『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを供えて祈れ。一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なきの三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就のご信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』(片岡次郎四郎師)
★有難い、恐れ多い、勿体ないという3つの言葉をそれぞれ辞書で引いてみますと、全てに「有難い」という意味もありますが、たとえば「恐れ多い」や「勿体ない」でしたら、ただ有難いというだけではなく、お詫びの心も含まれています。「日々、不行き届きばかりなところが多々ありますのに、このような結構なおかげばかり頂き、誠に畏れ多いことでございます。ご無礼不行き届きの段はどうぞお詫び申し上げます。」というように、お礼を申すことと、お詫びを申すこと、さらにはお願いをさせて頂くことの大切さを含んで頂いているご内容であると理解出来ます。
★ただ、有難いという言葉だけでは、その喜びと御恩に報わせて頂きたいという心を、表現しきれないということです。その不行き届きが分からせて頂くからこそ、有難さが分からせて頂くことが出来るのです。また、自分自身を省みるということがあってこそ、何が正しいのか、何が正しくないのかが分からせて頂けるようになるのです。このような素晴らしい生命を神様から与えて頂き、天地の大恩恵の中に生かされて生きていることを、心から喜ばせて頂くのです。それは、たとえ艱難辛苦があっても、その中に喜べることを見つけ、喜びながら生活をさせて頂き、人の喜びを自分の喜びに変え、人生の喜びを共有させて頂くのです。人に喜んで頂いてこそ生き甲斐を感じ、人の助かりがあって自分自身が助かるのです。ですから『真に有難しと思う心、すぐにみかげのはじめなり』というみ教えの通り、我人共に助かるご信心を進めさせて頂きましょう。
★五事を正す(中江藤樹先生)
一、貌・・・和やかな顔つきで人と接するように
二、言・・・思いやりのある言葉で話しかける
三、視・・・澄んだ目で物事を見つめる
四、聴・・・耳を傾けて人の話をきく
五、思・・・真心を込めて相手のことを想う
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
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2020年11月30日
●有難き、恐れ多き、勿体なき
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| 令和2年の「み教え」