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2019年02月28日

●心掛けるべきは徳の貯蓄

 二代金光四神様は、ご信心させて頂く者の心得として、『嘘をつくこと。盗みをすること。腹を立てること。』の三つをしないように心掛けることが大切だとみ教え下さっています。簡単な言葉を使って頂いておりますが、真にこのみ教えを守らせて頂くことは、容易なことではありません。

★人に嘘をつかない事も大切でありますが、神様に嘘をつくことのないように、心掛けて生活を進めさせて頂くことが大切です。例えば、切羽詰ったお願いをさせて頂く時には、「このように改まらせて頂きますので、どうぞおかげを頂かせてくださいませ!」と、必死になって改まりに取り組むことをお願いしているかもしれません。ところが、お願いが成就した途端に気が緩んでしまい、改まらせて頂く前の自分にいつの間にか戻ってしまうのは、神様とのお約束を守りきれたとは言えません。

★また、「自分は盗みなんかしたことはない」と思うかもしれませんが、お仕事をさせて頂いて給料を頂くときに、本当に給料に見合った働きがさせて頂けているでしょうか。給料以上の働き、ただ働きをさせて頂く位のつもりで働かせて頂くことによって、その働きは、天地にお徳の貯蓄として神様が受け取って下さいます。そして、ここぞという時に、常々の徳の貯蓄によって、間に合うようにおかげをお授け下さるのです。

★また、『腹立てば心の鏡のくもること』とみ教え頂いておりますように、腹を立てるということによって、己の徳を失うことになるのです。貴金属や土地家屋といったこの世の「財産」呼ばれるものは、霊となる時には全て置いていかなければなりませんが、天地に積ませて頂いたお徳は、霊となった後も持って行くことが出来、子孫にも残して頂くことが出来、安心、繁盛の有り難いおかげを頂けるのです。日参と聴教のお徳、生神金光大神様の御取次を頂くお徳、御用奉仕のお徳、お導きのお徳等々、日々信心させて頂いてお徳を積ませて頂くことを願わせて頂きましょう。

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2019年02月27日

●揺るがぬ信心

 三代教会長先生が62歳の御時、くも膜下出血の発症により、40日間絶対安静を必要とする状況になられました。私はベッドのそばで御祈念させて頂いておりましたが、心配や不安で離れることができませんでした。私は「今晩徹夜してでもかまわない。御祈念させて頂く。」と思っていましたら、奥様が「あなたが一晩徹夜しても治られるわけではありません。明日学校へ行かねばならないでしょう。一人では何も出来ません。皆が交代しながら長期に亘ってお世話をさせて頂き、おかげを頂かねばならないことです。気が済むまでお広前でしっかりと御祈念させて頂いて、すべて神様にお任せして寝させて頂きなさい。先生は必ずおかげを頂かれます!」と言って頂いたのでした。その後、お広前で1時間半ほど御祈念させて頂いておりますと、有難いことに「あとは万事お任せ」と思わせて頂くことが出来ました。

★三代教会長先生は「今日まで60年間お生命を頂き、身体を使わせて頂いたお礼をさせて頂こうと思ったら60年かかる。これから60年間かけてでも御礼の働きがさせて頂けますように。」と新たに願いを立てられ、40日後、歩く事からリハビリをなされ、お説教やお結界の御用を通して徐々に回復のおかげを頂かれたのでした。しかし、10年間は常に頭痛を抱えておられ、冬場でも頭を氷枕で冷やさなければ、休むことが出来られない状況であられました。そのような状態にもかかわらず、不足を一切口に出されず、お礼の御用に専念されたのです。そうして、以前と変わらずに毎日御用にお使い頂かれた結果、くも膜下出血の出血は自然吸収され、後遺症なく全快のおかげを頂かれ、90歳6ヵ月まで天寿を全うされるまで、御用にお使い頂かれたのです。

★三代教会長先生と奥様が、「必ずおかげが頂ける!」と神様にすべてをお任せされ、どんな状況になられても揺るがないご信心を示して下さり、信念を現わして下さいました。そのお姿を拝ませて頂き、私の心に有難い衝撃を与えて下さったのです。

★私共も生命を頂いている御礼に、しっかりと御礼の働き・御用に励ませて頂き、有難い信心の灯をともさぬように、次の代へと伝えてゆく信心をさせて頂きましょう。
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2019年02月26日

●信心を基にして

 初代教会長・伊藤徳次師は大正15年にお国替えになられました。二代教会長となられた伊藤コウ師が真心で一心に神様におすがりなさって、昭和2年に旧広前新築のおかげを頂き、喜びに満ちて御用にお使い頂いておられました。昭和4年3月18日のことです。阿倍野教会のことを心配なさっておられたのでしょう。甘木教会初代教会長・安武松太郎師が阿倍野教会に参拝して下さり、旧広前の柱を撫でて喜んで下さったそうです。

★その折に天王寺公園を訪れられ、蓮の池を御覧になられて、「私達も蓮のような信心をさせて頂かなければならないなあ」と仰りました。蓮の根は泥にうまっていますが、蓮根が育ち人の口に食され、葉は育ち、綺麗な花を咲かせます。どのような環境にあっても、難儀や厳しい環境の下でも信心で以て活き活きと育ってゆかねばならないと教えて下されておられます。

★安武師は何を見られてもご信心を元に受け取られ、神様のみ教えとご自身に頂かれて、私達に「信心を基にしてこうした取り方をしなさいよ」とみ教えを下されておられるのです。心の耳をもって聞かせて頂き、心の眼をもって見させて頂くということは、頂きようが違われるのですね。私達もそのようにならせて頂きたいものです。

★『初めに聞いてありがたかった話が、いつ聞いてもありがたかったら病なしの信心である。初めに聞いてありがたかった話が、ありがとう聞けぬようになったら病の信心である。病の信心にはおかげはない。三つの歳に食べた米の飯が、四十、五十になってもおいしかったら病気はないのである。』心が病んでる状態ですと有難さが薄れていくのです。

★『氏子、忙しければ信心をせよ。壮健ならば信心をせよ。とかく氏子は反対をするから、真のおかげが受けられない。』忙しければ、つい理由をつけてお広前への参拝が遠ざかったり、順風満帆な時には何もお願いすることはないと思ってしまいますと、何事も自分でしてきたという気になってしまうのです。それは大きな間違いです。「ここまでおかげを頂いてきました。有難うございます」と日々謙虚な気持ちで生活をさせて頂き、「お礼の働きがさせて頂けますように」と信心を元にさせて頂きますと、間違いは起こってきません。そのようなおかげを蒙らせて頂きたいですね。

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2019年02月25日

●神様のお気付けを素直に頂く

私が大学を卒業して大阪に戻り、学校へ勤めさせて頂いた時に、花粉症を発症しました。★それはひどいもので、両眼ともアレルギー性の結膜炎になり、夜中も呼吸困難で寝られませんから、苦し紛れに薬を服用しますと、その薬の副作用で膵炎を起こしたことがありました。「薬れ祈れ」の状態だったのだと思います。その薬の副作用はとてもきつく、涙や鼻水等の粘膜から分泌させるものを止める成分は、内臓から分泌されるものをも止めてしまう作用があったようです。そこで、病院で診察して頂き膵炎の治療を受け、医師から薬を処方して頂いたのですが、その抗アレルギー薬を飲むと、嗅覚が全く利かず、甘い物が苦く感じるようになり、味も匂いも全く感じなくなったのでした。

★医師に、「一回服用しただけですが、このような症状になりました」と伝えますと、「珍しいですね。このような副作用が起こるのは10万人に一人です。早速その薬を止めましょう。食事で改善していきましょう。」と仰って頂きました。腸壁が荒れているところから、アレルギーの元となる異形たんぱく質を取り込んでしまうらしいのです。焼いたり、揚げたり、炒めたりした魚や肉でなく、煮炊き物を中心に頂いて、腸を整える食事に変えていくようにしました。『体の丈夫を願え、体をつくれ、何事も体が元なり』とみ教え頂いておりますように、それからは、日々新たな心持ちで実に30年以上、体質改善するために、毎日気を付けながら生活させて頂いておりますと、有難いことにアレルギー体質も大幅に改善のおかげを頂いているのです。

★一つの症状から、神様が「今のうちに改まらせて頂きなさいよ」とお気付けを下さっているのですから、病気であろうが、会社の抱えている諸問題であろうが、人間関係であろうが、様々な厳しい辛いと思えることも、おかげの元になるのです。神様から色々とお知らせ下さっているところに、気が付かせて頂ける人間になるか、そうでないかで神様は大きく違ってきます。「今あなたにはこれが必要ですよ」とお知らせ下さっている時に、それを「ありがとうございます」と素直に有難く受け切って、何事も改まらせて頂きますと、素晴らしいご庇礼を頂くことが出来るのですね。
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2019年02月24日

●幸せを築くもと

 先日は、天候の上にも結構なご都合お繰り合わせを頂いて、三代教会長先生の11年廻れる例年祭をお仕えさせて頂き、多くの参拝の方と共々にお礼を申させて頂けましたことは、真に有り難いことでございました。

★お祭り日とは、御恩を忘れない為の大切な日と教えて頂いております。天地の親神様の御恩、霊様方の御恩、親様、国家社会の御恩など、私達は様々な恩恵の中にお命を頂き、日々生かして頂いているのですから、御恩を忘れた生き方は、決して先々結構にはなっていきません。

★三代教会長先生は、「本当の幸せとは、神様からも可愛がって頂き、人からも厳しく教えて頂くことです。どんな困難に直面しても、『生神金光大神様、天地金乃神様』とご祈念させて頂きながら、力強く乗り越えさせて頂けるのが、有り難いのです。そのように徳も力も頂くためには、ほんのわずかな過ちでもすぐにとがめられ、すぐ改まるように仕向けて頂ける方が幸せであり、生活全体が結構な方向に変わらせて頂けるのです。反対に不幸せとは、辛い、苦しいことを避け、少々の過ちをしても、何事もなく過ごすことが出来てしまうことなのです。」と、み教え下さっておられます。

★油断なく日参と聴教に励ませて頂き、毎日の生活の在り方や考え方が、御恩を忘れたご無礼なあり方に少しでもなっていたら、すぐさま改まらせて頂き、活き活きとお役に立たせて頂いて、御恩を感じ、御恩に報いる有り難い生き方にならせて頂きたいと思います。

★『祭り日は、信心を忘れないための大切な日である。この祭り日を忘れさえしなければおかげがある。忘れたらおかげはない。親の恩を忘れないための法事のようなものである。何事にも恩を忘れてはならない。』

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2019年02月23日

●み教えを心から有難く頂く

昨日は、三代教会長・伊藤良三大人霊神の十一年廻れる例年祭をお仕え申し上げました。ご生前中にお取次ぎ下さり、み教えをお説き下さいまして、御霊神となられてからも日々お守り下さって、私共が今日有り難いおかげを頂き続けております御礼を、共々に申させて頂いたことでした。

★三代教会長先生が、ご自身の戒めとしておられた心構えとして『天は私に必要以外の何ものも与えず、長い人生に遭遇する一切の経験は、皆自分の本心の成長の為にあって、無駄なことは何一つない。敢然として試練に堪えよ。たとえそれが天災や病気や怪我であっても、或いはあらぬ中傷であっても、また気の進まぬ仕事であったとしても、何事も御神意と受け取り、困難を困難とせず、明るく生き抜く覚悟を以ってせよ』と残しておられます。

★三度目のマラリアの症状が出られた時のことです。神経の麻痺がおこり、手足が動かなくなられ、何事にも辛抱強い先生が「半年は寝ることになるか・・・」と思われた程の症状であられました。ある時、部屋で休んでおられるところに伊藤コウ師が来られ、「いつまで寝ているのですか!近頃すっかり偉くなって、ほうきも雑巾も持たんようになったから、もう手も足もいらんわなあ」と、厳しいみ教えを頂かれたのでした。三代教会長先生は、「その通りだ」と、素直に得心され、這いながらでも布団から出られたのでした。

★み教えを頂いて「何が何でもおかげを頂くぞ!」と金光様とお願いなさったわけです。教えを守らせて頂いておかげを蒙られたのです。み教えは厳しいように思えますが、それを自分自身が本当に有難く頂かない事には結構になっていきません。『神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ』一心とは改まらせて頂くということに迷いがないということです。

★晩年に三代教会長先生が「私は親先生(二代教会長伊藤コウ師)が仰ったことを、不足に思ったり、『なんて意地悪なこと言いはるんや』と思ったことは一度もない」と仰っておられました。三代教会長先生は不自由を行となさって、常にご修行をなさっておられ、私共に有難いお姿を示して下さっておられたのです。三代教会長先生にお喜び頂けるようなご信心を進めさせて頂きたいですね。
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2019年02月22日

●幼少の頃からみ教えを頂く大切さ

 連日のニュースの報道を拝見致しておりますと、日々様々な問題が噴出している今日の社会の現状であります。学校の現場に於きましても、生徒同士のいじめだけでなく、教師が学生さんや児童に対していじめを助長するような、真に残念な事件が報道されています。そのような問題がクローズアップされるずつに、「この世の中にご信心が満ち満ちて、み教えを頂くということが世の中に満ち満ちていけば、どれほど有難い世の中全体になるだろうか…」と願わずにはおれません。

★『人が人を助けるのが人間である』とみ教え頂いておりますのに、人を騙したり、殺めたり、また親が子を虐待して死に至らしめたりと、口にするだけでも恐ろしい痛ましい事件が、世の中には次々と起こってきております。そうした現状を目の当たりにさせて頂きますと、ご信心を基にした家庭教育や学校教育、また社会教育が為されるように、変わらせて頂くことが大事なことであるなあと思わせて頂きます。幼少の頃からお参りしてみ教えを頂き、早くから天地の道理を学ばせて頂いて成長させて頂く、ということは実に大事なことである、と痛感させて頂きます。

★二代教会長伊藤コウ師が、あるご家庭にお宅祭に行かれた時のことです。コウ師が大学を卒業なさった息子さんに対して「あなたもご信心させて頂きましょうな」とみ教えなされますと、そのお母さんは「いや、この子にはまだ信心は早すぎます」と言われたのでした。コウ師は、その青年の成長とご家庭の発展を願って「今のうちにみ教えを頂きなさいよ」と仰っておられますのに、そのお母さんは、「今は自分の好きな様にさせて、何か問題が起こってきたら信心すればよいだろう」という、全く間違った考えをしているのです。一日でも早く、毎日の生活がみ教えに基づいた生活になりますと、おかげを頂く近道になるのです。生命にかかわるような難儀なことが起こり、どうにもこうにもならず、勤めることも出来なくなるような八方塞がりになってからでの信心では、遅すぎます。

★「毛穴からでもみ教えは入る」と教えて頂いております通り、赤ちゃんの頃から親がお広前に連れてお参りさせて頂いて、親も子も共に願い合い、み教えを頂くということは、どれほど有難いことであるかと思わせて頂きます。信心教育は実に大事なことで、また信心相続の実現ということは、末広がりに有難いおかげを頂ける近道とならせて頂けるのです。

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2019年02月21日

●御礼の足りぬお詫びとは…

先日、虫垂炎で入院しておられたご信者が、手術には至らずに無事に退院のおかげを頂かれました。まだ、軽度の炎症であったため、薬で散らして頂いて、快復のおかげを頂かれたのです。以前は、虫垂炎に罹らずとも、腸ヘルニアの手術の折に、盲腸も切除する手術をしていたこともあったそうですが、近年はなるだけ盲腸を残す治療の方針に変わっているようです。近年分かったことですが、盲腸は働いていない臓器ではなく、消化酵素を処理する働きをしている場所だそうです。段々とそれぞれの臓器の役割が分かってきているようですが、それぞれの臓器同士の関わりがまだすべて解明されていないそうです。神様が与えて下さっているすべての臓器に無駄はなく、すべての関わり合いによって生かされて生きていることが分からせて頂きます。

★ご信者は、退院なさってお礼届けに来られ、「虫垂炎に罹って、初めて虫垂の正常に働いて下さっていた有難さが分からせて頂けました。日々御礼の申し足りないことが分からせて頂き、お詫び申し上げます。」とお詫び申し上げられたのでした。身体が痛んで初めて、それぞれの臓器がすべて正常に日々働いて下さって、元気で生活させて頂いている有難さが分からせて頂けます。

★人間は、目の前の思い通りにいかないことや、不自由さに目を向けて不平不足を言ってしまいがちです。神様に心を向け、自分の至らない部分や見えない部分に目を向ける稽古をしておりますと、広大無辺な神様のお働きに気付き、今まで気付けなかったことに気付かせて頂くことができるのです。

★数え年14才というご年令から、70年間お結界に恪勤なされた三代金光様は、『天地の事は、人の力に及びませんでなぁ。神信心には何事も辛抱することが一番大切でございます。教祖様が欲を放して神様の御取次をお受けなさって、四神様がお跡を10年、夜に昼に欲を放れてお座りなさって、早うお国替えなされてなぁ。それから何も知らぬ私が、座りさえすれば楽じゃと言うて座らしてもらいました。初めのうちは辛うて辛うてよう泣きましたがな。親様の教えを守らしてもろうて、泣く泣く辛抱しいしいに座っとりましたら、欲しいものも考える事も、いつの間にかなくなりましてなぁ。有難うて有難うてならんようになり、なんぼう御礼を申しても足りませんのじゃ。御礼の足りませぬお詫びばかり申しております。勿体ない事でございます。』とみ教え下さっておられます。
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2019年02月20日

●家族円満に難を乗り切る

 18日には教徒会例会で、野元氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。ご両親が、近所の方にお導き頂かれ、ご神縁を頂かれました。そのお父様が、38歳で急性心不全でお国替えなさり、当時32歳だったお母様は、親戚の方々の勧めで、現在のお父様と再婚されたのでした。それでもお母様は、三人の幼い子供のことや、商売のこともあって、うつ状態になられ髪も白くなってしまわれたほどでしたが、二代教会長・伊藤コウ師より、「三人の子供を育てるのに、そんなことをしていてはいけません。手に職を付けなさい」とみ教え頂かれたのです。また、お父様も、「辛抱できますか。しっかり信心しなさいや」と、優しく力強いみ教えを頂かれたのでした。それから、弟さん、妹さんも生まれ、5人兄弟の7人家族で、仲良く助け合って生活させて頂かれました。

★ご両親は、弟さん家族と同居しておられますが、お母様が平成24年1月から29年12月までの間に三度に亘って脳梗塞を発症され、二度目の脳梗塞を発症した後から、お取次を頂いて、リハビリの出来る施設に入所することになられました。それからも、ご家族は毎日のように面会に行かれ、出来る限り外出をさせてあげて一緒に教会にお参りなさったり、外泊をさせてあげられたりと、お母様の介護を通して、一層家族親族が円満に、団結していくおかげを頂かれたのでした。またお母様も、「5人も子供を産んで育てて、苦労もいっぱいしたけど、私ほど幸せな人間はいない」とおっしゃって喜ばれ、ご家族に親切に介護して頂かれながら、平成30年2月にお国替えなさったのでした。

★今日も、家族親族そろってご信心なさり、御用にもお使い頂かれ、円満におかげを頂いておられることは、真に有り難いことでございます。

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2019年02月19日

●御霊地のお徳を頂いて帰る

17日には、天候初め万事万端に御都合お繰り合わせを頂きまして、有難い御本部御礼参拝をさせて頂くことが出来ました。私自身も今回有難いおかげを頂いた参拝にならせて頂きました。実は16日から胃の調子が悪かったのですが、17日には腸の調子が悪く、朝からお腹を下しておりました。熱もなく苦しさもなかったのですが、腹部に少し力を入れるだけでもトイレに行かなければいけない程でした。

御本部に於いて、朝から夕方まで幾度も体の悪毒病毒をお取り払い頂き、御神水でもっておかげを頂き、翌18日には清々しい朝を迎えさせて頂きました。御本部参拝の道中や御霊地で起こってくることは全ておかげです。御霊地で解毒をして頂き、御霊地のお徳を頂いて帰らせて頂いたのです。普段何事もなく食事を頂くことで出来、消化吸収させて頂けることは、どれほど有難いことかと改めて体感させて頂きました。

★『病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸替えをするのに八・九分替えて退屈してやめれば掃除はできぬ。それでやはり水は濁っているようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで一心にまめで繁昌する様に元気な心で信心をせよ。』

★途中で井戸掃除をやめては、水はきれいにはなりません。最後の最後までやり通さないことには、井戸の水はきれいにはなりませんし、どこまでも信心のお徳を積み重ねてゆきませんと、病気災難の根は切れません。御霊地にてめぐりのお取り払いを頂き、御霊地のお徳を頂いて、心も体も作り変えて頂いて帰らせて頂けるのです。そうして有難い方へお導き頂ける、そういう参拝にならせて頂けるのです。

★阿倍野教会では初代教会長先生が「何が何でも毎月御本部参拝をさせて頂きたい」というお願いを立てられ、月々の参拝を続けられました。その願いを今月も受け継ぎ、願い続けさせて頂いておりますので、天候や列車・バスの上にも万事に御都合お繰り合わせ頂いて、毎月おかげを蒙らせて頂いておりますことは本当に有難いことです。

一回一回のお参りで体も心も整えて頂き、何が何でもおかげを頂かせてもらう、という受け物を作らせて頂きましょう。そして油断のない信心・揺るぎのない信心をさせて頂いて、次から次へとおかげを蒙らせて頂ける生活にならせて頂きたいですね。
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2019年02月18日

●親から子へと伝えられた信心の徳

 16日には婦人会総会が開催され、二井氏の有り難いおかげ話を聞かせて頂きました。

★昭和28年、お母様がおみちびきを頂かれ、入信させて頂かれたのでした。二代教会長・伊藤コウ師より、『金の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ』のみ教えを頂かれ、病気がちであられたお父様の回復と、生活の立ち行き、一人娘の二井氏の無事の成長と信心相続を一生懸命に願われ、信心辛抱なさったのです。

★小学校3年生の時、お母様が、伊藤コウ師よりお結界で、「日曜日だけでも子供会に参拝させて頂きなさい」とみ教えを頂かれ、二井氏は、堺市より阪和線、阪堺線を乗り継いで、子供会に参拝なさるようになったのです。そのうちに、日曜日だけの参拝であったのが、毎日参拝させて頂くようになられ、お母様は、後ろ祈念を欠かされず、堺市の駅に帰り着く時には、いつも駅の柵から身を乗り出すようにして出迎えて下さったそうです。また、月例祭の日には、子供会が終わった後、お広前の隅で勉強しながらお母様を待たれ、一緒に月例祭を拝んで帰られる等、一生懸命に二井氏にご信心を伝えられたのでした。

★二井氏は、昭和57年に中学校の英語教員になられてより、今年度で教職生活37年目を迎えられ、現在は小学校の校長として勤めておられます。二井氏は、中学の教員時代から長年、子供会日曜例会で「やさしい英語」のご指導にあたって下さっています。そのご経験が、思わぬ形でお役に立たせて頂かれ、ご自身も驚かれるほどに、小学校での勤務に順応出来ておられるということです。お取次を頂かれながら、一人ひとりの児童と実意丁寧に向き合われると共に、ご信心を基にして学校全体の課題に取り組まれ、明確な目標と願いを持たせて頂いて、有り難い働きを続けておられますことは、真に有り難いことでございます。

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2019年02月16日

●本気になって願う

 戦後間もなくの頃、あるご婦人がどなたにお導きされた訳でもなく、門の提灯を見られて訪ねて来られました。お結界で三代教会長・伊藤良三師に、「私の主人が何処に居るのか分かりません。主人の居所を占って頂けませんか?」と尋ねられたのです。良三師が事情を伺われますと、元々近くに住んでおられたのですが、戦争でその方は子どもを連れて疎開し、ご主人は家に残られました。終戦後1年程経ってから帰ると、ご主人が居なくなっており、親戚の家を転々としながらご主人を捜しておられるということでした。

★良三師は、夫婦共に内地に居ながら離れ離れになられたことや、終戦後1年間も自宅へ帰られなかったことを不思議に思われ、さらに事情をお尋ねになると、「実は、主人は何らかの病気にかかっており、ドイツ語で書かれたおかしな薬を飲んでいましたが、それを私に隠していたので、主人を信用できなくなってしまっていたのです。」とその方は話されたのでした。それをお聞きになった良三師は、「ご主人が病気にかかられているのなら、しっかりと支えて家老としての働きをさせて頂くのが本物の奥さんであるのに、それが出来られていない。改まって本物の奥さんにならせて頂けるようにお願いしなさい。教会は占いをする所ではなくお願いをする所です。ご主人の居所が分かるように神様のお徳におすがりしましょう。神様を信じて疑わないようにお願いしなさいよ。」とみ教えをなさったのでした。

★その直後、ご婦人は教会からの帰り道に、駅の陸橋を歩いておられると、おじさんに出会われました。ご主人を捜していることをお話しなさると、なんとおじさんは直前に駅の構内でご主人を見かけておられたのです。また後に、ご主人の家も見つかり家の前でじっと待っておられると、ご主人が帰って来られ、とうとう会うことが出来られたのでした。

★本物の願いを立てさせて頂きますと、環境が整い人も協力して下さるのです。神様がお導き下さって、手を引いて下さり「こちらの方向へ行きなさいよ」と道付けをして下さるのです。その願いを成就させて頂くためには、どこまでも願い続けて本気になって、神様を離さないようにすることです。そして、決して諦めることなく、自分自身が「ご修行させて頂こう!」と本気になっておすがりさせて頂くことが、おかげを頂く方へ導いて下さるのです。

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2019年02月15日

●無我の心でみ教えを頂く

二代教会長伊藤コウ師のご母堂であるハル刀自は、教会から頂かれる通知状や御祭典の案内等を御神前にお供えして、その日まで御祈念をなさっておられたそうです。コウ師が子供の時に「お母さん、どうして教会から頂いた案内をご神殿にお供えしておくのですか?毎日長い間、何をご祈念しているのですか?」とお伺いになりますと、ハル刀自は「私のような信心の行き届かない、また御恩返しの足りない者に対して、教会から信者の一員として加えて頂き、その都度、通知状を頂くことは誠に勿体ない、有難い事です。どうぞ一人前の信者にお取立て頂けますように。今は中途半端で仕方のないような人間でありますが、信心がだんだん成長させて頂いて、一人前の信者として神様に喜んで頂いて、お役に立たせて頂き、結構に安心立命のおかげが頂けますようにお願いさせて頂いているのですよ。」と仰ったのでした。

★何事も頂き方が大切ですね。ハル刀自の何事も有難く謹んで、押し頂くというような御姿勢を習わせて頂きたいと思います。み教えの頂き方にも色々とあります。以前、ご信者のおかげ話を聞かせて頂いた時のこと。「嘘と違いますか?本当です。」とお話しなさったご本人に対して発言した人がありました。それは、冗談のつもりであったとしても、あまりにも失礼な態度であり、自身の受け物が壊れている状態だとしか思えませんでした。こういう受け方しか出来ないのが、おかげを頂けない元なのです。お広前で頂くみ教えや、お結界で頂くみ教えも、「とても私には無理で、実行できないだろう」と諦めたりすることも、不成心ですね。また自分自身に頂くのではなく、「家に帰って、主人(家内)に言い聞かせてやろう。」という気持ちでは、頂いたみ教えが武器となり、おかげを頂く妨げとなるのです。お広前という場所は、「どうぞ私の心を正しく改めさせて頂けますように」と願い、自分の心を直して正して頂く場所です。真実のお話を純真に頂き、自分の信心の糧にさせて頂けることが、自分の肥やしになるのです。

★『ここへ参っても神の言うとおりにする者は少ない。みな帰ってから自分の良いようにするので、おかげがない。神の言うことは、道に落としてしまい、自分勝手にして神を恨むものもある。神の一言は、千両の金にもかえられない。有難く受けて帰れば、舟にも車にも積めぬほどの神徳が頂ける。心のうちを改めることが第一である。』
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2019年02月14日

●日々新しく、素直に有難い心で

 昭和38年8月のことです。ある学生さんが、二代教会長伊藤コウ師にお届けなさり、「7月は有難うございました。8月も宜しくお願い致します。今月は何日からキャンプに行かせて頂く予定になっております。どうぞ無事故でおかげを頂けます様に。」とお届けをされました。するとコウ師は「あなたは御本部参拝はされないのですか?」とお尋ねになられました。その学生さんは「その月はキャンプに行かせて頂きますので御本部参拝は出来ません。」と答えました。するとコウ師は「今あなたの言ってることは、自分の都合を第一にして、神様を後回しにしていますね。そこのところをよく考えてみましょうな。」とみ教えなされたのでした。

★暫くしますと、その学生さんが再びお届けに来られ「御本部参拝させて頂きます。絶対にお参りさせて頂きます。」と、心が変わられてお届けが出来られたのです。コウ師は「結構やな。金光様有難うございます。よくその決心が出来られましたね。有難うございます。」と神様にお礼を申されたのでした。

★勉強や仕事が出来るのは、お命を頂いているから、させて頂けるのです。その有難い事が分からせて頂いて、ご信心を第一にさせて頂くと言う事にならせて頂きましたら、御恩を知って御恩に報いていくという生き方に進ませて頂けるのです。常平生からそのように心がけていますと、何かという時にはさっと助けて頂け、守って頂けるのです。反対に自分の都合を第一に考えて動いている方は、おかげを頂くことも後回しになってしまいます。それは神様がそうなさるのではなく、その人の受け物の違いです。

★『あなたが、親神様にああして下さいこうして下さいと色々に願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることがすぐ素直に有り難うございますと頂けるような人間にならせて下さい、というて願う方が心配がないぞな』常に新しく日に日にみ教えを頂いていき、根気強く良いことを続けさせて頂き、お礼の働き・お礼の信心を大切にさせて頂きたいですね。

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2019年02月13日

●我を放すということ

昭和9年の頃のことです。地方のある小さな新聞に、三代金光様のことを悪し様に書く記事が載りました。

全く事実無根のことを、あらゆる最大級の雑言をもって書き立てるので、二十代であられたご長男・金光鑑太郎様(後の四代金光様)は腹が立って腹が立って、ある日、お母様である金光キクヨ姫様に申し上げられますと、キクヨ姫様は「ご本人の金光様が腹をお立てになっていないことを、あなたが腹を立てるということはどういうことですか?」と静かに呟くように仰せになられたのでした。

その時に鑑太郎様はハッとなされたそうです。「本当にそうであった。今更のように金光様の常の御姿を思わせて頂き、神様にお詫びを申し上げたことだった。」と気付かれたのでした。

三代金光様は、全く動じられることなく、いつも通り御神勤をなさっておられたのです。

★「私が金光様、金光様と申し上げながら、いつしか5人の親になったこの年まで、三代金光様は一度も腹をお立てになったことがない。金光様は少しもお変わりになっていない。ただ段々とお年をお取りになっている。」と後になって鑑太郎様は残しておられます。

三代金光様は、日々「自分を出さない」ということを徹底して心掛けておられたということです。お子様がお国替えなさった時にも、お結界をお下がりになられることなく、お結界でお取次ぎの御用をなさっておられたのです。

★ご家庭でもどこでもご自分の感情を表に出されることなく、我を放す稽古を徹底なさり、神様に心を常に向けておられたのです。それは、大変なご修行であられたということが分からせて頂けます。私共もどんな瞬間でも神様に心を向ける稽古をさせて頂きたいと願わせて頂きます。

★『人は欲しい、惜しい、憎い、可愛いという事を離れさえすれば楽じゃ。』(二代金光四神様)

1)欲しい…貪欲。金銭欲、名誉欲、自己顕示欲にふけること。

2)惜しい…見返りを求めること。恩着せがましいこと。

3)憎い…人を憎んだり恨んだりすること。

4)可愛い…子供や孫を溺愛すること。

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2019年02月12日

●あなたあっての私

 教祖様は、天地金乃神様から度々お知らせを頂いておられ、それらを書き残して頂いておりますが、元治元年のお正月に頂かれたお知らせの中に、『氏子あっての神、神あっての氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地のごとし、あいよかけよで頼み合いいたし。』という一節があります。これは、このお道のご信心の中核とも言うべき大切なみ教えだと思います。氏子から言えば「神様あっての氏子」でありますが、神様は「氏子あっての神」と仰って下さるのです。親子といえども、親が子供のことを願い、与えるばかりの関係ではなく、子供も親のことを思い、御恩に報いるべく願わせて頂くのです。また、親も子供あっての自分であり、現在の生活であることを自覚し、お互いに願い合い、お礼を申し合うことが、真の有り難い関係を築く元になることを教えて頂いております。

★どんな人との関係であっても、相手あっての自分であることを忘れず、相手の助かりと立ち行きを、生神金光大神様のお取次を頂いて願わせて頂くことが出来ましたら、そこに、天地の親神様のお働きが生き生きと現れてまいります。そのような有り難い心(神心)を、皆が生まれながらに神様から頂いているのです。喜びを積み重ね、お礼の働きを積み重ねさせて頂くことによって、神心を養わせて頂くことが出来るのです。

★『玉磨かざれば光なし、光なければ、石かわらのごとしというておるが、また、信心する氏子は本心の玉を磨きて信心をせねばならぬ。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かねば光がない。人間、万物の霊長なれば、本心の玉を磨きて、何事にも心がけをよろしきようにせねば、神様へ信心しておると思うても、人が信心なと見て敬うてくれず、わが身信心と思うほかなし。』

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2019年02月11日

●親も子と共にご修行させて頂く

『金光大神の話を聞いて信心する人は、子孫が安心に日を暮らすようになる。子供に安心のことを伝えるは、真の信心であるぞ。』

★金光キクヨ姫様のご本に掲載されている内容です。ある先生が金光キクヨ姫様(三代金光様の奥様)に「うちの子供がやんちゃで困ります。障子をよく破るので注意しております。」と打ち明けてお話しなさったそうです。キクヨ姫様(三代金光様の奥様)は「あなたは子供に障子を破られたら、その障子をどうしているのですか?」と尋ねられました。そのお方は「また破ると思って、放ってあります。」と答えられました。

キクヨ姫様は「口では『破ったらいかん』と言いながら、心の中では『また破るじゃろう』と思って、破られることを待っておるのではないか。破られたままにしておるから、子供心に破っても良いと思うのです。破られたらすぐ貼る。すると子供ながらに『私が一生懸命に破っているのに、お父ちゃんお母ちゃんはすぐ貼るが、これは破るということは良くないことだな。』と思うようになり、破るのをやめるようになります。」

また「子供が破ったのを貼ると思えば大儀だが、あなたが30年前にやんちゃをして破ったのを、今貼りよるんじゃ、と思って貼りなさい。子供はまた20年,30年したら貼らされますよ。」と仰ったのでした。

★親の立場から「子どもが神様のお導きによって良い方向へと育って欲しい」と願いますが、その為には親がしてみせる必要があります。二代教会長伊藤コウ師は『してみせて、言うてきかせてさせてみて、ほめてやらねば人は育たぬ』とみ教え下さっておられます。

親が良いお手本にならせて頂く必要がありますね。しかし親も良いお手本にならせて頂く為の内容を、教えて頂かねばなりません。正しい方向へ、より一層おかげを頂く方へお導き頂く、ということは教えて頂くことの連続です。教えて頂いたからこそ、良いお手本にならせて頂けますし、子供に正しいことを教えることが出来るのです。

正しい道を教えて頂いたことを、正しく伝えていく役目を果たさせて頂くことが大切です。してみせるのにも、言うてきかせるのにも、辛抱がいります。親も共に有難くご修行することが大切であるのですね。
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2019年02月10日

●ご祈念してふと気付かせて頂くこと

 あるご信者は、今月中に二つの国家試験の受験を控えて勉強しておられます。先日もお届けに来られまして、「毎日両方の勉強をするように心掛けておりますが、何をどうやって勉強するべきなのか、迷ってしまって分からなくなる時があります…」とおっしゃいますので、「よく心中御祈念をさせて頂いてから取り組ませて頂きましょう。そして、全体的に、知識を定着させて頂くことと同時に、ふと気になるところがあったら、それを書き留めさせて頂き、忘れないうちにそこを重点的に勉強して確認させて頂きましょう。神様が間に合うように勉強させて下さいますよ。」とお話しさせて頂いたことでした。

★教祖様は、『山の中でもどこでも、道がわからず、どうするすべもない所へ行ったら、落ち着いて神様を拝んで、ふと心に浮かんだ方をうそと思わずに、その方へ進め』とみ教え下さっておられます。山の中で道に迷った時に、自分以外の何かを責めて、責任を転嫁しても、問題は解決しませんね。自分の置かれている状況を受け入れ、心を落ち着かせて神様に向かわせて頂き、今日までお命を頂いてきたお礼を申し、自分の進むべき道を一歩一歩と進ませて頂くしかありません。問題に直面した時に、うろたえたり、イライラとして他人や、環境を責めてしまうのは、和らぎ喜ぶ心になるご修行が足りないのです。

★心が神様に向かわせて頂き、ここまでお育て頂いたお礼の心に満ちてくると、落ち着かせて頂くことが出来、神様が「今これをしておくように」「こちらの方向に進むように」と教えて下さるところを、間違うことなく受け取らせて頂くことが出来るのです。そのようにご信心が進みますと、何が起きてきても、どんな人を相手にしても、恐れることなく、おかげにさせて頂くことが出来るのです。

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2019年02月09日

●み教えを素直に守らせて頂く

8日にはみかげ会例会が開催され、松井氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★松井氏のお父様は、和菓子の丁稚奉公をなさっていた頃に、叔父様からお導き頂かれて日参なさるようになられました。その後、お父様は和菓子のお店を独立開業なさったのでした。昭和26年、叔父様からある物件を紹介して頂かれたのです。その土地は、原爆模擬爆弾により、あたり一面が焼け野原で、そんな中にポツンと建った店舗付き住宅でした。ご両親は、あまり気が進まれませんでしたが、二代教会長伊藤コウ師にお伺いされますと、即座に「買わせて頂きなさい」とみ教えを頂かれたのでした。そして、購入後は段々と周辺に家が建ち、店が増え、映画館ができ、すぐ前には市場ができ、大変賑やかなところに変わっていき、お商売も繁盛のおかげを蒙られたのです。

★松井氏は中学生の時に、コウ師より、「お父様の元で修行させて頂きなさい」とみ教え頂かれ、商業高校卒業後は、お父様のお姿を拝みながら日々のご信心を進められ、お仕事を教えて頂かれたのでした。

★独立開業された店は、大阪市の道路拡張計画に入っており、いずれは立ち行かねばならないとのことで、色々と探しておられますと、ご近所の方から「駐車場にしていたところに新しく建築するので、1階のところに新しく店舗として使って頂けますか?」と声をかけて下さり、有難いことに以前のお店の斜め前に当たるところでした。三代教会長先生にお伺いされますと、「駅からも近く、これまでのお客様にも来て頂けますし、大変有難いお話ですね。」と喜んで下さり、話を進めるようにみ教えを頂かれたのです。有難いことに、昭和58年に新装開店させて頂かれ、寝る間も惜しんで働くという商売繁盛のおかげを蒙られたのでした。

★松井氏が35歳の時に、お父様からお商売を譲り受けられて、2人の子宝にも恵まれ、住宅も購入させて頂くおかげを頂かれました。松井氏は、今日まで様々な出来事がある中、何事もお取次ぎを頂かれ、そして頂かれたみ教えを素直に守られ、ご両親のお世話をされ、また御礼の御用にお使い頂いておられます。松井氏は、毎朝日参され、また現在楽人の御用にお使い頂いておられるのですが、お父様の実意丁寧なご信心を、松井氏が見てお育て頂いておられますから、これまで全ての御祭典を今日まで欠かさないように努めて御用にお使い頂いておられます。

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2019年02月08日

●間違いが知らず知らずに多くあることに気付く

 この時期になりますと、会計報告をするために決算書を提出する必要があります。日々の帳簿は手書きで付けておりますが、計算を正確にする為に、コンピューターの会計ソフトに通常の如く打ち込みをさせて頂いておりました。自分では間違いのないように打ちこんでいるつもりでしたが、最終的に見直しをしておりますと、間違いがいくつも見つかり訂正を幾度もさせて頂きました。

★何年か前の話ですが、何度見直しても間違いを見つけることが出来ないことがありました。そこで、税理士さんに「どこか間違っているのですが、どこが間違っているか分かりませんから、教えて頂けますか」と見て頂いたのです。税理士さんは30分もしないうちにすぐ間違いを見つけて下さり訂正して下さったのでした。

★なぜ間違いが起きるかというと毎日携わっていないから、すなわち習熟していないから、稽古が出来ていないからですね。税理士さんはその道に精通しておられ、毎日携わっておられますから、行き届いておられるのですね。ご信心の上でも稽古が行き届いておりませんと、間違いばかりです。勘違い・考え違い・見間違い・聞き違いばかりの生活になります。それでも自分は正しいと思っているのですが、神様の目からご覧になられましたら「ここも間違っておるぞ、そこも間違っておるぞ」ということばかりかもしれません。そういう部分が私達の生活にはあるのです。それを、日々戒め戒めしているつもりでありましても「どこにどのような御無礼があるやら分かりませんから、御無礼不行き届きはお許し下さいませ」とお詫び申させて頂くのです。

★『「鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでもさいかけ(刃先の焼き直し)をしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのがさいかけじゃ」と金光様は言うてござった。これがもとで信心もできるようになり、これが修行になって信心も進んでくる。人間は勝手なものじゃから、痛いかゆいがあるとご信心できるが、どんなにもなかったら信心が寝入る。』

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2019年02月07日

●神様の深い思し召し

杉村氏は、結婚なさってから元気な長女を授かられ、続いて二人目の娘さんを授かられました。その二女さんが生後十ヶ月の時に風邪のような症状で受診したところ、そのまま入院となったのでした。そして、心臓が肥大しているとの診断を受けられ、治療を施して頂きましたが、入院10日目にお国替えなさったのでした。ご夫婦とも大きな悲しみに包まれて、「なぜこのようなことが起こるのだろう・・・」という思いが拭いきれずにおられました。

★その時お導きの親である沖氏が、「これからの生き方が大切ですよ。亡くなられたことは悲しくて大変なことですが、神様のなさることには深い深いご意味があります。このままでは苦しみだけが残って、先々不安な生活を送らなければならないことになりますから、これ以上苦しみのないように、神様にしっかりおすがりさせて頂いてご信心させて頂きましょう。そして、生き死にを通してこのお道におすがりさせて頂きましょう」とお話しなさったのでした。

★杉村氏は、これを機会に帰教式をお仕え頂くことを決心なさいました。霊様も金光教式でお祀り頂かれることとなり、霊様のご安心をお祈りなさり、家の守りの神様となって頂けるようお願いなさったのでした。帰教式の折りに三代教会長先生から「亡くなられた子供さんは、家族の身代りになられ、霊神となられてこの家を守られ、子孫を守らせて頂かれるのです。霊様は永遠に働いて下さいます。一本の木に例えれば根になられたのです。後に残った家族がしっかり信心させて頂きますと結構になりますよ」とみ教え頂かれたのでした。

★まもなく奥様は懐妊のおかげを頂かれました。8月の出産予定日であられましたが、一ヶ月ほども延びて、なんと亡くなられた次女さんと全く同じ誕生日の9月24日に、どこにも心配のない丈夫な体の女の子(三女さん)を授かられたのです。ご家族は皆、神様の深い思し召しを分からせて頂かれ、御礼を申されたのでした。

★神様が氏子の生命を授けて下さることも、生命をお引き取りになることも、神様の深い思し召しがあり、また神様のお恵みを頂き、お世話になって、現在があるということが分からせて頂けます。
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2019年02月06日

●素直に改まる

 工場を営んでおられるあるご信者が、大きな不渡りを受けて、会社存続に関わる程の損害を受けられたことがありました。お父さんと息子さんと親子でお届けに来られ、二代教会長・伊藤コウ師は、「不渡りを出した相手を恨んではいけません、むしろ恩人だと思って拝ませて頂きましょう。まず、神様に一心にお縋りさせて頂いて、立ち行くおかげが頂ける様にお願いさせて頂きましょう。ちがう商売に鞍替えしようというような気を起こさず、この道(業種)でしっかりご恩返しが出来るよう、覚悟を決めるのです。その為に、直面している問題の解決と、根本的な問題の解決の両方を考えねばなりません。あちこちに余計な話をしては信用を失うだけですから、まず、仕入先の中で一番大きな、信頼のおける会社に、現状を正直にお話して相談させて頂きなさい。また、これまでのあり方にどのような問題点があるのか、毎朝早く起きて、『生神金光大神様、天地金乃神様』と御神号を唱えながら、工場を見直させて頂きなさい。必ず、改まるべきところが分からせて頂けるはずです。」と、み教え頂かれたのでした。

★必死の思いで神様におすがりなさり、相手を恨む心を持たず、反省と改まりの心で素直にみ教えを実行していかれました。すると、相談なさった仕入先の方から、「お父様を信用して全面的に協力させて頂きましょう。」と、言って頂かれ、会社再生の目途が立つまで、資金面を始め全面的に協力して頂かれたのでした。また、工場の中に、それまで見えなかった無理・無駄・ムラを見つけさせて頂き、改まるおかげを頂かれたのでした。

★世の中がどの様に変化しようとも、結構にお役に立たせて頂き、子孫繁盛家繁盛のおかげが頂ける様、信心の稽古に励ませて頂きたいと思います。『信心は、素直な信心をせよ。また、信心は、しとやかな信心をせよ。言うとおりを守らないから、おかげはない。言うとおりを守らずに、「まだ治らない、おかげがない」と言って来ても、神は知らぬと申される。おかげのない時には、わが心をよく調べてみよ。』

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2019年02月05日

●追い願いをして下さって…

1月5日から始まりました信行期間も、3日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には自らご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げます。銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様に御礼を申し上げられましたら、御神酒一合瓶をお下げ頂くことになります。御神酒を、日々祈りを込めて有難くつけさせて頂くことにより、悪毒病毒をお取り払い頂かれ、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈りいたしております。また、信行期間中に各々決めさせて頂いた御修行に引き続いて取り組ませて頂き、共々に御修行成就のおかげを蒙らせて頂きましょう。

★私が幼い頃に、日々の生活の中で至らないところや心得違いをしているところがありますと、二代教会長伊藤コウ師よりみ教えを頂く機会が多々ありました。コウ師は私を呼ばれ、「10分ほど話をします。」と仰いますと、私は心の中で(30分頂くことになるな)と思っていたほど、コウ師は私が理解するまで一生懸命になってみ教えを下さったのです。コウ師のみ教えを私がすぐに理解すれば、10分で済むところを、み教えを頂く私の顔をご覧になり、まだ理解していないような顔をしていますと、分かるまでみ教えを下さったのでした。まだ幼く未熟な私は、み教えを頂く有難さも、先生がご辛抱下さっていることも分かっていませんでした。

★三代教会長先生はみ教えを頂いている私に「親先生(コウ師)からみ教えを頂くことは大変有難いことですよ。親先生のお時間を頂いているということは、先生のお命を頂いているということです。そうして、命をすり減らして、あなたのために言うて下さっていることを分からせて頂きましょう。一緒にお詫びしましょう。」とコウ師の元に、共に御礼とお詫び申して下さいました。

★コウ師は、お説教で次のように仰っておられたのです。「私は、子供達や修行生に言い聞かせる時には、いつも言い過ぎてしまいます。その度に神様にお詫びを申し上げ、どうぞ改まりますから、本人がよく解ってくれますようにと追い願いをさせて頂いています。」そうして、コウ師は代わりに神様にお詫びを申し上げて下さり、追い願いをして下さったのです。

★そのお姿こそ、お取次ぎの御用そのものであると感じさせて頂きます。御礼の足りないところも、お詫びの足りないところも、代わりに神様に御礼とお詫び申し上げて下さり、追い願いをして下さり、有難いことに親神様、生神金光大神様の御慈愛に包まれて私たちは生活させて頂いているのです。私達は、もうこれで分かったと思わずに「こんなことでは相済まん、まだまだ行き届いておらん」という気持ちで、生涯かけて信心の向上をお願いさせて頂きましょう。
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2019年02月04日

●油断のない生活

 受験生の方々に対して、「勉強する前には、心中ご祈念して一生懸命お願いして取り組ませて頂きましょう。」とお話しさせて頂いております。お願いして取り組ませて頂きますと、集中力が高まってゆくのです。それでも集中が途切れますから、またご祈念させて頂き取り組ませて頂きます。しかし、また不成心が出て、心が乱れ、良からぬことを考えてしまいますと、また「金光様。」とご祈念して「〇〇の試験に合格出来るだけの努力がさせて頂けますように。」とお願いさせて頂くのです。毎日の生活も同様に、常に心を神様に向けてご祈念し、願い成就に向けて最大限の努力がさせて頂けるようにお願いをさせて頂くのです。おかげを頂いていく生き方を心掛けておりますと、そこには油断が生じません。心配は神様にお預けし、お礼の心に満ちて答案用紙に向かわせて頂けば、思い出すべきことも思い出させて頂け、実力以上の結果を頂くことも出来るはずです。

★ものごとが順調に、問題なく運んでいる時ほど油断なく、心中ご祈念を欠かさないよう、心掛けなくてはなりません。小さなことから大きなことまで、常に心中ご祈念を欠かさないようにさせて頂き、お礼の心に満ち満ちて、万事に取り組ませて頂きましょう。

★油断している姿とは…
1)願いの足らない生活…心から本気になってお願いし、願い成就に向けて真剣に取り組ませて頂き、最大限の努力を怠らないようにしましょう。

2)喜ぶ事を忘れた生活…『喜び上手がおかげの頂き上手である』とみ教え下さっています通り、毎日喜ぶことを探して、これをどのように喜ばせて頂こうか、あれもこれも喜ばせて頂こうと、喜ぶことを探す生き方に努めさせて頂きましょう。

3)足ることを知らない生活…与えて頂いていることを、嬉しく有難く活かして使わせて頂くようにいたしましょう。

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2019年02月03日

●心の鬼をお取り払い頂く

ある娘さんのお父さんは大層酒乱で、お酒を飲むとお母さんに対して暴言を吐き、さらには暴力を振るうなど、家族を大変困らせていました。 そこでその娘さんは、母親の悲しむ姿を見るのが大変辛く、なんとか助けて頂きたい一心で教会へお参りなさり、「どうしてもお父さんに酒飲みを止めて頂きたい。」とお願いされました。しかし、お願いさせて頂いておりましても父親が酒を飲むことは止めてもらえませんでした。

★ある日お結界で、「神様は親孝行が一番お好きです。あなたのお願いは親孝行になっていますか?あの父親さえいなければ私の家は結構になるのに…等と思っていませんか? それは心で人を殺すことになり、神様のお心には適いません。どうぞ父親が健康で長生きして頂くために、お酒を止めてくれますように、とお願いさせて頂きましょう。 それが神様のお心に適うのです。」とみ教え頂かれたのでした。

★そのみ教えを頂かれた娘さんは、ハッと自分自身の間違いに気付かれて、今までのお願いの仕方を改められたのでした。それからは、お父さんに対しての責める心を取り払い、一心に健康と長寿をお願いされるようになったのでした。すると、お父さんは、有難いことに自らお酒を止めてくれるようになり、暴言暴力が無くなり、円満に生活させて頂けるようになられたのです。

★本日は節分ですが『用心せよ。わが心の鬼がわが身を責めるぞ。』とみ教え頂いておりますように、鬼は外にいるのではなく、己の心の中にいるのです。心の鬼とは怠け心や腹立ち、愚痴不足、さらには恨んだり憎んだりする心等々です。この娘さんも、父親を責めてしまう心の鬼がいたのですね。そこに有難いものは生まれません。自分の心の中に福の神を保ち続け、鬼が現れた時にはお取り払い頂けるおかげを蒙らせて頂きたいですね。
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2019年02月02日

●神様におすがりする心

 九州布教の始めとなられた桂松平師の奥様であられる桂ミツ師は、幼い頃より病弱で、腰から下に温もりが無く、夏でも座布団を何枚も重ねないと座る事も出来ない冷え性であられました。体質改善を願われ、一里も離れた沙美という村より、御本部へ日参を続けられました。村でもこれほど熱心な信心家はいないと評判になるほど、お参りされていましたが、なかなか身体が良くならないので、ある時、ミツ師は二代金光四神様に「私はたいてい信心しておりますが、まだおかげが頂けません。」と涙ながらにお届けされました。

★すると、金光四神様は『そうかなぁ。たいてい信心できておりますかなぁ。私がおかげをあげるのなら今すぐにでもあげるが、神様が下さるのじゃからなぁ。神様からおかげを頂けるような信心をしなければならん。信心は何ぼ通りもある。参るのは参り信心。頼むのは頼み信心。拝むのは拝み信心というてなあ。まあ、そのなかでも参り信心が取り所じゃ。数多く参っているうちには、ああいう信心をすればああいうおかげ。こういう信心にはこういうおかげと、神様からおかげの頂ける信心がおいおい分かってくるようになる。まあ、いっぱし参るんじゃなあ。』と仰せになられました。

★ミツ師は足が痛いとかどこが悪いと言わずに、お礼を申す事を中心に、ただひたすらに一心にお参りを続けられたのでした。すると、病弱であられた身体が、段々と強い心と丈夫な身体に作り変えて頂かれて、体質改善のおかげを蒙られたのです。

★『ふだんから神に取りすがっていれば、神と心安くならせてもらっているのと同様である。無理も聞いていただける。大難は小難にまつりかえてくださり、小難は無難にお取り払い下さる。』

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2019年02月01日

●不自由を行とする

私が幼い頃、三代教会長先生は私と二人の姉達に「なぜ私が足袋を履かないか、知っていますか?」と問いかけられたそうです。私は幼くて答えられませんでしたが、姉2人は「知りません。」と答えたということでした。

★三代教会長先生は「実は昔、日本が今のように物が豊かではなく、まだ貧乏であったころ、足袋を履かない人はたくさんいました。田舎の方へ行けば、足袋を履かない人は珍しくない。本来、裸足の方が身体が丈夫になって良いのです。

御本部へ御修行に行かせて頂いた時、九州の教会から御修行に来られた方は、足袋を履いていない方がたくさんおられた。寒がりで着ぶくれしている修行生と、足袋を履かずに薄着で御修行している修行生と2つに分かれる。

食べ物でも何でも有難く頂く人と、好き嫌いを多く言う人と分かれる。どちらが幸せでしょうか。足袋も履かずにいることが平気で、何でも有難く頂く人の方が健康で幸せな姿になっていかれる。

★また、もう一つ大切なことは、30年も40年も昔のことであったとしても、生活が本当に困窮していた時代のことを忘れてはいけないということです。どんなに結構になっても、何か一つはそのために修行を残しておくことです。

今は衣食住何もかも不自由のない生活で、昔のことを思えば結構になりましたが、それに甘んじていてはいけません。せめて一つや二つは、昔不自由した時代のことを残して修行させて頂かねばなりません。それが、私の方針です。

信心生活の上でいかにして喜ぶか。生活の中で昔を忘れないように、御修行を決めて不自由を感じることにより、自ずから喜びは生まれてきます。これは、実生活から生まれてくるものであり、理屈から生まれてくるものではありません。

喜びを見つけるとか、御礼を申すということは、いくら口先で言っても実際にしてみなければわからない。恵まれすぎて何も言うことがないという生活に浸っていると、自然と喜びは失われてゆきます。最初はびっくりして感激していたことでも、段々と慣れてしまいます。

例えば、散髪屋に行っても散髪するだけのお金は払えますが、散髪屋や髪結いさんへ行けなかった時代があったことを忘れない為に、二代教会長伊藤コウ師は70歳までご自身で髪を結われました。そこで、私もそうしなければならないと思って、散髪屋へは行かず、自分で丸刈りにすることと足袋は履かないことを決めました。

だからといって、これが一つの形と決まった物ではないし、強制もしませんが、私は生活の中に何か一つ自分の御修行として残しておきたいからこうしています。あなた達も自覚した時に、自ら決めて取り組ませて頂けばよろしい。」と有難いみ教えを残して下さったのです。

★私自身は幼い頃にこのようなみ教えを下さったことは覚えてもいませんが、その時々に教えて頂いてきたことが頭の隅に残っているのでしょう。今日まで自分で丸刈りにすることと、足袋を履かないことを続けさせて頂いておりますことは、大変有難いことだったのだと改めて感じております。

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