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2019年10月31日

●神様と共に辛抱させて頂く             

三代教会長先生の奥様は、実母が亡くなられた後、小学校4年生の御頃に、東京の親元を離れて一人阿倍野教会に入所されました。入所された際、二代教会長伊藤コウ師は奥様に「10年辛抱しなさいや。」と仰せになりました。9歳であられた奥様は、10年間1度も実家に帰られず、コウ師のもとでご修行され、着物の裁縫、布団の打ち直し、お食事の準備等、教えて頂かれ、身につけられて御用なさってこられました。

★コウ師はある時、奥様に「私はあなたに毎日朝から晩まで、ああしなさい、こうしなさいと口うるさく言っていますが、あなたが私の年になったら必ず結構になりますよ。私が請け負います。私はいつまでも生きてはいられないけれど、私の心は皆あなたに移っているのですから、あなたが御用させて頂く時には、私も一緒に御用させて頂いているのですよ。あなたの心に私が生きているのですから、きっと結構になります。今の辛抱が先の幸せにつながるのですよ。」と、おっしゃったのでした。

★奥様は、88才の今日まで病気で入院されることなく、また寝込まれることなく、元気で御用にお使い頂いておられます。今日では、孫11人、曾孫19人を頂かれ、奥様は「毎日ひ孫を抱かせて頂いて、親先生の仰せになられた通りに、有難い生活を送らせて頂いています。」と毎日お礼を申しておられます。

★『その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ』と、み教えを頂いております。「厳しいことを言って頂けることが有難い」と分からせて頂くと、不足に思うことがありませんから、社会の何処に出させて頂いても結構になります。しかしながら、「自分が我慢しているから…」ということではいけません。神様にお縋りして信心辛抱させて頂くのです。そうすれば、「これほど辛抱しているのに、どうしてこのようなことが起こってくるのか…」と思うことがありません。神様にお縋りして辛抱させて頂き、辛抱させて頂けたら神様にお礼を申して、信心辛抱をさせて頂きましょう。
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2019年10月30日

●日々の家業を有り難いご修行に

 昭和49年のことです。二代教会長・伊藤コウ師がラジオ放送でなさった教話を、あるお寺の奥様が偶然お聴きになったそうです。その奥様は膀胱や大腸から出血する病を患っておられ、生きる気力を無くし、毎日「死にたい、死にたい…」と泣いて暮らしておられたそうです。そんな時に、偶然コウ師のお説教をお聴きになり、身が震えるほどの感激を覚えられ、「有り難い」という思いが心の底から沸き起こってこられたというのです。そして、どうしても教会へお参りしたいと願われましたが、病気で出かけることが出来ませんので、ご主人である住職さんが代わりに阿倍野教会に参拝されたのでした。

★住職さんは、お結界に進まれ、コウ師に「うちの家内があなたのお声に感じ入りましてなあ。『もう今日から死にたいと言わない』と申しております。おかげ様で出血も止まり、身体も良くなってきております。有難うございます。ところで先生は、これまで余程ご修行して来られたのでしょう。でなければ、あんなに良いお声にはなりません。あのような良いお話も出来ませんからなあ。」と仰いました。

★するとコウ師は、「いいえ、私はご修行らしいご修行はしておりません。このお道では『此の方の行は、水や火の行ではない。家業が行ぞ。』とみ教え下さっています。私たちに与えて頂いた家業を行として、有難くさせて頂くことがこのお道の信心です。家庭や職場でそれぞれにご修行があるはずです。山にこもったり、滝に打たれて修行するのでもありません。断食をするのではなく、食物を有難く拝んで頂くご修行をさせて頂く。与えて頂いた仕事、生活そのものが修行であるのです。和らぎ賀ぶ心にならせて頂き、全てを拝んで有難く受け切ってゆく。誰もが毎日の生活の中でしておりながら、誰もが疎かにしてしまっている事を、真に有難くさせて頂くのがこのお道のご修行であるのです。」と仰せられたのでした。

★『人が人を助けるのが人間である』と、み教え頂いております。神様は、自分も助かり、周囲の人々も助かり立ち行く為に、銘々がさせて頂くべきことを、日々家業として与えて下さっておられます。自分の為すべきことを、疎かにしてしまっていることはないか、丁寧に見直し、考え直しをさせて頂き、有り難い生き方に日々生まれ変わらせて頂きたいと思います。

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2019年10月29日

●初代教会長先生の御修行のお徳を頂いて

昨日は初代教会長・伊藤徳次彦霊神の93年廻れる例年祭を仕えさせて頂きました。

★初代教会長先生の兄・庄五郎氏が泌尿器の病気を患われ、病気平癒のため父・池田太市氏は、片道4里(16キロ)ある甘木教会へ歩いて参拝され、お取次を頂いて全快のおかげを頂かれたのでした。

★庄五郎氏のある日の夢に、棍棒、鶴嘴を手に無頼漢が十数名「庄五郎の命はもらった」と追いかけてきます。庄五郎氏は逃げ回った挙句、教会に飛び込んだのでした。御神殿の裏へ隠して頂きますと、無頼漢が押し寄せて入ってきて「庄五郎を出せ」と怒鳴ったのです。その時に、安武松太郎師が[庄五郎は確かにここに来た。しかし、すぐに装束を着せて御本部へ行かせた」と言って下されたところ、無頼漢たちは立ち去ったそうです。あまりにも鮮明な夢であったため、庄五郎氏は、安武松太郎師に夢の内容をお伺いされますと、

「棍棒・鶴嘴を持って、恐ろしい形相の無頼漢がきたという事は、お前の家のめぐりじゃ。また、追われて教会へ逃げ込んだという事は、神様に救われにきたのじゃ。お前の家のめぐりは、一筋縄や二筋縄ではとても手に負えぬほどに手強い。お取り払い頂くためには、道の教師となって、人を助けさせて頂く徳によって救って頂くのじゃ。その理由に「庄五郎は装束を着せて御本部へ行かせた」と言うたことではっきりしている]と仰せになられたのでした。

★庄五郎氏が病気全快され、神様の御用に使って頂かれるはずでありましたが、読み書きが出来ませんから家族で話し合いをした結果、庄五郎氏の代わりとして、弟の徳次師が「私がご修行に入らせて頂くことで、家族中が助かるならば行かせて頂きます。」と覚悟を決められ、家のめぐりのお取り払いの為に家の代表として、徳次師が16才から23才まで、足掛け8年甘木教会で御修行して下さいました。

★自分のことは二の次にして家族の為に身を捧げられたのです。そうしてご信心のお徳を頂かれ、家のめぐりをお取り払い頂いて、家族中が皆助かるようにと願って入られたのです。初代教会長先生が「わたしには無理です」と言っておられましたら、後々のおかげは頂けませんでした。初代教会長先生がご修行して下さったおかげによって、池田の家は一人の戦死者も無しに、際立ったおかげを蒙られてきたのでした。

★初代教会長先生のご修行があられませんでしたら、今の阿倍野教会はございません。3年後には、阿倍野教会の開教100年を迎えさせて頂きます。これからの3年、千日の御修行としておかげを蒙らせて頂くよう大きな願いをしっかり持たせて頂いて、ご信心に励ませて頂きたいと思わせて頂きます。
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2019年10月28日

●稽古をさせて頂く方向へおかげを頂く

 三代教会長先生が中学生の頃、二代教会長伊藤コウ師に「信心して身に徳を受けるということは、およそ損なことばかりしていたらよいのですね?」とお伺いなさったそうです。コウ師は「そうや。大体あんたが見て目先で考え、損やなあと思うことをしていたら、お徳を積む事になりますねや」と仰られたそうです。三代教会長先生は「当時の自分の小さな頭ではそのように思えた。しかし、目先の利益を考えたり損得勘定ばかりしていたら、信心してお徳を積ませて頂くということは、到底出来ることではないなあと、中学生時代の自分にも、段々と分からせて頂けるようにならせて頂いた。早くから間に合うように準備をさせて頂くこと、お徳を積ませて頂くことを教えて頂いていた・・・」と後に述懐しておられました。

★二代教会長伊藤コウ師は『朝早く起きて、ご飯を食べて学校に行かせてもらうことだけをしていては、あかんのや。庭を掃かせてもらうとか、廊下を拭き掃除させてもらうとか、何か御用させてもらいなさいや。そして学校が終わったら、寄り道せずにすぐ帰って来て何か御用させてもらいなさい』とみ教え下さいました。勉強も時間の使い方も工夫して、集中して短時間で能率の上がるように稽古させる、という方針であられたのです。窮屈なこと、しんどいことに思えておられた三代教会長先生も、それを段々と稽古なさっているうちに、人のお世話をさせてもらうことや、人が助かって頂くことを楽しみにさせてもらえるようになっていかれたのだそうです。十代の頃から稽古をさせて頂かれたので、そのようにおかげを頂かれたのです。

★『お広前を遠ざかるは、信心の抜け始めである』自分自身を見つめ直し、み教えを頂き直して、自分の心を磨いていくことが、面倒だったり窮屈のように思ったり、その時間が惜しいという気になってしまい、自分の都合を先に立てておりますと、めぐりをお取り払い頂いて、お徳を積ませて頂くことが出来なくなります。人間は稽古をさせて頂いている方向へ上達をしていくのです。年齢を重ねたから辛抱強くなっていくとか、我情我欲が取れていくという話ではありません。稽古をさせて頂かねば、そうはならないのです。稽古をしていない人は、何歳になろうが、いつまで経っても人に助かって頂く喜びや、御用奉仕させて頂いてお徳を積ませて頂く有難さは分かりません。自分の心を磨く稽古を、日参と聴教を通して、共々におかげを蒙らせて頂きたいと思います。

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2019年10月27日

●心と体の悪毒病毒をお取り払い頂く

あるご信者は、眼がよく見えなくなり、医師からは手術を勧められていました。そこで、二代教会長伊藤コウ師にお届けされますと、「一週間様子を見られたらどうですか?その間にどうあってもおかげを頂きましょう。ご神酒を眼に頂いて、眼の中の悪毒病毒をお取り払い頂きましょう。それと同時にご神酒のお徳によって、心の中の悪毒病毒のおかげを頂きましょう。それが大事ですよ。きっとおかげが頂けます。」とみ教え頂かれました。

★そのご信者は、み教えを頂かれてから、毎日眼にご神酒を付けられて一週間様子を見られました。するとその間に、なんと有難いおかげを頂かれたのです。早速コウ師にお届けされ、お礼を申し上げたのでした。[親先生、結構なおかげを頂きました。早速ご神酒を眼に頂きますと、ご神酒が眼に染みて涙が次から次へと溢れて来まして、眼がスキっとして楽になりました。また、先日お参りした時に頂いたみ教えが、自分の心にピッタリ当てはまりました。そのお話は、眼を患って目が見えなくなった方がおられたのですが、その方には憎んで憎んで殺したいぐらい憎んでいる人がいました。それがみ教えを頂かれて、「私が間違っておりました。改まらせて頂きますので、どうぞ眼が見えるようにならせて頂けます様に。」と、神様に今日までのご無礼をお詫びなさったら、再び視力を頂いたというお話でした。そのお話を聞かせて頂きましたら、「これは私の事だ!」と思いました。私もどうしても許すことが出来ずに、ずっと恨み続けている人がいるのです。これが、こんなに不自由をしなければならない原因なんだということが分かりました。そこで神様に「神様、私は今日まで間違った考えでご無礼を重ねて参りました。本当に相済まんことでございました。これから改まらせて頂きます。人を恨んだり憎んだりしません様に。」と、お広前で一生懸命お詫びしますと、眼の曇りが取れまして、スッキリと見えさせて頂くことが出来ました。有難うございました。]と、一週間後にお礼届けが出来るようになられたのでした。

★体の悪毒病毒をお取り払い頂くことをお願いすると同時に、み教えを頂いて気付かせて頂き、心の悪毒病毒をお取り払い頂くことになられたのです。お話の批評ばかりしておりましたら、そのようなおかげを頂くことは出来ません。毎日お参りをして、自分自身に本当にみ教えの中身を頂かないと、結構になっては行かないのです。それを私達は、お広前で心の中の悪毒病毒をお取り払い頂けるように、心を改め磨いてゆく稽古をさせて頂くのです。また、心の弱った部分を癒して頂き、気力も体力も満ちてゆくおかげが頂ける受け物が出来てくるのです。
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2019年10月26日

●み教えを守らせて頂く有難さ

 あるご婦人が、お結界で三代教会長先生に、「先生、主人が信心に凝って困ります。近頃、一生懸命に教会にお参りするようになって、変わったことを言うようになりました。『今までは、儲け主義に走り過ぎて、利益を追求することばかりを考えていたように思う。これからは、実意丁寧を心掛け、お客様には親切に対応させて頂いて、喜んで頂くために、利益を少しにしてサービスするような気持ちでさせて頂きたいと思う。』と言うのです。そんなことでは、ただでさえ赤字なのに、商売が成り立ちません。何とか言うてやって下さい。」と、言ってこられたのでした。

★三代教会長先生は、「あなたは、普段み教えを聴いておられないから、ご主人と考えが食い違っているのですね。ご主人がそこまで心を決めておっしゃっていることならば、あなたも覚悟を決めて、ご主人の信心の足を引っ張らんように、まずは一年、ご主人を応援してあげて下さい。そして、どのような結果になるか、よく見てあげて下さい。心配ならば、あなたも一緒にお参りして、商売が繁盛するようにお願いさせて頂きましょう。」と、み教えになられたのでした。

★ご主人は、商売の仕方をご信心を元に改められ、誰に対しても実意・丁寧・親切を実践していかれました。すると、商売は以前より繁盛し、赤字経営を脱して、黒字に転じさせて頂くことが出来られたのでした。

★ところが奥さんは、「先生、商売は繁盛するようになりましたが、信心は訳が分かりませんわ」と言うだけで、お礼を申されることも出来られなかったということです。普段からみ教えを頂くことなく、愚痴や不足の多い生活をしておりますと、おかげを頂いていても、その有難さが分からないのです。日々、油断なくお届けをさせて頂き、自ら求めてみ教えを聴かせて頂いて、「慢心、疑い、怒り、愚痴不足、貪欲」などの不成心をお取り払い頂きたいと思います。

★『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』

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2019年10月25日

●改まりの生活

あるご信者のお家で、可哀そうな人だからと同情されて、女中さんに雇って頂かれた女性がありました。給料日になると、働き盛りの年頃の息子さんが、その女中さんの給料をむしり取って行くので、女中さんはいつもお金に困って、難しい顔をされていたのだそうです。

★気の毒な人で幸せな生活が送れない方ですが、それには原因があったのです。かまどでご飯を炊いていた時代の話ですが、この女中さんがご飯を炊かれましたら、必ず焦がしてしまわれるのでした。そして、毎回そのお焦げをゴミ箱に捨ててしまわれるので、家の主人であるご信者は「私はお焦げが好きだから捨てずに残しておいて下さい。」と女中さんに仰いました。しかし、食事の後にゴミ箱を見てみると、そう言ったにもかかわらず、お焦げが捨てられてあったのです。ご信者が再度女中さんに言われると、今度はゴミ箱には捨てられていませんでしたが、汲み取り式の便所に捨てられてあったのでした。

★二代教会長伊藤コウ師はそのご信者に「その女中さんに辞めてもらいなさい。何回言っても理解が出来ず、改まりが出来ない方を家に置いておくと、あなたの家のめぐりになります。」とお話しになりました。このように仰るとはよっぽどのことですね。与えて頂いているものを有難く思って、大切にさせて頂く生き方がご信心です。その反対に、与えて頂いているものを粗末にして毎日めぐりを積み重ねて、自ら不幸の元を作ってしまい、さらには周囲が結構にならない元を作ってしまっていては助かりません。それが続けばさらに恐ろしいことが起こってしまうのです。

★『食べ物を粗末にするから食べられないようになる。勤めをなおざりにするから仕事は逃げ、働けないようになる。みな、無礼粗末の心がもとでそうなるのである』と、み教えを頂いていますので、私たちは日々の生活の中に、改まりを心掛けていかねばなりません。「ご無礼は一切ございません!」という家はありません。生活してゆく上で、何処かにご無礼が生まれてくるものです。「どうぞ、ご無礼の少ない生き方にならせてください。」と、お願いさせて頂きながら、心配りの出来る生活をさせて頂きましょう。
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2019年10月24日

●心の眼・心の耳を開く

 10月23日は、初代教会長伊藤徳次師の甥にあたる、池田司氏のご命日でした。

★平成15年10月18日、池田司氏の3年祭を神戸でお仕えする日の朝のことです。午前4時前頃に、私の夢に池田司氏が出て来られ、スーツ姿で正座をなさり、次の様にお礼を言われたのです。「孫が受験をさせて頂きました。即日結果を頂きまして、合格致しました。御礼を申し上げます。」目が覚めた私は、どういう御意味かは解りませんでしたが、すぐにノートに書き留めさせて頂きました。

★その年は、司氏のお孫さん2人が受験の年で、実はその日は、1人のお孫さんの受験日だったのです。そして、司氏のご命日である10月23日に、合格の通知を頂いたのでした。また、もう1人のお孫さんは、10月21日、初代教会長先生のお父様である池田太市氏のご命日に、無事合格の通知を頂いたのでした。

★池田家の方は、代を重ねて熱心にご信心をお進めになり、その信心のお徳によって、霊様となっても徳高く、安心のおかげを頂き、子孫を守って下さっているということが分からせて頂きます。

★心を神様に向けて御祈念をさせて頂きますと、ふと心に気付かせて頂くことがあります。それは神様のお知らせだと教えて頂いております。そして、そのお知らせをそのまま実行させて頂きますと、間に合うようにして下さるのです。ですからいつも神様と二人連れで、御祈念しながら心に教えて頂くことを稽古させて頂きますと、先へ先へ間に合うように気付かせて頂くことが出来るのです。

★食事を拝んで頂きます時に、神様から「ここで腹八分目ですよ。」とお知らせを頂いているのに、「もう一杯飲もう、もう一口食べよう。」と思うのは我情我欲です。我食い、我飲み、大酒、大食は、神様が与えて下さった身体に対するご無礼であり、体を壊す元です。神様のみ教えを守らせて頂くことで、私達の身を守って下さるのです。

★お広前で心の眼を開き、心の耳で聴けるように稽古させて頂いておりますと、神様の深い思し召しを悟らせて頂くことが出来るようになります。その為には、日参と聴教に励ませて頂いて、お取次ぎを頂き、目に見える範囲を広げていって、大きな視野でもって万物を見させて頂けるように、おかげを頂いて参りたいと思います。

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2019年10月23日

●真心を神様に向ける

 阿倍野教会の初代教会長・伊藤徳次師の実父であられる池田太市氏は、甘木教会でご神縁を頂かれ、熱心にご信心を進められました。

★太市氏は、吉井町から甘木教会へ参拝なさる途中、筑後川を渡って参拝されていました。小料理屋を営んでおられた太市氏は、金光四神様の10年祭の時に、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁つとに入れて下げ持っておられたのです。川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから水につけたところ鯉が逃げてしまったのでした。船には他のお客も乗っていますから、船を止めてもらう訳にはいかず、いったん向こう岸についてから、太市氏は探し回って投網を借りて来られ、船頭さんに熱心にお願いをして、もう一度鯉が逃げたであろう所まで戻られたのです。すると、川の流れがあるにもかかわらず、その鯉が逃げたその場所にとどまって水面から一尺ほどの所にいるのを見つけたのでした。そして、網で捕らえて甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られたのでした。

★甘木教会の安武松太郎師は、ことのほか喜んで下さり「あなたが真心からお供えをと願ったので、途中で神様が水に付けねば鯉が死ぬかもしれんというので、そのようになさったのです。それで鯉は元気になりました。あなたの真心を神様は受け取って下さったのです。」と仰って下さったのでした。祭典後、鯉をほどかれますと、まだ元気に生きていたので、甘木教会の池に放されたそうです。それが、なんと10年後の金光四神様の20年祭の時には、三尺(90センチ)にまで育っていたとうことです。

★『神の子が 神にならずはいかにせむ 瓜には瓜の なる世なりけり』(安武松太郎師)氏子が一心の真心を神様に向けさせて頂くことが出来れば、神様はその真心を必ず受け取って下さいます。生涯かけて、清い真心を大きく育てさせて頂けるよう、日参と聴教、御用とお導きに励ませて頂きたいと思います。
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2019年10月22日

●根気強く、日に日に新たに願う

 昨日10月21日は、教祖様が160年前の安政6年10月21日に天地金乃神様から『立教神伝』をお下げ頂かれた立教の日でした。阿倍野教会では、21日は天地金乃神様に対し奉ります月例祭を月々仕えさせて頂いております。その祭詞を奏上させて頂いた中でも、御神慮のまにまに『立教神伝』を授けて下さり、生神金光大神様の取次ぎの道を開いて下さり、神人共に助かり立ち行く世界を開いて下さったことに、御礼を申し上げたことでした。生神金光大神様のお取次によって、立ち行かない人も立ち行くようにして下さる尊いお道です。それは、教祖様が神様をどこまでもお立てになり、何事も仰せのままに受け切ってゆかれ、生涯かけて御修行なさったことにより開けたのです。その真心を受けて下さって、神様が教祖様を『生神金光大神』としてお立てになられ、『神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である』とまでご信用になられ、あいよかけよで助かり立ち行くことになられたのです。教祖様が神様からご信用頂かれた内容を私達も習わせて頂き、少しでも近づかせて頂けるよう信心を進めて参りたいと願わせて頂いております。

★二代教会長・伊藤コウ師のご時代のことです。あるご信者が入信前には、任侠の世界にあこがれて、喧嘩が好きで、家賃も払わずに、何でも付けで買っては借金を踏み倒していました。誰からも信用されず、借家もボロボロで、立ち行かない生活でした。息子さんがお導きを頂いて、教会の子供会にお参りするようになり、息子さんのお導きによってお母さんとお父さんが入信されたのです。

★どんなひどい目に会おうが、生き方を変えることをしてこなかったご本人でしたが、子供が次々と亡くなるという憂き目に遭い、次第に神様に心を向けていかれたのです。

★その方は、ブリキ職人でありましたので、コウ師から「一軒一軒、御用聞きにまわりなさい。」とみ教えを頂かれ、そのみ教えを守らせて頂こうと御神米をお伴して御用聞きに廻られました。最初は門前払いばかりでしたが、あるお屋敷を訪ねた時に奥様がちりとりを注文して下さいました。信心によって心を改めていったことにより、頂いた仕事を実意丁寧にさせて頂き、その確かな腕を認めて頂けるようになり、そこから道が開けていったのです。長年積み重ねてきた借金を完済させて頂き、お礼のお宅祭を仕えられ、住んでいた四軒長屋を買わせて頂くほどに、立ち行くおかげを頂かれたのでした。

★「私はこんな人間だから、どうしようもない」と、自分自身を諦めてしまったら、家族親族、縁につながる方々皆が助からなくなってしまいます。「お願いしても、なかなか出来ない」の繰り返しではありますが、根気強く、日に日に新たに願っていくということが大切です。『死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。』という、神様からのお頼みをお受けになられた教祖様にも、どれほどの御修行があられたでしょうか。私達はその万分の一でも習わせて頂く心になっていけば、有難い御庇礼を頂けることと思います。

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2019年10月21日

●十年先、二十年先をお願いさせて頂くために

私の娘が生まれさせて頂いた時に、お礼のお届けに行かせて頂きましたら、三代教会長先生から「この子が良いご縁を頂けるように、今からお願いさせて頂きなさいや」とみ教え頂きました。娘が生まれるまでは「五体満足で健康に無事に生まれてきますように・・・」とお願いさせて頂いておりましたし、生まれてからは「母子共が産後の肥立ちが良いようにお願い致します。無事成長しますように・・・」とお願いしておりましたが、生まれてすぐに「良いご縁を・・・」とは思いもよらない内容でした。

少なくとも20年以上先のことですね。しかしそのことをお願いさせて頂くことを教えて頂いたということは、「その間にどのように育てさせて頂いたら良いのかを、あなたはしっかり考えさせて頂きなさいよ」と私に仰ったのだと思わせて頂きました。そうしましたら、そのお願いに基づいて、自分自身がどのような親にならせて頂けば良いのか、どのように育てさせて頂けば良いのか、ということを真剣に考えるようになっていきました。

★現在の生活に於て、目前のことを真剣にお願いさせて頂かねばなりませんが、長期に亘ったお願いも重要なのです。10年先、20年先を真剣にお願いさせて頂くために、五ヵ年計画のお願いがあるのです。五ヵ年計画のお願いをさせて頂けば、お願いに向けてこの五年はどうさせてもらうのか、今年は何をお願いさせて頂けば良いかということを、現実的に見直しをさせて頂き、大切な所に目を向けさせて頂くことが出来てくるのです。

★また五年先に、自分やわが子が何歳にならせて頂いているか、ということを考え、その時に自分はどうあるべきか、我が家はどのようにおかげを頂いていかなければならないか、ということを考えさせて頂くのです。そうしましたら、今からどのような準備をさせて頂かねばならないか、ということが分かるようになります。そうして段々と信心が生活に即したものになっていき、お願いに基づいて正しい舵取りをさせて頂けるようになっていきます。大きなお願いを立てさせて頂くということは実に大事なことですね。
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2019年10月20日

●日参と聴教、日々の御用のお徳

 18日には教徒会例会にて、藤原氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★ご両親は、昭和25年、郷里の広島県福山市から、2歳の長男を連れて大阪に出て来られました。古い家の2階の三畳と四畳半の二間を間借りし、炊事は物干し場で、お父様が軍隊から持ち帰った飯ごうを使っておられたそうです。

★苦しい生活状況をお届けなさいますと、伊藤コウ師より、「天地の親神様はどんなことでも聞いて下さる神様だから、お願いを持ってお参りさせて頂きなさい」「毎月のお宅祭のおかげを頂きなさい」とみ教え頂かれたそうです。また、お宅祭では、「どんなことでも喜んで、不平、不足、愚痴の無い生活をすれば必ず結構になれます。開教30年を目標にしっかり信心しましょう」とみ教えを頂かれ、朝早くから日参なさって、掃除、自転車番、数取りの御用にお使い頂くようになられたそうです。

★また、お父様が、伊藤コウ師より、朝参りについてみ教えを頂かれた時に、「私は毎日朝参りをしております」と言われると、「朝参りも色々あります」とみ教え頂かれ、「時間に遅れぬようにお参りさせて頂きます。」と答えられ、98歳でお国替えになる直前まで、御祈念が始まる前にはお広前の一番前に座って、御祈念をさせて頂かれ、み教えを頂かれることを続けられたのでした。

★朝参り、日参と聴教のお徳、お取次のお徳を頂かれて、店舗兼自宅の購入、ご家族の健康の上にも全てに間に合うように結構なおかげを頂いてこられました。また、おかげを頂かれたら、より一層のお礼のご信心を心掛けられ、喜んで御用にお使い頂かれ、今日も子孫の方々がそうしたご信心を見習われて、ご信心を受け継いでおられますことは、真に有り難いことでございます。

★『金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。 一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ』

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2019年10月19日

●常平生からお取次ぎを頂く          

お結界では、自分自身の至らない所を気付かせて頂いて、改まって御礼・お詫びを申し上げることが出来るようになり、心新たにお願いをさせて頂ける場所です。そして、お取次ぎを頂くということは、本教の信心をさせて頂く者にとっては最も大切なことであります。家族揃って毎日お取次ぎを頂いて、親は親の立場、子は子の立場でお願いさせて頂くのです。はじめは交わることのない平行線のままのように思えるそれぞれの願いが、ぴったりと合うように神様が年月をかけて導いて下さいます。

★難を受けるのは、難を受ける因があります。例えば、500万円の不渡りを受けたとすると、突然500万円もの不都合が生じたと思いがちですが、実はそれに至るまでの自分の生活の中で、「500円ぐらいはいいだろう・・・」「千円ぐらいはいいだろう・・・」と無駄を重ねたものが現われて来ているのです。つまり、難儀な事柄は無理・無駄・ムラや自身の御無礼不行き届きの積み重ねによって、自分自身から生み出されるということです。

★難に処する道 

1)難を知る・・・難儀を通して、自分にはどの様な改まりが必要なのかを分からせて頂く。 

2)時勢を知る・・・今何をすべきなのか。世の中の流れはどうなっているのかを知る。

3)天命を知る・・・神様からかけて頂いている願いを知る。 

4)足るを知る・・・今与えて頂いているお恵みを分からせて頂く。 

5)退くことを知る・・・広げ過ぎたものを縮めて適切な状態に戻していく。

★日々お取次ぎを頂いて、常に神様にお縋りさせて頂き、お徳を頂いていくことが大切であります。何か問題が起きてきた時だけお届けをして、お願いすれば何とかして下さるだろう、と考えていては手遅れになってしまいます。常平生から毎日お届けをさせて頂き、み教えを頂いて改まりを進めさせて頂き、どんなことにでも対処出来るような心構えを作らせて頂くことが大切です。
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2019年10月18日

●信心相続を願わせて頂く

 16日には、婦人会例会が開催され、紙谷氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★紙谷氏のご信心は御祖父母の代からで、紙谷氏の御祖父母が昭和5年に、石川県から大阪に出て来られたころにお導き頂かれました。御祖父母は、息子である紙谷氏のお父様の信心相続を、特に願っておられたそうです。紙谷氏が1歳の時にお父様はプラスチック加工の製造会社を立ちあげられましたが、三年目に取引先の倒産などで資金繰りがつかなくなり、廃業を決意されました。御祖父母が、そのことを二代教会長伊藤コウ師にお取次ぎ頂かれますと「神様から預からせて頂いている仕事が、自分の不始末でダメになったから、他のことをさせて頂きたいとお願いしてもそれはダメです。破れ太鼓はどこへ持って行っても鳴りません。もっと信心して仕事をさせて頂きなさい」とみ教え頂かれたのでした。

★最後の頼みと、独立の当初からお世話になっておられた仕入先の社長さんに、お願いに行く事になりました。その時に御祖父が付いて行かれたそうですが、お父様は事の次第を説明するのに、不渡りを出した相手の事を悪く言い、自分の不都合なことは隠すような説明をされましたが、祖父はこちらの不始末・不行き届きなことを一心にお詫びされたそうです。お話を全て聞かれた社長さんは「あなたが仕事の出来ることはよく知っていますが、それ以外は信頼できません。しかし今回は、お父様を信じて立ち行くように考えてみましょう」と言って下さったそうです。その五年後には借入金全額を返済なされ、繁盛の大みかげを頂かれたのでした。ご信心から遠ざかっておられたお父様ですが、祖父がお国替えなさった十日後に自然と目が覚め、御祖母様と共に朝参りをさせて頂かれ、ご信心を続けられたのでした。

★紙谷氏自身も色々とおかげを頂いて来られました。関節リウマチで手がはれ上がり、体が起こせない程になったところを、五ヵ月ほどで治まるおかげを頂かれたり、検査で大腸の腫瘍を早期に見つけて頂かれ、手術も無事成功し、腫瘍も表層にあり粘膜にとどまってリンパへの転移も無く、今後の転移・再発の心配もないと言って頂かれるほどの大みかげを頂かれたのです。

★紙谷氏のお父様は、自身のご両親が願われたように、子孫の信心相続を一心に願っておられたのです。親から子へ子から孫へ、私共も子孫がおかげが頂けるように、信心のお徳を積ませて頂きましょう。

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2019年10月17日

●『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。』

あるご信者がお結界に来られて「私は女に生まれてしょうもないことです。朝から晩まで台所仕事ばかりで地味でちっとも目立たない仕事です。いくらしてもその場限りで消えてしまってつまりません。」とお届けされました。そこで二代教会長伊藤コウ師は、「それは大きな思い違いです。食事を作らせて頂くということはこれ以上ない尊い有難いことです。女の責任は大きいです。汽車でも機関車があり、客車も貨車も郵便車もありますが、それぞれにみな大切な使命を持っています。その中でも家事育児は機関車にあたります。機関車が石炭を燃やして、しっかり蒸気を出して走らねば、客車も貨車も動きません。機関車が大きな力で使命を果たすことによって、後に続く車両は皆ついて走るでしょう。機関車の働きで家全体が動くのです。その機関車が怠けたらどうしますか?走ったり止まったりしていては、なかなか目的地には着きません。家の中はゴタゴタしてきます。食事を作るということは家族の健康を支える立派な仕事です。台所仕事ほど有難いものはありません。いわば一家の命の源を握っているのですからね。」と仰せになりました。

★婦人は、神様から有難いお役目を頂いています。そのお役目を喜んでさせて頂くことが、神様のお喜び、お楽しみであると仰せなのです。そうして、家庭の健康と真心を作ってゆくことが大切なのですね。

★また、あるお姑さんが二代金光様に「うちの嫁は足らん嫁です。」とお届けされました。すると「足らぬ所は足してやれば良いじゃないか。」と仰せになられたのです。足らない所を責めるのではなく、気づいた人が足してゆくことを心掛けておりますと、足した側も足してもらった側も双方が喜び、お互いが立ち行くのです。

★婦人の五徳 1)平素、人と競争せず・・・他の人や家庭と比べない。

2)飲食を節する・・・節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。

3)苦難の時に恨みごとを言わない・・・難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、自身の改まりを心掛ける。

4)感情をむき出しにしない・・・喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。

5)よく尊敬する・・・神様、霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂けます。
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2019年10月16日

●明るい心で試練に耐える

 あるご信者は、大きな会社の研究開発の部門に所属しておられましたが、上司に辛く当たられるようになり、1年半もまともな研究テーマを与えてもらえず、仕事をさせてもらえなくなったのでした。しかしご信者は、その間も心を曇らせることなく、「どうかお役に立つ働きをさせて下さい」と涙ながらに神様にお願いし続けられ、一生懸命に朝参りをなさり、お取次を頂くことを続けられたのでした。自分自身の信心に迷いがないよう、為すべきことがぶれないように努力されたのです。

★そのうちに、別の部署に配属され、新しい研究テーマを与えて頂かれました。しかし、それは非常に難しいテーマで、一流の学歴を持つ研究者の方々が、成果を出せずにいるテーマだったのです。「3年は成果が出ないと思っておきなさい。」と、告げられたのだそうです。ご信者は、「どうぞ、1年半でおかげを頂かせて下さい」と、神様にお願いしながら研究に取り組まれました。そして、常に心中御祈念をされながら、心にふと気付かせて頂くことに忠実に実験を重ねられ、その発想とスピードに部下の方が付いていくのが大変な程であられたということです。そうするうちに、お願い通り、1年半で研究成果を出すおかげを頂かれたのでした。その研究成果は、会社に莫大な利益をもたらすものとなり、また、工学博士の称号を頂かれることになられ、更に世界でも認められ、R&D100賞を受賞されることとなったのでした。

★私達は皆それぞれに、素晴らしい能力を頂いています。常に生神金光大神様のお取次を頂きながら、自分に頂いている役目、起きてくるご修行を有り難く受けさせて頂いておりますと、頂いている力は十二分に発揮され、活き活きとお役に立たせて頂くことが出来るようになるのです。

★『氏子、忙しければ信心をせよ。壮健ならば信心をせよ。とかく氏子は反対をするから、真のおかげが受けられない。』

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2019年10月15日

●信心を基に徳を積む働きをする 

他の教会のご信者で熱心に信心をなさってお徳を積まれた方のお話を、三代教会長伊藤良三師がお話なさったことがあります。

★ある日、あるご信者が勤めておられた店が閉店することになりました。働いていた方が一人二人と減っていき、ご信者一人だけが残ったのでした。店主は、「あなた一人だけが、最後まで残って店に尽くしてくれたけれども、今日限りで店を閉めなければならなくなった。申し訳ないけれども、他に仕事を探してくれないだろうか。」と仰いました。それを聞いたご信者は、「ご主人、もう一度元気を出してお店を再興してみませんか。私はこれから三年間タダ働きをさせてもらいます。お給料は要りません。家族同様に扱って頂いて結構です。お粥しか食べられないのであれば、共にお粥をすすって働かせて頂きます。三年後にこの店が立派に立ち直ったら、その時にお暇を頂いて辞めさせて頂きます。誰がどのように言いましても、この店が再興するまで辞めません。是非、そのように決心して下さい。」と返答なさったのでした。その言葉に店主は感激なさり、三年間ご信者と共に、店の再興に尽力されました。

★有難いことに、その三年間でお店が再興でき、商売が立ち行くおかげを頂かれたのでした。その時ご信者は、「お店が立ち行くようになりました。お約束でありますから、これでお店を辞めさせて頂きます。」と店主に切り出されました。店主が、「今辞めてもらっては困る。暖簾分けも出来ていない。まとまったお金も渡してあげることが出来ない。あなたにタダ働きをして頂いて、そのまま辞めてもらうというのは申し訳ない。少し待ってもらえないだろうか。」と仰いますと、ご信者は、「いいえご主人。この三年の間、私どれほど有難い仕事の勉強をさせて頂いたことか分かりません。ここまで私を仕込んで頂いて、お金には換えられない働きを体験させて頂きました。何も頂かなくて結構でございます。これで私の役目を終えさせて頂きます。お礼の働きも出来ました。」と断られ、何も貰わず店を辞めさせて頂かれたのでした。

★それから後に、ご信者は独立なさり店を開かれました。その時に一番支援して下さったのが、以前勤めておられた店の家族の方々であったということです。そして、有難いことに商売は立ち行かれていったのでした。

★『世の中に我が物というのは何もない。我が物というのは、信心して積み上げた徳だけが我が物となるのじゃ。』『先の世までも持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳じゃ。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。みてる(尽きる)ということがない。』
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2019年10月14日

●徳を積むことを心がける

 以前、五カ年計画の中に「将来独立をして自分のお店を持たせて頂けますように・・・」と願っておられたご夫婦があられました。そのご夫婦に三代教会長先生は「何が一番大事か、ということを考えさせて頂きましょう。もちろん、倹約をして無駄をなくして貯蓄をさせて頂くことや、正しい願いを持ち、大きな願いが成就させて頂く為に精一杯努力させて頂くということも大事ですが、 一番大事なことは徳を積むということです。今はお勤めをなさっておられますが、お店のご主人は、若くて経験もまだ浅いあなたに対して、給料を払って下さり、育てて下さっておられるのです。お給料を頂きながら学ばせて頂いているのです。そうしましたら、そのことに対してしっかりとお礼の働きをさせて頂いて、お役に立たせて頂くことを願いとして持たせて頂きましょう。お金が貯まって、技術や経験も積んでお店を持たせて頂くという時に、徳がなければ維持管理が出来ていかなくなります。ですから、本当に真剣にお願いさせて頂いて、おかげ頂きたいのであれば、しっかりと徳を積ませて頂くことを考えなさい。それには給料以上の働き、給料の二倍も三倍も値打ちのある働きになるように心がけなさい。」とみ教えなされたのでした。

★私達は天地にお命を頂き、生かして頂いているからこそ、何でもさせて頂けるのです。思うように思索できて、体を動かさせて頂き、したいことをさせてもらえることを「自由自在」と言います。自由とは自分勝手にふるまうことを言うのではありません。本当に正しい願いを持ち、規律のある生活をさせて頂いて、自立自戒が出来ていくということでないと、生活は成り立っていきません。勝手気ままなことをしていては、健康も生活もすぐに崩れてしまいます。ご信心させて頂く者の真心を神様は受け取って下さっておられます。そして、そのお徳は家中に満ちて、自身の体や、お仕事等、それぞれの生活をなさっていかれる随所に現れていき、有難い御比礼を頂いていくということになっていくのです。

★自分が今どれほどお徳を頂いているかは、目に見えませんから分からないものです。そこでお徳の貯蓄は0だと思って、一生懸命日々のご信心に励ませて頂く、ということが出来ていきますと、有難いことに油断のないご信心にならせて頂けるのです。

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2019年10月13日

●今日一日今日一日を、一生懸命に生きる

松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長伊藤良三師は、その講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後は何処に落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから食べることや着ることはどのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰られたのでした。実に覚悟の決まられたお姿に、三代教会長先生は、感銘を受けられたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も着の身着のまま「さあ、いよいよこの広い大陸で初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と喜び勇んで布教なされたのです。さらに日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、ある場所に神様のお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。伊藤良三師は是非参拝したいと思われ、御本部御礼参拝の帰りに、岡山中部教会に参拝され、直接お話を聞かせて頂かれたのです。時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成していたのでした。

★今日一日今日一日、「人が助かる御用にお役に立てます様に」とお願いさせて頂いておりますと、神様が使って下さり、道が開けてゆくのですね。
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2019年10月12日

●目の前の人を拝む

『信心すれば、一年一年ありがとうなってくる。年が寄るほど位がつく』

★ あるご信者は、長年奈良の生駒から日参と聴教に励まれ、実意丁寧なご信心を続けられて、結構なお徳を頂いておられました。どんな時にも、だれに対しても謙虚で、いつもお礼を申すことが身についておられたのです。病院に入院なさったときにも、お医者さん、看護師さん、会う人会う人にお礼を申され、「こんな結構な病院に入れ頂いて、立派なお医者さんに治療して頂いて、親切な看護師さん達にお世話をして頂いて有り難いです。本当に有難いことです。」と、いつも喜んでおられたのでした。ですから、その方の周りにはいつも笑顔が集まり、誰からも「あの方のお世話をさせて頂きたい、いつまでもそばに居たい」と、言って頂かれました。子孫の方々にとりましても、有り難いお手本となっておられたのでした。

★教祖様は、徹底して天地の親神様を立てぬかれたご姿勢からご信用を頂かれ、神様から、『此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。』と言って頂かれるほどのご神徳を頂かれました。

★この有り難いお道のご信心を頂いております私共も、ぜひとも教祖様のご信心を習わせて頂き、まずは、周囲の人に対して、先に相手を立ててお礼を申し、相手を拝む稽古をさせて頂きたいと思います。誰でも、様々な面を持ち合わせているものですが、こちらが先ず神心を向けさせて頂き、目の前の人を敬う心を大きくさせて頂くことによって、相手も有り難いものをこちらに向けて下さるようになるのです。

★この天地は、有り難い神様のお徳に満ちております。神様を敬い、霊様を敬い、人様を敬い、天地万物を敬う心が大きい人ほど、お徳が身にも心にも現れ、いずれは、人からも拝んで頂けるような、有り難い姿とならせて頂けるのです。

★『此方(教祖様)のことを、神、神と言うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。生神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。』

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2019年10月11日

●常に心中御祈念を欠かさず 

『「金光様、あなたがお隠れになりましたら、このお道はどうなりましょうか。」とお伺いをした。すると「心配することはない。形を隠すだけである。肉体があれば世の人々が難儀をするのを見るのが辛い。体が無くなれば願う所へ行って人々を助けてやる。」と仰せられた。』『生神金光大神といっても、今までは形があったから暑さ寒さも感じたが、これからは形を去って真の神になるから、一目にすべての者を見守ることができる。』

★昨日10月10日は、明治16年に教祖様が百日信行を終えられ、神上がられた日でございました。私共が現在、生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、天地金乃神様にご祈念させて頂くことが出来るということは、教祖様が御生前中に生涯をかけてご修行をなさってお徳を積まれたからに他なりません。私共信奉者一同は、常に[「生神金光大神様!」と唱えさせて頂くと、自分の中に生神金光大神様がお入り下さって、手足を動かさせて頂き、言葉も出させて頂ける]と思って心中ご祈念をしながら生活させて頂くのです。何事も「自分がする」と思うと、我流になって正しい生き方から外れてしまいますので、ご祈念をさせて頂いて、有難いおかげを蒙っていく生き方を心掛けることが大切です。

★有難いことに、教祖様は『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』と教えて下さっております。日々み教えを頂き、心中ご祈念を心掛け、心行に励むことで、感情を制御して、自分の意思を正しい方へ向けていく力を身につけましょう。

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2019年10月10日

●お礼の御用・お礼の働き

 二代教会長伊藤コウ師が、「信心をさせて頂く上で、各自のお願いを成就させて頂くには、何が大切か」ということについて、次のように残して下さっておられます。『御恩を知り、御恩に報いていくということが大切であり、神様が喜んで下さる一番のお礼は、人が助かっていくことを願わせて頂いて、お導きに励ませて頂くことです。御用に使って頂くということですね。お礼の御用・お礼の働きを心掛けてなさっておられる方は、次々と願いが成就しておられます。』『例えば御用を頂かれましたら「はい、有難うございます。させて頂きます」と喜んで御用にお使い頂くのです。阿倍野教会では、おかげ話を各例会に必ずさせて頂いておりますが、教会設立からずっと続かせて頂いております。なぜかと言いますと、おかげ泥棒にならないためです。そして信心にカビを生やさない為です。謙遜して「私の様な信心では、人様の前でお話させて頂くということは出来そうにありません」と言いますが、それは間違いです。ただただ有難いの一心でさせて頂いたらよろしい。それが、自分自身がおかげを頂いてきたことを振り返らせて頂いて、信心にカビが生えないようにさせて頂くことになり、家の信心が一新させて頂けることになるのです。』

★おかげ話でお話しなさった中には、その家の入信からのご信心がそこに現れます。そして聞かせて頂いた方々が、今日から心を入れ替えてご信心をさせて頂きますというように、結構な悟りを開かせて頂けるきっかけになっていかれるのです。神様が氏子を助けてやりたい、助かってほしいと願って下さっているそのお心と一つになるような、実に有難い働きになっており、それが神様へのお礼の働き、御恩返しになっていくのです。コウ師は「そこを分からせて頂きましょう」とみ教え下さっておられるのですね。『神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ』

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2019年10月09日

●ご恩返しを願い続ける

昨日は、みかげ会例会にて田川氏のおかげ話を聞かせて頂きました。田川家は、明治34年に教徒の列に加えて頂かれ、代を重ねて今日までご信心が続いておられます。

★田川氏は、障害児教育を専門としておられ、堺市立の養護学校と、府立学校で、子供と直接向き合う実践経験を積まれ、また、和歌山大学で27年間、研究と教員養成のお仕事に就いてこられました。和歌山大学を退官の後には、スクールカウンセラーとして、和歌山県教育委員会から指定された中学校で、支援に当たられました。

★小学生の時、戦時中の疎開先が和歌山で、和歌山の方々に暖かく迎えて頂かれ、お世話になられたご恩を感じておられた田川氏にとって、和歌山は特別な場所と感じておられたのです。
あらゆるご縁がつながって、和歌山でご恩返しの機会を頂かれたことを大変有り難く思われ、ご自身の知識と経験を生かして誠心誠意お礼の働きに努められたのでした。その後、京都女子大学で6年間、大阪樟蔭女子大学で7年間専任教授として勤められ、現在も非常勤講師として学生の指導に当たっておられます。

★平成23年には、脳内出血で3週間の入院が必要と診断されたのでしたが、一月後の初代教会長先生の例年祭、更にその半月後の御大祭には、何としてもお結界係の御用にお使い頂きたいと願いを立てられました。そして、わずか10日後に退院させて頂けることになり、リハビリも順調におかげを頂かれ、お願い通り、御用にお使い頂くこととなられたのでした。

★ご恩返しの働きをさせて頂くことを生涯の願いとして持ち続けられ、次々とお役に立たせて頂かれる有り難い機会を与えて頂かれました。行くところ行くところで、実意・丁寧・正直・親切にお礼の働きにお使い頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『だれでも、不幸災難に遭うて困りきっておる時に助けてもろうたのは、このご恩、このおかげを一生忘れられるものかと言うが、日に日に授かっておるおかげは、案外みんな知らずにおる。神様のおかげは、生きておるから死んだからじゃないぞ。いつも受け通しぞ。』

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2019年10月08日

●我流にならぬよう

 中井氏は、心筋梗塞、脳梗塞を患われましたが、熱心な信心のお徳により、両疾患とも全快根切れのおかげを蒙られたのです。心筋梗塞を患われた際には、一か月入院治療を受けられました。入院中の日記には、「御庇礼の高い教会の親先生のお祈りを頂きながら、ようおかげを受けん鼻たれの信者ではいけない。私は鼻たれの信者にはならない。阿倍野教会の信者である。信心がぼけるとおかげがぼける。 退院をするには、病気に打ち克って治さなければならない。何としてでもおかげを頂かねばならない。み教えを求め、目的に信念に燃える心、これが元気な心だ。神様にすがる、一心にすがるということだ。」と、病床にありながら自らの信心を奮い立たせておられたのでした。

★退院後もしばらくは、発作を抑えるためのニトロールという薬を、いつも持ち歩くことになられました。しかし、「御本部参拝で病の根を置いて帰らせて頂き、根切れのおかげを頂きたい。」と強く願われ、「御神酒と御神米でおかげを頂かせて下さい。」とお願いなさり、ニトロールを携帯せずに参拝されたのでした。すると、ご霊地で発作が起こったのです。中井氏は、「金光様、金光様」と御祈念なさり、御神米と御神酒を頂かれ一心におすがりし、帰りの車中では大祓詞を53巻奉唱なさって、無事家に帰り着かれたのでした。なんとそれからは、生涯発作が起こることなく、全く根切れの大みかげを頂かれたのです。

★また、脳梗塞の時には、両手両足の麻痺、言語の障害が現れました。入院し治療を受けられましたが、造影検査をすることも難航し、薬を取り寄せなければ検査できない状態になりました。しかし、その間に中井氏は夢の中で、御本部で二代教会長先生と三代教会長先生と一緒に、金光様のお出ましを拝ませて頂いている光景を見られたのです。二代教会長先生と三代教会長先生が前に立って最敬礼しておられ、その後ろに中井氏が拝んでおられた夢でした。目が覚めて「今夢を見た。金光様のお出ましを拝んでいる夢だったなあ…」と思ったその時、「金光様お出まし…」と口から言葉が出たのです。横で休んでおられた奥様がびっくりなさって「どうしたのですか?」と聞かれますと、中井氏は見られた夢の内容を話されたのです。

★今まで話すこともできない、嚥下も出来ない状況であられたのに、話すことができられるようになられ、朝にはストローで牛乳を飲むことが出来、翌日には教会から月例霊祭のお下がりで頂いたバナナを二回に分けて食べることが出来られたのでした。さらには、麻痺していた身体も動くようになられたのです。後になって調べてみますと、頸部の詰まった太い血管はそのままでしたが、詰まった血管を回避して新しい血管が出来て、血液が流れていたのです。そして、後遺症なくリハビリする必要なしに、全快なさって退院させて頂くことが出来られたのでした。

★教祖様のご信心に習わせて頂いて、我流が出ないように金光大神流にならせて頂けるように、改まって心新たにみ教えを頂いて、信心を基にした生活を進めさせて頂きましょう。

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2019年10月07日

●真の種を蒔く

『世に一粒万倍ということがあるが、その一粒万倍は、蒔いて生ずるのか、蒔かずに生ずるのか。蒔かずに生えたものには確かなものはない。また、種を蒔かずに収穫のできることはない。信心も真という種を蒔けば、神さまから万倍にして戻してくださる。』(二代金光四神様のみ教え)

★先日、お米を作っておられるご信者が「一本の稲に通常でしたら100粒ほどのお米が穫れるのですが、今年は170粒ほどつきまして、収穫がずいぶん良いようにおかげを頂きました」とお礼届けをなさっておられました。そのご信者は「平均して1.5倍くらいになるかもしれません。そうなれば有難いのですが・・・」と喜んでおられたのです。

同じ面積の田んぼで1.5倍くらいの収穫がありましたら、大変有難いことですね。もちろん農家の方々は様々な苦労をなさって手入れをされるのですが、毎年同じように働かせて頂いていることでありましても、大きな働きに変えて下さるお徳が天地には満ち満ちてあるのです。

★「○上農は草を見ずして草を取る。(土を掘り起こして、草が地上に生える前にとっておく。)○中農は草を見て草を取る(生えてきた草は取るようにする)○下農は草を見ても草を取らず(草が生えてきたことに気が付いても取らず、どうにも手が付けられ なくなった頃に慌てる。)」(高橋茂久平師)

★工夫して手入れをなさる上でも、毎日毎日同じように見えても、変化が必ずあり、その変化に対応していかねばなりません。信心をさせて頂く上でも大事なことです。『真という種』とは、どのように実意丁寧なご信心をさせて頂くのかということですね。

★昨日の御本部参拝もそうでありますが、結構なご神縁を頂きまして、立教160年というお年柄に、御大祭を拝ませて頂けるということに巡り会わせて頂いているのです。これは二度と訪れることのない、生涯に一度きりの有難いお参りですね。有難い参拝にさせて頂けるかどうかは、それぞれの真によるのです。その真を行動に現わさせて頂くのです。そうしましたら、神様から万倍にして戻して頂けるのです。

昨日は、実に有難い真心をもってお参りをさせて頂き、お礼の心に満ち満ちて御祭典を拝ませて頂くことが出来ました。入信から今日まで、それぞれの家がどのようにしておかげを頂いてきたか、ということを振り返らせて頂く結構な機会を与えて頂きましたので、今日からまた日々のご信心に励ませて頂き、信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。
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2019年10月05日

●真の一心

先日、お店を何軒かもっておられる、ある会社の社長さんにお話しさせて頂いておりました。

★[お店を構えて経営させて頂く時に、ここの場所が良いとか悪いとか思ってしまいがちですが、それは人間の都合だけで決めているだけのことなのです。神様のご神徳に満ち満ちた場所をお借りして、お店を構えさせて頂くのですから、その場所が悪いということは決してないのです。あるおご信者は、道巾が狭くて、自動車一台も通れないような所で店を構えておられるのですが、大阪の北から南、また堺や名古屋というように、他府県の場所からも、お客様が「あなたにどうしてもこれをお願いしたいのです。」と、足を運んで下さって注文を頂いておられるのです。立地条件の面から考えましたら、人通りのある、広い通りに面した路面店の方が良いのでしょうが、間口も小さいですし、仕事をする場所も小さいですが、そのご信者は毎日神様に一生懸命にお願いして、商売をさせて頂いておられますから、その人の仕事ぶりが真に優れ、他の人では真似できない仕事の仕上げになっておられるのです。

ですから、立地条件とは全く関係なく、繁盛のおかげを頂いておられるのです。そこに優れた方がおられる。またお徳と力を備えている方がおられるからこそ、人が尋ねて来られるのですよ。その様におかげを頂いてゆくのが、ご信心の世界ですよ。「一軒は立地条件がいいのですが、もう一軒はあまり立地条件が良くないのです。」と言うことではなく、「同業者はいくらでも周囲にあるけれども、同じ仕事を頼むのであれば、あの人に頼みたい。あの店にお願いしなければならない。」と言って頂けるような徳と力を頂かねばなりません。そのためには、日々のご信心を行き届いてさせて頂かれ、み教えをしっかり頂いて、有難い繁盛のおかげを蒙らせて頂きましょう。お願いをさせて頂いておりますからね。」とお話しさせて頂いたことでした。

★『「よそには不思議なおかげを受けられるのに、どうして、うちにはよそのようなおかげをよう受けぬじゃろうか」と、よそのおかげばかりけなりがる(うらやましがる)者がよくあるが、それは、そういう信心じゃからおかげが受けられぬのじゃ。「よそに受けられるおかげじゃもの、うちにじゃというても受けられぬことがあるものか。まだ真が足らぬのじゃ」とご一心を出せば、おかげのもらえぬことがあるものか。真の一心が神様に届かなかったら、それこそ不思議じゃ。』

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2019年10月04日

●泰然自若・深沈厚重な人柄を目指して

『平生は平生でおかげを受けねばならず、まさかの折にはなおのことおかげを受けねばならぬから、どのような時にでも置き場を忘れて探し回ることのないように、信心の心は肌身離さずに持っておらぬと、用心が悪いぞ。まさかの時には裸でも田んぼの中でもよい、「金光様、お願いします」と頼めば、すぐおかげを持って来てくださる』

★神様に一心にお縋りさせて頂き、日参と聴教に励む、常の信心が大切です。平生より信心の土台を作っておりますと、周囲の方々のことを祈らせて頂ける、広い心になっていきます。また、常に神様に対するお礼の働き、御礼の御用を心掛けさせて頂いておりますと、御用を通して人が助かるお役に立たせて頂ける、ということが有難いと分からせて頂けるようになっていきます。信心の稽古を続けさせて頂くことで、難儀が起こって来ても、心を整えて神様に向けることが出来、周囲の方々を正しくお導き出来る徳と力が得られるのです。

★良いリーダーとならせて頂く人とは、
@山のようにどっしりとした姿勢と挙動の人
A大きな包容力を持つ人
B温かくてゆったりとした風格がある人
C明るく輝く目を持つ人
D大地にしっかりと立つ足を持つ人
Eふっくらとして包み込むような手を持つ人
F思慮深く細心の注意を払える人
G心身共に清く、澄んだ心を持つ人 等々

★頭脳明晰で弁が立つことがリーダーに必要な資質に思えますが、これは第三の資質であると言われています。リーダーにならせて頂く為に最も大切なことは、神様に通じるお徳を頂くことです。共々に泰然自若・深沈厚重な人柄にならせて頂けるよう、常に心中ご祈念を欠かさず、日参と聴教に励み、信心の稽古を重ねてお徳を積ませて頂きましょう。

★『毎日の参拝は、近い人であれば、井戸で水を汲み上げるようにお徳を頂きなさい。遠い人ならば、大八車に徳を積んで帰りなさい』(二代金光様のみ教え)

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2019年10月03日

●めぐりのお取り払いを頂き、信心のお徳を頂く

阿倍野教会が旧広前で御用させて頂いていた頃、月例祭の折に毎月一度、杉田政次郎師が祭典後の講話をして下さっていた時期があったのです。大変わかり易い、誰もが有難く拝聴させて頂けるお話で、ご高徳なお姿であられたと残して頂いております。

★杉田政次郎師がお若い頃、親兄弟、親戚、友達、近所隣みな、信心することに大反対でした。家内は絶えず病気になり、商売は暇になって、どうしようもないので、何とかおかげを頂きたいと、信心にいっそう励んでおられたのです。

★その頃、大阪の大今里村の吉原留吉という信者が、別段に頼みもしないのに、金光様のもとへ参詣した時、「金光様、杉田という人は日々広前に参り、月三度のお祭り日には朝から広前に詰めてご用をしております。それなのに、しだいしだいに家の者が病気になり、まことに難儀なことが続きますが、どういうことでしょうか」とお伺いして下さったのでした。

その時、金光様は『吉原さん、帰ったら杉田さんに言ってあげておくれ。年の若い間に、神様はめぐりのお取り払いをしてくださる。年が寄ってからのお取り払いでは、体がもたない。一つでも若い間に、めぐりのお取り払いをしてくださるのであるから、ここが辛抱のしどころである。今はあせってはいけない。梅の木は、年に三尺も伸びるけれども大木はない。楠は年に一寸しか伸びないけれど大木になる。今あせらないようにせよ。末で枝葉が栄えて大木となる』とご理解くださったと吉原さんから杉田師は伝えて頂かれたのでした。

★「ご信心させて頂いて、日々お広前に参拝し、めぐりをお取り払い頂いて、お徳を積ませて頂くことが大切です」と教えて頂いております。病気全快や商売繁盛も勿論大切なお願いですが、それは目先のことです。私達がご信心させて頂いて積み上げたお徳と、前々からのめぐりがせめぎ合って、一番軽い形で物事が起こってくると教えて頂いております。

それであれば目先のことばかりに捉われず、次から次へと様々なことが起こってくる中を「これで一つめぐりをお取り払い頂くのだ。このことを通して、わが家が本当のご信心に近づかせて頂くように、家内中がお徳を積ませて頂けるようなご信心をさせて頂かねば・・・」と願わせて頂くことが大切です。有難いことに、ご神縁を頂いている私達ですから、日々お届けをさせて頂き、足りないところは足して頂いて金光大神様のお取次のお徳を頂かせてもらえるように、毎日の日参・聴教に励ませて頂きましょう。
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2019年10月02日

●喜びを見つける稽古を

 10月6日には、御本部・立教160年生神金光大神大祭に共々に御礼参拝のおかげを頂きたいと思います。今年は、立教(教祖様が神様のお頼みを受けられて、家業であった農業をおやめになって、お取次に専念して下さるようになられた)160年という有り難い節目の年です。教祖様は、氏子の願いを神様にお取次下さり、また、神様のお心を氏子に説いて聴かせて下さる、生神金光大神取次の道をお開き下さいました。以来、御五代にわたって御本部広前のお結界で金光様がお取次下さり、また、各地のお広前でも氏子がお取次を頂き続けることが出来、おかげを頂き続けておりますことは、真にもったいなく有り難いことでございます。

★@どんな事でも、心から喜んで神様に御礼を申し上げる。
 A神様が一番良いようにして下さると信じきる。
 B一生が修行であり、常に謙虚さを失わない。
 C人を心で殺さないように、良いことを思い、良いことを願う稽古を続ける。

 人生には、乗り越えさせて頂くべき様々な取り組みに、次から次へと直面するものです。スポーツでも、小さな練習試合を重ね、少しでも強い相手との取り組みを通して、弱い部分を改まっていくうちに、強くならせて頂きます。人生においても、病気・災難、家庭内不和、仕事の不調など、様々な取り組むべきことが起こってくるはずです。どんな時でも大切なことは、頂いているおかげを見失わず、喜びを見つけて、神様、霊様、周囲の人々への感謝の心を忘れないことです。そうしますと、愚痴をこぼしたり、問題の本質から目をそらして、人を恨んだりすることなく、問題を通して有り難い成長を遂げさせて頂くことが出来、問題自体も解決へと導いて頂くことが出来るのです。心の底から「有り難うございます」という思いが生まれますと、神様のお徳が有り難い働きとなって現わして頂けるのです。

★しかしながら、問題に取り組むということは、簡単なことではありません。いつでも、お広前でお取次を頂くことが出来、正しく導いて頂けることは、どれ程有り難いことでしょうか。御本部・立教160年生神金光大神大祭の御庇礼を頂き、また、11月11日の阿倍野教会の金光大神大祭を目指して、信心成長のおかげを頂きたいと思います。『金光大神は形がのうなったら来てくれという所へ行ってやる』『願うことは何事もかなわないということはない。金光大神の手続きをもって願え。何事もおかげがいただける』

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2019年10月01日

●不足を言わず、己に克つ

薬剤師をなさっておられた布浦氏は、西区で一番小さな薬局を営んでおられました。

ご主人は、二代教会長先生のお取次ぎを頂かれ、五ヵ年計画の願いを立て、「西区で一番の薬局にならせて頂けますように。」というお願いをなさったのです。

その願い成就までは、自分の背広は新調しない等、ご修行を自ら決められ、どんなことがあっても朝参りを欠かさず、日参と聴教に励みつつ日々の商売に努力されました。

★二代教会長先生から頂かれたみ教えの通りに、薬の卸問屋さんへは、期日の三日前までに、自ら出向いてお礼を申して、お支払いさせて頂くということを続けておられるうちに、厚い信頼を頂かれ、珍しい商品などを優先的に手配して頂ける様になっていかれたのでした。

また、朝早くから開店され、食事を摂る時間も惜しんで接客なさって、一切不足を言わず日々のお商売に実意丁寧に打ち込まれました。すると、なんと西区で売り上げが一番の薬局になるおかげを頂かれたのでした。

★願いを立て、ご修行を決めて、日々それに励んでおりますと、その真心は必ず神様に届きます。ご修行に励むということは、自分を律し、己に克つということです。このことを心掛けておりませんと、自分の思い通りにならなければ不足を言うことが癖になってしまうのです。

二代教会長伊藤コウ師は、[商売繁盛を願うのでしたら、「どんなに暇が無くても、食事が出来なくても、休憩時間が取れなくても、一切不足を言いませんから忙しくさせて下さい。」と、神様にお願いすることです。]とみ教え下さっています。

どのようなときでも不足を言わず、己に克つことを心掛け、明日を楽しみにして、日々過ごさせて頂きましょう。

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