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2019年03月18日

●真のおかげとは

 先日より、強風が吹く日もあれば、大雨が降ったり紀伊水道を震源地とする弱い地震があったりと、神様より油断することなく御祈念をさせて頂くようにとお知らせを頂いておりました。そのような中、16日には婦人会例会が無事に開催され、また昨日には、団体列車とバスが無事運行のおかげを頂き、天候を初め万事万端に御都合お繰り合わせを頂きまして、御本部御礼参拝をさせて頂くことが出来ましたことは、大変有難いこととお礼を申し上げさせて頂きました。

★教祖様ご在世中の御頃のことです。国枝三五郎師は、片目がうずいて困った時に教祖様にお届けされますと、『春の花の四日(旧三月四日)を楽しめ』とみ教えを頂かれたのでした。治ることを楽しみになさっておられた国枝三五郎師でしたが、四日になっても痛みがとまらず、五日に参られてそのことを教祖様にお届けなさると、『午の年(国枝三五郎)、不足信心をするな。その方の命は、花の節句には花のごとくに散るのであった。それを助けてやったのである。命がなくては目はいらないであろう。生きておればこそ、目が痛いのがわかるのであろう』とみ教え頂かれたのでした。

★さらに教祖様は続けて『五月の菖蒲を楽しめ』と仰せになられたのでした。その日までには大分よくなられ、その時には『七月の七日を楽しめ』と仰せになられたのです。すると、七月には痛みも全快のおかげを頂かれたのでした。国枝三五郎師は、六年間に三度盲目になられましたが、熱心にご信心をなされて晴眼のおかげを頂かれました。教祖様から日を切ってご祈念頂かれ、その都度み教えを頂いて、心を見直し信心を改める稽古を積まれたのです。 真のおかげ、真の信心とは何でしょうか?病気が治るということが真のおかげではありません。病気を通して自分自身の至らない点に気付き、神様に心を向けるということが真の信心であり、自身の心を改まることができるということが真のおかげなのです。

★『信心していてもおかげが遅い、まだかまだかと思ってうろたえて、真の心が大事であるということを知らない。神様にお頼みして、一週間たっても治らなければ、まだ治らない、おかげがないと言って神を恨む。三年、五年、医者にかかり薬を飲んで、まだ治らなくても、医者には不足を言わず、また頼みすがっていく。神様はお気の毒なものである。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:53 | 平成31年の「み教え」