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2020年09月30日

●真心で一文足す

 薬剤師をなさっておられた布浦氏は、西区で一番小さな薬局を営んでおられました。ご主人は、二代教会長伊藤コウ師のお取次ぎを頂かれ、五ヵ年計画の願いを立て、「西区で一番の薬局にならせて頂けますように。」というお願いをなさったのです。その願い成就までは、自分の背広は新調しない等、ご修行を自ら決められ、どんなことがあっても朝参りを欠かさず、日参と聴教に励みつつ日々の商売に努力されました。

★また、二代教会長先生から頂かれたみ教え通りに、薬の卸問屋さんへは、期日の三日前までに、自ら出向いて「まだ少額の商いですが、取引きをして下さるおかげで今月も商売させて頂けました。有難うございました。」とお礼を申して、お支払いさせて頂くということを続けておられるうちに、厚い信頼を頂かれ、珍しい商品などを優先的に手配して頂ける様になっていかれたのでした。また、朝早くから開店され、食事を摂る時間も惜しんで接客なさって、一切不足を言わず日々のお商売に実意丁寧に打ち込まれました。すると、なんと西区で売り上げが一番の薬局になるおかげを頂かれたのでした。願いを立て、ご修行を決めて、日々真心で実意丁寧に励んでおりますと、神様が願いを成就させて下さるということが分からせて頂きます。

★「借りた金は三日前に返せ」と教えて頂いておりますが、「三日前に返す」という事は、「真心で一文足す」すなわち「真心を添えて返す」という意味なのです。例えば、親に毎月の仕送りをさせて頂くということも、一ヶ月間生活した後で、お金が余ればする、というのでは、そこに真心は込められていませんし、決して続きません。神様に「どうぞ御恩返しがさせて頂けますように・・・。親孝行がさせて頂けますように・・・。」とお願いし、給料を頂いた時に、先に親に仕送らせて頂くことをさせて頂きますと、神様はその真心を受け取って下さり、自分たちの生活は神様が都合をつけて下さるのです。

★現在、新型コロナウィルスの影響により、人と人との距離の取り方が変化し、心配りや実意丁寧さが希薄になりがちです。今こそ、どのようにさせて頂けば、行き届いた心配りや実意丁寧な対応がさせて頂けるか、どのように真心を込めてさせて頂けばよいかを、日々御祈念し、お取次ぎを頂いて考えさせて頂き、工夫をさせて頂きましょう。

★『信心する人は何事にも真心になれよ』『心配する心で心配りをせよ』

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2020年09月29日

●限りなくみ教えを頂き続ける

教祖様の元にお参りなされて、直々にみ教えを頂いておられた、角南佐之吉というお方は、ご神縁を頂かれた初めの頃は、お父様もご自身も気性が荒く、いつも意見が合わず対立することが多くあられたようです。ある時、教祖様にお届けなさいました時に、教祖様は天地書附をお下げになり、『おかげは和賀心にあり』について、『和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である』とご理解をなさったということです。そのご理解が深く心に感じ入られた角南師は、翌朝、お父様に、「お父さん、私が悪かった」と泣いて詫びられると、お父様も「お前がそういう心になったか。そういえば、わしが悪かったのだ」と泣いて喜ばれ、またお母様も、「私のかじの取りようが悪かったのです」とおっしゃり、三人が泣いて詫び合ったということです。それからは何も言い争うことがなくなり、角南師の仕事をお父様も快く手伝ってくださるようになられ、家族円満に助け合うことが出来るようになられたのです。

★このような有難いおかげを頂かれることになったのは、たった一度み教えを頂けばそうなるというわけではありません。角南師は教祖様のもとにお導き頂かれてから、何度も参拝なさり、お導きの親や信心友達と共にみ教えを頂いて来られました。おかげを頂く為には、み教えを頂き続けることが大切です。み教えによって良い方向へ導いて頂けるのです。本気になって、み教えを自分自身に頂けるようにならせて頂きましたら、他の人が頂いているみ教えも、自分自身に置き換えて頂き直すことも出来、御庇礼を頂いていく受け物が出来ていきます。そして、何もかもが整っていくのです。信心は継続が大切です。限りなくみ教えを頂き続けてゆくことが出来ますように、生涯かけて信心を日々向上させて参りましょう。
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2020年09月28日

●常に自分の生活を見直す

『今の世は知恵の世、人間がさかしいばかりで、わが身の徳を失うておる』『今の人は何でも時勢時勢というけれど、時勢に合うたばかりでも、ご神徳をいただかなければおかげにはならない』

★色々と研究開発をさせて頂くということでも、天地の道理に基づいてさせて頂きませんと、自然のバランスを壊してしまい、環境を破壊し、全ての生物の生命や人間の生活を脅かしてしまうということになりかねません。また、世の中に合わしてばかりいますと、流されてしまう部分があります。大切なところを忘れてしまって、その時の流行に走ってしまったり、価値観が変わってしまうことも往々にしてあります。物の使いようにしても大量生産・大量消費と、次々と捨てて産業廃棄物やゴミの山を作り、ゴミで埋め立てられたところがどんどんと増えていきますと、自然を破壊し水質や空気を汚染し、公害を生み出してしまうというようなことも起こってきます。ダイオキシンの問題や環境ホルモンの問題、近年ではマイクロプラスチックによる汚染も報道されていることです。天地の道理に基づかない生き方というのは、そうしたものを生み出してしまうのです。

★私達信者一同は、実地の学問を重ねて過去を振り返りながら、日々の生活の中で、神様を目当てに、天地の道理を中心にした生き方をさせて頂かねばなりません。どのようにバランスを取らせて頂いたら道理に適った生き方になっていくのか、どういうことを心掛けていけば、神様のお心に適う生き方になっていくのか、ということを考えさせて頂くことが必要です。

★『実意丁寧、これが金光様が神様からご信用を受けられて生神様になられたもとじゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わねばならぬ』この実意丁寧なあり方を実践させて頂こうと思いましたら、なかなか難しいのです。紙一枚も粗末にしないように、そのように心がけてさせて頂いているつもりでも、物があふれておりますから、浪費をするということも毎日の生活では起こってしまう部分があります。そうした中で、毎日何を大切にさせて頂かねばならないかということを常に考え直しをさせて頂かねばなりません。

★「もうこれでよい・・・」と思っておりましたら、いつの間にか御無礼不行き届きなところがたくさん積み重なってしまい、それが身体に生活に病気・災難として表れてくる、ということが起こってきます。そうならないようにおかげを頂いてゆかねばなりませんね。

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2020年09月27日

●常に神様を目当てにして、謙虚さを保つ 

ある学生さんが学校でクラスの委員長になり、一生懸命クラスの数人と放課後に残って話し合いをし、催しの準備に向けて真面目に活動していました。しかし、クラスの中で「お前は気に入らん、ええ格好しやがって、半殺しの目にあわせてやろうか!」等とひどく妨害をする生徒がいたそうです。

★何故このような言いがかりを付けられて、嫌なことばかり言われないといけないのか、と無性に腹が立ったので、その学生さんはお結界に来られ「どのように考えさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けされました。

★すると三代教会長先生は「あなたは10代にして、徳を頂くということについて考える良い機会を与えて頂きましたね。有難い事ですね。知識があり成績だけ良くても、それだけでは解決できないことがあります。そこで大切なことは、一生懸命、努力に努力を重ねて、どこまでも諦めずに、クラスの人からも一目を置かれるぐらいに、ずば抜けていくということが大事なことですよ。あの人の言う事なら聞く耳を持とう、と思ってもらえるようなお徳を頂いてゆかねばなりません。それが、今あなたに求められていることですよ。そして認めて頂けるまでは、どんな嫌がらせを受けても、悪口を言われても、くじけずに自分自身を磨き上げてゆく覚悟を持たなければなりません。脇目も振らず一生懸命になり、実力を付けていくことです。

★そして、次に大切なことは、謙虚であるということです。人の口をもって、自身の足りない部分を神様が教えて下さっていると思わせて頂いて、相手にお礼が言えるくらいにならせて頂くことが謙虚な姿勢なのです。そのためには、人を目当てにするのではなく、常に神様を目当てにすることです。そうしますと、どんな場面に遭遇しても、どんな環境に置かれても、謙虚な姿勢はぶれず、自分を見失うことなく、実力を十二分に発揮させて頂くことが出来るのです。日々教会に足を運び、お広前で教えて頂くのです。この経験を通してあなた自身も結構なおかげを頂きなさい。これが本当に分からせて頂いたら、世の中に出た時には本当に役に立つ人間にならせて頂けるでしょう。」とみ教え下されたのでした。

★人の口をもって教えて頂いたことの中にも、神様のみ教えが含まれていると悟らせて頂き、日々神様を目当てにする生き方に努めさせて頂きましょう。
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2020年09月26日

●身にお徳を頂いて、すべてを生かす

『信心には何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作がよくできるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心するには、末の安心を楽しみにしないと信心が続かない。末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではならず、子孫に伝わる信心をすることが大切である。』

★伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師の御母堂)は、雨の日や風の強い日には、「今日は、常より二倍も三倍もお徳を頂ける日です」と、足袋を懐に入れて、手ぬぐいを用意し、勇んでお参りなさったと聞かせて頂いております。また、毎日風呂敷を手提げの中に入れて日参をなさっていました。コウ師が「なぜ風呂敷を手提げの中に入れて参拝されるのですか?」とお尋ねになりますと、ハル刀自は「わが家のめぐりを包んでお参りして、お広前でそのめぐりをお取り払い頂いて、お徳を包んで持って帰らせて頂く。日々そういう心構えでお参りをさせて頂いているのです」と仰ったそうです。

★お参りをさせて頂く1回1回の心構えを、しっかりと持たせて頂きましたら、お参りの道中もお徳を頂き、お広前でもお徳を頂けて、帰りには、お徳を落とさずに帰らせて頂くことができます。教会の門を出ましたら「あれ?どんなみ教えを頂いたのだったかな?どういう内容だったかな?」と、すぐに忘れて、おかげを落として帰っているようでは申し訳ないことです。わが心に刻んで頂いて帰って、毎日お徳を包んで帰るつもりで、日々の信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★お道のご信心は、幼少の頃から参拝してみ教えを頂き、自分自身の頂いている能力を十二分に発揮させて頂けるようになることが、有難いおかげを頂いていく姿です。身にお徳を頂いておりませんと、神様やご先祖からせっかく有難いものを与えて頂いても、保つことも能力を発揮することも出来ません。自分自身を生かしてゆき、全てを生かして使わせて頂くということが、どれだけ大切かということを分からせて頂き、そのために長期に亘ったお願いをさせて頂く。この意味がよく分からせて頂きましたら、有難いですね。

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2020年09月25日

●我が強いとは、了見の狭いこと 

職場など、人が集まると、つい誰かの評価を話題にし、更には悪口に発展してしまうことも少なくありません。他人の評価を低くすることで、自分は正しい評価が出来る人間であるかのように振舞って、仲間内で納得しているという、小さく弱い心の現れと言えるでしょう。

★私が、金光教学院でご修行させて頂いた時の学院長であられた内田守昌師は、そのような考え方を、「つるべ式人生観」と呼んでおられました。つるべというのは、井戸から水を汲むのに、片方を下げればもう一方が上がります。片方の桶を上げれば、上げた分だけもう片方の桶が下がりますね。それと同じように、他人の評価を下げる事で自分の評価が上がるように考え違いをすることや、反対に、他人の評価が上がると、自分の評価が下がるように思うことを、このように表して戒めて下さいました。これは自らを善人だと思っている人達でも陥りやすい過ちであり、すなわち「善人の過ち」と言えると仰っておられます。他人を批判すれば、言われた人の評価はともかく、言った自分の値打ちは確実に落ち、人からも神様からも信用を失うことになってしまうことが分かっていないのです。

★お広前は『氏子の願い礼場所、信心の稽古場所』と教えて頂いております。み教えを頂いて心を改め磨いてゆくご修行の場ですから、自ら「ご修行させて頂こう!」と思わなければ、有難い場所ではなくなってしまいます。足が痛いとか、面倒だとか、窮屈だとかばかり思えてしまうのです。自分自身の間違った心を改め磨いていく場であり、自分の間違った考えを押し付ける場ではありません。み教えは自分自身が頂くものであり、「あの人に言って聞かせてやろう」という気持ちで聴くものではありません。「私の考え方、やり方は正しい」と思い込んでしまうこともまた我が強いのです。我が強いとは、了見が狭いということです。考えが狭いとか、器が小さいとも言えます。生涯かけて、我情我欲をお取り払い頂くことをお願いして、日参と聴教に励ませて頂きましょう。
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2020年09月24日

●改まる覚悟

 あるご婦人は、ご神縁を頂かれて阿倍野教会に参るようになられ、当時、1日3回の定時の御祈念とみ教えを頂けることを楽しみに、日参しておられました。近所でも有名な気難しいお舅さんと同居しておられ、日々辛く感じておられたのでしたが、そのことを、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、「あなたは神様から結構な宝物を頂いておられますね!お義父様はあなたの家の宝物です。あなたがご信心を元に、真心込めて孝行なさるか否かで、家が結構に栄えていくかどうかが決まります。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのご婦人が、ある時教会で御用奉仕をなさっておられますと、何事においても実に心配りが行届いておられる、あるご信者の姿に目が止まられたそうです。「あの方は、どうしてあのような行届いた心配りが出来られるのですか?」と、伊藤コウ師にお尋ねになりますと、「あの方は、自分のことよりも、いつも人のことを第一に考えておられるのですよ」とみ教え下されたのでした。それを聴いたご信者は、「私がお義父さんのことを第一にさせて頂いて、何事も逆らわないことをご修行にさせて頂こう」と有難い決心が出来られ、戦後の食糧事情が厳しい時には、自分が一食抜いてでも、お義父様に十分に食べて頂けるようになさるなど、生活の全面にわたって真心こめて仕えていかれたのです。

★すると次第に、「主人を苦労なさりながら育てて下さり、私のような至らない者を嫁にして頂いて、長い間辛抱して下さっている。こんなに有難いことはない。しっかりお義父さんに喜んで頂かなくては申し訳ない」と、心底思えるようになられたのでした。そんな日々を送っておられますと、お義父様が80才の誕生日を迎えられた頃に、教会に一緒にお参りしたい、とおっしゃったのです。そして、伊藤コウ師に、「うちの嫁を、こんなに立派に育てて下さって有難うございます。これからは、日参させて頂きます」と、お礼のお届けをして下さったのでした。

★日参と聴教に励ませて頂きながら、日々起こってくること、見ること、聴くことを神様のみ教えとして頂き、素直に改まる心にならせて頂いたら、先はどれ程結構にならせて頂けるか分かりません。徳と力を頂くことを楽しみに、信心の稽古に励ませて頂きましょう。

★『あんたが親神様に、ああして下さい、こうして下さい、といろいろに願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることが、直ぐ素直に有難うございます、と頂けるような人間にならせて下さい。と言って願う方が心配がないぞな。』

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2020年09月23日

●おかげの元を分からせて頂く

昨日は、天候気象の上にも有難いご都合お繰り合わせを頂き、秋季霊祭をお仕え申し上げることが出来ましたことは、真に有難く嬉しいことでございます。霊祭というのは、教徒・信徒それぞれの家の霊様方にご生前中の御礼、日々お守りを頂いている御礼を申し上げると共に、生神金光大神様のお取次ぎを頂かれ、天地の大親神様の御神徳を蒙られまして、助かられ立ち行かれる霊神様になって頂き、有難い生きた働きをして下さるようにお願いさせて頂くお祭です。

ご先祖の霊様方が生き生きと働いて下さいますと、子孫の端々までお守り下さる有難い働きをして下さるのです。真心込めて霊祭をお仕えさせて頂くことが、今現在生かして頂いている私達にとって、実に大切なことであるのです。

★私達が結構に日々の生活を送らせて頂いております、その元とはどういうところでしょうか?有難いお命を授けて頂いて、心も体も健康で生活をさせて頂き、与えて頂いている家業に精励させて頂けるということは、真に有難くもったいないことです。おかげの中に生まれておかげの中に生活をさせて頂いて、おかげの中に今日があるということをしっかりと分からせて頂かねばなりません。

★「御恩を知って御恩に報いていく」という生き方を日々新たに学ばせて頂きたいと思います。「恩」という漢字は「口」の中に「大」を書いて下に「心」を書きます。口と言うのは環境のことであり、大というのは人が手足を伸ばした状態です。これだけですと「因る(よる)」と読みます。困って立つところ、何に因って生活をさせて頂いているのか、という元のところを思う心が「恩」になるのです。どのように私達が生まれ、どのように育てて頂いて、成長させて頂く上でどのようなおかげを頂いてこの世に存在しているか、ということを思う心なのです。

★親の恩(生みの親・育ての親)、ご先祖の恩、さまざまな人様の御恩がありますね。そして、天地の間に住まいさせて頂いている大恩恵を分からせて頂かねばなりません。天の恩、地の恩、さらには国家社会の恩恵、様々な方にお世話になって、現在、有難い生活を営ませて頂いているということを分からせて頂く、それが「神様のおかげを知る生き方」です。

★『神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年勝り代勝りのおかげを受けることができるぞ』

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2020年09月22日

●真心は必ず神様に届く

 昨日9月21日は、伊藤房次郎翁霊神様の御命日でした。明治37年に55才でお国替えになられたのでした。伊藤の家の信心の初めは、コウ師のご母堂ハル氏お一人の、熱心なご信心によるもので、ご主人の房次郎氏は信心に大反対でした。しかしハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、無礼を働くこのわしの手足は動かなくなるはずだ。」と言って、ハル氏が家で拝んでおられた小さなお社を、庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なくして愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、湯水も喉を通らない状態になられたのです。人力車に乗せて医師・薬・針やお灸など色々手を尽されましたが、一向に良くなりません。とうとう、房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねる心になられました。するとハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさってお取次を頂いて下さったら、きっと良くなります。」とすすめられ、その時初めて教会へ一緒に参拝なさったのでした。

★房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流してお詫びし、「どうぞ助けて下さい。」と願われたのでした。するとお結界の先生は、「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。」と仰せになりました。自宅へ帰ると、それまで手足も動かず、水もまともに喉を通らない状態であられたカツ氏が、「お父さん、お帰り!」と玄関までとび出して来たのでした。そこで親子が抱き合って泣いて喜び、そこから、家族中が勢を揃えてご信心なさるようになられたのです。

★ハル氏は不足を一切口にせず、「どうぞ主人が改まり、神様に心を向けさせて頂ける氏子にならせて頂けますように。家中が勢信心になりますように。その為には私がしっかりとご修行させて頂きますので、よろしくお願い致します。」と、神様におすがりなさり、「主人の無礼は私の無礼です。家内である私が代わりにお詫び申し上げます。」と、改まった信心をなさってゆかれたのでした。その真心が神様に届き、大きなおかげを受けられたのです。

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2020年09月21日

●縁に繋がる人々の助かりをお願いさせて頂く

先日、出野氏の3年祭がお仕えになられました。出野氏は大変熱心なご信者で、京田辺市に転宅なさっても、毎朝日参と聴教に励まれ、周囲の方々をお導きなさったのです。その後、娘さん夫婦の転勤により三重県名張に引っ越されても毎朝参拝され、その道中の電車の中で親しくなられた方々に親切丁寧になさって、その方々の悩んでおられることを親身になって聞かれ、助かりを願われたのです。そうして、親切になさる出野氏のお人柄によって、「是非ともお参りさせて頂きたい」と願われ、お導きが出来てゆかれたのです。共に手を取り合って参拝なされ、有難いみ教えを頂かれまして、それぞれのご家庭が立ち行きのおかげを頂くことになり、今日も信心が続いておられるのです。

★誰もが生まれながらに有り難い「神心」を頂いています。日々、日参と聴教に励み、お取次を頂いて、神心を大きく育てさせて頂きたいと思います。人のお世話をさせて頂きますと、有り難いことに自分を見直すことが出来ます。自分がどれだけ人のお世話になってきたか、どれだけの恩恵を受けてきたかが分からせて頂けるのです。すると、「人のお世話をさせて頂かなければ相済まない」という気持ちになってきます。出野氏のように、電車に乗っているときも、病院の待合室で座っているときも、常に周囲の人の助かりをお願いさせて頂くことが出来れば、そのお徳は周囲の方々に伝わり、家族親族、縁に繋がる方々が皆おかげを頂かれて、結構になってゆかれるのです。


1、惻隠の心…慈愛の心。かわいそうだと思う心。(仁)

2、羞悪の心…己の悪を恥じ憎む心。(義)

3、辞譲の心…辞して譲る心。(礼)

4、是非の心…善悪(是々非々)を判断する心。(智)
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2020年09月20日

●神様を杖に

 18日には、教徒会例会にて、竹中氏のおかげ話を聴かせて頂きました。昭和25年、お祖母様がご近所のご信者にお導き頂かれたのでした。長男さん(竹中氏の伯父)は、いわゆる小児麻痺で幼少の頃から寝たきりのお体で、その下に、竹中氏のお父様を含め三人のお子さんがおられました。お祖父様は仕事熱心なブリキ職人さんでしたが、生活は厳しい状況が続いておられましたが、神様を杖におかげを頂いてこられたのでした。

★三代目のご信心を頂いておられる竹中氏は、幼少の頃から子供会、男子学生会にと参拝なさっておられましたが、思春期に差し掛かるころから、「目に見えないものを信じても仕方がない」「自分の道は自分の力で切り開くものだ」「神様に頼るのは自分が弱い証拠だ」等と、思えるようになり、教会から足が遠のいていかれたそうです。しかし、大学4年生で進路を考えなければならない時期に、ノイローゼのような状態が何カ月も続かれ、「教会にお参りしてみようかな・・・」と心に浮かぶようになられたそうです。何年もほどんど教会にお参りしておられなかったこともあり、はじめは恐る恐るお結界に進まれ、立ち行かない当時の現状をお届けなさり、神様にそれまでのお詫びを申し上げたのでした。

★すると、お結界の先生は、優しく力強く「神様はどんな時にでも氏子をお守り下さっています。神様が氏子を見放すようなことは決してなさいません。あなたの抱えている不安や迷いは、すべてこのお広前に置いて帰って下さい。教会の敷居は低いので、怖がらず、どんなことでもお取次を頂かれたらよろしいですよ。必ずおかげが頂けます」と、み教え下されたのでした。この日から、それまでは、ご両親に連れられての信心、自主性のない信心であられたところから、自ら求めて教会に参拝させて頂き、お取次、み教えを頂くご信心に変わっていかれたのです。

★このように、出来事を通して、お取次を頂き、み教えを素直に頂いて、頑なになっておられた心が開かれていったのは、ご先祖様とご両親のご信心のおかげであると思わせて頂きます。特に、お祖母様は、雨の日も風の日も欠けることなく日参なさり、いつもお掃除の御用にお使い頂いておられました。み教えを頂くことによって、神様を忘れた生活から、何事も神様にさせて頂く心に変わらせて頂かれ、今日も素直なご信心が続いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『有難いことを知らぬ者に 困ったり難儀な者が多い 信心して思い分けが出来 有難いことが分かって お礼が言えるようになると 難儀災難が払われ 達者にもなってくる』

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2020年09月19日

●改まりを重ねて、信心の地を肥やす

教会のおがたまの木は、昭和32年に御信者が苗木でお供えになられたもので、当時は人の背丈程のものでした。 一度枯れかけた時には、二代教会長伊藤コウ師が、バケツの水の中に御神酒を少し入れてかけておやりになり、「どうぞ生き返って下さいよ」と声をかけながら、ご祈念を込められて大切に育てられました。

★以前、この「おがたまの木」が弱ってきていることに気が付かせて頂き、樹木医の方や、植木屋さんなどに見て頂きました。その方たちのご指導の元、木の周りの硬い土を小面積ずつ何年もかけて1メートル程も掘り返して、柔らかい土に入れ替えさせて頂きました。木が育つには、土にしっかりと空気が入るように、柔らかい土にしてあげることが大切なのだそうです。木は枝が広がっている範囲まで、土の中で根を張っており、水分、養分と空気も摂り入れます。

四年程かけて、面積を決めながら、砂やバーク等を入れて水はけを良くし、根の働きが活発になるように土壌の改良をいたしました。更には、有機肥料を使い、腐葉土を入れ、土作りを始めたのです。この作業は、根の活動が静まった冬に、多くのご信者の方々と共に、スコップやつるはしを使っての作業となり大きな労力を要しました。また、良い土が出来ていくには時間がかかることでしたが、おがたまの木からは新芽がたくさん出てきて、青々と茂り、大変有難いこととお礼申させて頂いたことでした。

★一つのことを通して勉強をさせて頂き、改まりをさせて頂いたのでした。その改まりが有難いことに、次におかげを頂いていく元にならせて頂くのです。『金光様は、「信心も、とかく地を肥やさねばならぬ」と言うてござった。「地が肥えておれば、肥をせんでもひとりでによい物ができようが。物を作るよりも地を作らねば、よい物は取れぬ。常平生信心をしておれば、身も心も丈夫なおかげをやる」とおっしゃるのじゃから、

痛い時に受けたおかげを忘れぬように、常平生からご信心して、信心の地を肥やすことが大切ぞ』とみ教えを頂いております。日々、多くのことを通してみ教えを頂き、物事の道理が分からせて頂いて、道理に適った生き方に変えさせて頂くことが改まりであり、改まりを続けていくということが、まさに地を肥やしていくということですね。

★私達信奉者は皆、生涯み教えを頂き続け、生涯をかけてお願いをさせて頂き、生涯改まりを続けさせて頂くのです。一生がご修行のつもりで、一日一日を大切に過ごさせて頂くことを心掛ける毎日にならせて頂きたいものです。

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2020年09月18日

●神様を杖に、霊様と共に

 16日には婦人会例会が開催され、金岡氏のおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和26年、家族のことや商売のことなど、色々と心配事を抱えておられたお祖母様が、晴明通りを歩いている時に、旧広前の提灯が目に留まったことが入信の始まりでした。お祖父様は、天下茶屋で手縫いの大きな箱やかばん、ランドセル等の製造を家業としておられ、ご両親も家業を手伝っておられました。金岡氏も幼い頃からお参りされ、毎月の御本部御礼参拝には、家族揃ってお参りが出来られ、お宅祭も毎月お仕え頂いておられました。

★金岡氏は短大卒業後に、お父様の縫製工場に就職なさいました。時代の流れと共に、扱う商品や取引先も変わっていく中で、経営は順調にいく時もあれば、厳しい時もあり、昭和55年にお祖父様がお国替えなさり、翌年には倒産の危機となられました。ご両親の個人預金も底をつき、銀行の融資も返済できない月があるなど、資金繰りが行き詰まる中、工場売却の話が好条件で進むおかげを頂かれました。この頃、人手が減っていたのでしたが、大きな仕事を頂かれ、金岡氏ご自身も電動ミシンを使って、縫製の仕事が出来るようになるきっかけとならせて頂いたのでした。

★平成7年、お父様が66才でお国替えになってからは、金岡氏が責任者となられました。営業の為のサンプル品も作るようになられ、相談する人がない中、神様とお父様の霊様にご祈念なさると、良いサンプル品を作ることが出来られ、お仕事を頂くことが出来られたのです。

★それでも経営は厳しい状態が続き、廃業も考えて思い悩んでおられた平成13年のある日、お結界の先生より、「忙しいでしょうが、月に一度、この日と決めて参拝し、御教え聴かせて頂いたらよろしいよ」とみ教え頂かれ、この日を機に信心の自立をさせて頂こうと決心なさったのです。月例祭には、お仕事を早めに終えるように繰り合わせて参拝なさり、家業のこと、家族のことをお届けし、み教えを頂くようになられました。その直後に、思いがけない出来事が起こってきたのですが、「早めに気が付かせて頂くことができた、これはおかげだ」と、前向きに神様におすがりすることが出来られ、無事に解決することが出来られたのでした。

★度重なる工場の経営危機、家族、親族のご病気等を、一つ一つお届し、み教えを頂きながら乗り越えさせて頂かれ、御礼の御用にお使い頂かれながら、今日まで結構に立ち行くおかげを頂いておられます。何もかもが、ご先祖様が熱心なご信心を伝えて下さり、お取次を頂きながら、神様・霊様のお守りを受けてきたおかげであることを実感なさっておられ、信心相続、子孫繁昌家繁昌の願いを持っておられることは、真に有難いことでございます。

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2020年09月17日

●『人を軽う見な 軽う見たらおかげはなし』

15日には、御本部に代表参拝させて頂きました。お広前で御祈念をさせて頂いた後に、ご信者皆様が御本部に奉献させて頂きたいと願われる真心からのお献備を、代表で金光様のお結界でお供えをさせて頂きました。金光様のお取次ぎ、御祈念を頂いて、信奉者一同が、日々広大無辺なおかげを蒙っておりますことへの御礼、知らず知らずのご無礼不行届きが多々ありますことのお詫び、次に、これから執行・開催されます祭典・諸行事が、滞りなく執行・開催され、9月22日の阿倍野教会の秋季霊祭には、信奉者一同が、お広前に一堂に会して、真心込めて秋季霊祭をお仕え申し上げることが出来ます様にと、お願いのお届けをさせて頂き、お取次ぎをお願い致しました。

★その後、教祖様・二代様・三代様・四代様の奥城に参拝させて頂き、お礼申させて頂きました。そして、金光英子先生にご挨拶をさせて頂きました。その時、英子先生の御用なさっておられたところに色紙がおいてあり、英子先生にお許しを頂いて、そのご内容を写して帰らせて頂きました。それは、高橋正雄先生が広島の平和集会に参加される時にお話しなさるご内容でした。そのご内容を、四代金光様がお書きになっておられたのです。その五つとは、@「人を軽く見ない」A「人に恩を着せない」B「人を利用しない」C「人をあてにしない」D「人を責めない」というご内容でした。そして、その最後に四代金光様が、「私にならせて下さい」と付け加えておられたのです。

★『人を軽う見な 軽う見たらおかげはなし』とみ教え頂いております通り、どのような人であっても神様の尊い分霊を頂いておりますから、「その人の良いところを見させて頂けますように」と願わせて頂くのです。また、人の為に自分自身の手足を使わせて頂いて、お世話をさせて頂いておりますと、神様が自分に返して下さるのです。人から返してもらいたいと思うのではなく、別のところから返ってくることもあり、また自分の子供や孫に返ってくることもあるのです。人を目当てにするのではなく、神様を目当てさせて頂いて、神様の御心に適う生き方に努めさせて頂きましょう。そして四代金光様が付け加えられた「私にならせて下さい」と一心に願うことは、本当に大切なことで、私たちが日々学ばせて頂かなければならないご内容であるなあと、その色紙を拝ませて頂いて感じさせて頂いたことでした。
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2020年09月16日

●人を見るな、教えを見よ

 教祖様ご在世中のことですが、片岡次郎四郎師は、月々14里(約56キロ)の道を歩いて御本部へ参拝なさっておられました。教祖様が御帰幽になられるまでの16年間に、月参拝を欠かさず続けられたのですが、初めの12年間は、家の者が病気になったり、家内に問題が起こったり、天気が悪くなったりと、参拝に差し支えるようなことばかり起きてきたそうです。しかし、その中を繰り合わせて参拝させて頂かれますと、教祖様はいつもニコニコと迎えられて、「道が悪くて困ったじゃろう」とも「えらかったなあ(大変だったなあ)」というような事は一切おっしゃらず、「よう参られた。良い修行であったなあ。おかげを受けたなあ。」と仰って、その信心ぶりをお喜びになられたのでした。

★片岡次郎四郎師は、教祖様から「来月は〇日に参拝しなさい」と決めて頂かれたのですが、12年間の神様のお試しの中でも、天候気象の都合や、自身や家族の中で色々と問題があられる中、欠かすことなく有難く参拝を続けられたことにより、めぐりをお取り払い頂かれ、神様からご信用を頂かれまして、それから後は楽々と参拝のおかげを頂かれたのでした。

★片岡次郎四郎師は、大変実直なお方であられたのですが、気性が激しく正義感が強いお方なので、人が曲がったことをすると許せずに、承服させるまで言い負かさなければ気が済まない性分であられました。ご信心なさるようになられて、金光様の元へ参拝されますと『人に悪く言われた時に、信心するからこらえなければならないと思ってこらえるくらいでは、まだいけない。先方の心を、どうぞゆるしてやってください、直してやってくださいと拝んであげるようにならなければならない』『その性分ではおかげが受けられない。性分を改めなければならない』と教えて頂かれ、そのみ教えによって生まれ変られたのです。これまで自分が正しいと思って行ってきたことが、信心を基にしてみ教えを頂きますと、確かではなかったということが理解できられたのです。また、教祖様から『人を見るな、教えを見よ。教えてあろうが。』とみ教えを頂かれ、口を慎み、己を慎んで、人のことを一切口に出されず、人の助かりを願うことを心掛けられたのでした。

★自分の考えは正しいと思い込みますと、反省と改まりに時間がかかったり、問題の原因を他人や環境のせいにしたりすることに繋がりやすいのです。神様のみ教えを基にした生活、天地の道理に基づいた生き方をさせて頂きましょう。

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2020年09月15日

●信心して難儀を払い取って頂く 

竹本駒蔵師は、阿倍野教会旧広前ご建築の際にご尽力下さったお方です。

★竹本師が42歳の頃、心臓病と腎臓病を併発されて頭から足の先まで腫れ上がり、医師もさじを投げてしまわれるほどの大病を患われました。その時、もう生命が尽きるだろうからと、つめかけた親戚の方々の中に、金光教の信心でおかげを頂かれた方がおられ、その方が「私は金光様に命を助けて頂いた。金光様のみ教えでは『死ぬる用意をするよりも生きる用意をせよ』とみ教え下さっておられます。今17、8人おりますから、4組に分けて2組は自宅に帰り、1組は看病をして、もう1組は教会に参拝する、ということを時間を決めてさせて頂いたらどうでしょう?」と提案をなされたのです。そうして皆さんが、お教会に参拝なさった結果、一週間ほどのうちに浮腫が引いて、命を助けて頂く大みかげを頂かれたのでした。そこで、竹本師が教会へ生命を助けて頂いた御礼参拝をされ、お結界で「信心しなさいよ。信心させて頂いたら、3日と枕は傾げさせん。氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。神様の綱を放さないように信心させて頂きなさい。」とみ教えを頂かれ、翌日から日参なさるようになられたのが、信心の始まりであられたそうです。

★竹本師が初めて御本部へ御礼参拝なされた時、三代金光様はふくさを開かれずに名前も見られる事なく「京都の竹本さん、ようお参りでした。」とお言葉をかけて下さったのです。竹本師は大変驚かれ感激され、その時に初めて「42歳まで働けなかった弱い身体でありますが、生命を助けて頂きましたので、そのお礼にこれから働かせて頂けますように。」とお願いすることが出来られたのでした。それからの後半生は身しのぎの出来る体に作り変えて頂かれ、いくつもの教会のお広前を次々と一建立で建築なさってお供えされ、ご恩返しの働きを重ねられたのでした。また、信心をなさるようになられてから、「神様から頂いている命・身体を十二分に使わせて頂けます様に。」という生き方に変わらせて頂かれたのでした。

★『いかにご信心しておるとはいうても足らんところもあって、色々難儀にあうことがあろうが。病気、災難に負けずにご信心しておれば、おかげでそれが払い取られていく。けれどもご信心がなかったら難儀が難儀を生むことになる。おかげを受けて払い取ってもらわねばならぬぞ。』『思う事が願いになると金光様はおっしゃったが、願う心があるからおかげが受けられる。願うとは真の値で買うということで、願う心がおかげの受け物じゃ』
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2020年09月14日

●信心という鍵

 二代教会長・伊藤コウ師のご時代のことです。あるご婦人が、銀行の定期預金が満期を迎えたので、全額引き出すか、それとも、利息だけを引き出して元金は残しておくべきか、コウ師にお尋ねになりました。コウ師は、神様に御祈念なさってから、「全額引き出してきた方がよろしいでしょう」とおっしゃいました。

★ご婦人は、すでにご主人と、養子に迎えた息子さんを亡くしておられましたので、そのお嫁さんと4人のお孫さんと一緒に住んでおられました。家に帰ってから、ご家族にお届の内容を話されますと、「あんな大銀行に何かあったら、国の経済が揺らぐ程の立派な銀行ですよ。おばあちゃんは、普段から神様、信心と言って熱心に教会に参っているけれど、そんなことをして大金を持って帰って、泥棒にでも入られたら恥をかきますよ!」と、お嫁さんをはじめ、大学生や高校生のお孫さん達皆から、口を揃えて言われたのでした。ご婦人は心が揺れ始め、銀行までたどり着いた時に、銀行の前のタバコ屋さんに、「向かいの銀行は、どうですか、変わりないですか?」と尋ねると、「よう分かりませんが、いつもと変わりないですよ」と、答えられたので、預金の元金は残すことにし、利息だけを引き出して帰られたのでした。ところが翌日、その銀行が閉鎖したと、新聞の号外が出たのです。

★コウ師のお母様であられますハル氏は、コウ師が幼い頃から、「ここに大きな長持(箱)があるとします。そこにはあなたが欲しい物が全て入っています。しかし、その長持には鍵がかかっています。その鍵を開けようと思えば、信心という鍵がいるのです。生神金光大神様のお取次を頂いて、天地金乃神様のご神徳を蒙らせて頂かなければ開きません。ですから欲しいと思えば、信心して神様におすがりして、頂けるだけの徳と力を頂きなさい。そうすれば神様が鍵を開けて下さり、いくらでも欲しいものを頂くことができるのです。」と仰り、ご信心の大切さをお伝えになったということです。

★反対に、どんなに立派なものが目の前にあったとしても、お徳を頂いていなければ、それは決して身に付きません。有難いご信心を子孫に伝えさせて頂くことによって、頂いたご神徳も受け継がれ、ご先祖様から子孫の端々までおかげを頂くことが出来るのです。

★『「よそには不思議なおかげを受けられるのに、どうして、うちにはよそのようなおかげをよう受けぬじゃろうか」と、よそのおかげばかりうらやましがる者がよくあるが、それは、そういう信心じゃからおかげが受けられぬのじゃ。「よそに受けられるおかげじゃもの、うちにじゃというても受けられぬことがあるものか。まだ真が足らぬのじゃ」とご一心を出せば、おかげのもらえぬことがあるものか。真の一心が神様に届かなかったら、それこそ不思議じゃ。』

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2020年09月13日

●正しい願いを持ち、一心におすがりする

阿倍野教会が借家での布教間もない頃から、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長伊藤コウ師は「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。恩借やご信者の分担金・寄付の強要、銀行の借入金なしで建てさせて頂きますように。清い真心の浄財だけで建てさせて頂けますように。」と神様にお願いなさったのです。

★旧広前の150坪のお土地を購入させて頂く時のことです。地主さんがもっておられる大きな土地の一部分であり、晴明通りに面した一番良い条件の所ですから、地主さんは切り売りをしないと仰っていたのです。コウ師の御母堂ハル氏を始め、姉のスエ氏・カツ氏は自分のことは横へ置いて、教会設立の為に家族中が力を合わせて、一生懸命に神様の御用にお使い頂きたいと願われたのでした。そのお心をコウ師は受けられ、どうあってもその願いを成就させて頂きたいと願われて、徳次師に「どうぞ、その交渉の役目を私に任せて下さい。」と申し出られますと、徳次師は「それなら任せましょう。」と仰って下さったのです。

★それからというもの、コウ師は毎日、夜中にそのお土地の前で座られ神様にお願いされたのでした。なんと、その熱い願いが神様に届き、地主さんが数人の知り合いに相談なさったところ、皆が「教会のご用地に使って頂くというが、こんな結構なことはない。」と言って下さり、ついに売ることを決心して頂けることになったのでした。

★お土地を購入されるまでには、神様から2回お試しがあられたそうです。ある時、あるご信者が「警察の許可を得て寄付を集める許しを頂いていますので、ご信者に寄付を募りましょうか?」と申してこられたのでした。コウ師は「私は神様に恩借やご信者の分担金・寄付の強要、銀行の借入金なしで建てさせて頂きますように。とお願いさせて頂いておりますので、それはいたしません。」とお断りなさったのです。

★またある時、竹本駒蔵師より、建築費の7割程の現金を「無期限・無利子ですから、遠慮なく使いなさい」とわざわざ京都からお持ち下さいましたが、コウ師は丁寧にお断りになられました。すると、竹本師は「それでは、お供えさせて頂こう」と仰って下さいましたが、コウ師は「先生がお供えなさるのは、御本部があられますから、それは筋違いでございます。神様の心に適いませんので、お受けすることはできません。」とお断りなさったのでした。

★そうして、神様のお試しがあり、またお土地購入後、ご建築の途中で徳次師がお国替えなさって、建築委員総辞職という事があられましたが、コウ師は脇目も振らずに一心に神様におすがりなさって、ついに、昭和2年11月11日、開教5年の記念大祭と新築落成の祝祭を、盛大に奉行させて頂くことが出来られたのでした。正しい願いを持ち、一心におすがりするところに神様が応えて下さるのです。
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2020年09月12日

●何事も実意をもって願え

 先日の勉強会で、昭和39年の二代教会長・伊藤コウ師のみ教えを聞かせて頂きました。当時、2才8カ月頃の私が「親先生、飴を下さい」とねだりにいったとのことでした。コウ師は「こうやって、親先生、親先生と言いに来てくれて嬉しいな。なんやかんやと寄ってきて、そのように頼んでくれることが、どれだけ嬉しいことか。なんとかしてやりたい。これが親心です。神様も同じことです。」と仰っておられたのでした。

★『天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受けおる。氏子信心いたしておかげを受けい。この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす』と明治6年10月10日の御神伝に表して頂いております。

★神様は、生神金光大神様を差し向けて下さって、難儀な氏子を取次ぎ助けて下さる道を開いて下さいました。そして、「どんなことでもお願いしなさいよ。いくらでもお縋りしなさいよ。信心いたして、おかげを受けなさいよ。そして、天地の道理や神様と人との間柄について、理解申して聞かせましょう。有難いみ教えが家の中に満ち満ちていきますから、人が助かり人が育ち、次々と有難い働きを生み出せる家にならせて頂きますよ。」と仰って下さっているのです。そうしましたら、末々まで繁盛させて頂け、その姿をご覧になって神様も助かられ、氏子も立ち行くようになる、ということを分かりやすく教えて下さっているのです。

★「信心をしなさい」ということですね。ただ自分勝手に願いなさい、ということではありません。「段々とみ教えを頂けるようになりなさいよ。み教えを頂いて、そして成長させてもらいなさいよ。」ということです。ここに神様が願って下さっているところがあるわけです。

★自分自身が願って頂いている存在である、ということを理解して、自覚をして、そこからまた一段と成長させて頂かねばなりません。「そのように仰って頂けるのでしたら、しっかり信心させて頂きます。よろしくお願い致します。」「一段と改まらせて頂きます。どんなご修行もさせて頂きます。成長させて頂きます。」という心持ちが必要です。それが「実意をもって願う」ということです。

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2020年09月11日

●ふと気付かせて頂いたことを、即実行する

9月10日は、上田氏の御命日でした。上田氏は、お母様のお導きによって20歳からお引き寄せ頂かれ、脚気の全快・体質改善のおかげを頂かれました。毎朝のみ教えが楽しみで参拝させて頂かれ、二代教会長先生、三代教会長先生のご教導を頂いて、頂いたみ教えは何としても守らせて頂きたい、と願われるように、信心が進んでいかれたのです。

★また、み教えを頂くずつに、神様へお礼の申し方も分からせて頂けるようになり、「お礼の働きをさせて頂きたい」という願いを、いつも持つようになられました。ある時、「どのようにしたら、お導きがさせて頂けるようになるのでしょうか?」とお伺いを致しますと、伊藤コウ師より、「お導きは自分でするものではなく、神様にさせて頂くのですよ。まずは、人に親切にさせて頂くことですよ」とみ教えを頂かれました。それからは、道を歩く時にも、電車に乗るときにでも、「お導きのご用にお使い頂けます様に」とお願いなさっておられますと、み教えを頂いてから2日ほど経ったある日のこと、近所のご婦人に、「あなたはいつも朝からどこに行っているのですか?」と尋ねられました。「毎朝お教会へ参拝して、有難いお話を聞かせて頂いています」と答えますと、「私も連れて参って下さい」と仰いました。そうして、そのご婦人とご婦人の二人のお子さんをお導きすることが出来られたのです。それから、次々と有難いお導きがさせて頂けるようになられたのです。

★また、ある日の夕食の片づけの途中、あと5、6枚お皿を洗えば終わるという時に「干してある洗濯物を今取り込もう」と、ふと心に思わせて頂かれたそうです。4人のお子さんがおられましたし、雨の日が続いていた晴れ間だったので、たくさんの洗濯物を干しておられたのです。洗い物の手をすぐ止めて、洗濯物を取り込まれた直後に、激しい雨が降ってきたのでした。上田氏は、日常茶飯どんな些細なことでも、心中御祈念を欠かさず、その時にふと心に思わせて頂かれたことを、神様のみ教えと頂いて、即実行させて頂くことを実践なさったのでした。

★上田氏にお導き頂かれた方々は、御命日を忘れずにその御恩を忘れないように心に刻んでおられ、まさに生き通しのおかげを頂いておられることが、よく分からせて頂きます。

★『いくら学問がある、よく理屈がわかっているといっても、神信心のことは、わかっただけでは役に立たない。わが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこなければ、神の徳はいただけない。』
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2020年09月10日

●永世生き通しのおかげ

 二代教会長伊藤コウ師が『ご信心しておるのに死んだりすると、おかげがなかったと言うて、信心をやめる者があるが、信心しても死ぬる者は、うちの者の身代わりになっておることがあるから、後々の者がご信心して達者で繁盛せぬと、せっかくの身代わりになった者を犬死にをさしたことになり、なお不幸せが続くことがあるぞ。うちの者が難に負けぬご信心をすることが第一ぞ』というみ教えを頂かれて、「私はこのみ教えによって助けて頂きました」と仰っておられました。ご主人であられる初代教会長先生が32歳の若さでお国替えなられましたが、24歳の時に、スペイン風邪で意識不明の重体に陥られたところから、回復をさせて頂かれたことに「8年お命を延ばして頂き、その間に阿倍野教会の礎を築いて頂きました、有難うございます」とお礼を申され、初代教会長先生のご遺志を受け継いで、お広前建築の大みかげを蒙られました。

★肉体の働きを終えたら、すべて無に帰すということではありません。肉体の働きを終えた後は、霊神として永遠に働かせて頂くことが出来るのです。そのような有難い徳高き存在にならせて頂くことをお願いして信心を進めさせて頂くのです。それぞれのお命に長い短いはありますが、神様からお役目を頂いており、そのお役目を全うさせて頂くことが有難いということを、しっかりと悟らせて頂くことが、ご信心の上で実に大切なことです。【自分自身が神様から与えて頂いているお役目を、生涯かけて果たさせて頂けますように】とお願いをさせて頂き、亡くなった後も【生き生きとした働きが出来る御霊になれるように、永世生き通しの御神徳を頂けますように】とお願いをさせて頂くことが大切です。

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2020年09月09日

●行き届いたお礼のご信心

昨日は、みかげ会例会が開催され、奥野氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★奥野氏は、昭和50年にご結婚なされ、奥野の家に入籍されました。それまで会社勤めをしておられましたが、奥野家の家業である中央卸売市場・野菜取り扱い仲買業のお仕事をお義父様について教えて頂かれました。しかしその二年半後、お義父様がセリ市の最中に倒れられ、意識が回復することなく三日後にお国替えなされたのです。短い期間で、お義父様の心が理解出来ておらず、行き届いた補佐が出来ていなかったことに悔いが残られたそうですが、そんな中でもおかげを頂いていることに気付かれました。

★それは亡くなる三か月前にお父様から「セリ市でトマトを買ってくるように」と言われたことです。当時セリ市に参加できるのは経験4,5年位からだったのですが、喜んで参加出来られ、徐々に扱い品目を増やして頂かれたそうです。この経験が無いまま、お義父様がお国替えされておられましたら、状況はさらに厳しくなっておられたことでしょう。神様が先を見越して経験させて下さっていたことに気付かれたのです。

★昭和53年10月、御神殿を新調させて頂き、お宅祭をお仕え頂いた時に、二代教会長伊藤コウ師より「今日からは神様を奥野家のご主人として、日参・聴教、何事にも実意・丁寧・正直・親切を以っておかげを頂き、毎月3年間、お礼のお宅祭を続けさせて頂きましょう。赤字の無い経営、たらいの信心のみ教えの通り、自分たちは給料を貰わずとも良い、という覚悟をもって働かせて頂きましょう。」と、有難いみ教えを頂かれ、お店の発展、社員の無事、得意先の発展を願って、ご家族心を揃えて、ご信心を元に商売に励まれたのでした。

★平成6年8月16日にお母様がお国替えになられ、三十日祭を機にお父様、奥野家のご先祖様を合祀して頂かれ、更に平成9年3月には、ご実家の霊様も合祀して頂かれました。毎月のお礼のお宅祭は、今日まで続いておられ、御礼のご信心を中心に心掛けておられますから、ご家族の健康の上にも、お仕事の上にも万事におかげを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。
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2020年09月08日

●神様を杖につく生活

 松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長・伊藤良三師は、その講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後は何処に落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから、食べることや着ることは、どのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら、着の身着のままですけれども、今着ているものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば、二人で分けて頂きます。何もなければ、断食のご修行をさせて頂きます」と仰せられたのでした。実に覚悟の決まられたお姿に、三代教会長先生は、感銘を受けられたのです。

★松山先生は、大連に渡った時も身一つで「さあ、いよいよこの広い大陸で、初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても、全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と心が勇んで、嬉しく布教なされたのだそうです。さらに、日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日、人が助かる御用にお使い頂けるように一生懸命願われ、御用にお使い頂かれました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、ある場所にお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。伊藤良三師は是非参拝したいと思われ、御本部御礼参拝の帰りに、岡山中部教会に参拝され、直接お話を聞かせて頂かれたのです。時は終戦直後の混乱期で、何もかも、無い無い尽くしの時代で、建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのでした。

★松山先生は、どんな状況下にあられても、神様を杖になさっておられたので、心配されず苦に思われず、今日一日今日一日、「人が助かる御用にお役に立てます様に」とお願いさせて頂かれたので、神様が生かして下さり、結構な道が開けて行ったのです。

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2020年09月07日

●常に喜びに満ちて

 5日の真栄根会例会でおかげ話をなさった山野氏は、お母様が熱心なご信者で、幼い頃から素直にご信心を頂いてこられました。★昨年の12月初め、東京に単身赴任しておられた山野氏は、奈良の実家から20分ほどの高齢者住宅に入居しておられたご両親に会いに行かれたのでしたが、ちょうどその日の夜に、お父様が高熱で救急車で病院に運ばれたのでした。お父様はインフルエンザにかかっておられ、山野氏は、教会に電話でお届けなさってから、入院手続きをさせて頂かれました。インフルエンザの患者さんは、院内感染を防ぐため、個室に入る必要があったそうですが、お父様の入院の前日に個室の空きが出来ているという、お繰り合わせを頂かれたのでした。

★お父様は、2、3日で熱が下がられたのでしたが、肺炎の症状が出ており、91才というご高齢でしたので、家族も覚悟はしておくよう、医師から告げられたのです。更に、お母様もインフルエンザにかかられ、お父様と同じ病院に入院することになられ、インフルエンザの薬の副作用で下痢が止まらず、しばらく入院することになられました。そんな中でも、「出来てくること、みなおかげ」と、常日頃から喜ぶ稽古が出来ておられたお母様は、「これはおかげや。施設で一人ぼっちは心細いけど、病院ならみんな見舞いに来てくれるし、看護師さんも皆さん本当に良くして下さるし、何より、病室は違っても、お父さんのそばに居させてもらえるのが本当に有難い。神様がそうさせて下さったんやなあ」と、満面の笑みを浮かべて喜んでおられそうです。

★どんな時も、神様は最善のおかげを下さっている、ということを信じて疑わず、いつも喜んで生活なさっておられたお母様のご信心を、山野氏は心から尊敬なさっておられます。有難いご信心を受け継がせて頂かれ、日常いつでも、神様に心を向けさせて頂き、辛いことや難しい問題に直面しても、「このご修行を通して、どのように神様に喜んで頂くことが出来るだろうか、どのようなおかげを頂くことが出来るだろうか」と、一層元気な心でご信心に励まれ、末広がりのおかげを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』

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2020年09月06日

●油断している姿とは・・・

『何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ』

★何事も、神様にお願いしてさせて頂くところには、神様がさせて下さいますから、無理が生じません。「自分が!自分が!と思いますと、どこかに無理が生じてきます。怪我をしたり、トラブルが起きたり、人との摩擦が生まれたり、思いがけない間違いをしたりするものです。「自分が!」と思い込んでおりましたら、人から何か言って頂いても、聞いておりながら理解が出来ていない、というようなことが起きてきます。思い込みが激しく、慢心しており、確認作業もしませんから、間違いが生じてしまい、二度手間、三度手間をせねばならないようになってくるのです。そういうことが無いように、一つ一つのことを丁寧に神様にお願いをして、小さなことから大きなことまで、御祈念をしてから、落ち着いて取り組むようにさせて頂くのです。その中に、神様から教えて頂いたことに気付かせて頂いたり、人から教えて頂いたり、周囲の人々にサポートして頂けるようになってくるのです。

★あるご信者が「油断している姿とは、どういう姿かと考えさせて頂きましたら、それは、心中御祈念をさせて頂いていない姿こそが、油断している姿だ、と気付かせて頂きました。以前は【心中御祈念】と教えて頂いても、[お願いしてから、したらよいんだな・・・]くらいにしか思っていなかったのです。しかし段々と、心中御祈念が出来ていない姿とは、自分中心・人間中心、神様をないがしろにした生き方、になってしまうのだなあ。それこそが油断ということだなあ、と分からせて頂いたのです。」と仰っておられたことでした。

★これくらいのことは、自分で出来るから自分でする、というようなことが「慢心」です。『慢心は大けがのもと』怪我過ちも「我良しと思う心」からくるのです。慢心やおごり、謙虚さを欠いた姿が、御祈念をせず自分でする、ということです。小さいことでも些細なことでもお願いしてさせてもらう、そうして先へ先へと気付かせて頂く。このように、日々神様に心を向けて過ごさせて頂きましたら、有難い御比礼を蒙らせて頂けるのです。

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2020年09月05日

●親孝行と生きているうちの信心

三代教会長先生のご在世中に、阿倍野教会におかげ話をしに来て下さっていた吉良藤右衛門氏という方がおられました。

★吉良氏が30歳の時、月見の宴している最中に、急に月に雲がかかって見えなくなったように感じ、視力が低下していることに気付き、それから後に両眼とも失明されることがあられました。そこで、願をかけて水ごりをとる等お願いなさったのですが、肝心要の「心を改める」ということが出来ておられませんでしたので、秋から冬へ、冬から春へと季節は移り変わってゆきましたが、一向におかげは表れてきませんでした。

★「こんな状態では生きていられない・・・」と失望のあまり、死を覚悟された時のことです。お母さんの顔がふと思い浮かばれたのでした。これまでお母さんが一生懸命に育てて下さったのに、気にも留めず随分遊び暮らしていたのでした。「30歳の自分が将来を悲観して死んでしまっては、自分はそれで良いかもしれないが、年老いた母親はどうなるのだろうか。自分自身が老後のお世話をしなければならないのに、勝手に死んでしまっては、母親はどれだけ嘆くだろう・・・」ということに気付かれたのです。それまでは自分のことで精一杯でしたが、初めて真剣に親のことを思えるようになられたのでした。そして「これからは母親に親孝行をさせて頂かなければ申し訳ない。今一度、神様に改めてお願いをさせて頂こう。親にご恩返しの出来る私にならせて頂く為には、目が見えさせて頂き、働かせて頂けますように。もし、この願いを聞き届けて下さるのでありましたら、贅沢は一切謹んで、どんな仕事でも厭わず喜んでさせて頂きますので、どうぞ生まれ変わらせて下さい。」と真剣に願わせて頂く気になられたのです。そして、子供の頃から連れて参って頂いていた、金光様の教会にお引き寄せを頂かれたのでした。そして、改まりを誓われてお広前にお参りし、お取次ぎを頂いて、み教えを頂かれるようになられたのです。

★涙ながらにお願いし、家に帰られ地面にひれ伏して神様にご祈念されました。そしてふと顔を上げますと、風呂の焚口に落ちていた新聞の見出しが見えるようになり、それから晴眼のおかげを頂かれたのでした。その後は、お礼のご信心に励まれ、ご縁に繋がる所でおかげ話の御用にお使い頂かれたのでした。

★『死んで、ものを言わぬようになってから、ああもしてあげておけばよかった、こうもしてあげておけばよかったと、心残り多いことが多かろうが。親孝行は親の達者の間にしておかねばならず、信心は生きておるうちにしておかねば、後の祭りになるぞ。早うて間に合わぬためしはあるまい。親の達者の間の孝行と、生きておるうちの信心とが、家繁盛のもとじゃ。』
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2020年09月04日

●人を思い祈るありがたさ

 内尾節子氏は、大分県に嫁がれてからも、毎月の阿倍野教会の御本部御礼参拝には、日を合わせて大分県より心を込めて参拝なさり、阿倍野教会の春秋の御大祭には、信心友達である陶山氏の家に3・4日泊めて頂かれ参拝しておられました。

★内尾氏は心臓を患われ、様々な治療を受け、手術も受けて生命を助けて頂かれましたが、晩年には、末期癌の状態であるということが判明し、ホスピスで治療を受けることとなられたのです。陶山氏は、日々内尾氏のことをお届けなさり、祈っておられました。内尾氏は、信心友達の陶山氏に会いたいと常々言っておられたそうで、6月1日に内尾氏の娘さんが陶山氏に連絡してこられたのです。 陶山氏は、早速1日夕方に教会へお届けされますと、「是非行ってあげなさい」とみ教えを頂かれ、2日が月例祭ですので、4日に内尾氏に会いに大分までいかれました。娘さんが陶山氏に連絡なさった6月1日の時点で、既に意識のない状態であられた内尾氏が、なんと、陶山氏を待ちかねていたかのように意識を取り戻され、大変喜んで歓談ができられたそうです。また、その時昼食に出てきた食事も、残さず全て頂かれ「有難い有難い」と仰ったのでした。

★後に分かったことですが、内尾氏は陶山氏に会われた3時間だけ意識を取り戻されたということでした。そして、21日にお国替えなさるまで1度も食事を取ることもできられず、話ができるということもなかったそうです。

★生神金光大神様のお取次を頂いて、人のことを祈らせて頂くと、その一心は必ず天地金乃神に届けて下さり、有難い助かりの世界が開けていくのです。祈る相手が助かるだけではなく、祈らせて頂く人自身の魂にも有難いお徳を頂き、積み重ねたお徳は、霊神となった後も消えることがなく、また、子孫の端々まで助からせて頂くことが出来るのです。

★『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して、真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ』

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2020年09月03日

●神様から授かっている尊いご分霊

 近藤藤守先生が初めの頃、明治15年のことです。その年の5月13日に、朝日新聞に記事が出ました。「難波村に、近藤とかいう者が神を看板にして、国事犯の陰謀を企てている…」というものでした。警察としても、放っておくわけにはいかなかったのでしょう。5月14日拘引されたのですが、調べられた結果、藤守師は嫌疑が晴れて帰宅を許されました。

ところが、またその翌日、警察から通知がきて、行ってみられると、「近藤与三郎、その職にあらずして神を祀り、衆庶を参集せしむるかどによりて、十日間拘留申し付く」という令状を受けたのでした。しかし、藤守師はそのことを良い方へ捉えられ、「めぐりをお上の手をもって、お取り払い下されるのだ。ああ有難い」と思われ、安心とお詫びの中に、十日間を勤めて一心を貫かれたのでした。さらに、藤守師は拘留中に囚人を集めてお話をされ、皆をお導きなさったのです。

★実は、思い返せば、その年の正月に藤守師が教祖様のもとへ参拝されますと、教祖様は、『のう近藤さん、悪いことをせずとな、牢に入っても恥にはならぬのう』とみ教えなさっておられたのです。★5月24日放免になり帰宅され、翌月の6月に教祖様のお広前に御礼参拝されました。その時に、教祖様は、御祈念帳の正月二日のくだりをお示しになられました。

そこには、「大阪難波村近藤与三郎当年行く、五月十五日よりお上の手に入れる旧四月二十二日(新暦六月七日に当たる)御礼参りす。名を藤守と授く」とありました。神様は、以前から予定なさっておられたのでした。神様は、『正月元日は、1月2月3月4月のことを神様が教えて下さる。2日は、5月6月7月8月のことを神様が教えて下さる。3日は、9月10月11月12月のことを神様が教えて下さる。そこで正月三が日をもって1年中のことを伺うておきさえすれば、みな神様が教えて下さる。その徳を受けなさい。』とご裁伝を下されたのです。

藤守師はひたすら平伏して、お広前で感涙されたのでした。★人間は、神様から尊いご分霊を頂いて、この世に生まれて来ております。そのご分霊を本物の働きが出来るように、我情我欲を取り払って、起きて来ることの中に有難い神様の思召しを悟らせて頂くことが大切なのです。その稽古を日々積み重ねて参りましょう。
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2020年09月02日

●霊様方のお働きを受けて・・・

 私の家内の実家は、仏式でご先祖を祀っておられますが、結婚させて頂く際に、結婚後は金光教の教師になるために、家内一人が金光教の教徒にならせて頂くことをお許し頂きました。そして今日まで、私共が家内の実家のご先祖の霊祭を仕えさせて頂く際には、家内の親族も近畿内や関東、岐阜など各地から参列して下さっています。

★先年のこと、「私は無神論者だ」と仰っておられた家内の叔父(父親の弟さん)が信心をさせて頂くようになられたのでした。そのきっかけとなりましたのは、色々と悩みを抱えておられる時に、亡くなられたお母様(家内の祖母)が夢に出てこられたということです。そして「やよひ(家内)に相談すれば良いではないか」と仰られたそうです。叔父は早速、家内に電話をかけて来られ、信心をさせて頂かれるようになられたのです。そして教徒にならせて頂き、ご先祖を金光教式でお祀りさせて頂くことになられたのでした。

★末期がんを患っておられた奥様(家内の叔母)を、献身的にお世話なさり、どうすれば奥様に安心してもらえるか、ということを真剣に考えられた末の決断であられました。その後、奥様がお国替えされた際には、金光教式で告別式や旬日祭をお仕え頂かれました。その後も叔父は、ご命日を大変大切になさり、丁寧に参拝されてお届けを続けられ、叔父自身も大病をされましたが、手術も無事成功され、その後も元気で穏やかに過ごされたのです。霊様方がお働き下さってお守り頂き、お導き下さっていることは、大変有難いことだと思わせて頂きました。

★9月22日には秋季霊祭をお仕えさせて頂きます。日々お守り頂いているご先祖、霊様方にお礼を申させて頂き、後に残ったものがしっかりとご信心させて頂き、ご安心頂ける私達にならせて頂きましょう。

★『先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。』『人間は生き通しが大切である。生き通しとは死んでから後、人が拝んでくれるようになる事である。』

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2020年09月01日

●教祖様のみ教えを現代に生かしてゆく

教祖様は、数え年の12才でご生家の香取家から川手家に養子に入られました。幼い頃から神様を拝む事が大好きであられ、ご養父に「休み日には神参りをさせて下さい」とお願いなさったということです。

川手家は、決して裕福な農家とは言えず、時代も天保の大飢饉、安政の大地震などから年貢の取立ても厳しく、疫病も流行るなど、人々は困難を極めていました。

しかし、教組様は、何事も実意丁寧に神様にお願いなさり、一心におすがりなさりながら農作業に励まれ、天地の親神様のお徳によって家は次第に栄えていかれたのです。

★教祖様がご経験なさったことを、私達は現代に生かし、生活の指針としてさせて頂けるように、み教えを残して下さっておられます。これらのみ教えは、今こそ、私達が大切にしっかりと頂いてゆかなければならない内容であり、まさに「教祖様の経験なされ、ご修行なされたご内容を、その一部分、一部分を分け与えて頂くつもりで有難く頂くことが大切です。

私達が本当に有難く頂く心にならせて頂きますと、その有難いご修行のお徳を分け与えて頂き、教祖様の歩まれた人生の一部分を頂くことが出来るのです。「一生が修行である」と教えて頂いております通り、私達が頂く心にならせて頂きますと、様々な有難い勉強がさせて頂くことが出来るのです。

★『世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり』

★毎日お風呂に入らせて頂くことが出来、三度の食事も頂くことが出来ております。このような有難い環境に御礼を申し、何不自由ない生活を送らせて頂いておりますことを、しっかりと喜ばせて頂きましょう。

出来てきたこと全てを、おかげにさせて頂けるようなご信心を心掛けておりますと、覚悟が定まり、全てに有難い神様のご神意が含まれていると捉える事が出来、乗り越えさせて頂くことが出来るのです。

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