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2019年02月26日

●信心を基にして

 初代教会長・伊藤徳次師は大正15年にお国替えになられました。二代教会長となられた伊藤コウ師が真心で一心に神様におすがりなさって、昭和2年に旧広前新築のおかげを頂き、喜びに満ちて御用にお使い頂いておられました。昭和4年3月18日のことです。阿倍野教会のことを心配なさっておられたのでしょう。甘木教会初代教会長・安武松太郎師が阿倍野教会に参拝して下さり、旧広前の柱を撫でて喜んで下さったそうです。

★その折に天王寺公園を訪れられ、蓮の池を御覧になられて、「私達も蓮のような信心をさせて頂かなければならないなあ」と仰りました。蓮の根は泥にうまっていますが、蓮根が育ち人の口に食され、葉は育ち、綺麗な花を咲かせます。どのような環境にあっても、難儀や厳しい環境の下でも信心で以て活き活きと育ってゆかねばならないと教えて下されておられます。

★安武師は何を見られてもご信心を元に受け取られ、神様のみ教えとご自身に頂かれて、私達に「信心を基にしてこうした取り方をしなさいよ」とみ教えを下されておられるのです。心の耳をもって聞かせて頂き、心の眼をもって見させて頂くということは、頂きようが違われるのですね。私達もそのようにならせて頂きたいものです。

★『初めに聞いてありがたかった話が、いつ聞いてもありがたかったら病なしの信心である。初めに聞いてありがたかった話が、ありがとう聞けぬようになったら病の信心である。病の信心にはおかげはない。三つの歳に食べた米の飯が、四十、五十になってもおいしかったら病気はないのである。』心が病んでる状態ですと有難さが薄れていくのです。

★『氏子、忙しければ信心をせよ。壮健ならば信心をせよ。とかく氏子は反対をするから、真のおかげが受けられない。』忙しければ、つい理由をつけてお広前への参拝が遠ざかったり、順風満帆な時には何もお願いすることはないと思ってしまいますと、何事も自分でしてきたという気になってしまうのです。それは大きな間違いです。「ここまでおかげを頂いてきました。有難うございます」と日々謙虚な気持ちで生活をさせて頂き、「お礼の働きがさせて頂けますように」と信心を元にさせて頂きますと、間違いは起こってきません。そのようなおかげを蒙らせて頂きたいですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:55 | 平成31年の「み教え」