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2019年01月25日

●一日一日をどのように過ごさせて頂くか

 松山成三師は、戦後満州・大連より、ご夫婦が着の身着のままで引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、お道の教師の方々に対して講演をなさられたのでした。三代教会長伊藤良三師は、その講演を聴かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた先生方が「これから後はどこに落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに、来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰ったのでした。

★そうして、日本に帰られた時も、後のことは全て神様にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから一年も経たぬ間に、時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で、建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。

★以前、松山成三師のご遺稿を拝読させて頂く機会があったのですが、その一部分を紹介させて頂きます。「略…我は終戦と共に何故その様な事になったと、悩み患ひ、或は先々を憂慮、煩悶もしない。この時こそと、本気に一心に信心に飛上り、教師の本分一途にと、心は立上り、信心する時はこの時なり、神の御用をする時はこの所じゃと、その日その日を後先忘れて、信心御用にのみ立上り、その気持ちこそ、今月今日なりと、嬉しく楽しく有難く思ひ続けて人々が心配苦悩している事も、我には一向その様な気になれず、悪い妙な気は起らず、その事その時も良い事のみ思い出しては喜びニコニコして暮らされてあり。人々に比べて阿呆になった。良い阿呆になれたと感謝している。『我心で我身を救ひ助けよ』とはこの様な事かと、み教えを一層有難く思へる。何を食ふても同様においしゅうて、何が無くても苦にならぬ。人のしてくれる事はみな有難い。…略」

★私達も、日々そのような心構えで、お徳を頂いていくことを第一に考えさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいですね。『心配する心で信心をせよ』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:44 | 平成31年の「み教え」