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2019年07月31日

●出来事の御神意を悟る 

私の娘が1才になる前に、60pほど落差のある玄関の土間から落ち、左腕を骨折しました。事情を聞きますと、家内が夕飯の支度をしている際、土間に下りた家内の後をついて行って、落ちてしまったということでした。

★家内の監督不行届きを責める心を抑えつつ、火のついたように泣く娘を連れて、家族三人で自宅のご神殿で御祈念させて頂きました。日々の御礼とお詫びを申し上げた際、「只今は妻の監督不行届きで…」と心で申し上げた途端に、「お前はどうか…?」と、神様が心に話しかけられました。「その時私は記念館で子供会の御用をさせて頂いておりましたので…」と申し上げると、再び間髪いれずに「お前はどうか…?」と心に話しかけられたのでした。

★そこで初めて気が付かせて頂いたのは、娘が這い始めた頃から、土間に面した廊下に柵を設けなければならないと思いつつも、「倉庫の一番奥から大きな柵を出すのはなかなか大変だなあ」と思いながら先延ばしにしてきたことでした。そのことに気が付かせて頂いた時に、心の底から「私が一番不行き届きでありました。申し訳ございません」とお詫びを申すことが出来、「どうぞ娘の怪我が大事無く治らせて頂けますように」と、心静かにお願いさせて頂くことが出来たのでした。

★病院でレントゲンを撮って頂きますと、娘の左腕は単純骨折でしたので、以前と変わらないようにきれいに治るとの診断でした。早速、三代教会長先生に御報告させて頂きますと、「それは良かったなあ。私はあの子が鉛筆を持つのも左、スプーンを持つのも左であることを前々から気になっていました。私は左利きだったために、右利きに直すのに大変苦労したので、どうぞ右利きになりますようにとお願いしてたのですよ」と仰られたのでした。親である私は娘が左利きであることに気付いてはおりましたが、練習すればいずれ右利きになるだろうと思って、何のお願いも出来ておりませんでした。しかし、三代教会長先生は、前々から心にかけてお願いをして下さっておられたので、出来事を通して神様が教えて下さっている内容が、すぐにお分かりになられたのだなあと気付かせて頂き反省させて頂いたことでした。

★常平生から神様に心が向かわせて頂いていますから、出来事の意味が分からせて頂けるのです。神様に心を向ける稽古が行き届いて出来ておりませんでしたら、出来事の意味が分からず、人や目の前の問題だけに心が向かってしまいます。

★立教160年記念の年の夏の信行期間の最終日を無事に迎えさせて頂き、真に有難いことでございます。それぞれに願いをお立てになられ信行に励ませて頂かれ、普段よりも一段と進んだ信心生活を送らせて頂かれたことと思います。信行期間中に取り組ませて頂いたご修行が、8月もしっかりと続かせて頂けるよう、より一層ご信心を進めさせて頂きたいと思います。
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2019年07月30日

●将来が結構になる道

 当時、学校に勤めさせて頂いていた23才頃のことです。

★私が片側一車線の道を運転中に、渋滞して全く動かなくなり停滞しておりました。すると、反対車線の車が私の車だけに接触し、車体の右前から後まで側面を擦って停車したのです。相手の方が降りて来られないので、車を路肩に止めて行きますと、そのお方は放心状態でした。こちらから話しかけますと、そのお方は「申し訳ありません。居眠り運転をしていました。すべて私が悪いですので弁償させて頂きます。」とのことです。「それでしたら修理の見積もりができましたら、また連絡させて頂きます。」とお話しして、免許や車検証の」控えを取って名刺を頂き帰宅させて頂きました。

★三代教会長先生にご報告させて頂きますと、「あなたが全額を払ったらよろしい。」と仰っしゃいますので、私は「相手のお方が加害者で、全額弁償するとのことです。」と申し上げると、重ねて「あなたが支払ったらよろしい。」と仰っしゃいました。「はい、そのようにさせて頂きます。」とすぐに返事が出来なかった私は、数秒考えました。考えてみれば、居眠り運転ですから、車の列のどこへ当たっても仕方のない状態の中、たまたま私の車に当たったという事は、神様からお気付けを頂いたという事です。私のこれまでの車、ガソリン、時間の使い方が間違っていると神様がお気付けを下さり、三代教会長先生のお口を通して神様がみ教え下されたのです。

★そして頂いたみ教えを守り、相手の方に伝えて喜んで頂き、私は日々の生活を改めさせて頂く良い機会を神様から頂いたのだと思い、車を修理に出させて頂いた事でした。後に私は何度も、命のないところを危険から逃れさせて頂いて、助けて頂いたのです。

★三代教会長先生のみ教えを守らずに、いい加減なことをしていれば、後に起きてきた命のないところを助けて頂けたかというと分かりません。神様から「今、これを守らせて頂きなさい」とみ教えを頂いたならば、しっかりと守らせて頂くことが後々結構にならせて頂ける道につながるのですね。

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2019年07月29日

●心と体の掃除をするつもりで…

昨日は、天候・気象の御都合お繰り合わせを頂いて、台風一過の晴天の下、全てに於いて有難いおかげを頂きまして、教会内外の夏の大掃除をさせて頂きました。大勢の御用奉仕を頂きまして、お広前や掛け出しの畳も、全て天日干しをさせて頂く事が出来、怪我過ちなく行き届いて、お礼のお掃除をさせて頂くことが出来ましたことは、真に有難いことでございました。皆様の御用奉仕に心から厚くお礼申し上げます。

★お広前は『氏子の願い礼場所、信心の稽古場所』とみ教え頂いております通り、真心をつくらせて頂き、おかげの受け物を大きくさせて頂く場所です。日々、神様のお許しを頂き、お広前会堂、記念館、真栄根館、真清会館等の建物、そして全ての境内地を使わせて頂き、信心の稽古に励ませて頂いております。それら全ては、神様がお建て下さったもので、阿倍野教会信奉者一同の深い祈りのこもったお広前です。信奉者一同が、このお広前でご信心を進めさせて頂き、日々お育て頂いておりますことは、真に有難く嬉しいことです。

★大掃除では、畳の上や柱などの目に見える部分だけでなく、普段は掃除出来ていない畳の裏や床下などの見えない部分の埃を綺麗にさせて頂きます。掃除に限らず、私たちの目に見えている範囲というものは実に狭いのです。教祖様は『真の道をゆく人は、肉眼をおいて心眼を開けよ』とみ教え下さっています。人間の心は放っておきますと、神様から授かった尊い神心が覆い隠され、我情我欲や悪癖・悪習慣など身に付いてしまいやすいものです。そうしたものは、簡単に取り除けるものではありません。目に見えていない部分を粗末にしないように、日々み教えを頂き直して、心を清めて磨く稽古を生涯のご修行にさせて頂くことにより、次第にお取り払い頂けるのです。

★信行期間も残り3日となりました。ここからの締めくくりが大切です。さらに日々み教えを頂いて、我情我欲や悪癖・悪習慣など身に付いたものをお取り払い頂き、自分自身の心を改め磨き、心と身体の掃除をさせて頂くつもりで信心を進めさせて頂きましょう。

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2019年07月28日

●何事も神様のさせなさるご修行として

 お商売をなさっておられるあるご信者は、一軒の大きな取引先からの仕事が、会社全体の収入に占める割合が余りにも大きすぎるので、以前から、他の取引先の開拓や、新しい部門の開発に取り組むようにお結界でみ教えを頂かれ、「いつかは必ずしなければ…」と思いながらも、先延ばしになっておられたのでした。ところが、その大きな取引先が何ヶ月か先には取引を打ち切りたいと申し出られ、ようやく本格的な改革に取り組んでおられます。以前からみ教えを頂いておられましたので、今こそおかげを頂く時だと、前向きに取り組んでおられますことは、真に有り難いことでございます。

★普段からみ教えを頂いておりませんと、事にぶつかった時に神様に心が向かず、「先方が急に無理を言うて来たから…」というように、他を責めたり恨んだりしたり、「もう駄目かもしれない…」と、心配に押しつぶされて、真剣に改まりに取り組めなかったりしてしまうのです。

★この度の夏の信行期間は、「何事も神様のさせなさるご修行として喜びに変えていく」という願いを掲げさせて頂いております。天候気象のこと一つにとりましても、夏の日照りあり、お湿りあり、風の強い日もあるわけですが、その都度、決して不足を言わず、全てを有り難く受け止める稽古をさせて頂きたいと思います。

★昨年の台風21号で、教会の真栄根館の屋根瓦が飛んで壊れましたので、5月の御大祭の後から、屋根の修理をして頂いております。梅雨に入って、雨風の強い時には雨漏りがあり、その都度適切に処置をして頂いてまいりましたが、有り難いことに、7月9日の、二代教会長・伊藤コウ師の例年祭の後に、一切雨漏りがなくなるおかげを頂いております。神様が、あらゆる形で私たちにお気付けを下さることを有り難くお礼申させて頂き、よりご安心頂けるご信心に進ませて頂きたいと願っております。

★『神の前に泣いてお縋りするような信心をするので、おかげにならない。神の前に悟りを開いて、いつもお礼のできる信心をせよ。』

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2019年07月27日

●御礼の御用にお使い頂く

三代教会長先生が62歳の御時、くも膜下出血で40日間の絶対安静を要する状況となられた時、私はベッドのそばで御祈念させて頂いておりましたが、心配や不安で離れることができませんでした。「今晩徹夜してでもかまわない。御祈念させて頂く。」と思っている最中に奥様が「あなたが一晩徹夜しても治られるわけではありません。一人では何も出来ません。皆が交代しながら長期に亘ってお世話をさせて頂き、おかげを頂かねばならないことです。気が済むまでお広前でしっかりと御祈念させて頂いて、すべて神様にお任せさせて頂きなさい。先生は必ずおかげを頂かれます!」と仰ったのでした。その後、お広前で1時間半ほど御祈念させて頂いておりますと、有難いことに「あとは万事お任せ」と思わせて頂くことが出来ました。

★私が高校3年生の時でしたので、三代教会長先生に「私は高校を卒業させて頂いたら、大学には進学せずに、金光教学院に入らせて頂きます。」と覚悟の程をお話ししますと、先生は「大学を受験させて頂きなさい。私は必ずおかげを頂きます!」と仰って下さったのです。

★40日間絶対安静の後に、歩く事からリハビリをなされ、お説教やお結界の御用を通して徐々に回復のおかげを頂かれました。そして先生は「これからは、命を授けて頂いている御礼に御用させて頂く」と願いを新たになされ、90歳6ヵ月で天寿を全うされるまで、御礼の御用にお使い頂かれたのです。

★三代教会長先生と奥様が、「必ずおかげが頂ける!」と神様にすべてをお任せされ、どんな状況になられても揺るがないご信心を示して下さいました。そのお姿を拝ませて頂き、私の心に有難い衝撃を与えて下さったのです。

★私共も生命を頂いている御礼に、しっかりと御礼の働き・御礼の御用に励ませて頂き、次の代・次の代へと有難いご信心を伝えてさせて頂きましょう。
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2019年07月26日

●周囲が助かる信心

 三代教会長先生は60歳を越えられてから、くも膜下出血で40日間絶対安静を必要とする状況になられました。三代教会長先生は、その様な中「私は必ずおかげを頂きます。」と仰せられ、40日後には歩くことからリハビリをなさり、お結界でのお取次の御用、お説教と日々御用下さり、徐々に回復なされたのでした。しかし、発症から10年間は「頭が痛まない日はない。」とまでおっしゃられる程に、常に頭痛を抱えておられ、冬場でも頭を氷枕で冷やさなければ休むことが出来られない状態であられました。

★ある夏の暑い日のこと、三代教会長先生が京都方面に宅祭に行かれた時のことです。私は随行の御用にお使い頂きました。宅祭の帰り道、名神高速道に入った途端に車のエアコンの具合が悪くなり、エアコンを切って窓を開けて走行せざるを得ない状況になりました。運転の御用の方は、行き届いた心配りで、夏場はクーラーボックスを用意なさって、冷たいおしぼりを準備して下さっており、早速に三代教会長先生にお使い頂く事が出来られたのでした。

★その日は37度を超える猛暑で、天王山トンネルに入りますと、渋滞で車が徐行するようになり、窓を閉めて車内に外気も入れられず、車内は40度を軽く超える大変厳しい暑さになったのです。助手席に座っていた私は、手の甲から汗が吹き出て流れ出しているのを、じっと見ながら暑さに耐えておりますと、三代教会長先生は決して不足を申されずに、「車は結構やなあ。有り難いなあ。有難いなあ。」とずっと御礼ばかり申されておられ、運転の御用の方も、随行させて頂いた私も、心が救われる思いで、大変有り難かったことを記憶しております。

★『なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬわが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。』

★日々み教えを頂いて、頭では分かっていても、実際に表してゆかねば、身についたとはいえませんね。いざという時に、日々の信心が表に出てくるのです。自分自身が本当に有難い心にならせて頂きますと、周囲が助かってゆくことがわからせて頂きます。いざことが起きてきた時に、お礼が申せて、おかげにさせて頂ける信心に進ませて頂きましょう。

★『心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり。』

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2019年07月25日

●分相応な生き方

 昭和32年にこのお広前が完成した後の頃のことです。あるご信者が、真心から中古車をお供えしようとなさったことがありました。その時に二代教会長伊藤コウ師は「その真心だけ神様にお取次させて頂きます。教会は今、ご建築が終わったばかりで、電気代やガス代、水道代を支払うことで精いっぱいです。旧広前の頃に比べると、経費は大変多くなっており、全く余裕がない状態です。維持費を払うことも、運転手さんを雇うことも出来ませんので、今の教会には、車は分不相応なのです。それでは宝の持ち腐れになり、勿体ないことになりますので、車はお持ち帰り下さい。先々には維持費も出せて、運転手さんも雇わせて頂くことが出来る状態になってから、現金で買わせて頂きますので、ご理解ください。」と仰ったのでした。納得されたそのご信者は、「先走ったことをいたしました。申し訳ありませんでした。」とおわびを申されて車を持ち帰られました。

★すると、別のご信者が「先生、頂いておかれたら宜しいのに…。いらなければ売られたらいいのです。」と言ってこられたのです。コウ師は「教会は、人様の真心を踏みにじるようなことは出来ません。それこそご無礼です。」と仰せになり、そのお方も理解されたのでした。

★私達は、自分の分相応を越えてしまうことがあります。それは驕りから起きてくることです。家庭の上でも、仕事の上でも、全てにおいて信心を基にさせて頂き、常に分相応を心掛けることが大切なのです。自分がしたい事よりも先にさせて頂くことは、今日までの御恩返しであり、神様・霊様・親・国家社会・周囲の方々への御礼です。これまでの御礼をしっかりとさせて頂き、神様からお許しが出て、必要なものは必要なときに授かることが出来るようになるまでのお徳を積ませて頂きましょう。

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2019年07月24日

●陰徳有る者は、必ず陽報有り

 私が、高校に教諭として勤めさせて頂いていた時のことです。連休のある日、学校が模擬試験の会場として、使用されるということがありました。社会人の方が使われるということでしたが、使い終わって帰られた後、私は担任をしていましたから、使われた教室やトイレや廊下など周辺を掃除させて頂き、元通りに整えさせて頂きました。後日、副校長先生が私に「試験後、きれいに掃除して下さったので、生徒も助かりました。ありがとうございました。」と仰って下さったので驚きました。人が見ておられない休日にさせて頂いたことでしたが、見ておられないはずの時間帯にでも見て下さっている方があるのだと思わせて頂いたことでした。

★「陰徳有る者は、必ず陽報有り。陰行有る者は、必ず昭名有り。」と言う言葉があります。意味は、人知れず徳を積む者・良い行いをする者には必ず良い報いがあり、陰のご修行をしている者には必ずご修行に応じた名誉が与えられるものであるという意味です。人の見えない所で行っていることでも神様はよく御存知であられます。常に神様を目当てに良い行いや陰のご修行をさせて頂くよう心掛けておりましたら、必ず神様からおかげを蒙らせて頂けるのです。

★また、「桃李もの言わざれども、下自ら蹊を成す」桃やすももが何も言わなくても、美しい花や実に惹かれて招かなくても人が集まり、その下には自然に小道ができると言う意味です。この言葉には徳のある者は招かなくても、人はその徳を慕って集まると言う意味もあります。人に対して「私はこんな良いことをしていますよ」と言わなくても、その働きは自然と伝わってゆくものです。ですから、「誰も見ていないから損だ」「なぜ自分がこんな仕打ちを受けているのだ」と思う必要はないのです。結果としてきちんと表れるのです。人を目当てにせず、神様を目当てにして、急がず焦らず一歩一歩向上してゆくことをお願いしながら、コツコツと徳を積ませて頂きましたら、お役に立つ働きがさせて頂けるような、大変有難いおかげを蒙らせて頂く姿になってゆくでしょう。

★徳と力は簡単に手に入るものではありません。財や名誉や地位等を、高く望む人は世の中に多くありますが、それだけの徳と力がないところに与えられても、維持管理が出来ないようになって、結局は手放さなくてはいけなくなります。日々の日参と聴教を欠かさずに、神様を目当てにし、陰の徳を積ませて頂きましょう。

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2019年07月23日

●神様がさせなさるご修行 

山伏が金光様のお広前を何度も荒らしに来たことがありました。教祖様は「これくらいのことを神様のお力で払いのけるのは、さしたることではない。それなのに、山伏がたびたび来るのは、神様がやりなさるのだから、私はいっこうに腹は立てない。」と、神様のさせなさるご修行として受け切られたのです。

★慶応2年12月24日、高橋富枝先生が御神前で拝んでおられましたら、「大谷には山伏が来て荒らしたが、来春3月の7、8日頃にはお上へ通り、公に拝めるようになるから、酒と肴とを持って歓びに行け。」と神様からお知らせがありました。高橋富枝先生は、すぐにその通りになされ、お広前に参拝されますと、献納の提灯や絵馬・幕などが所狭しと置かれていた物が、何もかも山伏に持って行かれてしまい、ささやかに御神殿にお社がお祀りされており、涙が出るような光景でありました。参拝者がみな異口同音に、山伏の暴挙に対して不満を申す中、高橋富枝先生は涙を堪えて「結構なお煤(すす)払いでございます。」(大掃除の意味)と持参されたお酒や鯛をお供えされました。

★すると、今度はご裁伝(教祖様のお口を通して神様のお言葉が下がる)があり、天地金乃神様は「何千何百人と参拝者はあるが、皆気のふさがるような事を言い、一人として神を勇め慰める者はない。其方はおさなき婦人ながら先の歓びを言い立てて神を勇める。神も誠に喜ぶぞ。」と伝えられました。そしてその後、神様のお知らせの通り、3月にお上のお許しを頂かれて公に拝むことが出来られたのです。

★苦難のときに、それを嘆き悲しむのではなく、「神様が『このことを通して、また一つ成長しなさい』とご修行を与えて下さっているのだ!」と、先を楽しみに今日を喜んで良い事を口に出させて頂いておりますと、周囲の人も助かり、神様もお喜び下さいます。「O月O日までに」と日を切ってお知らせを頂いていても、願い主が油断してしまいますと、有難いおかげは頂けません。本気になって、こちらがおかげを頂く受け物をしっかりと作らせて頂くことが大切であるのです。
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2019年07月22日

●難をみかげに

 初代教会長・伊藤徳次師の十日祭の当日、旧広前のご建築の為の建築委員が総辞職の連判状を持ってこられました。二代教会長・伊藤コウ師は、このことを神様の有り難いみ教えと頂かれ、「何とご慈愛の深い神様かなあ。もし役員・建築委員の方々が『後の事は、私達がみな引き受けて、何もかもさせて頂きますから御安心ください。』と言うて下さったとしたら、ついそのご厚意に甘えておったかもしれない。人に頼って建ててもらう教会は人間の教会。神様におすがりして建てさせて頂く教会は神様の教会。私は神様の御用をさせて頂くのであるから、神様の教会を神様に建てて頂こう。」と思われました。そして、連判状を御神殿にお供えされ、「神様可愛がって下さいまして有り難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え頂きました。有り難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように」とお礼を申されたのでした。

★そのようなことが起こった10日祭の5日後には、11月11日の阿倍野教会の御大祭が控えておりました。コウ師は、神様一筋にお縋りなさり、お礼を申され、「御大祭も初代教会長先生の御生前中よりも盛大にお仕えさせて頂けます様に」とお願いなさり、実際にそのようにおかげを頂かれたのでした。そうして、翌年の11月11日には、旧広前の新築落成奉告祭を無事お仕えになられたのでした。

★コウ師は、辛いこと、悲しいことが起こってきた時には、次の大きなおかげを頂くための準備と思って、決して逃げず、その難儀を通してしっかり神様にお縋りさせて頂き、信心成長させて頂いて乗り越えさせて頂くよう、み教え下さっておられます。いざという時に、人を頼ったり、恨んだりするような間違った考えを起こさず、おかげを頂く方向に舵を切らせて頂けるよう、常日頃からお取次、み教えをしっかり頂き、信心を練らせて頂きたいと思います。それがおかげを頂く為の準備(器作り)になります。

★『氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへ降りたらそれで安心じゃ。 途中で気を緩めると後へ戻るぞ』

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2019年07月21日

●準備をする大切さ

中国宋時代の朱新仲というお方が、人生には五つの計画が大切であると伝えておられます。
1.生計(心身の健康、健やかに生きる道を考える)信心と勉強と御用に励ませて頂き、健全な精神を基に健康な身体を育ててゆくことです。食生活を見直してゆき、生活習慣を見直してゆきましょう。身体を鍛えさせて頂き、知識、教養を身に付けて、好き嫌いなく広く学び、脳を活性化することが大切です。

2.身計(自分の身をどのように役立てるか、社会生活を考える)社会で、どのように役に立つ働きをするのか、資質を生かして技術力・語学力を高め、資格を身に付けて、より一層実力をつけてゆくことです。『50、60花ならつぼみ、70、80は働き盛り』と教えて頂いています。年齢を重ねてこそ、周囲の方々が助かる為のお世話を、先頭に立ってさせて頂くことが出来るようになるのです。

3.家計(家庭をどのように維持していくかを考える)土地、住宅、円満な家庭を維持管理してゆくための徳と力を頂けるよう、将来の準備をさせて頂くことが大切です。

4.老計(どのような年の取り方をさせて頂くかを考える)年齢を重ねますと、若い時の瞬発力は衰えますが、持続力は身に付き、有難い経験を生かせる存在にならせて頂けます。衰えない生き方をさせて頂く為には、5年先にはどのようにおかげを頂き、お役に立たせて頂いてゆくかを考えさせて頂きましょう。日々良いことを思い、良いことを願い、良いことを口にし、喜ぶ稽古をさせて頂きましょう。喜べることを毎日ノートに書き出してみましょう。

5.死計(どのように死に向かうか、すなわち一日一日を大切にし、どのように生きてゆけばよいのかを考える。人生の大切なことを学ぶこと)年が寄れば寄るほど、本当の学問をさせて頂き、お徳を積む生活をさせて頂いて、子孫に徳を残すように、おかげを頂いてゆく方へ心配りをさせて頂くことが大切です。ご先祖の霊様方を丁寧にお祀りし、日々拝ませて頂いて霊祭を仕えさせて頂くことは、自分がお国替えをした後に拝んで頂けるようになるために準備です。拝んで頂けるだけの徳を積ませて頂かねばならないのです。

★物事が成就してゆくためには、すべてに準備が大切です。それぞれの年代や立場によって、願う内容も違ってきます。それぞれのご家庭で立てられた五ヵ年計画が満願成就させて頂けるように、準備をしっかりとさせて頂きましょう。
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2019年07月20日

●神様の深いご慈愛を感じる

 信心には段階があります。幼稚園の信心から、小学校・中学校・高校・大学の信心…へと進ませて頂きますと、おかげの頂き様も違ってきます。しかし、まだまだ信心が不確かでありますと、み教えをすぐ素直に「はい!有り難うございます。」と頂くことが出来ません。

★先日の御本部参拝の前に、あるご信者が「今回の御本部参拝をお休みをさせて頂いてご無礼させて頂きたいと思っております」とお届けなさいました。理由を尋ねますと、身体の疲れもありますが、気持ちがしんどいということでした。そこで「それではいけませんよ。どうあってもおかげを頂こうという気持ちにならせて頂きましょう」とお話しさせて頂きました。そのご信者は家に帰られてからも、なかなか気が進まず、「くじ」をつくったそうです。『お参りする』と書いたものと『お参りしない』と書いたものを同じ確率で用意したということです。すると、5回引いても『お参りする』というくじが出てくるのでした。そこで今度はあみだくじを作られたそうです。確率は同じはずなのに、あみだくじでも3回選んでも『お参りする』という結果になったのだそうです。

★後日その事をお届けされた時に「お結界で頂いたみ教えをすぐに守れない私に、神様がどうあってもお参りさせて頂くようにみ教え下さったことがよく分からせて頂けました。今回は反省致しました。来月からは迷わずに参拝させて頂きます」と正直にお話しされました。それを聞かせて頂き、「なんと神様はご苦労下さり、ご心配下さり、おかげの頂ける方へとお導き下さっているのだなあ」と改めて実感させて頂きました。

★私達氏子のために『何とかおかげを頂いてくれよ』と願い、導いて下さる神様の深いご慈愛を感じさせて頂き、御恩を知り、御恩に報いる信心を一段ずつ進めさせて頂きましょう。

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2019年07月19日

●実地の学問

あるご信者の息子さんが、お商売の勉強をさせて頂くために、他の店に修行に行かれました。

★そこで、お商売を仕込んで頂いたのですが、その店のご主人から「お前は正直者すぎて困る。真面目に働いてくれるのは良いが、夕方のお客さんが立て込んでいる時に、いわば稼ぎ時なのだから、品物を量ってお客さんに渡す際は少しずつ少なめに盛るのだ。それを10回もすれば、だいぶ稼げるだろう。それが、商売というものだ。お前みたいに馬鹿正直にしていれば、一向に儲からない。」と苦言を呈されたのです。店のご主人に、秤の目をごまかせと言われたご信者の息子さんは、小さい頃から教会へ参拝され、実意丁寧正直親切な生き方を教えて頂いておられますので、ご主人の言われたことを、そのまま受け入れることができられませんでした。

★そこで、店の番頭さんに尋ねたのです。そうしますと、番頭さんは、「それがうちの大将の方針だ。私は長年ここで働かせてもらっているが、大将の良いところはしっかりと学ばせて頂き、これはしてはダメだと思うところは習わないようにしている。あなたも自分が正しいと信じているところを、勉強してゆけばよい。」と言われたのです。息子さんは、どうすれば良いのか分からず、家に帰ってご両親に尋ねられたのです。

★ご両親は「いくら店のご主人がそう仰っても、あなたは、み教え通りに実意丁寧正直親切に働くことを貫き通しなさい。世間ではこういうことがあるのだ、という事を学ばせて頂きなさい。秤の目をごまかせば、目先は得をしたように思うかもしれないが、不当に得た利益は、結局はどこかで清算しなければならないのです。天地が裁かれるのです。入ってはいけないところから入ってくれば、必ずその何倍にもなって出ていくのです。例えば、商売で損をするとか、人から騙されるとか、病気をするという事は、自分が積み重ねてきた結果で、そういう目に遭わなければならないのです。それが天地の道理なのです。人の目はごまかせても神様の目はごまかせません。」と仰り、息子さんは今後の生き方の指針を、考えさせて頂く機会を頂かれたのです。

★人は色々なことを言いますが、それに惑わされることなく、正しい信念を持って貫いてゆくことが大切です。自分自身の与えて頂いている神心に正直に、またみ教えを素直に守り、神様を目当てにしておりますと、有難い生き方がさせて頂けるのです。
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2019年07月18日

●神様を杖に…

 一昨日は、婦人会例会が開催され、山口氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★山口氏は、小学校1年生頃、お父様の仕事のため、大阪の箕面に引っ越し、お祖母様に連れられて、旧広前にお参りしておられました。山口氏は結婚され、ご主人が36歳の時に交通事故に遭われて、命のないところを助けて頂かれましたが、それから長い入院生活が始まりました。退院されてからも、ご主人が命を助けて頂いたことよりも、毎日のお姑さんの言動が怖くて、消えてしまいたい気持ちであられたのです。

★山口氏は、初めて自分から阿倍野教会にお参りさせて頂こうと思われ、二人の子をおんぶと抱っこで連れて参り、二代教会長伊藤コウ師にお取次頂きました。やつれ果てた山口氏をご覧になって、すぐにコウ師は、「いい機会だから、教会の近くに引っ越してきなさい」とおっしゃいました。しかし、お姑さんは大反対で、「お前たちは親を見捨てるのか」と言われましたが、結局お姑さんは、娘さん達ともうまく暮らせず、教会近くに住まれた山口氏の家に来られ、同居することとなられたのでした。

★それから毎日、山口氏はコウ師に呼んで頂かれて、み教えを頂かれたのです。コウ師は、山口氏を良き家老としての役目を果たせる人間に育てようと、一つ一つみ教え下さったのです。コウ師は、「まず、朝参りの前に、四時にお参りし、お便所のお掃除をさせて頂きなさい。朝参りと時間があれば十時、二時、夜、夜中にお参りに来なさい。」とみ教え下さり、山口氏は、夜の一時や三時に、教会の門の前に座って、お参りというより、コウ師の近くに来られた安心感を感じて、家に帰られる日々であられました。

★ご主人が仕事ができられるようになっても、借金がかさむばかりで、借金取りが家に来ることも度々ありました。コウ師は、「離婚したらあかん。あんたに、『離婚したらあかん』と言っている私の方が、辛くて泣きたい位やねんで。わかるか・・・」と、山口氏の顔をじっと見て、静かに「暴風雨の中で同じ舟に乗っていて、あとの人は放っておいて、あんた一人だけ助かりたいんか・・・。そんな薄情な人間になったらあかん」と、黙ってしまわれました。そして、コウ師は「主人のでけへんことはあんたがしたらええ。全てあんたがしたらええ」と言われ「毎日日記をつけて見せにきなさい」とみ教えを下さったのです。そして、毎晩、コウ師が赤ペンで間違ったことは直し、辛い時には励ましの言葉を、毎日どんな時にも欠かさず色々と教えて下さいました。

★山口氏は、娘時代に、絵を描くことが好きでしたが、コウ師より「洋裁をしなさい」とみ教えを頂かれ、しぶしぶ洋裁学校に通われたのですが、それが生活の役に立ったのです。特に、ご主人が事故に遭ってからは、ご主人の代わりに、山口氏が家計を成り立たせる中心として働かなくてはならず、嫌いだった洋裁を、コウ師にお取次を頂いて続けさせて頂いたおかげで、生活を支えることができられたのでした。そして、お姑さんのお世話を最期までなさり、見送られた後、御主人の伯母様と実のお母様のお世話をなさって、見送られたのです。また、御主人の病気を患われた際にも、手厚い看病をなさって、ご主人は40年お命を伸ばして頂かれ、最期は看護師となられた2人の娘さんに身体をさすって頂かれながら、お国替えなさったのでした。

★4人の娘さんは、学校のことも仕事のことも結婚のことも、親に何の心配もかけず、すべて奨学金とアルバイトで、高校、大学と出られ、今では、それぞれに2人ずつ子供を授かられ、孫が8人となられました。現在山口氏は、78歳になられましたが、仕事を頂かれながら、毎朝日参と聴教に励まれ、内膳の御用にお使い頂かれ、こんな結構な生活はないと日々喜んで有難く生活しておられます。

★コウ師にこれほど祈って頂かれ、日々み教えを頂くことが出来られたことは、本当に幸せなことであられたと思います。その教えの親のお心を、すぐには分からなくとも、受け切ってゆかれたことで、振り返ってみられましたら、あれもおかげを頂いた、これもおかげを頂いたと喜ばせて頂ける今日になっておられるのです。

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2019年07月17日

●日常卑近なところでのご修行

山伏が金光様のお広前を何度も荒らしに来たことがありました。教祖様は「これくらいのことを神様のお力でお払いのけになられるのは、さしたることではない。それなのに、山伏がたびたび来るのは、神様がやりなさるのだから、私はいっこうに腹は立てない。」と、神様のさせなさるご修行として受け切られたのです。

★また、教祖様は神様から様々なご修行をさせて頂かれました。その一つに、「裸足で秋中農業せよ」というご修行がありました。教祖様は、神様の仰せのままに裸足の行を始められましたが、奥様は、「大霜の時まで裸足でいては、『信心ばかりして、わらじも作らんのか』と人に笑われます」と、人の目を気になさいました。そこで、教祖様は、鍬の先にわらじを下げて裸足で出られ、不思議に思って尋ねる人があったら、「わらじが足にくいこんで痛いのです」と、説明なさったということです。神様を第一にお立てになって、仰せのままになさりつつも、奥様の思いもくんであげられ、神様に対する不浄の心が起きぬ様、あらゆる面に心配りをなさったのです。

★この信行期間中、夫々ご修行を決められて取り組んでおられることと思います。ご修行と言いましても何か特別なことではなく、日常卑近なところでご修行させて頂ける材料がたくさんあります。例えば出来事や病気を通して、或いは人間関係の上や仕事の問題を通して、ご修行させて頂けることがあります。その目の前の問題を、神様から与えて頂いた有難いご修行だと、喜んでお礼を申してそのご修行に取り組ませて頂くことが大切です。「なぜ私ばかりに、こんなことが起きてくるのか…」と不足を言うのではご修行にはなりません。その出来事の中にどのようなご神意が含まれているのかを悟らせて頂くのです。

★神様が、「このことを通して、また一つ成長しなさい」と与えて下さっておられることですから、元気な心でご修行に励ませて頂きましょう。そうしますと、全ての事柄も神様が一番良い時期に、一番良いように整えて下さるのです。
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2019年07月16日

●み教えを頂く心で参拝させて頂く

 14日の御本部御礼参拝の時に、金光図書館長であられる金光英子先生にお礼のご挨拶にあがらせて頂きました。

★金光図書館では、利用者の方に対して、「ありません」「出来ません」「知りません。分かりません」とはおっしゃらないことをモットーとして、職員の方々は御用下さっておられるということです。

★利用者の方が探している本が見つからない時には、「ありません」ではなく、どこまでも「お探ししましょう」というご姿勢で、他の図書館なども含めて徹底して探して下さるそうです。それでも、求められるものがない時、例えば、ある本の点字版の本等でしたら、「作りましょう」とおっしゃり、可能な限り、作ってでもお役に立つことを心掛けておられるということです。

★また、利用者の方の希望に、完璧には応えられない時にでも、「出来ません」とはおっしゃらず、「ここまではさせて頂けます。あとはどのようにさせて頂きましょうか?」と、納得してもらえるまで、相手に寄り添う御用を心掛けておられるということです。また、相手の求められるものの見当も付きにくいときにでも、「知りません。分かりません」と言ってしまうようなことをなさらず、「教えて下さい、聞かせて下さい」と、どこまでも利用者の方の思いに、耳を傾けられるそうです。

★御本部参拝に行かせて頂きましたら、何か一つでも、自分にとってのみ教えとなるものを頂いて帰らせて頂きたいと思います。そうした心で参拝させて頂きましたら、例えば、真心込めて御用なさる方々のお姿からでも、自分の改まりのヒントとなるみ教えを頂くことが出来るでしょう。毎月そのように心掛けて、有り難いお礼の御本部参拝を続けさせて頂きたいと思います。

★『金光様は思う事が願いになると仰っておるから、御無礼お粗末のことを思うてはならぬ。思うておることをお願いしておれば、おかげで成就する。おかげの受けられるまで信心辛抱してお願いをしなさい。』

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2019年07月15日

●お礼の信心を厚く

昨日は、万事万端のご都合お繰り合わせを頂きまして、共々に御本部御礼参拝をさせて頂きましたことは、真に有り難いことでございました。毎月、「何が何でもお参りさせて頂こう!」という強い願いを持って、勢を揃えて御礼参拝のおかげを頂きたいと思います。

★御本部の境内地は、どこを歩かせて頂きましても、真に清々しい心持ちにならせて頂きます。それは、教祖様より歴代の金光様が、日々お結界で御取次下さり、ご祈念下さったご霊地であり、また、参拝なされる氏子のお礼の真心が結集したお土地、建物だからだと思わせて頂きます。御本部参拝をさせて頂く時は、道中もおかげ話に花を咲かせて頂き、お礼の真心をお供えさせて頂く、有り難い参拝にさせて頂きたいと思います。

★後始末をきちんとさせて頂くことが、お礼のご信心であり、次のおかげを頂く元にならせて頂きます。御本部参拝は、これまで広大無辺なおかげを頂いてきた御礼であり、次のおかげを頂く有り難い参拝となるのです。お商売の上でも、お礼であるお支払いを、期日までにきちんとさせて頂きましたら、次に必要なものも、必要な時に必要なだけ仕入れさせて頂くことが出来、商売の繁昌につながっていくのです。

★また、改まりも、お礼のご信心にならせて頂きます。ご恩をより一層分からせて頂く生活に、一歩ずつでも進ませて頂く生活に改まらせて頂くことを、神様はお喜び下さり、ご安心頂ける生き方にならせて頂くのです。何か不自由を感じることがあったら、「今日は、このことを通してご修行させて頂こう」と、不自由も有り難い信心のご修行として頂いて、生涯を通して改まりを心掛けさせて頂き、信心の向上を願わせて頂きたいと思います。

★『氏子がお礼に参って来ると、神も喜び、金光大神もいっそうにうれしいが、氏子もうれしかろうが。氏子がおかげを受けてうれしゅうに喜ばぬと、神も喜べぬ。みんなもおかげを受けて、神様にも喜んでもらい、自分もうれしゅうにお礼参りのできる信心をせねばならぬぞ。』

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2019年07月13日

●ご修行により鍛えて頂く 

あるご信者が会社に入社して5年の御礼の宅祭をお仕えになられたことがありました。家族親戚中が終始涙を流しておられたのは「ありがた涙」でした。

★なぜなら、アルコール依存症で働くことも出来ず、入退院を繰り返しておられたご主人が神様にお縋りして依存症全快のおかげを頂かれたからです。

★ご主人は、伊藤コウ師より『あなたは、一番給料の低く、また、家から一番遠い所へ勤めに行きなさい。』とみ教えを頂かれました。お酒を好きなだけ飲むためのお金と時間がないように、環境を整えることを教えて下さったのです。それから、「今日も一日しっかりと働かせて頂けますように!今までのご無礼はお許し下さい。酒一滴も口にせず、どんな誘惑にも打ち克つことが出来ますように!」とお願いして一日が始まり、「今日も一日しっかりと働かせて頂きました。有難うございました。」と御礼を申して帰られる生活が始まりました。お酒を飲むと、数日でも家に帰って来なかったご主人が、本気で変わるようお願いなさり、朝早く朝食を終えられて、朝参りしてから直接会社へ出勤され、帰りに教会へ参拝なさってから自宅へ帰られる。寄り道もしないような毎日の生活に変わられたのです。そして仕事において異例の出世のおかげを頂いてゆかれたのでした。面倒な事や利益の薄いこと、人の嫌がることを自分が進んでさせて頂きますと、そのご修行により自身を鍛え頂き、変わらせて頂くおかげが頂けるのですね。
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2019年07月12日

●すべてにお任せして「真に有難し」という心で

 私が金光教学院でご修行中、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、ネフローゼ症候群を患われ、入院なされた時のお話を残してくださっています。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか…」「私の家族はどうなるのか…」と、心配に捉われて不安でたまらない日々を過ごしておられたそうです。

★そんなある日、松山成三先生の奥様の松山いち先生が、病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んであれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思われたそうです。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に医師から「内田さん、薬が効いた!」と告げて頂かれ、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく頂くことが出来、毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★日々、生神金光大神様のお取次を頂き、み教えを頂いて、神様、霊様、親様の有り難いことが心の底から分からせて頂き、素直におすがりさせて頂く心におかげは現れてくるのです。油断をしてご信心から離れますと、我情・我欲が次から次へと湧いて出てきて、全てを生かし育もうとして下さる神様のお働きを十分に受けることが出来なくなるのです。

★朝参り、十時・昼・夜の御祈念、そして、御本部参拝、月例祭、各会例会等に、自分の都合を先に立てず、「何としてでも!」という思いで参拝させて頂くことは、大変有り難い信心の稽古にならせて頂きます。信行期間に、しっかり稽古させて頂きたいと思います。

★『神があっての氏子、氏子あっての神じゃによって、病気災難をはじめ何事でも、非常と平生とにかかわらず神に願いをかけよ。信心とは、常平生、神の心のようになって信心するのが信心じゃ。手を合わして拝むばかりが信心ではないぞ。ご一心とは、字にでも一つの心と書いてあるから、二心のうろたえ心を出さずに、天地金乃神に一筋に取りすがるのが一心じゃ。十分なおかげを受けるのは、一心でなければならぬ」

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2019年07月11日

●神徳を受ければ心配はない

昨日は、二代教会長伊藤コウ師のお母様・ハル刀自の御命日でした。★ハル刀自は、娘であられるコウ師に対して、「あなたは、欲が深い。」と仰られたことがあられました。コウ師は、三人姉妹の一番下の身でありながら、親の物など自分が欲しいと思うものは、自分の物にしたいと思われた時期があられたそうです。

★ハル刀自は、「お母さんがよいことを教えてあげましょう。あなたが欲しい欲しいと思うのであれば、信心しなさい。しっかりお参りをして神様を拝み、お話を聴かせてもらいなさい。欲しいものがあれば神様にお願いさせて頂くのです。ここに大きな長持(衣類や布団等を入れておく蓋つきの大きな箱)があるとします。その長持の中には、あなたが欲しい物、金銭や衣服等がたくさん入っているとします。しかし、それには鍵がかかっており、開けることが出来ません。その鍵は神様から頂けるのです。その鍵を与えて頂くには、しっかり信心しなさい。ご信心してみ教えを頂き、ご信心のお徳を頂くと神様から与えて頂くことが出来るのです。すると、必要な時に必要な物を与えて頂けるようになっていくのですよ。」と仰られたのでした。

★また、ハル刀自が、地方債を買って娘さん(コウ師の姉君)に預けられて、大事に保管しておられたのです。しかし、ある日、無くなるということがあったのでした。それなりの額のものであったようで、当時小学校に勤めておられたコウ師は、生徒の中に親が警察署長をなさっている方があり、事情を相談なさいますと、その奥様はお金のこともさることながら、ハル氏の体調と、精神状態を心配なさいましたが、ハル氏が変わりなく元気で生活を送っておられることをお伝えしますと、大変驚かれたのです。それ程のことであったのにもかかわらず、ハル刀自は一切動揺されることなく、「あのお金は、ご信心させて頂くようになってから、めぐりをつまんように心がけ、お礼するところにはきちっとお礼をさせて頂いて、工夫して始末して貯めさせて頂いた汚れのないお金です。今は、伊藤の家に必要がないから、必要な人のところにいっているのでしょう。必要な時が来たら必ず戻ってきます。」と、きっぱりとおっしゃったのでした。

★また、地方債を紛失してしまったコウ師の姉君は大変申し訳なく思われ、ご自分の信心として、預かっておられた金額を返済させて頂かれたそうです。すると、10年後に伊藤ハル刀自がお国替えになられた後になって、なくなった地方債が倍の価値をもって、伊藤の家に戻ってきたのでした。

★『徳のないうちは心配する。神徳を受ければ心配はない』

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2019年07月10日

●神を杖につけば楽じゃ

 昨日は、天候を初め万事万端のご都合お繰り合わせを頂きまして、二代教会長・伊藤コウ姫の37年廻れる例年祭を、お仕え申し上げることが出来ましたこと、真に有り難いことでございました。ご生前中にご教導頂き、御霊神となられてからも日々付きに付いてお守り下さり、助かり立ち行きを願って下さっていることに、お礼をしっかりと申させて頂き、ご安心頂けるご信心に進ませて頂きたいと思います。

★二代教会長・伊藤コウ師のご母堂であられる伊藤ハル刀自は、ご主人が3人の娘を残して亡くなられた時、生活がなかなか成り立たないので「大阪に残ろうか、それとも親戚を頼って京都に帰ろうか」と悩んでおられました。

★そこで、難波教会のお結界でお届けをなさいますと、お手代わりとしてご用なさっておられた井上先生より、「伊藤さん、信心しなさいや。信心しなさいや。しっかり信心しなさいや。」とみ教えを頂かれたのです。み教えを頂いたハル刀自は、「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。大阪で鳴らん太鼓は京へ持って帰っても鳴らん。破れ太鼓は張り替えねば鳴ることは無い。今必要なことは、しっかり信心させて頂いて、家のめぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂くことなのだ。信心でもって、やぶれ太鼓の張り直しをさせて頂くのだ。」と悟られたのでした。

★そうして、ハル刀自はどんな時でも誰を責めることもなく、誰に依存することもなく、神様を杖にさせて頂いて「私一代で伊藤の家のめぐりをお取払い頂けますように」と願われました。そして「自身が至らない。」「これがおかげである。」と改まりの信心をさせて頂かれたことにより、娘さん達の生命にかかわる大病も、その都度助けて頂かれたのでした。

★『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ。』

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2019年07月09日

●ご神徳は尽きるということがない

昨日は、みかげ会例会が開催され、上田氏より有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。★上田氏のお母様は、大変ご熱心な信心をなさって、何事もお取次を頂かれ、またどんな時にも心中御祈念をしながら、ふと心に思わせて頂いたことを素直に実行することを実践なさって来られました。

★お母様が41歳の時に、ある日子供さんと教会へ参拝された帰りの事です。教会を出られて、地下鉄の昭和町の駅に着いた時に、お祖母様から頂いた形見の櫛がないことに気付かれたのです。どこかで落としたことに気付かれたお母様は、すぐに心中御祈念をされました。すると、心に上町線の線路のところに、櫛が落ちている光景が浮かんだのです。急いでその場所まで戻られますと、何と心に浮かんだ通り、線路のレールのところに落ちていたのでした。

★平成2年には、ご両親のお世話をさせて頂く為に市内から堺市へ住居を移されることがあられました。ご主人は7人兄弟であり、お母様は「夫は二男だし、私達の夫婦がお世話に行くことは、商売もあるし無理だろう…」と思っておられました。ところが、三代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと「親孝行に行かせて頂きなさい。あなた達が親孝行させて頂けば、4人の子供さんが皆おかげを頂かれますよ。」とみ教えを頂かれ、実意丁寧にご両親のお世話をされたのでした。

★現在、上田氏の4人の御兄弟は、それぞれにご家族を頂かれ、信心相続なさって、子孫繁昌のおかげを蒙っておられます。お母様は、63歳でお国替えなさいましたが、御霊となられたお母様が生前中以上に願って下さり、力を尽くして助けて下さっていることを実感しておられます。

★上田氏の長女さんの出産の際には、なかなか生まれず、胎児の心音も弱くなってきているため、へその緒が首に巻き付いている可能性もあるので、医師より帝王切開での出産を勧められ、そのように考えが傾いていました。上田氏は、一心に教会の方向に向かってご祈念しておられますと、無事に自然分娩で母子ともに健康で出産のおかげを頂かれたのでした。

★上田氏は、デザイナーの仕事をしておられ、日々「今、思いついているものより、もっと良い答えを思いつかせて下さい。」とお願いなさって、世の中の変化に対応されながら、今以上に世のお役に立つ、喜んで頂ける物を作り出せるように励んでおられます。

★ご先祖、親様の信心とご修行のお徳は、子々孫々と輝き続け、御霊となられても願って下さり、立ち働いて下さっていることが、よく分からせて頂きます。私共も、子孫がおかげが頂けるように、信心の徳を積ませて頂きましょう。
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2019年07月08日

●不足信心におかげはない

 教祖様ご在世中の御頃のことです。国枝三五郎師は、片目がうずいて困った時に教祖様にお届けされますと、『春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ』とみ教えを頂かれたのでした。治ることを楽しみにしておられた国枝三五郎師でしたが、四日になっても痛みがとまらず、五日に参られてそのことを教祖様にお届けなさると、『午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう』とみ教え頂かれたのでした。

★さらに教祖様は続けて『五月の菖蒲を楽しめ』と仰せになられたのでした。その日までには大分よくなられ、その時には『七月の七日を楽しめ』と仰せになられたのでした。すると、七月には痛みも全快のおかげを頂かれたのでした。

★国枝三五郎師は、六年間に三度盲目になられましたが、熱心にご信心をなされて晴眼のおかげを頂かれました。教祖様から日を切ってご祈念を頂かれ、その都度み教えを頂いて、心を見直し信心を改める稽古を積まれたのです。 そして、ご自分のことだけをお願いする小さな信心から、次第に広く大きな信心へと進まれ、二十年後には「乙島の金神様」と呼ばれるようになられたのです。

★物事が解決するようにお願いさせて頂いておりましても、解決するには時節が必要です。それを待たずして「まだ解決しない、まだおかげが頂けない。」というあり方を、教祖様は「不足信心」と教えて下さっています。神様の御都合に合わせることや、時節を待つことを度外視して、自分のものさしで物事を進めようとしますと、難儀を生み出してしまうのです。神様におすがりさせて頂き、神様がさせなさるご修行なのだと思わせて頂けますと、焦ることがありません。自分がするという生き方ではなく、神様にお願いして、全てをお任せし、神様にさせて頂くという生き方にならせて頂くことがおかげの元であるのですね。

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2019年07月07日

●付きについて守って下さる 

5日は、真栄根会例会が開催され、竹岡氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★平成7年、竹岡氏は、結婚を機にお道の御信心に触れることになられました。翌年、奥様から春季霊祭の通知状に、竹岡氏の亡きお母様の名前も書かれたことを聞かれ、奥様から「一緒にお参りしませんか?」と声をかけられました。お母様のこともご祈念もして頂けると知り、初めて阿倍野教会へ参拝されたのでした。

★平成11年長男誕生のおかげを頂かれましたが、生まれた時から気管が弱く、外出するとすぐに風邪をひき、喘息や肺炎になることもあられ、竹岡氏は大変心配なさっておられました。平成15年、息子さんが幼稚園年少組の三学期に、突然登園拒否が始まり、急に吐いたり、泣き出したり食事も進まなくなってしまいました。翌年、年長組に進級すると、さらにひどくなり、関西医科大学病院の小児科で診察を受けられました。医師より、「体に異常はないが、心が病気になりかけています。環境を変えてあげてください。このままだと、夏休みから心療内科に通院することになりますよ。」という診断を受けられたのです。すぐにご夫婦で教会へ参拝され、御取次を頂かれますと、「子供会に通える距離に住宅を頂き、お教会でお育て頂きましょう。」とみ教え頂かれたのでした。これまで竹岡氏は、家族で御取次を頂いても、自分には関係ないと思っておられましたが、初めて息子さんを助けて頂きたい一心で、神様から頂いたみ教えの通りにさせて頂かれることを心に決められました。

★当時、守口のマンションに住まいなさっておられましたが、み教えを頂かれてからは、マンションの売却と阿倍野区での住宅探しを始められました。しかし、築10年を過ぎたマンションが売れないことには、阿倍野区での住宅購入も出来ないので、教会長先生にお取次ぎ頂かれますと、「神様は親孝行がお好きです。親孝行がさせて頂ける住宅を購入させて頂きましょう。」とみ教え頂かれたのです。当時、義母様が一人暮らしをされていたので、将来同居が出来る家で、毎日息子さんが子供会に日参させて頂ける住宅を探された途端、すぐにマンション売却のおかげを頂かれたのでした。お取次ぎを頂かれながら、住宅を探されますと、予算内で同居して頂ける部屋もあり、日当たりも良く、教会へ歩いて10分もかからない距離に、新築一戸建て住宅購入の大みかげを蒙られたのでした。

★息子さんは引っ越しが決まると、登園拒否や、急に泣き出すこと、急に吐くこともなくなり、安心して二学期より阿倍野区の幼稚園に通園出来られるようになられました。現在大学三回生になられ、男子学生会に入会され、信心と勉強と御用に励んでおられます。

★息子さんの病気をきっかけに、ご信心の有難さを悟られ、その後も神様・霊様が付きについて守って下さり、全てに於いて万事万端ご都合お繰り合わせを頂いておられます。
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2019年07月06日

●神様のご慈愛に包まれて

『神様は親、人間は子、親子の情はどこまでも変わるものではないぞ。親神様は人間氏子がかわゆうてなられぬのぞ。』『神様は、氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ、このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事はなされはせぬぞ。ご信心しておるがよい。みな末のおかげになるぞ。』

★私達は、生みの親、育ての親から祈って頂き、お世話になって、今日生活をさせて頂くことが出来るわけですが、とりわけ、命の親様である天地の親神様のご慈愛の深さは、到底計り知れるものではありません。どんな時にでも、氏子の助かり、立ち行き、信心の成長を願って下さり、良い方向に導いてやろうと、思し召し下さっておられるのです。

★ですから、心から神様にお詫びをしてゆけば、全てを許して下さり、立ち行く道を授けて下さいます。「こんな私ではおかげは頂けないだろう…」「こんなお願いはしても無駄だろう…」というように、勝手に自分を見限り、神様を忘れたような考え方をしてしまうのは、神様が悲しまれ、お嘆きになることであり、神様により一層のご心配をおかけすることになってしまうのです。

★「助けてください」と、素直に、一心に神様におすがりさせて頂くとが出来れば、「助けてやろう」と思し召し下さる神様のお心と一つ心にならせて頂き、有り難い働きが次々と生まれてくるのです。どんな時にも、神様の深いご慈愛に包まれているということが、心の底から実感させて頂くことが出来ますと、たとえ難儀のただ中にあっても、心が開かれていき、助かる道が開けていくのです。

★真心からのご信心は、周囲の人々にも助かりの輪が広がっていきます。良い手本になるような信心をさせて頂けるように、日参と聴教に励ませて頂き、神様のお心の分かる氏子に成長させて頂けますよう、おかげを頂きたいと思います。

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2019年07月05日

●心のおかげを頂く  

阿倍野教会の初代教会長・伊藤徳次師の実父であられる池田太市氏は、甘木教会でご神縁を頂かれ、熱心にご信心を進められました。息子・庄五郎氏(徳次師の兄)が泌尿器の病気の時には、片道4里(16キロ)ある甘木教会へ病気平癒のため歩いて参拝され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★太市氏は、吉井町から甘木教会へ参拝なさる途中、筑後川を渡って参拝されていました。小料理屋を営んでおられた太市氏は甘木教会の金光四神様の十年祭のその日、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁つとに入れ下げ参拝なされたのです。川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから水につけたところ鯉が逃げてしまったのでした。

★太市氏は船頭さんにお願いをして、もう一度鯉が逃げたであろう所まで戻られました。すると、川の流れがあるにもかかわらず、その鯉が逃げたその場所にとどまって、水面から一尺ほどの所にいるのを見つけたのでした。そして、網で捕らえて甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られたのです。甘木教会の初代安武先生が、ことのほか喜んで下さり「あなたが真心で願ったので、途中で神様が水に付けねば鯉が死ぬかもしれんというので、そのようになさったのです。それで鯉は元気になりました。あなたの真心が神様は受け取って下さったのです。」と仰って下さったのでした。祭典後に鯉をほどかれますと、まだ元気に生きていたので、甘木教会の池に放されました。それが金光四神様の10年祭のことで、さらに20年祭の時には三尺(90センチ)に育っていたのでした。

★『何でも信心して二つのおかげを受けたら楽じゃ。一つは身に受けるおかげじゃ。今ひとつは我が心に受けるおかげじゃ。心のおかげが大事じゃぞ。心のおかげを先に受けたら身のおかげは自然に受けられるのじゃ。』とみ教えを頂いておりますように、横着や慢心、疑いの心といった不成心をお取り払い頂くことを心掛けていますと、純粋な真心が神様に通じていくのです。神様を使うのではなく、神様にお使い頂くためには、心のおかげを頂くことがまず第一であるのですね。
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2019年07月04日

●辛い時こそ、小さな喜びを見つけて

 金光キクヨ姫の元に、お子さんを亡くされたあるご信者が、悲しみに暮れて訪ねていかれ時のことです。キクヨ姫は、「そうでしょう、そうでしょう・・・」と、ご信者に寄り添い、話に耳を傾けられた後に、「それでも、何か少し、指の先ほどでも、針で突いたほどでも喜べることはありませんか?」とお尋ねになられました。ご信者は、「はい、あります」と、自分でも驚きながら、そう答えることが出来られたのです。続いてキクヨ姫は、「それでは、その喜べることを喜ばせてもらいなさい。辛いことはちょっと後ろに置いておきなさい。喜べることを喜ばせてもらいなさい」と、お話しになられたのでした。

★ご信者は、帰る道すがら、よくよくみ教えのご意味を考えているうちに、「『私は悪いことは何もしていないのに』と思っていたけれど、毎日、良いことはそっちのけにして、悪いことばかり先に立てて『私は辛い』と、より自分を苦しめていたな・・」と、まず気が付かれたのです。そして、『こんな私でも、親神様の氏子なのだ。その私が、喜びもなく朝から晩まで嘆き悲しんで、親神様はどれ程お心を痛められただろうか。申し訳ないことであった」と、お詫びの気持ちが湧いてこられたのでした。そこから更に、「こんな私にも、神様は毎日の生活を与えて下さっている。なんと有り難いことではないか。これからは、力いっぱい、真心を込めて働かせて頂いて、後のことは神様にお任せしよう。」と、思わせて頂くことが出来られたのでした。

★過去に起きたことを変えることは出来ません。後悔したくなるような出来事や、忘れたくても忘れられないような悲しみがあったとしたら、そのことを、今日からの生き方を改めていく原動力にさせて頂けば、過去もおかげにさせて頂くことが出来るのです。そして、そんな時にこそ、神様のお心、人のお心を慮ることが出来させて頂けましたら、心が開かれていき、有り難い未来が開けていくのです。
『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』

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2019年07月03日

●目の前の困難から逃げず、覚悟を決めてお願いする

松山成三師は、戦後満州・大連教会より、ご夫婦で着の身着のまま引き揚げて来られました。

お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、金光教教師に対して講演の御用を頂かれたのでした。三代教会長伊藤良三師はその講演を聞かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた方が「これから後はどこに落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。

すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰っしゃったのでした。

★さらにある教師は「これから食べることや着ることはどのようになさるのですか?」と質問されました。「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰られたのでした。

★松山先生は、大連に渡った時も着の身着のまま「さあ、いよいよこの広い大陸で初めて金光教の布教をさせて頂くのだ。どんな問題が出来てきても全てをおかげにせずにはおかぬ。どんな苦労も覚悟の上だ。後へは退かん。色々な宗教があるけれども、これほど有難いお道はないのだから、必ずこのお道は開ける」と喜び勇んで布教なされたのです。

さらに日本に帰られた時も、後のことは全て天地にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから半年か一年も経たぬ間に、ある場所に神様のお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。

★出来てくることをおかげにされ、難しい問題から逃げず、無一物でも不足に思わず、どんな困難な中にあっても必ず道は開けると信じて、神様を杖に生きてこられたからこそ、その通りに道は開かれたのですね。

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2019年07月02日

●日参聴教の徳

 『神参りをするのに、雨が降るから、風が吹くからえらい(辛い)と思ってはならない。その辛抱こそ身に徳を受ける修行である』昨日から夏の信行期間が始まりました。一度でも多くお広前に足を運ばせて頂けるよう、心を込めて信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。

★教会に参拝させて頂き、み教えを聴かせて頂きますと、信心の智恵と聡明さを身につけさせて頂くことが出来ます。生きていくということは、小さなことから大きなことまで、判断を必要とすることが次々と起こってきます。その時に、今どうさせて頂くべきかを誤らないように、判断力、実行力を身につけさせて頂くことが大切になってきます。考え方を間違えますと、思うように物事が運ばない時に、他人の責任にしたり、環境を不足に思って、恨みや憎しみを生んでしまったりと、自分が改まることからどんどん離れてしまいます。正しいことをするのに迷いのないように、また、怠け心や、不足心に負けて、誤った方向に舵を切ってしまうことのないように、お徳と力を頂いた有り難い姿にならせて頂きたいと思います。今日、ここからのご信心を、実意を込めて取り組ませて頂くことによって、過去も助かり、未来も開けてゆくのです。

★朝参りをさせて頂こうと思いましたら、前の晩から神様にお願いさせて頂き、きちんと段取りを付けさせて頂く必要があります。朝参りをさせて頂いて、み教えを頂き、お取次を頂いて、今日一日のことを油断なくお願いさせて頂きます。そして、日中も時間を繰り合わせて一回でも多くお広前に足を運ばせて頂き、お広前に満ちたご神徳に浸らせて頂いて、夜は、今日一日の御礼を申し、明日のお願いをさせて頂く。そのように、この信行期間を熱のこもった、実意のある信心の姿にならせて頂けるよう、一月間油断なくおかげを頂きたいと思います。

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2019年07月01日

●何事も心が第一

金光教は、全てのものを生かしてゆくお道です。

物を生かし、人を生かし、土地を生かし、建物を生かし、お金を生かし、時間を生かしてゆくように教えて頂いています。また自身が頂いている神心を生かし、永世生き通しのおかげを頂いてゆくことを教えて下さっているのです。

そのためには、自分自身の心を正しく保たせて頂けるように、日々新たにみ教えを頂き直し、わが心を磨き続けてゆくことが大切です。

★仕事がよく出来るというのは、大変結構なことではありますが、仕事が出来ていても、心が険しければ人を傷つけてしまい、絶えず周囲に敵を作ってしまいます。

では、どうあるべきなのでしょうか?

まず、偏らないこと。偏屈にならず、幅広く物事を見る事です。

次に、穏健であること。常に温厚で調和が取れていることが大切です。

教祖様は『きれる刃はこぼれる、というが、この方は、きれず、まがらずじゃ』と仰せられました。それは、本当にお役に立つということが、どういう事なのかを教えて下さっているのです。優秀な事を「あの人は、よく切れる」と言いますが、切れ過ぎると人を傷つけてしまいます。かと言って、なまくら刀では人の役には立ちません。

本当にお役に立つ人間にならせて頂けるよう、日々み教えを頂いて心に栄養を頂き、神心を養わせて頂いて、全てを生かしてゆく稽古をさせて頂きましょう。

★『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』

★本日より夏の信行期間が始まりました!しっかりと上半期の御礼を申し、下半期のお願いを申し上げ、日参と聴教に励ませて頂き、神様への御礼に信心を一段と向上し進めさせて頂きましょう。


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