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2020年01月08日

●本心の成長の為に

 三代教会長先生は、ご自身の戒めとしておられた心構えとして「天は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあって、無駄なことは何一つない。元気な心で試練に耐えよ。たとえそれが天災や病気や怪我であっても、あるいはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても、何事も御神意と受け取り、困難を困難とせず、明るく生き抜く覚悟を以てせよ。」と残しておられます。

★誰もが、人生に於いて様々な経験をします。色々なことを経験していく中に「何故、私ばかりがこんなしんどい思いをしなければいけないのだ・・・」という気持ちになってしまっては、人生の舵取りが間違っていきます。「神様が、このことを通して、私の本心をしっかり磨きをかけて下さり、鍛えて下さるのだ。結構なことだ。有難うございます」とお礼を申していくのです。

★しかし、最初から瞬時にお礼を申せるかというと、そうではありませんね。二代教会長伊藤コウ師でも、最初からそれが出来ておられたわけではありません。お母様であられるハル氏から、厳しく育てられたコウ師は「うちのお母さんは継母だろうか。私のことは可愛くないのか・・・」と思われたことがあったそうです。しかし、段々と思い分けが出来られるようになられ「あれもおかげであった、これもおかげであった」と分からせて頂けるようになられたのでした。私達も、そういうところへ一段一段と向上させて頂くのです。み教えを頂くことによって、考え違いや改まらなければいけない点を掴んでくるのです。様々なことを通して、改まることが出来るのがおかげなのです。そうして本心の玉を磨いて下さるのです。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。これほど信心するのにと思えば、もう、それきり信心の筋はとまっているのである。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:03 | 令和2年の「み教え」