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2019年02月15日

●無我の心でみ教えを頂く

二代教会長伊藤コウ師のご母堂であるハル刀自は、教会から頂かれる通知状や御祭典の案内等を御神前にお供えして、その日まで御祈念をなさっておられたそうです。コウ師が子供の時に「お母さん、どうして教会から頂いた案内をご神殿にお供えしておくのですか?毎日長い間、何をご祈念しているのですか?」とお伺いになりますと、ハル刀自は「私のような信心の行き届かない、また御恩返しの足りない者に対して、教会から信者の一員として加えて頂き、その都度、通知状を頂くことは誠に勿体ない、有難い事です。どうぞ一人前の信者にお取立て頂けますように。今は中途半端で仕方のないような人間でありますが、信心がだんだん成長させて頂いて、一人前の信者として神様に喜んで頂いて、お役に立たせて頂き、結構に安心立命のおかげが頂けますようにお願いさせて頂いているのですよ。」と仰ったのでした。

★何事も頂き方が大切ですね。ハル刀自の何事も有難く謹んで、押し頂くというような御姿勢を習わせて頂きたいと思います。み教えの頂き方にも色々とあります。以前、ご信者のおかげ話を聞かせて頂いた時のこと。「嘘と違いますか?本当です。」とお話しなさったご本人に対して発言した人がありました。それは、冗談のつもりであったとしても、あまりにも失礼な態度であり、自身の受け物が壊れている状態だとしか思えませんでした。こういう受け方しか出来ないのが、おかげを頂けない元なのです。お広前で頂くみ教えや、お結界で頂くみ教えも、「とても私には無理で、実行できないだろう」と諦めたりすることも、不成心ですね。また自分自身に頂くのではなく、「家に帰って、主人(家内)に言い聞かせてやろう。」という気持ちでは、頂いたみ教えが武器となり、おかげを頂く妨げとなるのです。お広前という場所は、「どうぞ私の心を正しく改めさせて頂けますように」と願い、自分の心を直して正して頂く場所です。真実のお話を純真に頂き、自分の信心の糧にさせて頂けることが、自分の肥やしになるのです。

★『ここへ参っても神の言うとおりにする者は少ない。みな帰ってから自分の良いようにするので、おかげがない。神の言うことは、道に落としてしまい、自分勝手にして神を恨むものもある。神の一言は、千両の金にもかえられない。有難く受けて帰れば、舟にも車にも積めぬほどの神徳が頂ける。心のうちを改めることが第一である。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:49 | 平成31年の「み教え」