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2020年06月30日

●「何が何でも!」の願いをもって

 あるご婦人が、「最近、主人が信心に凝り過ぎて困っております。先生から、主人にあまり信心に凝らんように言うてやって下さい」と、三代教会長先生にお届けなさったのでした。どいう意味か、先生がお尋ねになりますと、「以前は、がめつい程に利益を追求していたのに、一生懸命教会に参るようになってからは、お客さんに親切丁寧に対応し、実意丁寧に仕事をするようにして、工賃は以前の様にもらい過ぎないようにしていきたいと言います。今でもギリギリの経営ですのに、そんなことをしていては食べていけません」ということでした。

★三代教会長先生は、「よく聞いて下さいよ。ご主人はよくお参りなさってみ教えを聴いておられますが、あなたは聴いておられないでしょう。ご主人とあなたでは、随分と信心に差があります。ご主人が、それほどに心を決められたのなら、あなたも覚悟を決めて、1年はご主人の方針について行ってあげて下さい。奥さんのおっしゃるようにした方がいいのか、ご主人の信心に基づいた方針でいく方がいいのか、よく見守ってあげて下さい。もし心配ならば、商売が繁盛するように、後ろ祈念をしてあげて下さい」と、お話しになられたのでした。奥様は、渋々でありながらも、1年間ご主人の方針に従ってお商売をなさったのでした。すると、それまでは赤字経営であったのが、黒字経営に転換させて頂かれたのでした。

★本気のお願いと、信念をもって改まりに取り組まれたご主人は、どれ程有難い思いを持たれたでしょうか。ところが、み教えをあまり聴いておられない奥様は、「先生、なぜ黒字になったのかさっぱり分かりません。信心の世界はおかしなもんですね・・・」と、おっしゃるだけだったそうです。

★「何が何でも、おかげを頂きたい!」と、強く確かなお願いをもってお参りをさせて頂かれる人は、信心を基にした生活の中に、工夫、努力、改まりが生まれ、有難い縁もつながってゆきます。今日を喜び明日を楽しむことが出来るようになって、必ず先が開けていくのです。

★『みな、おかげを受けるために参って来ているはずであるが、中には、神が「おかげをやろうやろう」と言われるのに、「いや、結構です」と言って帰る者もある。おかげをぜひいただかなければ帰らないという気でいる者こそ、おかげがいただけるのである』

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2020年06月29日

●祈りは必ず通じてゆく

三代教会長先生は御生前中、御用のご都合の付かれる限り、阿倍野の大阪市南霊園の奥城に参拝なさっておられました。阿倍野教会の奥城を拝まれ、伊藤家の奥城を拝まれ、親教会を始めご縁につながるお教会の奥城を丁寧に拝んでおられたのです。ある時、偶然に戦友(桂岡正三命霊神)のお墓を見つけられたのです。桂岡正三氏は同じように訓練を受け、戦場に出征なさった後、フィリピンで戦死なさったのでした。それ以降、三代教会長先生は、その方のお墓も常に拝んでおられたのです。

★すると、ある日突然、その方のご遺族から教会に「伊藤良三先生に祭主におつき頂いて、墓前で50年祭を仕えて頂けますでしょうか?」とお電話があったのです。どのような事情かは分かりませんが、わざわざ阿倍野教会にお願いしてこられたのでした。三代教会長先生の真心からのお祈りが霊様に届き、霊様がご遺族に働きかけられたのでしょう。

★『人間は生き通しが大切である。生き通しとは、死んでから後、人が拝んでくれるようになることである』結構なおかげを頂いて、現在も私達は信心の稽古に励ませて頂いておりますが、目標は「生き通しの御神徳を頂いていく」ということです。『氏子らは、生きている時だけ天地金乃神様のお世話になるように思っているが、死んでもお世話にならねばならぬ』とみ教え頂いております。生きている間も、死んだ後も、天地のお世話にならなければなりません。そして霊様は神様の元へ帰らせて頂かれ、お守りを受けながら生き生きと働かせて頂くおかげを頂かれる為に、子孫がお徳を頂いていくことが大切です。

★何事も神様の願いが込められて物事が起こってきているのです。『金光大神の姿に目をつけないようにせよ。金光大神の衣服や形におかげはない。金光大神の霊(みたま)の働きにおかげがあるのである』私達も、それぞれに頂いている尊い霊(みたま)をお徳の高いものにさせて頂いて、有難い御神徳に満ちた世界にお導き頂けるように御祈念をさせて頂きながら、日々のご信心を進めさせて頂きましょう。
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2020年06月28日

●子孫の信心教育、信心相続の有難さ

 昨日は、お昼から習字部が開催され、その後には子供会が開かれました。子孫の信心教育、信心相続の良い機会を与えて頂いておりますことは、大変有難いことと思わせて頂いております。

★私達は、信心を基にした家庭教育の大切なこと、信心を基にした学校教育の大切なこと、また信心を基にした社会教育の大切なことを教えて頂いております。家庭教育とは親・祖父母、兄弟の中で共に育て合うということが出来、親は子供の良いお手本になるよう、率先してご信心を基にした生き方を実践させて頂くのです。また、社会教育とは、職場や近所近辺でのご近所のお付き合いの上、地域の活動の上に、或いは仕事の上で教育を受ける場があります。家庭教育に於きましても、学校教育に於きましても、社会教育に於きましても、夫々信心を基にして掃除や洗濯をし、信心を基にして教育をし、また信心を基にして教育を受けさせて頂き、信心を基にして仕事をさせて頂くのです。それが有難いことに心に栄養を与えて頂き、心を育てていくのです。み教えを頂くことが有難くて仕方がないという心持ちになって、命がけでみ教えを守らせて頂く生き方が身に付くよう、小さい頃からみ教えを頂く機会を養わせて頂きましょう。

★お広前に「御神願成就」「総氏子身の上安全」「世界真の平和」と並列して掲げさせて頂いております。御神願成就とは神様が願って下さっているところ、つまりは世界中に金光大神様のご信心が伝わり、世界中の方々が神様のお心に適う生き方にならせて頂けるようにと願って下さっておられるのです。私達は、毎日「天下国家安全 総氏子身の上万事安心、世界真の平和達成のお願いを申しあげます…」と御祈念させて頂きながら、世界中が真の平和になりますようにと御祈念させて頂いております。毎日唱えさせて頂くことで、有難い心持ちを養い、広く大きくさせて頂くことが出来るのです。

★教祖様は『欲を捨ててはいけない』と仰っておられます。それは「小欲」ではなく「大欲」を捨ててはならないということで、『世界中の人を助けたいという欲がある』と仰っておられます。神様もそのようにお願いをして下さって、宗教や民族や言葉の違いなどを越えて、世界中の人が助かって頂けるようにおかげを頂いてほしい、と願って下さっておられるのです。そのご信心を、日々私達は習わせて頂いております。その有難いところを小さい頃から学ばせて頂き、さらに多くの人々に伝えさせて頂けるように、ご信心を進めさせて頂きたいと思います。神様のお心をしっかり分からせて頂いて、そのお心に適う氏子にならせて頂けるおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年06月27日

●中庸が有難い

25日には、有難いことに青年会学生会例会を開催させて頂きました。小池氏の講演の中に、「中庸こそが、究極のおかげを頂いている姿である」という、ご内容がございました。「中庸」とは、「かたよることなく、常に変わらないこと」、「過不足がなく調和がとれていること」という意味でありますが、日々生命を頂き、天地のお恵みを頂いて、結構な環境を与えて頂いている、ということに気付かせて頂くことは、大変有難いことです。足が動かなくなってから、足が動くことの有難さに気付いたり、目が見えなくなってから、目が見えることの有難さに気付くということは、一般的にあることですが、信心をさせて頂いている私達は、事が起こる前から気付かせて頂き、日々喜んで生活させて頂かねば、申し訳ないことだと思います。

★二代金光様は『何でも信心して二つのおかげを受けたら楽じゃ。一つは身に受けるおかげじゃ。今ひとつは我が心に受けるおかげじゃ。心のおかげが大事じゃぞ。心のおかげを先に受けたら、身のおかげは自然に受けられるのじゃ。』とみ教えを下さいました。当たり前のように思える今日は、実は当たり前のことではありません。御先祖の霊様方のご生前中のご修行や、霊になられた後のお働きがあってこその今日です。そのことが分かっていなければ、恩知らずとなり、いずれ徳切れになってしまいます。御恩を知り、御恩に報いることを心掛けることが大切です。

★毎日「面白くないなあ」と思う人は、面白くないところばかり見ているのです。また、「自分の周りには嫌な人ばかりだ」と思う人は、人の悪いところばかり気にしていることでしょう。生活の中の面白いところ、人の良いところを探して、分からせて頂ける自分にならせて頂けますように、と神様にお願いすることを忘れてはいけません。先に自分が真心を尽くしていくと、相手も応えてくれるようになります。

★日参と聴教に励み、心を改め磨いて、中庸こそ有難いという心で、日々おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2020年06月26日

●お礼一筋に、それぞれの家業に励む

 松山成三先生は、戦後満州・大連より、ご夫婦で着の身着のままで引き揚げて来られ、後に岡山中部教会の初代教会長となられました。ご晩年は病床に伏せられ、先生のご遺稿が後に見つかったのでした。「略…我は終戦と共に何故その様な事になったと、悩み患ひ、或は先々を憂慮、煩悶もしない。この時こそと、本気に一心に信心に飛上り、教師の本分一途にと、心は立上り、信心する時はこの時なり、神の御用をする時はこの所じゃと、その日その日を後先忘れて、信心御用にのみ立上り、その気持ちこそ、今月今日なりと、嬉しく楽しく有難く思ひ続けて人々が心配苦悩している事も、我には一向その様な気になれず、悪い妙な気は起らず、その事その時も良い事のみ思い出しては喜びニコニコして暮らされてあり。人々に比べて阿呆になった。良い阿呆になれたと感謝している。『我心で我身を救ひ助けよ』とはこの様な事かと、み教えを一層有難く思へる。何を食ふても同様においしゅうて、何が無くても苦にならぬ。人のしてくれる事はみな有難い。…略」というような、大変有難いご内容です。

★世界中には、ウィルスの感染が深刻化して、大変な思いをなさっておられる方々がたくさんおられ、また、日本でも命を落とされた方も大勢おられます。苦しんでおられる方々が助かられますように、立ち行かれますように、また、亡くなられた御霊様方のご安心をお願いさせて頂いております。

★そして、「元気だから有難い」「何も不自由がないから有難い」という喜び方も大切でありますが、例え困難や不自由の最中にあったとしても、「先のことは神様が一番良いようにしてくださる」ということを信じて疑わず、今日授けて頂いている神様のおかげをよく分からせて頂いてお礼を申しつつ、今月今日与えて頂いているお役目を、嬉しく有難く精一杯つとめさせて頂く心にならせて頂きたいと思います。

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2020年06月25日

●日々新たな心持ちで

先日、あるご信者が「お参りが出来ていなかった間に、家中でいさかいが多くなって、お互いの足りないところを責め合うようになってしまいました。我が家は、長きに亘って信心させて頂いているというのに、お広前から遠ざかっている間に、お互いに願い合うことが出来ず、み教えは分かっているつもりでありながら、だんだんと相手に求めるばかりになって、自分の心を磨くということを怠っていました。反省し、お詫び申し上げます。」と心から反省を込めてお届けをなさっておられました。

★『修行とは、一から出直しのつもりで、生涯かけてさせて頂くもの』と教えて頂いております。どなたでも心配したり迷ったり、横道にそれたりすることはあります。信心が進まれている方は、神様の御機感に適った道から少しそれると、すぐにそのことに気付いて軌道修正し、元の道に戻ることが出来ます。一方、信心が進んでおられない方は、道からそれると、どんどん離れていってしまい、なかなか元の正しい道に戻れなくなってしまいます。

★信心を進める上で大切なことは、自分に打ち克つことです。先日、新しく社会人になられた方に次の5つのことに取り組むようにお話しさせて頂いたことです。

1)人と比較して、不足に思わず・・・人と比較せず、自分に打ち克つという意味です。

2)飲食を初めとして、全てに節度を保つように・・・金銭の使い方、飲食の仕方、人との交際等全てに節度を保つ事が大切です。

3)苦難の時に恨みごとを言わず・・・難儀なことが起きてきた時に、人を責めたり恨んだりせず、責任転嫁することなく自身の改まりを心掛ける。

4)感情をむき出しにしない・・・喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。

5)よく尊敬する・・・神様、霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂けます。

★日々新たな心持ちで、見直し、聴き直し、考え直しをさせて頂きましょう。
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2020年06月24日

●仕返しをする心にならないように

『金光様は、「日に日に悪い心を持つなよ。人に悪いことを言われても、根に持ってはいけない」と言いぬいておられた。私が「それでも、向こうが悪い心を持って来れば悪い心になります」と申したら、「それでも、悪い心を持ってはいけない。よい心を持っているようにしなければ」と言われた』

★【仕返しをするな】ということは、小さい頃から教えて頂いておりますね。「叩かれても、叩き返してはいけませんよ」と親からも教えて頂き、少しは心得ているつもりですが、お徳を頂くには『仕返しをする心』を取り去りなさいと仰っているのです。

★『「苗代にひきがえるが入って卵を産んで困ります」と願う者に対して、金光様は、「よそには封じると言うが、うちでは封じない。かえるに、あぜで遊んでもらうようにすればよい。うちの田に入らないようにすれば、よその田に入るから」と教えられた』と残して頂いております。これは、大きい心になるように、願わせて頂くことを教えて下さっているのです。自分だけが助かりたい、というような気になってはいけないというみ教えです。相手も助かりますように、立ち行かれますように、と願う心が神様のお心に適うのです。ですから、商売をなさっておられる方々も、「同業者」と呼び「商売敵」とは言いません。「地域の他店舗や同業者の方々が共に繁盛しますように」とお願いされ、「地域・社会の発展に貢献出来、お役に立つ店舗にならせて頂けますように」と共存共栄をお願いなさっておられるのです。

★病気になってしまったら、病気が敵に思えたり、人間関係でいざこざがありましたら、親子であっても相手が敵に思えてしまいます。自分の心が味方や敵、好きや嫌いを作ってしまっているのです。難儀が生まれてくるのは、自分自身で作り出してしまっていると言えます。少々のことが起こっても「このくらいの事は、大したことではない」「このくらいのことで、腹を立てておっては度量が狭い」というように、思わせて頂けるように心掛けたいものです。

★どんな仕事でも有難く思わせて頂けるように、どんな人が目の前に現れても、重荷に思わないように、どんなことが起きてきても、有難く受け切って、おかげにさせて頂けるような生き方にならせてもらえるように、おかげを頂きたいですね。

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2020年06月23日

●わが心を汚す諸々のこと

お広前は、有り難いご神徳に満ち満ちており、日々心を改め磨いてゆくことを願わせて頂き、参拝させて頂きますと、結構に心を浄化して頂けます。私たちは生まれてくる時に、神様から尊い御分霊を授けて頂いておりますが、油断しておりますと、それを覆い隠すように不成心が沸き起こってくるのです。それは、次のようなことです。

○貪(欲深く自分に取り込もうとする心。)
○瞋(怒りは自分の身も心も、周囲の人の身も心も害してしまう。)
○痴(非理性的なこと。愚痴不足を言うこと)
○慢(横着、気まま我がまま)
○疑(疑いの心)

心のご修行とは、こうした我が心を汚す諸々のことを一つ一つ取り除かせて頂くことです。
★身体の中では内なる神様がお働き下さっています。人間の身体には、60兆ほどの細胞があり、日々生まれ変わり、互いに連携して生かし合いながら、一つ一つが全体(身体)を守るために働いてくれているのです。私達は一人では生きていくことが出来ません。互いに助け合うことで、それぞれの命を保つことが出来るのです。神様から頂いている尊いものを表に出して、互いに良い影響を与えられるようになるには、「貪欲・怒り・愚痴不足・慢心・疑い」を取り除き、「有難い」の一心にならせて頂くことが大切です。

★『世の中で疑いが一番悪い。神に任して、一心に信心をせよ。任したうえは、神がよきようにしてやるのぞ。疑いを放れるの一つで、おかげをいただくのである』
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2020年06月22日

●神様の氏子としての自覚

「なぜあなたは信心をしているのですか?」と尋ねて頂いた時に「親が信心しておりましたから・・・」「病気がきっかけで・・・」「商売繁盛を願わせて頂いて・・・」と様々あられるでしょうが、それらは全て信心の入口ですね。お参りさせて頂きみ教えを頂いていきますと、私達がどのようにお命を頂いて、お育て頂き、これからどのように生きて行けば良いのか、即ち、おかげの中に生まれ、おかげの中に生活をし、おかげの中に人生を送らせて頂くご意味をしっかりと分からせて頂けます。

★目標は「生き通しのお徳を頂いていく」ことです。生きている間も、霊にならせて頂いても、自分も助かり、人も助かる働きが生き生きと出来ていく、ということですが、めぐりを積むことが少なくなり、しっかり御神徳を頂いていくことを、生涯かけて願わせて頂けるようになります。生命あらん限り、ご信心の道を求め、一段一段向上させて頂けますように、とお願いをさせて頂けるのです。

★二代教会長伊藤コウ師は【ご信心させて頂いたらどうなるか?】ということについて「ご信心をさせて頂く前は、人に迷惑ばかりかけて、お世話になるだけなって、そのお返しも全く出来ていなかったような人が、ご信心をさせて頂きましたら、人に迷惑をかけないようにならせて頂いて、ちょっとでも人のお世話をさせて頂いて、お徳を積ませて頂こうという生活に変わらせて頂けます」と、分かりやすくみ教えを下さっておられます。難しいことは言っておられませんが、行うことは簡単ではありません。本当に真剣にみ教えを頂き、生活の中にご信心が満ち満ちて、人が助かっていくことを願わせて頂くことが大切です。そういう姿にならせて頂くためには、実意・丁寧・正直・親切です。親切丁寧に人のお世話・お導きをさせて頂く御用にお使い頂くのです。そうした信心の実践をさせて頂きましたら、自分自身がお徳を頂くだけでなく、家族も周囲も皆が助かっていくのです。

★『人が人を助けるのが人間である。人間は、子供がこけておるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちておるのを見て、すぐに引き上げてやられる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。(中略)人間は病苦災難の時、神様や人間に助けてもらうのであるから、人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心をしなさい。』

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2020年06月21日

●人生の節目を、おすがりして乗り越えさせて頂く

故・太田康夫氏は42歳の時に心膜炎に罹り、心臓に水が溜まり体中に浮腫が起きられたのでした。一日に摂取出来る水分量に制限があられた中で、ご家族がお洗米を毎日重湯状に炊いて、病院に持って行かれました。すると、お小水にどんどん溜まっていた水分をお取り払い頂かれ、40日の入院で全快のおかげを頂かれたのでした。

★また、66歳の時には膠原病による免疫力の低下で呼吸困難になられました。体の皮膚や、爪が剥がれてしまうほどに衰弱されたのでした。約三ヶ月余り入院されましたが、この間もご家族が勢を揃えて心を神様に向けられお世話されました。昼食に看護についておられた、妻・弘子氏がサンドイッチを食べようとすると、45日間、病院食も頂かれていない康夫氏がじっと見ておられるので、弘子氏は神様にご祈念され、康夫氏に少しちぎって渡されました。すると、それが喉を通るおかげを頂かれ、それからお粥を頂かせて頂けるようになり、みるみる元気になられたのでした。

★78歳の時には咽頭癌で放射線治療を受けられました。免疫力が低下しやすいお体であったにもかかわらず、医師から「放射線に強い体ですね」と言って頂かれ、十分な治療を受けることが出来、全快させて頂かれたのでした。そして、85歳まで生命を頂かれ、天寿を全うさせて頂かれました。

★人生には様々な節目があります。その節目に折れてしまわないように、神様におすがりしながら、乗り越えてゆかねばなりません。人間には夫々の体に様々な体質をもっております。親から受け継いだ体質もありますし、自分自身がこれまで積み重ねてきた、悪癖や悪習慣等の生活習慣によって表れた体質もあります。そこで、神様を杖にして、生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、天地の親神様のご神徳を蒙らせて頂くのです。会社でも同様に、大変な渦中であるとすれば、それはこれまで積み重ねてきた結果が表れているのです。そこで、「どこかに油断はなかったであろうか、考え違いや勘違い、おごりがましいところはなかったであろうか…」と反省し改まることが、次の新たな改革に繋がるのです。人間には、お礼の申しようが足らないところがたくさんあります。どこまでも改まって、神様におすがりしながら乗り越えさせて頂く覚悟が決まりましたら、 大きな壁も楽々と乗り越えさせて頂くおかげが頂けるのです。
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2020年06月20日

●おかげの舟に乗る

 18日には、教徒会例会にて、玉邑氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。二代目のご信心を頂かれ、結婚なさってからはご主人をお導きなさり、家族勢信心のおかげを頂いてこられました。昭和52年、ご主人は慢性腎不全と診断され、始めに受診なさった内科の医師からは、匙を投げられるほどに症状が進んでおられたのでした。人工透析を受けられることとなったのですが、その病院でも、「命は1年もてばいいと思ってください。2年は難しいでしょう・・・」と、告げられたそうです。二代教会長・伊藤コウ師より、「病気と寿命は別です。神様にお願いしておかげを頂きましょう」と、み教えを頂かれ、元気な心を頂かれて、前向きに、神様を杖におかげを頂く覚悟が出来られたのでした。

★玉邑氏は、何事もお取次頂かれながら、真心込めてご主人のお世話をなさり、また、お子さん方にもしっかりご信心が伝わるよう、お習字や子供会に連れて参られました。ご主人は、「命は2年もたないでしょう」と診断されたところから、27年間透析を受けながらお命を頂かれ、お仕事も定年退職まで勤続30年おかげを頂かれました。その間、2人のお子さん方も立派に成長なさって、それぞれに家庭を持たれ、お孫さん方と一緒に月々の御本部御礼参拝には欠けることなく、毎月楽しみにお参りしておられました。御本部御礼参拝は、平成16年にお国替えになる2カ月前までおかげを頂かれました。

★仏教で霊様をお祀りなさっていたお家であられましたが、告別式を金光教でお仕え頂きたいと願われ、親族の方々にも了承して頂かれました。ご主人のお国替えを機に帰教式をお仕え頂かれ、教徒の列に加えて頂かれたのです。ご主人はとても謙虚で穏やかなお方で、優しく、思い分けの出来る賢さを備えたお方でしたから、ご家族の良いお手本となって来られました。今日も家族・親族が円満に勢信心のおかげを頂かれ、何事もお取次を頂いて、また、御用にお使い頂かれながら、繁盛のおかげを頂いておられますことは真に有り難いことでございます。

★『重い石や金でも、舟に積めば水に浮かぼうが、人はおかげの舟に乗るがよい。』

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2020年06月19日

●不成心を取り払う

此方のふじょうは、不浄にあらず、成らずと書くのぞ』不成心とは、「もうこれはダメだ!無理だ!出来ない・・・」等と、思ってはいけないということをみ教え下さったのです。さらに、『うろたえ信心をせぬがよろしい。また、早くおかげを受けたいと思うてうろたえるのは、近道をしようと思うて、知らぬ道をうろたえるのと同じことである。此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。』とも教えて下さり、焦ったり、投げ出したり、諦めてはいけないとみ教え下さっているのです。

★現在96才になられる女性のご信者がご健在です。このお方はアレルギー体質で金属アレルギー等、歯医者さんの治療に使われる接着剤や他の材料にも、アレルギー反応が起きてしまうので、歯医者さんも工夫をして治療して下さっておられたのです。ご信者が75才になられる以前のことです。入れ歯を何度作って頂いても、アレルギー反応が出てしまうということで、大変困ってしまわれたのでした。

★ご信者は決心なされ、歯医者さんに指導して頂いて、自分の身体にアレルギー反応の出ない材料を根気強く試しながら集めて、自分で入れ歯を作られたのでした。入れ歯が完成してからは「どうぞこの入れ歯が壊れませんように、失くしませんように。壊れても失くしても、誰にも作って頂けませんので…」と常にお結界でお願いしておられました。その入れ歯を現在も使っておられるのです。大変有難いことですね。出来ないと思わず75才で知識も技術もないところから、一から学んで作られたのですから、今日までおかげを頂かれたこのご信者のお姿を拝ませて頂きますと、何事においても「出来ない」とは言えないな、と痛感させて頂けるのです。

★私達が、全てのことにおいて取り組ませて頂く為の姿勢として、不成心を取り払って頂く、ということを心がけるのが信心なのです。自分の中には、苦難を跳ね飛ばして生き抜いていく強い力があるということを、様々な出来事を通して神様は教えて下さっているのです。そのことを自覚させて頂いて、み教えを頂いて自分自身に頂いている力を見出していく、ということが有難いことですね。
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2020年06月18日

●その日その日のおかげを頂く、油断のない信心

 16日には、婦人会例会が開催され、中田氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。中田氏は、ご両親の熱心なご信心を受け継がれて、幼少の頃から素直に参拝させて頂かれ、御用にもお使い頂かれて、阿倍野教会のご信者であられるご主人と結婚なさってからは、家業の上にも、ご自身やご家族の身の上のことにも次々とおかげを頂いておられます。

★結婚当初、嫁ぎ先の中田家は自動車整備工場を家業としておられ、中田氏は、元々車酔いをし易い体質で、初めはガソリンの臭いに慣れることだけでも大変だったそうですが、嫁として家業を手伝えるよう、工場で扱う車種は全て運転出来るように免許を取得されました。また、双子の息子さんが一歳半になったころには、義理のお母様にお子さん方を預けて、自動車整備の資格取得に向けての学校に通われ、資格を取得なさったのでした。

★時代の流れにより、工場を閉めることとなられたのでしたが、工場の設備等全てそのまま使って下さる方がすぐに見つかり、また、ご夫婦、二人の息子さん方も皆それぞれに次の仕事に就くことが出来られ、万事にご都合お繰り合わせを頂かれました。

★ご主人は、平成26年にC型肝炎を発症され、1カ月の入院治療の後に、インターフェロンの注射を2日に1度打つ治療を半年間続けられました。注射を打つ日は、午前中は仕事をなさり、昼前に注射を打つと、午後からは体がしんどくて動けなくなられたそうです。平成28年に、C型肝炎の新薬が出来たということで、お取次を頂かれて、新薬を投与して頂かれるようになると、みるみる回復なさり、C型肝炎のウィルスの数値がゼロになり、倦怠感もお取り払い頂かれる大みかげを頂かれました。ご主人は、自動車整備の技術を再就職先の方に大変喜んで頂かれ、70才を過ぎられた今日も元気に働いておられます。

★生きていく上には、様々な問題が次から次へと起きてくるものですが、小さな事から大きな事まで、生神金光大神様のお取次を頂きながら乗り越えさせて頂くことが、真の繁盛への道なのです。どんな時でもお礼の心に満ち満ちて、「今日一日、今日一日」と、おかげを頂いて参りたいと思います。

★『信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けてゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ。』

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2020年06月17日

●悪い顔を見せないように

金光キクヨ姫の元に、長男さんを亡くされたあるご信者が、毎日泣きながら暮らし「辛いことばかりだ、苦しいことばかりだ」と思って、心の内を聞いて頂きたいと悲しみに暮れて訪ねていかれた時のことです。キクヨ姫は、「そうでしょう、そうでしょう・・・」と、ご信者に寄り添い、最後まで話に耳を傾けられた後に、「それでも、何か少し、指の先ほどでも、針で突いたほどでも、喜べることはありませんか?」とお尋ねになられました。ご信者は、「はい、あります」と、自分でも驚きながら、そう答えることが出来られたのです。続いてキクヨ姫は、「それでは、その喜べることを、喜ばせてもらいなさい。辛いことは、ちょっと後ろに置いておきなさい。」と、お話しになられたのでした。

★ご信者は、帰る道すがら、よくよくみ教えのご意味を考えているうちに、「『私は悪いことは、何もしていないのに…』と思っていたけれど、毎日、良いことはそっちのけにして、悪いことばかり先に立てて『私は辛い』と、より自分を苦しめていたのだなあ・・」と、気が付かれたのです。そして、『こんな私でも、親神様の氏子なのだ。その私が、喜びもなく朝から晩まで嘆き悲しんで、親神様はどれ程お心を痛められただろうか…。申し訳ないことであった」と、お詫びの気持ちが湧いてこられたのでした。そこから更に、「こんな私にも、神様は毎日の生活を与えて下さっている。なんと有り難いことではないか。これからは、力いっぱい、真心を込めて働かせて頂いて、後のことは神様にお任せしよう。」と、思わせて頂くことが出来られたのでした。

★『昔から、親が鏡二つ買うて持たして嫁入りをさせるのはなにゆえか。これは顔をきれいにするばかりではない。第一、その家を治めに行くのである。心につらい悲しいと思う時に鏡を立て、必ず人に悪い顔を見せんようにし、その一家を治めよということである。』
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2020年06月16日

●自分自身の心次第で、おかげはいくらでも頂ける

 先日、あるご信者が「このことは初めてお話しさせて頂くのですが、13年前の春季霊祭の時に、有難い体験をさせて頂いたことがあります。いつもと同じように、用意をして出発したつもりでしたが、お広前に御祭典の1時間前に到着したのです。椅子に座って御祈念させて頂きながら、御祭典を待たせて頂きました。御祭典がお仕えになられ【有難いなあ。亡くなった母は熱心にご信心して下さったからなあ。私は、どのようにさせて頂いたら喜んでもらえるだろうか・・・】と考えながら御祭典を拝んでおりました。そして、目を閉じた瞬間に、前におられるご信者さん達が、横に退かれて道を開けられ、御霊殿のところから、初代教会長先生・二代教会長先生・三代教会長先生がお出ましになったのです。お広前に進んでこられたのですが、その後ろに私の母親が生前中の元気な姿で、子供のように嬉々として喜んで走り回っておりました。ハッと目を開けましたら、いつものように御祭典が仕えられているのですが、目を閉じますと、またその光景を見させて頂けるのです。自分の母親が、飛び回るように動いて私の傍まで来て、周りを一生懸命に喜んで駆け巡っておりました。

★私は、このように親に守って頂いて、結構に生活をさせて頂いているのだ、ということがよく分からせて頂きました。御祭典を仕えて頂けるということは有難いことで、その心になって御祭典を拝ませて頂きましたら、あのように親の有難い姿を見せて頂いて、誠にもったいないことでありました。その光景は忘れられません・・・」とお話し下さいました。

★皆それぞれに、現在がおかげを頂いている真っただ中です。物事は、自分の力だけで全てに行き届いて出来ることではありません。神様・霊様にお守り頂かないことには、立ち行かない事ばかりであります。教祖様のお取次のお徳、生神金光大神取次の道の御比礼に変わりはありません。歴代金光様のいつのご時代も、御比礼を頂ける中身に変わりはないのです。ただ、自分自身が、本当にその心にならせて頂けるかどうか、というところに違いが出てくるのです。

★『祈りてみかげのあるもなきも、わが心なり』

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2020年06月15日

●与えて頂いている役目を全うする 

教祖様のご在世中に、祈念祈祷を重んじていた修験道の山伏が、教祖様のみ教えを一方的に敵対視し、お広前を度々荒らしに来たのでした。しかし、教祖様は山伏に対して腹をお立てになるどころか、津川治雄師に『このお広前へある山伏が来てかれこれ(暴挙を働く)したことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれ(仕返し)してはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。…この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子先で合点せよ』とおっしゃり、どこまでも「神様のさせなさるご修行」と受け切って行かれ、腹を立てられることも、仕返しをしてやりたいという心にもなられませんでした。それは、神様がその体験を通して、物事や環境、人の心を整えて下さることを、有難くとらえておられたからです。また、先を楽しみにお願いなさっておられたことが、よく分からせて頂きます。

★慶応2年12月24日、高橋富枝先生が御神前で拝んでおられましたら、『大谷には山伏が来て荒らしたが、来春3月の7日、8日頃にはお上へ通り、公に拝めるようになるから、酒と肴とを持って歓びに行け。』と神様からお知らせがありました。高橋富枝先生は、すぐにその通りになされ、お広前に参拝されますと、献納の提灯や絵馬・幕など所狭しと置かれていた物が、何もかも山伏に持って行かれてしまい、ささやかにお社がお祀りされており、涙が出るような光景でありました。参拝者がみな異口同音に、山伏の暴挙に対して不満を申す中、高橋富枝先生は涙を堪えて「結構なお煤(すす)払いでございます。」(大掃除の意味)と持参されたお酒や鯛をお供えされました。

★すると、今度はご裁伝(教祖様のお口を通して神様のお言葉が下がる)があり、天地金乃神様は『何千何百人と参拝者はあるが、皆が気のふさがるような事を言い、一人として神を勇め慰める者はない。其方はおさなき婦人ながら、先の歓びを言い立てて神を勇める。神も誠に喜ぶぞ。』と伝えられました。そしてその後、神様のお知らせの通り、翌年3月にお上のお許しを頂かれて、山伏が来ることがなくなり、公に拝むことが出来られるようになられたのです。

★私達は、夫々に自分自身が頂いている役目というものがあります。主人は主人として、妻は妻としての立場があり役目があります。それをしっかりと全うさせて頂きましたら、心がフラフラして乱れることがありません。ご信心を基にして、日々の生活を盤石なものにさせて頂けますよう、お願いさせて頂きたいと思います。
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2020年06月14日

●覚悟が決まってこそ、ご修行させて頂ける

 阿倍野教会の布教当初、二代教会長伊藤コウ師は徹底して無理無駄ムラを省かれ「食べられない時には食べません、着るものがなければ着ません、お風呂に入られなければ入りません。教会が家賃を滞納しては神様のお顔に泥を塗ることになりますから、何としても月々のお家賃は支払わせて下さい」と、神様にお願いなさり、覚悟を持ってご修行下されたのです。コウ師が小学校へ勤めておられる時には、月々のお給金は全て教会にお供えなさり、そのお供えは多くが教会の家賃になっていたそうです。

★家風呂はありませんでしたので、風呂屋にも行かないことをご修行に決められ、夏は行水、冬は手拭いでお体を拭くだけになさっておられたということです。着物の仕立ても、洗い張りも、全てご自分でなさり、下駄は歯のすり減ったものでも履き続けられるなど、徹底して生活を始末なさりながら、お支払いするところ、お礼をするべきところには全てきちんとなさり、貯蓄もなさっていかれたのでした。

★伊藤コウ師は、「本気でお願いをする気のない人は参らなくてもよろしい。」と、厳しいお言葉でみ教え下さっておられます。そのご真意は、本気になって真剣なお願いが出来るからこそ、覚悟が決まり、改まりが生まれ、一歩一歩前進させて頂くことが出来る、ということです。

★有難いことに、私達はいつでも生神金光大神様のお取次を頂くことが出来、真に助かる道へと導いて頂くことが出来ます。「ああなりたい」「こうなりたい」と、自分勝手に思っているだけではなく、生神金光大神様のお取次を頂いて、本気のお願いを立てさせて頂き、お願い成就に向けて、改まるべき所はどこか、させて頂くべきご修行は何か、ということをお結界でお伺いしながら、日々信心向上のおかげを頂きたいと思います。

★『広大なおかげ広大なおかげというが、おかげとは、氏子めいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けてみよ。大きなおかげが我が身に頂ける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形に添うと決まったものじゃ。』

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2020年06月13日

●御用を通しておかげを頂く

御用にお使い頂けるということは、大変有難いことです。御用を通して有難いことに気付かせて頂けたり、自身の信心が向上させて頂けたりと、おかげを頂くことが出来るのです。

★例えば、例会のおかげ話の御用にお使い頂くことが出来ますと、入信以来、あるいは自身が生まれてから今日までを振り返らせて頂いて、おかげを頂き続けてきたことを、より一層感じさせて頂く有難い機会になることと思います。おかげ話をさせて頂くには、健康で声を出させて頂けないことには務まりません。しかしながら、自分の体でさえも自分ではどうしようもないところがあります。ですから、与えて頂いた御用は自分でするのではなく、神様にさせて頂くという心で、「無事健康で御用にお使い頂けますように」と日々油断なくお願いして、当日を迎えさせて頂くことが大切です。

★御用の御命を頂いた際、自分の体調に不安なところがあるなど、都合の悪いことがありますと、御用を断ってしまわれる方がおられます。これでは、日々、「体調が良くなりますように」と一生懸命お願いし、神様が「この御用を通しておかげを頂きなさい」と仰って下さっているにも関わらず、自分からおかげを頂ける機会を断ってしまうことになりますね。

★これらのことは、日常生活のどの場面でも同様です。本当のおかげとは、自分の手元から生み出されるのです。人の嫌がる仕事でも「はい、させて頂きます!」、どんな御用でも「はい、私がおかげを頂きます!」と自ら願いを立て喜んでさせて頂き、「有難い」の一心で務めさせて頂くことにより、めぐりを取って頂き、お徳を積ませて頂いて、おかげが頂けるのです。

★『やれ痛やという心で、ありがたし、今みかげをという心になれよ』(教祖様のみ教え)
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2020年06月12日

●日々の改まりは、日々の生まれ変わり

 あるご婦人が、娘さんの目が見えなくなった事を二代教会長・伊藤コウ師にお届けしますと、「毎日お参りしてみ教えを頂きなさい。」と仰せられたのでした。毎日1回お参りするようになられましたが、娘さんの目に変化はありません。2回参るようになられても、娘さんの目が見える兆しがありませんので、「先生、毎日2回お参りさせて頂いても、娘は目が見えないままです・・・」とお届けなさいますと、「あなたはどんなお参りの仕方をしていますか?お参りさせて頂きなさいというのは、『み教えを頂きなさい』ということです。み教えを頂いたら、生活に改まりが生まれて、必ずおかげを頂けるはずです。家の炊事場はどうなっていますか?野菜のくずは落ちている、お米粒は落ちている、毎日お参りをしてあなたは何を聴いているのですか!」と、み教えを下されたのでした。

★伊藤コウ師は、そのご信者の家を訪問されたことはなかったのです。「先生は私の家を見られたわけではないのに・・・」と不思議に思って、帰ってみると、先生の仰せの通り、炊事場は野菜くずとお米粒がたくさん落ちたご無礼な状態になっていたのでした。毎日見ているはずの場所さえも、自分が見えていなかったことに気付かせて頂いたのです。ご信者はそれまでのご無礼な生活を、神様にお詫び申して改まっていかれました。すると有難いことに、娘さんは目が見えるようになるおかげを頂かれたのでした。

★み教えを頂いて、天地の道理に基づいた在り方に、日々生まれ変わらせて頂くことは、真に有難いことです。有難いみ教えを頂いても、自分のことは顧みず、「これは、あの人に聴かせてやらねば!」と、思うような聴き方では、真のおかげを頂くことは出来ません。み教えは、素直に自分自身にしっかりと頂き、率先して悪癖・悪習慣を改まらせて頂けば、そのお徳は、水が自然と流れる如くに周囲にも伝わっていくのです。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。』

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2020年06月11日

●受け継がれる道

14日には、御本部に於かれまして、教団独立記念祭がお仕えになられます。御本部より、各地に於いて遥拝にておかげを蒙らせて頂くように、方針を立てられました。私共もそのご方針に従い、14日の朝お説教終了後に、阿倍野教会お広前に於きまして一斉御祈念をし、遥拝させて頂きますので、ご理解をお願い申し上げます。遠方各地の方々には、自宅にて遙拝なさって下さいます様、お願い致します。

★明治6年、お上より神官を罷免する布告が出され、布教差し止めとなり、教祖様は実質的に神主職を失われることとなられました。「これではご神勤が出来なくなられる。今後はどうなってゆくのだろう…」とご家族中に動揺が広がったのでした。しかし、神様より『家族一同、神の事を忘れるな。何事があっても、人を頼るようなことをするな。良いことも悪いことも、神任せにせよ。心配するな。世は変わりもの、五年の間、辛抱をせよ。とかく内輪仲良くせよ。ものの言い方でも、「あなた、こなた」というように、丁寧な言葉遣いをするがよい。何事も無駄口を申すな。』とお知らせを頂かれたのでした。

★お上より「神前の物を一切片付けよ。」と命令が下り、お広前のしつらえを全て取り払うように命じられたのでした。教祖様は、お上の命令通り、神前の物を残らず片づけられました。そして、人を頼らず、良いことも悪いことも、全て一切を神様に任せ、五年の辛抱をする覚悟で時節を待ち、より一層、家族中が力を合わせて、ご修行に励まれたのでした。その間に「天地書附」が定まり、それを目当てにして拝むように、参拝するご信者にお下げになられたのです。御神前で拝むことのお許しが頂けたのは、31日後のことでした。そして、教祖様が神上がられました後の、明治33年6月16日、願い続けておられた別派独立が、実現させて頂くこととなられたのでした。受け継いでゆかれるご修行があられてこそ、後々までが助かることになり、有難い世界が開けてゆくのだと解らせて頂きます。

★現在、私達が、このような有難いこのお道にご神縁を頂き、広大無辺なおかげを蒙らせて頂けますことにお礼を申すと共に、 この有難いお道の信心が、子孫の端々まで続かせて頂けますよう、より一層ここからの信心に励ませて頂きたいと思います。
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2020年06月10日

●お命を頂いているお礼の働き

 終戦間もない頃、毎日時間に遅れることなくお参りをなさっているご信者があられました。三代教会長先生が、よほど何かお願いごとがあるのだろうと思われ、「あなたは、どのようなお願いをもって参拝なさっているのですか?」とお伺いなさいました。

★するとご信者は「先生有難うございます。お願いはもちろん持っておりますが、私は毎日お礼参りをせずにはおれないのです。実は広島で原爆に遭いました。原爆が投下されて空が光った瞬間に、咄嗟にコンクリートの深い溝に飛び込んで身を伏せました。どのくらい時間が経ったか分かりませんが、溝から這い出てみると大変なことになっておりました。周囲の人々は皆焼けただれて亡くなっておられ、その有様はとても無残で言葉に表すことは出来ません。爆心地に近いところにおりましたのに、コンクリートにさえぎって頂いて奇跡的に命を助けて頂きました。その時被爆した結果、片目を失明いたしましたが、その日以来、命を頂いていることと、片目が見えさせて頂いていることが、大変有難くもったいないことだと分からせて頂きました。ですから、通常の生活をしておりましては相済まん、という気がして仕方がないのです。被爆しましたが手足は動きますし、体は達者であります。片目ですが見えさせて頂いております。有難うてならないので、毎日お礼参りをせずにはおれませんので、させて頂いております。これからも、命のある限り続けさせて頂きたいと思っております」と答えられたのでした。

★「この方は片目が見えなくても、もう一方が見えることと、命があることを喜んでおられる。五体満足で無事達者で、過ごさせて頂いている有難さをしっかりと持ち続け、そのお礼を申して、お礼の働きに変えさせて頂かねば申し訳ないことだ」と三代教会長先生が仰っておられました。頂いている命が有難いものであるという自覚をさせて頂いて、この御恩に報いずにはおれないというつもりで、「お礼の働きをさせて頂けますように」と願わせて頂くことが大切です。

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2020年06月09日

●素直に信心を進めていく 

昨日は、みかげ会例会にて、津田氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★津田氏はご結婚を機に、奥様と義母様からお導きを頂かれ、ご信心をなさるようになられたのでした。奥様は、嫁入りの時にご神殿をおともしてこられ、毎朝、御神水と御神飯をお供えなさっておられたそうですが、お子さんが生まれて奥様が育児に忙しくなってからは、津田氏が御神水と御神飯をお供えすることを、何の抵抗もなく自分の役目とされたということです。結婚当初は、教会の参拝といえば、越年祭、元日祭、春秋の御霊祭くらいだったそうですが、次第に御本部参拝も親戚一同と参拝されるようになり、節目にはお取次ぎを頂いて、頂かれたみ教えを素直に守ってこられました。

★以前は森之宮のマンションに住んでおられましたが、お子さんの成長と共に、広い住宅を探すようになられ、お取次ぎを頂いて、教会に近いところにと、願いを立てられました。すると程なく、阿倍野区松虫に、良い転居先を見つけることが出来られました。森之宮のマンションも、売却するにも簡単にはいかないだろうと言われていたところを、二週間で買い手が見つかるおかげを頂かれたのでした。また、引越して3年後に、勤務先の会社が大阪西区から堺市に移転し、以前よりも、大変通勤し易くなるというおかげを頂いておられます。

★引越されてからは、お義母様を呼ばれて一緒に生活なさり、お義母様は、日参できるところに娘さん家族と生活出来られることを大変喜ばれたのでした。

★親孝行第一に、今日まで素直に信心を進められ、お仕事の上にも、ご家族の健康の上に生活全般においても、都合よく間に合うようにおかげを頂いておられますことは、真に有り難いことと思わせて頂きます。

★『金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ。』
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2020年06月08日

●【あなたのおかげで】と立て合う

 あるご信者は、「息子が近頃、随分真面目になってくれて、神様のおかげですわ。有難いことや」と自宅でお嫁さんに言って喜んでおられました。それを聞かれたお嫁さんが、「神様のおかげではありません。私が一生懸命頑張ったからです」と言われ、お姑さんとお嫁さんの意見が食い違い、関係が悪くなってしまったのでした。

★その事をお結界でお届けされ「どうにも仕方のない嫁です」と話されますと、三代教会長先生は「それは、あなたの心掛けが間違っていますよ。そのような言い方では、お嫁さんにしてみれば『私が(お姑さん)これだけ一生懸命お願いしているから、神様がおかげを下さったのですよ』というように恩着せがましく聞こえてしまったのです。信心が進ませて頂きますと、『あなた(お嫁さん)が一生懸命に息子に尽くしてくれるから、息子が結構にならせて頂けた。あなたのおかげや。有り難う』とお礼を言えるようになります」と仰せられました。

★「では、神様のおかげはどこへいってしまったのですか?」と続けて尋ねられますと、「お嫁さんこそが、神様のおかげの現れです。あなたがご信心を進めさせて頂いて、お嫁さんを心から拝めるようになりお礼を申せるようになったら、今度はお嫁さんの方も『そんなに言ってもらったら恥ずかしいです。お母さんがご信心して下さるおかげです』となり、円満に収まるのです。神様のお働きをお嫁さんの中に見つけさせて頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★お互いに相手を立て合って、支え合ってこそ全てが成り立っていくのです。そうしたところに【おかげさまで】【あなたのおかげで】という言葉があるのです。ご信心が満ち満ちて、有難い言動になっていくことが大事であり、それが段々と心の栄養になって、おかげを頂いていく、ということになっていくのです。

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2020年06月07日

●平常まめなのが、大きなおかげである

5日には、真栄根会例会が開催され、奥井氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和45年、奥井氏は郵便局に勤務なさっておられるご両親の元にお命を頂かれました。お父様は、奥井氏が3歳の時に人工透析の途中に突然お国替えされ、お母様はその後もお仕事を続けられ、女手一つで育てて下さって、奥井氏は大学まで進学出来られました。

★奥井氏が小学2年生の時、お母様の職場に近い北畠へ引っ越しされたのをきっかけに、お母様の叔母であられる市橋氏にお導き頂かれ、親子で教会へ参拝なされたのです。

★現在、奥井氏は一部上場の化学品会社のグループ会社に勤務なさっておられます。二つの部署を兼任する形で業務なさり、インドやインドネシア・シンガポールを中心に出張機会が数か月毎にあられます。インドへはチタン鉱石の買い付けに、インドネシアへは石油から製造される石油コークスと呼ばれる石炭の一種の買い付けに行かれるのです。

★平成20年、奥井氏は大変有難いおかげを頂かれました。その年の11月、インドのムンバイでテロ事件が発生しました。ターミナル駅と二つの大きな老舗ホテルがイスラム過激派に襲撃され、180人近い死者を出し世界中に報道されました。そのテロ事件の当日、奥井氏はインドへ出張する予定であられました。しかし、出張する2週間前に突然取引先の都合が悪くなったという理由で、出張がキャンセルとなったのです。事件当日、会社のムンバイ事務所から連絡があり、当初の予定では面談するはずであった取引先の事務所は、襲撃を受けたホテルの斜め向かいで、宿泊するホテルも、テロにあったホテルの内の一つであったそうです。奥井氏の行動範囲は、テロ事件と全く重なるもので、幸いにも全員無事のおかげを頂かれたのでした。

★出張前後のお届けをなさる際に、仕事のことはもちろん、インドでの移動の安全面や、食事をはじめとして衛生面でのご都合お繰り合わせを頂き、健康を保てるようにお願いさせて頂き、無事おかげを頂いて帰国させて頂いたお礼を通じて、日本という大変安全で有難い国にお命を頂いた事を、特に帰国後に必ず身に染みて感謝し、お礼申しておられるのです。
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2020年06月06日

●神様に不足をお聞かせしない

 二代金光四神様がお取次下さっていた明治時代のことです。

★当時、備中でも有数の納税家の息子さんが、5年も病で苦しんでおられました。ありとあらゆる薬を試され、岡山から姫路・神戸・大阪へと病院に次々に入院なさり、お世話になられましたが、病状が一向に良くなられなかったのでした。ついに、医師から「施す術がない」と告げられたのです。お父様は、以前から金光様の元にお参りなさっておられたので、息子さんは、「どうせ死ぬなら、親元で死にたい。親がご信心している神様にお頼みするほかはない」と思われ、金光四神様の元にご両親とお参りになり、お取次を願われたのでした。金光四神様は、『おかげがほしい、助かりたいと思うなら、これから毒を止めて、薬を食べなさい』『一心に神さまへお頼みしなさい。これまで食べて治らなかった薬は、一週間くらい止めてみなさい。そのために死ぬようなこともありますまいから』と仰せになり、飲んでも病状が回復するばかりか、悪くなるのは体に返って毒であり、幼い頃から食べて育った食事で好きなものが薬になるから、それを薬だと思って、よく拝んで食べさせて頂くように、み教えを下されたのでした。

★息子さんは、そのみ教えを素直に守られ、一週間、二週間と続けられますと、随分と回復なさり、三週間後には、およそ12キロの道のりを、歩いて参拝出来られるほどに回復のおかげを頂かれたのでした。ご本人も、ご両親も大変喜ばれ、「お金で出来るお礼は何でもさせ頂きます。」と申し出られたのです。すると、金光四神様は、『命の代わりのお礼を、神さまへ供えたければ、今後、神さまへ不足をお聞かせ申さぬようにせよ。これだけが真のお礼じゃ』と、仰せになったのでした。生命を助けて頂いた御恩を忘れず、毎日全てを見抜き見通しでご覧下さっておられます神様に、不足をお聞かせ申さず、生涯お礼を申し続ける信心生活がどれほど大切なことか、よく分からせて頂くお話です。

★与えて頂いている家族や、仕事、住居等に不足心を持っているということは、神様に不足をお聞かせ申していることになるのです。神様に不足をお聞かせすることのないよう、いつもお礼の心に満ち満ちた、有難い生き方が身に付いて離れないものとなるように、お取次を頂いて、自らご修行を決めて、一生がご修行と心得、取り組ませて頂きたいと思います。

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2020年06月05日

●物が離れない生活 

以前、三代教会長先生がお使いになっておられた電気カミソリが、長年のご使用で調子が悪くなっている様子でしたので、「新しいものを買ってお供えさせて頂きたいと思います」と、先生にお許しを頂けるようお願いしました。そうしますと先生は、「それは有り難い。しかし、私は『最上級の物を持ちたい』という考えではないので、髭をきちんと剃ることが出来るものであれば、それで構わないから」と、仰ったことでした。

★スーツでも、40年以上も同じものをお召しになり、ある時クリーニングに出されますと、クリーニング店主より「これは襟が擦り切れていますので、もう精一杯着られたと思います。」と言われたことがありました。しかし、三代教会長先生は、「かけつぎをして下さい。」とお願いなさり、かけつぎ屋の方に見事にきれいに仕上げて頂いて、三代教会長先生は大変喜ばれ、その後も大切に着られたのです。

★私が小学6年生の頃、二代教会長伊藤コウ師が業務用のバリカンを私に買って下さいました。業務用で丈夫ですので、壊れずに現在まで40年以上使わせて頂いております。二代教会長先生は「そのバリカンを使って、散髪代を節約して、将来家を建てられるぐらいのおかげを頂きなさい。」と仰いました。それは無駄を省くこと、物(お金など)が離れていかない生活の有難さを教えて下さったのです。

★子供会や学生会のお直会で頂いた文房具類など、これまでに頂いたものは、長い間大切に使わせて頂きました。その中でも、筆入れは今でも使わせて頂いております。物を大切に使わせて頂いておりますと、次々と新しい物が欲しいという気にならなくて結構です。

★物の命を大切にさせて頂きますと、物が離れない生活にならせて頂けます。そして、律することと節することを心掛けておりましたら、心が豊かになり、生活も豊かなものにならせて頂けます。それらのことを心掛けておりますと、だんだんと人も物も自分のことを大切にして下さるようになっていくのです。無理・無駄・ムラを省いて、有難い生き方になりますように、日々の信心の稽古に励んで参りましょう。
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2020年06月04日

●人は補い合って、互いにおかげを頂く

 先日あるご信者が、就職の内定の通知を頂かれ、有難くお礼届けをなさいました。そのご信者は一年間正規の職から離れておられたのですが、その期間に、家族の為にお役に立つように世話をさせて頂かれたり、お国替えなさったお祖父様に対して、親孝行を少しでもさせて頂きたいと願われ、見送ることが出来られたのでした。ご信者は「親孝行の真似事もさせて頂くことが出来、客観的に自分のことを見つめて、自分の至らないところがよく分からせて頂ける時間を与えて頂きました。振り返らせて頂きましたら、あれもおかげを頂いた、これもおかげを頂いた、ということばかりでした。」と御礼を申しておられました。以前より謙虚な心持ちにならせて頂いて、面接を受けさせて頂かれましたら、内定のおかげを頂かれたことが、よく分かります。

★その間、教会にお引寄せ頂いて、お取次ぎを頂き「私は足らないところばかりですが、どうぞお役に立たせて頂ける場所を与えて頂けますように。一番良い所へお導き下さい」とお願いをなさって来られたのです。慢心がありましたら「なぜ私のことを認めてもらえないのか?これだけ一生懸命やっているのになぜ理解してくれないのか?働いてやっているのに・・・」と考えてしまいます。「働かせて頂きます、有難うございます」と思っている人とは大違いですね。

★人は優れているところと、まだまだ至らないところ、両方を持ち合わせております。み教えを頂いて、自分の至らないところを客観的に見て理解が出来ますと、「足らないところを補って頂いて、有難うございます」とお礼が申せます。相手の至らないところが目につく時には、「自分が少しでも補える働きになっていきますように」とお願いさせて頂きましたら、物事を円滑に進めさせて頂けるのです。家族の間でも、会社や組織の中でも同じことです。夫々に足らないところがありますから、足し合ってこそ有難いおかげを頂いていくのです。

★『欲しい、惜しい、憎い、かわいいということを放れて信心すれば、ますますごひれい立つものなり』

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2020年06月03日

●自分自身の中にある神心を育てる

私達の体の中には、常に神様がおられ、お働き下さっています。それは神心(内なる神様)であり、その神心を常に意識して生活させて頂き、生涯かけて表してゆくことを目標に、私達は日々信心の稽古に励ませて頂くのです。ですから、御神前で手を合わせて「生神金光大神様、天地金乃神様」と拝ませて頂く時も、自分自身の中に神様がおられる、その存在を意識しながら拝ませて頂く必要があります。

★御本部で聞かせて頂いたお話の一つですが、ある熱心なご信者で年老いた女性が、教会へ参拝途中に、四つ角で自転車にぶつかられ転倒されました。するとその自転車に乗っていた若い人は、お詫びをし助け起こそうとするどころか、そのお婆さんに対して「危ないやないか!」と謝りもせず、全く心遣いも出来なかったそうです。すると、そのお婆さんは「年寄りがウロウロして申し訳ありませんでした。」とお詫びを申されたのでした。それを聞いた若い人は、急いで自転車から飛び降り「申し訳ありませんでした。私が不注意でした。お怪我はありませんか?」とお詫びを申すことが出来られたのでした。そして、そのお婆さんを助け起こし「どちらへ行かれますか?」と尋ねられ、教会まで送って行かれたということです。

★そのお婆さんは、若い人の中にある神心を導き出され、相手も助かり自分も助かり、お互いに助かる道を聞かれたのでした。それは毎日お参りなさってみ教えを頂かれ、お取次ぎを頂かれて、どのように日々生活をさせて頂けばよいか、どのように信心を表させて頂けばよいか、ということを勉強なさっておられますから、いざと言う時に神様にお喜び頂ける信心を表すことが出来られたのです。

★神様が助かられ、喜んで下さる働きを現すことによって、私達氏子も助かるのです。自分自身の中にある尊い神心を導き出し、共にご信心を進めさせて頂くことが大切です。お広前にお引き寄せ頂くということは、日々おかげを頂く方へ導いて頂いているのです。『生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。』とご理解下さっておられます通り、毎日お取次ぎを頂き、「どうぞおかげを頂かせて下さい」と願わせて頂きましょう。
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2020年06月02日

●万物を拝む稽古

 新型コロナウイルス感染の不安が、銘々にとって身近なものとなったこの度の経験は、私達にとって大切なことは何かを考える機会となりました。その中でもとりわけ、何の心配もなく、支障もなく、日常生活を送らせて頂けることは、どれ程有り難いことなのかを分からせて頂いたことは、大きなことであったと思います。皆様もそのようにお感じになられたのではないでしょうか。

★また、他国の一部の地域で感染が始まったウイルスが、人の往来によってたちまち世界中に広がったことや、物流が滞ったことによって、他国で作られた部品が届かないばかりに、日本国内の生産ラインがストップしてしまうような事態が起きたりしたことから、世界をより身近に感じ、お互いにつながり合い、支え合いながら生活が成り立っていることも、実感させて頂いたことです。世の中に多くの方が命懸けで働いて下さって、現在の私達の生活を守って下さっていることを痛感させられました。また、周囲の人々の生命を守る為にも、自身の行動を律し、節していくことの大切さも分からせて頂くことになりました。多くの方々のお世話になって現在の生活があることは、実に有難いことです。

★教祖様は、『信心する者は、山へ行って木の切り株に腰をおろして休んでも、立つ時には礼を言う心持ちになれ』とみ教え下さっておられます。木の切り株は、表面だけを見れば、「木を切り倒した跡にただあるもの」ということになりますが、人が腰を下ろすまでに大きな切り株となるような木が成長するまでには、どれ程の天地のお働きがあったことでしょうか。お世話になる全ての人、物を拝み、常にお礼を申す稽古をさせて頂いておりますと、天地のお恵みを感じ、人の御恩が分からせて頂き、お礼の心を現わす有り難い生き方が、自然と身に付かせて頂くのです。

★ものの大小にかかわらず、お世話になる全てを拝み、お礼を申す稽古をさせて頂き、上半期締めくくりのこの月に、しっかりとお礼の信心を進めさせて頂きたいと思います。『信心すれば目に見えるおかげより目に見えぬおかげが多い。知ったおかげより知らぬおかげが多いぞ。後で考えてあれもおかげであった。これもおかげであったということがわかるようになる。そうなれば本当の信者じゃ。』

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2020年06月01日

●不自由を喜びに変える

中山亀太郎師は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。

その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、夜も内職をなさり、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられました。辛い苦しい毎日で生きてゆくことも出来られない程くじけられ、思春期には自らはさみを喉に突きつけ、自殺を図られたこともあられたそうです。

しかし、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、温かく優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、お子さんが自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。

足の指にエンピツを挟んで字も書かれ、大学では授業中に書き留めたノートは、健常者の友人が借りに来るほどきれいに書いておられたそうです。少し残った腕で脇にお箸を挟んで食事も頂かれ、自転車にも乗られました。

また、義足をはめての歩行は、ご不便もあられたことと思われますが、「電車の中では、席に座れない時には、義足をはずしてその上に座るとなかなか便利です。」と喜んでおられたそうです。先生は、義足をはめるご自分の足の部分が少し短く、長めの人に比べて、使いながら外れてしまい易かったそうですが、先生は、義足が外れやすいことも「諦める」のではなく、喜びに変えておられたのでした。

★先生は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として
1)「より健康にならせて頂いたこと」
2)「不自由の少ないこと」
3)「明朗になったこと」と仰られました。

★ご不自由がたくさんあられたに違いないと思える境遇であっても、有難いご縁を頂かれて、有難い方々にお世話になられて、様々な方々の恩恵やご慈愛の中で、喜びに満ち溢れて満99歳を越えられるまで、ご長寿のおかげを蒙られたのでした。私達は、そのことを考えますと、不自由ということを口に出すことはご無礼であり、申し訳ないと思わせて頂きます。ただただ、「真に有難しと思う心」にならせて頂く稽古を、積み重ねさせて頂きたいと思います。

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