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2020年08月31日

●み教えは心の栄養

 二代教会長・伊藤コウ師ご在世中の頃のことです。あるご婦人は、神経性の緑内障を患われ、大学病院等の数件の病院の医師から、「手術は無理、回復も見込めない」と診断を受けておられたのでした。両眼とも視力を失って、生きる気力も失いかけておられたところを、お導き頂かれ、二代教会長・伊藤コウ師のお取次を頂かれたのでした。

★その時に、「ここにお引き寄せ頂いたということは、神様がおかげを頂かせてやろうと思し召し下さっておられるからでしょう。今日から良くなると思いなさい。3週間の日を切っておかげを頂きましょう。しかし、医師から、もう治らないと言われている程のことを、おかげを頂きたいとお願いするのですから、3週間何かご修行させて頂きましょう。」とみ教え下さったのです。「どんなご修行をさせて頂いたらよろしいでしょうか?」と尋ねられますと、伊藤コウ師は「お願いさせて頂くからには、『必ずおかげを頂ける』と信じること、そして、どんな小さなことでも、喜ぶ稽古をさせて頂きましょう。」とみ教え下されたのでした。

★ご婦人は、それから毎日、朝と昼の2回、お導きの方が2人手を引いて付き添ってくださり、阪堺上町線の、当時、平野線がまだ通っていましたが、中野駅から電車に乗って、日参を続けることが出来られたのでした。そうして3週間経ったある日、ご婦人が1人でお参りになったので、三代教会長先生が、「今日はお導きの方々はどうなさったんですか?」と尋ねられますと、「今日は1人なんです。目が見えるんです。」と、答えられたのです。三代教会長先生は驚かれ、「それは結構なおかげを頂かれましたな!しかし、そんな大みかげを頂いたら、飛び上がるほど嬉しいでしょうに。なぜあなたは、それ程嬉しそうでもないんですか?」とお聞きになりますと、「そうなんです。自分でも、喜ぶのが下手やと思います。実は、今日は針の穴に糸が通せて、縫物が出来たのです。」と、答えられたということです。

★食事を頂いて身体に栄養を頂くように、心もみ教えを頂くことによって栄養を頂くことが大切です。日常生活の中にも、大切なみ教えを頂く機会はたくさんあるのです。心に障ることを言われたり、あるいは、上司に口うるさく言われたりすることは、ともすると、なるべく避けたいと思えるかもしれませんが、そうした、自分にとって都合の悪いことの中に、有難い神様のみ教えが込められているのです。どんなみ教えも素直に頂き、改まる心にならせて頂きますと、立ちどころに願い成就のおかげを頂くことが出来るのです。

★『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しくはならぬ』

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2020年08月30日

●毎日与えて頂いている環境を喜んで、笑顔で暮らす

教祖様に近藤藤守師が山に入ってご修行したいことをお届けされ、『なるべく深い山に入って浮世を逃れるつもりでおります』と申し上げられますと、教祖様は近藤藤守師に『それは結構である。しかし近藤さん、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんな不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう。』 と仰せになられたということです。

★「人間関係が煩わしくて仕事にならない」「外で頑張っているのだから、家では思う様に過ごしたい・・・」等、物事がうまく進まないことを、他人や環境のせいにしたり、身近な人に甘が過ぎたりすることは、自分に与えられたご修行をおろそかにしているのです。家庭において、職場において、地域社会において等、日々起こってくる問題を、自分に与えられたご修行と心得て、ご信心を元に覚悟を決めて取り組ませて頂くことによって、一つ一つ心の凝りが取れてゆき、心の眼がひらけ、神徳人徳を頂いた有り難い姿にならせて頂くことが出来るのです。

★毎日不足を言って、泣いて暮らしていては結構になりません。心で自分の体を傷めてしまうことになります。このお道は喜びで開けた道です。与えられた環境を喜べないことは、神様に誠に申し訳ないことです。日々、日参と聴教に励み、喜ぶ稽古をさせて頂きましょう。
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2020年08月29日

●受け物の良し悪しによって

 伊藤春男師は阿倍野教会の在籍教師であられました。今年は70年祭をお仕えさせて頂いたところです。ご生前中には、子供会・学生会等を担当して頂きました。

★あるご信者が「胃の具合が悪いです」とお届けなさいますと、春男師は、「あなたの、食べ物に対するご無礼でしょう」とお話しなさいました。ご信者は、「私は長年、信心させて頂いておりますし、食べ物をめったに粗末にはしておりません」とお答えすると、春男師「あなたは、食べ物をゴミ箱には捨てはなさらないけれども、あなたの胃袋に捨てておられる。信心するものは、よく気をつけなければならん。家族が残した物でも、ほっておいたら腐るから勿体ない。これも少し傷んでおるけど勿体ない。食べておこうと、ゴミ箱には捨てないけれども、自分の胃袋に捨てておる。それがご無礼となる。信心する者は心配りをして、家族が残さないように、ちょうど良い量を作らせて頂く。これがあなたの大事なお役目です。なんでも多めに作ると、少しあまる。信心しているが故に、ゴミ箱にはよう捨てないけれども、勿体ないからと食べる。それで自分の体をこわすことになる」とお話し下さいました。ご信者は「そこまで、心配りさせて頂かねばならないのですね。よく分かりました」と改まらせて頂かれたのでした。

★知らず知らずのうちにどれ程、ご無礼があるか分かりません。毎日の小さな積み重ねが、後に大きくなってゆくのです。「良い事を積み重ねておりますと、良い事が返ってくる。悪い事を積み重ねておりますと、不都合がやってくる」ということは天地の道理です。

★自分自身が助かりたいと、願っておりましても、み教えを頂きました時に、受け物がなく、得心がいきませんと、せっかく有難いみ教えを頂きましても、ようおかげを頂けません。自分でおかげを受け漏らしてしまいます。もうこれで良い、私はよく出来ている、ということは無いのです。その人その人の受け物の大きさによって、受けさせて頂ける御神徳は変わってくるのですね。

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2020年08月28日

●神様の仰せのままに…

松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られ、後に岡山中部教会の初代教会長として御命を頂かれ、御用なさいました。私が金光教学院でご修行させて頂いた時の学院長であられた内田守昌師は、お生まれになった際に松山師より「守昌」と命名して頂かれました。

★昭和25年、内田師が金光教教師に御取立て頂かれて、しばらく経った時のことです。内田師が、岡山中部教会にお参りされますと、松山成三師はご晩年の頃であり、病床に伏せておられたのです。内田師がお参りなさった日は丁度月並祭で、松山師は内田師を枕元に呼ばれ、「今日のお祭りの後、お説教のおかげを頂きなさい。」と仰ったのでした。突然、御命を頂かれた内田師は逃げるように「こんな格好(カッターシャツとズボン)ではお説教できません。」とお断りするつもりで申し上げられますと、松山師は「私の教衣を着たらよろしい。」と仰いました。内田師は松山師の教衣をつけ、御用されることとなられたのです。初めての場所で、初めてのお説教で、大変緊張された内田師は、お説教が終わって休んでおられた松山師のところへ行かれ、「大変な失敗をしました。」とお詫び申されますと、松山師は「思い切ってしたらよろしい。」と仰ったのでした。

★内田師は「思い切ってさせて頂く」という御意味が、最初はなかなか理解することができられなかったそうです。自分がしようとすれば、無理が出てきますから、自分で思い切れるものでもありません。しかし、「自分も助かり人も助かるような思い切り」が出来るように神様におすがり申しあげますと、神様が手を差し伸べて受け止めて下さり御用させて頂けるのだと、分からせて頂かれたのでした。

★愛情には様々な表し方があります。「好む愛・求める愛・与える愛(授ける愛)・応える愛」等々。与える愛とは親が子に対する無償の愛などを指しており、「ああしてほしい、こうしてほしい」といった見返りを求めない愛情のことを指します。神様も私達氏子に、限りないご慈愛の中であれも、これもと与えて下さっておられます。子供のことを無償の愛でもって、無条件に願うのが親です。子供が幸せになるからこそ、親も幸せを感じるのです。同様に、私達氏子が助かってゆくことを神様は喜んで下さるのです。応える愛というのは、神様が氏子に願って下さっている事を悟らせて頂き、神様の仰せの通りにさせて頂くことが、応える愛です。神様から与えて下さっているご慈愛に対して、応えることの出来る御礼の信心をさせて頂きましょう。
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2020年08月27日

●おかげは受け勝ち、守りは受け得

 25日に開催された学生講演会では、男女2名の大学生の方が講演して下さいました。開会の辞として講演して下さった中村君は、去年の9月にお母様に病気が見つかり、入院治療が必要との診断を受けられました。そして、お母様が入院なさって1カ月後に、今度は近所にお住いのお祖母様に、入院・手術が必要な病気が見つかられました。その都度お取次を頂きつつ神様にお縋りしながら、中村君は、家のことは全てお母様にしてもらえることが当たり前になっていたことを反省なさり、家族のために出来ることを考えられ、朝食と、自分と妹さんのお弁当を作り、洗濯をしてから大学に通うことを決められました。お母様もお祖母様も、有難いおかげを頂かれて、元気に回復させて頂かれましたが、今日も、変わりなく家の手伝いを続けておられます。また、お母様が退院なさった時に、お母様より、「これから毎日、一緒に朝参りをしよう。朝参りをして、家族の健康を神様にお願いさせて頂こう」とお導きを頂かれ、今日も朝参りが続いておられます。

★また、巴さんは、高校受験合格の後に、お母様を病気で亡くされ、お祖母様に身の回りのお世話をして頂きながら、信心と勉強と御用に励んでこられました。お母様は、ご生前中徹底して生活の無駄をなくし、質素倹約に努めながら、信心を元にしてお子さんの養育をしてこられました。ある時、お母様は巴さんに学習机を買ってやりたいと思われ、お結界でお届けなさいました。私は御祈念させて頂き、「もう少し考えてみましょう」とお話しさせて頂きました。数日後に、お祖父様の家でお宅祭がお仕えになられ、その時に、一つの机に目が留まりましたので、「あの机は今どう使っておられるのですか?」と尋ねますと、ずっと以前に巴さんのお祖父さんが使われた後にお母様が学習机として使っておられたもので、今は誰も使っておられないとのことでしたので、「これを使わせて頂いたらどうですか?」と申しますと、皆さんが喜ばれ、まだ幼なかった巴さんも、新しいものよりも、お母様が使っておられた机を使わせて頂けることを、素直に喜ぶことが出来たと、お話しなさっておられました。今日も、今頂いているおかげを喜びながら、前向きな心で、医学を学んでおられます。

★「なぜ今日、このような有難いおかげを頂くことが出来ているのだろうか?」というような心持ちで生活させて頂けたら、有難いですね。神様・霊様にお喜び頂くことを生活の中心とさせて頂いて、ご恩を感じ、ご恩に報いる生き方に一筋にならせて頂きたいと思います。

★『的なしの信心を授けておる。一心を定めて頂くがよい。おかげは受け勝ち、守りは受け得。おかげを受けたら御恩を忘れてはならない』

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2020年08月26日

●信心は本心の玉を磨くものぞや。

昨日は、学生講演会が開催され、大学生二名が出場され、幼少の頃からお引寄せを頂かれ、ご信心を基にお育て頂かれた大変有難い講演をして下さいました。その後、特別講演と致しまして、小畑正明先生の講演を聴かせて頂きました。小畑先生は幼少の頃からお母様に連れられてお参りなさり、学生会でも一生懸命御用なさっておられました。

★あるお方は、「私が学生の頃に、小畑先生に色々と学習指導をして頂きました。50年も年月が経ちましたが、振り返りますと子供会や学生会など、色々なところで先輩方にお世話になりました。今回は小畑先生のお話が聴かせて頂けるということで、家内中揃って参拝させて頂けますようにお導きさせて頂きたいと思います」とお届けされました。ご自身が50年も前に教えて頂いていたことを、有難いことに、この度の学生講演会によって思い出されたのです。その積み重ねが出来て参りますのは、阿倍野教会の子供会、男女学生会、青年会、婦人会、真栄根会、みかげ会、・参拝会・教徒会というように、各会で信心の共磨きをさせて頂き、成長させて頂く、おかげを蒙らせて頂いてきたからだと有難く思わせて頂きます。「より一層に信心が向上させて頂けますように…」と願わせて頂くところに有難いおかげが頂けるのです。

★『信心は本心の玉を磨くものぞや。若いものは本心の柱に虫を入らせなよ。』神様から与えて頂いている分け御霊(本心)をお徳の高いものにするために磨かせて頂き、生涯かけて願い続けてゆくのがご信心です。すでに尊いものを授けて頂いて、この世に生を受けて生まれさせて頂いております。その素晴らしいものを自覚させて頂き、成長させて頂けるように、磨きに磨きをかけてゆくことを、生涯かけてご修行とさせて頂くのです。人間の喜びとは、成長する喜びです。また磨きをかけてゆく喜びがあります。

★「切磋琢磨」とは、学問や人徳をより一層磨きあげることということ。また、友人同士が互いに励まし合い、競争し合って、共に向上するという意味ですね。例えば固い石を球体にしていくのは、簡単なことではなく、大変な努力が要ります。それは、時間や手間が掛かり、労力を要することですが、その中に仕上げていく喜びがあるのです。困難があるのはもちろんのことですが、そうした労苦は、後に成果として表れ、人間が成長してゆく喜びに繋がるのです。何事も真心で一心に、信心辛抱させて頂いて、ずっと続けてゆくことが大事なことですね。
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2020年08月25日

●昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ

 あるご信者は、先日お届けに来られた際に、【入信させて頂いて初めの頃に頂いたみ教えが「ご主人はあなたの砥石ですよ。」という言葉でした。その意味が、段々と分からせて頂けるようになりました。今までは、なぜ主人は私にこんなにきつく当たるのか、仕事の上での問題は全て私の責任にするのか、と心を悩まされ、主人が私の心と身体を痛めつけてきたと思ってきました。しかし、み教えを頂くようになり、私の至らないところが分からせて頂き、神様が私をお役に立つ人間に成長させるように、主人が砥石の役目をして下さっている、と思わせて頂くようになりました。そして、日々「家族、周囲が助かるように、良い方向へ導かせて頂けますように」と願わせて頂けるようになりました。】とお話しされたことでした。

★『教祖様は「昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ」と仰ったが、過ぎたことはどうにもならん。今月今日の信心に油断をせぬよう、明日を楽しんで日に日に生きた信心をせよ。』(二代金光四神様のみ教え)

★「昨日を忘れる」ということは、過去のことは神様にお任せするということです。過去のことをいくら後悔しても取り戻せない、という事は分かっておりながら、「ああしておけばよかった、こうしておけばよかった」「あんな辛いことがあった、あんな嫌なことをされた(言われた)」というような、後悔や恨みつらみの記憶は、なかなか忘れることが出来にくいものです。そこで、過去のことは神様にお任せ申し上げますと、過去に執着する必要がなくなり、自分で自分を縛り付けるような記憶から心を解放することができるのです。そして、「今日を喜ぶ」こととは、現在、神様から与えて頂いているおかげに感謝して、積み上げてきたものを一切当てにせず、「日々がさら」だと思わせて頂き、今月今日の信心に一心になるのです。今、自分が置かれている環境にお礼を申し、与えて頂いているお役目を喜んで働かせて頂きますと、心の眼が開き、あれもおかげであった、これもおかげであったと、おかげにさせて頂くことができるのです。そして、「明日を楽しむ」ことです。日参と聴教に励み、頂いたみ教えを神様の綱と思って掴んで放さぬように守らせて頂き、どこまでもおすがりさせて頂きますと、必ず道は開けてゆくのです。

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2020年08月24日

●親からの教えを大切に残していく

先日からツヅレサセコオロギが鳴き出しております。伊藤ハル刀自(伊藤コウ師の御母堂)は「このコオロギは『綴れさせ、寒越させ』つづくりをしなさい、寒い冬がきますから今のうちに準備しなさい、と鳴いているのですよ」と教えられたのでした。

★そうした内容を御隠居様が娘さん方に教えておられ、口伝えで現代にも残して下さっているということが有難いですね。お教会でもみ教えを頂いたことが、次の代また次の代まで伝えさせて頂けるということが本当に有難いことです。親が伝えて下さっているところを、私達が大切に残していくことを心掛けていかねばなりません。

★すぐに「今の時代には合わない」とか「それは昔の話だから」と言いやすいですが、そういうことを言うておりますから、段々と間違った方向へ舵取りをしてしまうということになるのです。いつの時代にも変わらぬ理というものがあります。その一つが天地の道理ですね。天地の道理は普遍的なものでございます。そして有難いことに、その中身をしっかりと求め求めさせて頂いていく生き方を、教祖様は私達に残して下さっているのです。しっかりとそのご内容を頂いていかねば相済まないと思わせて頂きます。

★『「信心はやすいようでも、なかなかむつかしい。神の言うとおりにせぬからむつかしいのぞ」と金光様は言うてござった。親の言うことでも、なかなか聞けるものではない。親が無理を言うように思えるものじゃが、親の言うことを聞かなかった子が後で難儀をする。ご信心する者でも、神様の仰せが無理のように思えて、言われるとおりにせずにおると、後で困ることができる』

★つい親子の間でも甘えが出ます。小学校高学年や、中学生になれば反抗期などと言われたりします。順調に成長している証拠なのですが、成長が進むにつれて、親に反発したりすることも起こってきます。後で考えましたら「なぜあんな無茶を言っていたのだろう」と振り返りますが、我が強くて、それに捉われて抜け出せなくなったりもします。それを正して頂くのが神心です。惻隠の心(慈愛の心)・是非の心(善悪を判断する心)・辞譲の心(辞して譲る心)・羞悪の心(己の悪を恥じ憎む心)など、皆生まれながらに有難いものを頂いております。そうしたものをしっかりと大きく育てていくのがご信心です。

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2020年08月23日

●「信心辛抱」の徳で道は開ける

 藤原佐理・藤原行成と並んで「三跡」の一人、小野道風が描かれた人形浄瑠璃「小野道風青柳硯」にこんな話が出てきます。いくら書いても書が上達しないと悲観していた小野道風が、しとしと雨が降る日に道を歩いていると、柳の下にいる一匹のカエルがふと目に留まりました。柳の小枝にしきりに跳びつこうとしている雨ガエルは、跳んでは落ち、跳んでは落ち、何度落ちても止めようとしませず、遂には柳に跳びつくことが出来たのです。道風は「私は悪筆で書いても思うように上達しないと思い込んでいたが、そうではなかった。まだまだ稽古が足りなかっただけであった。こんなことで諦めてはならない。このカエルが教えてくれているではないか。」と悟り、それから道風は精進を重ねて書の第一人者となったというお話です。

★阿倍野教会では、学生さんが試験のお願いのお届をなさる時にでも、ただ、合格しますように、良い点数が取れますように、とお願いなさるのではなく、入試であれば、「希望の学校に合格出来るだけの、努力をさせて頂けますように」とお願いなさいます。そのように、正しいお願いの仕方を教えて頂いていることは、真に有り難いことだと思わせて頂きます。

★困難に直面した時にでも、「自分にはとても乗り越えられない」と、自分の力を自ら限って諦めるほど、神様にご無礼なことはありません。「どうぞ、この問題を通しておかげを頂かせて下さい。信心辛抱させて頂いて、問題を乗り越えるだけの徳と力を頂けますように」とお願いさせて頂いて、信心辛抱をさせて頂く覚悟を持たせて頂くことが、道が開ける元となるのです。

★『辛抱するがよい。辛抱というぼうは強い棒じゃ。何を担うても折れるようなことはない。もし折れたり曲がったりしたら、それは辛抱じゃない。金光様は、『信心辛抱』と言うてござったが、おかげを受けようと思えば辛抱になければならぬ。信心は長う続かねばならぬ。長うて強い信心辛抱には、どのくらいなおかげを担えるやらわからぬぞ。先を楽しんで信心辛抱さしてもらうがよい。』

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2020年08月22日

●仕事は神様のお手伝い

『神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ』

★甘木教会のご信者が、み教えを頂かれたご内容です。安武松太郎師のお結界へ進まれたその方は、「麦まきの時に、あることで夫と衝突して喧嘩をしながら蒔きましたが、その麦が一向に生えません。」とお届けされました。すると、安武松太郎師は「それはそのはずだ。人が麦を作るのではない。麦をお作り下さるのは神様で、人は神様の御業を翼賛し奉るのである。いわば、お手伝いである。たとえて言えば、親が野らに出て働いている。子供は日曜日だから、お父さんの加勢をしようと、兄弟そろって手伝いにきて、仲良く手伝いもすれば親も喜ぶが、喧嘩をしいしい加勢をしたのでは、親も困るだろう。人間で出来ぬところは、神様のご領分。神様で出来ないところは人がさせて頂く。それで人の働きを仕事(つかえわざ)というのではないか。神様の大みかげの一端にも報答させて頂きたいという精神が、働きというかたちになって表れたのが、仕事でなくてはならぬ。」とみ教えなされたのでした。

★私達は生活をさせて頂く上で、心からお礼を申して万物を拝む、ということを心掛けなければなりません。神様のお許しを頂いて、現在使わせて頂いている土地や建物を拝ませて頂きましょう。また、職場では会社や工場、機械などを拝ませて頂き、御神徳に満ち満ちた場所となるように心がけてゆきましょう。働いて下さる方々を拝み、その方々が助かる場として職場が成り立っているのであれば、そこから多くの有難いものが生み出されることだと思います。皆が不平不足ばかり言って、互いに争っており、働く方々が助からない場となっていれば、そこで作られるものは有難いお徳に満ちたものにはなりません。神様の御心に適うよう、お世話になる全てのものを拝み、和らぎ喜ぶ心をもって、お互いに有難く、神様のお手伝いをさせて頂く心持ちで働かせて頂きましょう。
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2020年08月21日

●心の掃除をするつもりで

 ある熱心なご信者は、毎朝起きましたら、まず神様・霊様を拝み、その後に台所と階段を拝ませて頂くのだそうです。トイレを拝みお風呂を拝み、毎日使わせて頂いているところ全てを拝ませて頂くということが、有難い御神徳を身に蒙らせて頂ける信心にならせて頂けるのですね。

★雑巾を硬く絞って木製の階段を拭かせて頂きますと、毎日使わせて頂いて、ホコリや垢が付いておりますから、相当、雑巾に汚れが付きます。何の気なしに毎日何度も階段を使わせて頂いておりますが、御礼の申し様が足りないことばかりです。階段無しに二階に飛び上がったり、よじ登ったりは出来ません。階段に使わせて頂いているお礼を申しながら、力を入れて拭かせて頂いたことでした。

★教会のお広前は毎朝、先生方が掃き掃除をし、掃除機をかけた後に拭き掃除をなさいます。拭き掃除をさせて頂いた後には、どうしてもへりのところに小さなゴミが集まってしまいますので、必ず最後の仕上げをさせて頂きます。生活をさせて頂く上で汚れは必ずついてきます。布団の上げ下げや着替えをするだけで塵やほこりは舞います。

★光が差してない時はホコリや塵は見えませんが、光が差した時には空中に漂っているホコリが見えます。私達はご信心させて頂きながら、普段見えていないところに焦点を当てて、見させて頂く目を持たせて頂くことが大切ですね。そこをしっかりと心掛けさせて頂きませんと、お礼を申す事が出来ません。

★『どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い』

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2020年08月20日

●目先の徳よりも、先々の徳を取る

昭和32年にこのお広前が完成した後の頃のことです。あるご信者が、真心から中古車をお供えしようとなさったことがありました。その時に二代教会長伊藤コウ師は「あなたの真心だけは、神様にお取次させて頂きます。教会は今、ご建築が終わったばかりで、電気代やガス代、水道代を支払うことで精いっぱいです。旧広前の頃に比べると、経費は大変多くなっており、全く余裕がない状態です。維持費を払うことも、運転手さんを雇うことも出来ませんので、今の教会には、車は分不相応なのです。それでは宝の持ち腐れになり、勿体ないことになりますので、車はお持ち帰り下さい。先々には維持費も出せて、運転手さんも雇わせて頂くことが出来る状態になったら、現金で買わせて頂きますので、ご理解ください。」と仰ったのでした。納得されたそのご信者は、「先走ったことをいたしました。申し訳ありませんでした。」とおわびを申されて車を持ち帰られました。

★すると、別のご信者が「先生、頂いておかれたら宜しいのに…。いらなければ売られたらいいのです。」と言ってこられたのです。コウ師は「教会は、人様の真心を踏みにじるようなことは出来ません。それこそご無礼です。」と仰せになり、そのお方も理解されたのでした。

★私達がご信心させて頂く上で大切なことは、全てを生かしてゆくということです。お土地を生かし、建物を生かし、人を生かし、物を生かし、自分自身を生かし、時間を生かし、お金を生かし、全てを生かしてゆくということです。真心を以ってお供えになったものは、生かしてお役に立たせて頂けるようにしてこそ、人の真心を生かしてゆくことになるのです。

★孔子の論語の中に、「利によりて行えば、怨み多し」という言葉があります。これは、「自分の利益ばかりを考えて行動をすると、人から恨まれることが多くなる」という意味です。目先の欲得を取るよりも、先々の徳を頂くことを考えさせて頂いて、有難く人のお役に立たせて頂く働きに努めさせて頂きましょう。
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2020年08月19日

●御霊地は、初心に帰らせて下さり、気付かせて下さる場

 17日には、御本部へ代表参拝をさせて頂いて、有難い御霊地のお徳にふれさせて頂き、勿体ないことでございました。その時に、お広前や境内地で思い出させて頂いたことです。

★ずっと以前の御本部御礼参拝の日、あるご信者がお土産に金光饅頭をたくさん購入し、金光町内を歩いておられました。すると、お広前での一斉御祈念を終えられた二代教会長・伊藤コウ師が、前から歩いて来られるのが見え、とっさに両手に下げていた饅頭を体の後ろに隠されたのだそうです。その時、コウ師から「あのなぁ、人に気を遣うのも良ろしいが、神様にどれだけ気を遣って御礼させて頂いておりますのか。」と一言み教えを頂かれたのでした。今でもそのことが忘れられない、とそのご信者は何度も私に話して下さいました。

★三代教会長先生の隨行をさせて頂いて、御本部御礼参拝をさせて頂いた時のことです。ある学院生の方にお会いしたのですが、その方は、私が高校に教員として勤めていた時の先輩の先生でした。久しぶりにお会いして、ご挨拶をさせて頂いてから、「ところで伊藤先生、先ほど誰かとお話ししておられた時、神様に背を向けて人の方に向いておられましたが、それはちょっと違うのではないでしょうか。親先生(三代教会長先生)は、ご神前に向かってご祈念なさっておられるのですから、そのお姿を習われた方がいいと思いますよ」と、指摘して下さったのでした。それは、遠方からお参りなさったご信者が挨拶をなさった時のことで、お広前の階段近くで、ご信者に応対していましたので、私はご神前に背を向けた形になっていたのでした。真にその通りであると反省させて頂き、その方のお口を通して大切なみ教えを頂いたことを、神様、金光様に御礼申させて頂いたことでした。

★人や出来事にばかりに心が向かっていている時には、神様に心が向かっておらず、信心させて頂いている姿とは言えません。常に神様に心を向ける姿勢を初心に戻って心掛けさせて頂きたいと思います。

★『信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。』

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2020年08月18日

●わが心から練り出すということ

研修会が開かれた際に、他教会のご信者が二代教会長伊藤コウ師に「教祖様は『信心は話を聞くだけが能でない。わが心からも練り出すがよい』とみ教え下さっていますが、どうすれば自分の中から練り出せるのでしょうか。また一方で、教祖様は『此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。話を聞いて助かるのである。』ともみ教え下さっておられます。相反するようにも思えるのですが、どういうことでございましょうか?」と質問をされました。するとコウ師は「それは、お広前でみ教えを聴いて、聴いて聴いてしっかりと聴き込んで、頂いたみ教えを十分に自分のものに修得することです。そして、み教えを繰り返し繰り返し実践していく、それがわが心から練りだすということですよ。」とお話しなさったのでした。

★実は一つのことを仰っておられるのですが、段階があるということです。み教えをしっかりと聴き込んで頂き直して、その中から有難いものが生まれてくるのです。ある先生は、「同じ話でも千遍も聴かせて頂かないことには、本当の信者とは言えない」と仰るほどに、み教えを自分のものにさせて頂くには、何度もみ教えを頂く必要があるのです。み教えは壮大な御内容であり、様々な観点から説いて頂いていますので、一度、二度、十度聴かせて頂いても一部分だけしか頂いていない。そしてまだ表面的な聴き方しか出来ておりません。学ぶという事も同じことです。最初は、表面だけ理解しますが、何度も学ばせて頂くことにより、深く広く理解させて頂けるようになるのです。

★そうして、何度もみ教えを頂き、咀嚼し、消化、吸収して、自分の中にみ教えが刻み込まれましたら、次には実践をしていくという事です。繰り返し繰り返し実践していくということが、わが心から練り出すという事に繋がってゆくのです。日々反復練習しながら実践し、身について離れない姿にならせて頂きますと、様々な場面で新しく生み出されるものが出来てくるのです。そして、気が付いた時には何とも言えない味が出て、新しい自分に生まれ変わってゆくのです。
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2020年08月17日

●女の信心が神様のお喜びである

 教祖様は男尊女卑という時代において、女性の信心について実に広い考え方をなされ、『女は神に近い。信心は女からじゃ』とみ教え下さいました。女性の頂いておられるお役目を、どれほど尊重しておられたかということが、良く分からせて頂けます。また『女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ』ともみ教え下さっておられ、女性のお役目を大変重視なさっておられました。

★二代教会長先生のご時代に「毎日毎日洗い物をして洗濯ばかりして、こんなつまらんことありません。家で働いていても、外で働いている人みたいにお金を生み出すことは出来ませんし・・・云々」と言った方がありました。二代教会長先生は『それは大きな間違いですよ。家族が心も体も健康で、どこへ行ってもお役に立たせて頂けるような働きが出来るようにならせて頂く為には、家の中が整っていなければそうした働きは生み出せません。家の中を整えさせて頂くことが家事育児ですよ。外に働きに行って十全な働きをして頂けるということは、家の中でそれだけ衣食住に心配りをして下さる人がおられるからです。それは全てを生み出すための大切なお仕事なのです。そうした役割をしっかりと分からせて頂いて、家事育児ほど有難く大切なものはない、と心掛けてさせて頂くところに、立派な家庭が出来ていき、人が育っていくということになるのですから、女性の頂いているお役目というものは実に大切なことですよ。家老としての徳と力を頂いていかねばなりません。家を正しい方向へ引っ張っていく、機関車としての働きをさせて頂かなければいけませんよ。そうして、素晴らしい方向へ導かせて頂けるようにおかげを頂きなさい』とみ教えなされたのでした。こんな有難い仕事はない、こんな結構なお役目はない、と心から喜んでさせて頂くところに、立派に心が育っていき、人が育っていくわけですから有難いことですね。

★『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。神様の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神様へ参らん時に信心することがたくさんあります』

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2020年08月16日

●霊様がおとりなし下さる

三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのです。桂岡正三氏は同じように訓練を受け、戦場に出征なさった後、フィリピンで戦死なさったのでした。それ以降、三代教会長先生は、その方のお墓も常に拝んでおられたのでした。

★すると、ある日突然、その方のご遺族から教会に「伊藤良三先生に祭主におつき頂いて、墓前で50年祭を仕えて頂けますでしょうか?」とお電話があったのです。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが霊様に届き、霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。

★願いを持って、日々真心込めてご祈念しておりますと、神様にも霊様にも届いてゆきます。ご先祖の霊様方が足りないところは足して下さり、生神金光大神様におとりなし下さるのです。そうしてお働き下さる存在があられるということは有難いことですね。私達が現在生かして頂いているのは、ご先祖がおられたからです。多くの命の上に、現在の私達が生かされていることを自覚させて頂き、悪癖・悪習慣を改めさせて頂き、良い癖・良い習慣に変えさせて頂くことが大切です。そして、次の代、また次の代へと、良い生き方を伝えていくことが出来ますように、共々に日々信心に励ませて頂きたいと思います。

★『死ぬというのは、みな神のもとへ帰るのである。魂は生き通しであるが、体は死ぬ。体は地から生じて、もとの地に帰るが、魂は天から授けられて、また天に帰るのである。死ぬというのは、魂と体とが分かれることである。』『人間は万物の霊長であるから死したる後、神に祀られ神になる事を楽しみに信心せよ。』
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2020年08月15日

●神様は真心をお受け取り下さる

 阿倍野教会の初代教会長・伊藤徳次師の実父であられる池田太市氏は、甘木教会でご神縁を頂かれ、熱心にご信心を進められました。太市氏は、福岡県浮羽郡吉井町から甘木教会へ歩いて参拝なさる途中、筑後川を渡って参拝しておられました。歩く距離はおよそ4里(約16キロ)であったそうです。小料理屋を営んでおられた太市氏は、甘木教会の金光四神様の10年祭のその日、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁つとに入れて、下げて参拝なされたのです。川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから藁つとを水につけたところ、鯉が逃げてしまったのでした。

★太市氏は船頭さんにお願いをして、もう一度鯉が逃げたであろう所まで戻られました。すると、川の流れがあるにもかかわらず、その鯉が逃げたその場所にとどまって、水面から一尺ほどの所にいるのを見つけたのでした。そして、網で捕らえて甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られたのです。甘木教会の初代安武松太郎先生は、ことのほか喜んで下さり「あなたが真心で願ったので、途中で神様が水に付けねば鯉が死ぬかもしれんというので、そのようになさったのです。それで鯉は元気になりました。あなたの真心が神様は受け取って下さったのです。」と仰って下さったのでした。祭典後に鯉をほどかれますと、まだ元気に生きていたので、甘木教会の池に放されました。そして、それから10年後の金光四神様の20年祭の時には、なんと三尺(90センチ)に育っていたそうです。

★『信心は手厚くせよ。我が家で信心しておりますというのは、信心の抜けはじめである。』とみ教え頂いておりますように、家の御神殿でご祈念をさせて頂き、ご信心を進めさせて頂きつつ、時間を繰り合わせて教会に参拝させて頂くということは、それだけの真心を神様に向けさせて頂くことになり、その真心を神様は必ずお受け取り下さいます。大きな真心を神様に向けさせて頂くことが、有難いことを実感させて頂ける元になります。

★『毎日の参拝は、近い人であれば、井戸で水を汲み上げるようにお徳を頂きなさい。遠い人ならば、大八車に徳を積んで帰りなさい』(二代金光様のみ教え)

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2020年08月14日

●素直な信心・御礼の信心

 昨日は、平成29年98歳でお国替えなさった藤原房夫氏の御命日でした。藤原氏は、昭和25年、郷里の広島県福山市から、2歳の長男を連れて大阪に出て来られました。古い家の2階の三畳と四畳半の二間を間借りし、炊事は物干し場で、藤原氏が軍隊から持ち帰った飯ごうを使っておられたそうです。

★藤原氏が苦しい生活状況をお届けなさいますと、二代教会長伊藤コウ師より、「天地の親神様は、どんなことでも聞いて下さる神様だから、お願いを持ってお参りさせて頂きなさい」「毎月のお宅祭のおかげを頂きなさい」とみ教え頂かれたそうです。また、お宅祭では、「どんなことでも喜んで、不平、不足、愚痴の無い生活をすれば必ず結構になれます。開教30年を目標にしっかり信心しましょう」とみ教えを頂かれ、朝早くから日参なさって、掃除、下足番、数取りの御用にお使い頂くようになられたのです。

★また藤原氏が、伊藤コウ師より朝参りについてみ教えを頂かれた時に、「私は毎日朝参りをしております」と答えられると、「朝参りにも色々あります」とみ教えを頂かれたのです。その時に、「時間に遅れぬようにお参りさせて頂きます。」と答えられ、御祈念が始まる前にはお広前の一番前に座って、御祈念をさせて頂かれ、み教えを頂かれることを続けられたのでした。

★朝参り、日参と聴教、お届け、御礼の御用のお徳を頂かれて、店舗兼自宅の購入、ご家族の健康の上にも、全てに間に合うように有難いおかげを頂いてこられました。また、おかげを頂かれたら、より一層のお礼のご信心を心掛けられ、喜んで御用にお使い頂かれますので、今日も子孫の方々がそうしたご信心を見習われて、ご信心を受け継いでおられますことは、真に有難いことでございます。

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2020年08月13日

●神様・霊様のお守りを頂いて・・・

 8月10、11、12日は、私の命のおかげ日です。ちょうど35年前の昭和60年、学校に勤めさせて頂いておりました時に、8月10日から12日までの予定で出張するはずでありましたところ、10日程前に急遽変更になりました。そして8月12日に日航123便の事故が起こりました。後になってわかったことですが、その飛行機に私は乗る予定であったのです。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、増田家の霊神名簿を持ってくるようにおっしゃいました。調べてみますと、8月10日は、三代教会長先生の御実家である増田の家の姉様・増田のぶ童女霊神様、8月11日は、三代教会長先生の大伯母様・増田よね大刀自霊神様、8月12日は、三代教会長先生のお祖父様・和田亀次郎老翁霊神様の御命日でありました。知らず知らずの内に、神様、霊様のお守りによって、縁に繋がる方々に生命を助けて頂いている事がよく分からせて頂いたことでした。

★私達が今日頂いているお命は、神様のお守りを頂いていることはもちろんのこと、たくさんのご先祖の霊様のお働き・お徳を頂き、願いを受けているお命であることを忘れてはなりません。 そしてその御恩を忘れずに、これからどのような人生をこれから歩ませて頂いたら良いか、しっかりと自覚する必要があります。自分自身がどのようにお命を頂いているのか、どのように生まれ、どのようにお育てを頂き、どのようにおかげを頂いてきたのか、を振り返らせて頂くのです。そして、これからどのように生かして頂くべきか、生かして頂く上で何が大切であるのか、をしっかりと掴ませて頂き、お礼の働き、お役に立つ働きに努めさせて頂くことが大切だと感じさせて頂きます。

★『人生の五計』
1、生計(体の健康、健やかに生きる道を考える)
2、身計(自分の身をどのように役立てるか、社会生活を考える)
3、家計(家庭をどのように維持していくかを考える)
4、老計(衰えないために、いかに年を重ねるかを考える)
5、死計(どのように死に向かうか、死を考える、その間にどのように生かして頂くのか、人生の大切なことを学ぶこと)

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2020年08月12日

●本当にお役に立つ人

佐藤一斎というお方が、リーダーとしての有難い人間像を教えて下さっています。

@山のようにどっしりとした姿勢と挙動の人

A大きな包容力を持つ人

B温かくてゆったりとした風格がある人

C明るく輝く目を持つ人

D大地にしっかりと立つ足を持つ人

Eふっくらとして包み込むような手を持つ人

F思慮深く細心の注意を払える人

G心身共に清く、澄んだ心を持つ人 等々

★仕事がよく出来るというのは、大変結構なことではありますが、仕事が出来ていても、心が険しければ人を傷つけてしまい、絶えず周囲に敵を作ってしまいます。では、どうあるべきなのでしょうか?

まず、偏らないこと。偏屈にならず、幅広く物事を見る事です。

次に、穏健であること。常に温厚で調和が取れていることが大切です。

教祖様は『きれる刃はこぼれる、というが、この方は、きれず、まがらずじゃ』と仰せられました。それは、本当にお役に立つということが、どういう事なのかを教えて下さっているのです。優秀なことを「あの人は、よく切れる」と言いますが、切れ過ぎると人を傷つけてしまいます。かと言って、なまくら刀では人の役には立ちません。本当にお役に立つ人間にならせて頂けるよう、日々み教えを頂いて心に栄養を頂き、神心を養わせて頂いて、全てを生かしてゆく稽古をさせて頂きましょう。

★『玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。』

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2020年08月11日

●ご恩返しを心の中心に

 あるご信者は、近々ご実家でお母様の年祭がお仕えになるということで、ご実家のお兄様から、参拝出来られるか、出来る場合には家族何人で参拝なさるのかと、尋ねて頂かれたそうです。ところが、ご信者のご主人が、ご自分だけではなく、家族が参拝なさることにもあまり前向きではないということで、どうさせて頂くべきか、悩んでおられたのでした。

★その方に「あなたはどう思うのですか?それはあなたの心の問題ですよ。他の環境の問題や、家族の方々の問題ではないのです。よく考えなさい。あなたはどうしたいと願うのですか?」とお話しさせて頂きました。

★ご信者は、自身に問い直され、一心にお願いが出来るようにならせて頂かれました。そして、「お母様の年祭に、何としてもお参りさせて頂きたい。その為に、万事にご都合お繰り合わせを頂けますように、お母様の霊様にお礼申し上げることができますように」というお願いをさせて頂くことが出来られたのでした。すると、ご主人がおられる時に、丁度お兄様から、再度お宅祭のことについて確認の電話があったそうです。ご主人が、「なんの電話や?」と尋ねて下さったので、お兄様から、お母様の年祭についての確認の電話だと伝えると、「どうしたいんや?」と、尋ねて下さったので、「お参りさせて頂きたいです」と答えさせて頂くと、「じゃあ、お参りさせてもらったらいいやないか」と、穏やかにおっしゃって下さったそうです。更に、「子供たちはどうするんや?」と尋ねて下さり、「子供たちに都合を聞いてみます」と、答えられると、「そうか。それなら都合を聞いて、お参り出来るんなら一緒にお参りさせてもらったらいいやないか」と、快諾して下さるおかげを頂かれたのでした。

★自分がどのように考えて、願わせて頂くかが大切なのです。親様、ご先祖様にお喜び頂き、ご安心頂けることを願わせて頂き、中心にさせて頂きますと、目に見えないところまで神様のご都合お繰り合わせを頂き、おかげを頂くことが出来るのです。神様・霊様・親様のことを先に考え、自分の都合は後にして、ご恩を知ってご恩に報いることを中心とした生き方をさせて頂けるよう、日々信心の稽古を積み重ねさせて頂きたいと思います。

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2020年08月10日

●おかげを頂く元、おかげを落とす元 

あるご信者のお家で、「可哀そうな人だから」と女中さんに雇って頂かれた女性がありました。ところが給料日になると、働き盛りの年頃の息子さんが、母親であるその女中さんの給料をむしり取って行くので、女中さんはいつもお金に困って、難しい顔をされていたのだそうです。かまどでご飯を炊いていた時代の話ですが、この女中さんがご飯を炊かれましたら、必ず焦がしてしまわれるのでした。

そして、毎回その「おこげ」をゴミ箱に捨ててしまうので、家の主人であるご信者は[私は「おこげ」が好きだから捨てずに残しておいて下さい。]と女中さんに仰いました。しかし、食事の後にゴミ箱を見てみると、そう言ったにも関わらず「おこげ」が捨てられてあったのです。ご信者が再度、同様に女中さんに言われると、今度はゴミ箱には捨てられていませんでしたが、汲み取り式の便所に捨てられてあったということでした。

★二代教会長伊藤コウ師はそのご信者に「その女中さんに辞めてもらいなさい。何回言っても理解が出来ず、改まりが出来ない方を家に置いておくと、あなたの家が立ち行かないようになります。使用人のご無礼は主人のご無礼になります。こんなご無礼を繰り返していては、あなたの家のめぐりとなります。」とお話しになりました。

コウ師がここまでおっしゃるのは余程のことです。何事にもおかげを頂く元があり、またおかげを落とす元があります。与えて頂いているものを粗末にして、毎日めぐりを積み重ねて、自ら不幸の元を作ってしまい、さらには周囲が結構にならない元を作ってしまっていては助かりません。「どうぞ家老としての使命を全うさせて下さい。家の中のあらゆることは私の責任です。家老としての徳と力を頂き、大きなお役目を果たすことが出来ますように。」と願い、おかげを頂く方へ舵取りをさせて頂きましょう。

★『ご無礼である、お粗末であるというが、商売人がはかりの目盛りをごまかしたり、人の目をくらましたり、農業する人が山や田畑の境目を勝手に動かしたり、水や食べ物を粗末にしたり、自分の勤めをおろそかにしたりするほど無礼はない。人の目をくらまして得をしようとするから、損をしてたおれる。境目を欲張るから、その田畑を放さなければならないようになる。食べ物を粗末にするから食べられないようになる。勤めをなおざりにするから仕事は逃げ、働けないようになる。みな、無礼粗末の心がもとでそうなるのである。』

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2020年08月09日

●常平生まめであることの幸せ

 昨日はみかげ会例会が開催され、三上氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★三上氏は昭和57年に結婚し、奥様のお母様からお導きを頂かれました。平成27年12月5日、背中が破裂するような激しい痛みが走り、搬送先の病院で急性大動脈解離と診断され、心臓外科のある病院にて8時間に及ぶ緊急手術を受けられ、無事成功のおかげを蒙られました。

★大動脈解離の裂け目が冠動脈や心臓まで達したら、心筋梗塞や脳梗塞になり助からないそうですが、三上氏の場合は冠動脈の手前で亀裂が止まっていたのでした。発病後すぐに、救急車を待ちながら、奥様が三上氏の背中に御神酒を付けられたので、心臓の手前で止めて頂いたのだ、と神様の有難さを改めて分からせて頂かれたということです。さらには、普段でしたら夜遅くまで一人で会社に残ったり、出張に出ていたり、島根県の実家で一人暮らしのお母様のもとを訪れるために、長時間一人で車の運転をすることもあられ、どの場合で発病していても助からなかったことでしたが、発病した時が土曜日で家族がおられたことも、御都合お繰り合わせを頂かれた結果であったと振り返っておられました。

★また緊急手術の4ヶ月後、人工血管に置換した部分から下の、亀裂の残っている大動脈をステントで補強する手術も、全身麻酔で6時間以上要しましたが、無事成功のおかげを頂かれました。この手術の為の検査を受けた際、脳に動脈瘤、さらには心臓の冠動脈に狭窄が見つかられたのです。命に関わるような病気が2つも見つかり、脳の手術も冠動脈の手術も無事成功され、計5回の手術すべてにおかげを蒙られたのでした。

★おかげ話の中で三上氏は「すべてがおかげで繋がっていて、大動脈解離の発症がおかげだと思わせて頂きました。入院中や自宅療養中は、身に染みて病気前の健康の有難さを感じます。生きていて寝起きが出来て、人と話が出来てご飯を食べて歩き、仕事が出来て【普通】と言っていた生活が出来ることは、実は普通ではなく、神様・霊様のお守りのおかげだと思います」とお話しなされていました。

★私達が通常の生活をさせて頂いているということが、どれほど有難いことか、どれほど幸せなことでしょうか。その本当の有難さは、何かが起こってこないとなかなか分かり得ない一面があります。病気が治ったから有難いのではなく、常平生まめで、通常の生活をさせて頂けるということが有難いのだ、と気付かせて頂かれたのでした。

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2020年08月08日

●心を改めることが肝心

三代教会長先生のご在世中に、阿倍野教会にもおかげ話をしに来て下さっていた吉良藤右衛門氏という方がおられました。

★吉良氏が30歳の時、お月見をなさっている最中に、急に月に雲がかかって見えなくなったように感じ、視力が低下していることに気付き、それから後に両眼とも失明されることがあられました。そこで、一生懸命に願をかけてお願いなさったのですが、肝心要の「心を改める」ということが出来ておられませんでしたので、秋から冬へ、冬から春へと季節は移り変わってゆきましたが、一向におかげは表れてきませんでした。

★「こんな状態では生きていられない・・・」と失望のあまり、死を覚悟された時のことです。お母さんの顔がふと思い浮かばれたのでした。これまでお母さんが一生懸命育てて下さったのに、気にも留めず随分遊び暮らしていたのでした。「30歳の自分が将来を悲観して死んでしまっては、自分はそれで良いかもしれないが、年老いた母親はどうなるのだろうか。自分自身が老後のお世話をしなければならないのに、勝手に死んでしまっては、母親はどれだけ嘆くだろう・・・」ということに気付かれたのです。それまでは自分のことで精一杯でしたが、初めて真剣に親のことを思えるようになられたのでした。そして「これからは母親に親孝行をさせて頂かなければ申し訳ない。今一度、神様に改めてお願いをさせて頂こう。親にご恩返しの出来る私にならせて頂く為には、目が見えさせて頂き、働かせて頂けますように。もし、この願いを聞き届けて下さるのでありましたら、贅沢は一切謹んで、どんな仕事でも厭わず喜んでさせて頂きますので、どうぞ生まれ変わらせて下さい。」と真剣に願わせて頂く気になられたのです。そして、子供の頃から連れて参って頂いていた、金光様の教会にお引き寄せを頂かれたのでした。そして、改まりを誓われてお広前にお参りし、お取次ぎを頂いて、み教えを頂かれるようになられたのです。

★涙ながらにお願いし、家に帰られ地面にひれ伏して神様にご祈念されました。そしてふと顔を上げますと、風呂の焚口に落ちていた新聞の見出しが見えるようになり、それから晴眼のおかげを頂かれたのでした。その後は、お礼のご信心に励まれ、ご縁に繋がる所でおかげ話の御用にお使い頂かれたのでした。

★『神は一つ一つ実地の学問をさせるのじゃから、その日その日はみな手習いじゃなあ。手習いは坂に車を押すがごとくという、油断をすればあとへ戻ります。信心も同じことじゃなあ。』
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2020年08月07日

●生命の大切さを自覚する

 1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い生命が奪われたのです。私達は御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、努力してゆかねばなりません。

★昭和34年に石垣りん氏が書かれた詩集の中の『挨拶』という詩を見させて頂きました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。『あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた。』

★毎年8月6日はやってきます。そして、毎朝8時15分はやってくるのですが、その時、私達は今生かして頂いているということを毎日心の底から感じているでしょうか。世界中に一つしかない、それぞれに与えて頂いた生命は、大変尊いものであり、何物にも代えられない生命です。戦後75年を迎えた今、有難いことに日本は復興を遂げ、平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今も、さまざまな社会問題が世界各国で起こっています。日々平穏無事に生活させて頂いていることは、当たり前ではないのです。何気ない日々の一瞬が、生と死を分ける狭間となり得るのです。神様から与えて頂いた、尊いかけがえのない生命を大切にし、頂いた使命を全うさせて頂けるように、信心と御礼の働きに努めさせて頂きましょう。

★『信心する人は神様の守りを心にかけており、万事不都合のないようにするのが信心である。国のため、人の身のため、わが身の上も思い、万物を粗末にせんような、真の信心するがよろしい。百姓の人は、一粒の種から積もれば何石というようになるのも知っておられるが、一人がおかげを受けたので千人万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心するがよろしいなあ。』

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2020年08月06日

●積徳の信心を心掛ける

 先日、大学4年生のご信者が、いくつかの会社から就職の内定を頂かれ、第一志望の企業からも内定を頂いたということで、御礼のお届けをなさいました。

★その方が、就職試験の面接を受ける前にお届けに来られた時には、「いつも感謝の心を厚くして、御礼を申しながら受けさせて頂きましょう。笑顔を忘れないように」と、お話しさせて頂いておりましたら、マスクを着けたままの面接であったにも関わらず、「あなたは笑顔が素敵ですね」と、面接官の方に言って頂いたということです。常平生から、み教えを頂いて、喜びと笑顔を心掛けておられたからこそ、マスク着用下の表情でも笑顔が溢れておられたのでしょうね。

★神様に、就職内定のお礼を申し上げまして、「ここからが大切ですよ。社会人にならせて頂く準備が大切です。その為には、信心のお徳を頂かねばなりません。なぜなら、社会人にならせて頂いたら、有り難い縁をつないで頂くことがとても大切になります。人との縁、会社との縁、職場との縁、会社の同僚、上司との縁、取引先との縁、業者との縁、あるいは、車を使わせて頂くにしても車にも個体差がありますから、事故もなく故障もなく、長持ちする車にお繰り合わせを頂くことなど、全てにおいてよい縁がつながってゆくよう、しっかりご信心させて頂きましょう。日参と聴教、お礼の働きをさせて頂いて、お徳を積ませて頂くことが大切なのですよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★五事を正す
一、貌・・・和やかな顔つきで人と接するように
二、言・・・思いやりのある言葉で話しかける
三、視・・・澄んだ目で物事を見つめる
四、聴・・・耳を傾けて人の話をきく
五、思・・・真心を込めて相手のことを想う

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2020年08月05日

●真心を尽くしておかげを頂く

 二代教会長・伊藤コウ師がお聴きになって、「私はこのように真心を尽くしてきただろうか?出来ていなかったなあ。」と反省をなさったお話があります。

★ある夫婦のお話です。ご主人は非常に酒が好きで、毎日仕事もせずに酒を飲んでおりました。酒を買うお金が無くなったので、奥さんは着物や家財道具を売って、酒に変えておられたのです。親族には「もう別れて帰ってこい」と言われていましたが、奥さんは決して帰られませんでした。とうとう、家にある物を全部売ってしまいましたが、ご主人が「酒をくれ。」とおっしゃるので、奥さんは外に買いに行かれたのでした。帰ってきて食事の用意をされ、酒を注がれると、ご主人が「なぜ頭に手ぬぐいを被っているのか。取れ。」とおっしゃいました。奥さんは「今日は訳がありますので、勘弁して下さい。」と答えられましたが、「取らないなら、わしが取る。」と、ご主人が手ぬぐいを取ってしまわれたのです。すると、奥さんの長かった黒髪が、短く切られてあることに気付かれました。売る物が無かった奥さんは、自分の髪を売って酒に変えていたということでした。驚いたご主人は両手をついて、「どうぞ、許してくれ。今日から酒もやめる。よく辛抱してくれた。」と涙をこぼして謝られたのでした。

★島之内教会で渡辺かてい氏(作家)の前述のお話を聞かれ、コウ師は、「奥さんの真心が伝わって、このご主人が改まって下さったように、人は真心を尽くせば、それが伝わって改まって下さる。教祖様が神様にどこまでも真心を尽くされたように、私も、神様に徹底して真心を尽くさせて頂けば、どんな願いでも叶えて下さるに違いない。そのような信心をさせて頂かなければならない。」と心に決めさせて頂かれました。

★『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』

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2020年08月04日

●真心からの願いが神様に届いてゆく

私が教師にお取り立て頂いて間もなくの頃のことです。お結界に座らせて頂いておりましたら、京都府からご参拝のあるご信者が「先生、Y君をご存知ですか?」と私に尋ねられました。Y君とは私が学校に勤めておりました時に、担任を受け持たせて頂いた生徒でした。そのご信者は彼の近所に住んでおられ、ご信者は「Y君は卒業したのですが、志望校へ進学できなかったので今、浪人中です。あの子に助かって頂きたいので、おかげを蒙られますようにお願いして下さい」とお届けなさったのです。そこで「Y君に会う機会があられましたら、阿倍野教会に連絡を取るように仰って頂けますか?私も御祈念させて頂きますから、どうぞよろしくお願い致します」とお話しさせて頂きました。

★その翌日、Y君から電話を頂き「昨日○○さんとお話してたんですよ。○○さんから事情を聞かれましたか?」と聞くと「いいえ」というのです。話を聞きますと「どうしても電話がかけたくなってかけました。今日参拝させて頂いてもよろしいですか?」とのことでした。その日に参拝なされ、一緒に横についてお結界でお届けをさせて頂くことが出来たのでした。Y君は色々悩みを抱えておられたのですが、その後も機会あるごとにお参りをなされ、翌年の春には無事志望校へ合格のおかげを頂かれました。

★それまで、私と彼が連絡を取り合っていたわけではありませんのに「参拝したい!」と思われたのは、彼のことをお届けして下さったご信者の真心が、御取次を頂かれたことによって神様に届いたからです。そして私も、ご信者の真心によって御用にお使い頂くことが出来たのです。現代社会では、電話をかけるとか、メールを入れるなど、相手に伝える手段は様々ありますが、ご信者の実意丁寧な真心のこもったお願いによって、その学生さんの心に神様が働きかけて下さったのです。

★生神金光大神様のお取次を頂いて、天地の親神様の御神徳を頂きますと、生活の様々な場面で、広く深い神様の有難いおかげの体験をさせて頂くことが出来るのですね。

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2020年08月03日

●御恩を忘れず、おかげの元を忘れない

『金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる』とみ教え下さっています。それは、御祈念をさせて頂くところに、立ちどころに来て下さって、祈りを受けて下さるということです。常に心中御祈念をさせて頂くということは、迷いのないことであり、油断のないことです。常に、神様と共にある生活をさせて頂き、霊様とも共にある生活をさせて頂くのです。有難いことに、霊様に御祈念させて頂きましたら、その祈りを受けて下さって何重にも足して下さり、生神金光大神様におとりなし下さるのです。

★御神米をお供して、行く所、行く所で心中御祈念をさせて頂き、心を神様に向ける稽古をさせて頂きましょう。私達は、教会や家では御神殿を拝む目当てにご祈念をさせて頂いておりますが、外出をしたら、御神米を小さな御神殿だと思ってお供して、いつも心中御祈念をしながら、おかげを受けられたら良いのです。

★元を忘れないようにご信心させて頂くことが大切です。わが家であれば、わが家がおかげを頂いてきた元を忘れないようにさせて頂きましょう。そしてお道の信者であれば、教祖生神金光大神様を始め歴代金光様が、み教え下さったご信心をしっかり習わせて頂いて、間違わずに実行させて頂けるよう、心掛けさせて頂きましょう。『金光大神が教えたとおりの信心をすれば、教えただけのおかげの立つことは、神が請け合ってやる。一分違えば一分、二分違えば二分、おかげも違うものと思え』

★御恩を忘れてしまいますと、自分自身を忘れてしまっていることと同様です。どのようにして生まれ、どのように育てて頂いたのか、また、どのようにおかげを受けてきたか、その元忘れてはならないということです。実意をもってお願いをさせて頂くことが大切です。信心の中身を薄れさせてはいけません。常に神様に心を向けさせて頂けるということが、自分自身の信心を強く確かなものにさせて頂けるのです。

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2020年08月02日

●目に見えるのはほんの一部分

 以前、教会の南境内地に植えてあった松に虫がついたことがありました。ご信者が松の木の辺りを掃除しておられた時に、虫を見つけて教えて下さったのです。早速見にいってみますと、松の葉っぱ程の細い小さな虫が沢山ついていましたので、見える範囲で取らせて頂きましたが、念のため、専用の殺虫剤で松の木全体を消毒して頂きました。すると、木の下にそれは沢山の虫が落ちていたのです!見えていた虫は全体のほんの一部であり、見えない所も含めた木全体に虫がついていたのだと分からせて頂いたのでした。

★甘木教会の初代教会長・安武松太郎師は、病気平癒を願って参拝なさったご信者に、『ここは教会だから、神様の教えを話してきかせ、信心の稽古をするところで、家庭はいわば、檜舞台。教会で習ったところを、家の檜舞台で踊りそこなわないように、しっかり信心の稽古をさせて頂きなさい。』 さらに『この神様は、病治しの神様ではない。心を直す神様であるから、心が助かれば、病気もおかげになる。神様にお願いした以上、神様にお任せ、お預けして、自分は病気のことを忘れて、ひたすらに信心の稽古をさせて頂きなさい。』とみ教えを下さっています。信心の稽古とは、日々の生活の中で、喜ぶ稽古、お礼を申す稽古をさせて頂くことです。何か問題が起きてきた時には、自分の心、生活習慣等の中の至らない所が、形となって現れてきたのだと分からせて頂き、生神金光大神様のお取次を頂きつつ、改まらせて頂くことが大きなおかげとなるのです。

★親は親として、子は子として、経営者は経営者として、従業員は従業員として、各々が神様から頂いたお役目を有り難く全うさせて頂くことが出来ているか、常に見直し、聞き直し、考え直しをしながら、信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

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2020年08月01日

●我欲を放れて、毎日を楽しむ

 7月1日から始まりました夏の信行期間も、昨日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には各々にご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げております。それぞれに信行期間中に取り組ませて頂き身に修めた有難い内容が、8月もしっかりと継続させて頂けるよう、より一層ご信心を進めさせて頂きましょう。銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様にご報告をなさり、御礼を申し上げられますように。その際に、御神酒一合瓶をお下げ頂きます。御神酒で悪毒病毒をお取り払い頂かれ、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈り致しております。

★中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、子供さんを育てられました。

★亀太郎師は、小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で、生きてゆくことも出来られない程の思いにかられ、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、亀太郎師が自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。少し残った腕で脇にお箸を挟んで食事も頂かれました。

★亀太郎師は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として 1)「より健康にならせて頂いたこと」 2)「不自由の少ないこと」 3)「明朗になったこと」と仰られました。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。私達は、そのことを考えますと、不自由ということを口に出すことは全くご無礼であり、申し訳ないことと思わせて頂きます。不平不満を口に出さず、今日一日今日一日、喜んで御礼を申す生活を進めさせて頂きましょう。

★『信心して我欲を放れて毎日を楽しみ、日に三度の食事を有難いと気がつけば長者じゃ。信心して長者の暮らしをしなさい。』(二代金光四神様み教え)

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