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2019年11月04日

●お気付けという有難いおかげ

昭和28年頃に月例祭の御祭典後のお説教に、以前から連絡してお願いしていた講師の先生が来られなかったことがありました。それが連続して、次の月もお越しになられなかったので、二代教会長伊藤コウ師は神様に「先月も今月も講師の先生にお約束頂いておりながら、お越し頂けませんでした。どういうようなお気付けでしょうか?」とお伺いなさったのでした。そうしますと「よく考えてみよ、講師の先生をお迎えするについて、お前達の実意丁寧が欠けておるのではないか」と心にみ教えを下さったそうです。

★戦時中は講師の先生をお迎えするにあたって、夜の御到着であられたら【阿倍野教会】と書いた提灯をもって、お昼の御到着であられましたら、御紋のついた【阿倍野教会】と書いた紫の染め抜きの旗を持って、1人は東天下茶屋駅へもう1人はバスの停留所へ必ず行かせて頂いたのでした。それが戦争の空襲等でややこしくなり、当時は来て下さってからの接待ことばかり考えてしまっていて、お迎えするについての真心や姿勢が足りなかったことを、神様がお気付け下さったのでした。

★自分では、行き届いて丁寧にさせて頂いているつもりでも、「これくらいで良いだろう」と思ってしまっているところを、神様が教えて下さるのです。自分たちが見ているのは小さい目の前のことです。御祈念させて頂いて、1つ程度の高いところを広い視点から教えて頂けるというのは、自分の小さな殻が破れていくということです。過去から振り返らせて頂いて、見直しをさせて頂き、欠けているところに気付かせて頂く、ということがおかげですね。

★お気付けと言いますが、それはまさにおかげなのです。結構なお気付けをもって「このままでは先々もっと大変なことが起こってきますよ・・・」「先々が結構にならせて頂きたいと思うなら、今のうちに改まりなさいよ・・・」「このことをもって理解させてもらいなさいよ・・・」と神様が教えて下さっているのです。出来てくることは皆おかげです。そのご意味をしっかりと分からせて頂けますよう、この特別信行期間で、一段とご信心向上のおかげを蒙らせて頂きたい、と願わせて頂いております。
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:12 | 令和元年の「み教え」