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2021年02月26日

●至誠は天地に通じる 

松山成三師は、戦後満州・大連でご布教に励まれました。

★中国に渡ってまだお住まいも定まらない状態であられた時に、「さあ、いよいよこの広い大陸で金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開けるに違いない」と喜び勇んで布教なされたのです。さらに日本に帰られた時も、衣食住が全て整っていない状況であられながら、何もかも全て神様にお任せなさって、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂かれたのでした。すると、それから一年も経たぬ間に、ある場所に神様のお広前が完成し、「是非松山先生に御用して頂きたい」との願いをお受けになられ、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのです。

★阿倍野教会では、初代教会長・伊藤徳次師が大正15年に32歳でお国替えになられ、その十日祭の当日、広前のご建築の為の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられるということがありました。二代教会長・伊藤コウ師は、[何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が「後の事は、私達がみな引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください」と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は、人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は、神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう]と思われました。そして、その連判状を御神殿にお供えされ、お礼とお願いをされました。そうして、只一人、諦めることなく強く願いを持ち続けられ、およそ1年後には無事にご建築が成就されたのです。開教五年記念大祭に併せて、お広前の新築落成奉告祭が、盛大にお仕えになられたのでした。

★その原動力というのは、「初代教会長先生がお願いなさっておられたところが成就します様に…」ということと、「お母さん(ハル氏)に心配かけませんように…」ということを、厳しい状況の中にありながら、そのお願いを徹底して貫き通されたことによるものです。そうした姿勢を貫かれた方々は、神様がそのお心に応えて下さり、御神徳を表して下さり、結構なご庇礼を蒙らせて頂けるのです。「命あらん限り、精一杯真心を尽くさせて頂きます」という至誠は天地に通じてゆき、神様は次々と必要なものを与えて下さるのです。
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2021年02月25日

●刃先の焼き直し

『「鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでもさいかけ(刃先の焼き直し)をしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのがさいかけじゃ」と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、どんなにもなかったら信心が寝入る』

★以前、大病をなされて入院なされた先生に、先日お会いした時にご体調のことをお伺い致しましたら、先生は「これまで健康だ、健康だ、と生活させて頂いておりましたけども、病気で入院させて頂きました時に、食事が出来る・寝ることが出来る・排泄が出来るということは、おかげを頂かないとさせて頂けない事だと分からせて頂きました。私は、健康だからと慢心しておりました。」と仰っておられました。

★私達の生活でも、何事も起こっていないということで、したいことが何の支障も無く出来ておりましたら、油断して慢心してしまいます。神様は、私達にいろいろと機会を与えて下さり、信心が寝入らないように気付かせて下さるように思います。

★私自身も、膵炎を経験しました。食べる物によって痛みが出ますので、痛まずに頂ける食品と全く頂けない食品がありました。しかし、その事によって改まりが出来、食生活において拝んで頂き節制をさせて頂いておりますと、体質を改善させて頂けたのです。今は痛みもなく、有難く拝んで食事を頂いています。そのようにして、おかげの元を神様が与えて下さっていたのですね。

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2021年02月24日

●祈りながら待つ 

三代教会長・伊藤良三師があるご婦人の信者に、「あなたは、どのような経緯でお参りなさるようになられたのですか?」と、お尋ねになりました。そのご婦人は[私は結婚してから主人に信心を教えてもらいました。主人は私に「参れ」とは言いませんでした。主人が朝参りから帰っても、私はまだ寝ている日々が続いておりました。寒い冬でも朝参りから帰った後、火鉢の傍で新聞を読みながら私が起きるのを待ってくれていました。「すみません、今起きました」と声を掛けると、主人は小言一つ言わずにニコニコとしてくれていました。これでは主人に申し訳ないと思うようになり、だんだんと早起きさせて頂けるようになって、主人と一緒にお参り出来るようになりました。]と、お話し下さいました。良三師はそのお話をお聞きになって、辛抱強く、祈りながら待つご主人の姿勢に感心なさったということです。

★論語の中に「君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰(ゆたか)ならず」と残して頂いています。これは「良くできた人は自信があって落ち着いている。そして傲慢なところがない。反対に人間の出来てない人は、いかにも偉そうに傲慢だけれども、どことなく落ち着きがない。」と一般的に訳されています。江戸時代の思想家・伊藤仁斎は、「泰(ゆたか)とは、己はこの点に於いて人より優れている、ということをみだりに表に表さない。己を慎んでいくから自ずから豊かな伸び伸びとした姿になる。また人を先に立てるから驕るということがない。物事がよく分かっていない人は、自分にちょっとでも優れたところがあると、自らの能力を人に見せびらかしてつい傲慢になる。」と記しておられます。

★相手のことを祈る、立てるということは、自分の心を豊かにさせて頂き、受け物を大きくして頂けるのです。相手を憎んだり恨んだりせず、どこまでも慈愛の心でもって慎み深く接することが必要です。そして、相手のことを諦めずに願い続ける稽古が大切です。

★『此方のことを、神、神と言うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。生神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげが受けられるぞ』
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2021年02月23日

●日々お徳を頂く生活をする

 昨日は、三代教会長・伊藤良三大人霊神の13年廻れる例年祭を無事にお仕え申し上げることが出来、ご生前中よりご祈念頂き、今日も阿倍野教会の信奉者一同に、付きに付いてお守り下さり、お導き下さることにお礼を申し上げることが出来ましたことは、真に有り難いことでございました。

★三代教会長伊藤良三師は、9人兄弟であられましたが、その内の6人が次々と御国替えされました。ご両親は、大変辛い思いをなされたのです。末っ子であられた良三師は虚弱体質で小さい子供でありましたから、親は「どうあっても元気に育ってほしい」という悲痛な思いで、小学6年生の年齢で親元を離れて阿倍野教会に入所なさり、二代教会長伊藤コウ師と、コウ師のご母堂・伊藤ハル氏より、朝起きてから夜休まれるまで、箸の上げ下ろしにいたるまで、事細かにみ教えを頂かれる日々を送られたのでした。後に20歳頃になって養子縁組が整われたのです。

★コウ師より「朝起きて、ご飯を食べて学校に行かせてもらうことだけをしていては、あかんのや。庭を掃かせてもらうとか、廊下を拭き掃除させてもらうとか、何か御用させてもらいなさいや。そして学校が終わったら、寄り道せずにすぐ帰って来て、何か御用させてもらいなさい。」とみ教え下さったのです。良三師は、十代の頃から自分のことだけではなく、日々お徳を頂く生き方を稽古なさって、頑健な心と身体に成長させて頂かれました。

★三代教会長先生が戦地に赴かれます時に、二代教会長伊藤コウ師から「遺言と思って聞きなさい。まず、出来てくることをすべて有難くご修行として受けていきなさい。次に人を殺さないこと。殺さないということは死なせてはならんということですよ。」とみ教えを頂かれました。戦地に赴かれた良三師は、行くところ行くところ、今度は難しい、今度は容易ならんと思われても、「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」といつでもどこでも心中ご祈念なさらない日はなかったという事です。

★ある時、上の副官より「すぐに刀を振り回したり、人の悪口を言うなど、非常に喧嘩早い人がいて、他の隊では受け入れを断られたが、君のところでどうしても引き受けてほしい」と言われ、その方を受け入れる決心をなさったのですが、半年間全く言うことを聞いて下さらなかったそうです。部下に言うことを聞いてもらえないことを周囲に笑われる等、それはそれは恥ずかしい思いをなさったそうです。しかし、「将来教会で御用させて頂くにあたって、色々な問題があるに違いない。ご信者一人一人に皆おかげを受けて頂かねばならんのに、『この人は私のところに合いません』と断るようなことでは、御用にはならん。出来てくることを全てご修行だと受け切っていかねばならない!」と思われ、ご辛抱なさったのです。

★すると、良三師がフィリピンでマラリアに罹られ、40度の高熱でうなされておられた時、その部下の方は、良三師の頭を冷やすなどして、介抱して下さったのでした。さらに「仕事は全部しておきましたからご安心下さい。ゆっくりと休んで下さい。」と言われたのです。良三師は、その方の考課表に、悪いことは一切書かず、全て良いことばかり書いて提出なさったのでした。

★良三師は、どんな状態にあっても神様を杖にあきらめず、コウ師のお言葉を神様のお言葉だと受け切られ、過酷な戦地に於いても、100名の部下が一人も戦死する事なく、遺骨なしで帰国させて頂けるという大みかげを頂かれたのでした。

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2021年02月22日

●素直に有難く受け切る

 本日は、お昼の2時より、三代教会長・伊藤良三師の13年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。★三代教会長・伊藤良三師が、三度目のマラリアの症状が発症された時のことです。その症状は再発する度にきつくなり、熱が出るだけでなく、両手足の神経が麻痺し、お茶碗を持つことさえ出来られませんでした。何事にも辛抱強いお方が、「半年でも寝ていよう」と思われたほどの重い状態で、安静にしている他はないようなご容態でした。

★二階の部屋で休んでおられました時に、階下から二代教会長・伊藤コウ師が階段を上がって来られました。足音で気付かれました良三師は、「何か滋養になるものを持って来て下さったのだろうなあ」と思われたそうです。しかし、ガラッと戸を開けられましたら、何も持っておられません。コウ師は、「あなた、いつまで寝ているのですか!?」と仰せになったのです。さらに「大体あなたは、このごろ偉くなり過ぎて、手も足も使わない。ほうきも持たないのなら、手も足も要りませんね」と仰って、すうっと下へ降りて行かれたのでした。

★良三師はその時、「本当にその通りだ!」と思われて、早速寝床を上げられ「少しでも御用にお使い頂けますようにお願い致します」とご祈念をなさったのでした。そして、まず雑巾を持つこと、廊下を拭くこと、トイレ掃除等から始められました。すると、徐々に手足も動くようになっていかれたのでした。同じ症状で半年一年と寝込んでしまい、家族に何もかもお世話をして頂いておられた方は、足が子供の腕の細さになって、完全に廃人になってしまわれたそうです。良三師は、「親先生は、自分の為に厳しいみ教えを下さったのだ。これをおかげにさせて頂こう!」と、素直に有難く頂かれたことにより、それがおかげとなって、後々まで健康で御用にお使い頂かれる様になられたのです。そのようにして、良三師はどの様な厳しいみ教えを頂かれても、すぐに思い分けをされ、心を切り替えられて、一度も不足に思われることなく、素直に有難く受け切っていかれたのでした。

★本日は、勢を揃えて参拝させて頂き、三代教会長先生の御霊前に、ご生前中にお取次ぎ下さり、み教えを賜りましたことへの御礼、また、日々御霊神としてお守り頂いております御礼を申し上げ、共々に有難いご報告をさせて頂きたいと思います。
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2021年02月21日

●心身共に良い状態を保たせて頂くために

 先日、歯が染みるので1年以上ぶりに歯医者に行かせて頂きましたら「知覚過敏です。歯ぎしりがひどいからでしょう。ぐーっと歯を嚙みしめている状態が、毎日積み重なって歯の根元が段々とはがれるので、知覚過敏を起こすのです」と診断されました。若い頃から就寝中の歯ぎしりをする癖がありましたで、無意識のうちにそうなっていたのです。

★どうすればよろしいか聞かせて頂きますと、「あなたは歯周病ではありません。ただ噛みしめているのが影響しているので、寝る時にマウスピースをしたらよろしいですよ。」と言って頂きました。実は数年前にマウスピースを作って頂いて、一度マウスピースをはめて寝させて頂こうとしたのですが、とても寝ていられず、たった一晩で外してしまったのです。何ヶ月も使用しておりませんと使えなくなり、また歯形の取り直しをしなければいけないそうで、「マウスピースを新しく作って付けて寝たら、ある程度は防げます。まず今日は治療しておきましょう。」ということで、久しぶりに麻酔を打って治療して頂きました。

★毎日変わらずに使わせて頂いているつもりでも、自分の健康管理の良くないところがあって変化が起こってきます。もっと丁寧に扱って、お医者さんの仰ることを素直に聞き、より一層に辛抱させて頂いておりましたら、起こってこなかったことかもしれません。み教えでもそうですね。「今のうちにこうしておきなさいよ」と教えて頂いておりますのに「もうちょっと・・・」と先延ばしにしておりますと、都合の悪いことが起こってくるのです。そうなってからでは、どうにもこうにも収まりがつかないようになってしまいます。

★健康の面では、体の中は自分では見えませんし、気が付いていないことばかりです。ですから、定期的に見て頂いて、適切な治療を受けて良い状態を維持していく、ということは大切なことですね。そして、心の中を客観的に見直していく、というのがご信心の世界です。日参と聴教、毎日み教えを頂いて、自分自身を見つめ直し、心新たに【どこが正しいのか】【どこが間違っているのか】【どういうところをおかげを頂いていかねばならないか】ということを考え直しをしていくことが大切です。

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2021年02月20日

●信心の地を肥やし、根張りをよくする

18日は、教徒会例会が開催され、河村氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★河村氏は63歳の時に胃癌を患われました。医師より「胃癌の進度は5段階中の5である。」と宣告を受けられ、すぐに手術するように言って頂かれました。三代教会長先生にお届けされますと、「しっかり信心させて頂いておかげを頂きましょう。出来てきた事をおかげとして、医師の手を借りて悪い所を取って頂き、神様に治して頂きましょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★河村氏はそれまで「なぜ自分が、こんな病気に侵されなければならないのか…」と思っておられましたが、医師より「あなたの胃癌は、普通では見つけ難い所にあり、定期的に検査を受けておられたので発見が早く、手遅れにならずに済みました。」と言って頂いたことを思い出され、大病を小病におまつりかえ頂いていることに御礼を申されました。そして手術の際には、胆のうにも癌があることが見つかり、胃癌と共に切除して頂かれ無事成功のおかげを頂かれたのです。

★河村氏はこの他にも、ご自身やご家族の上に幾度となく命が危険な状態あるところを、神様にお縋りなさって全快のおかげを頂いて来られました。河村氏のお話を聴かせて頂きますと、毎日がおかげの連続であることに改めて気付かされます。神様を杖にして、安心立命の境地にならせて頂くには、「信心の地を肥やす」ことと、「信心の根張りをよくする」ことが大切です。日参と聴教に励み、どのようなこともお結界でお取次ぎを頂いて、万事にご都合お繰り合わせを頂けますように、神様にお縋りさせて頂くのです。

★『めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂ると、めでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは、地の底に目には見えぬが大きく根を張っておるからじゃ。もとになる根が枯れると、太い幹も茂った枝葉も枯れてしまう。日々信心の根張りをよくしておると、無常の風が吹いても、たおれることがない。おかげで枝葉も茂って繁盛する。これがめでたいのじゃ。』
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2021年02月19日

●神様は全てをご存知であられる

 先日、税理士の方にご確認・ご指導を頂きまして、国と御本部に提出させて頂く会計の決算書類を整えさせて頂きました。その際、税理士の方より、「全く数字に間違いがなく公私混同のない帳簿の内容で、大変結構ですね。」と、仰って頂きました。以前にも税務署の方から、「公私混同のない内容で大変結構です。」と仰って頂いたことがあります。それは、神様を目当てにさせて頂く、つまり、神様から見て頂いてご安心頂けることを、いつも念頭におかせて頂いているおかげであると、改めて有難く思わせて頂いたことでした。

★以前に、真栄根館の地下の厨房の改修の際に、私共から保健所の方にお願いして、ご指導を受けたことがありました。そうしますと、世の中の標準となっている考え方や、調理の方法、設備が欠けているところ等を、いくつもご指摘頂きました。そこで早速、ご指導頂いた通りに一つ一つ改めて整え、改修をさせて頂き、再び保健所の方に確認に来て頂きますと、「大変結構です。このように、こちらの指導したことを100パーセント守って頂いたのは初めてです!」と、大変喜んで頂いたことでした。神様から見て頂いて、決してごまかし等のないよう、教えて頂いたことを素直に有難く守らせて頂くことによって、神様のお守りを十分に受けさせて頂く受け物が作らせて頂けるのだと思います。

★家庭でのことも、仕事の上のことも、人から見られている時も、見られていない時も、神様は全てをご存知であるということをいつも忘れず、どんな時にも実意・丁寧・正直・親切に、神様にご安心頂ける生き方にならせて頂きたいと思います。

★『神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい』

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2021年02月18日

●神様に正直な生き方を学ぶ 

あるご信者の息子さんが、お商売の勉強をさせて頂くために、他の店に修行に行かれました。

★そこで、お商売を仕込んで頂いたのですが、その店のご主人から「お前は正直者すぎて困る。真面目に働いてくれるのは良いが、夕方のお客さんが立て込んでいる時に、いわば稼ぎ時なのだから、品物を量ってお客さんに渡す際は少しずつ少なめに盛るのだ。それを10回もすれば、だいぶ稼げるだろう。それが、商売というものだ。お前みたいに馬鹿正直にしていれば、一向に儲からない。」と苦言を呈されたのです。店のご主人に、「秤の目をごまかせ」と言われたご信者の息子さんは、小さい頃から教会へ参拝され、実意・丁寧・正直・親切な生き方を教えて頂いておられますので、ご主人の言われたことを、そのまま受け入れることができられませんでした。

★そこで、店の番頭さんに尋ねたのです。そうしますと、番頭さんは、「それがうちの大将の方針だ。私は長年ここで働かせてもらっているが、大将の良いところはしっかりと学ばせて頂き、これはしてはダメだと思うところは習わないようにしている。あなたも自分が正しいと信じているところを、勉強してゆけばよい。」と言われたのです。息子さんは、どうすれば良いのか分からず、家に帰ってご両親に尋ねられたのです。

★ご両親は「いくら店のご主人がそう仰っても、あなたは、み教え通りに実意・丁寧・正直・親切に働くことを貫き通しなさい。世間ではこういうことを言う人があるのだ、という事を学ばせて頂きなさい。秤の目をごまかせば、目先は得をしたように思うかもしれないが、不当に得た利益は、結局はどこかで清算しなければならないのです。天地が裁かれるのです。入れてはいけないところから入れていれば、必ずその何倍にもなって出ていくのです。例えば、商売で損をするとか、人から騙されるとか、病気をするという事は、自分が積み重ねてきた結果で、そういう目に遭わなければならないのです。それが天地の道理なのです。人の目はごまかせても、神様の目はごまかせません。」と教えて下さり、息子さんは今後の生き方の指針を、考えさせて頂く機会を頂かれたのでした。

★『玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。』
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2021年02月17日

●信心を離さずに、神様と仲良く

 昨日は、天候初め万事に御都合お繰り合わせ頂きまして、婦人会総会を無事開催させて頂き、西端氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。西端氏はご主人のお母様であられる西端千鶴子氏からお導きを頂かれました。

★千鶴子氏の家が難儀の中にある時に、親戚から【幼い子を2人預かって欲しい】【お金も貸して欲しい】と頼まれ「家が難儀の最中であるのに、どうしてこのようなことが起こってくるのでしょうか?」と三代教会長先生にお届けされたそうです。三代教会長先生は「人間には誰でも、生きてゆく上でご修行があります。病気で苦しむご修行、お金や貧乏のご修行、人間関係のご修行、その中でも子供を預かるのは最高の人徳を頂けますよ。その子たちを神様のお使いだと思い、喜んで大切にお預かりさせて頂きなさい。また、親戚に貸したお金は、神様に無期限の定期に預けたと思いなさい」とみ教えを頂かれ、素直に受けられましたら、一人は公務員として働かれ、もう一人は測量士の資格を取得後に起業され、千鶴子氏夫妻のことを、実の両親のように慕ってくれたそうです。

★千鶴子氏が入信当時のこと、千鶴子氏の実の母親から「お参りしたら結構になります」とみ教え頂かれたことを素直に守られ、熱心にお参りをなさっておられましたが、なかなか結構にならず、あまりにも辛いことが続くので、二代教会長先生に「信心させて頂いても、なかなか良いようになりません」とお届けされました。二代教会長先生は「今は信心のお徳と難儀とが綱引きの最中です。信心を離したら、一生難儀に引きずり回されますよ」とみ教え下さったのでした。このみ教えを頂かれ「私の家は、ご信心で助かる他に道はない!」と心が決まり、よりいっそう日参・聴教・朝参り・御用奉仕に励まれ、また孫の信心相続や信心教育、お導きにも励まれたのでした。

★西端氏は「主人とご縁を頂かなければ、このお道にお導き頂けず、今の自分は無かったと思います(中略)義母が一生懸命続けて下さったご信心のお道を、今度は私が三代先までの幸せを願って進めさせて頂き、しっかりお導きさせて頂きたいと思います」とお話し下されました。

★色々なことが起きてくるのが人生です。その中をお繰り合わせ頂いていくように、ご信心の稽古に励みますと、信心のお徳を積み重ねることによって、大難を小難、小難を無難に、大病を小病、小病を無病におまつりかえ頂けるお道です。共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2021年02月16日

●実意丁寧な商売

以前、あるご婦人がお結界に来られて、「最近うちの主人が、信心に凝りすぎて困っております。先生から、あんまり信心に凝りすぎないように、主人に言ってやってください」とお届けされたのです。よくよく話を聞いてみると、ご主人は商売をしておられるのですが、信心なさる前までは、利益を取ることしか考えておられなかったそうです。しかし、熱心に信心なさるようになって、「これからは、お客さんに出来る限り親切丁寧にして、実意丁寧な商売をさせて頂こう!利益は少なめにさせてもらおう。」と言い出したということです。奥様から見れば「今でも生活は苦しいのに、そんなことしたら食べていけなくなります。ですから、信心に凝りすぎないように言うて下さい」ということだったのです。

★そこで三代教会長伊藤良三師は[少し聞いて下さい。ご主人と奥様の信心には、かなり差があります。あなたはあまりお参りもされず、み教えも頂けておりませんが、ご主人は一生懸命お参りして、み教えを頂いておられます。あなたには、ご主人の言う事が極端に聞こえるかもしれませんが、しっかりとみ教えを頂いて信心をなさっているご主人が、どのようにおかげを頂いていかれるか、その姿を見てあげてください。ご主人の信心の足を引っ張らないように、一年間覚悟を決めて、ご主人の方針に従ってあげてください。心配になれば、神様に「どうぞ商売が繁盛しますように」とお願いして下さい。]とみ教えなさったのでした。奥様は、「そうさせて頂きます。」と言われたものの、不服そうに帰っていかれました。

★そうして、ご主人が実意丁寧な商売を続けられた結果、赤字続きの商売が黒字になり、有難いことにお客様・得意先が増えていき、結構に繁盛させて頂かれるおかげを頂かれたのです。後に奥様は「未だになぜ繁盛したのか、よく分かりません。信心の世界は不思議なものですなあ。」と仰っていたそうですが、ご信心に基づいて、実意・丁寧・正直・親切なお商売をさせて頂きますと、双方が立ち行き、繁盛させて頂くことができるのです。

★『氏子信心するという心におかげはない。信心させて頂くという心におかげはある。氏子商売するというから神は見ておる。商売させて頂くという心になれば、神はつきまとうてさせてやる。』
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2021年02月15日

●病なしの信心になるように

 竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。

★竹本師が42歳の頃、心臓病と腎臓病を併発されて頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。その時、もう生命が尽きるだろうからと、つめかけた親戚の方々の中に、金光教の信心でおかげを頂かれた方がおられ、その方が「私は金光様に命を助けて頂いた。金光様のみ教えでは『死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよ』とみ教え下さっておられます。今17、8人おりますから、4組に分けて2組は自宅に帰り、1組は看病をして、もう1組は教会に参拝する、ということを時間を決めてさせて頂いたらどうでしょう?」と提案をなされたのです。そうして親戚の皆さんが、入れ替わり立ち替わり、お教会に参拝なさった結果、一週間ほどのうちに浮腫が引いて、命を助けて頂く大みかげを頂かれたのでした。

★そこで、竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされ、お結界で「信心しなさいよ。信心させて頂いたら、3日と枕をかたげさせん。氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。神様の綱を放さないように信心させて頂きなさい。」とみ教えを頂かれ、翌日から日参なさるようになられたのが、信心の始まりであられたそうです。

★竹本師が初めて御本部へ御礼参拝なされた時、三代金光様はふくさを開かれずに名前も見られる事なく「京都の竹本さん、ようお参りでした。」とお言葉をかけて下さったのです。竹本師は大変驚かれ感激され、その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。それからの後半生は身しのぎの出来る体に作り変えて頂かれ、いくつもの教会のお広前を次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。また、信心をなさるようになられてから、「神様から頂いている命・身体を十二分に使わせて頂けます様に。」という生き方に変わらせて頂かれたのでした。

★『初めに聞いてありがたかった話が、いつ聞いてもありがたかったら病なしの信心である。初めに聞いてありがたかった話が、ありがとう聞けぬようになったら病の信心である。病の信心にはおかげはない。三つの歳に食べた米の飯が、四十、五十になってもおいしかったら病気はないのである。時の信心より常の信心。時の追い肥よりは常の地肥え。時のお百度参りよりはその日参りでおかげを受けるがよいぞ。』

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2021年02月14日

●生き抜いていく力を大きくしてゆく

『金は尽きることがある。一心になって、真心をもって信心せよ。身の上に徳のつくおかげがある』

★心も体も健康で、物質的にも精神的にも、豊かな生活をさせて頂けるようになりましたら、日々の生活の中で礼節を重んじてゆくことも心がけることが出来易いものです。ご恩を知って御恩に報いていくということを大切に考えさせて頂いて、精神的にも物質的にも豊かな生活がさせて頂けますように、とお願いさせて頂くことは重要なことですね。しかし、お金のことにだけ捉われ、すべてにお金が中心になってしまっては、本当に豊かな生活ということにはなっていきません。

★二代教会長伊藤コウ師は「人に負けても病に負けないように。喧嘩では負けてもよろしい。人に勝とうと人と比べて、人よりちょっとでもいい着物を身につけたい、人よりも良い物を食べたいとか、理屈で負けたくない等を考えるより、己に克ちなさい。病に負けるようなことになったらいかん」と仰いました。いくらお金があっても病に負ける生活になってしまっては、豊な生活ということにはなりませんね。心も豊かにならせて頂き、また体も健康のおかげを頂いておりますからこそ、様々なことに取り組ませて頂いて、有難い人生を歩ませて頂くことが出来ます。

★人生は何も起こってこないわけではありません。次から次へと問題が起きてきますが、その都度「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」とおすがりをさせて頂いて、一つ一つ乗り越えさせて頂けるだけの徳も力も(生き抜いてゆく力)身に頂いていくことが一番幸せなのです。

★ご信心させて頂く上で、しっかりとみ教えを頂いて、一生が修行であるということが分からせて頂けるようになっていくということが大事です。み教えを頂けるということが有難く、さらにそのことによって自分の心が開けて、色々な人生のどの場面におきましても「これをご修行にさせてもらおう」「これをご信心の材料にさせて頂こう」と、いつも心が前向きで、神様に向かわせて頂ける心持ちにならせて頂きましたら有難いですね。

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2021年02月13日

●願い成就のために、分相応な生活

 阿倍野教会が布教初めの頃から、家賃の支払い等に遅れのないように苦労なさった、初代教会長・伊藤徳次師や二代教会長・伊藤コウ師は、手続きの親教会である島之内教会へ歩いて参拝をなさっておられました。コウ師は、歩いておられる道中、電車や自動車を見かける度に「ようし!今に私もあんな電車や車に乗らせて頂いて、参れるようにならせて頂こう!お金を無駄に使わないようにおかげを頂いていきさえすれば、やがて電車にも自動車にも乗らせて頂ける!きっとならせて頂ける!今はご修行させて頂こう!」と、ご修行させて頂いているご自分を、励ましながら参拝させて頂くことを、先を楽しんでなさっておられたのです。

★また、昭和32年にこのお広前が完成した頃のことです。あるご信者が、真心から中古車をお供えしようとなさったことがありました。その時にコウ師は「あなたの真心だけは、神様にお取次させて頂きます。教会は今、ご建築が終わったばかりで、電気代やガス代、水道代を支払うことで精いっぱいです。旧広前の頃に比べると、経費は大変多くなっており、全く余裕がない状態です。維持費を払うことも、運転手さんを雇うことも出来ませんので、今の教会には、車は分不相応なのです。それでは宝の持ち腐れになり、勿体ないことになりますので、車はお持ち帰り下さい。先々には維持費も出せて、運転手さんも雇わせて頂くことが出来る状態になったら、現金で買わせて頂きますので、ご理解ください。」と仰ったのでした。納得されたそのご信者は、「先走ったことをいたしました。申し訳ありませんでした。」とおわびを申されて車を持ち帰られました。

★すると、別のご信者が「先生、頂いておかれたら宜しいのに…。いらなければ売られたらいいのです。」と言ってこられたのです。コウ師は「教会は、人様の真心を踏みにじるようなことは出来ません。それこそご無礼です。」と仰せになられたのでした。

★私達は、自分の分相応を越えてしまうことがあります。それは驕りから起きてくることです。家庭の上でも、仕事の上でも、全てにおいて信心を基にさせて頂き、常に分相応を心掛けることが健全な姿なのです。コウ師は常に「どんなに裕福な生活になっても、どこまでも最小限の生活をするように。3年の蓄えなければ、家にあらず!」と言い聞かせて下さいました。大きなお願いを立てて、先を楽しみに信心辛抱させて頂きましょう。

★『おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな』

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2021年02月12日

●ご恩を知ってご恩に報いてゆく働き 

先日、昭和38年の二代教会長・伊藤コウ師のみ教えを、心新たに拝聴させて頂きました。

★「衣食足りて礼節を知る」という故事成語があります。これは、「生活にこと欠かなくなって、人は礼儀に心を向ける余裕ができる。」という内容です。戦後の生活の苦しい時のお話ですが、とある学校の先生の奥様がひもじさに耐えきれず、他人の畑の芋を盗んで捕まって、電信柱に括りつけられたということをニュースでお聞きになられました。人間は、いくら高等な教育を受けられても、食べるものがなければ、心にも迷いが生じてしまうものだということです。

★ですから日々、心も身体も健康でおかげを頂き、豊かな生活をさせて頂けるようにおかげを頂いてゆくことは、実に大事なことです。そこで「五つのお願い」(1体の丈夫、2子孫の信心教育、3豊かな生活、4平和円満、5徳と力)をどんな家でも願い続ける必要があります。また、借金のない生活をさせて頂くことが大切です。もし借金があれば、神様にお願いして一日でも早く返済させて頂けるように、日々の生活でおかげを蒙らせて頂く必要があります。借金のない生活とは、これまでのご恩を知ってご恩に報いてゆく生活です。

★ただし、銀行からの融資を受けた借金や、友人、知人、親戚から借りたお金を返済すればそれで終わりということではなく、今までお世話になった分だけ、自分自身の足元に穴が開いていると捉えるのです。その穴の開いた足元に、いくら立派なものを建てたいと思っても、基礎がしっかりしていないので、建てたものがぐらつくのは当然です。ですから、自分自身の過去にお世話になった事に対する、「ご恩を知って、ご恩に報いてゆく働き」をしっかりとさせて頂かねば結構にはなりません。それは親孝行も含みます。そして、国民の義務を果たさせて頂くよう、税金も納めさせて頂くのです。これまでの御礼に働かせて頂けます様に、というお願いの在り方が実に大切なことです。

★二宮金次郎先生は、「ここに一つのたらいがある。そのたらいの中に水を一杯貯めておく。それが自分の財産で、その中に石を一つ放り込むと石の大きさだけ水が減っていく。この石は借金です。たくさん石を放り込めば放り込んだだけ、たらいの中の水が減ってゆくのです。」と記しておられます。その水が家の豊かさを表し、石は恩借を表すのです。石を取り出して、水で貯えていかなければなりませんね。

★日々、心配のない生活をさせて頂く為には、先を楽しみに信心辛抱をさせて頂き、質素倹約をして三年の貯えが出来るように、おかげを蒙らせて頂きたいと思います。
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2021年02月11日

●心のおかげを頂いたら、体のおかげも頂ける

 旧広前で御用をさせて頂いていた頃のことです。あるご婦人が脳卒中を発症され、その後遺症で手足のマヒがあり、床についておられたのでした。ご主人も、娘さんも優しいお方で、後遺症に苦しむご婦人のお世話を一生懸命になさっておられたのでしたが、ご婦人は、「足音がうるさい」「布団の敷き方が悪い」「私をのけ者にして、みんなで笑って話しをしている」等々、朝から晩まで不平不足ばかりの毎日を送っておられたのです。

★近所にお住まいだったご信者が、そんな様子をいつも気の毒に思われ、何とか助かって頂きたいと願っておられました。そして、ある日ご主人に、「奥様に、今のままでは助からないことを伝えたいと思っていても、それを話して理解して頂くのは難しいでしょう。一緒に、お徳の高い先生のお話を聴かせて頂いてはどうですか?私が、車を手配させて頂きますから、それに乗って奥様と一緒にお参りさせて頂きましょう。」と、親切におみちびきをなさったのでした。

★そうして、月例霊祭の日に初参拝されたのです。奥様は、座ることも出来られませんでしたので、お広前の後ろの小部屋に横になって、御祭典を拝まれ、み教えを聴かせて頂かれたのでした。そうしますと、その時のみ教えが、自分の為にお話し下さったとしか思えないようなご内容で、奥様の心に染み込んだのです。そして、親切に看病して下さってきたご家族、分けてもご主人に「これまで、我がまま気ままばかりで本当に申し訳ないことだった・・・」と、お詫びの心が湧いてきて、「病気の後遺症があっても、それは神様にお預けして、これからは病人になるまい」と、心に決めさせて頂かれたのです。それからは、「神様にお願いさせて頂きながら、自分のことはなるべく自分でさせて頂こう」「朝起きたら布団は上げさせて頂き、必要な時だけ横にならせて頂こう」「少しでも、主人と娘の役に立つことをさせて頂きたい」という、有難い心にならせて頂かれたのでした。

★そのような有難い心にならせて頂き、神様にお願いしながら手足を動かす稽古をしていかれますと、段々と手足を動かす機能が回復し、ろれつが回らなかったのも段々と言葉がはっきりしてこられたのです。また、お参りなさった時には、不自由なお体であられながら、雑巾で下駄箱のお掃除をなさったのでした。次第に、お宅祭もお仕え頂けるようになっていかれ、三代教会長先生がお宅祭にお出ましになられた時には、「先生、階段の昇り降りも自分で出来るようになりました!」と、一段一段、腰を下ろしながら階段を進む様子をご覧いただくことが出来られたのでした。

★み教えを頂くことによって、ご家族にお世話になることを当たり前ではなく、有難いと思えるようになり、また、不自由がありながらもさせて頂けること一つ一つに御礼が申せるようになっていかれたのです。そして、人様をおみちびきさせて頂くことも出来るようになられ、有難い御用にお使い頂けるようになられたのでした。

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2021年02月10日

●無駄にする事は、神様に御無礼

子供たちが病気を患ったことをきっかけに入信なさった、大工の仕事をなさった方の入信当初のことです。

★「私は、今まで棟梁に仕込んで頂き、まともに仕事をして本格的な大工として建築が出来るようにならせて頂いた。だから自分は間違ったことはしてきていない。」と自負しておられたそうです。ところが、お参りをさせて頂いて、み教えを頂かれる度に、それが思い違いであり、神様に対してご無礼な仕事ぶりであったということが、分からせて頂けるようになられたのでした。

★そのお方は、「自分の木材や釘や道具等は大切にしていましたが、自分の利益に関係のない得意先の材料が、余りますと捨てておりました。施主さんに喜んで頂けるだけで良い、と思っておりました。ところがみ教えを頂きますと、それが間違いで、神様から与えて頂いている材料を無駄にすることで、自分自身にめぐりが積み重なっていたことに、初めて気が付きました。余った物を生かして使うというような考えや、無駄のない仕入れをしなければならないという考えまでには至っておりませんでした。神様のお恵みに対するお礼と、当たり前のように、そのお恵みを無駄にしていたことに対するお詫びが出来ておらず、天地に対する御無礼を重ねていたことを痛感しております。これからは材料を無駄にしません。材料が余ればそれを生かして使わせて頂けるように、努力と工夫をさせて頂きます。」とお詫びを申されたのでした。

★み教えを頂かれたことによって、人対人との事ばかりを考え、今まで正しいことばかりしてきたと思っていたことが、どれほど浅はかで、無駄をしてきたか、また神様に御無礼を重ねてきたということに気付かれたのでした。そして、これからは神様を目当てにした生活をさせて頂かねばならない、という改まりが出来られたのです。

★私たちは、水・ガス・電気など全てに於いて、神様からのお恵みを頂いて生活させて頂いております。そのお恵みに対して、お礼を申しながら使わせて頂き、無駄のないように改めさせて頂きましょう。

★『貧乏していた時、「金光様、仕事は人の倍くらいもしますが貧乏で困ります」と申しあげたら、「それで貧乏ということはあるまい」と言われた。「でも、銭が残りませんから貧乏に相違ありません」と申したら、「それは、どこかに無駄があるのであろう。よばれて(招待されて)行くのに、先に茶づけを食べて行くようなことをしてはならない。ごちそうをいただく時には十分にいただき、ごちそうをする時には十分にしなければならない。十銭の無駄をすれば十円の罰をこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄をしないようにすれば出世もできる」と仰せられた。』
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2021年02月09日

●お導きは、共磨きのおかげを頂く場

 昨日はみかげ会例会が開催され、高居氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★高居氏のご信心は、お母様が昭和37年2月にお導き頂かれたことから始まりました。お母様は顔に赤く湿疹ができ、人が勧めて下さる色々な所や病院に行かれても、一向に治らず困っておられたそうです。そんな時に、近所に引っ越して来られた阿倍野教会のご信者三好氏に相談したところ「お教会へ連れて行ってあげましょう」と導かれるままにお参りなさったそうです。二代教会長先生より「今日から日参させて頂き、二十日間でおかげを頂きましょう」とみ教えを頂かれ、そのお言葉にお母様よりもお導きのご信者が驚かれ「初めてお参りなさった方に、先生が日を切ってみ教えを下さるということは滅多にありません。必ずおかげが頂けますよ!一緒に日参に励ませて頂きましょう」と励まして下さったそうです。

★お母様は、それまでの長い苦しみがあられましたから「治るのか治して頂けるのか・・・」と心が定まらず、み教えを心から理解出来られなかったそうですが、お導き下さったご信者が、み教えを噛んで含んで教えて下さり、共に元気に日参を続けられましたところ、二十日間でおかげを頂き、それ以降も顔に赤い湿疹が出る事無く、根切れのおかげを頂かれたのでした。

★日を切って願わせて頂くということは、「その二十日間本気でおすがりをして、おかげを頂きなさいよ」という意味です。家でじっとしていたら、勝手におかげが頂けるということではありませんね。「その間にどのような信心をさせて頂いて、どのようにあなたはおかげを頂いていきますか?」ということを尋ねて頂いているのです。覚悟を決めてお願いをさせて頂くようにと、お導きを頂いているのです。有難いことに、おかげを頂けるだけの受け物を、この方は備えておられると見て頂いてのことです。

★お導きを頂くということは、お導きをさせて頂く側も一生懸命にお願いをさせて頂く気になられますし、お導きをして頂かれる側も「それほどに仰って頂けるなら、私もその心になってさせて頂きましょう」という気にならせて頂けます。共に信心が進ませて頂ける、共磨きの有難い機会を与えて頂けるのです。そういう体験や有難さは、身に付いて離れないものになります。それぞれにご信心を基にして、有難さをしっかり体験させて頂けるおかげを蒙らせて頂きたいですね。

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2021年02月08日

●真の信心をして神様に用いて頂く

孔子の弟子で曾子(そうし)という方があられました。この方が「我、日に三省す」という言葉を残しておられますが、「一日に何度も省みる」という意味です。これは[私は毎日3つのことについて何度も反省する。1つ目は「他者の相談にのりながら、真心を尽くさなかったのではないか?」2つ目に「友人との交際で、信義を欠かなかっただろうか?」3つ目に「よく理解していないことを、後輩に伝えたのではないだろうか?」]という内容です。

★ご信心させて頂いている私達は、度々何を省みなければならないでしょうか?「今日一日神様のお心に適う生き方になっていただろうか?」「神様にお喜び頂きご恩に報いる生き方になっていただろうか?」「物事を決断する時に、易しい方を選んだんじゃないだろうか?」「難しい方を選ばせて頂く努力と工夫を重ねることが出来ただろうか?」「神様や人や物に対して実意丁寧に尽くすことが出来ただろうか?」「昨日と比べて上達しただろうか?」…等と振り返って反省することが出来れば結構ですね。しかし、すべて完璧に出来るわけではありません。今日できなければ、明日出来るようにお願いし、明日出来なければ、明後日出来るようにお願いすれば良いのです。毎日そうした心持ちを大切にし、神様にご安心頂けるような、ご信心の中身にならせて頂くことが大事なことなのです。

★「もっと良い考えを思いつかせて下さい。もっと進んだご信心にならせて頂けるようにご修行させて下さい」と自ら練り出し、お願いしながら取り組ませて頂いておりますと、有難いご庇礼が頂けるはずです。毎日諦めることなくお願いし、止むことのない努力と工夫を重ねることによって、人にも神様にも認めて頂け、用いて頂ける有難い働きぶりになってくるのです。

★『世の中の人は親のものは子のものと言うが、これも親孝行をせねば親のものも子のものにはならんのじゃ。神様のものは氏子のものじゃというても、真の信心をせねば神徳は下さらん。真の信心をして神様と仲良うすれば神徳はなんぼうでも下さる』
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2021年02月07日

●祈りに祈って頂いて

 5日には、真栄根会例会が開催され、岡崎氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。御祖父母様からのご信心を受け継がれ、昭和28年にお父様が阿倍野教会にお引寄せを頂かれてから、ご両親が熱心に日参なさって子供さん達を導かれまして、今年で69年のご信心が続いておられます。

★岡崎氏は、昭和59年に電機メーカーに就職なさり、研究所に配属されて、難しい開発研究に携わられました。ところが、開発が進み始めた時期に、岡崎氏のミスで開発全体が止まるという事態が起きてしまったそうです。上司から厳しく叱責され、岡崎氏としても、理解してもらいたい事情もあられたそうですが、茫然として会社を出られ、その足で教会にお参りなさったのでした。有難いことに、三代教会長先生がお結界にお出ましになっておられ、お届けをさせて頂くとが出来られたのでしたが、身も心も疲れ切っておられた岡崎氏は、頂いたみ教えを理解することが出来られなかったそうです。

★岡崎氏がお帰りになってから、私は、三代教会長先生より、岡崎氏のご自宅に電話をして、丁寧にみ教えをお伝えするよう仰せつかりました。早速お電話させて頂くと、岡崎氏はまだ帰宅しておられませんでしたが、帰宅されるなり教会に折り返しお電話がありました。私は、三代教会長先生のおっしゃった通りに、み教えをお伝えしましたが、心配なさっておられた三代教会長先生も続けて電話口にお出ましになり、岡崎氏にみ教えなさったのでした。岡崎氏は、感情の高ぶりが抑えられ、ご自分のミスを上司に心からお詫びして、改めて開発の仕切り直しに前向きに取り組ませて頂くおかげを頂かれたのでした。そして、開発は無事に目標を達成させて頂かれ、学会で技術賞を受賞するような成果を上げさせて頂くことが出来られたのです。

★岡崎氏は、幼少の頃から教会にお参りなさり、毎日子供会にお参りしてみ教えを頂かれました。毎日頂かれたみ教えが、自然と心に刻まれ、大人になって社会人になられてからも、折々に思い出されては、おかげを頂くことを実感なさっておられます。お取次を頂きますと、ずっと祈りに祈って頂いて、そのお守りを受けさせて頂くのであり、更に、自らも祈らせて頂くことによって、生神金光大神様、天地金乃神様のお祈り頂くところと一つ心にならせて頂くことが出来、有難いおかげを頂くことが出来るのです。

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2021年02月06日

●神様は、荒れ地・荒れ屋敷をお嫌いなさる

『神様は、荒れ地・荒れ屋敷をお嫌いなさる。』というみ教えについて、二代教会長伊藤コウ師は、伊藤の家の信心を振り返って、分かりやすくお話し下さったことがあります。

★コウ師の御母堂ハル氏が、入信なさって信心に励まれ、分かられたことは「天地の間に住む人間は神の氏子であるという事と、天地の間に住まわせて頂いているお土地を使わせて頂き、結構な家を使わせて頂いているという事です。その神様からお許しを頂き使わせて頂いているお土地や家を有難く思わずに、御無礼お粗末等をしているから、伊藤の家は次から次へと病気が重なり、思うことが思うようにならない。伊藤の家は、荒れ地荒れ屋敷であるということに気が付かせて頂いた。」ということでした。

★コウ師の御姉様であるカツ氏とスエ氏がご病気に罹られた際、お父上である房次郎氏は家業は放っておいて、娘さんのためにあちらこちらの病院へ連れていかれたのです。それでも回復しない娘さんを房次郎氏は、出養生させられる(よそへ出かけて養生すること)事もあったのでした。ですから、房次郎氏の代わりにハル氏が、家業をしなければならないことになられたのです。ハル氏は、家にも仕事がある中、家の周りのどぶ掃除やはき掃除を一生懸命なさって、地面に伏して、「今までは神様のお体を汚し、御無礼をしてきました。その御無礼が重なって、可愛い子供が病気をしております。どうぞこれまでの御無礼をお許しくださいませ。しっかり信心しますから、子供を助けて下さい。」と神様にお詫び申されたのです。そうして、生活を改めてゆかれて、娘さんの大病が全快なさったのでした。

★また、吉野通りのお広前で御用させて頂くようになられた頃、目立たない場所であるという事から、その近所にゴミを捨てる人が増えるようになり、たくさんのゴミが捨てられている日々が続きました。ハル氏は、朝4時前に起きられ、多くのゴミを掃除なさって、大祓いの詞をあげられお詫びの御祈念をして、帰られたのです。ハル氏の改まった信心と、御修行を続けて下さったことにより、伊藤の家は結構にならせて頂いたのでした。

★神様からお預かりしている家、土地の使い方、お金の扱い方が間違えておりますと、決して結構になってゆきません。土に何を植えても立派なものが育たないのは、土地が荒れて大きな岩や石が邪魔をしているからです。その大きな岩や石を、参拝してお広前に置いて帰り、神様から頂いた肥えた土を持って帰って、入れ替えをさせて頂いて、地を肥やしてゆくことで立派なものが育ってゆくのです。
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2021年02月05日

●頂き方が肝要です

 3日に寒修行信行期間を無事に終えさせて頂きました事は大変有難いことであります。4日からお下がりの御神酒をお下げ頂いております。

★教祖様ご在世中のお話です。竹本嘉十郎というお方は、高橋富枝師の六条院教会のお広前へ参拝なさっておられました。その息子さんが大病を患われた時に、教祖様から御神酒をお下げ頂いた方がよく効くだろうと思って、教祖様の元へ参拝されました。すると、教祖様のお口を通してご裁伝があり、神様は『辰の年、酒は酒屋のほぞにある。此方の酒が効くのではない。その方の所の出社を何と思っているのか。その方は、若い婦人と思って軽しめて、子守りのように思っているであろう。その婦人は此方の出社であり、金神の眷族(けんぞく)である。神と尊め。おかげを受けるのも受けないのも、その方の心にある』と仰せられました。嘉十郎は恐れ入って帰り、その後に、高橋富枝師のもとへ「御神酒を頂かせて下さい」とお願いに参られました。そうして改まった心で御神酒を頂かれますと、息子さんは間もなく全快されたのでした。

★高橋師を女性だからと軽く見て、教祖様から御神酒をお下げ頂いた方が、息子の大病も治るであろうという心を、神様は見抜き見通しであられたのです。常平生お参りさせて頂いている教会でお取次ぎを頂くということは、お結界の先生が、その氏子の御礼・お詫び・お願いの足りないところを足してくださり、その場に生神金光大神様がいて下さって瞬時にお取次ぎを下さるのです。そして、その願いをお受け下さった天地金乃神様が、広大無辺な御神徳で氏子をお守り下さるのです。そうして、幾重にも氏子の願いを足して下さるのです。

★おかげを頂けるのも、頂けないのも我が心にあります。自分の受け物を常に整えて、大きくさせて頂くことで、おかげはいくらでも授けて頂けるのです。

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2021年02月04日

●心の鬼をお取り払い頂く

ある娘さんのお父さんは大層酒乱で、お酒を飲むとお母さんに対して暴言を吐き、さらには暴力を振るうなど、家族を大変困らせていました。 そこでその娘さんは、母親の悲しむ姿を見るのが大変辛く、なんとか助けて頂きたい一心で教会へお参りなさり、「どうしてもお父さんに酒飲みを止めて頂きたい。」とお願いされました。しかし、お願いさせて頂いておりましても、父親が酒を飲むことは止めてもらえませんでした。

★ある日お結界で、「神様は親孝行が一番お好きです。あなたのお願いは親孝行になっていますか?あの父親さえいなければ私の家は結構になるのに…等と思っていませんか? それは心で人を殺すことになり、神様のお心には適いません。どうぞ父親が健康で長生きして頂くために、お酒を止めてくれますように、とお願いさせて頂きましょう。 それが神様のお心に適うのです。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのみ教えを頂かれた娘さんは、ハッと自分自身の間違いに気付かれて、今までのお願いの仕方を改められたのでした。それからは、お父さんに対して責める心を取り払い、一心に健康と長寿をお願いされるようになったのでした。すると、お父さんは、有難いことに自らお酒を止めてくれるようになり、暴言暴力が無くなり、円満に生活させて頂けるようになられたのです。

★一昨日は節分でしたが、『用心せよ。わが心の鬼がわが身を責めるぞ。』とみ教え頂いておりますように、鬼は外にいるのではなく、己の心の中にいるのです。心の鬼とは怠け心や腹立ち、愚痴不足、さらには恨んだり憎んだりする心等々です。この娘さんも、父親を責めてしまう心の鬼がいたのですね。そこに有難いものは生まれません。自分の心の中に福の神を保ち続け、鬼が現れた時にはお取り払い頂けるおかげを蒙らせて頂きたいですね。
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2021年02月03日

●了見が狭いとは

 阿倍野教会旧広前の頃、ニワトリを飼っていました。そのニワトリが縁側に上がってきて、フンをするのを三代教会長・伊藤良三師が見られたので、後にご結婚なさることになる愛子先生に「愛子ちゃん、ニワトリがまたフンをしている・・・」と仰いました。すると、奥の台所でご飯の準備をしておられた奥様が「今ご飯の準備をしていて、手が離せませんので、後で掃除させて頂きます。手が汚れますから・・・」と答えられたのです。良三師は心の中で(今してくれたらよいのに・・・まあ、私がすればよいのだが・・・)と思っておられましたら、丁度、二代教会長・伊藤コウ師が廊下を歩いてこられたのです。コウ師は廊下にあるフンを見られて、懐から懐紙を出され、さっと取られて、便所に捨てに行かれたのでした。コウ師が何も仰らずに片付けられたお姿を見られた良三師は(私が一番最初に見つけたのに、わざわざ忙しい人を使おうとしていたなあ。それだけでなく、自分の思うようにすぐに対応してくれなかったら、不足を思ってしまっていた・・・)と反省されたのです。良三師は、ご自分の言動に対して「これが我が強い。すなわち、了見が狭いという事です。」と反省込めて、私共にお話しして下さいました。

★了見が狭いというのは、我が強いということです。考えが狭いとか、器が小さいとも言えます。我情我欲をお取り払い頂くには、心を広く持つことです。その為には、みんなの意見を聞いて、心が一つになるように努力する必要がありますね。思い合って、祈り合いをし、相手を立てていくことが、我の取れた姿といえるのです。

★佐藤照師は「教祖様は『信心は家内に不和のなきが元なり』と教えられておるが、これだけ守るのでもなかなか辛抱せにゃできん。(略)みな良い事ばかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになりますなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受け切るくらいの心でおらねばならぬ。誰でも受け切っていくくらいにならねばならぬ。受けるというたら、力が大層要ります。相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受け切るのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう・・・」とみ教え下さいました。

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2021年02月02日

●信心の地を肥やすとは・・・

 『とかく、信心は地を肥やせ。常平生からの信心が肝要じゃ。地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでに物ができるようなものぞ』★農作物が豊富に収穫できるような、肥えている土地というものは、人が手入れをして怠らず整えないことには出来るものではありません。石や、木の根を丁寧に取り除き、雑草を刈り、土の中まで空気が入るように、全面を掘り起こしていかなければ、土は肥えていきません。広い土地にそれだけの手を加えて耕すだけでも、容易なことではありません。更に、そのように耕した土地に、今度は肥を入れていくことによって、作物が収穫できるように土地が肥えていくのです。

★信心の上で、「地を肥やす」ためには、まずは今日までのご無礼不行き届きのお詫びを申し上げ、改まりをさせて頂くことによって、一つ一つめぐりのお取り払いを頂くことが出来るのです。これが、岩や石や木の根を取り除くことにあたります。更に徳積みのご信心をさせて頂かなくてはなりません。そして、日参と聴教に励ませて頂き、生神金光大神様のお取次を頂いて、改まるべき所をみ教え頂くのです。そのみ教えを根気強く実行させて頂くことが大切です。この実践こそが地を耕し、肥を入れていくことになります。御用の徳、おみちびきの徳を頂いてゆくことが、良い肥やしを入れ、良い土に変えてゆく信心になるのです。

★あるご信者は、生活に困窮して、二代教会長・伊藤コウ師のお取次を頂かれるようになりました。ところが、信心を続けられても、すぐには、ご信者の思うようにおかげを頂くことが出来ないように感じられたので、その胸の内をお届けなさいますと、コウ師は、「あなたの家はめぐりが深い。信心のお徳とめぐりが綱引きをしているのです。今、信心をやめてしまったら、これまでのお徳の重ねがなくなってしまい、どんどんめぐりに引きずられてしまいますよ。」とみ教え下さり、ご信者は得心なさって、一層熱心にご信心に励むようになられました。朝は教会の開門の時には参拝され、掃除の御用をなさり、ご祈念・み教えを頂き、お取次を頂くことを続けられました。その間に、ご自分の身の上にも、ご家族ご親族の上にも次々とおかげを頂かれ、子孫繁盛家繁盛の礎を築かれたのでした。

★寒修行信行期間は明日で終わりますが、有難いご修行の習慣をこれからも続けさせて頂いて、身に付かせて頂けますよう、おかげを頂きたいと思います。
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2021年02月01日

●祈りの中に生まれ、生き続けてゆく

 内田守昌師は、昭和46年12月6日に次男さんを生後7日で亡くしておられます。その10日祭の祭詞をお書きになったのが、三矢田守秋師でした。口語体で書かれたそのご内容は、誰にでも大変分かり易く、尊いご内容なので、内田師が、後に金光教学院長となられた時に、ご次男のご命日の朝には、学院生に祭詞の原稿をコピーしたものをお配りになっていたそうです。そのご内容について、起草なさった三矢田師ご本人は、「私が作ったものではない。あの時の事態全体の中から生まれ出たものだった」と、残しておられます。

★内田師は、そのお言葉をお受けになって、「このお道の祭詞というもの、特にご葬儀の場合の祭詞というものは、本当に霊(みたま)とひとつになって生まれ出てくるものであるということを、改めて思い知らされるわけでございます。(中略)祭主先生のいのちを込めて、一句一句霊(みたま)に向かって、神様に向かって、申し上げる言葉でございます。(中略)それだけに、それを頂いた方々がおかげを受けられる。お道で葬儀をして頂くということは、こんなにもありがたいものかということを、感じ入るわけです。本当に生まれ出たというものは、人の命の中に生き続けていくものでございます。」とおっしゃっておられます。

★人の命とは、その長い短いにかかわらず、神様の深い思し召しが込められており、生き死にを通して、天地の中に生かされ、働かせて頂ける存在なのです。ご信心を頂いて、その有り難さを深く理解させて頂き、一日一日お礼の心で、それぞれの役目を全うさせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

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