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2021年01月22日

●丁寧にお礼を申し上げる稽古

『信心信心というても、神様に頼むばかりが信心ではない。知らず知らずのご無礼のお断りもせねばならず、日々こうむっておるおかげのお礼も申さねばならず、もちろんお願いもせねばならぬが、お礼の足らぬのはご無礼ぞ。ご無礼を重ねて、どうしておかげになるものか。人が、あほうじゃと言うてもかまわぬ。丁寧にするがよい。神様が、お利口じゃとかわいがってくださる。神様にかわいがってもらう方がよいぞ。』

★「お礼の足らぬのはご無礼」とみ教え頂いておりますが、私たちは日々、お礼を申しても申しても、申し足りない程の広大無辺なおかげを頂いております。命を頂いていること、目の見えること、耳が聞こえ、口から食事を頂けること、家族がいて住む家があること等、日々有難い生活をさせて頂いている全ては、天地の恩恵の中にあって神様・霊様(ご先祖)・親様・人様・国家社会・地域のおかげによるものなのです。

★しかし、日々生活しておりますと、自分の都合で物事を考えてしまいがちになります。例えば、寒ければ「寒い寒い」と不足を言い、暑ければ「暑い暑い」と不足が先に立ちます。大寒の時期を迎えましたら、寒くならせて頂いたのが有難いと思って、御礼を申してゆけばよいのです。冬が寒く夏が暑いからこそ作物も育ち、経済も立ち行く部分があります。

★御本部の金光教学院でご修行させて頂いておりました時に、当時の学監であられた高橋行地郎師が、「私は日々自分の身体の働きにお礼を申しております。心臓さん、肺さん、肝臓さん、胃さん、大腸さん…と一つ一つの働きにお礼を申して生活しております。」と、ご自身の身体の部位に、「さん付け」をして、日々丁寧にお礼を申されていることをお話しして下さり感銘を受けたことがありました。

★私達は、毎日意識せずに空気を吸い、水や食物を摂取し、下に大小便を御取払い頂くことを続けなければ、己の命を保つことは出来ません。無意識のうちに、生かすための体の働きが絶えず行なわれているおかげで、日々私達は生かして頂いているのですね。それは、どれほどお礼を申しても足りないほどの奇跡の連続なのですから、よくよくお礼を申し上げ、お礼の足りないお詫びを申し上げなければなりません。足の一部でも痛みますと、満足に歩けませんし、日常の生活が出来ないことばかりになってしまいます。そこで初めて、今まで当たり前のように生活していたことが、本当に有難いことであったと分からせて頂きます。健康である時に、おかげを頂いているという事はなかなか自覚出来にくいことですが、おかげを頂いて今の自分があるという心持ちを、どんな時にも絶やさぬように、丁寧にお礼を申す稽古させて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:58 | 令和3年の「み教え」