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2020年11月23日

●難の根の切れるおかげ

 阿倍野教会が旧広前で御用させて頂いていた時代に、月例祭に祭典後のお説教にお越し下さっていた先生に、杉田政次郎師があられました。分かり易く、有難いお話をして下さったということです。

★その杉田政次郎師がお若い頃、親兄弟、親戚、友達、近所みな、信心することに大反対でした。家内は絶えず病気になり、商売は暇になって、どうしようもないので、何とかおかげを頂きたいと信心にいっそう励んでおられたのです。

★その頃、大阪の大今里村の吉原留吉という信者が、杉田師に頼まれた訳でもなかったのですが、金光様のもとへ参詣した時、『金光様、杉田という人は日々広前に参り、月三度のお祭り日には朝から広前に詰めてご用をしております。それなのに、しだいしだいに家の者が病気になり、まことに難儀なことが続きますが、どういうことでしょうか』とお伺いなさったのでした。

★その時、金光様は『吉原さん、帰ったら杉田さんに言ってあげてくれ。年の若い間に、神様はめぐりのお取り払いをしてくださるのである。年が寄ってからのお取り払いでは、体がもたない。一つでも若い間に、めぐりのお取り払いをしてくださるのであるから、ここが辛抱のしどころである。今はあせってはいけない。梅の木は、年に三尺も伸びるけれども大木はない。楠は年に一寸しか伸びないけれど大木になる。今あせらないようにせよ。末で枝葉が栄えて大木となる』とご理解くださったのでした。これを伝えて頂かれた杉田師は、何物にもたとえられないほど心うれしく思い、勇ましい心が出て、より一層ご信心に励まれました。後には、家内中が健康の上にもおかげを頂き、縁に繋がる方々が、ご信心をなさって次々と助かられるという、立派な御用が出来られるまでに、お徳を頂かれたのでした。

★『信心をしていれば神と心安いのと同じであるから、大難は小難に、小難は取り払いのおかげをやる。これほど信心をしても、まだこのような難を受けると言うのは、真の神徳を知らない者の言うことである。難は人間には計り知れないものである。熱心に信心している者でも、難が強く信心をやめる者がある。信心をして難の根の切れるおかげを受けなければならないのに、難の根よりも先に信心の根を切るのは、やはり真の神徳を知らない者のすることである。信心する者は、真の神徳を知らなければならない。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:51 | 令和2年の「み教え」