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2019年11月30日

●心のおかげを頂く           

二代教会長・伊藤コウ師の元に、喘息で8年間苦しんでおられたご信者がお届けなさったのでした。その苦しみを、「鼻と口を両方ふさがれた状態で、呼吸しなければならない状態」と、表現なさったということです。コウ師は、「それは大変なことですね。今ここで、何故あなたが、これ程に苦しい思いをしなければならなくなったのか、心当たりをしっかり考えさせて頂きましょう。」とお話しなさり、「どうぞこの人の心が、喘息が治らせて頂けるくらい結構な心に改まらせて頂けますように」と、神様にご祈念下さったのでした。

★夜も遅い時間だったそうですが、ご信者は一生懸命に考えられ、「先生、私ほど悪い女はおりませんでした。あれもこれもと出来ておらないことばかりですのに、自分のことを棚に上げて、誰に対しても相手ばかりを責め立ててきました。」と、心の底からお詫びの念が沸いてこられたのでした。

★そこでコウ師は、「自分自身が一番悪いと分からせて頂き、改まりを本気で願わせて頂けることが、真の大きなおかげです。」と仰り、さらに「神様にしっかりお詫びをさせて頂いて、病気の上におかげを頂けるようお願いをさせて頂きましょう。今あなたが患って寝込んでしまったら、家は赤字だらけで、主人も困り、子供も困り、親に心配ばかりかけて、どうにもならんようになり、今の場所に居られなくなってしまいます。」とみ教えなさったのでした。ご信者は、「先生、しっかりおかげが頂けますよう、私自身がしっかり改まりのおかげを頂かせて下さい。」と、心の底から真剣にお願いが出来られたのでした。すると、その晩から喘息の発作は起こらなくなり、以後根切れの大みかげを頂かれたのでした。

★朝起きたら、今日一日のことを油断なく神様にお願いさせて頂き、お取次を頂いてみ教えを頂き、心を正しい方へ正しい方へと導いて頂けることは、どれ程有り難いことかわかりません。ただ自分でお願いさせて頂くだけでは、我流になって横道へそれてゆきます。お結界でお届けをし、み教えを頂き、またお広前でお説教を聴かせて頂いて、一言でも多くみ教えを頂かせて頂きましょう。

★『何でも信心して二つのおかげを受けたら楽じゃ。一つは身に受けるおかげじゃ。今ひとつは我が心に受けるおかげじゃ。心のおかげが大事じゃぞ。心のおかげを先に受けたら、身のおかげは自然に受けられるのじゃ。』(二代金光様のみ教え)
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2019年11月29日

●御礼を第一に

 会社を経営なさっておられる社長さんがお届けに来られ、「月末・月初めの資金繰りが、どうぞ立ち行かせて頂けます様に。支払いも滞りなくさせて頂け、給料も十分に支払わせて頂けます様に。毎日資金繰りの都合が付くか付かないかということに、心配で心配で夜もゆっくりと休むことが出来ません。どうぞ、会社が存続できるだけの努力がさせて頂ける私にならせて頂けます様に。」とお願いされました。

★そこでそのお方に[心も体も痛めてしまっては、仕事の上で十分に実力を発揮することが出来ません。休むべき時にはしっかりと休ませて頂き、働くべき時にはしっかりと働き、食べる時にはしっかりと頂いて、自分自身が打ち込んでさせて頂かねばならないことに、精励させて頂ける様におかげを頂いてゆかねばなりません。御礼が行き届いて申せるようにならせて頂きますと、段々と心も体も健康になってゆくのです。今一度、これまでを振り返って考えてみてはどうですか?もうどうにもならない、立ち行かないということもあられましたが、そこを有難いことにご都合お繰り合わせを付けて頂いて、乗り越えさせて頂いて今日まで来させて頂くことが出来ましたね。お命を頂き、結構な体や家族、職場を与えて頂き、従業員の方にも恵まれ、自分の代わりに手足となって働いて下さるような方々がおられて、自分が出来ないところを皆がして下さっているところに心から御礼を申さねばなりません。今日まで得意先やお客様や仕事の関係先があって、色々とお世話になり続けているのです。お土地や建物や人様にお世話になって今日があるのです。それを自分の力でしてきたかのように考え違いをしてしまうことが、間違いを生む因になるのです。自分自身は足らないところばかりでありますのに、色々な人が様々な所で一生懸命に協力して働いて下さって今日があるのです。これまでのことをしっかりと振り返り、御礼を申させて頂くことをまず第一にさせて頂きましょう。そうしますと、心も体も健康な状態を保て、仕事も打ち込んでさせて頂くことが出来、一番大事なところに気付かせて頂ける様になるのです。そして「ここが至らなかったな、ここを改善させて頂こう。」と改まりに気付かせて頂けるのです。その改まりに気付かせて頂けることが、ご信心の実践になるのです。改まりに苦心させて頂きますと、次のおかげに繋がってゆくのです。いくらでも神様は立ち行かせて頂ける様にして下さいます。ただ、自分の力でしようと思わずに、生神金光大神様のお取次ぎを頂き、天地の親神様のご神徳を蒙らせて頂けるように、しっかりお願いさせて頂きましょう。ご先祖の霊様も皆一所懸命になって、お働き下さいますよ。]とお話させて頂いたことでした。

★日々の生活で、「こんなにも次々と問題が起こって来るのはどういうことだろうか…」と思うことがあるかもしれません。しかし、「このままでは先がもっともっと大変なことになってしまうから、このままではいけない。心得が間違っているところを改まってゆきなさい。」と神様が教えて下さっているのです。それが分からせて頂けるのが、「悟りが開けてゆく」ということです。「悟りが開ける(心の迷いが開けて目が覚める)」とは、超人的なことではなく、日常卑近な生活の中で、自分自身の気付かなかった至らないところに気付かせて頂ける、ということなのです。

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2019年11月28日

●常の生活の中での心の行 

『「しばらくの間、山に入って修行させていただきとうございますが、いかがなものでしょうか」と申しあげると、金光様は、「山に入ったら、どのようにして修行をするのか」とたずねられた。「山に入ると、はじめは麦粉を練った団子で命をつなぎます。それをしばらく続けると、次には木の実や木の葉で生きられるようになります。またしばらくすると、ついには水ばかりで生きられるようになってまいります」と申しあげると、「いったい、どんな山に入るのか」と仰せになったので、「なるべく深い山に入って、浮き世を逃れるつもりでおります」と申しあげた。金光様は、「それは結構である。しかし、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう」と仰せられた。』

★このみ教えは、「心の中に深山幽谷を作って、常の生活で心の行をしなさい」と教えて下さっています。二代教会長伊藤コウ師は、「このお道の信心は、世の中の人が皆、毎日の生活の中でしながらも疎かにしていることを、疎かにしないように、実意・丁寧・正直・親切に心を込めてさせて頂けるようにならせて頂くことが、家業が行ということです。」とみ教え下さっています。例えば、水や電気、ガスなどにおいても、一切無駄のない使い方が出来ているかと言えば、出来ていないところが多々あるものです。どこかで御無礼が生じているのが私たちの生活であります。そういったところをお詫び申し上げながら、より一層改まった生活にならせて頂けるように心掛けましょう。

★1)人を不足に思わない事。

2)物事に不自由を行とする事。

3)家業を喜んで働く事。

4)分相応を過ごさぬように倹約をする事。5)人に言わずに、自慢せずに行う事。を常平生の生活で心掛けて参りたいと思います。
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2019年11月27日

●相手の心になって聴く

 土井氏は、ご近所の方から相談を受けられることが多い方でした。お話を聴き終えた土井氏は、すぐに答えを出されるのではなく、ご自身の入信前の状態からお話しなさり、教会で頂いたみ教えと、どのように改まられて、どのようなおかげを頂かれたか、というお話をなさったそうです。そうして多くの方々がお導き頂かれたのでした。

★人の相談にのるということは、自分の時間を相手の為に使わせて頂く必要がありますね。しかしそのことが、自分自身の神心を磨いていくご修行になるのです。土井氏は、たらいの信心を実践なされたのです。たらいの信心とは、たらいの中の水を向こうへと押しますと、たらいの向かい側のふちに当たって返ってきますね。相手の為を思ってさせて頂いている良いことは、後々自分自身に徳となって返して下さるということです。土井氏は、お国替えなさる当日まで庭の草抜きをなさって、朝食も美味しく頂かれて、安らかに眠るがごとく、お国替えさせて頂かれたのでした。

★「聞く」と「聴く」では姿勢が違います。「聴く」とは、心を込めて聴かせて頂くことです。み教えを一言も漏らすまいと、一生懸命聴かせて頂くことを聴教と言います。「この人に助かってもらいたい」と思っている時も、その人の話をまず聴かせて頂かねば、その人の心は安らぎません。その人の心になって聴かせて頂きませんと、相手の立場に立って願わせてもらうことが出来ません。

★『信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。』自分の体の上に、家の上におかげを頂いてきたことを練習帳にして、人が助かっていくように、心掛けてお役に立たせてもらい、良いお手本にならせて頂けるように、ご信心を進めさせて頂くことを教えて頂いていることは、誠に有難いことですね。自分自身が経験させて頂いていることは、周囲の方が助かって頂く為の、お手伝いをさせて頂ける元になるのです。神様から与えて頂いている出来事を通して、神様から「このことをご修行にさせてもらいなさいよ、このことを通して勉強させてもらいなさいよ、おかげになりますよ」と与えていただいているところを逃さないようにさせてもらい、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2019年11月26日

●神様のお心に適う願いとは… 

★『人が人を助けるのが人間である。〜(中略)〜人の難儀な時を助けるのが人間であると心得て信心せよ』『心で人を殺すのが重い罪である』阿倍野教会が吉野通りに布教の初めの頃のことです。ご近所のある方が初めて参拝された時、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長コウ師がお留守で、お広前にはコウ師のご母堂であるハル氏が座っておられました。その方は「この神様は何でも願いを聞いて下さると聞いたので、参拝しました。今、わが家に身よりのない居候が住み着いています。腎臓病や肝臓病などの病気をして体は浮腫で腫れ上がってしまい、現在は危篤状態に陥り、医師も見離してしまいました。いつ死ぬか、いつ死ぬかと毎日待っていますが、なかなか死にません。この厄介者が早く死にますように、神様にお願いしてください。」と話されたのでした。

★ハル氏は[この金光様のご信心は、そのようなお願いは致しません。お断り致します。「どうぞ、生かして下さい」というお願いならば、お取次ぎさせて頂きます。よく考えてみなさい。今、あなたは死にたいですか?大病をしたとしても、何が何でも生きたいと願うでしょう。それは、生命を与えて下さり、生かして下さろうとなさる天地金乃神様の御心です。「どうあっても生かしてやりたい」と思って下さる神様に対して、「死なせて下さい」というお願いは親不孝になりますから、そのようなお願いは出来ないのです。]とご教導なさったのです。

★それを聞かれたその方は、自分の過ちに気付かせて頂かれ、[私は考え違いをしておりました。申し訳ありませんでした。それではお願いを変えさせて頂きます。「どうぞあの方の病気が早く治られて、一日でも長生きして頂けますように」というお願いでしたら聞いて頂けますか?]とお尋ねになりました。ハル氏は「喜んでさせて頂きましょう。3日間の日を切ってお願いさせて頂きましょう。」と仰いました。すると、居候の病人のお方は、3日目に全身の浮腫が引くおかげを頂かれ、何も食べられなかったところが、おこわ(餅米)を食べさせて頂けるようになり、お世話になった人に対して「この御恩は忘れません!」と大変喜んで御礼を申されました。そうして一週間後に、眠るが如く息を引き取られたのでした。

★後に、コウ師は「ご布教がまだまだ行き届いていない時には、こんな間違えたお願いをする人がご近所におられました。これは、私たちの教導が至らない、そしてお導きが足りない結果です。もっともっと広くこのお道が伝わり、周囲の方々が正しいお願いをされ、正しく信心をされて地域・社会が助かり、立ち行かれますように、御用させて頂きたいと思わせて頂きます。そして、『西は果て東は果て悩み苦しむ人々』が、このお広前にお引寄せ頂かれて、次々とおかげを蒙られる教会にならせて頂けますように。」とお世話になられたのでした。その願いは、布教当初から現在までも変わらず、またこれからも変わることなく願い続けて参ります。
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2019年11月25日

●敬いの心を大きくする

 先日、あるお方は、歯の根の一部分がうずき、歯が浮いている感じがして不快なので、歯医者で診て頂かれました。しかし、レントゲンを撮っても膿が溜まっているわけでもなく、原因がはっきりとしませんでした。そして歯科医師からは、「骨の所まで削る手術し、歯の根の奥の奥を治療しなければならないかもしれません。」と言われたので、怖くなって別の歯医者で診て頂かれました。すると、幼少の頃から診て頂いている歯医者さんは「今はそんな手術を必要としません。しかし、あなたが落ち着かない、気持ちが悪いなら、何かしら原因があるのでしょう。もう少し様子を見てみましょう。疲れが溜まってそういうことが起こっているのかもしれません。抗生物質を飲む必要も、治療を受ける必要もないので、よくよく体調を整えなさい。」と言われたそうです。

★そして、そのお方はお届けに来られ、「どうさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けされました。そこで、「幼少の頃から診て頂いている歯医者さんが仰る通りにさせて頂いたらよろしい。ご神酒でおかげを頂かれたらどうですか。直接ご神酒を口に含ませて頂いて、悪毒病毒をお取り払い頂くように、御祈念を込めさせて頂いたらよろしいでしょう。しかし、ご神酒を頂くのも頂き方があるのですよ。そこでご神酒の頂き方を勉強せねばなりません。」とお話しさせて頂いたことでした。そして、二代教会長先生のご時代に、視力が低下なされた方が、御神酒の頂き方を教えて頂かれた内容をお話しさせて頂きました。(令和元年10月27日のみ教えメール「心と体の悪毒病毒をお取り払い頂く」をご覧下さい)

★するとそのお方は、[実は、私にも思い当たる節がありまして…。職場で隣の席の人が気になって、疎ましくて、腹が立って仕方がありませんでした。その人は私のことを押しのけて、何とか自分の上をいこうと対抗心を燃やしてきます。こちらも「負けてなるものか!あの人に弱みを見せてはいけない。なんとか勝たなければ!」と、意地を張ってしまいます。あれやこれやと、あの人がすること為すこと目障りで、声を聞いたら耳障りで、色々なところに神経を使って、毎日疲れていました。]とお届けされたのでした。

★自分自身が和らぎ喜ぶ心にならせて頂き、相手の事を恨んだり憎んだりせずに、「どうぞあの人が助かります様に」と、お願いさせて頂けるような広い心にならせて頂いたら、どれほど結構にならせて頂けるでしょうか。しかし、み教えを頂いておりましても、なかなか相手のことをお願いすることが出来ない時があります。そういう心をお取り払い頂ける様にご修行させて頂きますと、自分の心も開け、体の上にもおかげを頂き、仕事の上でも充実感や、生き甲斐を持ってさせて頂ける様になるのです。敬いの心を大きくしていきますと、お徳を頂き、自分自身の心も広く大きくならせて頂くことが出来るのです。

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2019年11月24日

●生神金光大神様のお取次のお徳を信じる

 昨日は、去る11日に阿倍野教会で金光大神大祭を無事に奉行させて頂きました、御礼の御本部参拝を共々におかげを頂きまして、真に有り難いことでございました。先日から、阿倍野教会の御大祭の前後に、お願い成就のおかげを頂かれたお礼のお届を、次々と聴かせて頂いております。生神金光大神様の御大祭のご庇礼を頂いて、結構なおかげを頂かれたお礼を、ご霊地で金光様にお取次ぎ頂き、共々に申し上げることが出来ましたことは、真に有り難いことでございました。生神金光大神様は、願う氏子一人一人の真心を必ずお受け取り下さり、見抜き見通しに守り導いて下さるのです。

★国枝三五郎というお方は、初生りのすいかを自宅の御神前にお供えになり、翌日早速に、教祖様の元にお供えさせて頂くべく、乙島というところから歩いてご参拝になられたのでした。途中の玉島というところのある家で休憩しておられると、巡礼中の小さな男の子を連れた親子と出会われ、尋ねられるままに「すいかの初生りを大谷の金光様にお供えにいくところです」と答えらえると、幼い男の子が、「わしも大谷の金光様になりたい!」と、泣き出したのでした。疲れて喉も乾き、お腹もすいていたのでしょう、国枝氏はかわいそうに思って、その子に、すいかをあげてしまわれたのでした。

★お供えさせて頂こうと思っていたすいかがなくなり、どうしたものかと、教祖様のお広前の外で入りにくそうにしておられたら、教祖様がお出ましになり、「国枝さん、すいかの初生りは、昨晩(自宅の御神前でお供えになった時に)神様が喜んでお受け取りになりました」と、おっしゃったということです。

★生神金光大神様のお取次のお徳をどこまでも信じて、何事も無理と思わずに、お願いさせて頂きましょう。そして、お礼の心を厚くさせて頂き、神様、金光様にご安心頂けるご信心に進ませて頂きたいと思います。

★『信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ』
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2019年11月22日

●『今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ』     

ある熱心なご信者がおられました。その方は、一生懸命商売をなさって働き、家計を成り立たせていたのですが、ご主人がまともに働かずに怠けているように感じておりました。そのことを近所の人に相談すると、「あなたが働いているからご主人が働かないのですよ。商売をやめなさい。」と言われたのでした。奥さんも「その通りだ。」と思われ、教会で二代教会長伊藤コウ師にそのことをお届けされました。

★するとコウ師は「ご主人が怠け者だと言うけれど、あなたが怠け者です。それが証拠に商売をやめたがっている。『牛は牛連れ、馬は馬連れ』というように、主人も怠け者と言うのであれば、あなたも怠け者です。『私の働きが足りませんでした。もっともっと働かせて下さい。主人を養えるような私にならせて下さい。しっかり繁盛する店にならせて下さい。もっときれいで広いお店にならせて下さい。』とお願いさせて頂くのです。自分が一生懸命になってわき目も振らず働き、主人にはゆっくり休んでもらえるほど、繁盛させて頂けるような店にならせて頂いたらどうですか。」とみ教えを頂かれたのでした。奥さんは早速改まってお願いし、工夫して商売させて頂いておりますと、段々とお客も増え、繁盛する店に変わらせて頂けたのです。さらに、今まで何もしなかったご主人も、家事を手伝ってくれるようになり、一生懸命精を出して働いてくれるようにまで変わられたのです。

★自分自身に至らないところがあることを分からせて頂いたら、世界が開ける思いが致します。み教えを頂いて、凝り固まった心を取り払って頂きますと、真に有難い御神徳に満ちた世界が見えてきます。

★『今、天地の開ける音を聞いて目を覚ませ』
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2019年11月21日

●神様にご信用頂く生き方を

『どのくらい、人が「あの人なら心配はない。よい人間じゃ」と言うても、人ばかりによいのではどうならぬ。神様に「よい人間じゃ。危なげはない」とご信用いただいたのでなければどうならぬ。神様がご信用になると、何もかもが、よい方へよい方へなってくる』

★私達の肉眼で見るということや自分の感覚というのは、自分中心であり、不完全極まりないものです。一部分しか見えておりませんし、全体はもちろんのこと、過去のご先祖の霊様方のことは全く分かりません。分からない中で、毎日の生活を立ち行くように、おかげを頂いていかねばなりません。そういうことでありますから、めぐりのお取り払いを頂いて「どうぞ、今日一日神様に心を向けて、実意丁寧な生き方がさせて頂けます様に。神様に、全てに於いてお守りを頂けるよう、おかげを蒙らせて下さいませ。有難い徳と力を、しっかりと大きくして頂けるような、私にならせて下さい。」と、御神米をお供して、全てにお守りを頂けるよう、日々ご祈念しながら生活をさせて頂くのです。

★神様が見て下さっているのは、昼も夜も、人の見えないところや、心の中まで見て下さっておられます。どのようにさせて頂いたら、神様にご信用頂けるかということですが、全てに、自分自身の生活を見直しをさせて頂いて、み教えに基づいて生活をさせて頂く為に、心を磨いていくということを稽古させて頂く他はありません。神様から信頼して頂く為には、自分自身が与えて頂いている責任を果たしていく事が大切です。それぞれ神様からお役目を与えて頂いていますから、逃げずに責任を持ってしっかりと果たせてもらうのです。

★「神様からご覧になられたら、自分の生活はどうなんだろう?」と、自分自身はみ教えを頂いたつもりでも、まだまだ理解の甘いところがあったり、自分の都合の良いように、選り好みをする部分を改まらせて頂き、油断のないご信心を、日々心掛けさせて頂きましたら、「あれもおかげであった、これもおかげであった」というような、御比礼を頂ける生活にならせて頂けるのです。

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2019年11月20日

●死生の安心を頂く信心          

原さんという家庭が、入信前に娘さんを亡くされて、奥様が頭を病んで何も出来なくなってしまわれました。そんな奥様の様子を見られたご近所の方が「娘さんの霊が奥さんに取りついて悩ましている」という考え違いも甚だしい言葉をかけてしまったところ、あろうことか、そのご主人が感化されてしまい、激情にかられて、「手塩にかけて育てた娘が、母親に取り付くとはどういうことか!」と娘さんの骨壺をかなづちで砕いて、近くの池へ投げ入れてしまわれたのです。奥様の状態はますます悪くなられたのでした。その時に、お隣に住んでおられた前田さんというご信者にお導き頂かれ、参拝されるようになり、奥様は日参なさって信心を進められたところ、有難いことに全快のおかげを頂かれました。

★娘さんが亡くなって1年後、東京に行かれていた息子さんが、肺結核と腸結核を併発して大阪に帰って来られましたが、日に日に悪くなり、お医者さんにも見放され、奥様は「せめて死生の安心を頂きたい」と無神論者であられたご主人をお導きなさいました。初代教会長先生は、高熱を出されて御用が出来られない状態であられましたので、初代教会長先生に代わって二代教会長伊藤コウ師が、そのお宅の帰教式に向かわれたのです。

★コウ師が家に到着した途端、お医者さんが出てこられ帰って行かれました。家に入りますと、奥様が「たった今、息子(洋郎)が息を引き取りました」と言われたのです。コウ師は御神前で、神様に事の次第を申し上げられ、「生きている間に死生の安心を頂きたい、ということでありましたのに、亡くなられてからでは私の役目は果たせません。何としてでも御用にお使い頂かねばなりません。どうぞ、息子さんが息を吹き返しますように」とお願いなさいましたら、何と有難いことに息子さんは息を吹き返されたのです。

★そして、帰教式をお仕えになられた後、息子さんは食事を頂けるまでに回復され、1週間以上も命を延ばして頂かれ、「先立つ不孝をお許し下さい。私はこれまで両親の愛情によって育まれました。これから御霊となって、両親のことを守らせて頂きますから」とご両親に挨拶をしてからお国替えされ、後々両親が丁寧に霊神様を祀られ、立ち行くおかげを頂いてゆかれたのです。

★『天地金乃神様は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。何事も無礼と思わず一心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい』
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2019年11月19日

●神様にお仕えする心で

 布浦氏は商売の初め、西区で小さな調剤薬局を営んでおられました。創業当時は西区で一番売り上げの少ない薬局で、教会からも足が遠のいておられたところに、お導きさせて頂いた田口さんが、反対にお導きをしに訪ねてきて下さって、信心に戻して頂かれたのでした。

★ご主人は二代教会長・伊藤コウ師のお取次ぎを頂かれ、「西区で一番の薬局にならせて頂けますように」と、五カ年計画のお願いを立てられたのです。その願い成就までは無駄遣いを一切しない、自分の背広は新調しない等、ご修行を自ら決められ、毎朝日参と聴教に励んでから、日々の商売に努力されました。

★いつもお客様を第一に考えられ、一人のお客様の後ろには10人のお客様、その後ろには100人のお客様がおられると思って、一人一人のお客様に親切丁寧に対応なさるので、お昼ご飯を頂けない日も度々あられたそうです。そうして、ご信心を元にしてお仕事に励まれるうちに、西区で売上が一番になられ、特定品においては近畿で一番売り上げる薬局になったのでした。

★銘々に頂いている家業を、神様から与えて頂いた有り難いご用であると自覚して、神様にお使い頂く心で実意丁寧につとめさせて頂くことによって、人からも、神様からも喜んで頂ける働きとならせて頂くことができるのです。たとえ、努力をしてたくさんの知識や技術を身に付けさせて頂いたとしても、信心の徳と力を身に付けさせて頂き、精神も正しく育成向上させて頂かなければ、天地の道理に基づいた有り難い働きをさせて頂くことには、つながっていきません。日々のことをお取次頂き、しっかりとみ教えを頂きながら、それぞれの家業を有り難く励ませて頂きたいと思います。

★『氏子が神様と仲よくするのが信心である。神様を離れるようにすると信心にならない。神様に近寄るようにせよ。』

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2019年11月18日

●すべてに礼を言う心

甘木教会のあるご信者のご主人が酒好きで、お酒を呑むと気が大きくなり、他人の借金の保証人になり、田畑を売り払って整理しなければならなくなりました。初代教会長・安武松太郎師にお届けをされますと「その田畑はどういう田畑でありますか?」と先生からお尋ねがありましたので、「先祖の遺産であります」と答えましたら「税金は納めてありますか?」と聞かれましたので「完納しております」と答えますと「自分の田畑になぜ税金を納めるのですか?」と聞かれ、ご信者は答えられなくなりました。

★安武松太郎師は【土地は、もともと日本の国の土地である。 その土地を所有し得るのは、納税の義務を果しているからであって、税金を納めるのは、いわば借り賃である。信仰的に申せば、天地はもとからの天地であって、人が作った天地ではない。この天地があって、人は生まれてきたのである。一寸の土地も天地金乃神様の御地面であり、しかも生きたお土地である。だから生きたものが土地から出来るのである。それを幾先祖の昔から今日に至るまで、自分の田畑、自分の山、自分が作った作物だと思っている。人間が泥と水で何が作れるか? お作り下さるのは神様で、人間はそのお手伝いをするのである。お土地を使わせて頂く御礼を神様に申し上げなければならない】とみ教え頂かれたのでした。

★神様に対するお礼が全く出来ていないということは、人間中心・自分中心の生き方になっていますね。そこにめぐりが積み重なっていくのです。御恩を知って御恩に報いていくということが、私達が常に心掛けなければいけないことです。神様にどのようにお喜び頂けるであろうか、神様に安心して頂ける自分自身にならせて頂けるように、信心が向上させて頂けるおかげを頂いていくということが大事なことだと教えて頂いております。

★『世話になるすべてに礼を言ふ心』私達がお世話になることはたくさんあります。天地にお世話になり、人様や物にもお世話になります。すべてが神様のお徳の表れでありますから、物の命を大切にさせて頂き、人を拝ませて頂き、物を拝ませて頂き、万物を拝ませて頂き、身も心も生活全般にわたって神様の有難いお徳を表させて頂きましょう。
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2019年11月17日

●本物の信心を目指して

 先日、11月13日午後1時21分、上田氏は86才3カ月でお国替えされました。

★上田氏は、子供さんが幼少の時に病気を患らわれ、そのことで奥様の喜久子さんにお導き頂かれて、豊中から夫婦で日参なさるようになられました。又、月々の御本部御礼参拝には欠かすことなく参拝され、昭和51年5月29日、帰教式を仕られて金光教教徒の列に加へられ、熱心にご信心に励まれました。

★上田氏が73才の時、パーキンソン病を患われ、その6年後、慢性硬膜下血除去腫手術を、更にその2年後に胃がん切除手術を受ける等、幾度も大病を患われましたが、お取次ぎを頂かれて、大病を小病におまつり替え頂かれ、ご長寿のおかげを蒙られました。

★喜久子さんがお国替えなさった後、上田氏は[私は妻にお導き頂きました。その妻の信心を見習わせて頂いて、「どうあっても本物の信心にならせて頂きたい。」とそればかり思っております。今までは引っ張って頂きましたが、妻に「これからは、一人で歩いて信心を進めて下さいよ」と、お国替えの時から言って頂いた様な気がして、これからは自分から進んでみ教えを頂いて、本物の信心を目指したいと思います。]と仰っておられたのです。

★上田氏がお国替えなさる直前に、娘さんが車椅子を押して教会の土間のところでお参りなさっておられました。上田氏がお国替えなさった後、娘さんがお届けに来られ「父は生前、最後の最後までみ教えを頂きたいと、ずっと申しておりました。」と御礼申しておられました。お体がお元気な時は、阪南町のお家から毎日お参りなさり、お体のご都合で施設に入所なさってからは、施設から歩行器やシルバーカーを使ってお参りなさっておられました。それも難しくなられてからは、車椅子に乗せて頂かれ、お参りなさっておられたのです。それは、み教えを頂きたい一心で、またお取次ぎを頂きたい一心でお参りなさっておられ、そのことを子供さんに一生懸命伝えておられたのです。

★今年の8月24日には、喜久子さんの23年廻れる例年祭が仕えられ、上田氏は車椅子で参列なさり、玉串奉奠されて精一杯心を込めて拝んでおられました。一生懸命求め求めして、喜久子さんのご信心を少しでも習わせて頂いて、本物のご信心にならせて頂けますよう、お願いなさっておられたことは、大変尊いことであり、そのご姿勢は子孫にも伝わってゆかれることと思います。私共も習わせて頂きたいと願わせて頂いております。

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2019年11月16日

●死んでから後、人が拝んでくれるように

初代教会長伊藤徳次師は、伊藤コウ師と共に阿倍野教会創設の礎を築いて下さいました。しかし、旧広前のご建築がいよいよ始まろうとしていた布教5年目にして、「おかげやでえ、おかげやでえ、おかげやでえ。」というお言葉を残されて、お国替えになられたのでした。そのご意味は「私が8年も生命を延ばして頂いたのも有難いおかげです。そしていよいよお国替えするということは、これからより一層に御霊として働かせて頂けるということです。これは伊藤の家にとっても、阿倍野教会にとっても、信奉者一同にとってもおかげですよ。」と、これまでのことと、これから御霊となることを、おかげの中での出来事と、言い残されたのだと悟らせて頂きます。

★また、コウ師の御母堂・ハル刀自は、ご自身の死期を悟られた時には「私が御霊になってもどこにも行きません。あなたのそばにずっとおります。教会の表の御用もしっかりと手伝わせて頂きます。もちろん裏の御用も手伝わせて頂きます。だからあなたは何も心配することはありませんよ。」とコウ師の体を、後ろからギュッと抱きしめられて、仰せになられたのです。

★私達は、生涯かけて実意丁寧、正直親切な生き方をさせて頂き、身のめぐり、家のめぐりを取って頂いて、お徳を頂いたお姿でお国替えさせて頂くということを意識して生活させて頂くことが、信心生活になるのです。信心生活を続けさせて頂くことによって、一年一年有難くなってゆき、年が寄るほど位がつくという姿にならせて頂くことができるのです。お国替えの後も、子孫が拝んでくれるように、死生の安心、末々までの安心のおかげを頂いてゆくためにも、それぞれ自ら求めて信心させて頂きましょう。御霊にならせて頂いて神様のもとに帰らせて頂きましたら、生き生きと大きな働きをさせて頂けるように、生命を頂いている間にしっかりとお徳を積ませて頂いて「永世生き通し」のおかげを頂きましょう。

★『人間は生き通しが大切である。生き通しとは死んでから後、人が拝んでくれるようになる事である。人間は万物の霊長であるから死んだ後、神に祀られ神になる事を楽しみに信心せよ。』
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2019年11月15日

●思うことが願いになる。良いことを思い、良いことを願う。

 先日も、有り難いお礼のお届を聴かせて頂きました。あるご婦人は、大腸の腫瘍で入院なさっていたのですが、腫瘍が大きくなって腸を塞いでしまい、腸閉塞を起こしてしまって、口から水も飲めない状態になられたのでした。体も衰弱してしまわれ、手術を受ける、あるいは、抗がん剤治療を受ける体力もなく、医師からは、いつまで命がもつか分からない状態だと、ご家族に告げられたのでした。お子さんも、一時はすっかりと気を落とされ、お母様が亡くなられた時のことを、あれこれと心配しておられましたので、「教祖様は、『死ぬる用意より生きる用意をせよ』と、み教え下さっておられます。今こそ、家族が心を一つに揃えて神様にしっかりおすがりさせて頂きましょう。ぜひとも回復させて頂かれるよう、お願いさせて頂きましょう。」と、お話しさせて頂いておりました。

★そうしますと、11月11日の御大祭当日、娘さんがお参りになり、「母が、口から食事も頂けるようになり、退院させて頂けることになりました。有り難うございます」と、お礼のお届けがあったのでした。

★いつも心に良いことを思わせて頂き、良いことをお願いさせて頂く稽古をさせて頂きたいと思います。与えて頂いている家族を喜び、仕事を喜び、環境を喜び、不平不足を先に立てずに、喜ぶ稽古をさせて頂くことが、おかげを頂く受け物となるのです。起きてくる諸問題でさえも、心を神様に向けて受けさせて頂けば、そのことを通して心が磨かれ、改まらせて頂けるのですから、有り難いおかげなのです。心さえ改まらせて頂けば、おかげはいくらでも頂くことが出来るのです。

★『金光様は、思うことが願いになるとおっしゃっておられるから、ご無礼お粗末なことを思うてはならん。思うておることをお願いしておれば、おかげで成就する。おかげを受けられるまで信心辛抱してお願いをしなさい。』

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2019年11月14日

●真心を先に立てる

11日には、天候を初め万事に有難いおかげを頂き、立教160年生神金光大神様の御大祭を共々にお仕え申しあげることが出来ましてから、広大なおかげを蒙らせて頂いているということと、ご信者皆様の真心が結集されて有難い御祭典とならせて頂いたお礼ばかり申させて頂いております。

★全てがお供えです。御祭典は全てに神様にお供えさせて頂くということですから、準備の御用も、楽の稽古も、全てがお供えです。ただ神様にお喜び頂けるように、とばかり考えていれば、後は神様が一番良いようにして下さると信じて、自分自身は神様に使って頂けば良いのです。何もかも神様に使って頂くのだという覚悟を決めさせて頂きますと、有難く喜びに満ちて何事もさせて頂け、おかげを頂いている姿にならせて頂けるのです。

★『的無しの信心を授けておくぞ。一心を定めて、いただくがよし。おかげは受け勝ち、守りは受け得。おかげ受けたら、ご恩を忘れてはならぬぞ』とみ教え頂いておりますが、的無し信心とは、真心の一筋と有難い一心でご信心をさせて頂くということです。「どうしたら神様に喜んで頂けるだろうか」ということが中心にならなければなりません。神様に喜んで頂けることだけを考えて一生懸命させて頂くということになれば、意地になって推し進めていくことがなく、先を楽しんで信心をさせて頂けます。

★おかげを頂きたい、という思いばかりが先に立ってしまいますと、横道に逸れてしまいます。「私のお願いを聞いてください、だけど神様のみ教えは聞きません」では、本当に真心が先に立っているとは言えません。ただのわがまま気ままを神様に申し上げている姿になってしまいます。それでは結構になるはずがありません。しかし、これは誰の中にもそういう部分はあると思います。自分のお願いを聞いて頂くより先に、神様に喜んで頂ける信心にならせて頂けます様に。という願いが大切なのです。千日信行も、神様にお喜び頂けるような私共の信心生活にならせて頂けますよう、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

★『信心するという心におかげはないぞ。信心さしていただくという心におかげはあるぞ。』
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2019年11月13日

●神に任して、一心に信心をせよ

 三代教会長先生が62歳の御時、くも膜下出血で40日間の絶対安静を要する状況となられた時、私はベッドのそばで御祈念させて頂いておりましたが、心配や不安で離れることができませんでした。「今晩徹夜してでもかまわない。御祈念させて頂く。」と思っている最中に、奥様が「あなたが一晩徹夜しても治られるわけではありません。一人では何も出来ません。皆が交代しながら長期に亘ってお世話をさせて頂き、おかげを頂かねばならないことです。気が済むまでお広前でしっかりと御祈念させて頂いて、すべて神様にお任せさせて頂きなさい。先生は必ずおかげを頂かれます!」と仰ったのでした。その後、お広前で1時間半ほど御祈念させて頂いておりますと、有難いことに「あとは万事お任せ」と思わせて頂くことが出来ました。

★私が高校3年生の時でしたので、三代教会長先生に「私は高校を卒業させて頂いたら、大学には進学せずに、金光教学院に入らせて頂きます。」と覚悟の程をお話ししますと、先生は「大学を受験させて頂きなさい。私は必ずおかげを頂きます!」と仰って下さったのです。

★40日間絶対安静の後に、歩く事からリハビリをなされ、お説教やお結界の御用を通して徐々に回復のおかげを頂かれました。そして先生は「60年間おかげを頂いてきた私であるから、御礼をさせて頂くのには60年かかる。これからは、命を授けて頂いている御礼に御用させて頂く。」と願いを新たになされ、90歳6ヵ月で天寿を全うされるまで、御礼の御用にお使い頂かれたのです。

★三代教会長先生と奥様が、「必ずおかげが頂ける!」と神様にすべてをお任せされ、どんな状況になられても揺るがないご信心を示して下さいました。そのお姿を拝ませて頂き、私の心に有難い衝撃を与えて下さったのです。

★『世の中で疑いが一番悪い。神に任して、一心に信心をせよ。任したうえは、神がよきようにしてやるのぞ。疑いを放れるの一つで、おかげをいただくのである』

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2019年11月12日

●今、天地の開ける音を

昨日は、天候気象を初めとして万事万端に御都合お繰り合わせを蒙り、立教160年金光大神大祭を盛大にお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。祭典後のお説教を、島之内教会長・三矢田光師より「今、天地の開ける音を」という御講題で、有難い御教話を賜りました。

★[島之内教会の三代教会長先生の末の娘さんとご結婚なされたモリタ氏はある信用金庫で働いておられました。ある支店の支店長を勤めておられた時、出張の際に「あそこの融資が危ないから気を付けて」と、ある部下に任せて出張に出たのでしたが、その出張中に部下の方は融資をなさる決断をされ、事業が上手くいかず、その信用金庫に損失を与てしまわれたのでした。

モリタ氏が懲罰委員会にかけられることになり、島之内教会のお結界で事情を説明したモリタ氏は「懲罰委員会で経緯を説明した後で辞表を出します」とお届けされました。するとお結界の先生が「あんたそれで責任取ったつもりでっか!」と大声を出されたのです。

★それからみ教えを頂いておりますと、自分に思い上がりがあった、と気付かれたのです。部下やお客様があってこそ仕事が成り立ち、会社という組織の働きがある。そうした諸々を考えると、自分の処遇を決めるのは組織であり、それを謙虚に受け止めることこそ潔い身の振り方で、失敗をしたから辞めるというのは、自分で勝手に結論を出しており、責任を取るようで、実は責任から逃げている。信用金庫として、この度の不始末の原因と責任の所在を究明し、しかるべく対応をしなければならず、その究明と対応に誠実に協力するという以外、どんな責任の果たしようがあるか、と気づかせて頂かれ、

「よう分からせて頂きました、有難うございました」とお礼を申されたのでした。懲罰委員会でも、「私が決済を任せたのだから、私の責任です」と仰ったそうです。懲罰委員会にかけられるということは、経歴に大きな傷がつくことでしたが、モリタ氏は監査役員にまで出世なされたのです。

★私共がご信心する中で、神様が「目を覚ませ」と呼びかけて下さった、と思えるような体験をすることがございます。それは、体験した人にとっては、「天地の開ける音を聞いた」という出来事になろうかと思います。モリタ氏は何度も「あの時の先生のお言葉はまるで雷で、びっくりした」と仰っておられたそうです。

叱り飛ばされたことで目が覚め、「御結界で先生が仰らたお言葉は、神様のお言葉だ」と深く肝に銘じることが出来られたのです。そのように受け止める事が出来られたのは、それまでに参拝して御取次頂かれ、み教えを頂かれていたからでしょう。]との大変有難いご講話を賜りました。

★3年後には有難いことに阿倍野教会は開教100年記念大祭を迎えさせて頂きます。今から千日間、しっかりと信心を練り直して、おかげを頂いて参りましょう。
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2019年11月11日

●御礼の真心をお供えする

 皆様、おめでとうございます。本日、立教160年記念の年の、金光大神大祭をお仕え申し上げます。万事万端に、有難いご都合お繰り合わせを頂きまして、また、ご信者皆様の真心からのご祈念と御用奉仕を賜りまして、教会内外のお掃除、内膳、配膳の御用、お餅つき、小判餅くくり、植木の御用等々、実意丁寧に整えさせて頂けましたことは、真に有り難いことでございます。

★以前、九州からお参りになったお方が、「きちんとお掃除も、片付けも行き届いた阿倍野教会のお便所を使わせて頂いただけでも、おかげを頂きました」と、言って頂いたことがありました。普段からの、ご信者皆様の御用奉仕に込められた、御礼の真心の現れであると、有り難く思わせて頂いたことでした。

★一つ一つの御用を、実意丁寧に、間違いの無いよう、更には迅速にさせて頂くことは、容易なことではありません。有り難いお礼の御用にならせて頂けるよう、心中御祈念をさせて頂きながらお使い頂くことで、真にお役に立たせて頂くことが出来るのです。心の持ち方を少し間違えますと、「どうやったら早く終わるだろうか・・・」「ここは、私がしなくても誰かがやってくれるだろう・・・」というような、真心とは反対の不成心が生まれてしまい、ご無礼な御用の在り様になってしまう恐れもあるのです。「今すぐその手で二度手間なしに。」「今せねばいつする。私がせねば誰がする。」神様に気が付かせて頂いたことを、すぐその時に、その手で、させて頂くことで、何事も間に合うようにご都合お繰り合わせを頂くことが出来、無理、無駄、ムラなく、全てに整えて頂くことが出来るようになるのです。それは、落ちている糸くず一つを取ることにでも、言えることなのです。

★本日も、真心をお供えさせて頂ける有り難い参拝、また、御用にならせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。『信心といえば、すぐむつかしく考えるが、何もむつかしく考えることはない。金光様の言われるとおりに、はいはいと従うておればよいのじゃもの、苦労はない。楽なものじゃ。』

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2019年11月10日

●日に日に新たに… 

先日から、財布やタブレット、カバンなど落し物のお届けを何件か聞かせて頂きました。しかし、お届けをなさった方皆さんが、全て手元に返ってくるおかげを頂かれたのです。あるご夫婦は、電車で姫路まで行かれたのですが、どこかにタブレットを置き忘れてしまわれたそうです。何時、どのタイミングで置き忘れたのかも覚えておられなかったのですが、善意の方に拾って頂かれ、手元に返ってくるおかげを頂かれたのです。このことを聞かせて頂きますと、善意に満ちた方々が、この世の中にはたくさんおられることが分からせて頂きます。御礼を申された奥様は、「この度は、私共の不注意でこのようなことになり、申し訳ありませんでした。今後は、人様の為に少しでもお役に立たせて頂きたいと思いますので、宜しくお願い致します。」と、御礼と御詫びとお願いをお届けされたのでした。

★私達は、日々の生活で多くの方々にお世話になることばかりですが、お世話させて頂ける場面がありましたら、「どうぞ、お役に立たせて頂けます様に。」とお願いされ心掛けることは大変有難いことですね。御恩が分からせて頂けるということは、結構な人生を送らせて頂けるということになるのです。

★お広前で、日々新たに御祈念を神様に込めさせて頂くことによって、心が浄化され一段高い精神世界に広がってゆくのです。これは、自分の事ばかり考えていては、心が浄化されてゆくということにはなりません。人のことを思い、社会のことを思い、お道のことを思い、神様に心が向いていくことによって、自分自身が助かってゆくのです。人が助かって頂くことを、神様がお喜び下さり、自分自身も有難く助かることになるのです。私達は、学校や社会、近所近辺、職場など様々な所で、多くの方々にお世話になって、今の生活が成り立っております。そのことに気付かせて頂き、御恩を感じ、少しでも御礼の働きに努め、人様の為に心も体も使って頂くことが出来ましたら、どれ程有難い生き方がさせて頂けるでしょうか。

★日々が新(さら)と三代金光様がみ教え下さいました。日に日に新たに、神心を育てる信心を心掛けて参りましょう。
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2019年11月09日

●神様が道をつけて下さる

 昨日はみかげ会例会が開催され、松氏の有難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★松氏の家のご信心は松氏の御祖母様が空襲の時に、防空壕の中で隣にいた老夫婦が、金光教の「大祓いの祝詞」(おおはらいのことば)を拝んでおられ、その防空壕だけが難を逃れたことをきっかけに、昭和25年に御祖母様が、阿倍野教会にお引寄せ頂かれたところから始まりました。

★高松氏は幼少期から連れられて参拝されていましたが、段々と教会から遠ざかってしまい、高校進学の頃には試験の前日にお願いに行かれるくらいで、それ以外は毎日夜遅くまで部活の練習に明け暮れておられたそうです。大学はご実家から遠く離れていた為、年に1,2度の帰省の際に教会に参拝する程度だったそうです。高松氏のお母様は「このままでは高松の家の信心が途絶えてしまう」と思い悩まれ、二代教会長伊藤コウ師にお届けするとコウ師から「千日参りを続けなさい」とみ教え頂かれたのでした。

★高松市は東京で就職なさったのですが、自分の望んでいた仕事とかけ離れていることや、人間関係に嫌気がさしてしまい「一体この会社に何をしに来ているんだろう」と悩むようになったそうです。ある時、会社の窓からぼんやりと外を眺めておられると、下の方に「金光教の教旗」(八つ波の御紋の旗)が目に入ったのです。すぐにお参りしようという気にはなられなかったそうですが、来る日も来る日もその教旗が目に入り、教会の前まで行ってみるところから始まり、ついにお広前に入ってみると先生がお出ましになられ、お話をすることが出来られたそうです。その先生に自分の家が阿倍野教会にお参りしていることを話すと「結構な教会にお参りされているんですな。私も以前に阿倍野教会にお参りしたことがあります」と教えて下さったそうです。それからは会社帰りにその教会にお参りなさり、色々とみ教え頂かれたそうです。一年後には大学の恩師より大阪の会社を紹介して頂かれたのです。ご両親は、大阪へ帰ってくることを心待ちになさっていましたから、大変喜ばれたそうです。東京のビルの中から見させて頂いた金光教の教旗が心に呼び掛けて下さっていて、これも、祖母の祈りや母の願いがあってこそだと後に振り返って思わせて頂かれたそうです。

★氏子の方がお広前を遠ざかるということがあっても、神様は決して見離したりなさらず、何とか助けてやりたいと思って下さっておられるのです。神様が道をつけて下さるということが、良く分からせて頂けますね。

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2019年11月08日

●足りないところは足して頂いて            

先日、初めて教会にお参りされた方があり、ご家族と共に参拝され、初めてお結界でお届けをされたのでした。以前この方は「信心は絶対しない!」という方で、家族が信心されていても、「私は教会にお参りはしない!神様にお願いなんて絶対にしない!」と、言い切っておられたということです。ご家族は「どうか、何時の日かお導きさせて頂けますように!」と願われ、毎日本人の助かりをお献備に書いて、お届けをなさっておられました。[斯々然々でこういった状況でございますので、どうぞ生神金光大神様のお取次ぎにより、天地金乃神様の御神徳を頂けますように。私達は徳も力も足りませんので、本人に言うて聞かせることが出来ません。神様から本人に直々にお伝え下さいますように。本人が「どうあってもお参りさせて頂きたい…」と思えるような、おかげを頂ける機会を頂かせて下さい。]と、毎日根気強く、家中が願っておられました。その日が思いの外早くやってきたのです。

★親が子供のことをお願いし、子供が親のことをお願いし、お互いに願い合いをするから立ち行くのです。氏子が神様のお心を思ってお願いさせて頂き、神様が氏子のことをお願いして下さいますから、神様と心が一つにならせて頂くことが出来ます。神様が願って下さっていることを氏子が悟らせて頂き、そのお心を分からせて頂く、ということがなければ、私達氏子の生活は神様の御心に添わせて頂けません。

★私達がお届けしてお取次ぎを願い、ご祈念させて頂いていることは、金光様が引き受けて下さり、天地の親神様にお取次ぎ下さいます。私たちは徳も力も足りませんが、金光様のお取次ぎのお徳により、足りないところに足して頂いて結構なおかげを頂いております。自分の心や身体でさえも、自分では治すことも正すことも出来ない、どうにもならない私達ですから、「自分がする…」という心から、ご祈念して「神様にさせて頂く」という心にならせて頂きましょう。

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2019年11月07日

●いつも「金光様」と御祈念する

 先日、あるご婦人は、娘さんご夫婦と車でお墓参りをなさりました。その帰宅道中、自転車が急に飛び出してきて、娘婿さんが急ブレーキを踏むという場面があったのだそうです。その瞬間、ご婦人の口からは、とっさに、「あー!」という叫び声だけが出たのでした。「普段から、『金光様、金光様』と、御祈念させて頂いているつもりでも、いざという瞬間に『金光様!』と、御祈念させて頂くことができませんでした・・・」と、振り返って、ご信心の反省の材料となさっておられたことでした。

★家庭でも、仕事場でも、地域社会でも、いつでもどこでも「金光様、金光様」と、心中御祈念をする稽古をさせて頂きたいと思います。そして自分のことよりも先に、相手の事、周囲の人々の事、取引先のことなどの助かり、立ち行きを祈らせて頂きますと、その祈りは、たとえ山の上でも、海の上でも、あるいは病床にあっても、生神金光大神様はお受け取り下さり、お取次のお徳によって、天地金乃神様の御神徳を蒙らせて下さるのです。

★また、自分自身が徳も力も足らないと自覚すればするほど、おすがりすればよいのです。「金光様」と、御祈念させて頂くことによって、自分の口を通して、あるいは、手足を使って、金光様のお徳を現わして頂くこととなり、有り難い働きをさせて頂くことが出来るのです。どんな時にでも心中御祈念を欠かすことのない、有り難い生き方にならせて頂けるよう、11月11日の金光大神大祭に向けて、一層稽古に励ませて頂きたいと思います。

★『金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。』『まさかの折には、天地金乃神、と言うにはおよばない。金光大神、助けてくれと言えば、すぐにおかげを授けてやる。』

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2019年11月06日

●おかげの中に生命を授かり、生活する日々

あるお方は、懐妊のおかげを頂かれたのですが、つわりが大変ひどく、食事も食べられず、歩くことも出来ないほど衰弱なさっておられたそうです。医師からも「このままでは母体が弱ってしまうので、入院をすべき状態だと思いますが、入院も病室で天井を見て暮らさなければなりません。それでは気を弱らせてしまいますから、自宅で静養してください。それでも嘔吐して食べられないようなら、病院へ点滴に来てください。しかし、なるべく口から食事を頂けるように何か工夫して下さい。」と指導を受けられました。そして、段々と月日が経つにつれて、つわりの症状が軽減され、食事も収まるようになられて、先日ご夫婦で御礼のお届けに来られたのでした。

★懐妊なさった方に、御祈念の文章を紙に書いてお渡ししているのですが、そのご夫婦にもお渡しし、御祈念の仕方を伝えさせて頂きました。

★「@(御礼)・今日までお命を頂いて、ここまで生活させて頂きまして有難うございます。この度は神様のおかげで懐妊させて頂きまして真に有難うございます。只今妊娠何週です。ここまで順調におかげを頂きまして有難うございます。

A(御詫)・知らず知らずのうちにご無礼不行き届きを重ねて参りましたことをお詫び申し上げます。これまでの御礼の申し足りないところをお詫び申し上げます。

B(御願)・神様から胎内に授けて頂きました御氏子が、五体満足で健康で無事に成長させて頂けます様に。賢く明るく素直に可愛く優しく、世の中のお役に立つ人に育って頂けます様に。予定日は何月何日です。どうぞ一日でも長く胎内にてお育て頂けます様に。そして、一番良い日時に安産のおかげを頂けます様に。夫婦とも親としての自覚が出来まして、立派に養育させて頂けるだけの徳も力も頂けます様に。その為に信心向上のおかげが頂けます様に。」という内容です。毎日夫婦で家庭でも教会でもご神前、ご霊前で御祈念させて頂きまして、有難い真心からの御祈念がこめられ、神様・霊様に通じてゆくように心掛けるのです。もってゆくのです。

★私達は、今日までおかげを頂き続けている毎日ですが、それを自覚しなければ、御礼も御詫びも申すことが出来ません。それでは正しいお願いにはなってゆかないのです。おかげを頂き続けてきたことを自覚し、親として神様から授かりました子供をどのように育てさせて頂けばよいのか、それを悟らなければ本当の働きにはなってゆかないのです。様々な体験を通して信心の有難さを心に刻み、周囲の人々に有難い体験をさせて頂いたことを話し伝えさせて頂くことが、神様の御礼になってゆきます。
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2019年11月05日

●おかげを受けたことを忘れない

 荻原須喜師は、2年間血の道にて、病床に呻吟していました。この時、同じ郡内の方からお導き頂かれ、ご主人の豊松さんが参詣されますと、金光様が「巳の年(豊松)、昔から神信心しておかげを受けるのには、一心ということを言おうがな。一心に信心すりゃ、おかげが受けられるのじゃ。(中略)たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。(中略)神信心もこの一心というものを出すと、すぐおかげをいただける。(中略)どこでもよいから一心に信心せよと言うのであるぞ」と仰せられました。続けて「丑の年(荻原須喜)はまことに執念な者で、常に不足ばかり並べておるが、不足にはおかげはない。(中略)それじゃから、病気もしておるのじゃ。ようもならぬのじゃ。(中略)なるほど私は悪かったということが腹の底から得心がいったら、家内中相談のうえで好きな所へ信心せよ。きっとおかげが受けられるからのう。もし丑の年にその得心がいって、相談のうえで、ここでおかげを受けるということなら、もう一ぺん参りなさい」と仰せになられました。

★早速、豊松さんは帰ってから須喜師の枕元で一部始終を話されました。すると、須喜師は「わたしはわがままで、不平不足より他にありませんでした。改心せんでどうしましょうか…」と改まりが決意できられ、金光様の元でおかげを頂くことを決心されました。再び豊松さんが参詣されますと、金光様より三週間を楽しみにおかげを頂くようみ教え頂かれました。そこで、日夜ご信心を進められますと、16日目に初めて枕から頭が上がり、21日目には2年前と変わらない壮健な身体に変わられたのでした。そして、歩いて参拝が出来、御礼を涙ながらに申し上げた時に、金光様から「今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。ここからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ」とみ教えを頂かれたのでした。

★私達は日々み教えを頂いて改まり、おかげを頂きましたら、その有難いことを忘れないで、次々と人が助かっていくように、親切丁寧にお導きさせて頂き、真の信心に進んで頂く方々増えていく事が、神様への一番の御礼になるのですね。

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2019年11月04日

●お気付けという有難いおかげ

昭和28年頃に月例祭の御祭典後のお説教に、以前から連絡してお願いしていた講師の先生が来られなかったことがありました。それが連続して、次の月もお越しになられなかったので、二代教会長伊藤コウ師は神様に「先月も今月も講師の先生にお約束頂いておりながら、お越し頂けませんでした。どういうようなお気付けでしょうか?」とお伺いなさったのでした。そうしますと「よく考えてみよ、講師の先生をお迎えするについて、お前達の実意丁寧が欠けておるのではないか」と心にみ教えを下さったそうです。

★戦時中は講師の先生をお迎えするにあたって、夜の御到着であられたら【阿倍野教会】と書いた提灯をもって、お昼の御到着であられましたら、御紋のついた【阿倍野教会】と書いた紫の染め抜きの旗を持って、1人は東天下茶屋駅へもう1人はバスの停留所へ必ず行かせて頂いたのでした。それが戦争の空襲等でややこしくなり、当時は来て下さってからの接待ことばかり考えてしまっていて、お迎えするについての真心や姿勢が足りなかったことを、神様がお気付け下さったのでした。

★自分では、行き届いて丁寧にさせて頂いているつもりでも、「これくらいで良いだろう」と思ってしまっているところを、神様が教えて下さるのです。自分たちが見ているのは小さい目の前のことです。御祈念させて頂いて、1つ程度の高いところを広い視点から教えて頂けるというのは、自分の小さな殻が破れていくということです。過去から振り返らせて頂いて、見直しをさせて頂き、欠けているところに気付かせて頂く、ということがおかげですね。

★お気付けと言いますが、それはまさにおかげなのです。結構なお気付けをもって「このままでは先々もっと大変なことが起こってきますよ・・・」「先々が結構にならせて頂きたいと思うなら、今のうちに改まりなさいよ・・・」「このことをもって理解させてもらいなさいよ・・・」と神様が教えて下さっているのです。出来てくることは皆おかげです。そのご意味をしっかりと分からせて頂けますよう、この特別信行期間で、一段とご信心向上のおかげを蒙らせて頂きたい、と願わせて頂いております。
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2019年11月03日

●銘々の真心が結集された御大祭に!

 あるご信者は、28日の初代教会長先生の例年祭に参拝すべく、早くから準備を整えておられました。そして、ご祭典が始まる時間に間に合うように車で家を出発されたのですが、信号待ちをしている時に後ろから車に追突されたのでした。双方に怪我はなく、大事には至らなかったそうですが、すぐに警察を呼んで事故後の処理や、車の修理等の手続きに時間が掛かかったそうです。すべての処理を一通り終えて、すぐに教会に向かわれましたが、既にご祭典は終わっており、祭典後の教話が始まっている時間に到着なさったそうです。

★そのご信者は「ご祭典の当日に起こったことでございますから、この事故を通してめぐりのお取り払いを頂いておりますことは、有難いことでございます。ご祭典の初めから拝むつもりで、早くから準備をしていたつもりですが、間に合わないという状況になりました。大難を小難におまつりかえて頂きましたことは、真に有難いことですが、思ってもみないことが起こって来まして、これは私にそれだけの準備が常平生から出来ていないことを神様が教えて下さっておられます。大事なご祭典に初めから拝むことが出来ず、真に申し訳ないことでございました。私の不徳の致すところでございます。どうぞお許し頂けます様に。」と心からお詫びを申されたのでした。

★昨日も、月例祭に併せて金光大神大祭の祈願祭をお仕え申し上げました。11月11日当日は、ご家族、知人の方をお導きさせて頂き、共々に参拝のおかげを蒙らせて頂きましょう。万障繰り合わせて参拝させて頂く心にならせて頂きますと、その瞬間から、仕事のご都合、時間のご都合等全て神様が引き受けて良いように下さいます。心を込めてお参りさせて頂くその真心を、神様はお受け取り下さるのです。また、事前の準備からご祭典の後片付けまで、与えて頂いた御用を実意丁寧・正直親切にさせて頂き、それぞれに真心こめて心配りをさせて頂きましょう。

★一人一人の真心が結集された、有り難い金光大神大祭になりますよう、共々におかげを蒙らせて頂きましょう。

★『何事によらず、無理を言うたり、したり、してはならぬぞ。無理が一番悪い。めげるもとじゃ。自分でしようとすると無理ができる。神様にさしてもらう心ですれば、神様がさしてくださる。』『祭り日は、信心を忘れないための大切な日である。この祭り日を忘れさえしなければおかげがある。忘れたらおかげはない。親の恩を忘れないための法事のようなものである。何事にも恩を忘れてはならない。』

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2019年11月02日

●神様から何事も教えて頂く心で

 教祖様は、安政5年、45歳の時には、農業をなさるのにも、お天気の照り降りや、麦蒔きのタイミングや方法などに到るまで、事細かに神様からお知らせ頂くようになっておられました。時には、雨が降ってきて周囲の人々皆が農作業を終えても、教祖様だけは、神様から「差支えはないから、そのまま続けよ」とお知らせを頂かれ、雨の中作業を続けられると、大降りになることなく無事に麦蒔きを終えることが出来られたのでした。

そして、「翌日は大降りになるから、外作業の用意はしなくてもよい。今日麦を蒔いたところに、わらを細かく切って(雨除けに)ひろげておくように。」とお知らせ頂かれ、その通りになさると、翌日、朝は晴れていたので、周囲の人々はこぞって麦を蒔いたのでしたが、途中から、神様のお知らせ通り大降りになり、教祖様の畑は都合よくおかげを頂かれたのでした。そんなご様子から、次第に周囲の方々にも、神様の有り難いことが伝わっていくことになったのです。

★翌年の安政6年、教祖様46歳の時に、神様から立教神伝がお下がりになり、教祖様は、家業である農業をおやめになって、お取次の業に専念下さるようになられたのでした。更に、55歳になられて神様から「生神金光大神」との尊いご神号を頂かれるほどの御神徳(神様からのご信用)を頂かれるまでになれたのでした。生涯かけて神様の仰せをお守りになり、何事も疎かになさらず、実意丁寧を貫くご修行を続けられ、そのご信心は、たゆむことなく向上なさってゆかれたからこそ、神様からのご信用も進んでゆかれたのです。私達も、そのような教祖様の生きられ方を習わせて頂き、日参と聴教に励み、日々の家業を通して信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★『生神とは、ここに神が生まれるということで、此方(教祖様)がおかげの受けはじめである。みなもそのとおりにおかげを受けられるぞ』
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2019年11月01日

●神様がさせなさるご修行

 教祖様は津川治雄師に対して、大切なみ教えを残して下さいました。『このお広前へある山伏が来てかれこれしたことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれしてはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。』

★教祖様は山伏が荒しに来た時も、命の危険があられた時も、ぼた餅に毒を盛られた時にも、腹を立てられることもあられませんでしたし、仕返しをしてやるという心にもなられませんでした。それは神様がさせなさるご修行であると、有難く受け切っておられたからです。

★また、教祖様は、津川治雄師に『あなたは、腹が立ってもこらえてこらえて、それを腹の中へおさえこんでおられる。それでは、わが体をこわす。もう一つ進んで、腹の立つことを知らないということになるがよい。それには、悪いことがきても、「これは自分が犯した罪のめぐりか、先祖が犯した罪のめぐりであろう。これで、一つめぐりを取り払ってもらうのだ。」と思うがよい。またそれに相違ないのであるから』とみ教えをなさっておられます。

★どんなことが起きてきても、相手を責めるのではなく、神様がさせなさるご修行であり、めぐりのお取り払いであると理解させて頂けましたら、腹を立てることはないのです。そのような心持ちになるには、普段から信心の稽古を進めさせて頂くことが大切ですね。

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