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2018年12月10日

●不成心を去る稽古

 論語物語の中に『自らを限る者』というお話があります。冉求(ぜんきゅう)という孔子の弟子は、孔子の優れた他の弟子と比べて、自分には特に優れたところがないと感じており、何とか彼らと肩を並べようと、小策を弄(ろう)したり言い訳をすることが多かったのです。そしてある時、孔子に「私には、真実の道をつかむだけの素質がないのです。本来、だめにできている男なのです。私は卑怯者です。偽りものです。そして…」と、やたらに自分をけなしたのでした。冉求自身も、負け惜しみや、ずるさから出る表面だけの謙遜であることを自覚しており、そうした弱い部分を改まりたいと一方で思いつつも、悪い癖が孔子の前で露呈されてしまったのでした。

★孔子は、「お前は、自分で自分の欠点を並べ立てて、自分の気休めにするつもりなのか。そんなことをする隙があったら、なぜもっと苦しんでみないのじゃ。お前は、本来自分にその力がないということを弁解がましくいっているが、本当に力があるかないかは、努力してみた上でなければわかるものではない。まだ試してもみない自分の力を否定するほどの悪はない。それは、天に対する冒涜(ぼうとく)であり、生命そのものの否定を意味する。本当に求道心が燃えておれば、自他におもねる心を焼き尽くして、素朴な心に返ることができる。」と諭され、冉求は清々しい心で求道の一歩を踏み出すことが出来たというお話です。

★不成心とは?
1、偽りの心…神様、人、自分の神心に対しての偽りの心。
2、私心…私利私欲、自己中心的な考え。
3、放らつ…勝手気まま・わがまま。人から言われる事を受け入れない。
4、奢りの心…おごり、慢心。自分がするという心。私には出来ないと卑下して、慢心する心。

★人間の心というのは、一心に願っているつもりでも、心配や不安などの不成心が湧き出てくるものです。それが人間の弱さです。だからこそ、日頃からの信心が必要不可欠であるです。日参と聴教に励ませて頂き、不成心をお取り払い頂いて、一心にならせて頂く稽古が大切なのですね。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:54 | 平成30年の「み教え」