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2020年12月31日

●真心が神様に届いてゆく

 戦後間もない頃、あるご婦人のご信者が、「どうか、うちの舅の頑固な頭が変わりますように」とお届けなさいました。このご婦人のご主人は胸を病んでおられ、働くことが出来られず、療養に必要な費用を工面しなければなりません。そして、子供を養育しなければならず、その日の暮らしもままならない生活であるにも関わらず、お義父様は「日に三度、白いご飯を腹いっぱい食べたい」と言われるということでした。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「あなたの三度の食事を二度に減らしてでも、お義父様にお腹いっぱい食べてもらいなさい。」と仰いました。ご婦人はそのみ教えを素直に聞き入れられ、「どうぞ、守らせて頂けますように」とお願いしながら、自分の食事を減らして、お義父様にご飯を食べて頂きました。

★一週間ほど経った頃、お義父様が「私だけこんなご馳走を用意してもらうのは、もう結構」と言われるようになりました。そして、お孫さんの服の修繕費を出して下さったのでした。それから、同じ頃、お隣に引っ越してこられた方が、「すみませんが、お宅とうちの間の木塀を新しくさせてもらえませんか。費用は全てうちが出させてもらいますから。」と言ってこられました。新しい木塀が出来上がって、お隣へ御礼に行かれますと、「端材がたくさん出ましたので、よかったら薪にでも使われませんか。」と言って頂かれ、お隣は材木屋を営んでおられたようで、有難いことに焚き付けの材料に頂いて帰られたのでした。そして、結構に生活が立ち行くようになっていかれたということです。

★『死んで、ものを言わぬようになってから、ああもしてあげておけばよかった、こうもしてあげておけばよかったと、心残り多いことが多かろうが。親孝行は親の達者の間にしておかねばならず、信心は生きておるうちにしておかねば、後の祭りになるぞ。早うて間に合わぬためしはあるまい。親の達者の間の孝行と、生きておるうちの信心とが、家繁盛のもとじゃ。』

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2020年12月30日

●日々練り直す生き方

あるご信者は、兄弟でこんな話をなさったそうです。弟さんが「自分の一番好きなことをしている時は、楽しい。生き生きして身体も達者になる。ゴルフをしたいときにできるのが幸せだ。」と話したところ、お兄さんは「ほんとにそうやなあ。私は毎日教会へお参りすることが好きで好きでたまらん。一番楽しい。お互いに好きなことができて、結構やなあ。」と話されたのでした。

★同じ楽しみでも、弟さんは娯暇をして余生を楽しむ生き方をされ、お兄さんは自分を練り直し、人間性を向上させ、また徳性を高めて神様の氏子として成長させて頂く生き方をなさっておられます。同じ一日を過ごすのでも、自分も周囲も助かっていく生き方を勉強出来ることは有難いことですね。

★『同じ話でも何度でも聴いておかねばなりません。白い木綿も同じ藍壺に浸けては乾かし、浸けては乾かし、何度も染めますと、終いには何度洗っても剥げぬようになります。神の理解もその通りで、同じ話を何度でも心に聴かしておりましたら、道も忘れませんで結構じゃなあ。』★白い布を藍壺に浸けては洗い、乾燥させ、再び浸けては洗い、乾燥させ、やがていくら洗っても落ちないような藍色に染まってゆくように、同じみ教えでも何度も何度も聞かせて頂く事が大切です。

★ある先生は、「同じ話でも千遍も聴かせて頂かないことには、信者部類には入らない」と仰るほどに、み教えを理解し自分のものにさせて頂くには、時間のかかることなのです。み教えは壮大な御内容であり、様々な観点から説いて頂いていますので、一度、二度、十度聴かせて頂いても一部分だけしか理解できておりませんし、また表面的な聴き方しか出来ておりません。最初は、表面だけ理解しますが、何度も学ばせて頂くことにより、深く広く理解させて頂けるようになるのです。『一生が修行である』とみ教え頂いておりますように、常に頂き直して、心を改め磨いてゆく必要があるのです。
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2020年12月29日

●心が正しくなって後に、体も仕事も整ってくる

『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』

★あるご信者は、37才の時に目の病気を患われ、緑内障で失明するかもしれないとのことで、阪大病院など3カ所の病院を回られましたが、手術することもできないということで、医師からも手を放されたのでした。

★お導きを頂いてお引き寄せを頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「ここへお導き頂いて、お参りしてきたということは、神様の思し召しによってお引き寄せ頂いたということです。神様が願って下さっているからには、きっとおかげが受けられるから、信じてお願いしなさい。あなたも、少しなりとも御修行をさせて頂きなさい。必ずおかげが頂けることを信じることと、毎日喜ぶ稽古をしなさい。今まで喜べなかったことでも喜べるように、稽古させて頂きましょう」とみ教えを頂かれました。

★それからは、毎日朝に昼に2人のご信者さんが手を引いて一緒に電車を乗り継いで参拝して下さって、み教え・お取次ぎを頂くようになられました。ご信者は、薄紙を剥ぐようにおかげを頂いてゆかれ、視力も徐々に回復のおかげを頂かれたのです。ある日、1人で参拝されたので、三代教会長先生が驚いて事の次第をお尋ねになると、視力が戻り、針に糸を通して足袋の繕いも出来るまでに回復させて頂かれたということでした。ところが、喜びに満ち溢れておられるかというと、そんな様子ではなく、ご自分で、「私はつくづく、喜ぶことの下手な人間だと思います・・・」と、おっしゃったということです。長年身に付いてしまった悪い習慣(不足の種を探すなど)をお取り払い頂くことは、容易なことではないのですね。

★今年一年を振り返って、行き届いてお礼を申し、また、お詫びも申させて頂けますよう、一日一日、お取次・み教えを頂きつつ信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

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2020年12月28日

●和らぎ喜ぶ心におかげを頂ける

『わが心で わが身を生かすこともあり 殺すこともあり』『わが心でわが身を救ひ助けよ』

★生まれてくるときに神様の一部分であるご分霊を授けて頂いて、有難い心と体を与えて頂き、日々の生活を送らせて頂いている私達です。自分の体を思うように使えると思っておりますが、自分の体といいましても、全てが思うようにはなりません。自分の体の中のことを、自分で治したいと思っても治せるものではありませんね。まさに、おかげを頂いていかねばならないことですね。神様のおかげを身いっぱいに受けられるように、この身この心を神様に向けて信心をさせて頂くのです。

★『おかげは和賀心にあり』とみ教え頂いております。「和賀心」というのは自分自身の心ということでもありますし、和らぎ喜ぶ心だとも教えて頂いております。その和らぎ喜ぶ心におかげを頂くのですから、毎日お礼を申せることを増やさせて頂くように、喜ばせて頂けることを見つけることが大切です。例えば@お命を頂いていることが有難い、A結構な国に住まいさせて頂いていることが有難い、B親・ご先祖に産み育てて頂いたことが有難い、C家族・親族・友人を与えて頂いていることが有難い、D結構なお仕事や環境を与えて頂いて有難い、というように、有難いことばかりでありますのに、その有難いことを知らずに、当たり前のように思ってしまうのです。

★喜びや御礼が足りないということは、和らぎ喜ぶ心になれていないということです。結構なおかげの中に身を置いておりながら、自分で「こんな私だから、とてもおかげを頂けない、こんな程度の人間ですから仕方がないのです。」と決めてしまうのは、神様から頂いている素晴らしい能力を、貶めてしまうこととなり、大変申し訳ないことです。神様は私達に願いをかけて下さって、有難い使命を与えて下さっています。そのことをしっかりと喜ばせて頂き、お役に立たせて頂けますようにと願いながら、日々成長させて頂けますよう、信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年12月27日

●心がけて、何事にも信心の心になる

 山本定次郎師は、教祖様より多くのみ教えを頂かれ、残しておられます。

★『一年ごとに正月と楽しみ、正月の供え物、食い物、着物を改めるのは、いっさい尊ぶということである。第一、かがみもち、たくさん調え、門に男女(おめ)の松を植え立て、注連(しめ)というて、縄に長い垂れをつけ。これは、注連ということは、年中、心を締め、会計ということを日々いたしますと、神様へ約束をするのである。』

★お正月に向けて、お節料理の用意をしていく頃ですが、お節料理の中身のそれぞれにご意味があります。豆は健康。海老は長寿。昆布は喜ぶ。ご意味があるというのは、願いが込められているということです。同じように門松や注連縄等にも、それぞれ願いを込めて用意させて頂きます。

★『おばの所に行くより秋の山に行けということがあるが、山に松茸その他いろいろの茸を取りに毎年楽しんで行けるのも、天地の神様のおかげである。春はたけのこというて楽しみ、山に種々の楽しむ物がある。人間が肥やしを入れて作らんでも、人間の楽しむ物がたくさんある。このように話せば、何もかもありがたいようにありましょう。心がけて、何事にも信心の心になるがよろしいなあ。』

★私達が生活する上で必要なものは、全て神様が整えて下さっています。御礼の心に満ち満ちて生活させて頂かなければなりませんが、私達はついついその有難さを忘れてしまいます。ですから、日々、心を改めることが大切です。

★本年の御礼・お詫びを申し上げ、来年のお願いをしながら、正月を迎える準備をさせて頂きましょう。

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2020年12月26日

●どこまでも慈愛の心で、人の助かりを願う

二代教会長・伊藤コウ師のご時代のことです。ある方が入信前には、任侠の世界にあこがれて、喧嘩が好きで、無理難題を言うことが男らしいと思って生活をし、家賃も払わずに、何でも付けで買っては借金を踏み倒していました。誰からも信用されず、その名は警察のブラックリストに載ってしまっているほどで、借家もボロボロで、立ち行かない生活でした。息子さんがお導きを頂いて、教会の子供会にお参りするようになり、息子さんのお導きによって、お母さんが入信され、後にお父さんをお導きなさったのでした。

★そのお父さんは、家族が辛い思いをしていようが、生き方を変えることをしてこなかった人でしたが、子供が次々と亡くなるという憂き目に遭い、次第に神様に心を向けていかれたのです。

★その方は、ブリキ職人でありましたので、伊藤コウ師から「一軒一軒、御用聞きにまわりなさい。」とみ教え頂かれ、御神米をお伴して御用聞きに廻られました。最初は門前払いばかりでしたが、あるお屋敷を訪ねた時に、その家の奥様がちりとりを注文して下さいました。信心によって心を改めていったことにより、頂いた仕事を実意丁寧にさせて頂き、その確かな腕を認めて頂けるようになり、そこから道が開けていったのです。長年積み重ねてきた借金を完済させて頂き、お礼のお宅祭を仕えられ、住んでいた四軒長屋を買わせて頂くほどに、立ち行くおかげを頂かれたのでした。

★『人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神様のご機感にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれのお仕置きにあうが、それでかたづく。心で殺すのは神様からおとがめになる』

★神様はどんなに行き届かない人間であっても、決して見放されることはないのです。どこまでも氏子の助かりを願って下さっています。心で人を殺すというのは「あの病人はもう助からない」とか「あの罪人は自業自得である。極刑にすべきだ」等と思うこともそうなのです。そうではなくて「どうぞあの人が改心しますように」と、神様に御祈念させて頂くことを、日々のご修行とさせて頂くのです。身近な相手に対してでも、「あなたの考えを改めなければいけませんよ」等と言うばかりでは、その人は助かりません。慈愛に満ちた心で、相手の助かりをどこまでも願わせて頂ける信心に進ませて頂きましょう。
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2020年12月25日

●己に克つこと

 20年以上前に、三重県のご信者のお宅祭に、近鉄特急で行かせて頂いた時のことです。乗車して「どうぞ、乗っている方々全員が、無事目的地に到着されますように、無事安全に運行されますように・・・」とお願いさせて頂いてから、頭をシートにもたれさせておりましたら、突然頭にガツンと衝撃を受け激しく痛んだのです。なんと後ろの乗客が靴を履いたまま、足を前のシートに乗せた為に私の頭に当たったのでした。その瞬間は思わず腹を立ててしまいましたが「これは神様からご試験を頂いた。今からお宅祭に行かせて頂くというのに、腹を立ててしまっては、御用にお使い頂くことが出来なくなる。険しい心になってしまっては、お宅祭をお仕えして先方のご家族や霊神様方に助かって頂くことは出来ない。今日はこのことを結構なご修行にさせてもらおう。どうぞ後ろの方の心が改まられますように、どうぞ助かって頂けます様に。私は腹を立てませんように、仕返しする心になりませんように・・・」と到着までの間中、心中御祈念をさせて頂きまして、これまでの自分自身のご無礼不行き届きのお詫びを申し上げ、反省と改まりをさせて頂く良い機会を与えて頂いたのでした。

★御祈念をさせて頂きますと、「自分もどれほど人に嫌な思いや、痛い思いをさせたか分からないなあ・・・」と気付かせて頂くのです。相手の人と喧嘩をすることはもちろんありませんが、瞬間的に「痛い!言うてやりたい!」という相手を責める心や、仕返しをする心というものは起こってしまいます。『仕返しをする心を去りなさい』と教えて頂いておりますが、これは「己に克ちなさい」ということです。己の我情我欲に克たせて頂かなければならない場面は、日常の生活に色々と訪れてきます。その時に、「今どうしたら良いのか」、「これからどのように考えたら良いのか」、「神様は何と仰っているのか」を考えることが大切です。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心、我が身が汚れないように、心と身体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ』と教えて頂いておりますが、人間ですからどうしても我情我欲は出てきてしまいます。その我情我欲に打ち克つことが、お徳を頂くための心の行となるのですね。今日を喜び、明日を楽しみに、起こってくることの上にご修行をさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年12月24日

●一年の事を正月三が日に願う 

明治15年5月13日のことです。朝日新聞に次のような記事が出ました。「難波村に、近藤とかいう者が、神を看板にして国事犯の陰謀を企てている…」というものでした。警察としても、放っておくわけにはいかなかったのでしょう。5月14日拘引されたのですが、調べられた結果、藤守師は嫌疑が晴れて帰宅を許されました。ところが、またその翌日、警察から通知がきて、行ってみられると、「近藤与三郎、その職にあらずして神を祀り、衆庶を参集せしむるかどによりて、十日間拘留申し付く」という令状を受けたのでした。しかし、藤守師はそのことを良い方へ捉えられ、「幼少の頃から、今日までのめぐりをお上の手をもって、お取り払い下されるのだ。ああ有難い」と思われ、安心とお詫びの中に、十日間を勤めて一心を貫かれたのでした。さらに、藤守師は拘留中に囚人を集めてお話をされ、皆をお導きなさったのです。

★実は、思い返せば、その年の正月に藤守師が教祖様のもとへ参拝されますと、教祖様は、『のう近藤さん、悪いことをせずとな、牢に入っても恥にはならぬのう』とみ教えなさっておられたのです。その時には、何の事を仰っておられるのかは、理解出来ておられなかったのです。

★5月24日放免になり帰宅され、翌月の6月に教祖様のお広前に御礼参拝されました。その時に、教祖様は、御祈念帳の正月二日のくだりをお示しになられました。そこには、「大阪難波村近藤与三郎当年行く、五月十五日よりお上の手に入れる旧四月二十二日(新暦六月七日に当たる)御礼参りす。名を藤守と授く」とありました。神様は、以前から予定なさっておられたのでした。神様は、『正月元日は、1月2月3月4月のことを神様が教えて下さる。2日は、5月6月7月8月のことを神様が教えて下さる。3日は、9月10月11月12月のことを神様が教えて下さる。そこで正月三が日をもって1年中のことを伺うておきさえすれば、みな神様が教えて下さる。その徳を受けなさい。』とご裁伝を下されたのです。藤守師はひたすら平伏して、お広前で感涙されたのでした。

★阿倍野教会では、12月31日に越年祭、1月1日元日祭、2日初月例祭、3日平常復帰をさせて頂きます。4日の奉仕係初会合は今回は中止とさせて頂きます。そして、5日から寒修行信行期間が始まります。来年、有難い一年を元気にスタートさせて頂けるように、この締めくくりの月に、しっかりと今年一年の反省と改まりをさせて頂いて、共におかげを頂いて参りたいと思います。
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2020年12月23日

●途中でやめれば病気災難の根は切れぬ

 門田豊実師は、警察署長を退職の後、企業に勤務なさり、その後、昭和26年53才で阿倍野教会に入所させて頂かれ、昭和53年80歳でお国替えになられるまでの間、在籍教師として御用にお使い頂かれました。門田師は、お若い頃、神経衰弱を患われ、全く勤務が出来られない程の状態であられた所を、日参と聴教を続け、お取次ぎを頂かれて全快なさったのでした。門田師は、その御恩を決して忘れる事なく、お礼のご信心に励まれたのです。

★東京で警察学校に通われた時には、ご自分で日参の出来る金光教の教会を探され、近くに下宿を決めて日参なさることを、神様とお約束なさいました。日参なさっておられた教会のご事情で、教会が別の場所に移転なさった時にも、再びその教会の近くに引っ越され、日参を続けながら警察学校に通われたのでした。

★そのような真一心のご信心のお徳によって、警察官となられてからは、お若い頃から異例の速さで出世なさったのです。同僚の方から、「何か大きなコネでもあるのでしょう?」と質問された程であったようですが、先生は、「はい、そうです。私には、『生神金光大神様・天地金乃神様』という大きなコネがあるのです。」と、答えられたということです。

★入信のきっかけとなられたご病気が全快のおかげを頂かれてからも、決して神様のご恩を忘れられることなく、一層お礼のご信心を厚くなさり、ご夫婦で教会に入所なさって神様の御用にお使い頂かれ、お子様方にご信心を伝えられ、今日も子孫の方々が結構におかげを頂いておられますことは、真に尊いことだと思わせて頂きます。

★『長患いの人や、または代々難儀の続く人が、神様のおかげを受けることを、例えて言えば、井戸水が濁った時、井戸替えをするのに八、九分替えて退屈してやめれば掃除はできん。それでやはり水は濁っているようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れん。井戸水は清水になるまで、病気災難は、その悪い根の切れるまで、一心に天地金乃神様へ願い、まめで繁昌する様に、元気な心で信心をしなさい。』

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2020年12月22日

●神様におすがりさせて頂く辛抱

昨日は二代金光四神貫之君例年祭・三代金光攝胤之君・四代金光鑑太郎君例年祭がお仕えになられました。二代金光四神様は、教祖様の御跡を受けられて、昼夜を別かたず10年間御神勤下さいました。そして、二代金光四神様が神上がられ二日前の明治26年12月18日、ご家族に「われは6歳のとき死ぬるを、親様の一心願より、助けていただいたは神様のおかげならこそ……どうぞ攝胤をつこうてくだされ。万事言い付けてくだされ。攝胤もあれくらいになったら、お広前の用使いはします。」と御遺言を残され、12月20日神上がられたのです。四神様のご遺言通り、金光攝胤様(三代金光様)が数え年14才というご年令で、御結界の御用を継がれることになられ、高等小学校をおやめになって、お結界で奉仕をなされたのです。明治26年から70年間にわたって84才まで御用におつき下されたのでした。

★三代金光様は、昭和11年に東北地方のある教会の在籍教師にみ教え下さっています。『天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって、早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が、座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。初めのうちは、辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事も、いつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事であります』と仰せになられたのです。

★三代金光様は、初めは辛い思いをなさっておられましたが、段々と有難いお心になられたのは、神様の思し召しと受け切られ、神様におすがりさせて頂かれて信心辛抱をなさったからです。ただご自身の決心や覚悟だけでなさった辛抱でしたら、「有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りない」お心にはなられなかったことでしょう。そこに親様のお祈りがあられ、ひたむきに神様にお縋りなさった三代金光様は、神様と共にさせて頂かれた70年間の御修行をもって、神様・親様に向かわれる姿勢を私達に表わして下さり、良きお手本を示して下されたのです。
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2020年12月21日

●素直な信心・有難いおかげ

 加川一夫先生(元在籍教師)のお母様であられる加川たつの氏は、大変熱心なご信者であられ、ご信心の有難いことを、常日頃から家族にお伝えになっておられました。そして、「私がお国替えしたら、信心させて頂くと何と不思議なことがあることか、ということを見せます」と、いつも口癖のようにご家族に仰っておられたそうです。

★たつの氏がお国替えされた、翌月の昭和62年2月の末のことです。お孫さんにあたる古澤家では、10年ほど前に購入していた白梅の鉢植えに、一枝にだけ紅梅の花が咲いたのです。お孫さんのお嫁さんである古澤氏がたつの氏の夢を見られ、夢で梅のことを尋ねられますと、たつの氏は「あの花は私が咲かせました」と仰ったそうです。

★また、たつの氏はご生前中に、古澤氏に対して[朝に玄関口のお掃除をする時にはご近所をお掃除してから、隣家の前の道も「どうぞ、ゆくゆくはこのお家を買わせて頂けますように・・・」とお願いしながら毎日お掃除させて頂きなさい]と教えておられましたので、古澤氏はその通りになさっておられました。するとたつの氏がお国替えなさった半年後、先方から「土地家屋を購入して頂きたい」と言って来られたのです。しかし、先方に返事を渋っておられると、また夢の中にたつの氏が出てこられ「早く決めないとこうなります」と言われ、隣家が無くなっており、隣は絶壁で暗闇になっている夢を見られたのです。慌てて次の日に購入の返事をされると、また後日の夢にたつの氏が出てこられ、はっきりと4桁の数字が表れ、後に先方から提示された土地の金額と全く同じ数字だったそうです。そうして無事にお土地購入のおかげを頂かれたのでした。

★三代教会長先生は『素直な信心といいますが、素直という姿は、賢くないとなれませんよ。操り人形のような姿を言うのではありません。本当に心の底から納得して、「有難いなあ」と得心して、自らそのようにさせてもらおう、という姿を素直というのです』と仰っておられました。加川たつの氏は「金光様は結構なお話があるから、お参りさせて頂きなさい。しっかりご信心させて頂きなさい、きっと結構になるから」と言い続け、亡くなる直前にも「信心を離しなさんなや、しっかりご信心させて頂きなさいや」と遺されたのでした。お孫さん達がたつの氏の言葉を素直に頂かれ、ご信心を習わせて頂かれたから、有難い体験をさせて頂かれたのだと思わせて頂きます。

★『信心は、素直な信心をせよ。また、信心は、しとやかな信心をせよ。言うとおりを守らないから、おかげはない。(中略)おかげのない時には、わが心をよく調べてみよ』(二代金光様のみ教え)

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2020年12月19日

●おかげを頂く鍵

伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)は、コウ師がまだ幼い頃に、「お母さんがよいことを教えてあげましょう。あなたが欲しい欲しいと思うのであれば、信心しなさい。しっかりお参りをして神様を拝み、お話を聴かせてもらいなさい。欲しいものがあれば、神様にお願いさせて頂くのです。ここに大きな長持(衣類や布団等を入れておく蓋つきの大きな箱)があるとします。その長持の中には、あなたが欲しい物、金銭や衣服等がたくさん入っているとします。しかし、それには鍵がかかっており、開けることが出来ません。その鍵は神様から頂けるのです。その鍵を与えて頂くには、しっかり信心しなさい。ご信心してみ教えを頂き、ご信心のお徳を頂くと、神様から与えて頂くことが出来るのです。すると、必要な時に必要な物を与えて頂けるようになっていくのですよ。」と仰せられたのでした。

★会社を経営なさっておられるあるご信者は、社員に1人、いい加減な仕事振りが目に余る人がいたので、そのことを伊藤コウ師にお届けなさいました。その人は、取引先の方からも、「あんな社員を働かせていたら、あなたの会社の為になりませんよ」と言われるような、ひどい仕事態度だったのです。コウ師は、「その人のことを通してご修行させて頂きましょう。あなたには今、これと言って特別に辛抱しなければいけないご修行はないでしょう。追い出すようなことをしてはいけませんよ。その人に真面目に働いてもらうことを目標に、有難いご修行と思って受けさせて頂きましょう」と、み教え下されたのでした。ご信者は、み教えを守られて、解雇することなく辛抱なさってお仕事を教えておられますと、他の社員の方々が、より一層に一生懸命に働いて下さるようになり、会社発展のおかげを頂いていかれたのでした。

★神様は、一人一人に必要なご修行を、様々な形で与えて下さるのです。起きてくることを、有難いご修行と受け切る覚悟が出来ますと、神徳人徳を頂き、必ず結構なおかげにさせて頂くことが出来るのです。『心行というて人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を喜んで働き、分相応を過ごさぬように倹約をし、人に言わずに行えばこれ心行なり。』
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2020年12月18日

●親孝行に心配り

12月16日は婦人会例会が開催され、岡氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。御祖父様の代からのご信心で、昭和28年にお父様が阿倍野教会に参拝させて頂かれました。ご両親共に、朝参りを毎朝続けられ、お広前の同じ場所に正座され、熱心に御祈念をなさり、聴教なさっておられたお姿は、実に真剣であられました。岡氏は中学生の頃からお広前を遠ざかっておられましたが、40代でうつ病の症状に陥られ、食べられず眠られず、助かりたい一心で約30年ぶりにお広前にお引寄せ頂かれたのです。

★み教えを拝聴するうちに「私が考え違いをしていた。両親や周りの方々のおがげでここまでお育て頂いたのに、その御恩を忘れていた!」とはっきり理解でき、涙があふれて止まらなかったそうです。後に両親に参拝させて頂いたことを報告なさると、大変喜んで下さったということです。ご両親はこの日を何十年も待ち続け祈り続けて下さったのでした。

★ご実家のご両親の介護に心配りをされ、入院、施設の入所等、色々なところにその都度、ご都合お繰り合わせを頂かれ、18年間も通ってお世話が出来られたのでした。「親孝行は神様がお喜び下さり、姉妹弟が仲良くすることを親が一番望んでおられますよ。」とお結界でみ教えを頂かれました。愚痴不足や腹立ちなど、正直にお結界でお届けなさり、御教えを頂くことによって、自分を家族のことだけでなく、広い心になってご両親のこと、ご姉妹のことが願えるようになってゆかれたのでした。

★更に、ご主人のお父様は関東におられるご主人のお兄様、お姉様のご家庭でお世話をして頂かれ、その後ホームに入所されました。その事についてお結界でお届けをさせて頂かれました時、「他人事と思わず、お手伝いに行かせて頂きなさい」とみ教え頂き、泊まりがけでお世話をさせて頂く時間を持たれました。お義兄様に対して、更にお義姉様に対して、お礼の心を忘れぬように、自身の手足を使って実意を表すことを稽古をなさったのでした。

★真心で一心に人の事を祈り、人の助かるお手伝いや御用をさせて頂かれましたら、人も喜んで下さり、神様からお徳の貯蓄をして頂けるという楽しみを感じさせて頂かれ、ご縁に繋がる人々の助かりを願われ、ご信心を進めておられるお姿は、実に有難いことと感じさせて頂きます。
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2020年12月17日

●真剣に願うところに改まりが生まれる

 あるご信者が、二代教会長伊藤コウ師に「いつまでたっても、うだつが上がりません。(生活が良くならない。思うようにならない。)」とお届けされました。すると、コウ師は「そうですか。私はいつもあなたを見かけますよ。暖簾が垂れているところを見つけるとすぐに入って、懐勘定もせずにお酒を飲んでいますね。それだからいつまで経っても、うだつは上がりませんわな。いつ見ても酔っぱらってはります。それはあなたの願いがしっかりしないから、改まることができないのです。」と仰せになられたのです。コウ師が、どこでその方を見かけられたのかは分かりませんが、その方がどのような生活を送っておられるかという事を、見抜き見通しであられたのです。

★自分自身が「こうならせて頂きたい!」と真剣にお願いさせて頂きますと、心の改まりと御修行が生まれ、生活も改まってゆくことができるのです。自分の努力や至らない部分を省みず、「全然おかげが頂けない」と不足を申していては、神様がお嘆きになられます。

★教祖様ご在世中の御頃のことです。国枝三五郎師は、片目がうずいて困った時に教祖様にお届けされますと、『春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ』とみ教えを頂かれたのでした。治ることを楽しみになさっておられた国枝三五郎師は、四日になっても痛みがとまらず、五日に参られて、そのことを教祖様にお届けなさると、『午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう』とみ教え頂かれたのでした。さらに教祖様は続けて『五月の菖蒲を楽しめ』と仰せになられたのでした。その日までにはよほどよくなられ、その時には『七月の七日を楽しめ』と仰せになられたのでした。すると、七月には痛みも全快のおかげを頂かれたのでした。

★国枝三五郎師は、なんと、6年間に3度盲目となられましたが、真剣に願われ、教祖様にお取次を頂かれながら、心を改められ、晴眼のおかげを頂かれました。そして、様々な出来事を通して、神様のお心を頂いていかれる広く大きな信心へと進まれ、長期に亘ったお願いを持たせて頂く事が出来られたのでした。

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2020年12月16日

●一心の祈りは、改まりとご修行を生み出す 

二代教会長・伊藤コウ師は、13才の折に肋膜炎と腹膜炎を併発なさり、高熱が出て骨と皮だけに痩せてしまわれ、医師も匙を投げる程の重症になられたのでした。ハル刀自(コウ師のご母堂)は、神様に「これまで親としての育て方が間違っておりました。神様の大切な氏子を預からせて頂いておりながら、大きくなれば家の為に、ああも育ってほしい、こうもしてほしいと、勝手なことを考えておりました。元気にならせて頂いたあかつきには、成長後も決して伊藤の家の為には使いません。只々神様の御用にお使い頂けるような人間に育てさせて頂きますから、神様のおかげによりまして、生き永らえさせて頂きます様に」と、神様にお詫びを申され、お願いなさいました。ハル刀自の一心の願いと改まったご信心・御修行により、コウ師は骨と皮のガリガリの体で、お腹だけは腫れているという、死に瀕している状態でありましたが、2週間で全快のおかげを頂かれたのでした。

★コウ師は、無事に成長のおかげを頂かれ、全寮制の師範学校に通わせて頂かれました。その際、コウ師が4年間無事に通学のおかげを頂けるように、ハル刀自はすぐに腹を立てる性分であられたそうですが、神様に「この4年間、一切腹を立てないご修行をさせて下さい。」とお願いなさって、御修行なさったのでした。コウ師ご自身は、週末は教会にお礼参りを必ずなさり、それから家に寄って、縫物などの家の用事を寄宿舎に持ち帰らせて頂く、ということを続けられたのです。そうしてコウ師は、4年間一日の欠課もなく、優秀な成績で卒業なされたのでした。なんと、入学時に60数名おられた生徒も、卒業できられた方はたったの20数名だったのです。また、コウ師のように皆勤で優等で卒業された生徒は、たった2名であったという事です。「弱い弱い体であった私が、ここまでおかげを頂いたのは、お母さんの一心の祈りと、改まりの信心によるものです。」とコウ師は常にその御恩を忘れぬように、お話をなさっておられたのでした。

★『「よそには不思議なおかげを受けられるのに、どうして、うちにはよそのようなおかげをよう受けぬじゃろうか」と、よそのおかげばかりうらやましがる者がよくあるが、それは、そういう信心じゃからおかげが受けられぬのじゃ。「よそに受けられるおかげじゃもの、うちにじゃというても受けられぬことがあるものか。まだ真が足らぬのじゃ」とご一心を出せば、おかげのもらえぬことがあるものか。真の一心が神様に届かなかったら、それこそ不思議じゃ。』
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2020年12月15日

●出来ないところを出来るように

 先日お広前で、親に大きい声で腹を立てている小学生の子がありました。理由を尋ねてみますと、問題集か何かの答えが合わず、やり直しても分からないから「やりたくない!」と訴えていたのでした。

★そこで小学生の方に[あなたは信心と勉強と御用が出来ますように、また、サッカーが上手くなりますように、とお願いしていますね。それは「自分は勉強しないけれども、出来るようになりますように」とお願いしているのですか?もし、サッカーが上手に出来るようになりたいとお願いする時には「練習はしないけれども、サッカーが上手くなりますように」とお願いするのですか?お願いするということは「どうぞ、成就させて頂けるだけの努力を続けさせて頂けますように」とお願いするのですよ。「勉強やサッカーが上達出来るように努力・稽古が出来ますように、諦めずにさせて下さい」とお願いしているのですよ。

★問題が解からないというのは、反復練習や丁寧さが足りないから解からないだけなのです。出来るまで何度もやり直しをすればいいですね。しかし、それだけの根気や辛抱が足りないから出来ないというだけの話であって、人に腹を立てることではないのではないでしょうか。そんな時こそ、「金光様、どうぞ諦めずに努力出来ますように」とお願いさせて頂くのですよ。]とお話しさせて頂いたことでした。そのようなことを言ってしまう経験は私もありましたが、親が丁寧にみ教え下さいました。

★私達も、どのような年代であっても、生涯かけてみ教えに基づいた生き方にならせて頂けますようにと願う必要があります。それが私達のお願いのあり方です。「実意・丁寧・正直・親切にならせて下さい」という願いも、どこまでも稽古をしていかなければ、そのような姿にはなりません。人間ですから、出来る日もあれば、出来ない日もあるでしょう。そんな時には、出来たところをお礼申させて頂いて、出来なかったことは、また出来るようにお願いさせて頂き、どこまでも諦めずに、自分の弱い心に打ち克つようにお願いさせて頂き、願い続けていくということが大事なことなのです。

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2020年12月14日

●毎日が真剣勝負 

12月12日は、昭和36年に71歳でお国替えされました、土井徳松氏の御命日でした。

★土井氏は最初、西区で米穀商を営んでおられましたが、戦災に遭われ、奈良に移られました。全くの素人が一から農業を始められたのですが、新参者に教えてくれる人はいなかったそうです。ですから、稲作、畑作(スイカ・大根等)、果樹園の農作業の上に大変なご苦労をなさいました。土井氏は自分自身で神様とお約束されたことを守り通され、農作業が終わって帰られますと、必ず自宅の御神前に座って大祓詞10巻奏上されてから、食事を頂いておられました。その熱烈なご信心に神様がお応え下さり、作物の上に次々とおかげを頂いてゆかれたのです。それはどんなに疲れておられようが、お腹がすいておられようが、子供達から「早く食べたい」と言われようが、大祓詞を十巻奏上されない日は決してあられなかったのでした。ですから、それだけの信念をもってご信心に励んでおられましたので、次々と御庇礼を頂かれたのです。

★真冬に大根を収穫をしますと、川の中に膝上まで浸かって一本一本洗ってゆくのです。娘さん達でしたら、腰下の高さの位置まで浸かって、一日なんと千本も洗うそうです。身体全身が冷えて大変な作業ですが、それをさせて頂かなければ、市場に出すことが出来ないのです。それを毎日が家業を行として、天地のお徳を表してゆくために神様に真剣におすがりをして、おかげを頂いてゆかれたのです。

★福田美亮先生の「農業の心得」より…
1)天地の間のこと、みな神のお仕事にならないものはない。そのうちでも農業は最も切実な天地直々のご用である。日の光、空気、水、土の力を離れて農業はできない。神のおかげで農業をさせていただくことを忘れるな。

2)人間の寝ている時も、遊んでいる時も、作物はたゆまず大きくなっている。神が作ってくれる作物を「わしが作った」と言って奪い取るな。

3)農具も肥料も、働く手も、足も、頭もみな、神からもらったものである。神を離れて農業はできない。

4)もうける農業をするな。天地の営みをお手伝いする農業、神業翼賛の農業をせよ。…等々

★これは農業に携わる人だけのことではありません。鉄鋼業でもサービス業でも飲食業でも同じことです。ご信心を元に家業を行として、実意丁寧に励ませて頂いて、ご恩が分かる生き方、働き方になるよう努めさせて頂きましょう。
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2020年12月13日

●受け切る覚悟

 私が金光教学院にご修行中に、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、大変立派な先生であられました。重厚なお人柄であられましたから、私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い・・・」とばかり言われたそうです。毎日「効果がない」と言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。」「私の家族はどうなるのか。」と心配に捉われて、不安でたまらない日々を過ごしておられたのでした。

★そんなある日、岡山中部教会の松山成三先生の奥様であられます、松山いち先生が病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んで、あれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思うことが出来られたのでした。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に、担当の医師が「内田さん、薬が効いた!」と告げて下さり、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★起きてくることの全てを、めぐりをお取り払い頂きお徳を頂く為に、神様から与えて頂いた有難いご修行と受け切る覚悟が定まりますと、困難の中にあっても、生神金光大神様のお取次を頂き、歴代教会長先生、親・ご先祖を初め、多くのお祈りの中に生かされている安心と喜びに満ちて、有難いおかげを身一杯に頂くことが出来るのです。次々と沸き起こる我情我欲を、日々お取り払い頂けるよう、日参と聴教に励ませて頂き、本心の玉を磨かせて頂きたいと思います。

★『あなたが親神様に、ああして下さい、こうして下さい、といろいろに願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることが、直ぐ素直に有難うございます、と頂けるような人間にならせて下さい。と言って願う方が心配がないぞな。』

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2020年12月12日

●今の自分にとって必要な出来事

あるご信者は、お酒も煙草も好きであられたのですが、ある時原因不明の肺炎で入院なさったことがありました。抗生物質を色々と投与して頂くのですが、1週間2週間と経っても効かず、毎晩熱でうなされ、まともに食事も入らず、日々身体が衰弱していかれたのです。なかなか回復されませんでしたから、1ヵ月以上の入院となり、飲酒も喫煙も止めざるを得なくなったのです。病室の枕元に、ご祈念を頂いてお下げ頂いた御神米をおともさせて頂かれ、おすがりさせて頂きますが、その時は「まだ治らない…まだ治らない…」と思っておられたそうです。

★入院より1か月半ほど経った時より、徐々に回復のおかげを頂かれたのですが、医師の診断によりますと、「抗生物質の効果が出て回復したとも思えない」という事でした。有難いことに肺の炎症もなくなり、無事に退院のおかげを頂かれたのです。更に有難いことには、ご信者はずっと止めたいと思っておられた喫煙も飲酒も完全に断つことができられたのでした。

★ご信者は「まさにあの出来事はおかげでありました。あれだけの期間をかけて治療して頂かないことには、私のこれまでの悪習慣をお取り払い頂けるということにはなりませんでした。病気との取組みによって、煙草もお酒も止めさせて頂けて、有難いことに健全な生活に変わらせて頂くことができました。苦しい・辛いと闘病生活を送っておりましたが、自分自身の将来の為に、良い機会を神様が与えて下さっていたことを、この度はよく分からせて頂きました。」と仰っておられました。

★様々な出来事を通して、神様が今の自分に一番必要なことを与えて下さっている、と分からせて頂くことができます。しかし、自分自身の物差しで測りましたら「なぜこのようなことが起きてくるだろうか?」という思いが湧き出てきますが、人間には出来起こってくる事に含まれる御神意は、計り知れないものです。何か事が起こった時に、すぐにお礼が申せたら良いですね。色々な経験をさせて頂くことにより、今まで気付かなかったところの有難さをより分からせて頂き、また自分自身を鍛えて頂いて、生き抜いてゆく力を大きくして頂くことができるのです。

★『鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでも刃先に焼きを入れて鍛え直したら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが鍛え直しじゃ、と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、なにもなかったら信心が寝入ってしまう。』
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2020年12月11日

●少しずつでも習う心で

 私達は生神金光大神様の生き方やみ教えに習わせて頂くのですが、習うということは真似をすることから始めるのです。もちろん行き届かないところばかりでありますが、「どうぞお許し頂いて、少しでも行き届くようにならせて下さい」とお願いしながら生活をさせて頂くのです。形からでもよいですから、少しずつ真似をしながら「ここまでさせて頂けるようになりました、有難うございます」と御礼を申して生活をさせて頂きますと【ここまで出来るようになったか、良かったなあ】と神様が喜んで下さるのです。赤ちゃんのような信心から、少しずつ進んで御礼の申し上手になり、お詫びの申し上手になって、幼児の信心・小学生の信心と進ませて頂くのですね。不行き届きばかりの私達でありましても、今日までこのように結構におかげを頂いているのです。それにお礼を申しお詫びを申し、その上にまたお願いをしていくのです。すべて神様のおかげを頂いて、そして霊様のお守りを頂いて結構におかげを頂いている毎日なのです。

★しかし、信心が行き届いておりませんと、神様にお願いをさせて頂きながら、有難いおかげを蒙らせて頂きました時に「自分が懸命に努力したから、ここまでの結果になったのだ」とか、反対に上手くいかない時には「私は懸命に努力したのに、何でこんなにうまくいかないのか、〇〇が悪い・・・」というように傲慢不遜になってしまいます。安武松太郎師(甘木教会初代教会長先生)は、「我良しと思う心」に対しての戒めとして「我よしと 思うは智慧の行きづまり 怪我あやまちもそこよりぞ来る」「我良しと 思う心を仇として 戦いて行け 日ごと夜ごとに」等、多くのお歌を残しておられます。傲慢不遜な生き方は「智慧の行き詰まり」「怪我過ちもそこよりぞ来る」ということですね。

★小さいことでも大きいことでも、すべてお願いしてさせて頂き、どこへ行かせて頂くにも御神米をお供して行かせて頂くのです。そのように、常に神様と共にある生活をさせて頂くということが大切です。いつどこにいても、何をさせて頂く時でも、ご信心を基にしてみ教えを守らせて頂く心構えで生活をさせて頂くところに、有難いおかげを頂けるのです。

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2020年12月09日

●目に見えないおかげに守られて

 昨日は、みかげ会例会が開催され、三橋氏のおかげ話を聴かせて頂きました。三橋氏は、信心のあられる奥様との結婚を機にご神縁を頂かれました。お義母様が、昭和23年の入信からお国替えまでの60年間、子孫の助かりと信心相続をお願いなさって、熱心にご信心を続けられたご信心のお徳と、奥様の親切丁寧なお導きを頂かれ、平成16年から朝参りをさせて頂いておられます。

★朝参りを始められた当初は、東京に単身赴任中で、一週おきの土日、大阪に帰られた時に朝参りをなさり、み教えを頂くようになられました。お仕事の上にも、難しいところを次々とおかげを頂いて通らせて頂かれ、平成21年に無事定年を迎えられました。定年後も雇用延長のおかげを頂かれ、退職後も次々と再就職のご都合お繰り合わせを頂かれました。

★平成28年のお正月、石段で転倒されて右肘を骨折され、初めに受診した医師から手術をして骨折の接合が必要との診断を受けられたのでしたが、違和感を覚えられたのでした。お結界でお取次を頂かれ、別の整形外科でセカンドオピニオンを受けるように、み教えを頂かれました。次に受診された病院で、手術出来る新たな病院を紹介して頂かれた晩、脳梗塞になる一歩手前の「一過性脳虚血発作」を発症されました。ちょうど、御本部御礼参拝の前の晩で、娘さんとお孫さんがおられたので、すぐに救急車を呼んで下さり、奥様と共に迅速に対応して下さったそうです。また、脳外科専門医が当直でおられる病院にすぐに搬送して頂かれ、適切な処置をして頂くことが出来られたのでした。その処置の中には、血をサラサラにする薬を服用し、血圧をわざと上げて血栓を流すという治療もあったそうですが、もしその前に肘の手術を受けていたら、その治療を受けることは出来なかったということが判明し、何もかもご都合お繰り合わせを頂かれたことを、後になって分からせて頂かれたのでした。

★お義母様のご信心を習わせて頂かれ、子、孫の助かりをお願いなさり、ご信心を伝えたいとの願いを持っておられますことは、真に有難いことでございます。

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2020年12月08日

●心を清める

先日、NHKの番組を見ていましたら、三重県南部に、専門家たちが「見えないものが見える川」と呼ぶ“奇跡の川”があると言っておられました。全長わずか18kmの小さな川、銚子川で、大台ケ原から紀伊半島の自然の中を流れ熊野灘に注ぐ川だそうです。「清流」と呼ばれる川の上流はどこも透明度が高いのですが、銚子川は上流、中流、下流と河口まで透明度を保ち、海へ注がれています。つまり、他の川でも起きているかもしれないけれど水の濁りで見えない状態ですが、その川の働き、海水との混じり合い、生き物たちの生態が手に取るように見ることができるのです。水中で20メートル先まで見通せるほど透き通っているということで、これは全国規模で探しても大変珍しいことだそうです。この川では水が澄み切っているので、通常であれば見えないものが見え、実に繊細な天地自然の働きを見ることができるのです。

★まさに私達の日常生活においても同じことがいえますね。不成心によって自分の心が濁っていては、何も見えてきませんね。信心を中心にした生活によって、これまでは見えていなかったところが見えるように、心眼が開けてゆくことが実に有難いことだと思います。


★人間の頭の働きを鈍らせて、心を濁してしまうもの
○貪(欲深く自分に取り込もうとする心。)
○瞋(怒り)
○痴(非理性的なこと。愚痴不足を言うこと)
○慢(横着、気まま我がまま)
○疑(疑いの心)

★自分の心を清めるためには、御祈念をさせて頂き、御教えを頂くのです。神様に心を向け、御礼とお詫びとお願いを申し上げていきますと、心を空にして純真な心でみ教えを頂くことができるのです。そうして日々稽古を重ねてゆきますと、今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえてくるようにならせて頂けるはずです。
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2020年12月07日

●迷わずお縋りする稽古

 中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、熱心な信心のお徳により、両疾患とも全快根切れのおかげを蒙られたのです。

★昭和46年12月の御本部参拝の前日に心筋梗塞を発症なさり、御本部参拝は家族に代参を頼まれて、無事一人で留守番をなさいました。そして、翌日に入院をなさり、約一ヵ月半の間治療を受けられました。入院中の日記には、「御庇礼の高い教会の親先生のお祈りを頂きながら、ようおかげを受けん鼻たれの信者ではいけない。私は鼻たれの信者にはならない。阿倍野教会の信者である。信心がぼけるとおかげがぼける。退院をするには、病気に打ち克って治さなければならない。何としてでもおかげを頂かねばならない。み教えを求め、目的に信念に燃える心、これが元気な心だ。神様にすがる、一心にすがるということだ。」と、認めておられました。病床にありながら自らの信心を奮い立たせておられたのでした。

★退院後もしばらくは、発作を抑えるためのニトロールという薬をいつも持ち歩くことになられました。しかし、「御本部参拝でご霊地に病の根を置いて帰らせて頂き、根切れのおかげを頂きたい。」と強く願われ、「御神酒と御神米でおかげを頂かせて下さい。」とお願いなさり、ニトロールを携帯せずに参拝されたのでした。

★昭和50年6月の御本部参拝の行きの列車で発作が起こり、苦しくて岡山で列車を降りられ、引き返して帰宅されました。そのことが悔しくて「こんな弱い信心では、おかげを頂けるはずがない。」と、願いを新たにされました。同年9月御霊地で発作が起こり、6月の3倍も苦しまれましたが、御神米と御神酒を頂き、生命のことは神様にお任せされ、帰りの列車では53巻大祓詞を唱えさせて頂かれ無事帰宅されたのです。なんと、それ以来お国替えなされるまで、一度も発作が起こらず病気根切れのおかげを頂かれたのでした。

★日々、生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂いて、素直に実行する稽古をさせて頂いていおりますと、いざという時でも迷わず一心に神様におすがりさせて頂けるようになるのです。間違った方向に舵を切りそうになった時、少しでも早く、み教えに沿った正しいあり方に修正が出来るようになれば、何事も心配のないようにおかげを頂くことが出来ることは有難いことです。

★『疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり』

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2020年12月06日

●『石にならずに綿になれ』

二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして双方にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、「長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)」

★「私(金光四神様)があるとき、妻に、『同じいただくご飯なら、もう少し軟らかく炊いたら食べよかろうにのう』と言うたら、妻は謹んで、『さようでございます。何とも申しわけございません。ちょうどご飯のできます時、子供が手をとりましたので』と詫びた。それからご神前に出ようとすると、普段なら当たるはずのない八足の角で、いやというほど頭を打った。そのとき、神さまからお声があり、『頭の痛いのが苦しいか、ご飯の硬いのが苦しいか』とご意見を受けたことがあるからのう。」とみ教えになられました。

★奥様であられる桂ミツ師には、「のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐ神にあげよ(ご祈念しておあずけせよ)。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ」とみ教えなさいました。

★夫婦の間で、夫は夫としてのご修行があり、妻は妻としてのご修行があります。夫々の立場で互いを思いやり、ご修行させて頂かなければならないところがあります。しかし、人間はついその時の感情にまかせて、つまらないことを言ったり、してしまうことも起こってこないとも限りません。人間は不完全な存在でありますから、二代金光様は、ご慈愛に満ちたお心で、先程のみ教えをなされたのです。ですから、何も百点満点の生活を送りなさい、と仰っておられるわけではありません。毎日の生活で、様々な感情が乱れた時に、石にならずに綿になることをご修行にさせて頂くことが大切だ、と教えて下さるのです。感情的にならず足らないところがあれば足し合い、支え合って生活させて頂くことが出来ましたら、どれほど有難く円満な家庭が築くことが出来るでしょうか。
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2020年12月05日

●私達それぞれの神心におかげが頂ける

 以前、あるご信者のご近所の方の息子さんが、大学でアメリカンフットボール部に所属しておられ、試合中に相手の選手と激しくぶつかって、意識不明の状態に陥って入院してしまわれました。お母さんが悩んでご信者にそのことを話され、ご信者は助かって頂きたい一心で代参をされ、青年の名前と干支と年を書いて、毎日お届けされたのでした。大学病院で2ヶ月間も昏睡状態が続いたのですが、青年は有難いことに意識を取り戻し、徐々に快方に向かい、麻痺をしていた身体も少しずつ回復され、半身麻痺は残られましたが、無事退院のおかげを蒙られたのでした。

★ご信者は、一年後の御本部の春の御大祭に、その青年をお導きされて、三代金光様のお出ましを一緒に拝まれました。すると、初めて三代金光様のお姿を拝まれた青年は、「入院中に夢の中に出てこられ、助けて下さったお方や」と言われたのです。ご信者の一心の祈りがお結界の御取次ぎにより、御本部の三代金光様まで届いて、青年の夢の中に三代金光様がお出まし下さり、助けて下さったことは真に有難いことでした。その青年は現在も御礼の参拝を続けておられます。

★「何がなんでも助かってもらいたい」と言う一心が神様に届いていくのです。自分自身が有難いおかげを頂いて参りましたので、今度は人が助かっていきますように、という心にならせて頂かれた真心から、青年もおかげを頂くことが出来られたのです。教祖様は『不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ』『人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ』とみ教え下さいました。かわいいというのは「かわいそう」という意味です。神心が大きくならせて頂いて、家庭や職場や地域等、様々な場所で神心が働いていけば、その神心におかげが頂けるのです。

★『月も雲に隠れることがあろう。隠れても月は雲の上にある。此方とて生身であるから、やがては身を隠す時が来る。形がなくなっても、どこへ行くのでもない。金光大神は永世生き通しである。形のあるなしに心を迷わさず、真一心の信心を立てぬけ。美しい花を咲かせ、よい実を結ばせてくださる』私達が信じて疑わずにどこまでもご信心を進めさせて頂くことが大切だと思わせて頂きます。

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2020年12月04日

●心が横着になり慢心すれば、おかげも落ちる 

甘木教会のあるご信者のご主人が酒好きで、お酒を呑むと気が大きくなり、他人の借金の保証人になり、田畑を売り払って整理しなければならなくなりました。

★初代教会長・安武松太郎師にお届けをされますと「その田畑はどういう田畑でありますか?」と先生からお尋ねがありましたので、「先祖の遺産であります」と答えましたら「税金は納めてありますか?」と聞かれましたので「完納しております」と答えますと「自分の田畑になぜ税金を納めるのですか?」と聞かれ、ご信者は答えられなくなりました。

★安武松太郎師は「土地は、もともと日本の国の土地である。 その土地を所有し得るのは、納税の義務を果しているからであって、税金を納めるのは、いわば借り賃である。信仰的に申せば、天地はもとからの天地であって、人が作った天地ではない。この天地があって、人は生まれてきたのである。一寸の土地も天地金乃神様の御地面であり、しかも生きたお土地である。だから生きたものが土地から出来るのである。それを幾先祖の昔から今日に至るまで、自分の田畑、自分の山、自分が作った作物だと思っている。人間が泥と水で何が作れるか? お作り下さるのは神様で、人間はそのお手伝いをするのである。お土地を使わせて頂く御礼を神様に申し上げなければならない…。」とみ教え下されたのでした。

★神様に対するお礼が全く出来ていないということは、人間中心・自分中心の生き方になっていますね。そこにめぐりが積み重なっていくのです。御恩を知って御恩に報いていくということが、私達が常に心掛けなければいけないことです。神様にどのようにお喜び頂けるであろうか、神様に安心して頂ける自分自身にならせて頂けるように、信心を向上させて頂けるおかげを頂いていく、ということが大事なことだと教えて頂いております。

★『人間は小天地で自分の頭をいつも天地の神様がお守り下されてあるゆえに、自分の体を思うように使われるのである。信心も仕事も同じことで、信心に進めば神徳もおかげも一日まさりである。この反対で、心が横着になり慢心すれば、おかげも落ちる。万事に心がけて、何事にも信心しなさい。』
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2020年12月03日

●頑なな心にならずに

 あるご信者のご家庭では、新型コロナウイルスの影響で、ご主人の仕事に制限ができて残業時間なくなり、奥様も退職を余儀なくされ、世帯収入が大幅に減ったそうです。しかし、家賃・光熱費・学費等は変わらず払いながら子供を育てて生活せねばなりませんから、工夫を凝らし努力なさっておられましたら、以前に比べて体は疲労せずに、やりくりさせて頂くことが出来ているということです。以前はご主人の仕事が忙しく、またご自身も働きながら家事をなさっておられましたから、二人とも体も疲れ果て、掃除・炊事・洗濯の時間の確保も難しかったそうです。今では家事育児に励ませて頂き、家の整理整頓が出来ておかげを頂いた生活になっているということです。

★そのご信者は「これまでは、残業代や自分の収入もあった中で生活させて頂いてきましたが、忙しさにかまけて買ってきた弁当を並べるような始末でした。それが、収入が減った現在の生活でありましても、質素倹約させて頂きましたら、おかずも工夫をして作り、生活が出来ないということはありません。これまでは、どれ程無理・無駄な生活をしていたのかと反省させられます・・・」と仰っておられました。一生懸命働いておられましたが、何を中心にして、どこに力を入れたら良いのかということを、実は分かっていなかったということに、気が付かせて頂かれたのでした。

★コロナ禍の状況でありますから、何事にも無理を通すということは出来ません。また、バランスを失わないように無駄をしないようにしなければいけません。大切な所に力を入れさせて頂く時期であり、無理無駄をしないように教えて頂いているのです。『人間は万物の霊長であるから、万物を見て道理に合う信心をせねばならぬ』と教えて頂いております。日々の生活の中で、真(まこと)・真心を育てて頂くのです。「自分がする」というように、人間中心の考え方や自分中心の考え方が一番のご無礼です。有難いバランスの取れた生活にならせて頂けるように、頑なな心にならずに、この環境に沿った生き方を新たに生み出していくことが大切なのです。そして良い事がずっと続かせて頂けるように、むら気のない生活になるおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年12月02日

●我が心と身体の掃除をするつもりで信心せよ

私達の心の中には、様々な欲が起こってくるものです。それは、食欲、睡眠欲のような、生きてゆく為に必要な欲もありますが、お取り払い頂くべき我情我欲も、次から次へと湧き起こってきます。自分の中で、「ああ、この欲はおさえることが出来た!」と、思って、一時はおさまっていても、次の瞬間には次の欲が頭をもたげたりするものです。我情我欲をお取り払い頂くには、日々稽古が必要なのです。

★息子さんの家庭内暴力に悩まれていたある方が、お導き頂かれて参拝なさり、二代教会長・伊藤コウ師より「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれました。しかし、「今まで自分が育ててきた」という心を放すことができないお父さんのご信者は、なかなかみ教え通りに拝むことが出来ませんでした。そこで、「どうぞ、息子を本当に心から拝める私にならせて下さい。」と毎日お届けをして、お願いするようになっていかれたのです。

★息子さんの態度に、すぐに変化が見られた訳ではなかったそうですが、根気強く教会に参拝され、お届けをしてお願いし、み教えを頂きながら「どうぞ息子を心から拝める私にならせて下さい。」と、お願いし続けられたのです。すると、その息子さんが、大学へ行き、いつの間にか暴力がおさまっていたのでした。そして就職され、結婚もされて、お孫さんを連れて教会へお参りして下さるようになられたのです。

★それでも、そのお父さんは「このように次々とおかげを頂いていても、私はまだ心の底から息子を拝めてはいません。どうぞ心の底から拝める私にならせて下さい。」と、御国替えなさるまで、ご自身の持っている頑なな心を神様にお詫び申され、日々我情我欲をお取り払い頂けるように一筋にお願いされ、稽古を続けられたのです。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心、我が身が汚れないように、心と身体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』

★いよいよ令和2年、最後の月の師走を迎えさせて頂きました。この一年間頂き続けてきたおかげに対してお礼をしっかりと申し上げ、心にある我情我欲をお取り払い頂けるよう、日々神様に心を向けて稽古させて頂きましょう。
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2020年12月01日

●道理にかなった信心を

 先日あるご信者が、「私は、幼少の頃から親にお導き頂いて、金光様のご信心をさせて頂いております。しかし、主人の方は親の代から神社にお参りしており、家にはお札を祀っております。また、仏式でご先祖を祀っております。主人からそのお札と仏壇を朝晩に拝むように言われております。主人にあれこれ言われましても、私の思いに反することがあるのですが、私はどのような心構えで生活させて頂いたらよろしいのでしょうか?」と、お結界でお伺いなさいました。

★私達は神様から生命を授けて頂き、天地のお恵みを頂きながら天地の間に住まいさせて頂いて、結構に生活させて頂いております。天地の親神様のお体の上に神社、仏閣も建てられていますので、生命の大親神様にまず御拝礼をさせて頂き、次に神社仏閣のご祭神様や仏様を拝ませて頂くということは真に道理にかなったことです。このような心構えにならせて頂きましたら、先のご信者のように、ご主人から言われたことも、「はい、有難うございます。させて頂きます。」と素直に聞かせて頂けることでしょう。また、自分自身の信が迷ったり失ったりすることはありませんね。信心の上で口論する必要もありません。自分自身がしっかりと信念を持って信心を進めさせて頂いたら良いのです。皆それぞれに、神様にお守りを頂いて結構に生活させて頂いているのですから、信心を放さないようにさせて頂きましょう。

★『何神様を信じておる人も、仏様を信じておる人も、この天地金乃神様のおかげを受けておるのを知らずにおるのである。わが親神様を拝んで、その次にほかの信心をするのが、真の信心であろうではないか。』

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