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2020年10月04日

●『死んでもままよ』とは、願い続けること

『死んでもままよ』というみ教えの御意味を分からせて頂くことは、大変有難いことです。

★人は皆、死にたくないものです。しかし、自分が命にかかわる病気に罹り、「いよいよどうなるか分からない」という状態になったとき、どのような心持ちで神様にお縋り出来るでしょうか。「お医者さんが、もう命はないと仰ったから、どうにもならない。とても今からお縋りする気にはなれない。」というようなことを考えているのでは、これまでの信心が本物になり得ていない、まだまだ不行届きであったということになります。

★お道の信心をさせて頂く私達は、いつどのような状態にあっても、神様に御礼と御礼の足らないお詫びを申し上げ、そこから更にお願いしていくことを心掛けなければなりません。生命のことは神様に万事お任せして、神様に頂いている生命と身体ですから、諦めずにどこまでも願い続け、お縋りすることが大切です。

★誰でも、ついつい、自分の都合で物事を考えてしまうことがあります。一人で決めてしまい、誰から何を言われようと、聞く耳を持たないということになりやすいものです。『あなた様が仰ることを、すぐ素直に有難うございますと頂かせてもらえる、私にならせて下さい。とお願いをさせて頂く方が心配はないぞ。』と片岡次郎四郎師がみ教え下さっています。「あなた様」とは神様のことですが、常にこのような心構えでお願いさせて頂ける、自分にならせてもらえるように、おかげを頂くと結構なことです。

★み教えを頂き、神様の御心を分からせて頂けることは、実に有難いことです。「神様は今、何を仰っておられるか」ということを真剣に考え、共々に信心を進めさせて頂きたいと思います。

★『うろたえ信心をせぬがよろしい。また、早くおかげを受けたいと思うてうろたえるのは、近道をしようと思うて知らぬ道をうろたえるのと同じことである。此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:57 | 令和2年の「み教え」