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2020年08月08日

●心を改めることが肝心

三代教会長先生のご在世中に、阿倍野教会にもおかげ話をしに来て下さっていた吉良藤右衛門氏という方がおられました。

★吉良氏が30歳の時、お月見をなさっている最中に、急に月に雲がかかって見えなくなったように感じ、視力が低下していることに気付き、それから後に両眼とも失明されることがあられました。そこで、一生懸命に願をかけてお願いなさったのですが、肝心要の「心を改める」ということが出来ておられませんでしたので、秋から冬へ、冬から春へと季節は移り変わってゆきましたが、一向におかげは表れてきませんでした。

★「こんな状態では生きていられない・・・」と失望のあまり、死を覚悟された時のことです。お母さんの顔がふと思い浮かばれたのでした。これまでお母さんが一生懸命育てて下さったのに、気にも留めず随分遊び暮らしていたのでした。「30歳の自分が将来を悲観して死んでしまっては、自分はそれで良いかもしれないが、年老いた母親はどうなるのだろうか。自分自身が老後のお世話をしなければならないのに、勝手に死んでしまっては、母親はどれだけ嘆くだろう・・・」ということに気付かれたのです。それまでは自分のことで精一杯でしたが、初めて真剣に親のことを思えるようになられたのでした。そして「これからは母親に親孝行をさせて頂かなければ申し訳ない。今一度、神様に改めてお願いをさせて頂こう。親にご恩返しの出来る私にならせて頂く為には、目が見えさせて頂き、働かせて頂けますように。もし、この願いを聞き届けて下さるのでありましたら、贅沢は一切謹んで、どんな仕事でも厭わず喜んでさせて頂きますので、どうぞ生まれ変わらせて下さい。」と真剣に願わせて頂く気になられたのです。そして、子供の頃から連れて参って頂いていた、金光様の教会にお引き寄せを頂かれたのでした。そして、改まりを誓われてお広前にお参りし、お取次ぎを頂いて、み教えを頂かれるようになられたのです。

★涙ながらにお願いし、家に帰られ地面にひれ伏して神様にご祈念されました。そしてふと顔を上げますと、風呂の焚口に落ちていた新聞の見出しが見えるようになり、それから晴眼のおかげを頂かれたのでした。その後は、お礼のご信心に励まれ、ご縁に繋がる所でおかげ話の御用にお使い頂かれたのでした。

★『神は一つ一つ実地の学問をさせるのじゃから、その日その日はみな手習いじゃなあ。手習いは坂に車を押すがごとくという、油断をすればあとへ戻ります。信心も同じことじゃなあ。』
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2020年08月07日

●生命の大切さを自覚する

 1945年8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下されました。被爆によりたくさんの尊い生命が奪われたのです。私達は御霊様方の助かりを願わせて頂くと共に、二度と過ちを繰り返す事の無いよう、この様な惨事が二度と起きないように、努力してゆかねばなりません。

★昭和34年に石垣りん氏が書かれた詩集の中の『挨拶』という詩を見させて頂きました。石垣さんは戦後、原爆の写真を初めて見た時に衝撃を受け、この詩を書かれたそうです。『あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人の人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた。』

★毎年8月6日はやってきます。そして、毎朝8時15分はやってくるのですが、その時、私達は今生かして頂いているということを毎日心の底から感じているでしょうか。世界中に一つしかない、それぞれに与えて頂いた生命は、大変尊いものであり、何物にも代えられない生命です。戦後75年を迎えた今、有難いことに日本は復興を遂げ、平和で豊かな国に発展を遂げました。しかし、平和となった今も、さまざまな社会問題が世界各国で起こっています。日々平穏無事に生活させて頂いていることは、当たり前ではないのです。何気ない日々の一瞬が、生と死を分ける狭間となり得るのです。神様から与えて頂いた、尊いかけがえのない生命を大切にし、頂いた使命を全うさせて頂けるように、信心と御礼の働きに努めさせて頂きましょう。

★『信心する人は神様の守りを心にかけており、万事不都合のないようにするのが信心である。国のため、人の身のため、わが身の上も思い、万物を粗末にせんような、真の信心するがよろしい。百姓の人は、一粒の種から積もれば何石というようになるのも知っておられるが、一人がおかげを受けたので千人万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心するがよろしいなあ。』

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2020年08月06日

●積徳の信心を心掛ける

 先日、大学4年生のご信者が、いくつかの会社から就職の内定を頂かれ、第一志望の企業からも内定を頂いたということで、御礼のお届けをなさいました。

★その方が、就職試験の面接を受ける前にお届けに来られた時には、「いつも感謝の心を厚くして、御礼を申しながら受けさせて頂きましょう。笑顔を忘れないように」と、お話しさせて頂いておりましたら、マスクを着けたままの面接であったにも関わらず、「あなたは笑顔が素敵ですね」と、面接官の方に言って頂いたということです。常平生から、み教えを頂いて、喜びと笑顔を心掛けておられたからこそ、マスク着用下の表情でも笑顔が溢れておられたのでしょうね。

★神様に、就職内定のお礼を申し上げまして、「ここからが大切ですよ。社会人にならせて頂く準備が大切です。その為には、信心のお徳を頂かねばなりません。なぜなら、社会人にならせて頂いたら、有り難い縁をつないで頂くことがとても大切になります。人との縁、会社との縁、職場との縁、会社の同僚、上司との縁、取引先との縁、業者との縁、あるいは、車を使わせて頂くにしても車にも個体差がありますから、事故もなく故障もなく、長持ちする車にお繰り合わせを頂くことなど、全てにおいてよい縁がつながってゆくよう、しっかりご信心させて頂きましょう。日参と聴教、お礼の働きをさせて頂いて、お徳を積ませて頂くことが大切なのですよ」と、お話しさせて頂いたことでした。

★五事を正す
一、貌・・・和やかな顔つきで人と接するように
二、言・・・思いやりのある言葉で話しかける
三、視・・・澄んだ目で物事を見つめる
四、聴・・・耳を傾けて人の話をきく
五、思・・・真心を込めて相手のことを想う

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2020年08月05日

●真心を尽くしておかげを頂く

 二代教会長・伊藤コウ師がお聴きになって、「私はこのように真心を尽くしてきただろうか?出来ていなかったなあ。」と反省をなさったお話があります。

★ある夫婦のお話です。ご主人は非常に酒が好きで、毎日仕事もせずに酒を飲んでおりました。酒を買うお金が無くなったので、奥さんは着物や家財道具を売って、酒に変えておられたのです。親族には「もう別れて帰ってこい」と言われていましたが、奥さんは決して帰られませんでした。とうとう、家にある物を全部売ってしまいましたが、ご主人が「酒をくれ。」とおっしゃるので、奥さんは外に買いに行かれたのでした。帰ってきて食事の用意をされ、酒を注がれると、ご主人が「なぜ頭に手ぬぐいを被っているのか。取れ。」とおっしゃいました。奥さんは「今日は訳がありますので、勘弁して下さい。」と答えられましたが、「取らないなら、わしが取る。」と、ご主人が手ぬぐいを取ってしまわれたのです。すると、奥さんの長かった黒髪が、短く切られてあることに気付かれました。売る物が無かった奥さんは、自分の髪を売って酒に変えていたということでした。驚いたご主人は両手をついて、「どうぞ、許してくれ。今日から酒もやめる。よく辛抱してくれた。」と涙をこぼして謝られたのでした。

★島之内教会で渡辺かてい氏(作家)の前述のお話を聞かれ、コウ師は、「奥さんの真心が伝わって、このご主人が改まって下さったように、人は真心を尽くせば、それが伝わって改まって下さる。教祖様が神様にどこまでも真心を尽くされたように、私も、神様に徹底して真心を尽くさせて頂けば、どんな願いでも叶えて下さるに違いない。そのような信心をさせて頂かなければならない。」と心に決めさせて頂かれました。

★『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』

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2020年08月04日

●真心からの願いが神様に届いてゆく

私が教師にお取り立て頂いて間もなくの頃のことです。お結界に座らせて頂いておりましたら、京都府からご参拝のあるご信者が「先生、Y君をご存知ですか?」と私に尋ねられました。Y君とは私が学校に勤めておりました時に、担任を受け持たせて頂いた生徒でした。そのご信者は彼の近所に住んでおられ、ご信者は「Y君は卒業したのですが、志望校へ進学できなかったので今、浪人中です。あの子に助かって頂きたいので、おかげを蒙られますようにお願いして下さい」とお届けなさったのです。そこで「Y君に会う機会があられましたら、阿倍野教会に連絡を取るように仰って頂けますか?私も御祈念させて頂きますから、どうぞよろしくお願い致します」とお話しさせて頂きました。

★その翌日、Y君から電話を頂き「昨日○○さんとお話してたんですよ。○○さんから事情を聞かれましたか?」と聞くと「いいえ」というのです。話を聞きますと「どうしても電話がかけたくなってかけました。今日参拝させて頂いてもよろしいですか?」とのことでした。その日に参拝なされ、一緒に横についてお結界でお届けをさせて頂くことが出来たのでした。Y君は色々悩みを抱えておられたのですが、その後も機会あるごとにお参りをなされ、翌年の春には無事志望校へ合格のおかげを頂かれました。

★それまで、私と彼が連絡を取り合っていたわけではありませんのに「参拝したい!」と思われたのは、彼のことをお届けして下さったご信者の真心が、御取次を頂かれたことによって神様に届いたからです。そして私も、ご信者の真心によって御用にお使い頂くことが出来たのです。現代社会では、電話をかけるとか、メールを入れるなど、相手に伝える手段は様々ありますが、ご信者の実意丁寧な真心のこもったお願いによって、その学生さんの心に神様が働きかけて下さったのです。

★生神金光大神様のお取次を頂いて、天地の親神様の御神徳を頂きますと、生活の様々な場面で、広く深い神様の有難いおかげの体験をさせて頂くことが出来るのですね。

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2020年08月03日

●御恩を忘れず、おかげの元を忘れない

『金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる』とみ教え下さっています。それは、御祈念をさせて頂くところに、立ちどころに来て下さって、祈りを受けて下さるということです。常に心中御祈念をさせて頂くということは、迷いのないことであり、油断のないことです。常に、神様と共にある生活をさせて頂き、霊様とも共にある生活をさせて頂くのです。有難いことに、霊様に御祈念させて頂きましたら、その祈りを受けて下さって何重にも足して下さり、生神金光大神様におとりなし下さるのです。

★御神米をお供して、行く所、行く所で心中御祈念をさせて頂き、心を神様に向ける稽古をさせて頂きましょう。私達は、教会や家では御神殿を拝む目当てにご祈念をさせて頂いておりますが、外出をしたら、御神米を小さな御神殿だと思ってお供して、いつも心中御祈念をしながら、おかげを受けられたら良いのです。

★元を忘れないようにご信心させて頂くことが大切です。わが家であれば、わが家がおかげを頂いてきた元を忘れないようにさせて頂きましょう。そしてお道の信者であれば、教祖生神金光大神様を始め歴代金光様が、み教え下さったご信心をしっかり習わせて頂いて、間違わずに実行させて頂けるよう、心掛けさせて頂きましょう。『金光大神が教えたとおりの信心をすれば、教えただけのおかげの立つことは、神が請け合ってやる。一分違えば一分、二分違えば二分、おかげも違うものと思え』

★御恩を忘れてしまいますと、自分自身を忘れてしまっていることと同様です。どのようにして生まれ、どのように育てて頂いたのか、また、どのようにおかげを受けてきたか、その元忘れてはならないということです。実意をもってお願いをさせて頂くことが大切です。信心の中身を薄れさせてはいけません。常に神様に心を向けさせて頂けるということが、自分自身の信心を強く確かなものにさせて頂けるのです。

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2020年08月02日

●目に見えるのはほんの一部分

 以前、教会の南境内地に植えてあった松に虫がついたことがありました。ご信者が松の木の辺りを掃除しておられた時に、虫を見つけて教えて下さったのです。早速見にいってみますと、松の葉っぱ程の細い小さな虫が沢山ついていましたので、見える範囲で取らせて頂きましたが、念のため、専用の殺虫剤で松の木全体を消毒して頂きました。すると、木の下にそれは沢山の虫が落ちていたのです!見えていた虫は全体のほんの一部であり、見えない所も含めた木全体に虫がついていたのだと分からせて頂いたのでした。

★甘木教会の初代教会長・安武松太郎師は、病気平癒を願って参拝なさったご信者に、『ここは教会だから、神様の教えを話してきかせ、信心の稽古をするところで、家庭はいわば、檜舞台。教会で習ったところを、家の檜舞台で踊りそこなわないように、しっかり信心の稽古をさせて頂きなさい。』 さらに『この神様は、病治しの神様ではない。心を直す神様であるから、心が助かれば、病気もおかげになる。神様にお願いした以上、神様にお任せ、お預けして、自分は病気のことを忘れて、ひたすらに信心の稽古をさせて頂きなさい。』とみ教えを下さっています。信心の稽古とは、日々の生活の中で、喜ぶ稽古、お礼を申す稽古をさせて頂くことです。何か問題が起きてきた時には、自分の心、生活習慣等の中の至らない所が、形となって現れてきたのだと分からせて頂き、生神金光大神様のお取次を頂きつつ、改まらせて頂くことが大きなおかげとなるのです。

★親は親として、子は子として、経営者は経営者として、従業員は従業員として、各々が神様から頂いたお役目を有り難く全うさせて頂くことが出来ているか、常に見直し、聞き直し、考え直しをしながら、信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

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2020年08月01日

●我欲を放れて、毎日を楽しむ

 7月1日から始まりました夏の信行期間も、昨日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には各々にご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げております。それぞれに信行期間中に取り組ませて頂き身に修めた有難い内容が、8月もしっかりと継続させて頂けるよう、より一層ご信心を進めさせて頂きましょう。銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様にご報告をなさり、御礼を申し上げられますように。その際に、御神酒一合瓶をお下げ頂きます。御神酒で悪毒病毒をお取り払い頂かれ、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈り致しております。

★中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、子供さんを育てられました。

★亀太郎師は、小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で、生きてゆくことも出来られない程の思いにかられ、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、亀太郎師が自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。少し残った腕で脇にお箸を挟んで食事も頂かれました。

★亀太郎師は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として 1)「より健康にならせて頂いたこと」 2)「不自由の少ないこと」 3)「明朗になったこと」と仰られました。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。私達は、そのことを考えますと、不自由ということを口に出すことは全くご無礼であり、申し訳ないことと思わせて頂きます。不平不満を口に出さず、今日一日今日一日、喜んで御礼を申す生活を進めさせて頂きましょう。

★『信心して我欲を放れて毎日を楽しみ、日に三度の食事を有難いと気がつけば長者じゃ。信心して長者の暮らしをしなさい。』(二代金光四神様み教え)

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:23 | 令和2年の「み教え」