを頂く元があり、またおかげを落とす元があります。与えて頂いているものを粗末にして、毎日めぐりを積み重ねて、自ら不幸の元を作ってしまい、さらには周囲が助からない元を作ってしまっていては立ち行きません。「どうぞ家老としての使命を全うさせて下さい。家の中のあらゆることは私の責任です。家老としての徳と力を頂き、大きなお役目を果たすことが出来ますように。」と願い、おかげを頂く方へ舵取りをさせて頂きましょう。

★『ご無礼である、お粗末であるというが、商売人がはかりの目盛りをごまかしたり、人の目をくらましたり、農業する人が山や田畑の境目を勝手に動かしたり、水や食べ物を粗末にしたり、自分の勤めをおろそかにしたりするほど無礼はない。人の目をくらまして得をしようとするから、損をしてたおれる。境目を欲張るから、その田畑を放さなければならないようになる。食べ物を粗末にするから食べられないようになる。勤めをなおざりにするから仕事は逃げ、働けないようになる。みな、無礼粗末の心がもとでそうなるのである。』

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