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2020年04月11日

●御礼とお詫びの心を厚く

 教祖様は、数え年の42歳の時に、「のどけ」どいう病気で寝込まれ、湯水も喉を通らないような状態になられました。親族の方達も集まって病床を囲んでおられた時に、そのうちのお一人の口を借りて、神様のお言葉が下がったのでした。その御内容は、以前に、教祖様のお宅がなさったご普請のやり方に、神様へのご無礼があった、というものでした。ところが、教祖様は、他のどんな人よりも日柄や方角の良し悪しなど、その当時の風習として神様への礼儀とみなされていたしきたりを、丁寧に守ってご普請をなさっていたのです。それをご存知だった教祖様の義父様は、神様に、「当家において、神様にご無礼はない!」と、断言されたのです。

★それをお聞きになった教祖様は、驚いて病床から這い出られ、「ただいま氏子(義父)の申したことは、何にも知らず申したのでございます。狭い家を大きくさせて頂いたので、どの方角へご無礼がございましたか、凡夫で相わかりません。方角を見て、それですんだ(十分だ)とは思いません。」と、即座に丁寧にお詫びを申されたのでした。すると、神様より、「その方はよい。」とお言葉があり、心からのお詫びを受け取って頂かれ、神様から大きなご信用を頂けることとなられたのでした。

★ご信心が進ませて頂くほど、お礼もお詫びも足りない自分である、ということが分からせて頂かなくてはなりません。常に謙虚な気持ちで、知らず知らずのご無礼があることを自覚させて頂き、「どこにどのようなご無礼がございますやら、分かりません。おかげを頂くばかりで、お礼の足りないことをお詫び申し上げます」と、常に自分の在り方を謙虚に振り返らせて頂き、真のご信心に進ませて頂きたいと思います。

★『日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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