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2020年02月25日

●代を重ねて有り難い生き方を続けてゆく

 私がまだ、小学生になるかならないかの幼い頃だったそうですが、三代教会長先生より、姉2人と私の3人に、「私は、なぜ足袋を履いていないかわかりますか?」と、お尋ねになったそうです。続いて先生は、「それは、教会の創設当時の、経済的にも今より厳く、不自由の多かった頃のことを忘れいないようにさせて頂くためです。何か一つでも、当時の不自由を残してご修行と決めさせて頂いて、そのご修行を貫かせて頂くことによって、今日頂いているおかげを当たり前と思うことなく、些細なことにでも『有り難いなあ』『もったいないことだなあ』という心がしみじみと湧いてくるものなのですよ」と、み教え下さったということです。

★私は幼かった為に、み教え頂いた時のことは覚えていないのですが、三代教会長先生が足袋を履かずにおられたご様子を見せて頂いて参りましたので、私もそのご信心を習わせて頂いて、足袋を履かずに御用にお使い頂いております。三代教会長先生が、不自由を行となさり、何事にも実意丁寧なお姿を生涯かけて見せて下さったおかげで、三代教会長先生の御用のあられ方、生活の一切をお手本とさせて頂き、おかげを頂いておりますことは、真にもったいなく有り難いことだと思わせて頂きます。

★また、中学生の時には、二代教会長・伊藤コウ師より、業務用のバリカンをお下げ頂きました。それ以来、自分の頭は自分で刈らせて頂き、現在も家内に刈ってもらっているので床屋に行くことはありません。それも一つのきっかけとして、一事が万事、神様のお恵みとして、始末して有り難く使わせて頂くことを教えて頂いたことは、真に有り難いことでございます。

★小さなことから大きなことまで、何事にも実意丁寧を心掛けさせて頂き、神様からも、人様からもご信用頂く生き方を心掛けさせて頂くことが、お徳を頂く生き方にならせて頂くのです。

★『かわいがられる者は、どこへ行ってもかわいがられる。何事にも実意丁寧ということがある。だから、人にかわいがられるくらいの者なら、神さまも好かれる。』(二代金光四神様のみ教え)

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:47 | 令和2年の「み教え」