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2020年11月02日

●不自由の中に喜びを見出す

中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で生きてゆくことも出来られない程くじけられ、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、お子さんが自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。少し残った腕で脇にお箸を挟んで食事も頂かれ、自転車にも乗られました。また、義足をはめての歩行は、ご不便もあられたことと思われますが、「電車の中では、席に座れない時には、義足をはずしてその上に座るとなかなか便利です。」と喜んでおられたそうです。先生は、義足をはめるご自分の足の部分が少し短く、長めの人に比べて、使いながら外れてしまい易かったそうですが、先生は、義足が外れやすいことも「諦める」のではなく、喜びに変えておられたのでした。そして、他人と比べて引け目を感じ、人を恨み「運命を憎み、呪う」生き方ではなく、『運命を愛し、運命を生かす』生活に変わられたのです。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、有難い方々にお世話になられて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。

★たとえ不自由があったとしても、それが不幸せであると決めつけない生き方、不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても、以前より生き生きと輝いた生活を送らせて頂くことが出来るのですね。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:39 | 令和2年の「み教え」