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2020年05月08日

●神様と共に、先を楽しんで辛抱させて頂く

先日、ある若いご信者が「私は我慢が出来にくいので、我慢が出来るようになりたいです」とお届けなさっておられました。我慢という言葉は、江戸時代末期頃では、良い意味では使われませんでした。「我意を張り通す」と言って【我が強い】という内容でした。そして、使われ方が段々と変化してきて、現在では「堪忍する・辛抱する」という意味で使われています。

★もう一方で、辛抱という言葉があります。「辛抱」という言葉は辛いことを抱えると書きますが、昔の辞典を調べてみますと、「心法」という言葉が「辛抱」という言葉になったのではないかというように書かれています。「心法を守る」というのはどういうことかと言いますと、「こういう生き方をさせてもらいたい」と心の中に決まりを持っているということです。私達でしたら、「実意・丁寧に正直・親切に生かせて頂きたい」「教祖様のみ教えを、しっかり守らせて頂ける人間にならせてもらいたい」ということですね。心に守りや願いを持って生活をさせて頂くわけですから、人がどうあろうが自分の意思を貫かせて頂けますね。それが心法を守るということです。

★「私が我慢してやっているのに」ということになれば、おごりがましいことになり、傲慢不遜になってしまいますね。ですから教祖様は『信心辛抱の徳』と仰ったのです。有難く、先を楽しみに、神様と共にさせて頂く辛抱、喜んでさせて頂く辛抱になりますとお徳を頂かせてもらえるのです。ですから、辛抱させて頂けましたら「金光様有難うございます。お守りを頂き、今日も一日辛抱させて頂きました」とお礼を申すのです。そういう姿におかげを蒙らせて頂けるのです。

★『神信心する者は我慢我欲をしてはならぬぞ。』
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:02 | 令和2年の「み教え」