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2019年05月31日

●神様のご都合に従いさえすればよい

 阿倍野教会は大正8年、巴通り(現在の近鉄百貨店南側)に布教の第一歩を印されました。しかし近くのお教会より「教会設立の願いがあるならば、8町離れなければなりませんので、他へ移って下さい。」と言われました。初代教会長伊藤徳次師、二代教会長伊藤コウ師はそのお言葉を有り難く受けられ、吉野通り(阿倍野区)へ移られました。

★吉野通りのお広前は炊事場もなく、二階の物干しに場に七輪と水を持って上がって、炊事をしなければならないようなところでした。借家でしたので、月々の家賃を払わせて頂くのが精いっぱいでしたが、その頃から、「百畳のお広前を立てさせて頂きたい、千坪のお土地を頂きたい」と願っておられました。現実からは程遠い、大きな願いでしたが、初代教会長先生・二代教会長先生がご修行して下さり、有難いことに現在の阿倍野教会のお広前を神様が建てて下さったのです。

★『とかく自分の得手勝手ばかりいうたりしたりするから、辛いのじゃ。ご信心しておるものは、神様のご都合に従いさえすればよいのじゃ。そうすればようなってくる。』

★「他へ移って下さい」と仰って頂いた時に「これは神様からのお知らせだ」と理解なされ、不足を言わずさっと従わせて頂かれたことが有難いですね。辛抱すべき時は、神様のさせなさるご修行だと思って辛抱させて頂かれ、つまらない争いはせず、お徳を失うことをしないように心掛けて下さり、陰で徳を積むことに心配りをして下さったのです。

★『世の中に表行はだんだんする人があります。寒行して拝んで歩行しておる人もあるが、心行というて、人を不足に思わず、物事に不自由を行とし、家業を働き、身分相応を過ごさぬよう倹約をし、だれにも言わずに行えば、これ心行なり』生活の中に足ることを知って、分相応の生活をさせて頂くようにと教えて頂いておりますが、なかなか難しいことですね。歴代教会長先生のお姿をしっかりと見習わせて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きたいと思います。

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2019年05月30日

●親に孝養を尽くす

5月29日は、阿倍野教会の信徒総代をなさった山階芳太郎氏の御命日でした。

★山階氏は、若い頃に実母を亡くされ、義理のお母さんに育てられ、義理の弟さんが出来られました。その義母はいつも義弟ばかりを大事にし、自分は疎んじられていると思って僻んだ山階氏は、10代の終わりに家出をし、30年間以上も音信不通となっていました。成功して親を見返してやりたいという思いが強くあった山階氏は、小さな鉄工所を営んでおられましたが、多額の借金を抱え、中之島公園でアイスクリームを売って、日銭をかせいで生活をしなければならない苦しい状態であられたのです。

★49才の時に伊藤ハル刀自(二代教会長伊藤コウ師のご母堂)にお導き頂かれ、「何十年も音信不通になっているとは、どれ程親は心配されていることでしょう。それは親不孝の極みです。そこにあなたが結構にならない元があるのです。根性を改めなさい!親の御恩のわからない人間に、どうして天地の親神様の御恩が分かるでしょうか!相手がどうあろうと、親は親です。まず両親にお詫びに行かせて頂き、安心して頂きなさい。これからは親孝行させて頂けるように改まりなさい。」と熱心にみ教え下さったのでした。山階氏は、ハル氏のみ教えを素直に頂かれ、早速実家に戻られお詫びをされました。しかし、何十年も心が離れてしまった状態であった為、なかなか信用して頂くことが出来られませんでした。その中を、「親孝行出来ますように。」とお願いされながら、どこまでも真心で孝養を尽くされたのです。

★山階氏は一心にお詫びをなさり、道に落ちている古釘さえも拾って拝んでおし頂くように変わってゆかれ、身を粉にして働かれたのでした。鉄工所は10年の間に目覚ましい発展を遂げ、従業員100名を超える大きな工場に繁盛のおかげを頂かれたのです。また、お義母さんに対しては安心して喜んで過ごして頂けるようにと、家の一番日当りの良い部屋を用意し、会社の後継は、義弟に任されたのでした。

★『神の恵みを人知らず。親の心を子知らず。』というみ教えがあります。神様から喜んで頂くためには、親の心をまず分からせて頂くことです。親を思い、親の為に真心を尽くしておりますと、神様が喜んで下さり、自分自身の身にもおかげが頂けるのですね。
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2019年05月29日

●受け物にヒビが入っていることに気付くこと

 伊藤コウ師が小学校にお勤めになっておられた頃、知人に聞いてこられた話を、伊藤ハル刀自(伊藤コウ師のご母堂)になさいました。それは、電車の乗り換えの回数券の使い方をごまかせば、実際に支払う料金は少なくて済む、という話でした。

★その話をじっと聞かれて、ハル刀自は、「いくら勉強が出来ても、立派な仕事に就いても、天地の道理が分からせて頂けないことは、情けないことです。電車というのは、あの大きな車体を製造して、高い地代を払って線路を敷き、高い給料を払って運転士やその他の人々を雇い、育て、その他あらゆる人々のお世話になって、初めて走らせることが出来るものです。私たちは、切符を買ってじっと座っていれば、下駄も着物の裾もすり減らすことなく、行きたいところに連れて行って頂ける。その御恩の万分の一にも満たない御礼としての運賃を、更にごまかすとは、鉄道の会社に、また社会にめぐりを積むことになるのです。自分の積んだめぐり(社会や鉄道会社に対する借金)は、必ず先々に、お金で、あるいは体(怪我や病気、交通事故など)で、返さなければならなくなるのです。」と教えて下さったのでした。

★誰もが、知ってのご無礼、知らずのご無礼が、どれ程あるか分かりません。また、自分自信のことだけではなく、先祖代々のご無礼不行き届きを、我がこととしてお詫び申し上げる心にならせて頂くことが大切なのです。そして、天地のお恵みを受け通しに受けて、今日生かして頂いているお礼を申し上げ、お礼の働きをしっかり心掛けさせて頂きたいと思います。そのようにして、おかげの受け物をしっかり作らせて頂けば、正しいお願いを持たせて頂けるようになり、いくらでもおかげは頂けるのです。

★『氏子はかわいそうなものである。瓶にヒビの入っていることに気がつかずに水を汲み込んで安心しているから、蓋を開ければ空っぽである。水を汲み込む心で焼きつぐ心になれば良い。』

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2019年05月28日

●日々新たに、自分自身を見直してゆく

竹中哲哉氏は、お仕事の上で研究なされて、60才で工学博士になられた方ですが、(株)クボタに勤務なされておられましたが、系列会社の赤字の会社に、次々と出向されて黒字に転換なされました。会社の在り方を一つ一つ見直されて、健全な財務内容になるように改革していかれました。難しい・厳しい状態の中に行かされ、一つの会社が良くなると、次の赤字会社に社長として出向かれたのです。普通なら「皆が嫌がる仕事を、何故自分が重責を担わなければならないのか?」と断りたくなるところです。しかし、神様の「貴方なら出来るでしょう」との思召しがあって、神様から与えて頂いた仕事として、有難く拝んで受けてゆかれたのでした。

★竹中氏は毎日朝参りをなさって、頂くみ教えをいつも日々新しく自分の心に頂き直されたのでした。そして常に油断なく御祈念を先にさせて頂かれ、心に気付かれたことはすぐメモに書き記して、神様がお知らせを下さっているところを受け切ってゆかれました。竹中氏は、常々「70才も越えたこの年齢になって、しかもこういう立場になりますと、人が厳しく教えて下さるという事は、まずありません。しかし、毎日み教えを頂くことはありがたいことです。教祖様のみ教えは、天地の道理を説いて下さっているみ教えでありますから、常にありがたく、常に新しく頂き直しております。」と仰っておられました。様々な切り口からみ教え下されるので、「このように頂き直してゆけばよいのか…」「こういう御意味であられたのか…」と、今まで解らなかったところを新しく見直してゆかれたのです。

★人間は完全無欠ではありません。至らないところを、お広前でみ教えを頂いて教えて頂くこともありますし、人から注意して頂いて教えて頂くこともあります。神様が教えて下さっていると思い分けが出来れば、人の意見を素直に聞くことが出来ます。『我、日に三省す』という言葉がありますが、それは「一日に三度省みる」ということではなく、「一日に何度も省みる」という意味です。常に自分自身の心の内を見つめ直し、反省と改まりを重ねてゆきながら、信心を進めさせて頂きましょう。
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2019年05月27日

●日々神様にお願いして責任を持ってさせて頂く

 三代教会長先生は十代の御頃から、「日常の心得」を決めておられました。
1、今日出来ることは明日に延ばさない。(するべきことをきちんと計画を立てて、今日出来ることは、今日するべきこととしてさせて頂く。先延ばしにしないよう心配りが出来ていると、突発的に起こってきたことでも間に合うように対応することが出来、良いチャンスも逃さずつかませて頂くことが出来るのです。)
2、何事も好きなことをする気で喜んでさせて頂く。(趣味など自分の好きな事であれば、どれだけしても疲れませんね。不得意なこと嫌なことでも、得意なこと好きなことと同様に喜んでさせて頂けるように稽古をすることが大切です。)
3、お金、時間、ものを無駄にしない。(全てのものを生かして使わせて頂く稽古をする。それを心がけていると、神様から必要な時に、必要な物を与えて頂けるようになるのです。)
4、目前の事に迷わない。(物事を決断させて頂く上で、み教えに基づいた決断をさせて頂く。そのために、日々み教えを頂く。)
5、腹が立てば3度「金光様」と唱えさせて頂く。(3度で治まらなかったら10回御祈念させて頂く。それでも治まらなければ、20回でも30回でも何度でも唱えさせて頂くのです。そうしますと、人にではなく、神様に心が向かせて頂けるようになります。)

★三代教会長先生が二代教会長伊藤コウ師に、「先生の仰るお話には、奥に奥があり、とても深いご意味を悟らせて下さいますが、どうすれば、そのようにならせて頂けるのでしょうか?」とお伺いされました。すると、コウ師は「神様にお願いさせて頂いていると、自然とそうならせて頂けるのです。」と仰せられました。お願いなさっているご内容を学ばせて頂く必要がありますね。自分でするのではなく、日々神様にお願いしてさせて頂くことを稽古させて頂きましょう。

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2019年05月26日

●神様に心が向かうように正しいお導きを

羽衣教会二代教会長、松岡安枝師は、ご結婚なさるまで、お母様と一緒に阿倍野教会で熱心にご信心をなさっておられました。しかし、一生懸命働いても楽になられることがなく、お母様も肺結核を患っておられたのでした。日々み教えを頂かれて、「ご信心させて頂いて我が家のめぐりをお取払い頂こう」と決心するに至られたのです。

★そこで、すでに亡くなっておられたお父様が、残された負の遺産である多額の借金を、返済する覚悟をなさったのでした。そのことをお結界で二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さったのです。当時の月給から考えますと、とても3年で返せる額ではなかったそうです。

★そこで、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られなかったのでしょうか?」と尋ねられますと、「あなた、そろばんを離しなさい。親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通しておかげを授けてやろうと、おっしゃっておられるのですよ。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と、正しい信心が出来るようにお導き下さったのでした。

このことによって、迷わず一心に神様におすがりなさることが出来られるようになり、返済が済むまでは、ご自分のものはたとえ靴下一足でも購入しないと決められ、お母様も病院に通わずに、ご神前にお供えなさった塩水で喀血を止めて頂く覚悟をなさったのでした。またお母様は、大好きな甘い物を買ってまでは食べないということを、神様とお約束され御修行なさったのです。

★ある時、神戸にある会社の社長さんの所へ借金の一部を返済しに行かれたところ、「親の借金を相続して返済なさるとは、感心なお心掛けですね。これをお父さんのご霊前にお供えなさって下さい」と、風呂敷包みを渡して下さいました。なんと、借金の全額の証文と、返済した以上のご霊前のお供えを包んで下さっていたのでした。そのように安枝師の真心に、先方が真心で応えて下さり、無事に全ての借金の証文が手元に戻ってくる大みかげを頂かれたのでした。

★不成の心をお取り払い頂くように、毎日稽古をさせて頂くのが、今月今日のご信心です。「これはとても出来ない、無理だ」と思ってしまうことが不成の心ですね。不成の心は誰にでも起こりやすいものです。しかし、それは常の信心が足りない姿なのです。「足らん足らんは信心が足らん」「足らん足らんは真心が足らん」と教えて頂いております。心と体の掃除をするつもりでご信心をさせて頂きましょう。
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2019年05月25日

●日に日に悪い心を持つなよ

 教祖様は『日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない。』と言い抜いておられました。このみ教えを頂かれたお方が、更に「それでも向こうが悪い心を持ってくれば悪い心になります。」とお返事をなさいますと、『それでも、悪い心を持ってはいけない。良い心をもっているようにしなければ』とみ教え下されたのでした。

★徳を失い、信用を失ってしまう生き方とは・・
一、約束したことを守らない。・・・自分の都合を先に立てて、約束を守らない様では、神様からも人からも信用を失ってしまいます。
一、財の恨みを作る。・・・貸したお金はあげたと思う。借りたお金は期限の三日前に返す。(この三日が真心を添えることになる)
一、人を捨てる。・・・人を利用するだけ利用して、必要なくなった後は面倒をみない、というようでは、めぐりを積んでしまう。
一、利欲を専らにする。・・・自分に利益があるか無いかで、全てのものごとを計らない。
一、いい加減な振る舞いをする。・・・事の大小にかかわらず、自分の言動にきちんと責任を持つよう心掛ける。
一、己の善を伐る。・・・「自分はこれだけ良いことをした」ということを、自慢しない。
一、恨みを蓄える。・・・事柄や人に対して恨みを持たないように。

★ご信心が抜け、難儀から更なる難儀を生む生き方に陥ってしまうのは、恐ろしいことです。教祖様は、『日に日に悪い心を持つなよ』と、み教え下さっておられます。何が起きてきても、「神様にご安心頂け、ご信用頂けるように」ということを心の中心に据えさせて頂き、たとえ人から悪く言われたり、理不尽に思える出来事に遭遇しても、自分のご修行として、信心を持って有り難く受けさせて頂いておりますと、そのご修行は神様が必ず受け取って下さり、後のおかげにつながるのです。

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2019年05月24日

●痛い・辛いという時こそ、生かして頂いている有り難さを感じる

先日、ある方が「現在、耳鳴りがして気になっております。何かに打ち込んで集中している時には気にならないのですが、ゆっくりしている時に気になります。気になって気になって仕方がありません。」とお届けされました。

★そこで[私もたまに耳鳴りすることがあります。しかし、「金光様有難うございます」と、御礼申しながら気にしないようにしておりましたら、いつの間にか治まっています。24時間ずっと耳鳴りがしているわけではなく、何かに集中している時には気にならないのでしたら、しっかりとお参りや御祈念に集中させて頂きましょう。耳鳴りがすると言いましても、ちゃんと耳は聞こえさせてもらえることを喜ばせて頂きましょう。気になって寝られないということもないのでしたら、休ませて頂けること、食事もきちんと頂けることを喜ばせて頂きましょう。日々の生活で、御礼申しながらお掃除をさせて頂き、御礼申しながら洗濯や炊事をさせて頂いて、一生懸命御礼申すことを稽古させて頂いたらどうですか。]とお話しさせて頂いたことでした。

★私が中学生の時、バレーボールぐらいの大きさのボールが耳をかすめ、その陰圧で鼓膜が破れ二等辺三角形の穴が開いたことがありました。すぐに学校から耳鼻科に連れて行って下さり、診察して頂きますと、医師より「鼓膜が破れています。」と診断を受けました。そして「体から体液が出てきて、瘡蓋が出来るように破れた所に膜が張って、自然にふさがりますよ。」と言って頂きました。しかし、音が気になり、痛みが生じて、学校の授業を受けていても集中出来ませんでした。それから、毎日ご神酒を付けさせて頂いておりますと、自然と鼓膜が塞がり、今日まで何の支障もなしに使わせて頂いておりますことは、真に有難いことです。

★「あちらが痛い、辛い、苦しい…」ということが起こってきますが、現在お生命を頂いているからこそ、痛いことや辛いことが経験させて頂けるのです。み教えを頂いていると、痛いことや辛いことが先に立つのではなく、お生命を頂いていることを先に御礼申すことが出来るのです。100のうち99までおかげを頂いているのですが、その御礼を申すことよりも、目の前に起きてくる1つの物事に心がとらわれてしまいがちです。「今日もお生命を頂き、働かせて頂いて有難うございます。」と、まず先にお礼を申して生活することを、繰り返し繰り返し稽古させて頂くことを心掛けましょう。
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2019年05月23日

●心のこりを取る

あるご婦人が入信以前のことですが、ご主人が借金をして事業を行い、失敗して借金が増え、また借金をして違う事業を行い、失敗して借金が増えるという事を繰り返し、生活が行き詰まって大変な苦労をなさいました。その結果、離婚してしまわれ、大阪で子供と生活する事になりました。その後に、阿倍野教会にお引寄せ頂かれたのでした。阿倍野教会に参拝なされた当時、ご婦人は体のあちこちに病を患い、子宮には大きな筋腫が出来、大変苦しい思いをしておられました。

★当初は、「別れた主人が私を苦労させた。あの人が悪い」と、心が不平不満・憎しみで一杯だったその方が、み教えを頂くうちに、有難い心にならせて頂かれ、「このお道でおかげを頂こう!」と覚悟を決められたのでした。それからというもの、日参と聴教に励まれ、お取次を頂き続け、心にみ教えの肥をして頂いて、有難い心に生まれ変わっていかれますと、病も一つ一つ全快、根切れのおかげを頂いていかれたのでした。

★ある時、その別れたご主人が「お金を貸して欲しい」と来られたのです。ご信者は「かわいそうやなぁ」と思い、生活費を助けてあげられました。すると次は、一緒に住んでいる女性を連れて現れたのでした。ご信者は、「今はこの方が私の代わりに苦労しているのだなぁ。かわいそうになぁ。」と思われたそうです。そしてその女性に親切にしてあげられたのです。そこまで慈愛に満ちた心に変わられたのでした。晩年には「あの主人がいたからこそ、金光様のお道にお引寄せ頂けた。私にとっては恩人です。」と仰るまでに、すっかり心のおかげを頂かれ、90歳を超えるまでご長寿のおかげを頂かれました。

そのお方の娘さんは、後に「母は父を恩人だと言っていましたが、私にはとてもそうは思えませんでした。しかし、母の姿を見させて頂いておりますと、ご信心によっておかげを頂いたのだ、ということがよく分からせて頂けます。」と仰っていました。日々み教えを頂いて、心に栄養を頂くことで、恨み、憎しみ…といった心のしこりが取り払われ、慈愛の心に満ちて、さらには相手の助かりを祈ることが出来るようになるのですね。

★『どんな物でも、よい物は人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人にやるのでも、自分によい物を残しておくような事ではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。』

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2019年05月22日

●仕返しをする心を取り去る

近藤藤守師が、より一層のご神徳を頂いてお取次の御用にお使い頂きたい一心で、山に入って浮世を離れ、ご修行させて頂きたいと、教祖様に申し出られた時のことです。教祖様は、『それは結構である。しかし、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたら、それでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう』とみ教えを下さいました。

★また、教祖様は津川治雄師に対して、大切なみ教えを残して下さいました。『このお広前へある山伏が来てかれこれしたことは、よくご承知であるが、これを自分が腹を立ててかれこれしてはいけない。これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。』

★教祖様は山伏が荒しに来た時も、命の危険があられた時も、ぼた餅に毒を盛られた時にも、腹を立てられることもあられませんでしたし、仕返しをしてやるという心にもなられませんでした。それは神様がさせなさるご修行であると、有難く受け切っておられたからです。

★自分の意に反する事がありますと、つい反論したり、仕返しをしてしまいます。そこを、じっとご祈念してご修行させて頂くのです。すると段々と仕返しをする心が取り払われてゆきます。「仕返しをしなさんな」ということは世間一般でもよく言われることですが、「仕返しをする心を取り去りなさい」というみ教えの中に、教祖様が神様を目当てになさり、どのようにご修行されてお徳を積まれたのかがよく分からせて頂けますね。

★[ある時参拝の節、金光様に「あなたでも腹の立つことがありますか」とお尋ね申し上げると、「はい、私も耳があり目があるから、心に障ることもある。けれども神様が『腹を立てるな。腹を立てるな』と仰せなさるので、腹は立てられない」と仰せられた。]
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2019年05月21日

●おかげは和賀心にあり

 19日には、阿倍野教会・天地金乃神大祭を5月11日に無事にお仕えさせて頂きました、お礼の御本部参拝を皆様と共におかげを頂きまして、真に有り難いことでございました。

★金光英子先生に、無事参拝させて頂けたお礼のご挨拶をさせて頂きました時に、大変興味深いお話を聴かせて頂きました。御霊地のある浅口市の辺りは稲作が盛んで、古くから田植えの時期を迎える頃に、その地域の一番高い山(龍王山)に村人皆で登り、雨乞いをして、皆の田んぼが無事に田植えが出来、豊作であるよう祈ったそうです。そしてその後、共に食事をしたそうですが、それを「角落とし(つのおとし)」と呼んだそうで、普段どんなに馬の合わない人、仲の悪い人がいたとしても、その相手に対する「鬼」のような心を取り払って、一丸となって田植えに臨もう、というものだったようです。田植えは、皆の協力なしには到底出来るものではなく、また、良いタイミングを少しでも逃すことは許されない大切な作業ですので、そのような慣習があったと考えられているようです。近年まで小学校の遠足もこの時期に「つのおとし」と呼ばれていたそうですから、親から子へ、子から孫へと伝える意味で大切になさっておられたと感じられます。大変興味深く思わせて頂きました。

★私達お道の信者は、お広前に参拝させて頂き、日々己の不成心をお取り払い頂けることは、どれ程有り難いことでしょうか。信心が抜けますと、知らず知らずのうちに心に雲がかかり、慢心、腹立て、憎しみ等の不成心が大きくなるのです。『生神金光大神 天地金乃神 一心に願 おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい』教祖様は、この天地書附を、いつも心の守りとするようみ教え下さっておられます。大きなことから小さなことまで、日々油断なく生神金光大神様のお取次を頂き、神様に一心におすがりさせて頂きながら、和らぎよろこぶ心にならせて頂くことによって、家庭においても、地域社会においても、職場、学校においても、周囲の人々と円満におかげを頂き、自分の能力も十二分に発揮させて頂いて、神様の御庇礼が輝きわたるようなおかげを頂くことが出来るのです。

★『家内中、神のことを忘れるな。何事あっても人を頼りにすな。全て神に任せよ。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱をせよ。とにかく、内輪きげんようにいたせ。もの言いでも、あなたこなたと丁寧に。何事もあだ口を申すな。』

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2019年05月20日

●神様にご辛抱頂いている私達

昨日には、団体列車とバスが無事運行のおかげを頂き、天候を初め万事万端に御都合お繰り合わせを頂きまして、御本部御礼参拝をさせて頂くことが出来ましたことは、大変有難いこととお礼を申し上げております。

★私は御霊地にお参りさせて頂きましたら、「あの時ここであのようなみ教えを頂いたなあ」と振り返らせて頂くことが多くあります。三代教会長先生が御在世中、御霊地にお参りさせて頂きまして、三代教会長先生がお広前に上がらせて頂かれ、ご祈念の準備や心中御祈念をなさっている時に、私はお広前の絨毯のところでご信者さんに挨拶をしておりました。

私が学校へ勤めていた時の同僚であられた方が、当時学院生として御本部でご修行なさっておられたのですが、私に近寄ってこられ「親先生が御神前に向かってご祈念なさっている時に、あなたがご信者さんの方を向かっていたらいけませんよ。方向が違うじゃないですか。」と注意をして下さったのです。その時に「確かにその通りだな」と思わせて頂いたことでした。

自分は正しいと思ってさせて頂いていたことでしたが、神様のお目からご覧になられたら違うのだろうと感じました。学院生の方の口をもって神様から教えて頂いたことでした。「そのようには気が付きませんでした。有難うございました。」とお礼を申させて頂いたことでした。今でも御本部のお広前の絨毯に上がらせて頂く時に思い出させて頂くのです。

★自分自身がどこまでも至らないながらも、お許しを頂いてご辛抱頂いているのが私達氏子です。そしてそこを足して頂いておかげを頂いていくのが、御取次を頂くということです。ですから、遠慮なくお願いをさせて頂いてどんどん足して頂けば良いのです。そうしましたら、有難いおかげを頂けるのです。

★我を放して、自分の心の中にある不必要なものをお取り払い頂く稽古をさせて頂くことが、毎回の御本部参拝です。その道中でも御霊地でも、各自がご修行をさせて頂く心持ちで参拝することによって、おかげを頂く受け物を作らせて頂くのです。
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2019年05月18日

●み教えを頂いて正しい願いを持つ

阿倍野教会に入所された修行生が、布教に出られる時のことです。

★二代教会長伊藤コウ師に「私は、先生と少し違う考えを持っております。最初から大きな教会を建てて、そこで布教させて頂きたいと思っております。」と言われたのです。コウ師は「そんなお金はどこから持ってくるんですか?」と聞かれたのです。修行生は「いいえ、私はお金は持っておりません。しかし、ご信者から土地も借りて木材も借りて、立派な教会を建てて布教しようと思っています。」と答えられたのでした。

★それを聞かれたコウ師は「あなたの考えはよくわかりました。それではあなたの思う通りになさったらよろしい。その代わり、今後一切あなたと阿倍野教会とは縁を切ります。あなたとの関係は、師匠と弟子でもない。そんな方針は阿倍野教会にはありませんから、道が違います。広い世の中、あなたと同じ考えの人があるでしょうから、そんなお師匠さんを探しなさい。」と仰ったのです。修行生は「私の考え違いでありました。み教えを頂いて、目が覚めました。お許しください。人から借りて人に用意してもらうという事はいたしません。いくら外側の入れ物ばかり立派にしても、中身が伴わず、徳も力もない私ではお役に立ちません。」とお詫び申されたのでした。修行生は心を改められて小さな家を借りられ、一から一つ一つ積み上げられ、布教所を開設されました。そして、7年後には次のお広前に移られて教勢発展を遂げられたのでした。

★何事も物事を進める上で、み教えを頂くという事は大変大切なことです。方針や願いを間違えますと、横道へ反れてゆきます。そこを、お取次ぎ・み教えを頂くことにより、正しい願いを立て直すことができ、おかげを頂く道に進ませて頂くことができるのです。頂いたみ教えが窮屈に思えたり、厳しいように思えますが、先々結構にならせて頂く道を教えて下さっているのですから、有難いことですね。
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2019年05月17日

●仕事は神様のお手伝い

 阿倍野教会では、毎月16日に婦人会例会が開催され、ご信者の有り難いおかげ話を聴かせて頂きます。皆さんそれぞれに、生活の中にご信心を現わされ、ご自分だけではなく、ご家族、ご親族、縁に繋がる方々が次々とおかげを頂いておられるお話を聴かせて下さり、真に有り難いことでございます。

★『女は世界の田地である。世界の田地を肥やしておかねば貴いものができぬ。女は家の家老じゃ。家老がようなければ城がもてぬというが、女がようなければ家がもてぬ。』女性は、子供をお腹に宿し、出産し、母乳を与えて育てる力を神様から与えて頂いておられます。また家庭の主婦のお役目としては、家族全員の食事を作ったり、洗濯・掃除をして衣類や部屋を清潔に保ったり、和顔愛語で、家庭に起こる様々なことに柔軟な心で対応させて頂かれることによって、家中の衣食住全てにご信心が行き渡り、尊い働きとなるのだと教祖様は教えて下さっておられます。

★甘木教会の初代教会長・安武松太郎師は、「神様の大御陰の一端にも報いさせて頂きたいと、形に現わすのが仕事。食べるためだけの働きなら下等動物でもしている。天地のお働きの一端を担わせて頂けるよう、神様にお使い頂くのが人のさせて頂くべき『仕事』というものである。」と、み教えくださっておられます。農業、漁業、医療、サービス業、全ては神様のお働きのお手伝いをさせて頂くというのが、仕事の根本なのです。「徳も力も足りない私に、結構なお役目を頂き有り難うございます。どうぞ、神様のお働きのお手伝いが十分にさせて頂けますように」という謙虚な心で、実意丁寧に与えて頂いた家業を務めさせて頂いておりますと、そこに神様のお徳が現れ、足りないところは神様が足して下さり、有り難い働きをさせて頂くことが出来るようになるのです。

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2019年05月16日

●胎教の大切さ

二代教会長伊藤コウ師は、胎教の大切さについてみ教えを下さっています。

★あるご信者は、男手ひとつで育てた息子さんが、成長するに従って親の言う事を聞かなくなり、父親を呼び捨てにし、挙句の果てには暴力を振るという始末でした。

大変辛く悩まれて、「あんな息子とはもう一緒に暮らせません。仕事も出来ません。」とお届けされました。すると、お結界の先生は「しっかりとお詫びをしなさい。あなたが悪いのです。」とみ教えを下さり、そのご信者はハッと気づかせて頂くことがありました。

★そのお方は、結婚した時からお嫁さんの事が気に入らず、離縁したいと思っておられました。その中で奥さんが妊娠されたのです。その時に、ご主人は『この子が流れてくれれば離縁が出来るのに…』と思っておられたのでした。

生まれてからは我が子が可愛く、奥さんが亡くなられてからも一生懸命育てて来られましたが、お腹の中にいた頃に、自分が子供に対して何を思い、何をしたのかを振り返り、心から神様にお詫びを申されました。

家に帰り息子さんの前に手をついて、事の次第を打ち明けてお詫びを言われました。それ以降、有り難いことに息子さんがころっと変わって下さったのでした。

★コウ師はこのお話から、神様から子宝を授けて頂き、胎内で成長する間に、親としてどのような生き方をするか、どのような願いを持ち、成長させて頂かねばならなかったのかを教えて下さっています。

また、『三つ子の魂百まで』と申しますように、幼少の頃の信心教育がどれほど大切であるかをしっかりと親が自覚させて頂き、日参聴教、家庭での信心教育を進めさせて頂くことが大切ですね。

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2019年05月15日

●願いの中心を定めて

『子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ。』

★産まれてきた時には「神様から授かった。有難い!!」と思っておりましても、だんだん発育して自我が芽生える頃になりますと、親は「私が産んだ、私が育てた」と自分勝手なことを言い出し、親の権力を振りかざして、独善的な考え方で物事を判断し、育ててしまっては神様に対して大変な御無礼です。何が間違っているか、何が御無礼の元なのかは、み教えを頂いていかなければ分かりませんね。

★親が子供の真心を育てていかなければならないということ、親自身が改まっていかなければならないということを、分からせて頂かなければなりません。自分自身のこれまでを振り返りましたら、神様に辛抱して頂いていることばかりで、お詫び申す他はありません。そしてそのような中でも、日々生命を保って頂き生かして頂いていることに対して、お礼を申し上げる他はありません。ですから、お願いの中心として「どうぞ神様にお喜び頂けるような本当の信者にならせて下さい。ご恩返しと親孝行がさせて頂けますように。どうぞご無礼不行き届きな生活は改まらせて頂いて、神様にご信用頂けるような氏子にならせて頂けますように。そして代を重ねて末代まで、そのような子孫にならせて頂けますように。神様の御神徳が満ち満ちてある家に変わらせて頂けますように」とお願いをさせて頂くことが大切です。その本筋のところから出てきたお願いというのが「体の丈夫・子孫の信心教育・豊かな生活・平和円満・徳と力」であるべきなのです。

★中心のところがしっかりしていませんと、本当の大きなお願いというのは立てられません。すべてのお願いが神様のお心に適うような願いになっていくためには、目先のことや少々のことに捉われて、右往左往してしまう生活になってしまってはいけません。生涯かけて願い続けて、次の代もその次の代も願い続けさせて頂けるよう、ご信心を進めさせて頂きましょう。

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2019年05月14日

●周囲の人の助かりを願って

過日、出野氏の2年祭がお仕えになられました。出野氏は大変熱心なご信者で、京都府に転宅なさっても、毎朝日参と聴教に励まれ、周囲の方々をお導きなさったのです。三重県名張に引っ越されても毎朝参拝され、その道中の電車の中で親しくなられた方々に親切丁寧になさって、その方々の悩んでおられることを親身になって聞かれ、助かりを願われたのです。そうして、親切になさる出野氏のお人柄によって、「是非ともお参りさせて頂きたい」と願われ、お導きが出来てゆかれたのです。共に手を取り合って参拝なされ、有難いみ教えを頂かれまして、それぞれのご家庭が立ち行きのおかげを頂くことになり、今日も信心が続いておられるのです。

★あるご信者が、二代教会長伊藤コウ師に「未信奉者の方をお導きさせて頂きたいのですが、どのようなことを心掛けさせて頂いたら良いでしょうか?」とお伺いされますと、コウ師は「それは、その方の助かりをお願いしながら、親切にさせて頂くことが一番大切です。」とみ教え下さったのです。また、「お導きは自分でするのではなく、神様にお願いしてさせて頂くのです。神様がさせて下さいます。」と教えて下さいました。神様にその方の助かりを一心にお願いながら、どんな方に対しても変わりなく親切丁寧にさせて頂きましょう。人のことをお願いさせて頂けるということは、心が広く大きくなっていくのです。自分のことだけを考えていないという姿です。人のことをお願いさせて頂くことによって、自分の受け物を大きくさせて頂くことができ、心も身体も健全な状態にならせて頂くことができるのです。一人でも多くの方が立ち行かれますように、お導きの御用に使って頂いて、今日までおかげを頂いてきた御礼の信心をさせて頂きましょう。

★『氏子がおかげを受けてくれなければ、神様も此の方もうれしくはない。氏子がおかげを受けずに難渋しているようでは、神の役目が立たない。氏子が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない。』

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2019年05月13日

●私の信心が一番至らない

 11日の天地金乃神大祭には、さわやかな快晴のおかげを頂き、各種交通機関に大きなトラブルもなく、ご信者皆様が参拝なさりやすい結構な環境を神様に調えて頂くおかげを頂き、何もかもが真に有り難いことでございました。足らないのは私の信心だけでありますことを痛感させて頂きました。

★私は、5月3日の朝から5日間ほど声が出にくくなりました。それから、乾燥が激しかったり大きく息を吸うと咳き込むようになり、御大祭の御用にご無礼の無いよう、日夜ご祈念させて頂いておりました。11日の御祭典当日、祭典前のご信者のおかげ話の前に神徳賛詞を奉唱させて頂きました時には、まだ咳が出ておりました。そこで、『どうでもおかげをいただこうと、九死に一生のお願いにご一心しておる時くらい、お礼が本気で申せたらなあ。願うことはすぐにできても、お礼は言えぬものかなあ。お願い一ぺんにお礼十ぺんというように、お礼を言う心が篤いほどご信心が篤い。ご信心が篤いほどおかげが篤い。』このみ教えを心に改めて頂き直し、万事万端に整えて頂いて、天地金乃神大祭当日をお迎えさせて頂いた御礼を申させて頂き、また、日頃のご無礼をお詫び申させて頂きました。そうしますと、御祭典中の祭詞奏上の時も、演台で挨拶をさせて頂く時も、咳き込んだり、声が出にくくなるということもなく、有り難いおかげを蒙らせて頂いたことでした。

★また、御祭典の直前に、97歳のご信者が、教会の正門を入ったところの石段でこけられ、頭から出血なさる怪我をなさいました。これも、私の御祈念の行き届きませんでしたことを神様にお詫びを申させて頂いたことでした。早速病院で診て頂かれたところ、ご信者自身の積み上げてこられたご信心のお徳と、御大祭のご庇礼によりまして、裂傷もなく骨にも全く異常なく、擦り傷だけで済ませて頂かれました。御祈念の行き届きませんでしたお詫びと、おかげを蒙らせて頂いた御礼を、改めて神様に申し上げたことでした。

★御大祭にお気付け頂いたことを、ここからのおかげにさせて頂けますよう、秋の金光大神大祭に向けて、私自身がしっかり改まらせて頂きたいと思います。

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2019年05月12日

●神様在られずして生きていけない

昨日は、皆様方のお手篤いご信心とお導きによりまして、 天候をはじめ全てに亘り万事万端ご都合お繰り合わせを蒙り、盛大に天地金乃神大祭をお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。また、ご信者皆様の真心からの御用奉仕に、心より御礼申させて頂きます。祭典後は、西宮教会長・西村憲正師より『道ひらけゆく』という御講題でご講話を賜りました。

★【『其方取次で、神も立ち行き、氏子も立ち。氏子あっての神、神あっての氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地(あめつち)のごとし、あいよかけよで頼み合いいたし。』教祖様の教えと信心生活の根本はなんでしょうか。立教神伝の中で神様と私達人間の間柄について最も端的に記されているのは『氏子あっての神、神あっての氏子、あいよかけよで立ちゆく』というところですね。私達は神様在られずして生きていけないものです。神あっての氏子というのは、一切が神様の恵みの賜物であるということです。天地に針一本刺したところも神様のお徳に漏れるところはないのです。それほど神様のお恵みに包まれ生かされている私達なのです。

★そんな中に住んでいる私達でありながら、衣・食・住、何かにつけて神様在られず生きていけないという自覚がどれほどありますでしょうか?例えば私達が物を見るということだけでも、神様から先を与えて頂いて見させて頂いているのです。見ようとしている私達の願いと、見させてやりたいという神様のお恵みの働きが合わさって、見えるということが可能になるのです。

★氏子と悩みも喜びも共にして下さる親神様でございます。『不信心者ほど神はかわいい。信心しておかげを受けてくれよ。』とまで仰って下さっておられるのです。信心している者はもちろん可愛いと思って下さっておられますが、不信心者であっても救われないものはないということです。神様に生かされて生きているということを知らないということが誠にかわいそうなことであり、このような難儀な氏子ほど助けてやりたいという御心から『信心しておかげを受けてくれよ』というやるせない親神様の願いが生まれてくるのです。私達が願う前にすでに神様の方から私達の助かりを願って下さっているのです。】との大変有難いご講話を賜りました。

★3年半後には有難いことに阿倍野教会は開教100年記念大祭を迎えさせて頂きます。今からしっかりとご信心を練り直しておかげを頂いて参りましょう。
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2019年05月11日

●本日は、天地金乃神大祭を奉行させて頂きます!

 皆様、おめでとうございます。本日は、立教160年記念の年、令和元年の天地金乃神大祭をお仕え申し上げます。結構な神様のご都合お繰り合わせを頂きまして、また、ご信者皆様の真心からのご祈念と御用奉仕を賜りまして、万事に整わせて頂いて無事に御大祭当日を迎えさせて頂きましたことは、真に有難いことでございます。

★私達は皆、天地金乃神様から生命と身体を授かり、天地のお恵みの中で生かされており、慈愛深く願いをかけて頂いている存在です。日々生かして頂いているお礼を申し、日々働かせて頂いているお礼に、そのご恩の万分の一でも報いる働きがさせて頂けますように、という心持ちで御用にお使い頂きましょう。天地の大祖神様への御礼の大御祭を、信奉者一同勢を揃えて有難く奉行させて頂きましょう。

★御大祭の一番のお直会はお説教で頂くみ教えです。ご祭典の初めから拝ませて頂き、お説教の最後まで聞かせて頂きましょう。そして、家族、親戚、お導きの方々、お知り合いなど洩れなくお伝えの上ご参拝され、御大祭の御庇礼を蒙られることをお願いさせて頂いております。

■午後一時より おかげ話 3名  
 井上英樹氏・川野陽子氏・岡崎康隆氏

■午後二時より 天地金乃神大祭 奉行

■祭典後説教 講題『道ひらけゆく』

■講師 西宮教会長 西村 憲正師

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2019年05月10日

●天地の賜り物を有難く拝んで頂く生活 

二代教会長伊藤コウ師のご母堂・ハル氏が入信の始めに、京都の北野天満宮の近くの長屋に引っ越しをされました時、その長屋の井戸が枯れていました。大変不便で、近隣にお水をもらいに行かなければならなかったそうです。ハル氏は御神殿に額づかれて「これまで、私共がお水に対してご無礼不行き届きを重ねてきたので、伊藤の家のめぐりがこのような形となって表れました。お礼の足らない生活、ご無礼の多かったことをお許し頂けますように。」とお詫びをなさいました。そして、毎日井戸の淵や周りを掃除され、井戸のふたの上にお供え物をさせて頂き、蝋燭を灯されて「どうぞ私共が改まったご信心をさせて頂きますので、枯れた井戸に水を湧かせて下さいませ。天地のお徳を表して下さいませ。」と、日々ご祈念を欠かさずされたのです。そうして諦めずにご祈念されておられますと、再び水が湧き出ることになったのでした。

★その後、ハル氏は大阪に引っ越しをされ、昭和2年旧広前が立派にご建築が出来た時、竹本駒三師より「ご隠居さん、随分ご苦労なさりお疲れでしょうから、懐かしい京都へ来て骨休みなさい。」と仰いました。そのお言葉により、ハル氏は京都の賀茂の教会へ参拝され、その間に以前住んでおられた長屋の井戸を見に行かれたそうです。すると、きちんと水が湧いていたのでした。

★そのお話を修行生の方に、「水のご恩をよくわからせて頂くということは,二度と水に困るということはありません。お金のご恩、仕事のご恩、これも同じことですよ。」と折に触れて聴かせて下さいました。そのお話を聞かれた修行生の一人が、信じ難いと思われ井戸を見に行かれますと、コンコンとそこに水が湧き出ており、納得されたということです。

★天地の賜り物(水や食物・空気や太陽のお照らし、お土地やお家…等々)を拝んで御礼を申して頂きますと、その中に含まれている天地のお徳を、体内に取り入れることが出来るのです。同様に、仕事も土地も家屋も人間関係も、全てに拝んで生活させて頂きますと、御神徳を蒙ることが出来るのです。御礼の足りないこと、無駄を生んでご無礼を積み重ねていることをお詫びし、万物を有難く拝んで頂く生活を心掛けておりますと、健康な体と健全な精神を保ち続けていくことになるのですね。
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2019年05月09日

●神様と共にある生活

 昨日はみかげ会例会が開催され、花岡氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。花岡氏は、ご信心のあられた奥様との結婚を機に金光教のご信心にご縁を頂かれ、少しずつ、お取次を頂かれ、お説教を聴かせて頂かれる中で、次第にこのお道のご信心の有り難さが分かっていかれたのでした。

★花岡氏は、平成24年に防衛省を無事定年退職なさいました。38年間勤められた間に、異動を12回、単身赴任を4回なさり、その都度仕事の上にも、人間関係の上にも、次々と難しい問題が起こってくる中を、いつも心中御祈念なさりながら、心も体も守って頂かれことを実感なさっておられます。ご祈念なさる時は必ず、「世界真の平和」と、「日本が絶対に戦争に巻き込まれませんように」と、願ってこられたということです。

★主に、福利厚生業務を担当なさっていたそうです。金銭を扱う業務が多かったということで、毎日「今日も金銭事故及び事務処理の誤りがありませんように。」と、心中御祈念を欠かさないよう業務に当たられ、実意丁寧に勤められたことにより、在任中一円の金銭事故もないおかげを頂かれたのでした。

★ご家族の上にも、それぞれのご両親に、ご夫婦そろって親孝行なさり、また、息子さんも子供会、男子学生会でご信心の稽古に励まれ、現在は小児科医としてお役に立っておられます。先日仕えられたお宅祭にも、息子さん家族もそろってご参拝になられ、大変有り難い心持ちで神様にお礼を申し上げられたことでした。みかげ会で毎日ご用にお使い頂かれ、朝参りを続けられて心も体も元気におかげを頂かれ、奥様も婦人会で御用にお使い頂かれ、家族勢信心で、結構におかげを頂いておられますことは、真に有り難いことでございます。

★『金光様は、有難き、恐れ多き、勿体なきの三きを備えて祈れ、一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、この有難き、恐れ多き、勿体なき三きの心に、新気、根気、(御礼の)働きが立ち添うてこそ一切成就の御信神がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

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2019年05月08日

●信心を基にした御用となるように

以前、楽人の御用をなさっておられたご信者が「どういう心構えで御用させて頂いたらよろしいでしょうか?」とお結界でお伺いしましたら、三代教会長先生は「信心をしなさい。信心を基にして御用をさせて頂くのです。お琴や笛が上手になるためにしているのではありません。信心をもって奏かせて頂く。家業でも同じことです。信心を基にして商売やお勤めをさせて頂いたり、家事育児をさせて頂いたり、家を守らせて頂く。すべてにおいて信心を基にしてさせて頂く事が大切です。」とみ教え下さいました。我流が出ないように練習を重ね、御礼の心に満ち満ちて、神様へ楽をお供えさせて頂くことが大切であることを教えて下さっています。

★御本部での御大祭で祭員に就かせて頂く際に、習礼があります。その時に、座り方、立ち方、尺の持ち方や礼の仕方などこまごました所作をご指導くださいます。今まで身についた癖がつい出てしまい、基本的な姿勢に全員が揃うには時間を要します。我流が出ないように、教えて頂いた所作を形に表せるように、素直に聞かせて頂きながら、改まった心で御用にお使い頂いております。当阿倍野教会においても御大祭の前日に習礼を行いますが、神様にご無礼不行き届きのないように、皆が心を揃えて信心を基にした御用にお使い頂くように習礼をさせて頂きます。

★どんな御用でも「毎年同じである」「これで大丈夫だ」と思わず、御神米をお伴して我流にならないように御祈念しながら御用に使って頂くところに、その真心を神様がお受け取り下さるのです。

★『信心も夫婦の間も同じこと、初めのことを忘れずにゆけ。』とみ教え下さっています。初心という字は、「しょしん」とも読みますが、「うぶ」とも読みます。初心には、純真さ、素直さ、謙虚さ、熱烈さ、相手を敬い立てる心という意味が含まれています。日々み教えを頂いて、初心を忘れず、教祖様のご信心に習わせて頂いて、金光大神流にならせて頂けるように、常に見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂いて、信心を基にした生活をさせて頂きましょう。

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2019年05月07日

●毎日のみ教えの頂きようが、大きな差となって表れる

 あるご家庭のお母さんが両手両足が動かなくなり、脳卒中の後遺症で言葉も出なくなり、心が荒んでおられたところをお導き頂かれたことにより、心が前向きに変わらせて頂かれ、ご自分でさせて頂くことが増えていかれるおかげを蒙られたのでした。おかげを頂かれ、多くの方が助かっていかれるようにと、お導きにも励まれましたが、娘さんのご信心が途中で止まってしまったのでした。それはこのお母さんが「親先生(伊藤コウ師)のみ教えは厳しい。確かに良い事を仰っておられるに違いないけど、そう簡単に出来ないわ」と家庭で仰っておられたそうです。

★このご家庭について三代教会長先生は「有難いものが自ずと伝わっていく、また伝えさせて頂けるか、そうでないかの違いが、ここで分かります。」と仰っておられました。『実に有難いみ教えだ』と有難く頂ける人と『そんな難しいことを言われても、とても出来ないわ』と不足になり、み教えそのものが重荷に感じられる人があります。その違いは顔にも言葉にも表れるのです。有難く頂ける人は、頂いた瞬間から顔つきが明るく変わり、目の輝きも違うのです。

★どうあってもご信心でもって乗り越えさせて頂いて、おかげにさせてもらおうという心持ち、その神様におすがりさせて頂く心が大きくなっていき、先々への希望の方が大きくなっていき、愚痴不足が出なくなっていくという在り方がおかげを頂いていく人の姿です。ですから、有難い結構なご信心が子孫にも伝わっていくのです。

★それぞれがおかげを頂いていくのに段階がありますが、一段一段向上させて頂かねばなりませんね。すべてのことにご意味があって、人が助かっていくように、育っていくように神様が願って下さってのことです。その有難いことがなかなか分からずに、「もっとこうしてほしい、ああしてほしい」とばかり思っていては、自分の成長はおろか、家も助かりません。そこにおかげを頂いていく毎日の生活にならせて頂けるかどうかの違いが生まれてくるのです。それが365日続いて1年となり、5年10年と続いていきましたら大きな差になっていくのです。毎日のいただきようが大切なのですね。

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2019年05月06日

●何事もお届をして、神様にお縋りする生き方

昨日は、真栄根会総会が開催され、川瀬氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★昭和39年7月、川瀬氏が5歳の時、麻疹にかかりひきつけを起こして命の危ないところを、隣に住んでおられた越宮つる氏に御神酒を吹き付けられ助けて頂かれました。そのお礼にお母様が教会にお導き頂かれたことにご信心の始まりがあります。

★川瀬氏が中学入学の年、枚方に転宅されて最初のお宅祭を仕えられた時、二代教会長先生から「将来の目標を今から決めて、それに向かって信心、勉強、御用に励ませて頂きなさい。そして毎週日曜日にはお教会にお参りさせて頂きましょう。」とみ教えを頂かれたのでした。川瀬氏は、その当時から、宇宙や空、航空機に興味を持っておられましたので、将来の仕事としてそこに目標を定められました。

★大学三回生の時、日本航空の航空機関士の募集があり、二代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと「自分の目標があるなら応募させて頂きなさい。そして神様が貴方にとってふさわしい仕事であるなら合格させて頂けますよ」と御教え頂かれました。心中ご祈念して受験し、無事合格させて頂かれたのです。航空機関士とは、飛行機の性能計算、飛行中の航空機のシステム管理、また緊急事態には原因をつきとめ、その対処を適切に行い、機長を補佐する仕事です。従って多くの知識が要求され、適切な判断、操作、報告が求められます。川瀬氏は、常に心中御祈念され、お取次ぎを頂かれて危ない所を間に合うように気付かせて頂かれ、危険を回避することが出来られたのでした。

★入社後13年目の時、会社から希望者にパイロットに職種移行する機会を頂かれました。三代教会長先生にお取次ぎ頂かれますと、「新しい職種でしっかり御用させて頂きなさい。」と御教え頂かれました。その後、日本とアメリカでの約2年間の訓練を受け、平成10年に操縦士として乗務を始められました。

★平成22年8月、会社の経営状況が思わしくなく、いろいろな情勢判断から希望退職を願われ、現教会長先生に、会社の経営状態やご自身の置かれてる現状などをお届させて頂かれました。すると、「すぐ退職の手続きを取り、後のことは、しっかり御祈念して神様にお任せし、時節を待ちましょう」と御教えを頂かれました。一か月後の9月初旬、早速希望退職の申請をし、11月末をもって退職する運びとなられました。退職日を控えた11月中旬、台湾のエヴァ航空がパイロットの募集をしており、早速会社説明会に参加されました。そして12月中旬、合格通知と翌月1月10日赴任の通知を頂かれたのです。その間に以前の会社は、希望退職しなかった五十歳以上の社員を整理解雇、そして一月に経営破綻したのでした。わずか一カ月で思いもよらない大みかげを頂かれたのです。

★振りかえられますと、最初の会社の入社時は二代教会長先生、パイロットへの職種変更時は三代教会長先生、そして希望退職からエヴァ航空入社時は現教会長先生と、ご自身の岐路に際して、歴代教会長先生のお取次を頂かれ、一番良き道にお導き頂いておられます。

★何事もお取次ぎを頂かれ、本心の玉を磨き、一生を通じてお徳を積むご修業に日々精励しておられるのです。
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2019年05月05日

●親孝行こそ繁盛の元

 三代金光様は『信心のある者とない者との違いは、親のある子とない子の違いがあります。』と仰せになっておられます。子のない人はいても、親のない人間はおりません。そこで、二代教会長・伊藤コウ師は、このみ教えのご意味を神様にお尋ねになられますと、「親のない子とは、親の御恩の分からない子。親のある子とは、親の御恩がきちんと分かっている子のことである」と、心に教えて頂かれたということです。生まれたばかりの赤ん坊は、お乳をもらい、着替えさせてもらい、泣いたら抱いてあやしてもらい、寝かしつけてもらい・・・と、お世話になることばかりです。子供は成長させて頂いても、親にお世話になり続け、心配して頂き、常に祈りを込めて頂いているものです。

★有り難い親様の働きを受け通しに受けておりながら、その御恩が分かっていませんと、あたかも親様がいないかのようなご無礼な生き方をしてしまうのです。二代金光四神様は、『神のことが知りたければ、親のありがたいことから先に知ったら、神のありがたいことも知ることができる。飛び越して、知れるようなことはない。』と、み教え下さっておられます。親孝行をさせて頂かずして、身に徳を頂く有難い道は開かれません。親様の御恩が分かり、親孝行を尽くさせて頂けるようになったら、神様の御恩も分からせて頂けるようになり、おかげを十分に頂ける受け物が出来るのです。そして、人様の御恩、地域社会の御恩、天地の親神様の御恩を感じさせて頂き、御恩に報いる働きをどこまでも心掛けさせて頂きたいと思います。

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2019年05月04日

●『ここへは信心の稽古をしに来るのである』

阿倍野教会ご布教の頃のお話です。

声帯が炎症を起こし、3年の間声が出なくなってしまわれた方が、お導き頂かれて参拝なさいました。「どうあっても声が出ますように」と初代教会長先生にお届けされますと、「一週間でおかげを頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★それからちょうど一週間目の晩のことです。休ませて頂いておりますと、いきなり大雨が屋根を叩き付ける音がしました。その瞬間、布団の中で「雨や!」と声を出させて頂けたのです。「なんと有難いことだろう!み教えを頂いた通り、日を切ってご祈念を頂いた願い通りに声が出させて頂けた!明日の朝、御礼参りに行かせて頂こう」と思い、そのまま眠りについたのです。すると、翌朝にはもう声が出なくなってしまっていたのでした。

★その旨を初代教会長先生にお届けされますと「どうして声が出たその時に、せめて布団から起き上がってご祈念させて頂いたり、服を着替えて戸口に出て、教会の方を拝ませてもらったりと、真心が表せなかったのですか?『朝になったらお参りさせてもらおう』というのは、確かに一般的な考え方のように思えますが、ご信心させて頂き、み教えを頂いていたら『どのようにして神様に真心を向けさせて頂くか』ということを毎日教えて頂いているでしょう。

おかげを頂いて『ああ、良かった』で終わってしまっていては、神様に申し訳ありません。神様が『あなたは、まだ真心を表す信心になっていませんよ』と教えて下さったのです。次におかげを頂くのは、今度は時間がかかりますよ。一からしっかり改まらせて頂きましょう」とみ教えを頂かれたのでした。

★その方はよく理解され、その後改まりのご信心を進められました。ある日、天王寺公園で友人と別れ際に『さようなら』と声が出させて頂けたのです。喜んで有難くて、さっそく電車に飛び乗って御礼参りをされたのでした。

★『ここへは信心の稽古をしに来るのである。まめな時ここへ参って信心の稽古をしておけ』とみ教えにありますように、日々稽古をさせて頂き、神様に通りの良い氏子にならせて頂きましょう。

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2019年05月03日

●日を切って願うことの有難さ

 川越氏のお祖母様は両足が不自由で、色々手を尽くされましたが、どうしても立つ事が出来られませんでした。教会で日を切って願うようにお取次ぎを頂かれ、教会の近くに住んでおられるお祖母様の御姉様の家に泊まられ、御姉様を初めご家族が代参をなさって、一生懸命神様に一心におすがりされたのです。そしていよいよ満願の日の夜中12時前に、川越氏のお店の方が家に人が訪ねてこられ、戸をトントンとたたかれたのです。お祖母様は、それまで立てる気配すらありませんでしたが、思わず「ハイ」と返事をして立って、土間まで降りて戸を開けられることができられたのです。なんとそれからというもの再発することなく、根切れのおかげを頂かれ、歩いて日参できるようになられ、神様の有難いことを五人のお子達に伝え、信心教育されたのです。そして、今日子孫の端々まで信心をさせて頂かれ、子孫繁盛のおかげを蒙っておられます。

★日を切って願わせて頂くことの有難いところは、満願の日まで信心の見直しができ、自ら進んで神様に心を向け、一心に油断なく御修行をさせて頂くことができるところです。その氏子の真一心の信心に神様が応えて下さり、身の上に御庇礼を表して下さるのです。

★福田美亮先生の「信者の心得」の中に、「大祭の意義と心得」として大切なみ教えを頂いております。

一、病人は大祭までに歩いて参るようになりたいとか、床払いをしたいとか、特に日を切って願っていれば、そのおかげは蒙れる。

一、農家では、大祭に供えるお初穂の栽培に丹精をこらし、漁業に従事する者は大祭に当たって特別の大漁を願っていれば、天地を自由にしていられる神の御庇礼を見せて頂ける。

一、事業家は、大祭を期して事業の一段の展開を願うなど、すべて信心の向上発展を神様に願いつつ、大祭を迎えるのである。

一、まつりはその日だけのことでなく、どうかお祭りまでにかくかくの信心に進ませて頂きたい。これこれの御用が仕えたいと祭典をまつ心が、まつりとなって結実するのである。

一、大祭前には十日でも一週間でもただの一日でも何か特別の修行をすること。

★御大祭までに日を切って願わせて頂き、それぞれに与えて頂いている課題に対して、改まった信心をし、御修行を決めさせて頂き、有難いご庇礼を頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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2019年05月02日

神様と人とをつなぐ橋にならせて頂く

『神信心しておかげを受けて、難儀な人を助ける身にならせてもらうがよい。神心となって、受けたおかげを人に話して真の道を伝えるのが、神へのお礼である。それが神のお喜びとなる。信心するといっても、これまではみな神様を使うばかりで、神様に使われることを知らない。天地金乃神様は人を使わしめになさる。神様に使われることを楽しみに信心せよ』

★各自がこの世に生まれさせて頂いた時から、今日まで頂き続けてきたおかげに対してお礼を申させて頂くことが、天地金乃神様の御大祭であります。命の親様の御大祭を拝ませて頂くのです。その命の親様に対して心の底から御礼を申させて頂くことを御大祭という御祭典として、表わさせて頂くのです。私達の真心を結集させて頂くのです。

★御大祭に向けまして、家族親族、縁に繋がる人が次々とお引寄せ頂かれ、共に助かり共におかげを頂けるよう、お願いをさせて頂くことが大切です。「私のようなものは徳も力もありませんから、とてもお導きは出来ません」と言ってしまいやすいものです。しかし、そういうことでしたら一生お導きすることが出来ません。なぜなら人間は完全無欠ということはありません。

「私の信心は行き届いております」等と思ってしまっていては、大変おごりがましいことです。どこまでも未完成の心で「どこまでも至らない私でありますから」と、職場や家庭やご近所の関わり合いでもどういう場でも謙虚さを身につけていきませんと、おごりがましいところは態度や言葉や視線に現れ、次々と伝わってしまいます。『おごりは諸悪の根源である』

★自分の力でするのではなく、神様に使うて頂くのです。どんな場面でも心中ご祈念させて頂きながら、実意丁寧親切に心配りをさせて頂きましたら、有難いことに助かりが生まれてきます。そしてお導きさせて頂ける瞬間も与えて頂けるのです。私達は神様が助けようとなさっている人と、神様の間に立って橋の役割をさせて頂くのです。
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:28 | 平成31年の「み教え」

2019年05月01日

●後始末は御礼の信心

 学院でご修行をさせて頂いております時に、眼帯をしなければならない程の大きなめばちこが出来たことがありました。目にお神酒を付けて毎日ご祈念させて頂いておりますと、「喜んで使わせて頂けば、目も喜ぶ」と、心に思わせて頂いたのです。その頃の私は、学院での寮生活の中で、御本部のお下がりで作って頂く三食以外、間飲間食をしないことをご修行とさせて頂いておりました。ですから、空腹を感じる時間が多く、また、食事の量の多い少ないがとても気になってしまったりと、それまでに見たこともない自分の中に餓鬼の姿を見させられるような、情けない思いが毎日しておりました。そこには、お礼の心が薄れていたように思います。そのことを反省させて頂き、毎日、神様にお礼と、お詫びを申しながら目にお神酒を付けさせて頂いておりましたら、ある時に、腫物から膿をお取り払い頂き、それ以降根切れのおかげを頂いております。

★先日、この春から新しい学校に進学なさった学生さんが、目に腫物が出来たとお届けなさいましたので、私の学院時代のお話しをさせて頂きました。そして、日々、同級生、先生方の良いところを見させて頂き、外から帰ったら、目にお礼を申しながら水で洗わせて頂いて、お礼の心で後始末をさせて頂くつもりで、埃などをきれいに洗い流させて頂くよう、お話しさせて頂いたことでした。

★有り難い5月を迎えさせて頂き、本日は新しく天皇陛下がご即位になり、元号も令和と改められます。日本という、安全で、清潔で、豊かな有り難い国に生活させて頂いていることにお礼を申し、税金もお礼を申してお払いさせて頂きたいと思います。お礼の信心、行き届いてきちっと後始末をさせて頂く信心が、次のおかげを頂く元となるのです。『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』

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