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2019年01月08日

●難儀を引き受け、良い方へ導いてゆく

『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

★夫々の家庭に於かれましても、銘々に信心の課題というものがあります。そこを、自分自身が先頭に立って問題を引き受け、「この度の問題は私の不徳によるものでございます。私の信心がまだまだ至りませんから、家の中に問題が起こってきております。申し訳ありません。」とお詫び申して改まってゆくのです。そして、自分自身が信心の実践によって、皆を良い方向に引っ張っていく役目を全うさせて頂くのです。自分自身が難儀を引き受け、良い方へ導いていくということは、例えば主人が間違った方へ考え違いをしている時に、妻である自分が「私が至らないばかりに主人が間違うことになっております。申し訳ありません。」と代わりにお詫びするのです。すると、自ずと家の中が円満に協力出来るようになり、問題が収まってゆくのです。

★あるご信者は、御本部参拝の帰りの環状線で、お孫さんが酔っ払いにからまれたことがあられたのです。そのご信者は、どうあっても孫を守らなければならないと思い、その酔っ払いに「私の孫が何か迷惑を掛けましたのなら、申し訳ないことでした。私が代わりにお詫び申しますので、どうぞ許してやって下さい。」と代わりにお詫びされたのでした。すると、その酔っ払いはからむのを止め、誰も怪我をすることなくその難を免れることが出来られたのでした。そのご信者が後にお孫さんに対して「あのような酔っ払いの人にも、こちらが折れてお詫びすることが大切ですよ。あなたが怪我をしてもあなたが腹を立てて相手を怪我させてもいけませんからなあ。徳を失うし、めぐりを積むことになりますから。」とお孫さんに教え、難儀を良い方へ導いていくことを実践なさったのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 06:43 | 平成31年の「み教え」