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2019年04月30日

●おかげの中に生かされて生きている

教祖様御在世のご時代に、肺結核(当時は死の病)と診断され、お医者さんからも匙を投げられた方があられました。お導き頂かれて教祖様のお広前に参拝なされ「金光様、どうぞおかげを頂かせて下さいませ」とお願いをなさったのでした。その方は色々な神仏にお願いをなさってこられても、おかげを頂けず、「私ほどおかげを頂いていない者はおらん」という思いがあられたのでした。教祖様は『あなたが吸うておられる空気も神様のおかげでございます』とみ教えなさったのでした。

★その方はその一言のみ教えで、今までおかげの中に浸っておりながら、その有難さを分からずにいたということに気が付かれたのです。空気はもちろんのことお水も食物も神様のお恵みであり、おかげの現われであり、それを頂き続けお世話になっていること、お恵みを頂いていることに対してお礼の心が足りないということに気付かれたのでした。その方は帰り道、一歩出す度に、吐く息吸う息に「金光様、有難うございます」とお礼を申しながら帰らせて頂かれたのでした。そうしますと、その日を境にどんどんと回復に向かわれ、全快根切れのおかげを頂かれたのでした。

★二代教会長伊藤コウ師は「私達は徳が無いからしっかりとお願いをさせて頂かねばならないのです」とみ教え下さっておられます。「徳も力も無いからお願いしても無理だ」と途中で投げ出したり、諦めてしまわなくても良い道を与えて頂いているのです。それが生神金光大神様のお取次ぎの道です。そのお取次ぎをもってしっかりとお願いをさせて頂いて、お願いが成就するためにはどのように改まらせて頂けば良いかと、真剣に考えて正しい努力が出来て、生活の中に工夫が出来ていくということを教えて下さったのです。

★私達はつい目の前にある問題に捉われてしまって、自分自身がどれほど結構におかげを頂き続けてきたかということを忘れてしまうのです。これはまさに御恩の分からない生き方に陥ってしまっていますね。そこで有難いみ教えを頂きますと、心を改め磨いていくということになり、世界が開けていくのです。有難い御神徳の中に生かされている自分であるということを自覚して、お礼の心に満ち満ちて生活をさせて頂くことになりましたら、おかげを蒙らせて頂けるのです。
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2019年04月29日

●御大祭をお迎えする心構え

 立教160年記念の年の5月11日、天地金乃神大祭まで、残すところあと10日余りとなりました。御大祭は、各家の御大祭であり、信奉者一人一人の御大祭であります。「私が御用にお使い頂き、御祭典を拝ませて頂かなくては始まらない」という心で、一つ一つに真心を込めて御礼の心で御用にお使い頂きましょう。植木の御用やあべの誌の検品の御用や大掃除の御用、お餅つきの御用、小判餅の御用、お導きの御用等々、御大祭に向けて様々な御用があります。自分の身体をい全てに真心を込めて、御礼を申しながら御用させて頂くことが、神様へのお供えになり、御祭典を待つ心となり、祭る心となるのです。そうして、信奉者一人一人の真心が結集して、有難い御大祭がお仕え出来るのです。

★それぞれの家でお仕えさせて頂くお宅祭も同じことがいえます。お宅祭に向けて、家族中でさせて頂く家の掃除やお供え物の準備等が、お祭りを待つ心となり、その真心がお供えされて有難いお宅祭がお仕え出来るのです。ですから、「もうこれで良いだろう」と思うのではなく、「まだまだ至らない」と思いながら、謙虚な心で隅々まで行き届いた準備がさせて頂けるように、お願いしながらさせて頂く事が大切です。

★二代教会長伊藤コウ師のご母堂であるハル氏は、教会から頂いた通知状や御祭典の案内等を御神前にお供えして、その日まで御祈念をなさっておられたそうです。コウ師が子供の時に「お母さん、どうして教会から頂いた案内をご神殿にお供えしておくのですか?毎日長い間、何をご祈念しているのですか?」とお伺いになりますと、ハル氏は「私のような信心の行き届かない、また御恩返しの足りない者に対して、教会から信者の一員として加えて頂き、その都度、通知状を頂くことは誠に勿体ない、有難い事です。どうぞ一人前の信者にお取立て頂けますように。今は中途半端で仕方のないような人間でありますが、信心がだんだん成長させて頂いて、一人前の信者として神様に喜んで頂いて、お役に立たせて頂き、結構に安心立命のおかげが頂けますようにお願いさせて頂いているのですよ。」と仰ったのでした。通知状一つとっても、ハル氏の実意丁寧に何事も有難く謹んで、押し頂かれる御姿勢を習わせて頂きたいと思います。

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2019年04月28日

●心が180度変わるおかげ

あるご信者は、近所でも有名な気難しいお舅さんと同居しておられ、日々辛く感じておられました。そんな時、ご神縁を頂かれて、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさいますと、「あなたは神様から結構な宝物を頂いておられるのですよ。お義父様はあなたの家の宝物です。あなたがご信心を元に、真心込めて孝行なさるか否かで、家が結構に栄えていくかどうかが決まります。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのご信者が、教会で御用奉仕をなさっておられますと、何事においても実に心配りが行届いておられる一人のご信者の姿が目に入られたのです。コウ師に「あの方はどうしてあのような行届いた心配りが出来られるのですか?」とお尋ねになりますと、「あの方は、自分のことよりもいつも人のことを第一に考えておられるのです。」とみ教え頂かれたのでした。それを聴かれたご信者は「お義父さんのことを第一にさせて頂いて、何事も逆らわないことをご修行にさせて頂こう」と、有難い決心が出来られ、生活の全面に亘って実行していかれたのです。それからは、お舅さんのことばかり考え、どうすれば喜んで頂けるかということを中心に、心配りに徹することをご修行なさったのでした。例えば、お舅さんが風呂屋へ行かれる時、お嫁さんは先回りして「これからうちのお父さんが来ますので、どうぞ宜しくお願いします。」と番台の方にお願いに行かれ、それから後にお舅さんの後をついて、風呂屋まで様子を見に行かれたのでした。

★次第に、「お義父さんは苦労なさりながら主人を育てて下さり、私のような至らない者を嫁にして頂いて、長い間辛抱して下さっている。こんなに有難いことはない。しっかりお義父さんに喜んで頂かなくては申し訳ない。」と心底思えるようになられたのでした。そのような日々を送っておられますと、お義父様が80才を過ぎた頃に、教会に一緒にお参りしたいとおっしゃったのです。そして、コウ師に、「うちの嫁をこんなに立派に育てて下さって有難うございます。これからは、日参させて頂きます」と、仰ったのでした。

★一生懸命改まってお参りをさせて頂いて、み教えを頂かれ、自分自身の事として見直しをしてゆかれたことによって、心が180度変わるおかげを頂かれたのです。またそれだけでなく、一人がみ教えによって心を直して頂かれたことによって、有難いものが家族にも波及してゆき、家全体が正しい方向に生まれ変わることが出来られたのですね。
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2019年04月27日

●先頭に立つ者が正しい方向へ

 あるご信者が「うちの主人はしっかり働いてくれて有難い主人だけど、お参りして頂いたらもっと結構になるに違いない」と思われ、ご主人をお導きさせて頂きたいと願われました。しかし「一緒にお参りして下さい」といくらお願いしても「私は参らん。何も悪い事してないし、一生懸命働いておる。何しに参るんや」と断られていました。

★ご信者はお結界で「先生、いくら言うても参ってくれません。」とお届けなさいましたら、二代教会長伊藤コウ師が「そりゃ奥さん。あんたの力でご主人を引っ張ろうと思ったらあきません。ご主人の方が力が強いんだから。ご主人よりも力の上の人が引っ張って下さらんことにはどうにもならん。誰よりも一番強いお力を持っておられるのは神様ですから、『神様、どうぞうちの主人をこのお広前に連れて参って頂けるようなおかげを頂かせて下さい』とあなたが神様に頼みなさい。自分は徳も力もないのに、自分より力の大きい人を引っ張ってくると言っても、相手はなかなか動いてくれません。自分のこと・主人のこと・子供のことのおかげを頂きたかったら、あなたが自分でお参りせねばなりません。時間を決めて日に何度もお参りをさせて頂き、おかげを頂いていきなさいや」とみ教えなさったのでした。

★ご信者は朝に昼に晩にと、今まで以上に一生懸命お参りをされるようになられました。ある日、ご主人がふと「毎日どんなところへ行っているのだろうか」と思い、後をついてお参りしてみようという気になられたのでした。神様がご主人をその気にさせて下さったのです。お説教中にお参りなさったご主人は、門の所で隠れながらお話を聞いておられましたら、これから先々わが家が、どのようになってゆくのだろうかと考えられました。自分の命が急に無くなったらどうなるのか?家中が心揃えて一丸となっておかげを頂いていかなければ、結構な方向に進む事ができないと気が付かれたのでした。そうして、有難いことにご信心をさせて頂く気にならせて頂かれ、家内中が勢信心となり、商売も繁盛させて頂かれました。現在では入信70年となっておられます。

★コウ師は神様に動いて頂けるような真を尽くして、ご信心をさせて頂きなさいと仰っておられるのです。それだけのことをせずして、相手が変わってくれないとばかり、言うているようではいけないのです。それぞれの家で先頭に立ってご信心させて頂く者が、ご信心の有難いところをつかませて頂いて、正しい方向へ進ませて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいですね。

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2019年04月26日

●自分の真心が足りないので…

ある御信者が、二代教会長伊藤コウ師のもとへ「嫁に色々と買ってあげても、ひとつもお礼を言いません。」とお届けにこられました。コウ師は「それはあなたの信心がお嫁さんに表れているのではないですか?」と仰ったのでした。伊藤コウ師は続けて「可愛い息子さんの食事や着る物等、身の回りのお世話をお嫁さんにして頂いているのですから、息子さんが可愛いと思えば思うほど、しっかり頭を下げて、お嫁さんにお礼を申さなければいけませんよ。」と仰ったのです。

★御信者は心から合点され「申し訳ございません。私の真心が足りませんでした。嫁は店の手伝いをしてくれ、息子のお世話をして、孫を産んで育ててくれているにもかかわらず、私が御礼を申したりませんでした。」と御詫び申されたのでした。コウ師は大変喜ばれ「あなたは日々み教えを頂いているので、私の言った事がすぐに分からせて頂けるのですね。常の勉強が良かったのですね。有難いことです。」と仰ったのでした。

★それから御信者は、一生懸命お礼を申す稽古をされ、先頭に立ってご信心をなさって、円満な家庭を築かれ、子孫繁盛のおかげを蒙られました。そして、88歳の米寿のお祝いの席で、子供さん、孫さん等の前で「これからは子ども孝行をさせて頂きます。」と挨拶をなされたのでした。そして90歳を越えられてからも、お一人で暮らし、炊事、洗濯、掃除と家事全般、自分の事は自分でなさって、なるだけ子供さん方にお世話をかけないように心掛けて生活なさったのです。おかげを頂かれて100歳10ヶ月の天寿を全うされました。御信者がお国替えされてから後の年祭は、子供さん、お孫さん、曾孫さん、玄孫さん総勢50人を超えられる御家族が参拝なさってお祭りを仕えて頂いておられるのです。問題が起きてきますと、相手の足りないところに目が向きがちですが、み教えを日々頂いておりますと心をすぐに神様に向けることができ、自分の至らないところに気付かせて頂くことができるのです。

★『これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる』
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2019年04月25日

●玉磨かざれば光なし

 三代教会長先生がまだ小学六年生の御頃、常日頃から伊藤コウ師より、言動の一つ一つ、箸の上げ下ろしまでみ教え頂く毎日に疑問を持たれたのでした。そこで、「先生、この様なことを申し上げるのもどうかとは思うのですが、私は学校でもどこでも、褒められこそすれ、親先生のようにあれこれと叱られることはありません。」と、思いを伝えられたそうです。コウ師はニッコリとお笑いになり、「そうですか。あなたが、他所で喜んで頂き、褒めて頂けるように、私はあれこれとあなたに言うて聴かせているのですよ」とおっしゃり、三代教会長先生も、しっかり納得させて頂かれたということです。

★二代教会長・伊藤コウ師は、「お参りしておりますと言うても、み教えを頂かずにいたのでは、百年お参りしてもおかげは頂けません」と、はっきりとおっしゃっておられます。お結界でお取次を頂き、また、お説教を聴かせて頂いて、自分の改まるべき所を教えて頂き、素直にみ教えを実行させて頂くところから、おかげを頂く道は開かれていくのです。

★出来事でも、思うように運ぶことばかりが有り難いのではありません。思うように運ばなかった時ほど、神様の深い思し召しが込められているものです。「自分のどこが悪かったのだろうか。この先どのように改まったらよいのだろうか」と、自身を素直に見直しさせて頂くところから、そこに込められたみ教えを頂き、損なうことなく、更に大きく前進する基が築かれ、おかげの受け物がしっかりと出来ていくのです。

★『玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心せねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。』

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2019年04月24日

●渋柿を甘柿に

柿の木は、種から植えて育った木の実は、すべて渋柿になるそうです。甘柿は、渋柿の台木に甘柿の木を接ぎ木して、手入れをしながら育てることで初めて甘く実るのだということです。接ぎ木をしても、台木からまた渋柿の芽が出てくるので、それらを摘み取っていくのだそうです。一度芽を摘んだからといって、そのまま順調に育ってゆくわけではないのです。そうして、根気強く何度も何度も台木から出てくる渋柿の芽を摘み取ってゆくことで、接ぎ木した甘柿が育ってゆくのです。

★二代教会長伊藤コウ師は、柿の木に例えてみ教え下さっておられます。渋柿というのは、悪癖・悪習慣、神様に御無礼な生き方の事を意味し、甘柿というのは、良い癖・良い習慣、神様の御機感に適った生き方に例えられました。悪癖・悪習慣を改まって良い習慣に変えていこうと思っても、一度身についた悪癖・悪習慣というものは、なかなか取れ切らないものです。一時改まっても、また悪習慣の芽が出てくるのです。その悪習慣の芽を何度も摘んでゆかない限り、良いものは育ってゆきません。誰にでもなかなか治らない悪癖・悪習慣はあるものですね。み教えによって、自分の生き方にどのようなご無礼があるのかに気付かせて頂き、長年積み重ねてきた悪習慣や間違った考え方を改まらせて頂くことが大切です。日々心を改め磨いてゆき、自分自身の弱い部分に打ち克って、良い習慣を身につけさせて頂きましょう。

★人間の心の成長を妨げる9つの弊害
1)人に勝つことを好む。
2)過ちを聞くことを嫌がる。
3)口で言い負かしたくなる。
4)賢ぶる。
5)威張りたがる。
6)無理を通したがる。
7)媚びへつらう。
8)物を欲しがる。(必要以上に物やお金を欲しがる)
9)いざとなったら意気地がない。
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2019年04月23日

●み教えを頂いて、心に栄養を

『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』

★教会の境内地にある藤棚の花が下へ垂れて房をたくさんつけております。植木班の方々が勉強を重ねて下さり手入れをして下さった結果、一時は下へ垂れず上へ咲いていた藤棚が、美しく蘇らせて頂きました。大変有難いことでございます。

★先々のことを願わせて頂いておかげを頂いていくために、今から次々と改めていかなければいけないことが、各自の生活に於いてたくさんあります。それを「地を肥やしていく」と表現して下さっておられます。地を肥やしていくことを心掛けさせて頂き、その上に良い種を撒かせて頂き、「良い方向へ芽を出して育ってくれますように」とお願いをさせて頂いて、おかげを頂きたいですね。それが日々の信心で大切なことだと思わせて頂きます。

★信心の上で肥を入れていくということは、日参と聴教です。そして心を正しい方向へ導き、心を枯らさないように栄養を頂く、ということが、み教えを頂いていくということです。日々油断なくその稽古をさせて頂くことが、常平生の信心です。平穏無事なる時こそ、しっかりと日参させて頂きみ教えを頂くのです。平穏無事な時にゆっくりさせて頂きたいと思ってしまいますが、順風満帆に結構なおかげを頂いております時こそ、先々のことを思って、信心の肥やしを入れていかねばなりません。それがこつこつと毎日続いていくように、おかげを頂いてまいりましょう。

★み教えを頂いて、天地の道理を説いて聞かせて頂いて、神様のお心を分からせて頂き、共鳴・共感して「なんと有難いことだ」と分からせて頂けるのは、私達の中にすでに尊いものを頂いているからです。それが神心を養っていくということなのです。私達がみ教えを頂くということは実に大事なことですね。それは喜びに満ちた生活にならせて頂けるようにおかげを頂いていくための、大切な取り組みなのですね。

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2019年04月22日

●心を改めることが肝心               

以前のお話ですが、阿倍野教会にもお話に来て下さっていた吉良藤右衛門氏という方がおられました。その方が30歳の時、お月見をなさっている最中に、急に月に雲がかかって見えなくなったように感じ、視力が低下していることに気付き、それから後に両眼とも失明されることがあられました。そこで、一生懸命に願をかけてお願いなさったのですが、肝心要の「心を改める」ということが出来ておられませんでしたので、秋から冬へ、冬から春へと季節は移り変わってゆきましたが、一向におかげは表れてきませんでした。

★「こんな状態では生きていられない…」と失望のあまり、死を覚悟された時の事です。お母さんの顔がふと思い浮かばれたのでした。これまでお母さんが一生懸命育てて下さったのに、気にも留めず随分遊び暮らしていたのでした。「30歳の自分が将来を悲観して死んでしまっては、自分はそれで良いかもしれないが、年老いた母親はどうなるのだろうか。自分自身が老後のお世話をしなければならないのに、勝手に死んでしまっては、母親はどれだけ嘆くだろう…」ということに気付かれたのです。それまでは自分のことで精一杯でしたが、初めて真剣に親のことを思えるようになられたのでした。そして「これからは母親に親孝行をさせて頂かなければ申し訳ない。今一度神様に改めてお願いをさせて頂こう。親にご恩返しの出来る私にならせて頂く為には、目が見えさせて頂き、働かせて頂けますように。もしこの願いを聞き届けて下さるのでありましたら、贅沢は一切謹んで、どんな仕事でも厭わず喜んでさせて頂きますので、どうぞ生まれ変わらせて下さい。」と真剣に願わせて頂く気になられたのです。そして、子供の頃から連れて参って頂いていた金光様の教会にお引き寄せを頂かれたのでした。そして、改まりを誓われてお広前にお参りし、お取次ぎを頂いてみ教えを頂かれるようになられたのです。

★涙ながらにお願いし、家に帰られ地面にひれ伏して神様にご祈念されました。そしてふと顔を上げますと、風呂の焚口に落ちていた新聞の見出しが見えるようになり、それから晴眼のおかげを頂かれたのでした。それからは、お礼のご信心に励まれ、ご縁に繋がる教会でおかげ話の御用にお使い頂かれたのでした。

★視力を失われた方にとっては、両眼とも晴眼になるということは、これ以上ない有難いことです。今まで当たり前のように使わせて頂いていたものが、失って初めてその有難さが分かるのです。日々頂いている生活が、奇跡的なおかげの連続であることを忘れずに、日々何事も当たり前と思わず、お礼を申して生活させて頂きましょう。
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2019年04月21日

●日を切って無理と思わず願う

 熱心なご信者であられた土井氏は、戦災で奈良の田舎に移り住まれ、それまで大阪で米穀商を営んでおられたところを、一から農業を始められたのでした。周りに頼れる人はおらず、ただ一心に神様におすがりなさり、手探りで、畑作、果樹園、稲作の道を切り開いていかれたのでした。

★ある時には、田んぼがスズメの大群の被害に遭い、大変困られました。土井氏は、神様に御礼と御詫びを申し上げた後、「スズメも立ち行かなければなりませんので、どうぞスズメにも餌を与えてやって下さい。」と、実意丁寧にお願いなさったのです。そうしますと、隣の松林にたくさんの虫が発生し、今まで稲穂を食べていたスズメがその松林の虫を食べてくれ、お米も無事収穫させて頂くことが出来られたのでした。

★先日も、作物を育てておられるご信者が、カラス等の農作物の被害をお届けなさっておられました。その方々も、あらゆる対策を練りながら、御大祭を目標に日を切って、天地の親神様に一心にご都合お繰り合わせをお願いなさっておられます。

★5月11日の天地金乃神大祭まで、残り3週間を切りました。銘々におかげを頂きたいことを、この御大祭までに何としてでも願い成就のおかげが頂けるよう、真剣にお願いさせて頂き、ご修行に励ませて頂きたいと思います。人間は誰しも、今、真心からのお願いが出来たかと思うと、次の瞬間に、間違えた考えが頭をもたげてしまうような危うさを持っております。そうした時には、「金光様申し訳ありませんでした。どうぞ改まらせて頂きますので、おかげを蒙らせて下さいませ。」と、再びお願いさせて頂けば、有り難いことに金光様はその祈りを受け取って下さいます。その反復練習によって、信心が向上させて頂けるのです。同じみ教えでも、何回でも聴かせて頂くつもりで、日々新たな気持ちで信心の稽古に励ませて頂き、5月11日の天地金乃神大祭のご庇礼を蒙らせて頂きたいと思います。

★『自分から日切りをして願え。一週間とか一日とか、今のことを今とお願い申して、おかげを受けよ。一度日切りをしてお願いし、おかげのしるしがなければ、重ねて願え。それでもしるしがなければ、なおもう一度と、三度までは押して願え。願主があきらめてはいけない。押して願っておかげを受けよ。』

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2019年04月20日

●み教えによって初めて気付かせて頂くこと

桂松平師は、幼い頃から胃腸が弱く、お母様から「あなたにとって生水は毒だ。だから生水に気をつけなさい。」と教えられて育ったため、その考えが刷り込まれて「生水は毒だ」と思い込んでおられました。

★明治16年の春頃、桂松平師が初めて教祖様のもとへ参詣された時、10数人の参拝者の後ろに小さくなって御祈念しておられました。どこからお参りしたとも何も言っておられないのに、松平師に教祖様は『周防の国のお方、遠方をよくおまいりでしたなあ』と仰せられたのです。さらに御神前に進まれて御祈念なさいました時『氏子、水が毒、水が毒というが、水を毒と思うな。水は薬という気になれ。水を薬という気になれば、腹の病気はさせない』と神様のお言葉をお伝えになられました。続いて『氏子、水あたりということを言うなよ。水がなくては一日も暮らせまい。大地は何とある。みな、水がもと。稲の一穂も五合の水をもって締め固めるというではないか。水の恩を知れよ』と神様のお言葉をお伝えになられたのでした。

★松平師は、金光様のご神徳に打たれ、有難くて有難くて、身を震わせて平伏なさり、今日までの考え方が大きく間違っていた事に気付かれて、お礼とお詫びを申されました。松平師は何も分からないままお参りなさったのですが、教祖様からご理解を頂かれて、心が開かれ、水のご恩を感じ、日々お礼とお詫びを申しながら生活なさっておられましたら、胃腸の病気は全快のおかげを頂かれたのでした。そうして、ご自身の実体験を通しておかげを頂いたお礼に人々を導いていかれ、九州の地で初めて布教に出られるほどのご神徳を頂かれたのです。

★人間には、誰しも考え違いやご無礼不行き届きはあるものです。信心させて頂きますと、そのことに気付くことができ、神様にお詫び申し上げ、改まらせて頂くことにより、めぐりをお取り払い頂けるのです。

★『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』
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2019年04月19日

●神様がさせなさるご修行

 教祖様のご在世中に、祈念祈祷を重んじていた修験道の山伏が、教祖様のみ教えを一方的に敵対視し、お広前を度々荒らしに来たのでした。 しかし、教祖様は山伏に対して腹をお立てになるどころか、『これくらいのことは、神様のお力でお払いのけになることはわけはない。それなのに、そのようにたびたび来るのは、神様がおやりなさるのであるから、私はいっこうに腹は立てない。この神様のお道は年々にご繁盛なさる。氏子、先で合点せよ。』とおっしゃり、どこまでも神様のさせなさるご修行と受け切って行かれたのでした。

★阿倍野教会の旧広前の時代にも、お説教中に他宗の方が数名で乗り込んで来て、畳を叩いてお説教を妨害するということがありました。二代教会長・伊藤コウ師は、教祖様のみ教えを守らせて頂かれ、腹を立てて仕返しをする心になったり、口論したり、追い払うようなことを一切なさらず、ご修行として黙って受けられたのでした。そうすると、畳を叩いて妨害していた人が突然立ち上がり、小走りで畳から玄関の土間に飛んで降りようとした時に、背が高かったものですから、垂れ壁で頭を打ちつけて気を失うほどの衝撃を受けて倒れてしまい、それ以来お広前に来ることはなかったということです。

★教祖様は、教祖様直信の津川治雄師に、『信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ』とみ教えなさり、更に数年後に、『堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』と仰せられたということです。

★5月11日の御大祭に向けまして、銘々、生活の上に起きてくることを、神様がさせて下さるご修行として有り難く受け切らせて頂き、信心向上のおかげを頂きたいと思います。

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2019年04月18日

●おかげを頂く元

阿倍野教会が借家での布教間もない頃から、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長伊藤コウ師は「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。」とお願いし続けてこられました。

★初代教会長先生がお国替えなさった後、建築委員の総辞職など様々に御修行があられた中、翌年には借金なし、恩借なし分担金なし、寄付の強要なしでお土地を買わせて頂き、24畳のお広前の建築が出来られたのです。コウ師はそのお広前の新築落成奉告祭に参拝された方々に「まことに手狭ではございますが…」とご挨拶なさったのでした。一人でも多くの方がお導き頂かれ、おかげを頂かれる為の百畳のお広前に発展させて頂く願いを、一層強く示されたのです。

★現在のお広前のお土地を購入させて頂いた昭和20年戦後のことです。是非とも売って頂きたいと、ご信者が地主さんに何度も交渉されたのでした。その熱意に折れた地主さんからやっと頂けた返事は、「今日、指定の時間までに、800坪の土地の代金を全額用意できるなら売りましょう」というものでした。その日は土曜日で、しかも時間も昼を過ぎており、銀行は開いておりませんので、並大抵のことではありません。

★世の中が荒廃した戦後のことですから、三代教会長先生が軍服の姿で、お賽銭の小銭ばかりを銀行に預けに行かれた時、銀行の都合で預金を断られたことがあられました。「これも何かのご神意に違いない」と思われ、それ以降は教会にそのまま保管しておられたのです。その保管されたお賽銭を数えてみると、なんとちょうど800坪のお土地の代金があり、購入させて頂くことができられたのでした。

★そうして、大きな願いを立てられ、その願い成就に向けて、起きて来ることを全て神様の有難いお差し向けと頂かれながら、人に頼らず、神様を杖に一心に御用をなされた結果、800坪のお土地を購入させて頂き、旧広前を合わせますと、千坪のお土地となり、百畳のお広前を建築させて頂くという大きなお願い成就のおかげを頂いたのです。

★『おかげを受けるのに巧者がある。だれでもおかげをいただいたら、そのありがたいということをいつまでも忘れないようにせよ。それを忘れたら、もういけない。後のおかげはいただけない。それさえ忘れなければ、おかげは思うようにいただける。』
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2019年04月17日

●出来事を通して進む信心

 あるご信者が、お店の改装工事をして頂いている時に、戸口を通るまさにその時に、左官屋さんのこてが頭の上に落ちてきたのでした。日曜日のことでしたが、血の出る頭を押さえて近所の病院に駆け付けたところ、休診日にもかかわらず戸口が少し開いていたので、事情を聞いて頂くことが出来、二針縫って頂かれたのでした。翌日、伊藤コウ師の元にお礼のお届にこられました。

★「先生、この度は結構なおかげを頂きまして有り難うございます。店を改装中に、これからという時に、主人が怪我をしたのでは大変なことになるところを、一番都合の良い私がこうして怪我を引き受けさせて頂きました。また、主人は先年の大病を回復のおかげを頂いておりまして、再発等のないように、油断のないようにこのように私の怪我でお気付けを頂いております。私は、まだまだ考え方に至らぬ点が多く、改まるよう、神様に頭を叩いて頂いたと思っております。有り難うございます。」と、心からお礼とお詫びのお届が出来られたのでした。コウ師も、家の中で一番信心の強い奥様が難を引き受けられ、神様のお心に適う有り難い受け取り方が出来られたことを、大変喜ばれたのでした。

★『一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。』日々様々なことが起こってきますが、神様のお心に適い、おかげを頂く自分自身の心の在り方、ものの考え方、捉え方はどのようなものなのかを教えて頂くのが、み教えです。み教えをコツコツと守らせて頂き、実意丁寧な信心生活を積み重ねさせて頂いておりますと、神様が氏子の真心に応えて下さり、有り難い体験をさせて下さるのです。そのような体験を積み重ねますと、病気等の難儀に出会っても恐れることなく、「今こそおかげを頂く時!」と思って、素直に、一心に改まらせて頂くことが出来、信心が一段と向上し、身に徳を頂いて、周囲の人々も助かるおかげを頂くことが出来るのです。

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2019年04月16日

●神様にすがっての信心辛抱

二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして各々にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、『長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)』

★奥様であられる桂ミツ師には、『のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐに神様にお預けせよ。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ。』『広前で夫は氏子を助けるための願いをする。妻は奥にあって、夫が願う氏子がおかげを受けるように陰願い(後ろ祈念)をせよ。その氏子が助かる徳で楽じゃ。神にすがって辛抱せよ。』とみ教えなさいました。

★ミツ師は、食事を作られる際にも前日から御祈念をされ、神様から教えて頂かれた献立を翌日そのまま調理なされ、食事を用意されますと、桂松平師に喜んで頂かれたのでした。どんな時にも我を出さずに、二代金光四神様から頂かれたみ教えを徹底してご生涯守り抜かれ、松平師の御修行・御用御成就を願われて、松平師の補佐をなさったのです。それは、決してお強いからできられたのではありません。ミツ師は、お身体も丈夫ではあられなかった中、出来ないところも「どうぞさせて頂きますように」と神様におすがりしきっていかれたのです。

★『桜の花の信心より梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから長く散らぬ。』桜の花は華やかで一度にパッと花を咲かせますが、14日ほどで散ってしまいます。梅の花は、厳しい寒さの中を耐えてつぼみを付け、長く咲いて馥郁(ふくいく)とした香りが漂います。更に花が散った後には梅の実が残り、料理にも・菓子・梅干し等にしても頂くことが出来、人の健康に役に立ちます。厳しい状況を乗り越え苦労させて頂くからこそ、辛抱する力が付き、さらには喜びが訪れるのです。梅の花のように長く咲いてお役に立つ様に、厳しい環境の中でも日々神様におすがりしきって、辛抱を積み重ねさせて頂きましょう。
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2019年04月15日

●毎日を信心生活に

『自分の事になってくるとなかなかわからんものじゃが、そういう時には金光様はどうなさったじゃろうか、どうなさるじゃろうか、おかげを蒙っておる者はどうしたらよいのじゃろうかと考えればすぐ合点がいく。しかし我々はつまらんから合点がいってもなかなか実行できん。そこでお参りをせねばならん。お参りをすると教えて下さり、できるように願って下さり、引っ張って導いて下さる』

★御本部の御大祭がお仕えになられてから、全国の各教会において御大祭をお仕えになられます。御大祭では各人が生まれてから今日までのお礼を申させて頂き、各家庭が入信から今日まで、代を重ねて結構におかげを頂いてきたことにお礼を申させて頂くのです。もちろん、去年から今年にかけて1年の各人の信心の総決算の場であるということも大切な意味なのです。それもお命を頂いてこそであり、それぞれの家のご信心が代を重ねておかげを頂いてきた上に、私共が日々の生活をさせて頂いているということでありますから、振り返らせて頂いてお礼を申させて頂くことが、年々より多く、より大きくなっていかねばなりませんね。共々にご信心の有難い見直しをさせて頂くことが出来、有難い改まりをさせて頂ける結構な良い機会にさせて頂きたいですね。

★先日、三重県の方にお宅祭に行かせて頂きました。大阪に住んでおられた方が移転なさって長年になられます。入信以来のお礼と、去年から今年にかけての一年の御礼、特に去年曾孫さんがお生まれになりましたから、家族が増えさせて頂いたお礼を申し上げるお祭りになりました。有難いことに毎年丁寧に家族中が揃ってお仕えになられます。そして、毎月必ず夫々の家庭が日を決めて参拝になり、み教えを頂き御取次を頂かれます。御大祭とあらば天候気象がどうあろうと家族中・親族中が揃ってお参りになられるのです。

★どなたにも毎日の生活の中で色々な出来事が起きてきますが、その出来事を通して信心の見直しをさせて頂き、出来てきたことを信心の材料としてご修行にさせて頂き、有難く受け切ってゆくことが出来るように、実地の勉強をさせて頂くのです。一つ一つ信心で以て乗り越えさせて頂き、徳も力も身に付かせて頂き、改まりの良い機会とさせて頂くのが信心生活です。阿倍野教会の御大祭まで残り1ヶ月を切りましたが、信行期間のつもりでしっかりと信心をさせて頂きたいですね。

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2019年04月14日

心のおかげを頂く

 二代教会長・伊藤コウ師の元に、喘息で8年間苦しんでおられたご信者がお届けなさったのでした。その苦しみを、「鼻と口を両方ふさがれた状態で、呼吸しなければならない状態」と、表現なさったということです。コウ師は、「それは大変なことですね。今ここで、何故あなたがこれ程に苦しい思いをしなければならなくなったのか、心当たりをしっかり考えさせて頂きましょう。」とお話しなさり、「どうぞこの人の心が、喘息が治らせて頂けるくらい結構な心に改まらせて頂けますように」と、神様にご祈念下さったのでした。

★夜も遅い時間だったそうですが、ご信者は一生懸命に考えられ、「先生、私ほど悪い女はおりませんでした。あれもこれもと出来ておらないことばかりですのに、自分のことを棚に上げて、誰に対しても相手ばかりを責め立ててきました。」と、心の底からお詫びの念が沸いてこられたのでした。

そこでコウ師は、「自分自身が一番悪いと分からせて頂き、改まりを本気で願わせて頂けることが、真の大きなおかげです。」とおっしゃり、更に「神様にしっかりお詫びをさせて頂いて、病気の上におかげを頂けるようお願いをさせて頂きましょう。今あなたが患って寝込んでしまったら、家は赤字だらけで、主人も困り、子供も困り、親に心配ばかりかけてどうにもならんようになり、今の場所に居られなくなってしまいます。」とみ教えなさったのでした。ご信者は、「先生、しっかりおかげが頂けますよう、私自身がしっかり改まりのおかげを頂かせて下さい。」と、心の底から真剣にお願いが出来られたのでした。すると、その晩から喘息の発作は起こらなくなり、以後根切れの大みかげを頂かれたのでした。

★朝起きたら、今日一日のことを油断なく神様にお願いさせて頂き、お取次を頂いてみ教えを頂き、心を正しい方へ正しい方へと導いて頂けることは、どれ程有り難いことかわかりません。ただ自分でお願いさせて頂くだけでは我流になってゆきますから、横道へそれてゆきます。お結界でお取次、み教えを頂き、またお説教を聴かせて頂いて、一言でも多くみ教えを頂かせて頂きましょう。『手や口は手水鉢で洗うても、性根は何で洗いなさるか。実意丁寧の真でなければ洗えまいが。』
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2019年04月13日

●わが心を神様に向ける稽古

 あるご信者は、働いておられる会社の上司が変わられることにより、経営方針も変わり、今まで打ち込んでさせて頂いてきた仕事から離れることとなられたのです。大変優秀なお方で、仕事もこれから軌道に乗ってゆくはずのところ、育ててきた優秀な部下も異動となり、ご自身も他の仕事を命ぜられたのでした。上司に話をしても、まともに取り合ってもらえず、自分は不必要な存在ではないかと思えるような心境になり、お届けにこられたのです。

★その方に「これからは以前より一層に会社全体が助かり、立ち行きますように…。部下の方々が助かられ、立ち行かれますように…。関係先・取引先が助かられ、立ち行かれますように…。とお願いさせて頂きましょう。上司の心は神様が変えて下さるのだと思って、神様にご祈念いたしましょう。常に心中ご祈念しながら、御礼を申しながら、目の前の仕事を打ち込んでさせて頂きましょう。神様は大きな大きなところから環境を変えて下さいますよ。先を楽しみに御礼の働きをさせて頂きましょう。」とお話しさせて頂いたことでした。このことはまさに、神様がこの方に「本心の玉を磨きなさいよ。これからが御礼の働きをする時ですよ。」と仰っておられるように思わせて頂きます。

★日々の仕事に打ち込む上で御修行にさせて頂くこと
(1)冷たさ(社会の冷たさ、人情の冷たさ、冷遇)
(2)苦しさ(苦労、辛さ、痛さ)
(3)煩わしさ(忙しい時ほど、煩わしいことや面倒なことが起こってきたりします。その時こそ、実意丁寧にさせて頂いて自分の器を大きくする。)
(4)暇な時間(どのように時間を有意義に使わせて頂くかをご修行とさせて頂く。普段出来ない見直しや次の準備をする。整理整頓・人材育成)

★人間は、安定を求めますが、安定だけでは成長しない一面もあります。三代教会長先生はご自身の戒めとして、『天は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあって、無駄なことは何一つない。敢然として試練に堪えよ。たとえそれが天災や病気や怪我であっても、或いはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても、何事も御神意と受け取り、困難を困難とせず、明るく生き抜く覚悟を持て。』とみ教え下さっています。様々な問題の中に神様の御神意が含まれていることを、心の眼を開いて見る稽古をさせて頂き、元気な心で取り組ませて頂きましょう。

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2019年04月12日

●無償の愛に応えられる氏子に…

教祖様のお広前の近くに、目を病んだおばあさんが住んでおられました。そのおばあさんは、お広前にお参りされ「どうぞ目が見えますように」と願いました。教祖様も、天地金乃神様にお取次下さり、ご祈念下さいますと、何と晴眼になるおかげを頂かれたのでした。そのおばあさんは大変喜ばれたのですが、目が見えたことにより、信心が止まってしまわれたのでした。すると、またその後にそのおばあさんの目が見えなくなってしまわれたのです。そこでおばあさんは、またお広前に来られ、「また目が見えなくなりましたので、見えますようによろしくお願いいたします。」とお願いされました。そこで教祖様も天地金乃神様にお願いされますと、また目が見えるおかげを頂かれました。おばあさんは「目が見えた!目が見えた!」と喜ばれ、また信心が止まり、改まりのない生活に戻ってしまったのでした。それから、また信心が止まった生活を続けておりますと、また目が見えなくなってしまわれたのでした。そこで三度目にお広前に来られお届けされました。教祖様は、天地金乃親神様にご祈念されましたところ、「もうあの女のことは願うな。」とみ教え頂かれたのでした。その折に、教祖様は「私が代わりにお詫び申し上げますので、あの者のことを願うことをお許し下さい。」と代わりにお詫びを申されて、お願いして下さったのでした。

★天地の親神様は『氏子が助かってくれれば、それでよい。神も嬉しい。』と仰って下さる、ご慈愛に満ちた神様であられます。愛情には様々な表し方があります。「好む愛・求める愛・与える愛・応える愛」等々。与える愛とは親が子に対する無償の愛などを指します。神様も私達氏子に、無償の愛を与えて下さっておられます。子供のことを願うのは親の役目でもありますが、無償の愛でもって、無条件に願うのが親です。子供が幸せになるからこそ、親も幸せを感じるのです。同様に、私達氏子が助かってゆくことを神様は喜んで下さるのです。

★神様から与えて下さっているご慈愛に対して、応えることの出来る御礼の信心をさせて頂きたいものです。ご慈愛の中で全てを与えて頂いているのだと分からせて頂き、無償の愛に応えさせて頂ける氏子にならせて頂きたいと思います。
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2019年04月11日

●ご信心を基にバランスの取れた生活を

 ご信心をさせて頂きますと、バランスの取れた生活がさせて頂けるようになります。心や体の健康を保つ上でのバランス、収入と支出のバランス等々、無理無駄ムラがないように心掛けてバランスが取れるようになってゆくのです。仕事や家庭生活においても、二度手間、三度手間がないよう心掛けて努力していきます。反対に、み教えから離れた均衡を崩すことばかりをしておりますと、心も体も不健康になり、生活の中に不健全なものが満ちていくのです。それはお礼の足らない生活、神様から与えて頂いております時間やお金や物・人・食物の命など、全てを粗末にする生活が原因となるからです。

★あるご信者が、長年胃の調子が悪く、お結界でお取次ぎ頂かれました。すると、お結界の先生から「食べ物の頂き方にご無礼がありませんか?ご信心を頂いておられるので、食べ物をゴミ箱に捨てることはないでしょうが、家族が食べ残したものを、『これは食べないと傷んでしまうから』と言って、お腹が一杯なのに食べたり、食べる時機を逃したばかりに少し傷んでしまったものを「もったいないから」と言って、体に毒になるにもかかわらず食べてしまったりして、胃袋をゴミ箱のようにしているのではないですか?そうしたご無礼の積み重ねが、体の不調となって表れるのですよ。食事を作るときにはよくご祈念して、作りすぎないよう、ちょうど良い量を作らせて頂けるよう、お願いさせて頂きましょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★二代金光四神様は、『世の中に徳切れということがある。その徳切れが一番恐ろしいものじゃ。ちょっと見は立派な顔をして、髭の一つも生やしている旦那さまで、牢の中で赤い着物を着て苦悶している者がある。これは徳切れのために、めぐりが出てきて、白いものが黒う見え、黒いものが白う見え、悪いことが面白うなったのじゃ。信心も広大なおかげを受けた時は、これまでの信心の徳によって助かったのであるから、それからは、また改めて一心に信心させていただいて、徳を積んでおかぬと、後の大難が来たとき助からぬわい。』とみ教えなされたのでした。

★しかし、人間のすることに完璧ということはありませんから、一切めぐりを積んでいないという人間はおりません。どこかに御無礼はあるのですが、ご信心を基に生活させて頂き、御無礼を少なくしていくことが大切ですね。

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2019年04月10日

●何事も「させて頂く」という心

4月7日は御本部におかれまして、天地金乃神大祭が奉行されました。私は、調撰司という御用を仰せ付かりました。御本部のお広前を初めとして、大祭場のお供え物や奥城のお供え物は全て、テープや串を一切使わず、調えられお供えがなされます。

★私は「無事に御用にお使い頂けますように…御無礼不行き届きがありませんように…。」とお願いしながら、一台一台お供え物を拝ませて頂きました。天候気象の上、その他すべてに万事におかげを蒙り、多くの方々が手継いで献撰をさせて頂いて、御神殿にお供えさせて頂いたことでした。また、奥城へも、お供え物を持って階段を上りながら、手継いで無事にお供えさせて頂きました。御祭典が終了するまで、崩れて落ちることなくお供えさせて頂けますように御祈念しながら、御祭典を拝ませて頂いたのです。自分の力では到底できることではなく、親教会の御取次ぎ・御祈念を賜り、また皆様のお祈り添えを賜り、神様がお使い下さる御用であると改めて有難く感じさせて頂いたことでした。

★御用に当たらせて頂く前に、御用の心構えをみ教え頂きました。金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)は、『リウマチの私が病気だから出来ないと言ってしまえばそれだけのこと。そこをお願いして掃除をさせていただけた時の喜びは、元気な者が掃除をさせていただく喜びより何倍の喜びか分かりません。神様におすがり申してさせていただきたいという願いを立てれば、掃除の仕方まで神様は教えて下さいます。ご用させてくださいます』と仰せになられました。また『手を切ったから炊事が出来ません。おむつの洗濯が出来ませんというのでは困るでしょう。頭を働かせて分別をしてさせて頂きましょう』と仰せになられたのでした。

★何事も「する」という心でしておりますと、「これはする」、「これは出来ない」ということが出てきます。「出来ない」とあきらめたり投げ出せば、どのようにさせて頂けば良いかということも考えませんね。「させて頂く」という心にならせて頂きますと、神様に「させて頂けますように」とお願いし、また「どのようにさせて頂けば良いでしょうか」を神様にお願いさせて頂くことができ、そこから工夫が生まれ練り出して、させて頂くことができるのです。信心も「させて頂く」という心で日々の景子に励ませて頂くことにより、段々と信心の真似事のようなことが少しずつできてゆくのです。何事も「させて頂く」という心でお願いして、取り組ませて頂きましょう。
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2019年04月09日

●ご信心を以て正しい舵取りを

 昨日はみかげ会例会が開催され、北田氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。北田氏のご信心は、昭和35年にお母様がお導き頂かれ、病気の全快と子供たちの立ち行きを願われ、阿倍野教会にお引寄せ頂かれたことが始まりでした。お母様は常日頃から「阿倍野教会で金光様を信心すると結構になる」と子供達に話しておられたそうです。

★昭和46年、お母様が腎不全により人工透析を受けるしかないと診断されました。当時、人工透析が出来る病院はあまりあられなかったそうですが、おかげを頂かれ人工透析の受けられる病院に入院させて頂かれ、さらには高額な費用も保険適用になった直後とのことで、経済的にもおかげを頂かれたそうです。お母様は人工透析を受けて、その後20年近くお命を延ばして頂かれ、苦しむことなく76歳でお国替えなさったのでした。

★北田氏のお家は来年で入信60年になられます。その間、仕事の上でも段々と重責の立場になられたり、御家族の怪我や手術の上でも色々とおかげを蒙られて頂かれました。次から次へと事が起こってくる中で、一つ一つご信心を以て乗り越えさせて頂かれたのです。

★高橋茂久平師は、阿倍野教会二代教会長伊藤コウ師が金光教学院を卒業なさる際に、二首の御歌を書いて贈って下さいました。その一首が『荒波の 逆巻く灘を乗りしくも 船に真舵の あればなりけり』という御歌です。荒波の逆巻く灘とは世の中のことを例えて下さっておられます。横波をまともに受ければ転覆してしまいます。横波を受けないように正しい舵取りをしていくことが出来ていきましたら、大きな波に揺られることは多少あっても転覆はしません。おかげの頂ける方へと信心を基にして正しく舵取りをしていくことが大切なことだと思わせて頂きます。

★『神様、金光様とお願いでつながっているのではご信心が浅い。おかげを受けていつもお礼を申しておると、神様とのつながりが深くなるからご信心が強く厚うなる』

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2019年04月08日

●心を若々しく健康に保たせて頂く

あるご信者から、勤め先に電話がかかってきて、クレームを30分ほどから1時間聞かせて頂くことがある、というお話を聞かせて頂きました。そこで「そういう時は、心中ご祈念させて頂きながら、聞かれたらよろしいですよ」とお話しさせて頂いたことでした。

★自分の心に溜めずに、それを全てそのままご祈念に変えてしまうということが大切です。「金光様、今この方がこういう風に仰っておられます。どうぞ助かって頂きますように、立ち行かれますように」とお願いしながら聞かせて頂くのです。ご祈念しながら神様にそのままお預けしてしまうのです。それを実践しておりましたら心が痛まずに済むのです。自分自身の心に溜めてしまいますと、心が疲れてきて柔軟に動きが取れなくなってしまいます。ひどい場合は呼吸困難を起こしたり、過呼吸になったり、突発性難聴を起こしてしまったりと体に現れてきてしまうこともあります。しかし、神様にお預けしてご祈念に変えていくことを心掛けておりましたら、心を健康に保たせて頂けるのです。目の前の人のことをお願いして生活させてもらうということは、その人も助かっていかれますが、自分自身も助かっていくのです。そういう有難い生き方を教えて下さっているのですね。

★二代教会長伊藤コウ師は『毎日お届けさせて頂いて「どうぞ今日も一日信心が向上しますように」とお願いさせて頂きましょう』とみ教え下さいました。それは自分の心の狭いところが広くなっていくように、そしてより一層に柔軟で人のことを温かく祈れる心持ち、和らぎ賀ぶ心にならせて頂く信心の稽古に励ませて頂くということなのです。

★心が若々しければ、様々なことを有難く受け取って、柔軟に対処できるようになります。反対に心が老化しますと、頑なになり、硬化して人のことを聞き入れる余地がなくなり、自分の我が出てしまいやすくなってしまうのです。心が若々しければ、自由闊達で生き生きと元気で活力にあふれて、悩みやこだわりが無くなるのです。そのような有難い姿にならせて頂きたいですね。
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2019年04月06日

●神様を杖に難儀を乗り越えてゆく

二代教会長伊藤コウ師のお父上・房次郎氏は、胃がんを患われ、明治37年、コウ師が9歳の時に55歳でお国替えされました。京都から大阪に移らせて頂いて間もなく、お父上が亡くなられたのですが、コウ師のお母上・ハル氏は生活がなかなか成り立たないので「大阪に残ろうか、京都に帰ろうか」と悩んでおられました。

★そこで、お結界でお伺い致しますと「伊藤さん、信心しなさいや。信心しなさいや。しっかり信心しなさいや。」とみ教えを頂かれたのです。み教えを頂かれたハル氏は「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。大阪で鳴らん太鼓は京へ持って帰っても鳴らん。破れ太鼓は張り替えねば鳴ることは無い。伊藤の家は破れ太鼓と同じで、今必要なことはしっかり信心させて頂いて、家のめぐりをお取り払い頂き、お徳を積ませて頂くことなのだ。信心でもって張り直しをさせて頂くのだ。」と悟られたのです。そして、上のお姉さん二人がハル氏の両腕となり、家族が一致団結されて、この難局を乗り越えてゆく事を決意されたのです。

★房次郎氏は、「神様を拝むならわしを拝め!」と言うほどに信心嫌いの方であられました。しかし、ハル氏が信心辛抱をさせて頂くご修行に励まれましたので、後々に家中が勢を揃えて信心させて頂けるようになり、明治33年には教徒の列に加えて頂くことが出来ました。ハル氏が信心教育をして下さらなければ、コウ師が御用をなさることも、初代の先生が伊藤の家に来て下さることもなく、家が絶えていたのです。

★教祖様はこのお道の信心の奥義九ヶ条を教えて下さっています。
一、方位(迷信による日柄方位の良し悪しを絶つ)

二、毒絶て(迷信による食物の良し悪しを絶つ)

三、不成(成らずの心。「無理だ」「出来ない」など、可能性を小さくさせる思いを絶つ)

四、欲徳(食欲等、神様から与えて頂いた生きる為に必要な正しい欲をしっかり持たせて頂く。)

五、神徳(神様からご信用頂き、用いて頂く)

六、人徳(人に用いられること)

七、神(神様を敬う)

八、皇上(ご先祖を敬う)

九、親(親を敬い孝養を尽くす)
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2019年04月05日

●全てにご都合お繰り合わせを頂く有り難さ

 2日にお仕えさせて頂きました勧学祭では、天候気象の上にも万事万端のご都合お繰り合わせを頂き、夕方降ったお湿りも午後6時頃には上がり、真に有り難いことでございました。駐車場で御用をして下さったご信者から、大変有り難いお話を聞かせて頂きました。午後7時から始まる祭典の前には、風が吹いていたそうですが、ご信者皆様がお帰りになる九時頃になると風が急に弱まり、穏やかになったということを聞かせて頂き、有り難いことと神様にお礼申させて頂いたことでした。生神金光大神様のお取次を頂き、真心からさせて頂きますお願いは、日を切ってお願いすれば、その間のおかげを、また、時間を切ってお願いさせて頂けば、時間のご都合お繰り合わせも頂かせて下さるのです。

★たとえご信心の日が浅くても、生神金光大神様のお取次を頂き、天地金乃神様にお願いをさせて頂けば、必ずおかげを蒙らせて頂くことが出来ます。もし、お願いの立て方に間違いがあっても、お取次を頂けば、思い違い考え違いを正して頂き、神様のお心に沿った正しいお願いの仕方を教えて頂くことが出来るのです。そのようにして、正しいお願いが持てるようになりますのは、誰もが生まれながらに有り難い「神心」を頂いているからです。日々丁寧にお取次を頂いて、頂いている神心をしっかり育てさせて頂きたいと思います。

1、惻隠の心…慈愛の心。かわいそうだと思う心。(仁)
2、羞悪の心…己の悪を恥じ憎む心。(義)
3、辞譲の心…辞して譲る心。(礼)
4、是非の心…善悪(是々非々)を判断する心。(智)

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2019年04月04日

●鍛えて頂くことの有難さ

2日には勧学祭をお仕えし、お子さん方の進学進級の御礼と、新年度も心身共に健康で信心を基にした勉強と御用に励ませて頂いて、神徳・人徳・学徳が頂けますように共々にお願いをさせて頂いたことでした。神様からそれぞれに素晴らしい才能を与えて頂いております。その与えて頂いている能力を磨かせて頂き、鍛えさせて頂きましょう。生命を頂いているお礼に勉強をさせて頂き、生命を頂いているお礼に働かせて頂けるように心掛け、世のお役に立つ人間に成長させて頂きましょう。

★息子さんの家庭内暴力に悩まれていたある方が、ご信者にお導き頂かれて参拝なさいました。二代教会長・伊藤コウ師より、「息子さんを拝みなさい。」とみ教え頂かれたのです。しかし、これまでお父さんは「自分が働いて息子をここまで育ててきた。」という思いや、「真面目に働いて育ててきたのに、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか」という感情の方が先に立つ為、なかなか息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこで、お父さんは日参され、「どうぞ息子を拝める私にならせて下さい。」とお届けをしてお願いされたのです。毎日み教えを頂かれるうちに、段々と自分自身の根本的な考え方が間違っていたということに気付かれ、改まってゆかれたのでした。

★すぐに息子さんに変化が見られた訳ではなかったそうですが、根気強く教会に参拝され、年月をかけて、神様におすがりして拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていたのです。息子さんは立派に成長なさり、大学を卒業して就職し、また結婚もされて子宝を頂かれ、ついにはその子供さんを連れて、教会へお参りしてくれるようになられたのでした。それでも、そのご信者は「このようにおかげを頂いていても、私はまだ心の底から息子を拝めてはいません。どうぞ心の底から拝める私にならせて下さい。」と、御国替えなさるまで一筋にお願いし続けられたのです。お父さんがお国替えされた後は、息子さんはお母さんを大事になさり、信心を受け継いでおられます。

★『鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでも刃先に焼きを入れて鍛え直したら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが鍛え直しじゃ、と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、なにもなかったら信心が寝入ってしまう。』
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2019年04月03日

●家業を真にありがたく

 二代教会長・伊藤コウ師は、金光教のラジオ放送でお話をなさる御用を何度か頂かれました。昭和49年4月の放送を、あるお寺のご住職の奥様が聞かれたのです。

★その方は、腸からも出血し、膀胱からも出血するという難病を抱えておられ、お医者にかかって薬を用いられても一向に治らないので、生きる気力を失って、毎日「死にたい、死にたい」と、泣いて暮らしておられたのでした。そんな時に、ラジオから流れてきた伊藤コウ師のお話を聴かれ、有り難さで身が震える思いをなさったのです。是非、阿倍野教会にお参りして伊藤コウ師にお会いしたいと思われたのでしたが、ご自身はお参りが出来るお体ではないので、ご主人であるご住職に頼まれ、ご主人はその頼みをお受けになられたのです。

★お結界で伊藤コウ師に初めてお会いなさったご住職は、「あなた様が、ラジオでお話しになったご本人様ですか?」お尋ねになったそうです。コウ師は79歳であられましたが、ラジオのお声はもっと若々しく、はつらつとしておられたのでした。そこで、「相当のご修行をなさったのですね。どのようなご修行をなさってこられたのですか?滝に打たれたり、あるいは断食などの厳しいご修行をなさったのでしょうなあ。」と、お尋ねになられたのでした。コウ師は、「いいえ、その様な特別な修行は何もしておりません。食事も毎日おいしく、有り難く頂いております。このお道は『家業が行』と教えて頂いておりまして、頂いている家業に毎日有り難く打ち込ませて頂いております。誰もが同じように、有り難い家業を頂いておるにもかかわらず、その自分の家業を疎かにしていることが多く、もったいないことです。誰もが疎かにしやすいことを、真に有り難くさせて頂くことが、このお道のご修行です。」と、お話しになったということです。ご住職は得心され、「有り難うございます。先生の話を拝聴してから、家内は膀胱からの出血が止まりました。どうぞ、腸からの出血もとまりますよう、お願いいたします。」と、お礼を申され、お届けして帰られたということです。

★『天地金乃神と申すことは、天地の間に氏子おっておかげを知らず、神仏の宮寺、氏子の家屋敷、みな神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受けおる。この度、生神金光大神を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたす。』

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2019年04月02日

●様々なおかげに対してのお礼の働き

私達は様々なものの命を分けて頂いております。それは食物だけではありません。人の働き・人の命、そういう有難いものを分けて頂いて、私達は生活させて頂いているのです。例えば、仕事で営業に行かせて頂きましたら「本日は、貴重なお時間を取って頂きまして、ありがとうございました」とお礼を申します。時間というのは、相手の方の命です。その命を分けて頂いたのですね。また、色々な方の働きの上に私達の生活が成り立っています。毎日多くの人々にお世話になっているということは、その人々の働きを分けて頂いているのです。

★ですから、人の為に自分の手足を動かしたり、尽くすということは、これまでのお世話になってきたお礼にさせて頂いているということなのです。「様々なところでお世話になっておりますから、そのお礼に御用をさせて頂きます」という心持ちでさせて頂きますから、人様の為に尽くすことは骨折り損のくたびれ儲けではありません。それはまさに丸儲けです。有難いことに、すべてがお礼の働きとなっていくのです。

そうして、自分自身がお世話になった分をお返し出来ていくのです。ですから、見返りや相手からの感謝も求めず、こちらが「このことを通して、これまでのご恩返しが、少しでもさせて頂けました。有難うございます」とお礼申さねばなりません。それを恩着せがましく「してやった」と思っておりましたら、全く値打ちが無い働きになり、「余計なお世話だ」と言われることにもなりかねないのです。

★有難くお礼の心に満ち満ちてさせて頂いたことでしたら、人様にも神様にも喜んで受けて頂けるのです。ですから、人が助かっていくのです。様々なおかげを頂いて、現在結構な生活をさせて頂いているというご恩が分からせて頂き、お礼の働きを一生懸命させて頂ける姿にならせて頂きたいですね。

★『天地金乃神様は天地を一目に見とおし守っておられる。人間は神の氏子。神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。』
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2019年04月01日

●敬う心を大きく

 下村湖人著『論語物語』にあるお話です。ある時、魯の国の始祖をお祭りする大切なご祭典の、一切を仕切る人物が病気になりました。そこで、孔子に白羽の矢が立ったのです。まだ36歳か37歳という若年であられましたが、人格的にも学問的にも優れておられたことは、知れ渡っていたのでした。孔子はまず始めに、魯の国のしきたり等は勿論のこと、簡単に思えるような祭器の扱いや用途、儀式の坐作進退を事細かに祭官の方々に尋ねて回りました。その様子から、「孔子は子供の様に何でも聞いて回って、大した人物ではない」との噂が出るほど、徹底して祭官等に尋ねられたのです。

★見かねた孔子の弟子が、何故、身に着けてこられた知識を発揮なさらないのかと尋ねると、「礼は敬(つつし)みに始まって、調和に終わらなくてはならない。学びつつ考え、考えつつ学ばなければならない。」と。また、「知は他人に示すためのものではない。真の知識は、敬む勇気、へりくだる勇気を持ってこそ与えられるものだ」ということを、諭されたのでした。そして、祭典の当日は、以前の過ちは正され、立派に仕えられたという内容です。

★4月から新しい環境に身を置かれる方もたくさんおられると思います。そんな時には、今までの自分の経験や実績に囚われることなく、あいさつは自分から率先してさせて頂き、たとえ相手が年下であったとしても、その場の先輩として立てさせて頂き、「何も分かりませんが、どうぞよろしくお願い致します」という心を忘れないようにさせて頂きたいと思います。出来事を謙虚な心で受け止めさせて頂き、神様に対して、人に対して、謙虚に向かわせて頂き、敬う心が大きくなればなるほど、お徳を頂く器を作らせて頂くことが出来ます。油断なく日々お取次を頂き、み教えを頂いて、慎み深く敬う心を大きくさせて頂くことが、み教えを現わさせて頂く有り難い姿となっていくのです。

★『なんぼう学問がある、理屈がよいというても、神様のご信心のことだけは、わかっただけでは役に立たぬわが心に食いこんで、事にあたって実際に出てこねば、神様のお徳はこうむれぬぞ。』

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