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2020年05月26日

●自分の都合ばかりを優先しない 

お母様の介護をしておられたご信者があられました。そのご信者は、お仕事を在宅でしておられましたので、仕事をしたい時間帯とお母様の介護をする時間帯が、重なってしまうことも多々あられたようです。仕事をする為に、お母様に少し待ってもらったりしていると、段々とお母様の認知症の度合いが進んでしまい、夜中に徘徊したり、下の世話も以前より手がかかるようになってしまったそうです。

★お結界で「どのようにさせて頂いたら、おかげになるのでしょうか?」とお届けをなされましたので「あなたの都合を第一に考えて、あなたの時間帯で動かそうとするから、お母様の体調が悪くなられたのです。あなたの都合を第二にして、お母様の都合を第一に考えれば調子も良くなるでしょう。例えば「今お風呂に入りたい」と仰ったら、怖い顔をせず機嫌よく聞いてあげるのです。自分の都合は後にして、お母様の都合を第一に考えて、一生懸命に心を込めて、にこやかにお世話なさったら有難いおかげを頂けますよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★以前は、お手洗いでも「漏らしたらあかんから、今のうちに行っておいてちょうだい」とお母様が行きたいか、行きたくないかはさておき、自分の都合・段取りで言ってしまっていたそうです。そうしたところを改められましたら、お母様の認知症は見違えるほど良くなるおかげを頂かれたのです。90才を越えて長寿のおかげを頂かれたお母様は平成20年に安らかにお国替えになられました。

★人に対しても相手に要求するばかりであったり、神様に対しても自分の都合だけで要求したりと、自分中心の生き方では段々と行き詰ってくるのです。神様に心を向けて生活させて頂き、神様が自分に対して、何をどのようにしてほしいと願っておられるのかを、分からせて頂く心にならせて頂いたら、和らぎ喜ぶ心になり、皆が助かる道が開けていくことだと思わせて頂きます。共々におかげを頂いて参りましょう。

★『何事も自分でしようとすると無理ができる。神にさせて頂く心ですれば神がさせて下さる。普段から神に取り縋っていれば、神と心やすくならせてもらっているのと同様である。無理も聞いて頂ける。』
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2020年05月25日

●真一心でみ教えを頂く

 羽衣教会の二代教会長・松岡安枝師は、お父様の亡き後、結婚なさるまでお母様と共に阿倍野教会の近所で暮らしておられましたが、一生懸命働いても働いても、暮らしは楽になるどころか厳しくなるばかりでした。そんな中日々み教えを頂かれて、「我が家には、人様に迷惑をかけためぐりが積み重なっているのだ。前の溝をさらえるつもりで、ご修行させて頂こう」と、心に決められ、亡きお父様が残された負の遺産である、多額の借金を返済する覚悟をなさったのでした。

★そのことをお結界で二代教会長・伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さいました。ところが借金の額は、当時の月給を全てつぎ込んでも3年で返せる額ではなく、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られないのでしょうか?」と尋ねられたのです。すると、「親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通して、おかげを授けてやろう、とおっしゃっておられるのですよ。あなたはそろばんを放しなさい。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と真の信心にお導き下さったのでした。

★覚悟を決められた松岡師は、返済が済むまでは、ご自分のものはたとえ靴下一足でも購入せず、お母様は、「借金が返済出来るまでは、病院に行きませんので、この塩水で喀血を止めて頂けますように!」と、ご神前にお供えなさった塩水を、薬と思っておかげを頂く信念を貫かれたのでした。また、大好きな甘い物も一切買わないと決められ、徹底して始末して御修行なさったのです。

★ある時、借金を返済なさっておられた相手先の社長が、お父様の借金を娘さんがコツコツと返済なさる真心を大変感心してお受け取り下さり、「これをお父さんの御霊前にお供えください」と、風呂敷包みを下さったのです。中には、返済した以上の御霊前のお供えと、借金金額の証文が入っていたのでした。そのようなおかげを頂かれ、み教え頂かれた通りに借金の証文が全て手元に返ってくるという大みかげを頂くことが出来られたのでした。

★生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂くからこそ、信心が進ませて頂けるのです。「おかげを頂かせて下さい!」という真一心でお取次を頂き、み教えを実行させて頂きましょう。

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2020年05月24日

●親は親の立場で、見直し、改まる

ある先生が金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)に「うちの子供がやんちゃで困ります。」とお話をなさって現状をお聞きに頂かれたそうです。それというのも障子をよく破るので注意しておられましたが、何度言うて聞かせても障子を破るのが止まりませんので、度重なるごとに怒鳴ったり、尻をつねったりしてしまったということです。

★すると、キクヨ姫様は「良い子じゃのう、元気な子じゃ。」と子供を褒められた後、「やんちゃするだけ元気なことだから喜ばねばならん。2歳、3歳の子は外に働きに行くまい。小さい頃は親の手元におって、ガサゴソするのが仕事じゃ。やんちゃをしなくなると、親はそれ体温計じゃ、水枕じゃと走り回り、どうぞ一日も早く良くなって、やんちゃをしてくれと思うであろう。」と仰せられ、次には「あなたは子供に障子を破られたら、その障子をどうしているのですか?」と尋ねられました。その先生は「また破ると思って、放ってあります。」と答えられました。キクヨ姫様は「口では『破ったらいかん』と言いながら、心の中では『また破るじゃろう』と思って、破られることを待っておるではないか。破られたままにしておるから子供心に破っても良いと思うのです。破られたらすぐに貼る。そうすると子供ながらに『私が一生懸命破っているのにお父ちゃんお母ちゃんはすぐ貼るが、破るということは良くないことだな』と思うようになり、破るのをやめる。」と仰ったそうです。

★そうして、根気強く貼り直しておられましたら、三か月程して破らなくなったのです。その先生がお礼の報告をなさいますと、キクヨ姫様は「子供が破ったのを貼ると思えば大儀だが、あなたが30年前にやんちゃをして破ったのを、今貼りよるんじゃと思って貼りなさい。子供はまた20年,30年したら貼らされますよ。」と笑いながら仰せになられたのでした。

★親が子供に対して教える時でも、これまでの自分の行いの積み重ねが今日です。家族の身の上に、何かが起こってきた時には、親の立場で改まるべきところを、神様がお知らせ下さっておられるのです。ですから、「これは誰々が悪い」「これは環境が悪い」と考えるのではなく、親は自分自身を見直すことが大切です。
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2020年05月23日

●信心が向上するように稽古に励む

『「なんぼうご信心じゃというても、金光様のようなまねができるものか。金光様は神様に生れついてござった」と言う者がある。金光様は、「此方じゃというても、はじめから生神じゃなかった。言うて聞かすとおりにしてこい。此方のようになれる」と言うてござったから、できぬのではない、せぬのぞ。命を助けてもらおうと思う時の一心があったら、できぬということはない。』

★金光様のみ教えは聞いて知っているけれども、とても出来る気がしないと思ってしまうのは、自分自身が本気になってお願いして、真剣に取り組んでいない結果です。日々稽古に励ませて頂きましたら、上達させて頂くことは間違いありません。稽古というのは大体が形の真似から入ります。そこから進んでいきましたら、有難いことに心が伴っていきますから、まずはしっかり願いを立てさせて頂いて「どうぞご信心が向上しますように、本物に近づかせて頂けますように、一段一段進ませていただけますように」とお願いをさせて頂くことです。そして、ご修行をそれぞれに決めさせて頂くことが大切です。

★立派なご信心をなさっている方を見て「あの人は特別だ。あの人のご信心を、私がとても見習えるものではない」と思ってしまうのは心得違いです。そういう考えを持ってしまって、最初から諦めてしまうのを不成心といいます。「今日からおかげを頂こう!明日は良くなる、明後日はもっと良くなる!」と信じて、日々の生活を改まらせて頂いて、より良い方向へ改善させて頂けるようにお願いをさせて頂きましたら、自ずと変わらせて頂き、結構におかげを蒙る方向へ神様が導いて下さるのです。

★人間の本性・本質的なところは変わらないと言う人がありますが、それは改まる心が足りないからです。生まれながらにして、神様から有難い物を頂いておりながら、我情我欲で覆い隠してしまっているところがあります。我情我欲や不成心をお取り払い頂く為に、お広前に参拝させて頂いて、日参と聴教に励ませて頂き、日々お取次を頂いて足りないところは足して頂き、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2020年05月22日

●神は平等におかげを授ける

新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、5月23日(土)に予定しておりました、御本部御礼参拝は中止とさせて頂きます。また、6月14日の教団独立記念祭参拝も御本部より、各地に於いて遥拝にておかげを蒙らせて頂くご方針を立てられました。私共もそのご方針に従い、5月、6月の御本部御礼参拝当日の朝、お説教終了後に阿倍野教会お広前に於きまして一斉御祈念をし、遥拝させて頂きますので、ご理解をお願い申し上げます。遠方各地の方々には自宅にて遙拝なさって下さいます様、お願い致します。

★天地金乃神様は、私達氏子に平等におかげを授けて下さっておられます。お日様のお照らしを与えて頂き、大地のお恵みを授かって空気や水、食物、生活に必要なあらゆる物質、原材料を使わせて頂いております。天地のお徳の中に住まいをさせて頂き、有難いお恵みの中で生活をさせて頂いていることは、まさに平等に与えて下さっておられるおかげなのです。また、これ以上無い平等なことと言えば、世界中の人が皆24時間を与えて頂いていることでしょうか。しかしその平等というのも、考え方を間違えてしまいますと本当の意味が分からないようになってしまうのです。

★二代教会長・伊藤コウ師は、[ここにパンが一つあるとして、そこに3人居れば3つに分けるのが平等だと思っていますね。或いはここに一万円があるとして、10人居れば10人に分けるのが平等だと思いますね。しかし、そういう考え方が全てではありません。天地の親神様の平等は少しご意味が違います。『神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。』とみ教え下さっておられます通り、盃でおかげを受ける人と、大きなたらいでおかげを受ける人と、夫々の器によってそのおかげの頂きようが違うのです。また、その人の働きによって、おかげの頂きようが違います。その人のお徳によって、おかげの頂きようが違うのです。これが平等というものですよ。神様のおかげを頂いて努力させて頂いた人間は、神様は「ああもしてやろう、こうもしてやろう」と思う以上にして下さいます。怠けた人間には怠けたように、神様はきちんとなさいます。これが天地の親神様の平等である、とよく分からせて頂くことが出来ます。]とみ教えなさっておられました。

★身体を大切にするということは、何もせずに寝て暮らすことではありません。身体を大切にするということは、自分自身の体に頂いている能力を生かしてゆくということです。そして、自分の与えて頂いている使命をしっかりと分からせて頂いて、責任を果たしてゆくことが身体を大切にするということで、人生を大切にするということです。それは神様を抜きにして出来ることではなく、陰日向なくさせて頂くことが結構におかげを頂いてゆく生き方となるのです。
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2020年05月21日

●変わりなくさせて頂けることが有難い

『同じことを繰り返す毎日をつまらんことじゃと思わずに、変わりなくさせてもらえるのは有難い、と心得てしたら、おかげで繁盛します』
日々変りなく食べることが出来、寝ることが出来、仕事をさせて頂ける、あるいは、学校に行って勉強させて頂ける、というのは、これ以上ない有難いおかげを受け続けている毎日なのですが、ともすると私達は、つい「変化がなくて面白くない毎日だ」等と口走ってしまったりして、不平不足の心が出ることがありますが、これは大きな間違いであったことが、この度の新型コロナウイルス感染拡大に伴う生活の変化によって、身に染みて分からせて頂いたのではないでしょうか。

★三惚れの信心(現在の環境を喜ぶ)
1)家族に惚れる・・・神様から授かった家族ですから、「こんな有難い家族はない」と喜ばせて頂く。
2)仕事に惚れる・・・神様から与えて頂いたお仕事を「天職だ」と喜び、こつこつと地道に励ませて頂く。
3)土地に惚れる・・・住まいさせて頂いているお土地、商売させて頂いているお土地を、「これ以上ない結構なお土地で有り難い」と、喜ばせて頂く。

★家族が一緒に生活をさせて頂けることも、決して当たり前のことではありません。世の中には、昨日まで普通に生活が出来ていた家族が、ある日突然、一家離散となるような憂き目に遭う方々もおられるのです。それは、決して遠い世界の話ではなく、今日の日本の、身近な所で起こっていることです。この度、銘々が経験した「不自由」をおかげにさせて頂けるよう、今日頂いているお恵みを、「失ってから気付く」というのではなく、いつも小さなことでも喜びを探してお礼を申す稽古をさせて頂きましょう。

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2020年05月20日

●「何が何でもさせて頂きたい」という心         

大和小泉から参拝なさっておられた土井つちの氏は、90歳を超えてお国替えになられたのですが、何でも美味しく頂くことが出来られ、自分の事は何もかも自身でさせて頂いておられました。子供・孫・ひ孫の代が、しっかりと信心を受け継がれていますので、有難い安心と喜びに満ちた生活をなさっておられたのです。お国替えなさる前日まで、庭の草むしりをなされ、朝食も美味しく頂かれて、安らかに眠るがごとくに、お国替えさせて頂かれたのでした。

★まだ交通の便も悪い頃のことです。当時、土井氏は西区九条に住んでおられました。朝参りをして、み教えを聴かせて頂きたいと願われ、月にこの日と決められて、九条から娘さん達を連れて、歩いて参拝なさった事があられました。朝早くに家を出発して、3時間以上もかけて歩かれたそうです。朝参りをさせて頂く為に、前日の晩から段取りをさせて頂くことから、嬉しくて有難くて仕方がない心持ちであられたということです。

★信心が向上させて頂くためには、「出来たらやります」という心ではなく、「何が何でもさせて頂きたい」という心を常に持ち続けることが大切です。「出来たらやります」という心ですと、「時間がない」「交通の便が悪い」等々、出来ない言い訳が次々と出てきて、自分を甘やかしてしまいます。「何が何でもさせて頂きたい」という心であれば、不成の言い訳は出てくる余地もなく、距離も時間も全て超越されるのです。

★土井つちの氏のような、おかげを蒙ってこられた手厚い信心の先輩の方々のお姿を拝ませて頂きますと、しっかりと信心のお徳を頂いて、おかげを蒙らせて頂く日々を積み重ねて、何十年も立ち行くということは、どれほど有難いことかと分からせて頂きます。
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2020年05月19日

●人間中心の考え方を改めてゆく

『人の心は移り変わりやすいものである。その、人の心を頼りにするから、腹を立てたり物事を苦にしたりすることになる。人に向かう心を神様に向けよ。神様は、氏子の願いは何でも聞き届けてくださる。』

★私達はつい人を目当てにしてしまいますが、神様を目当てにしなさいよと教えて頂いております。願えばなんでも聞き届けてくださる、有難いお道にお引寄せ頂きながら正しくお願いをさせて頂くことが出来ておりませんでしたら、申し訳ないですね。正しくお願いさせて頂く為には、ご信心の基本のところである、生命を頂いて生かして頂いているお礼や、今日も結構に家族や住まいや仕事を与えて頂いて、毎日の生活を営ませて頂いているお礼を申し上げるところから始まります。そしてお礼の足らないところは多々ございますから、そのことをしっかりと自覚させて頂いて、お礼の申し足らないお詫びを申し上げるのです。お礼とお詫びを先にしっかりさせて頂いて、その上でなんなりと実意をもってお願いさせて頂きなさいと教えて下さっているのです。

★教祖様はこのお道の信心の奥義九ヶ条を教えて下さっています。一、方位(日柄方位の良し悪しの迷信を絶つ)二、毒絶て(食物に関する迷信を絶つ)三、不成(成らずの心。「無理だ」「出来ない」など、可能性を小さくさせる思いを絶つ)四、欲徳(食欲等、神様から与えて頂いた、生きる為に必要な正しい欲をしっかり保持たせて頂く。)五、神徳(神様からご信用頂き、用いて頂く)六、人徳(人に用いられること)七、神(神様を敬う)八、皇上(ご先祖を敬う)九、親(親を敬い孝養を尽くす)

★一・二・三はお取り払い頂き、四・五・六は大きくしていき、七・八・九は孝養を尽くしていきなさいということですね。神様を中心にした生き方を心がけてゆくことを教えて下さっているのです。有難いお道の奥義九か条というものを、日々の生活の中で自分自身に頂いていくこと、お礼の申し足りない自分であると自覚をして、お礼とお詫びを日々心掛けてさせて頂くことが大切ですね。

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2020年05月18日

●常にみ教えを頂き直す心で

現在、緊急事態宣言が発令されている中で、私達がよく感じられることは、常平生からみ教え頂いているご内容は、実に根本的なことを教えて頂いているなあということです。「無理がないように、無駄がないように、ムラ気がないようにしなさい」ということや、「実意・丁寧・正直・親切を心がけなさい」「親切とは相手の方の心になることですよ」「慢心してはいけませんよ。」「人間至上主義の人間中心な生き方になってはいけませんよ」等など…。現在、私たちが大切に心掛けて生活せねばならないことばかりである、と今気付かされます。毎日の生活に無理・無駄のないように、日々の生活の見直しをさせて頂く良い機会を与えて頂いているのですね。何を中心に、何を大事にさせて頂けばよいのか、日々何を省かねばならないのか、しっかりと考えていかねばならない時期だと思わせて頂きます。自分の生命や周囲の人の生命を大切にすることを第一にし、健康と安全を図らねばなりません。そのためには、「あれもしたいこれもしたい」という自分の欲求を満たすことを辛抱しなければなりません。

★論語に「三年の蓄えがなければ国にあらず」と記されていますが、二代教会長・伊藤コウ師はそれを引用なさって、「三年の蓄えがなければ家にあらず」とみ教えなさっておられました。また、三代教会長先生は「日々の生活は、平穏であっても、薄氷を踏む思いで、緊張感を保って心中御祈念させて頂く」ということをみ教え下さいました。戦時中のような非常事態は、誰しも生きることに必死で、日々緊張感を持って一日一日を生きますが、平時はつい「これくらいは大丈夫だろう」というような、油断が随所に出てきてしまいます。そうした油断の心を戒めておられるのです。用意周到に準備していれば、まさにこの事態のように何か事が起こってきた時に、慌てふためくことなく生活させて頂くことが出来るのです。

★私たちは常にみ教えを頂く心構えになって、「このみ教えはどうあっても守らせて頂かねばならない」「しっかりと頂き直して、み教えに基づいた生活にならせて頂かねばならない」ということを心に刻んでゆく必要があります。今まさにみ教えを頂いてきたことの意味がわかり、真価が問われる時であります。そして平常心で事にあたらせて頂くことが出来ていれば、常のご信心を行き届いてさせて頂いていた、ということになりますね。

★『なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬ。わが心に食い込んで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。』
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2020年05月17日

●生まれ変わる勇気をもって

 日本全体に緊急事態宣言が発令されてからおよそ40日余り経ち、一人一人が様々な面で、これまでと違った生活様式を取り入れておられると思います。教育では、インターネットを使ったオンライン授業が普及してきているようで、外出を自粛しながらでも、授業が受けられる環境が整ってきていることは、大変有り難いことです。しかしながら、突然映像や音声が途切れる、といったようなトラブルもあるということで、環境に慣れることも、整備をより充実し、工夫することも必要になってくるでしょう。また、日常的にマスクをつける生活を送っておりますが、これから気温が上がり、夏になってもマスクの必要な日は続くようですから、例年にも増して熱中症に気を付けなければならないと言われております。

★先日、ある学生さんに、「卒業して社会人になったら、勉強しなくていいから楽になれると思ったら、それは間違いですよ。勉強は生涯続くものですよ。」と、お話しさせて頂いたことでした。例えば、私達は社会人といえども法律を全て知っている訳ではありません。司法試験に合格して国家資格を取られた方でも、六法全書の全てを網羅して勉強なさっておられましても、日々事案に当たられながら、より一層の勉強と経験を積んでいかれる中で、世の中のお役に立つお仕事が出来られるようになっていかれるのでしょう。

★これまでと同じ在り方で、生きてゆけるということも有り難いことかもしれませんが、それではなかなか成長は出来ません。常識だと思っていたことが通用しない、ということに直面したり、分からないことに出会うことによって、自分の殻が破られ、一段と進んだ姿に成長させて頂くことが出来るのです。それが有難いのです。

★私達一人一人のご信心が進ませて頂くことが、神様へのお礼であり、神様のお喜びとなるのです。鍛錬に励み、千日の修行、万日の修行を積み重ねさせて頂き、謙虚さと、良い方向へ生まれ変わる勇気をもって、日々一段と信心が向上させて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

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2020年05月16日

●志を立てて、一心に神様にお縋りさせて頂く       

初代教会長・伊藤徳次師が、亡くなられた十日祭の当日の11月6日、旧広前のご建築の為の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられました。コウ師は、[なんと御慈愛の深い神様だなぁ。もし役員・建築委員の方々が「後の事は、私達が皆引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください。」と言うて下さったとしたら、ついその御厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様に頼んで建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。]と願われ、連判状を御神殿にお供えされました。そして、「これほどまでに神様は私を可愛がって下さいますか。有難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。どうぞ、借金や恩借、寄付の強要、ご信者の分担金なしで建築を成就させて頂けますように。」とお礼を申し上げられて、お願いなさっておられました。

★ある時、竹本駒蔵師より、建築費の7割程の現金を「無期限・無利子ですから、遠慮なく使いなさい」とわざわざ京都からお持ち下さいましたが、コウ師は丁寧にお断りになられました。すると、竹本師は「それでは、お供えさせて頂こう」と仰って下さいましたが、コウ師は「先生がお供えなさるのは、御本部があられ、親教会があられますから、それは筋違いでございます。神様の心に適いませんので、お受けすることはできません。」とお断りなさったのです。そしてついに、借金なし、分担金なし、寄付の強要なしで、翌年の昭和2年11月11日、開教5年の記念大祭と新築落成の祝祭を、盛大に奉行させて頂くことが出来られたのでした。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。神は曲がりも折れも死にもなさらんからのう。』『うろたえ信心をせぬがよろしい。また、早くおかげを受けたいと思うてうろたえるのは、近道をしようと思うて知らぬ道をうろたえるのと同じことである。此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。』
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2020年05月15日

●み教えを頂く心の準備

 あるご婦人は、「息子の嫁に着物を買ってやったのですが、お礼の一つも言いません」と、二代教会長・伊藤コウ師にお届けなさったのでした。コウ師は、「それは、あなたがお嫁さんに対して、お礼の心が足りないんじゃないですか?日々、大切な息子さんの食べること、着ること等、一切のお世話をして下さっているお嫁さんに、まずはあなたが、しっかりお礼を申すように心掛けさせて頂きましょう。」とお話しなさったのでした。

★そのご婦人は、「全くその通りでございました。これからしっかり改まらせて頂きます」と、み教えを有難く頂かれたので、コウ師は、「有り難いなあ!あなたは、日頃からみ教えをしっかり聴いておられるから、このようなみ教えも、すぐに素直に聴かせて頂くことが出来るのですよ。」と仰せになり、大変喜ばれたのでした。

★このご婦人は、7人のお子さん、14人のお孫さんに恵まれ、親孝行を願う子孫の皆さんから米寿のお祝いをして頂かれた時には、「これからは、子孝行、孫孝行がさせて頂けるよう、元気におかげを頂きたい」と、有難いご挨拶をなさったのでした。90才を超えられても、教会の近くに1人でお住まいになり、家事全般、身の回りのことも自分で何でもさせて頂かれ、日参・聴教に励まれながら、お掃除など御用を通してお徳を積まれたのでした。

★自分の心が我情我欲で一杯になり、頭も既成概念で凝り固まっていては、有難いみ教えを頂いても心から漏れ出てしまい、あるいは自分の狭い考えではねつけてしまって、み教えのご真意を頂くことは出来ません。日々お取次を頂きつつ己を省みることによって、心と体の余計なものをお取り払い頂き、まっさらな心でみ教えを頂くことが出来、真の改まりが出来ていくのです。

★『神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2020年05月14日

●良い言葉がけで心も体も救われる

言霊(ことだま)という言葉がありますが、言葉にも魂がこもっているのです。言葉には人を助けさせて頂けるような力がある一方で、周囲の雰囲気を悪くしてしまうような力もあります。ご信心させて頂いている私達は、良い方へ使わせて頂く稽古をさせて頂きましょう。例えばお見舞いに行かせて頂きましても、相手の気分が助かっていくような言葉の使い方でありましたら、その瞬間から、相手の心がおかげを頂いていく方へ開かれていくでしょう。そうしたことが有難い御用に使って頂く、ということになるのです。

★反対に、お見舞いに行かせて頂いて「あなた痩せて弱ったなあ。これやったら病気が進んでしまうやろなあ」などと、相手の心がより一層弱くなってしまうような言葉がけをしてしまうと、相手の方の心は辛く悲しみに満ちて助かりません。さらに、世間の悪いことを話しておりましたら、その空間に有難いものは満ちてきませんね。ご信心を共々に勉強させて頂き、嬉しく有難く喜びに満ち満ちて生活をさせて頂いて、有難いの一心で真心の一筋におかげを蒙らせて頂きましょう。

★『人は善悪の友によるというてなあ、此方へ参りて何かありがたい話と思うて聞いておる時には心が円い。わがうちでいろいろのことが思われるような時には腹が立つ。心に角がつく。腹を立てると、顔、くちびるまで、色が変わる。これは血の巡りがとまるのである。体の弱い人は、すぐにさし障り、頭痛がしだす者もあり、癪の病ある人は腹が苦るようになりたりして困るが、これはいかなるわけであるかというに、体へ血の巡り働くのを、腹立つと、その勢いにて体が固くなり血をとめる。ゆえに体に障りが出る。腹が立つのが少し折り合うと、とめた血が働く。腹が立つ時には、心の鏡を磨いてもらうように、神様を頼む心に改めるがよろしい。信心して病気にならぬようにするのが、わが心でわが身を救い助けるというものである。』
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2020年05月13日

●真心の一筋と有難いの一心

 11日には、天候を初め万事に有難いおかげを頂き、天地金乃神大祭をお仕え申し上げることが出来ましたことは、大変有難いことと思わせて頂いております。

★御祭典は全てに神様にお供えさせて頂くということですから、準備の御用も、後片付けも、全てがお供えです。ただ神様にお喜び頂けるように、とばかり考えていれば、後は神様が一番良いようにして下さると信じて、自分自身は神様に使って頂けば良いのです。何もかも神様に使って頂くのだという覚悟を決めさせて頂きますと、有難く喜びに満ちて何事もさせて頂け、おかげを頂いている姿にならせて頂けるのです。

★『的無しの信心を授けておくぞ。一心を定めて、いただくがよし。おかげは受け勝ち、守りは受け得。おかげ受けたら、ご恩を忘れてはならぬぞ』とみ教え頂いておりますが、的無し信心とは、真心の一筋と有難いの一心でご信心をさせて頂くということです。「どうしたら神様に喜んで頂けるだろうか」ということが中心にならなければなりません。神様に喜んで頂けることだけを考えて一生懸命させて頂くということになれば、焦ったり、意地になって推し進めていくことがなく、先を楽しんで信心をさせて頂けます。

★おかげを頂きたい、という思いばかりが先に立ってしまいますと、横道に逸れてしまいます。「私のお願いを聞いてください、だけど神様のみ教えは聞きません」では、本当に真心が先に立っているとは言えません。自分勝手なわがまま気ままを、神様に押し付けている姿になってしまいます。それでは結構になるはずがありません。しかし、これは誰の中にもそういう部分は無いとは言えません。自分のお願いを聞いて頂くより先に、「神様に喜んで頂ける信心にならせて頂けます様に」というお願いが大切なのです。また、神様は人の助かりを願うことをお喜び下さいます。真心で以って、人の助かりを願う信心を進めて参りましょう。

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2020年05月12日

●神様の思召しに添う生き方を心がけて

昨日は天候をはじめ万事万端ご都合お繰り合わせを蒙り、天地金乃神大祭をお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。

★天地の親神様の御神徳の中に生かされて生きている私達です。『おかげの中に生まれ、おかげの中に生活をし、おかげの中に死んでいく』というみ教え通り、それぞれがこの世に生を受けて、今日まで、ずっと天地のお恵みや、国家・社会・人々のさまざまな恩恵の中で、生活をさせて頂いてきました。そのお礼をしっかりと申し上げ、お礼の足りないお詫びを申し上げました。そして、これからさらに世界中が助かっていきますように、一人一人のお身体の上にも有難い御比礼を頂かれ、無事安全に過ごさせて頂かれ、有難い生活を営ませて頂けますように、お願いをさせて頂く御祭典を仕えさせて頂きました。

★『氏子らは小さい所に気をつけて、夜分に提灯を借りても、手みやげをつけて、大きにありがとうと礼を言って返すが、日乃神様には、どのくらい大きなお礼を申しても、過ぎることはあるまい』天地のお働きが極めて実意丁寧でありますから、私達も生かせて頂いているのです。神様の大恩が分かりませんと、「私が働いて得たお金です。そのお金で私が店に行って買い求めました」ということになってしまい、実に申し訳ないことです。ご信心を基にして生涯かけて自分自身の精神が成長させて頂き、人格が向上していくようにお願いをさせて頂くのです。

★御祭典を通して、自分自身のあり方を見直させて頂けましたら、有り難いことですね。これから神様の御心に添い奉る生き方にならせて頂く為に、縁につながる方々、周囲の方々が助かられ、立ち行かれることを願わせて頂きましょう。御大祭を良い機会にさせて頂いて、「世話になるすべてに礼を言う心」をしっかりと大きくしていく、その為の信心の稽古に励ませて頂きたいと願っております。
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2020年05月11日

●本日は、天地金乃神大祭です!

 おめでとうございます。本日は、万事万端のご都合お繰り合わせを頂きまして、天地金乃神大祭の当日を迎えさせて頂きましたことは、真に有難いことでございます。

★かねてからお知らせさせて頂いておりました通り、新型コロナウイルス感染拡大を避けるための、御本部のご方針に沿わせて頂き、ご信者皆様方の健康と安全を最優先に考え、ご祭典は、ご自宅より遥拝して頂きますよう、よろしくお願い致します。

★神様は、いつも私たち一人一人のことを見て下さっておられますから、神様のお心にかなう実意丁寧、正直親切な生き方は、必ずお徳を頂くことにつながっていくのです。先日、お商売なさっておられるご信者が、「この度は、商談が成立しませんでした」と、お届けなさいましたので、「たとえ、商談が成立しなかったとしても、相手のお客様には実意丁寧に、親切にさせて頂きましょう。その親切は、その相手の方からの見返りを期待するものではなく、神様がお徳を下さり、いつか必ずあなたの助かりにつながる有難い働きとなって、色々なところから返して頂けるのですよ。」と、お話しさせて頂いたことでした。

★日々天地のお恵みを享受させて頂いてるという、有難い大恩恵に心からお礼を申しあげ、ご恩返しの働きに精一杯努めさせて頂いておりますと、神様はお喜び下さり、私達の見えない所、考えの及ばないところまでお守り下さり、一層有難いおかげを頂くことが出来るのです。

★『骨折り損のくたびれもうけというが、信心する者はまるもうけぞ。せっかく、どうぞと思うてご信心しても、おかげがなかったと言うたりすると、骨を折っただけ損のようなけれども、損じゃないぞ。ご信心しただけは、こちらがおかげを受けておるのぞ。』

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2020年05月10日

●心を改め磨く

明日、天地金乃神大祭をお迎えするにあたりまして、昨日は御内殿のお掃除の御用をさせて頂きました。また本日は、お広前の内外のお掃除の御用、調撰の御用、習礼をさせて頂きます。

★お広前は『氏子の願い礼場所、信心の稽古場所』とみ教え頂いております通り、一年の御礼を申し上げながら、天地金乃神様の御大祭をお迎え申し上げる心の準備、また形の準備をさせて頂くために、自分の心を掃除させて頂くつもりで、大掃除をさせて頂きたいと思います。

★『座敷、押入れ、板の間に塵が積もるように人間は我欲のために我が心に塵が積もる。我が心、我が身が汚れないように、心と身体の掃除をするつもりで今月今日で信心をせよ。』病気全快のお願いをさせて頂きます時は、「悪毒病毒をお取り払い頂けます様に。」とお願いさせて頂きますね。心の中も、日々み教えを頂いて、我情我欲や悪癖・悪習慣など身に付いたものをお取り払い頂き、自分自身の心を改め磨き、心の中もお掃除をさせて頂くつもりで信心を進めさせて頂きましょう。

★信州上田教会の須賀院義雄師は、入浴なさる前に、実に丁寧なご祈念をなさっておられたということです。「有難うございます。天地金乃神様のお徳を一杯湛えたこの浴槽に、ただ今から入らせて頂きます。私の心の中には醜い汚れた私情、愚痴、不足、腹立ち、恨み、取り越し苦労など、様々な人間の持つあらゆるよくないものを心中に一杯持っています。今このお風呂の御清水を以て、体の垢だけでなく心の垢を取らせて頂きとうございます。有難うございます。」と、日々手を合わせて心を込めて、ご祈念なさって入られたそうです。

★毎日お願いして心掛けて実践なさっておられる方と、そうでない方との違いは歴然となります。「お願いをしているけれども、思うようにいかない…」ということは、お願いに向けての努力が足らず、お願いに向けての自分自身の心の磨きよう、生活の改まりようが足らないのです。生涯かけて心を改め磨くことを、願い続けてゆくところに有難い道が開けるのです。
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2020年05月09日

●信心向上のおかげを頂く

 先日、お結界で「信心が分かりません。お願いしても自分の思うようになりません。」とお届けなさった若いご信者がおられました。私は「現在、お生命を頂いて、天地のお恵みの中に生かされて生きている御礼を申し上げ、知らず知らずの御無礼と、御礼の足りないお詫びを申し上げることが、信心の基礎のところですよ。お願いはそれから後に実意を込めてさせて頂くのです。信心を一年一年と向上させて頂くことが大事ですよ。いつまでも神様にご心配をかけ辛抱して頂いているばかりでは申し訳ないことです。一人前の信心に進むように、信心向上のおかげを頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。

★あるお教会の先生がお話しなさった中に、[信心の初めの段階では「おかげを頂けないのは神様が悪いから。」という気になる。次の段階では「おかげを頂けないのは自分が悪いからだ」と思うようになる。もう一つ進むと「いったい自分のどこが間違っているのか」と改まりに悩むようになる。さらに進むと「一つでも改まって、改まった信心の味とおかげが分かるようになってくる。」]と、信心が進んでいく様子を表した内容がありました。

★また、[何か事があったら、「あの人がこう。この人がこう。」と言うのではなく、「自分が足りないからだ」という心にならせて頂いたらおかげになってくる。]ともお話しになっていました。「その人が足りないのではなく、自分の実意が足りないのだ!」と分からせて頂ける真心が、神様に届いていくのですね。

★あるお姑さんが二代金光様に「うちの嫁は足らん嫁です。」とお届けされました。すると「足らぬ所は足してやれば良いじゃないか。」と仰せになられたのです。足らない所を責めるのではなく、気づいた人が足してゆくことを心掛けておりますと、足した側も足してもらった側も双方が喜び、お互いが立ち行くのです。

★「お願いしているのに、思う通りにならない。だから、信心が分からない。」というのは、人のことであれば、「この人は考え違いをしているなぁ。」と分かる訳ですが、自分のことになるとなかなか分かりにくいものです。私達は信心が出来ているつもりになっていても、次の瞬間に抜けてしまっていることが大いにあります。ですから、日々、御礼とお詫びを申して、お願いしていくことを心掛けて参りましょう。

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2020年05月08日

●神様と共に、先を楽しんで辛抱させて頂く

先日、ある若いご信者が「私は我慢が出来にくいので、我慢が出来るようになりたいです」とお届けなさっておられました。我慢という言葉は、江戸時代末期頃では、良い意味では使われませんでした。「我意を張り通す」と言って【我が強い】という内容でした。そして、使われ方が段々と変化してきて、現在では「堪忍する・辛抱する」という意味で使われています。

★もう一方で、辛抱という言葉があります。「辛抱」という言葉は辛いことを抱えると書きますが、昔の辞典を調べてみますと、「心法」という言葉が「辛抱」という言葉になったのではないかというように書かれています。「心法を守る」というのはどういうことかと言いますと、「こういう生き方をさせてもらいたい」と心の中に決まりを持っているということです。私達でしたら、「実意・丁寧に正直・親切に生かせて頂きたい」「教祖様のみ教えを、しっかり守らせて頂ける人間にならせてもらいたい」ということですね。心に守りや願いを持って生活をさせて頂くわけですから、人がどうあろうが自分の意思を貫かせて頂けますね。それが心法を守るということです。

★「私が我慢してやっているのに」ということになれば、おごりがましいことになり、傲慢不遜になってしまいますね。ですから教祖様は『信心辛抱の徳』と仰ったのです。有難く、先を楽しみに、神様と共にさせて頂く辛抱、喜んでさせて頂く辛抱になりますとお徳を頂かせてもらえるのです。ですから、辛抱させて頂けましたら「金光様有難うございます。お守りを頂き、今日も一日辛抱させて頂きました」とお礼を申すのです。そういう姿におかげを蒙らせて頂けるのです。

★『神信心する者は我慢我欲をしてはならぬぞ。』
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2020年05月07日

●「商売させていただく」という心

 飲食業を営んでおられるあるご信者は、緊急事態宣言が出されたことを受けて、営業時間を短縮してお商売なさっておられます。昨日の御礼と本日の御願いを、毎日お届けなさりながら、実意丁寧なお商売を続けておられる結果として、営業時間が短縮されてからも、お客様が、「このお店を応援していますから、ぜひ頑張ってお店を開けて下さいね!」と、温かい言葉をかけて下さり、いつもに増して買って下さる方が多いのだそうです。そのようにして、営業時間は短縮しておられるにもかかわらず、営業単価が上がって、いつもより売り上げが多くなるというおかげを頂いておられます。

★『氏子、商売するというから神は見ておる。商売させていただくという心になれば、神はつきまとうてさせて下さる。』と、み教え頂いております。商売だけにかかわらず、家事、育児、農業、漁業など、どんなお仕事も、大切な神様のご用を頂いているのです。世界の平和、世の中全体の助かりは、一人一人が、自分の家業を神様から与えて頂いた有り難いご用だと自覚して、そのお役目を全うさせて頂く働きが集まって、作られていくのです。

★家業を通して人様に喜んで頂き、世の助かりにつながることが、仕事の真の目的であり、その様な働きが成就させて頂けば、自分の生活も自ずと豊かにならせて頂けるのです。日々、神様にお喜び頂き、ご安心頂けるような働きがさせて頂けますよう、共々におかげを頂いて参りたいと思います。

★『信心するという心におかげはない。信心させていただくという心におかげがある』

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2020年05月06日

●『今天地の開ける音を聞いて目を覚ませ』

羽衣教会二代教会長、松岡安枝師は、ご結婚なさるまで、お母様と一緒に阿倍野教会で熱心にご信心をなさっておられました。しかし、一生懸命働いても楽になられることがなく、お母様も肺結核を患っておられたのでした。日々み教えを頂かれ、「ご信心させて頂いて、我が家のめぐりをお取払い頂こう」と決心するに至られたのです。

★そこで、すでに亡くなっておられたお父様が、残された負の遺産である多額の借金を、返済する覚悟をなさったのでした。そのことを、お結界で二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さったのです。当時の月給から考えますと、とても3年で返せる額ではなかったそうです。

★そこで、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られなかったのでしょうか?」と尋ねられますと、「あなた、そろばんを離しなさい。親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通しておかげを授けてやろうと、おっしゃっておられるのですよ。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と、正しい信心が出来るようにお導き下さったのでした。このことによって、迷わず一心に神様におすがりなさることが出来られるようになり、返済が済むまでは、ご自分のものは、たとえ靴下一足でも購入しないと決められ、お母様も病院に通わずに、ご神前にお供えなさった塩水で喀血を止めて頂く覚悟をなさったのでした。またお母様は、大好きな甘い物を買ってまでは食べない、ということを神様とお約束され、御修行なさったのです。

★ある時、神戸にある会社の社長さんの所へ借金の一部を返済しに行かれたところ、「親の借金を相続して返済なさるとは、感心なお心掛けですね。これをお父さんのご霊前にお供えなさって下さい」と、風呂敷包みを渡して下さいました。なんと、借金の全額の証文と、返済した金額以上のご霊前のお供えを包んで下さっていたのでした。そのように安枝師の真心に、先方が真心で応えて下さり、無事に全ての借金の証文が、手元に戻ってくる大みかげを頂かれたのでした。

★信心の先輩のお言葉を、自分自身の物にさせて頂かれておかげを頂かれたことにより、新しい世界が開かれたのですね。
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2020年05月05日

●天地のお徳を十分に現す生き方

『食物はみな、人の命のために、天地の神の作り与えたまうものぞ。何を飲むにも食べるにも、ありがたく頂く心を忘れなよ』と、み教え頂いておりますように、お水の一滴、お米の一粒も、天地の有難いお恵みです。拝んで有難く頂くことによって、天地のお徳を身に十分に頂くことが出来、心も体もより一層健康に保たせて頂くことが出来ます。反対に、お粗末な頂き方をしていますと、天地に対するご無礼、また、人様の働きに対するご無礼が重なって、難儀の元となる恐れもあるのです。

★引き続き、緊急事態宣言の発令下にあり、その期間も月末まで延長されました。なるべく自宅で過ごすよう要請して頂いておりますから、平常よりも、自分の生活の在り方等を、改めて考え直す機会を頂いたと思って、次のようなことを、見直させて頂きましたら、有難いと思います。

一、食物、お水を御礼を申して、拝んで頂いているでしょうか?
二、毎晩、お礼を申しながら安眠熟睡ができているでしょうか?(睡眠は、病気の予防であり、治療になります。また、日中に得た知識は睡眠中に定着するのです)
三、悪習慣を改めることを心掛けているでしょうか?
四、適度な運動が出来ているでしょうか?(特に歩くことが大切ですね)
五、日常生活の出来事で、一喜一憂していないでしょうか?(事の大小にかかわらず)
六、絶えず、起こりくる問題に取り組ませて頂く姿勢を保つことが出来ているでしょうか?
七、実意 丁寧 正直 親切を心掛けているでしょうか?
八、人格の向上の為に、知識・教養を身に付ける努力をしているでしょうか?
九、強く確かな信心をさせて頂くことが出来ているでしょうか?

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2020年05月04日

●責任を全うさせて頂けますように

初代教会長伊藤徳次師が32歳でお国替えになられ、その十日祭の当日、広前のご建築の為の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられるということがありました。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が『後の事は、私達がみな引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください。』と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。」と思われました。連判状を御神殿にお供えされ、「神様、私を可愛がって下さいまして、有難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように。」とお礼とお願いをされました。そうして、只一人、諦めることなく強く願いを持ち続けられ、およそ1年後には無事にご建築が成就されたのです。開教五年記念大祭に併せて、お広前の新築落成奉告祭が、盛大にお仕えになられたのでした。

★願いを持ち続けるということは大事なことです。「辛い苦しいことから逃げません。どうあっても、この責任を果たさせて頂けますように。もっともっと重い荷物を持たせて下さい。」とお願いし続けていく先に道は必ず開けてきます。願いを持ち続けられる方は、根気強く物事にあたっていくことが出来られますので、形が出来ていき、結果に繋がっていくのです。願い主が願いを放してはいけません。諦めて逃げ出してはいけません。どこまでも「責任を全うさせて頂けますように」と、お願いをさせて頂ける心にならせて頂けますよう、日々の信心の稽古に励んで参りましょう。
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2020年05月03日

●練り出す信心

 5月11日に奉行されます、天地金乃神大祭まであと9日とならせて頂きました。新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、御大祭当日の御祭典の時間には、お広前に入って頂くことは出来ませんので、夫々のご自宅で遥拝して頂きますよう、ご理解をお願い申し上げます。

★そこで、「どのようにさせて頂けば、各自の御大祭として、また我が家の御大祭として、真心を込めさせて頂けるだろうか…」ということを、練り出してゆくことを考えさせて頂きたいと思います。まず第一に、「神様にお喜び頂けますように、健康で安全におかげを頂けます様に。」次に、「家の中が円満でおかげを頂けます様に。」さらには、「こういう時期だからこそ、自分自身が心を神様に向けて、家族親族、縁に繋がる方々のことをご祈念させて頂ける御用に使って頂けます様に。」と願わせて頂くのです。通常の御大祭でありましたら、お導き御祈念表を配らせて頂いたり、お電話や通知状でお導きさせて頂いたり、また直接お家まで訪ねさせて頂いて、一人でも多くお導きさせて頂けますよう、お願いさせて頂くのですが、今回はそのようなことは適いません。そうしましたら、どのような心持ちで一人一人のことをお願いさせて頂けばよいか、と自ら練り出してゆくことが神様への御礼に繋がるのです。例えば、自分自身で御祈念帳を作らせて頂いて、家族親族、近所近辺、或いは職場の人達のことを、一生懸命御祈念させて頂くのも、練り出す信心です。また、お知り合いの方にお電話をさせて頂いて、近況を聞かせて頂き、何か心配や不安を抱えておられることがあられたら、そのことを御祈念を込めさせて頂いて、立ち行きを願わせて頂くのです。そうして、人々に対して実意丁寧、親切を心掛けさせて頂くことは、神様にお喜び頂ける御用の一端に加えて頂ける働きに繋がるのです。また、親切にさせて頂いたことは、後々何らかの形で自分自身に返ってくるのです。御大祭までに「どのような御用にお使い頂こうか・・・」、「どのように人が助かる働きがさせて頂けるだろうか・・・」と自ら練り出して、人様のことを祈らせて頂くご信心を共々にさせて頂きたいと思います。

★『広大なおかげ、広大なおかげと言うが、おかげとは氏子のめいめいの真に映る影のことじゃから、神様に大きな真を向けて見よ、大きなおかげがわが身にいただける。小さな真で大きなおかげはもらえぬぞ。影は形にそうと決まったものじゃ。』

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2020年05月02日

●生かされて生きている

『神様は氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ。このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事はなされはせぬぞ。ご信心しておるがよい、みな末のおかげになるぞ。』

★4月のひと月間、大難を小難に小難を無難に、結構におかげを蒙らせて頂いて、無事に5月を迎えさせて頂いたことは真に有難いことでございました。緊急事態宣言が発令され、5月6日までと期限を切って頂いておりましたところ、もうしばらく延長するということになりそうですが、私達は今こそ信心辛抱させて頂いて、おかげを頂けるように歩みを進めて参りましょう。5月は阿倍野教会の御大祭の月です。入信以来、わが家が頂いてきたおかげを振り返らせて頂くと共に、自分自身がお命を頂いてから今日までのお礼を申させて頂きましょう。そしてこの期間をご修行に、また信心向上の材料にさせて頂いて、神様にお喜び頂けるように、より一層ご信心が一段も二段も進ませて頂き、有難い御大祭の御比礼を頂きたいと思います。

★目の前の難儀に捉われて心が迷ったら、『わが身は神徳の中に生かされてあり』と唱えさせて頂くのです。私達は自分で生きているのではありません。神様にお命を授けて頂いて、天地に生かされて生かして頂いているのです。「立ち行くようになってくれよ」と願って下さっておられ、「氏子が助からなければ、神も助からない」とまで仰って下さる神様のご慈愛の中に、私達は生かして頂いております。ですから私達の信心が、一段も二段も向上することが神様へのお礼となるのです。それが神様のお喜びとなります。そして、難儀の中にこそ、一段と向上・成長させて頂けるものです。ですから、こうした時期を良い機会・良い勉強とさせて頂いて、生き抜いていく力をより一層身に付けさせて頂きましょう。
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2020年05月01日

●信心辛抱は、先を楽しみに大きな願いを持って

 人生における苦難には、様々なものがあります。辛いこと苦しいことだけではなく、冷遇を受ける、仕事や人が煩わしく思えてしまう、閑に耐えなければならない等、あらゆる困難が思いもかけず降りかかってきたりするのです。そうした時に大切なのは、現在、頂いている有難いものに目を向けて喜び、先を楽しみに強く確かな願いを持たせて頂くということです。

★初代教会長伊藤徳次師が32歳でお国替えになられ、その十日祭の当日、旧広前のご建築の為の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられるということがありました。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が『後の事は、私達がみな引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください。』と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。」と思われました。連判状を御神殿にお供えされ、「神様、私を可愛がって下さいまして、有難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように。」とお礼とお願いを申されました。そうして、只一人、諦めることなく強く願いを持ち続けられ、およそ1年後には無事にご建築が成就されたのです。開教五年記念大祭に併せて、お広前の新築落成奉告祭が、盛大にお仕えになられたのでした。

★様々な辛抱を余儀なくされる今日だと思いますが、どうぞ先を楽しみに、大きな願いを持って、ご信心を元にした生活を進め、より有難いものにさせて頂けるよう、おかげを頂いて参りたいと思います。

★『お天道様のお照らしなさるのもおかげ、雨の降られるのもおかげ、人間はみな、おかげの中に生かされて生きている。人間は、おかげの中に生まれ、おかげの中で生活をし、おかげの中に死んでいくのである』

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