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2020年09月08日

●神様を杖につく生活

 松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長・伊藤良三師は、その講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後は何処に落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから、食べることや着ることは、どのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら、着の身着のままですけれども、今着ているものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば、二人で分けて頂きます。何もなければ、断食のご修行をさせて頂きます」と仰せられたのでした。実に覚悟の決まられたお姿に、三代教会長先生は、感銘を受けられたのです。

★松山先生は、大連に渡った時も身一つで「さあ、いよいよこの広い大陸で、初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても、全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と心が勇んで、嬉しく布教なされたのだそうです。さらに、日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日、人が助かる御用にお使い頂けるように一生懸命願われ、御用にお使い頂かれました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、ある場所にお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。伊藤良三師は是非参拝したいと思われ、御本部御礼参拝の帰りに、岡山中部教会に参拝され、直接お話を聞かせて頂かれたのです。時は終戦直後の混乱期で、何もかも、無い無い尽くしの時代で、建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのでした。

★松山先生は、どんな状況下にあられても、神様を杖になさっておられたので、心配されず苦に思われず、今日一日今日一日、「人が助かる御用にお役に立てます様に」とお願いさせて頂かれたので、神様が生かして下さり、結構な道が開けて行ったのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:50 | 令和2年の「み教え」