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2020年11月28日

●恩知らずにならぬよう              

二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、あるご信者が自分の住まいのことについてお届けなさいました。そのご信者は、知人のご厚情で、「家賃は一切要りませんから、住んで頂いて構いませんよ」と言って頂いたので、その言葉に甘えて、本当に何のお礼もせずに住んでこられたのでした。ところが、家主さんの都合で、「家を明け渡して欲しい」と言われ、慌ててお届けに来られたのでした。

★伊藤コウ師は、「それは当たり前のことですよ。いくら、相手がご好意で言って下さった話とはいえ、人様の家に、何のお礼もせずに住み続けたら、いつか出て行かねばならないようになるのは当然のことです。お世話になったら、そのお礼は、どんなに親しい間柄であっても、たとえ親子、兄弟であっても、きちんとさせて頂かなければ、めぐりを積むことになってしまうのですよ。」と、み教えになられたのでした。

★御礼の足りない生き方は、知らず知らずのうちにご無礼を重ね、徳を失い、神様からも人からも信用して頂けなくなって、良い関係が築けなくなってしまいます。また、物に対しても御礼の心が足りず粗末な扱いをしていると、身に付かず何もかもが自分から離れていってしまうのです。常に、ご恩返しの働きを心がけて、ご無礼のないように、積徳の信心生活をさせて頂きたいと思います。

★『信心する者は、山へ行って木の切り株に腰を下ろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれよ』『道で夕立ちになると軒下を借りて、「雨はまだやまぬか、やまぬか」と言って雨が止んだら「やんだ、やんだ」と言ってお礼も言わずに出て行ってしまう。そのような信心ではおかげにならない』
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2020年11月27日

●信心辛抱の先に光あり

 農作物の獣害は深刻な問題となっているようですが、以前、農家のご信者の方々から様々なお話を聞かせて頂いたことがあります。スイカを栽培しているお方に聞いたお話では、スイカが大きく育って熟れた頃になると、決まってカラスが鳴くのだそうです。そのカラスはいわば見張り役のようなものらしく、そのカラスが鳴くと、たくさんのカラスが飛んできて、熟れた実をつついてしまうそうです。そこで、大急ぎで収穫をするのだと仰っておられました。

★また、稲作をなさっているご信者にお聞きした話ですが、イノシシが田んぼに入り、収穫前の稲穂を上手に口でしごいて、お米を食べてしまうそうです。更には、イノシシが通ったところは獣の臭いがついてしまい、売り物にはならなくなってしまうというのです。田植えをなさり、お照らしがあったり、なかったり、あるいは大雨が降ったり・・様々な天地のお働きをそのままに受けながら、心血を注いでお世話をなさり、やっと収穫まで漕ぎ着けようかという時に、そのような被害を受けられるのですから、どれほどのご辛抱でしょうか。「動物にも少しは分けてあげなければなりませんから・・・」と共に立ち行くことを願っておられます。そのようなご辛抱をなさりながら、天地のお恵みを享受なさり、努力と工夫を重ねながら、年々収穫のおかげを頂いておられることは、真に尊いことだと思わせて頂きます。

★新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、先の見えない不安を感じてしまう、ということがあるかもしれませんが、これまで頂いてきたおかげに目を向けて、御礼を土台にして信心辛抱をさせて頂く稽古を、共々にさせて頂きたいと思います。今出来ること、させて頂くべきことを、先を楽しみにコツコツと積み重ねさせて頂けば、道は必ず開けていくのです。

★『辛抱するがよい。辛抱というぼうは強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり曲がったりしたら、それは辛抱じゃない。おかげを受けようと思えば辛抱になければならぬ。信心は長う続かねばならぬ。長うて強い信心辛抱には、どのくらいなおかげを担えるやらわからぬぞ。先を楽しんで信心辛抱さしてもらうがよい。』

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2020年11月26日

●本当の剛さとは…

「論語物語」という本の中に収められているお話です。

★ある時、孔子が「剛(つよ)い人間がいない…」と嘆いていました。すると、それを聞いた門人達は皆、申棖(しんとう)という者を思い浮かべました。申棖(しんとう)は大の負けず嫌いで、議論になると先輩であっても遠慮せずに相手を圧倒し、思う存分のことを言ってのける門人でした。申棖(しんとう)のことを言うと孔子は、「申棖(しんとう)は剛くはない。欲が深い。」と仰いました。門人は「申棖(しんとう)は、お金に対して冷淡であり、金銭欲もないし、欲があるとは思えません。」と答えますと、孔子は続けて、「私は申棖(しんとう)こそ、誰よりも欲が強いと思う。金銭がほしいばかりが欲ではない。欲は様々な形で表れる。申棖(しんとう)は負けず嫌いで、我執が強いというのもその一つである。欲というのは、人に克とうとする私心を指している。天の道理に従って、金を貯めるのは欲とは言わない。それに反して仮に、金銭に対して冷淡であったとしても、私心にかられて人と争うのはまさに欲である。申棖(しんとう)は欲がきつい。欲がきつくては剛いとは言えない。剛いというのは、人に克つことではなくて、己に克つことである。素直に天地の道理に従って、どんな難儀な目にあっても、安らかな心を持ち続けることである。」と門人達に説いて聞かせたのでした。

★人に勝とうとすることは、我情我欲であり、本当に剛い人間というのは、不成心(不平不足の心、仕返しの心、我情我欲の心、疑う心…)を去り、自分に打ち克つことができる人なのですね。自分に打ち克つというのは、どんなことが起きてきても、和らぎ喜ぶ心を持ち続けて、難儀や辛苦に打ち克つことであると教えて下さっているのです。そのためには、現在与えて頂いている環境に対して、不平不足を思わずお礼を申しあげる稽古をさせて頂くのです。神様を目当てにして、自分の心を向上させることに焦点を当てる事が大切です。また、分相応な生活を維持するにも、自律自戒をして我欲に負けないことが必要です。不成心というのは、毎日心に沸き起こってくる雲のようなもので、いつ出てくるやらわかりませんから、日々み教えを頂いてその雲を取り払って頂くのです。そのように、心にある雲を取り払って、生活させて頂くことが心行となるのです。
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2020年11月25日

●我情我欲を取っていく

 阿倍野教会では、神様の御機感にかなう「身代と人間と達者」が揃って代々続く家となるように、「五つのお願い」(体の丈夫、子孫の信心教育、豊かな生活、平和円満、徳と力)を基本として、誰もが願いを立てるように教えて頂いております。

1)体の丈夫・・・何事も体が資本です。心身健康のおかげを頂き、しっかりお役に立つ働きにお使い頂くことを、お願いさせて頂きましょう。

2)子孫の信心教育・・・子孫の方が、現在教会にお引き寄せ頂いていたとしても、油断なくお願いし続けることが大切です。反対に、現状ではなかなかお参りが出来ていないことがあられたとしても、決して諦めないように、親は良いお手本となる信心を心掛け、生涯かけて「伝わる信心」と「伝える信心」の両面からおかげを頂きたいと思います。

3)豊かな生活・・・「貧すれば鈍する」という言葉もありますが、人のことを思いやり、導かせて頂くためにも、自身が物質的にも精神的にも、豊かな生活のおかげを頂くことは大切なことです。

4)平和円満・・・いつも神様に心を向けさせて頂けば、誰とでも、どんな場面に出くわしても心を乱すことなく、どんな人をも重荷に感じることのなく、平和円満におかげを頂くことが出来ます。

5)徳と力・・・誰もが生まれながらに、有り難い徳と力を頂いているのですから、生涯かけて磨かせて頂くことを願うのです。

★五カ年計画の願いの満願成就に向けて大事なことは、我情我欲を取っていくことです。豊かな生活をしたいと思いながら豊かにならないのは、どこかに無駄があるからです。初代教会長・伊藤徳次師が願われていた、百畳のお広前の建築が実現するまで35年かかられましたが、その間に五年、五年と願い続けてご修行をなさったのです。願い続けていれば、必ず願いに沿った生活になっていきます。その為に日参と聴教に励み、我情我欲をお取り払い頂くおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年11月24日

●「人を呪わば穴一つ」  

11月23日は、28才の時に交通事故でお国替えになった、私の家内の兄の御命日でした。まだ結婚されて間もない新婚家庭であられたそうです。家内の兄は、1男5女の6人兄弟の総領息子で、当時神戸の第五管区海上保安庁に勤めておられました。

★昭和55年、兄は仕事の帰りに車にはねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、28才という若さでお国替えされました。相手の方は20才くらいの若い方で、その父親と本人とが家内の父に土下座して謝罪されたそうです。家内の両親は総領息子を不慮の事故で突然失われ、悲痛極まりないことであられたと思います。しかし家内の父は、警察へ「相手の方はまだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と、事故を起こした相手の青年の将来を考えられ、嘆願書を出されたのでした。その後、父は家族の間でも恨みごとは勿論のこと、事故の話を一切話題に出されることはなかったそうです。父は相手を恨むのではなく、相手の立ち行きを願われ、後々にめぐりを残されぬように祈りに変えられたのでした。辛い出来事から、恨みや更なる悲しみを生むことなく、お徳を頂く方向へと進んでいかれる手本となる在り方を、示しておられたのだと思います。つまらない事を言わず辛抱なさってお願いに変えていかれたので、周囲にその心が伝わってゆき、願っておられた後継の事が有難い形で成就出来てゆかれたのです。

★「この恨み、晴らさでおくべきか…」という気で生活しておりますと、決して結構なものは生まれず、全て自分自身に返ってくるのです。「人を呪わば穴二つ」と言いますが、「人を呪わば穴一つ」です。呪った人間が落ちるだけのことです。

★教祖様は『日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない』とみ教え下さっておられます。どんな時であっても、常に悪い心を持たず、良い心を持たせて頂くような生き方を、生涯貫いてゆけるようにおかげを頂いて参りたいと思います。

★令和3年1月の寒修行信行期間に向けまして〔「難儀に負けない、常に喜びを見出す信心。」『心配する心で信心をせよ』〕という目標を設けさせて頂きました。どんな時にも慌てず焦らず、良い方へ良い方へ、心配りをさせて頂く生き方に努めさせて頂きましょう。
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2020年11月23日

●難の根の切れるおかげ

 阿倍野教会が旧広前で御用させて頂いていた時代に、月例祭に祭典後のお説教にお越し下さっていた先生に、杉田政次郎師があられました。分かり易く、有難いお話をして下さったということです。

★その杉田政次郎師がお若い頃、親兄弟、親戚、友達、近所みな、信心することに大反対でした。家内は絶えず病気になり、商売は暇になって、どうしようもないので、何とかおかげを頂きたいと信心にいっそう励んでおられたのです。

★その頃、大阪の大今里村の吉原留吉という信者が、杉田師に頼まれた訳でもなかったのですが、金光様のもとへ参詣した時、『金光様、杉田という人は日々広前に参り、月三度のお祭り日には朝から広前に詰めてご用をしております。それなのに、しだいしだいに家の者が病気になり、まことに難儀なことが続きますが、どういうことでしょうか』とお伺いなさったのでした。

★その時、金光様は『吉原さん、帰ったら杉田さんに言ってあげてくれ。年の若い間に、神様はめぐりのお取り払いをしてくださるのである。年が寄ってからのお取り払いでは、体がもたない。一つでも若い間に、めぐりのお取り払いをしてくださるのであるから、ここが辛抱のしどころである。今はあせってはいけない。梅の木は、年に三尺も伸びるけれども大木はない。楠は年に一寸しか伸びないけれど大木になる。今あせらないようにせよ。末で枝葉が栄えて大木となる』とご理解くださったのでした。これを伝えて頂かれた杉田師は、何物にもたとえられないほど心うれしく思い、勇ましい心が出て、より一層ご信心に励まれました。後には、家内中が健康の上にもおかげを頂き、縁に繋がる方々が、ご信心をなさって次々と助かられるという、立派な御用が出来られるまでに、お徳を頂かれたのでした。

★『信心をしていれば神と心安いのと同じであるから、大難は小難に、小難は取り払いのおかげをやる。これほど信心をしても、まだこのような難を受けると言うのは、真の神徳を知らない者の言うことである。難は人間には計り知れないものである。熱心に信心している者でも、難が強く信心をやめる者がある。信心をして難の根の切れるおかげを受けなければならないのに、難の根よりも先に信心の根を切るのは、やはり真の神徳を知らない者のすることである。信心する者は、真の神徳を知らなければならない。』

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2020年11月22日

●日々の見直し

先日も新幹線に乗車し、日帰りをさせて頂いて、宅祭をお仕え申し上げることが出来ました。その折、駅構内でもホームでも列車内でも、皆様がマスクを着用なさって、心配りをなさり、人に迷惑をかけないように、意識を高く保っておられることがよく分からせて頂きました。

★今まさに私達人間が、おごり高ぶった状態から改まって、天地自然のお働きの中に生かされて生きている存在であるということを、謙虚に頂き直す時期を与えて頂いていると感じます。毎日有難いおかげの中に、多くの人々のお世話になり、お恵みの中で生活をさせて頂いていることを御礼申しながら、真の信心をしっかりとさせて頂かなければならない時である、と思わせて頂いております。毎日新しいニュースが報道され、世界中で感染が拡大している状況です。日に日に新たに生活の見直しをしていかなければならない状態です。それは、常に手元足元の所を怠らないように、小さなことを大切に積み重ねさせて頂くということが大切なのです。

★基本的なところをしっかりと守らせて頂いておりましたら、不安も心配もありません。基本から逸脱してしまいますと、不安と心配が起きてきます。一人一人の自覚が大切であり、心新たに今日一日のご信心を基にした、信心生活をさせて頂きましょう。


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2020年11月21日

●日々の改まりと工夫と積み重ね

 リウマチを患っておられた金光キクヨ姫様は、「リウマチの私が『病気だからできない』と言うてしまえばそれだけのこと。そこをお願いして掃除させて頂けた時の喜びは、元気なものが掃除させて頂く喜びより何倍の喜びかわかりません。神様におすがりして、させて頂きたいという願いを立てれば、掃除の仕方まで神様は教えて下さいます。御用させて下さいます。」と仰せになりました。リウマチの手で雑巾を絞ることが出来られなかったので、前の晩に濡らした雑巾を竿にかけておかれ、翌朝には、程よく湿った程度になった雑巾を使ってお掃除をしておられたそうです。

★また、「広い大教会所の雑巾がけは、先にしぼった多くの雑巾を、あちらこちらに配っておきます。そうすれば時間がかかりません。片手でなく両手で雑巾がけをすると早くできます。そのように頭を使い工夫して、御用させて頂きました。」と仰せになったのでした。

★信心は日々の改まりの積み重ねです。良い方へ良い方へと改まりを進めてゆく勇気を持つことが肝要です。神様に心を向けさせて頂き、謙虚にみ教えを頂く心、素直に改まらせて頂く心にならせて頂いて、「私の信心はまだまだ至りませんが、どうぞ有難い方向に改まらせて頂いて、お役に立つ働きがさせて頂けますように」というお願いを持たせて頂いておりますと、誰もが神様のお心をそのままに現わさせて頂けるような、有難い姿にならせて頂けるのです。

★『神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。』

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2020年11月20日

●神様と共に辛抱させて頂く

以前に新聞に、斉藤学という精神科医が書かれた記事が掲載されていました。

★[親の子育ての仕事の中には、規範の受け入れということが含まれていて、それをわかりやすく言おうとして、私は「我慢させる仕事」と呼んでいる。「子どもを抱く仕事」や「子どもと別れる仕事」と並んで親の三大仕事の一つであると思う。これらはどの一つも欠けてはならないし、相互に関連している。抱くことのできない親は、子どもに我慢を教えられない。抱くことも我慢させることも出来ない親に限ってなかなか子どもを手放せないし、子どもの方もいつまでも親から離れられないというわけで、いずれも重要なのだが、「子どもに我慢させる仕事」はとりわけ父親に負託されることが多い。子どもに嫌われたり、怒られたりすることを避けて、ものわかりのよい父をやっているばかりでは親の仕事を手抜きしていることになる…」

★教祖様は、幼い頃から神様を拝む事が大好きであられ、何事も実意丁寧に神様にお願いなさり、一心におすがりなさりながら農作業に励まれました。その様に実意丁寧なご姿勢を貫かれて、何事も真面目に取り組まれたことにより、神様からご信用頂かれ、さらに周囲の人々からも信頼されるようになられたのでした。しかし、すぐに「生神金光大神」という御神号を頂くようになられたという訳ではありません。神様もご辛抱なさり、お育てになられたのです。教祖様もまた、信心辛抱なさって、受け切ってゆかれました。そこには、神様も教祖様も共にご辛抱・ご苦労があられたのだと教えて頂いております。

★私たちも神様にご辛抱頂いて、お育て頂いてる存在です。その中で出来てきたことを選り好みせず、「これが今、自分自身に必要なご修行である」と、与えて頂いているご修行を本当に有難く、受け切ってゆくことが大事なことです。それには信心辛抱が必要です。そうしますと、だんだんと自分自身を引き上げて下さり、一段一段向上し、更に有難いものが身に付いてゆくのです。

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2020年11月19日

●釘一本、葉の一枚にも命がある

 阿倍野教会の現在のお広前ご建築中のことです。工事中の境内地に、まだ使えそうな釘が、何本も落ちていたことがあったようです。また、ある時には、まとめて土に埋められていたこともあったそうです。大工さんからすれば、釘の代金は施主が払うものであって、少々の材料を無下に扱っても自分の懐に影響はない、という考えがあったのかもしれません。三代教会長先生は、それらの釘一本も無駄になることのないように、拾って集められたということです。

★金光教学院には参道に銀杏の木があり、講堂の前庭には桜の木があります。それらの木は、秋から冬にかけて大量の葉を落とし、学院生は、掃いても掃いても落ちてくる落ち葉を、限られた時間の中でお掃除をさせて頂くのです。ある時、先生から「いくら落ち葉の掃除が大変でも、木を揺すったりほうきでつついたりして、まだ木についている葉まで落として、ついでに掃除をしてしまおうというような考えは持たないように。葉の一枚一枚にも命があり、その命を慈しむ心が尊いのです。」と、学院生全体にみ教え頂いたことがありました。つい、効率重視に陥ってしまうと、自分にもそのような危うさが無いとも限らないことに気が付かせて頂き、有難い戒めのみ教えとさせて頂いたことでした。

★釘の一本、糸の一本、紙一枚でも、天地のお恵みとして、賜わり物としての命を一つ一つが頂いております。人間中心、自分中心の狭い考えに陥ってしまうと、「高価か安価か」あるいは、「希少なものか、どこにでも大量にあるものか」ということにのみ、物を大切にする基準をおいてしまい、物の命を粗末に扱ってしまうおそれがあるということを、忘れないようにさせて頂かなくてはなりません。

★ものが豊かな今日であるからこそ、全ての命を神様からの賜りものとして敬い、大切にさせて頂くことを、いつも忘れないようにさせて頂きたいと思います。

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2020年11月18日

●代々引き継がれる信心の有難さ

昨日は、婦人会例会が開催され、岸本氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★岸本氏は、卸売市場で商売をなさっておられる岸本の家へ嫁がれ、入信されました。ご主人のお義母様は大変熱心なお方で、朝・昼・夜と熱心に日参され、二代教会長伊藤コウ師より頂かれたみ教えを一心に守られたのです。お義母様の改まられた家庭生活をお義父様が見られ、一度もお参りされなかった教会へ半信半疑で参拝され、コウ師の有難いお説教を聴かれ、感涙して帰られたのでした。それからというもの、お義父様は一心に日参と聴教に励まれ、今までの生活や商売の在り方を改まってゆかれたのでした。

★お商売についてコウ師より、「一級酒に特級酒のラベルは張れませんよ。収入の中で支出をするよう分相応の生活をするように。品物を売るのではなく、人すなわち信用を売るのです。」とみ教えを頂かれたのです。店舗は大変狭く、条件の悪いところにもかかわらず、頂かれたみ教えを守られ、実意丁寧正直親切を以って、お客様に接客されましたら、日勝り、月勝り、年勝りに繁盛のおかげを頂いてゆかれました。

★そうして、義父母様が頂かれたみ教えを、岸本氏も結婚後より守られ、義父母様・ご主人と一緒に参拝され、共にお商売を受け継いでこられました。現在子孫へと家業と信心を相続しておられ、時代が変わりゆく中にも、頂かれたみ教えを守られ創意工夫をなさって、手堅い商売を続けられ、繁盛させて頂いておられます。

★そうした中にも、岸本氏は交通事故に遭われたり、急性大動脈解離が見つかることがあられましたが、大難を小難に、また大病は小病に、おまつりかえ頂く大みかげを頂いておられます。

★5年前の1月、岸本氏は早朝の市場へ行く準備をしておられる時、背中に刃物が刺さったような痛みを訴えられました。岸本氏は一度市場まで行かれたものの、あまりの痛みに耐えかねてタクシーで帰宅され、以前お世話になられた病院を受診なさいますと、諸々の検査の後「これは緊急を要します。救急車を待つ時間もありませんから、タクシーで市大病院に行って下さい」とのことだったのです。

★岸本氏は、すぐに電話でお届けをなさり、市大病院を受診なさいますと、急性大動脈解離という、致死率が非常に高く、一刻の猶予も許されない状態であることが分かったのです。市大の医師より「血管の3層構造のうち、2層に亀裂が入り、最後の1層も切れる寸前で、破裂にならずにすんでいます。また心臓より上の血管ではなく、下の腎臓に向かって20センチにわたって解離していますが、手術せずに治療します。初め受診された医師が正しく診断して下さってよかったです。腎臓結石等と誤診され、処置が手遅れになるケースも珍しくはないんですよ。」と、お話があったのでした。岸本氏は手術することなく、無事に適切な治療をして頂かれ、入院から3週間後の1月28日、月例霊祭の日に無事退院なさり、その後も順調に回復のおかげを頂かれ、今日もお元気にお仕事に励んでおられます。

★岸本氏は、義父母様の信心を受け継がれ、神様・霊様にご安心頂かれるよう、日参と聴教、お取次を頂くことを油断なく心掛けておられますので、万事にお守りを頂いておられるということが分からせて頂けます。
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2020年11月17日

●事の軽重や大小に関わらず・・・

 以前に、医師のご信者が[三代教会長先生より「事の軽重や大小を問わず、ご祈念して何事もさせて頂きましょう」とみ教え頂き、そのみ教えを毎日守らせて頂いております。]とお届けなさっておられました。

★ある時、そのお方が患者さんを診察される時に、「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」とご祈念されますと、「この方は軽い風邪のように見えるが、レントゲンを撮っておかねばならないな」と心に教えて頂かれ、レントゲンを撮られますと、肺炎の初期の症状であったそうです。そして、その方の症状に合った治療を進めることが出来、事が大きくならずに済まれたのでした。「この人の症状は軽いなあ、ただの風邪だろう・・・」と先に思い込んでしまいますと、油断が生じてしまいます。しかし、先に御祈念させて頂いておりますと、神様が「今のうちに、このようにしておきなさいよ」と、ふと心に教えて下さるのです。そうして、そのみ教えを素直に守らせて頂きますと、間に合うようにおかげを蒙らせて頂くことが出来るのです。

★またそのご信者は、看護師さんから「先生すぐに来てください!」と電話で呼ばれ、病室に行かれる間にも「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」とご祈念しながら病室に行かれることを心掛けておられます。そして、緊急の処置をされる際にも、冷静に慌てずに判断させて頂くことが出来られるのです。病院の廊下を歩いておられる間も、いつでもどこでもご祈念させて頂くことを心掛けておられます。ですから、命に関わる様な患者さんの病状でも、幾度となく救わせて頂く体験をなさっておられるのです。

★このみ教えは、私たちも毎日の生活の中で実践させて頂き易いみ教えです。いつどんな時でも、「生神金光大神様、天地金乃神様・・・」と心中ご祈念させて頂き、間に合うようにおかげを蒙らせて頂きましょう。

★『大きな事はお願いをし、このくらいは構わない、ということはない。神には大きい事、小さい事の区別はない。』

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2020年11月16日

●日参と聴教、心中御祈念

『氏子が神様と仲よくするのが信心である。神様を離れるようにすると信心にならない。神様に近寄るようにせよ』

★私共がご信心させて頂く上で、私達が神様に近づくようにとみ教え頂いております。神様に近くなるように、遠ざかるようなことをしないようにということですが、これは、いつでもどこでも何をする時でも、神様に心を向けて、心中御祈念をして物事に当たらせて頂きましょう、というみ教えもその中に含まれていますね。また、お広前を遠ざかるのは信心の抜け始めである、とも教えて頂いております。「私は常に心中御祈念させて頂いておりますから、お参りしてみ教えを頂かなくても大丈夫です」ということではなく、両方が大切なのです。

★例えば、書道でしたら、先生に手直しをして頂くから上達します。手直しをしてもらわなければ、勝手気ままな書き方で自己流になってしまいます。私達が、教祖様のみ教えを頂き続けるということは、お手本に習っていくということです。信心が自己流になりましたら、その自己流が難儀を生んでいくのです。それでは、助からないことが次々出来てしまいますね。日参と聴教に励ませて頂くということは、信心の稽古です。常に、天地の道理に即した尊いみ教えに習わせて頂きましょう。そしてそのお手本を大切にさせて頂いて、神様のお心から離れないようにさせて頂くのです。

★また常平生、自分自身が心を改め磨いていくという稽古を心がけるとしても、一日中お広前に座っておるわけにはいきませんね。それぞれの事情や、遠方近隣という距離のこともありますでしょうから、少しでもお広前に近づかせて頂いて、御神徳の満ち満ちたお広前に自分自身を浸らせてもらい、見つめ直しをさせて頂く時間を与えて頂くということが大切なのです。

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2020年11月14日

●おかげを受けたことを忘れない

荻原須喜師は、2年間血の道の病にて、病床に呻吟しておられました。

★ご主人の豊松さんが参詣されますと、金光様が「巳の年(豊松)、昔から神信心しておかげを受けるのには、一心ということを言おうがな。一心に信心すりゃ、おかげが受けられるのじゃ。(中略)たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。(中略)神信心もこの一心というものを出すと、すぐおかげをいただける。(中略)どこでもよいから一心に信心せよと言うのであるぞ」と仰せになりました。

★続けて「丑の年(荻原須喜)はまことに執念な者で、常に不足ばかり並べておるが、不足にはおかげはない。(中略)それじゃから、病気もしておるのじゃ。ようもならぬのじゃ。(中略)なるほど私は悪かったということが腹の底から得心がいったら、家内中相談のうえで好きな所へ信心せよ。きっとおかげが受けられるからのう。もし丑の年(荻原須喜)にその得心がいって、相談のうえで、ここでおかげを受けるということなら、もう一ぺん参りなさい」と仰せになられました。

★早速、豊松さんは帰ってから須喜師の枕元で一部始終を話されました。すると、須喜師は「わたしはわがままで、不平不足より他にありませんでした。改心せんでどうしましょうか…」と改まりが決意できられ、金光様の元で信心しておかげを頂くことを決心されました。再び豊松さんが参詣されますと、金光様より三週間を楽しみにおかげを頂くようみ教え頂かれました。そこで、日夜ご信心を進められますと、16日目に初めて枕から頭が上がり、21日目には2年前と変わらない壮健な身体になられたのでした。そして、15qの道を歩いて参拝が出来、御礼を涙ながらに申し上げた時に、金光様から「今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。ここからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ」とみ教えを頂かれたのでした。

★私達は日々み教えを頂いて改まり、おかげを頂きましたら、その有難いことを忘れないで、次々と人が助かっていくように、親切丁寧にお導きさせて頂き、真の信心に進んで頂く方々増えていく事が、神様への一番の御礼になるのですね。
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2020年11月13日

●我が身は神徳の中に生かされてあり

 11日には、生神金光大神様の御大祭を無事に、盛大にお仕え申し上げることが出来まして、真に有難いことでございました。日々生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂けることはどれ程有難いことでしょうか。み教えのご内容は真に広大で一朝一夕に身に付けて、実行させて頂くということは出来難いかもしれませんが、日々繰り返しみ教えを頂くことによって、点と点がつながって線になり、線と線がつながって面になるように、少しずつ確かなものとなって身に付けさせて頂くことが出来るようになるのです。

★例えば、悪意を向けてくるような相手に対しても、自分の心は神様に向けさせて頂いておりますと、腹の立つことがあっても、相手の助かりを願わせて頂けるようになります。その真心を神様はお受け取り下さり、相手も自分もおかげを頂くと、教えて頂いております。しかし、日々み教えをしっかりと頂いておりませんと、その様にみ教えを頂いても、「あんな人の助かりを祈る気になれるはずがありません!」と、せっかく助かる道を教えて頂いても、心が受け入れることが出来ないのです。

★み教えを頂く稽古を重ねますと、信心の地が肥やされ、「あれもおかげ、これもおかげ」と、有難いおかげの中に生かされていることが分からせて頂き、神様にお礼を申し上げたいことが次々と溢れてきます。そして朝になりましたら、「今日も早くお参りして、神様にお礼を申したい!み教えを頂きたい!」と、元気な心で目覚めることが出来るようになるのです。神様にも霊様にもご安心頂ける、有難い信心生活にならせて頂けるよう、日に日にお取次を頂き、み教えを頂き続けましょう。

★『信心せよ。信心ということは、しんはわが心、じんは神なり。わが心が神に向かうをもって信心と言うなり。恩徳の中におっても、氏子、信なければ、おかげはなし』

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2020年11月12日

●人を助けておのが助かる道

昨日は、天候気象を初めとして万事万端に御都合お繰り合わせを蒙り、金光大神大祭を盛大にお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。祭典後のお説教を、島之内教会長・三矢田光師より「人を助けておのが助かる道」という御講題で、有難い御教話を賜りました。

★[講題であります「人を助けておのが助かる道」という言葉は、前教会長・三矢田守秋師がよく仰っておられた言葉です。金光教の信心を一言で表すとすれば「人を助けておのが助かる道」ではないかということです。人を助けると言うと大げさなことのように思えるかもしれませんが、この場合の【助ける】というのは非常に広い意味であります。悲しんでいる人にやさしい言葉をかけたり、問題を抱えている人の話を聞くことも【助ける】ことです。さらに言えば人の迷惑になることをせずに我慢するということもそうです。格別な力や立場が無いと人助けが出来ないということではなく、誰にでもその人の有り様の中で、出来ることをさせてもらうということです。

★教祖様のみ教えの中に『人に悪く言われた時に、信心するからこらえなければならないと思ってこらえるくらいでは、まだいけない。先方の心を、どうぞ直してやってくださいと拝んであげるようにならなければいけない』とあります。このみ教えを聞かせて頂きますと「信心していると、人に悪く言われても我慢できるようになるだけでは無く、さらに一歩進んで神様にお願い出来るようにならなければ」と思いますが、

守秋師は『人に悪く言われた時に、こらえようと思ってもこらえられるものでは無い。むしろ先方の心を治してあげて下さいと神様にお願いせよ。その方がおかげを受けられる。まずこらえることが出来て次に進みなさいということではなくて、一歩飛び越えて相手のことを祈らせてもらえれば、こらえる事が出来ると言う意味だ』と仰っておられました。

こらえるということは自分の力ですることでありますが、願うということは神様の力をお借りして出来ることであります。神様に間に入って頂くのです。自分が助かってから人の助かりを願うというあり方ではなく、自分は助かっていなくても人の助かりを願うことが出来れば、自分が助かるというあり方を教えて下さっておられるのです。これもまた「人を助けておのが助かる」ということかと思います]と大変有難い御講話を賜りました。

★まだまだ至らない中でも、まず人のことをお願いさせて頂いたら、そこから自分自身が成長向上させて頂ける、ということを教えて頂きました。周囲のことを一生懸命お願いさせて頂く稽古に励ませて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年11月11日

●神様と一つ心に・・・

 皆様、おめでとうございます。本日、昼2時より金光大神大祭をお仕え申し上げます。万事万端に、有難いご都合お繰り合わせを頂きまして、また、ご信者皆様の真心からのご祈念と御用奉仕を賜りまして、教会内外のお掃除、内膳、配膳の御用、お餅つき、植木の御用等々、実意丁寧に整えさせて頂けましたことは、真に有り難いことでございます。人間がさせて頂くことは、不完全です。しかし、すべてにおいて行き届いた準備がさせて頂けますように、『実意を込めてすべてを大切に』『世話になるすべてに礼を言う心、神を表し、神になる心』と教えて頂いておりますように、どんなに忙しくても気持ちを穏やかにし、御礼を申し上げながら御用にお使い頂けますように心掛けさせて頂きましょう。御祭典というのは、神様に真心をお供えさせて頂くことですが、真心を形に表したものです。神様と一つ心にならせて頂けますように、共々に心を込めて拝ませて頂きましょう。

★『「鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでも刃先の焼き直しをしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが刃先の焼き直しじゃ」と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、何事もなかったら信心が寝入る。』

★人間は何の心配もない生活を送っておりますと、油断してしまいやすいものです。痛いかゆいとか辛い、苦しいがあるので、それがご修行となり、信心が進ませて頂けるのです。

★本日の御大祭祭典後には、島之内教会教会長三矢田光師より『人を助けておのが助かる道』という御講題でお説教を賜ります。先生のお口を通して自分にとって、今一番必要なみ教えを頂いて共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年11月10日

●私の真心がまだまだ足りないのだ

 三代教会長先生は、二代教会長・伊藤コウ師のおっしゃることは、全て神様のお言葉として有難く頂いておられました。傍の者から見れば、とても耐えられるようなものではないと思えるような厳しいみ教えでも、三代教会長先生は、「一度も不足に思ったことはない」と述懐なさるほど、全て有難く受け切っておられたのでした。

例えば、夜お休みになっておられる時に、コウ師が「あの祭詞はどうなっていますか」とお尋ねになられたら、「はい、すぐに書かせて頂きます」とお応えになられ、何時であろうとも床から直ぐに出てお書きになられ、「このように書かせて頂きましたが、よろしいでしょうか」と、報告なさったということです。

★三代教会長先生が、10代の御頃に「日常の心得」として戒めておられた5つのこと。
1)何事も好きなことに取り組む気で喜んでする。…どんな事でも喜びに満ち満ちてさせて頂けるよう、しっかりとした願いを持つ。

2)今日できる事を明日に延ばさない。…何事も神様にお願いしながらさせて頂き、体の上にも時間の上にも、万事にご都合お繰り合わせを頂く。

3)足るを知る。…分相応を過さぬように、倹約をする。与えて頂いているものに満足し、生かして使う。

4)目前のことに迷わない…み教えに基づいた正しい決断が早く出来るようにならせて頂き、後悔のないように。

5)腹立てば三度「金光様」と御祈念する。…3度で治まらなければ10度・20度と御祈念する。

★自分の都合を先に立てるうちは、人の悪いところ、足りない所ばかりが目に付いて、改まりから遠のいてしまいます。「私の真心がまだまだ足りないのだ・・・」という気持ちで、人の助かりの為に、親孝行とご恩返しの為に真心を尽くさせて頂くと、その真心は必ず神様に届き、自分自身も必ずおかげを頂くことが出来るのです。
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2020年11月09日

●素直にみ教えを頂き、根気強く願い続ける

 昨日のみかげ会例会でおかげ話をして下さった柴田氏は、ご実家の岡山でお祖母様から三代目のご信心を頂いておられました。また奥様も阿倍野教会で三代目のご信心を頂いておられましたので、結婚後も夫婦揃ってお参りされて信心を進めてこられました。

★しかし、40才の時にお友達と興された会社が、阪神大震災の頃から商売に陰りが見え始め、そんな頃に、仕入先から不渡りを出され借金を抱えることとなられたのです。ご家族揃って三代教会長先生にお届けさせて頂きますと、「その程度の金額なら返済出来ます。5年で返済させて頂きましょう。保証人になった分の返済だけでなく、ご迷惑をかけた全ての所への返済をさせて頂きましょう。」とのみ教えを頂かれました。その時に覚悟が決まられたのです。み教えを素直に頂かれ、ご家族揃って一層改まりの信心に励まれました。そして10年後の平成19年の開教85年の記念大祭の年に、無事借金完済の大みかげを頂かれたのでした。

★神様を杖に、借金返済の覚悟を決められた頃、お結界の先生より、「朝だけではなく、夜もお参りさせて頂きましょう。」とみ教え頂かれ、毎朝の朝参りとお届けに加えて、夜のお参りも続けられ、お礼のお掃除の御用にお使い頂いておられます。それを、今日まで23年間続けておられるのです。その間に、新しい仕事の上で万事ご都合お繰り合わせ頂かれ、借金を完済させて頂くだけでなく、74歳になられた現在も元気に勤務のおかげを頂いておらます。頂かれたみ教えを素直に守らせて頂き、行くべき道が分かり、正しい願いを持ち続けるということは、真に有り難いことですね。後のことは身体の上に仕事の上に、神様が引き受けて下さるのです。

★『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ』

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2020年11月08日

●厳しい一言も、自分自身を育てて下さるため

以前にあるお方が、「結婚して嫁いで来させて頂いて、随分お姑さんから色々と厳しいことを言って頂いて鍛えて頂きました。その厳しいことを言って頂いたことがおかげでした。でも、初めは辛くて辛くて、何度も涙を流したことがありました…」とお届けされました。

★そのお方は、畑仕事をしたことがなかったのですが、嫁いで来られて初めて畑仕事もするようになられました。また、お姑さんから掃除の仕方や食事の味付けなど、厳しいことを言われ続け、褒めてもらったことも認めてもらえたこともなかったそうです。最初は辛くて、心を痛めておられました。そんな中を、実家のご両親のご信心を習わせて頂くように心掛けられました。実家のご両親は、不足一つ言わず、毎日「有難い、有難い…」と仰って、生活なさっておられました。その有難い生き方を習わせて頂いて、嫁ぎ先のお姑さんが砥石の役目をして頂いているのだと、喜んでお礼を申すようになられたのでした。そのように思えるようになられてからは、辛い苦しい日々であったのが、自分自身を鍛えて頂いている為で、有難いことであったことに気付かれたのです。

★そうして、子どもさんが成人なさってから、やっと食事のことで何も言われなくなったそうです。先日仰っておられたことは、近年になってから「食事も美味しく作ってくれるようになった。おせち料理も、美味しいおせち料理を用意してくれて、有難い。ようここまで育ってくれました」と言って下さるようになられたそうです。そして、近頃はお姑さんから「私も見込みのある人にしか言いません」と言って頂いたということです。

★厳しいことを言って下さる方があられてこそ、自分自身がお育て頂き、だんだんと自分自身の器が大きくなって、あれもこれもさせて頂けるようになるのです。有難く受け切って、自分自身の糧にさせて頂くことが出来ましたら、どれ程有難い世界が開けるでしょうか。

★「我良しと思う心は 道の仇 我が身の仇と戒めてゆけ」

「我よしと 思うは智慧の行きづまり 怪我あやまちもそこよりぞ来る」安武松太郎師(甘木教会初代教会長先生)
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2020年11月07日

●お願いせずにはおれない毎日

 先日あるご信者が「教員の採用試験に無事合格させて頂き、有難うございました。卒業後に、教員として教育の現場でお役に立たせて頂きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。」と、三世代揃ってお礼届けに来られました。心も体も健康でなければお役に立たせて頂けませんし、まずは学業成就のおかげを頂かれ、無事に卒業させて頂かねば、社会人にならせて頂くことはできません。

★人間の生活というのは、どこにどのような危険が潜んでいるのやら分かりません。親が子を守り切るとか、自分の力で自分を守るということは、大変難しいことなのです。そういう厳しい部分が、私達の生活には必ずあるのです。そのような中で大難を小難に、小難を無難に、大病を小病に、小病を無病に乗り越えていかねばなりません。ですから、油断の無いように、今日一日、今日一日とお願いさせて頂くことが大切です。毎日が緊張の連続でお縋りせずにはおれないのです。

★人生に於いて、常に順風満帆に何の心配もなしに日々の生活が出来てゆくことは、まず皆無でしょう。その中を、何もかも思う以上に、願う以上におかげを頂いているということは、足らないところを足して頂いているからこそ、そのようになっているのです。神様のおかげは常に変わりませんから、おかげを頂いている有難さが身に染みて感じられ、毎日が有難いの一心で過ごさせて頂いている時がある一方で、有難さが分からない時があるとしますと、それは心が横道へそれてしまっているのです。心が定まりませんと、おかげの有難さが違うと教えて頂いております。

★『信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ』私達が、心を神様に向けて、おすがりしておかげを頂いていくということになりましたら、受け物が出来てまいりますから、神様のおかげを十分に受けさせて頂くことが出来るのです。共々に信心向上のおかげを頂き、一年勝り代勝りのおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年11月06日

●神様が問いかけて下さる

私の娘が1才になる前に、60pほど落差のある玄関の廊下から土間に落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、火のついたように泣く娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。「大難を小難におまつり替え頂きまして有難うございます。」と御礼を申した後、お詫びを申し上げる際に、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時間には、私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪をいれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に面した廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのは、なかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番不行き届きでありました。申し訳ございません」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事に至らず治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。

★病院でレントゲンを撮って頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、ギブスを装着して頂き、以前と変わらないようにきれいに治るとの診断でした。早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることが前々から気になっていました。私は左利きだったために、文字を書くのに右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしていたのですよ」と仰せられたのでした。親である私は娘が左利きであることに気付いてはおりましたが、練習すればいずれ右利きになるだろうと思って、何のお願いも出来ておりませんでした。しかし、三代教会長先生は、前々から心にかけてお願いをして下さっておられたので、出来事を通して神様が教えて下さっている内容が、すぐにお分かりになられたのだなあと気付かせて頂き、反省させて頂いたことでした。

★二代教会長伊藤コウ師は『出来てきたことには、神様からの手紙が付いているのです。しかし、信心が浅い時には、手紙がついていることさえ分かりません。分かっても読むことは出来ません。それは、勉強していない外国の言語を読ませて頂くことと同じだからです。』とみ教え下さっています。

★物事の本質を捉えるためには、日々信心の勉強をさせて頂いて、神様から何を教えて頂いているかを考え、自ら練り出してゆく力を養うことが大切ですね。日参と聴教に励ませて頂き、どういう状況の下でも、神様からの願いや出来事の御意味を分からせて頂いて、正しい願いを持ち、有難く受け切って、乗り越えさせて頂きましょう。
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2020年11月05日

●日々の手厚い信心の徳によって

 植田氏のお母様は、鉄工所の社長であられたご主人を亡くされ、ご自身は家業を引き継げるだけの知識も技術も持っていないと思われて、鉄工所を廃業しようと考えておられました。ところが、そのことを従業員の方々に話されますと、「奥様は何も分かられなくても結構ですから、私達が今まで通り、それぞれに仕事をさせて頂きますので、どうか社長を引き継いでください」と懇願されたのでした。そのことをお届けなさいますと、「あなたのお役目は、社員の皆さんが怪我過ちなく、それぞれの仕事を全うさせて頂けることを、日々神様にご祈念させて頂くことですよ。」とみ教え頂かれたのでした。

★植田氏は、み教えを頂かれて、ご主人の後社長を引き継ぐ覚悟をなされ、社員一人一人のこと、そして工場全体のことを毎日ご祈念なさったのです。そうしますと、工場の中で何か問題が起きた時には、社長である植田氏が、「皆さん、どうぞよろしくお願い申し上げます。」と、深々と社員の皆さんに頭を下げられると、そこから社員の方々の心が揃い、円満に力を発揮し合って下さるようになって、事態が良いように運んでいくおかげを頂かれたのでした。日々の実意丁寧なご信心のお徳によって、経営の舵取りをなさり、足りない所は神様に足して頂かれながら、おかげを頂いていかれたのです。

★自分は力足らずで、欠けていることが多いという自覚が出来る程、謙虚な心で神様におすがりさせて頂き、関わりのある一人一人のことをお願いさせて頂いて、全体のことを心の底から祈らせて頂くことが出来るのです。そうすれば、足りない所は神様が足して下さり、皆が円満に、活き活きとお役に立たせて頂き、全体が立ち行くおかげを頂くことが出来るのですね。

★『めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂ると、めでたい時に歌うが、枝も栄え葉も茂るのは幹が太るからじゃ。幹が太るのは、地の底に目には見えぬが大きく根を張っておるからじゃ。もとになる根が枯れると、太い幹も茂った枝葉も枯れてしまう。日々信心の根張りをよくしておると、無常の風が吹いても、たおれることがない。おかげで枝葉も茂って繁盛する。これがめでたいのじゃ。』

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2020年11月04日

●お取次ぎを頂いて

昨日は真栄根会総会が開催され、藤本氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。藤本氏のご信心は、御祖父母様の代から阿倍野教会にお引寄せ頂かれたことが始まりでした。お父様が入信当時三年間、都島から自転車で日参のおかげを頂かれていたことを聞いておられた藤本氏は、中学一年生の時より体を鍛えるため、日曜日には自転車で教会にお参りなされ、朝参りと一週間のお礼のお届けをなさり、春・夏・冬の休みには、日参させて頂くことが習慣となっておられました。

★就職して入社当時、製造ラインの生産性を向上させるための企画・推進をさせる仕事を与えられたのでした。当時は手作業が多く、製造ラインの現場の方々にとっては、生産性の向上=労働者の酷使として捉え「またややこしいこと言いにきた」と思われ、話を聞く前から白い目で見られるという状況でした。

★その頃「教会から少々離れていても、み教えはある程度頭の中に入っているし、どうすればいいか大体わかる」という思いから、教会からも信心からも遠ざかっていたそうです。そんな中、自分の思い通りの仕事が出来ず、職場の環境に苛立ちだけがつのる中、三代教会長先生にお取次ぎを頂かれますと「いくら良いことをしているつもりでも、相手に対してお礼の気持ちが無くては、仕事は前に転がりません。まずお礼を言う稽古をさせて頂きましょう」とみ教えを頂かれました。

★藤本氏は「35年間、同じ会社でお仕事をさせて頂いているのは、お取次ぎを頂き、学生時代のお参りと御用、両親から仕事をする上での心掛けを、こんこんと教えて頂いたおかげだとお礼申しております」と仰っておられるのです。祖父母・ご両親のご信心に習わせて頂かれ、結構に御比礼を頂いてこられました。お取次ぎを頂き、素直にみ教えを頂いて、自ら進んで行わせて頂くということによって、生活の全般に亘っておかげを頂いておられることが良く分からせて頂きます。

★いくら仕事を打ち込んでさせて頂いていても、あれもこれも良く分からせて頂いている状態であったとしても、人を責めたり、心が荒れたりしていますと、「心険しきは盗賊よりなお悪し」と言う事になります。毎日、職場の方々に対して、お礼を申して仕事をさせて頂く。頭では分かっているつもりで、行っているつもりでも、なかなか充分に実行させて頂くことにはなっておりません。実意丁寧という姿に、少しでも近づかせて頂くように、毎日の信心の稽古させて頂くのが、このお道のご信心です。


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2020年11月03日

●正しい願いを持つためには・・・

 阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。ご近所のある方が初めて参拝された時、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長コウ師がお留守で、お広前にはコウ師のご母堂であるハル氏が座っておられました。その方は「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして、体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか死にません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」と話されたのでした。

★ハル氏は[この金光様のご信心は、そのようなお願いは致しません。お断り致します。「どうぞ、生かして下さい」というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。よく考えてみなさい。今、あなたは死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。それは、生命を与えて下さり、生かして下さろうとなさる天地金乃神様の御心です。「どうあっても生かしてやりたい」と思って下さる神様に対して、「死なせて下さい」というお願いは親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。]とご教導なさったのです。

★それを聞かれたその方は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、[私は考え違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。「どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように」というお願いでしたら聞いて頂けますか?]とお尋ねになりました。ハル氏は「喜んでさせて頂きましょう。3日間の日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。すると、居候の病人のお方は、3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところが、おこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして一週間後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★正しい願いを持つには、自分中心、人間中心の考え方を放す事が大切です。

★『人は欲しい、惜しい、憎い、可愛いという事を離れさえすれば楽じゃ。』(二代金光四神様)
1)欲しい:貪欲。金銭欲、名誉欲、権勢欲、自己顕示欲にふけること。
2)惜しい:見返りを求めること。恩着せがましいこと。
3)憎い:人を憎んだり恨んだりすること。
4)可愛い:子供や孫を溺愛すること。

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2020年11月02日

●不自由の中に喜びを見出す

中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で生きてゆくことも出来られない程くじけられ、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、お子さんが自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。少し残った腕で脇にお箸を挟んで食事も頂かれ、自転車にも乗られました。また、義足をはめての歩行は、ご不便もあられたことと思われますが、「電車の中では、席に座れない時には、義足をはずしてその上に座るとなかなか便利です。」と喜んでおられたそうです。先生は、義足をはめるご自分の足の部分が少し短く、長めの人に比べて、使いながら外れてしまい易かったそうですが、先生は、義足が外れやすいことも「諦める」のではなく、喜びに変えておられたのでした。そして、他人と比べて引け目を感じ、人を恨み「運命を憎み、呪う」生き方ではなく、『運命を愛し、運命を生かす』生活に変わられたのです。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、有難い方々にお世話になられて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。

★たとえ不自由があったとしても、それが不幸せであると決めつけない生き方、不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても、以前より生き生きと輝いた生活を送らせて頂くことが出来るのですね。
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2020年11月01日

●お客様を拝んでお商売させて頂く

 先日、ある商売をなさっておられるお方に、「今月も従業員の方々が健康で無事安全に守って頂き、営業させて頂いたことに御礼を申しましょう。一人も欠けることなしに、休まずにお勤めして頂き、コロナウイルスに感染することなしに仕事をさせて頂くことができられたなら、それは大変有難いことです。健康であり円満であるからこそ、仕事がさせて頂ける態勢が整うのですよ。昼も夜も守って頂いて、お店も維持させて頂くことが出来ているのです。まずそのことに御礼を申させて頂きましょう。お店を拝み、商品を拝み、従業員の方を拝み、そしてお土地を拝ませて頂くことを、毎日続けさせて頂くのですよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★お商売させて頂いている方は、日々「どうぞ各地から良いお客様が来て頂けますように。皆様が望んでおられるものを提供出来ますように。必要だと思って来て頂く方に、良い品を提供できますように。」と願うのです。そしてお客様が、「あなたのお店に来たら求めていたものがあった!」と、喜んで頂けるようなお商売をさせて頂くのです。そして、お客様が来られたら、心から喜んで御礼を申してお客様を拝むのです。もし、そのお客様が求められるものがなく、何も買わずに帰られたとしても、その後姿を拝むのです。また、お客様がお店を出られるときには、お客様の背中に目が付いていると思うのです。お客様は、送り出しておられるお店の方の感情や表情を、頭の後ろで感じ取ることが出来られるのです。お店の人がどのような心持ちで送り出しているかが大事なのです。それを、「今日は、この人は何も買っていかなかった!」と、しかめっ面しているようでは、即座にお客様に伝わるのです。有難いものが伝わってゆくように、心の底から御礼申しておりますと、またこの店に来ようと思いますね。その有難いものが伝わらせて頂くように、常に創意工夫をさせて頂かねばなりません。近頃はネットで品物を購入できる時代ですのに、わざわざお店に足を運んで頂いたことに御礼を申させて頂き、行き届いた御礼の在り方となるように心掛けてゆくことが大切です。すると、このお店には足を運ばなければ気が済まない、と思って頂けるようになり、それが繁盛のもとに繋がってゆくのです。

★おかげを頂くにはおかげを頂く元があり、そのおかげを頂く方へ舵取りをさせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:19 | 令和2年の「み教え」