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2018年11月30日

●心が神様から離れぬよう

 二代教会長・伊藤コウ師が、小学校の教師になりたての頃、同期の男性だけが昇給されるということがあったそうです。自分が評価されていないと不足に思われた矢先、ほかの小学校に勤めている友人から「こちらの学校は待遇がいいですよ。移ってこられませんか?」と誘いがあられたのです。コウ師は心が動き、お母様(伊藤ハル氏)にご相談されました。お母様は穴のあくほど二代教会長先生のお顔を見られ「京で鳴らん太鼓は大阪でも鳴らん。」と一言だけ仰ったのでした。

★コウ師は、このみ教えによってご自分の考え方の間違えに気が付かれ、「今の小学校で役に立たないのであれば、どこに行っても役には立たない。評価して頂けないという事は、自分の働きが足りないのだ」という事を悟られたのでした。それから改まって、朝も早くから出勤して掃除や準備を行き届いてなさり、授業について来られない生徒は、居残りさせて丁寧に指導していかれたのでした。すると、学年で一番成績の良いクラスとなり、翌年には二段階も昇給して頂かれたのでした。

★今、み教えを頂いて、有り難い心にならせて頂いても、次の瞬間には不平不足、心配等が沸いてくるのが、人間というものです。心が神様から離れると、心も身体も不安定になり、我情我欲が頭をもたげるのです。ですから、できる限りお広前に足を運び、一言でも多くみ教えを頂いて、心が神様に近づくよう、正しい願いを持って、実意丁寧に、正しい努力を積み重ねさせて頂き、有り難い繁盛の道を歩ませて頂きたいと思います。

★『今は人代といって、わが力で何事もしている。神が知らせてやることにそむく者がある。神の教えどおりにする者は神になる。昔は神代といい、今は人代である。神代になるように教えてやる。難儀になるのもわが心、安心になるのもわが心からである。』

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2018年11月29日

●「親は親たらずとも子は子たれ」

ある奥さんは、入信の初めに二代教会長伊藤コウ師より『親は親たらずとも子は子たれ』というみ教えを頂かれ、そのみ教えが心に突き刺さり衝撃を受けられたのです。

★ご主人のご両親は、戦時の混乱の中で小さかったご主人を他の家へ預けられました。ですから奥さんがご両親について聞かれても、ご主人は「親はいないと思っている。探す必要は無い。」との一点張りでした。しかし奥さんがみ教えを頂かれた時に、ご主人は奥さんの親を大事にして下さっているのに、自分はご主人の親には何も親孝行させて頂いていない事に気付かれたのでした。そして「どうあっても主人の親に孝行がさせて頂けますように」と願われ、ご主人に隠れて縁をたどってご両親を探されたのです。

★すると、お母様が堺に住居なさっておられることが判明し、そこへ訪ねて行かれました。そのお母様は、体の不自由な娘さんと一緒に住んでおられ、生活保護を受けておられました。事情を聞かせて頂きますと、生きていくことが難しかった戦時中、体の不自由な娘さんを抱えて育てる事に精一杯であられた為、健康であったご主人を他のお家へ預けられたということでした。それからというもの、奥さんは毎月お見舞いに行かれて、親孝行のまねごとなりともさせて頂かれたのです。そしてお母様がお国替えなさってからは、ご主人に「亡くなられた方に罪はないでしょう。」と説得され、ご主人に理解して頂かれ、お母様をお祀りして宅祭を仕えて頂かれました。するとその後、お国替えされたお母様が付きについてお守り下さり、ご主人の仕事の上で、今までに無いような大きなお仕事が舞い込んできて、思いもかけない利益が上がらせて頂くおかげを蒙られたのでした。

★自分にして頂いてきたことは、きちっとお返しをさせて頂かねばなりませんが、こちらがさせて頂いてきたことは、その人から返してもらおうと思わずとも、神様から形を変えて返して下さるのですね。
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2018年11月28日

●先を楽しみに信心辛抱

 あるお家では、娘さんの将来の為を思って独り立ちさせるために、一人暮らしをさせたそうです。その娘さんが実家に帰宅された際には、社会人として一人前になって、少しは成長して、親を気付かってくれるようになって欲しいと親は楽しみに思っていたら、実家に帰ってきた際の娘さんは、普段の反動からか「あれして欲しい、これして欲しい。」とより甘えてしまう状態なのだそうです。親の求めている事と、子供の思っている事が全く違っているのですね。

★佐藤照師は『みんなよいことばっかり思っていても、思い方の寸法が違うから、合わそうと思うたら、辛抱が要る。それで自分だけを通そうとすると、どうしても合わぬことになるなあ。それをこちらから、向こうに合わせていくようにしたら、合うようになるでしょう。合わすようにするいうたら、どうしたらよいか。それは向こうの足らぬところを足していくとよい。大抵の者は、その足していくいうことを思うておらぬ。それから信心するものは、人を受けるくらいの心でおらねばならぬ。誰でもを受けていくくらいにならねばならぬ。受けるいうたら、力が大層要ります。相撲でも受ける方がどれだけ力が要るかなあ。そのように受けるのには力が要るが、そういう力は辛抱せねばできてこぬから、神様のおかげを頂いて、辛抱のお徳を蒙らせてもらうのです。年寄りと若い者というたら、知恵分別が合わんこともありましょう。それを自分の思うとおりにばっかりしようとしたら、立ち行きはせぬ。みんな世話になり合うてこそ、立ち行くのでしょう…』とみ教え下さいました。

★相手が幼稚園児でしたら、大人はその子に目線を合わせて話そうとします。それと同じように、相手に目線・程度を合わせ、共に成長していかねば、お互いが助かりません。そのためには、信心辛抱が必要です。人の成長でも自分の成長でも、先を楽しみにし、神様から信心辛抱をさせて頂けるだけのお徳を頂くことが大切なのですね。

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2018年11月27日

●お道の奥義九か条

教祖様が神上がられます1ヵ月前の明治16年9月8日に佐藤範雄師が、教祖様に「金光様、今日まで数々のみ教え事を承りましたが、どの道でも、極意、奥義というものがあります。このお道の奥義は何でありますか、承りとうございます。」と申し上げられましたところ、教祖様は「此方の道は九か条である」と、お答えくださったのです。そうして、お道の奥義九か条を残して下さっておられます。
一、方位(日柄方位の迷信を絶つ)
二、毒断て(食物の迷信・悪習慣・俗習)
三、不成「此方のふじょうは、不浄にあらず、成らずと書くのぞ」(無理だ、出来ない、と思ってしまう心の持ち様を改める)
四、欲徳(食欲、睡眠欲等、生きる為に必要な欲は、神様から与えて頂いたもの。正情正欲になるように心掛け、我情我欲は取り去ってゆく)
五、神徳「寿命長久」(神様からご信用頂き、用いて頂く)
六、人徳(人から信用を得て、用いて頂く)
七、神(神様を敬う)
八、皇上(ご先祖を敬う)
九、親に考(親を敬い孝養を尽くす)

★一から三までは、お取り払いを頂くべきことであり、四から六は、身に修めなければならないことなのです。七から九までは敬う心、御恩を忘れてはいけないと教えて下さっているのです。

★幼年期には幼年期のご修行があります。青年期には青年期の、壮年期には壮年期の、老年期には老年期のご修行がそれぞれにあります。それぞれの年代にご修行があり、そうした段階の中で育ってゆかねばなりません。もうこれで充分というところがありません。まさに一生が修行です。それぞれの時期に与えて頂いたご修行を奥義九か条を基に取り組ませて頂いて、年を重ねていくごとに、正しく成長させて頂き、正しく繁盛させて頂きましょう。
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2018年11月26日

●謙虚に慎み深く

 日々自身が考えていること、為していることが、全て行き届いているということではありません。自分の為していることが、全てに不行き届きは無いと思っている人は、おごりがましいことですね。人間のすることですから、神様がご覧になられたら、どこにどのような不行き届きがあるか分からない、と自分で自分に言い聞かせる稽古をするべきなのです。「我良しと思う心」をお取り払い頂けるように心掛けさせて頂くのです。

★教祖様は42歳の御頃に、「のどけ」という九死に一生の大患を経験されました。その当時、母屋を建築・移転なさった頃で、そのご建築に際して日柄方位に捉われる等、神様にご無礼があったことに気付かれたのです。その時「この度の建築に当たり、どの方角へご無礼しておりますやら。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のことは、ひらにお詫び申し上げます」と神様に心からお詫びなされたのです。

★お詫びをなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得違い、その方は行き届いておる」と認めて下さいました。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様はその後も常に、「私共人間の生活には、どこまでも至らないところがある」という心持ちであられたのです。

★私達は神様の目で物事を見ることは出来ません。小さい視野で小さい心で見える事・考える事の出来る範囲でさせて頂きましても、見間違いや聞き違いや考え違いだらけです。自分を正しいと思っている人間は、神様の前で頭を下げてお礼やお詫びを申し上げることも、正しくお願いすることも出来ません。ですから我執が強くなって徳を失ってゆくのです。

★『これほど信心するのに、どうしてこういうことができるであろうかと思えば、信心はもうとまっておる。これはまだ信心が足らぬのじゃと思い、一心に信心してゆけば、そこからおかげが受けられる』神様に、日々お礼を申し上げ、お礼の足りないお詫びを申し上げる稽古をさせて頂きましょう。天地の道理を学んでいるといっても、分からない所が多くある自分であることを自覚させて頂き、謙虚に慎み深く生活することを心掛け、神様に正しくお願いさせて頂いて信心向上のおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2018年11月25日

●無理だと思わずに願い続ける           

昨日は、羽衣教会の金光大神大祭がお仕えになられました。

★羽衣教会の二代教会長・松岡安枝師は、結婚なさるまで、お母様と共に阿倍野教会で熱心に信心を進められました。しかし、一生懸命働いても働いても、暮らしは楽になるどころか厳しくなるばかりでした。そんな中、日々み教えを頂かれて、「ご修行させて頂いて我が家のめぐりをお取払い頂こう」と決心するに至られたのです。

★そこで、亡きお父様が残された負の遺産である、多額の借金を返済する覚悟をなさったのでした。そのことをお結界で二代教会長・伊藤コウ師にお届けなさいますと、大変喜ばれ「3年でおかげを頂きましょう!」とみ教え下さいました。ところが借金の額は、当時の月給を全てつぎ込んでも3年で返せる額ではなく、松岡師は先輩のご信者に、「親先生は計算が出来られないのでしょうか?」と尋ねられたのです。すると、「親先生がおっしゃったということは、神様が親先生のお口を通して、おかげを授けてやろう、とおっしゃっておられるのですよ。あなたがそろばんを放しなさい。どうぞおかげを頂かせて下さいとお願いしなさい。」と真の信心にお導き下さったのでした。

★覚悟を決められた松岡師は、返済が済むまでは、ご自分のものはたとえ靴下一足でも新調せず、お母様は、「借金が返済出来るまでは病院に行きませんので、この塩水で喀血を止めて頂けますように!」と、ご神前にお供えなさった塩水を、薬と思っておかげを頂く信念を貫かれたのでした。また、大好きな甘い物を買わないということを、神様とお約束されて御修行なさったのです。

★ある時、神戸のシバニ石鹸という会社の社長さんの所へ、借金の一部を返済しに行かれたところ、「親の借金を相続して返済なさるとは、感心なお心掛けですね。あなたのような娘さんが世の中におられる、ということを社員に伝えたく思います。これをお父さんのご霊前にお供えなさって下さい」と、風呂敷包みを渡して下さいました。なんと、借金の証文と、返済した以上のご霊前のお供えを包んで下さったのでした。そのように真心に先方が真心で応えて下さり、お願い通り3年で借金の証文が手元に返ってくる大みかげを頂かれたのでした。

★これほど有難いおかげを頂いたお礼にと、松岡師とお母様は、歩いて御本部へ御礼参拝されたのでした。お結界で三代金光様にお礼を申されますと、三代金光様より「ようお参りでした。帰りは汽車にしなさい。」と有難いお言葉を頂かれたのです。

★「ここまでは出来ますが、これ以上はとても出来ません。」と、つい自分自身を限ってしまいやすいものです。そこを「どうぞさせて下さい」とお願いさせて頂いて、一生懸命ご修行させて頂いておりますと、それに神様が足して下さり、お願い以上のおかげを授けて下さるのです。
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2018年11月24日

●ここから開ける助かりの道

 あるご信者は、姪御さんとその息子さんをお導きなさりたいと、真剣に願っておられました。姪御さんの息子さんは、突然発作を起こして倒れ込むことが頻繁に起こるようになり、気の毒に思ったご信者は、折に触れてはお道のご信心の有り難いことを話しておられたのでした。しかし、姪御さんには信心する気が全くなく、「物見遊山のつもりでもいいから、とにかく一緒にお参りしましょう」と、ある年の春、やっとの思いで御本部の御大祭にお導きが出来られたのでした。

★ところが、米子に住む姪御さんとその息子さんの到着が遅れて御祭典を拝むことが出来られず、御本部のお広前だけにお参りなさることになったのでした。ちょうどその時、御祭典後にお広前で御祈念させて頂いていた私が、居合わせたのです。「先生。」と声を掛けられ、ことの次第をご信者からお聴きしました。その息子さんは、初めてお参りした御本部のお広前で正座して平伏し、母親である姪御さんが驚くほどに、真剣に御祈念なさったのです。更にお話しを伺いますと、姪御さんは、「息子が真剣に神様にお願いしている姿を見て、いい加減な気持ちで来てしまった自分が恥ずかしいです・・・」とおっしゃり、親子共に真剣にお取次ぎを頂くことが出来られたのでした。

★驚いたことには、姪御さんは私の家内と同じ出身地で、家内の兄の高校の同窓生だと分かったのです。家内の兄は、28才の時に交通事故で亡くなられ、そのこともお話ししますと、「今日お参りさせて頂いて、このような心にならせて頂いたのは、お導き下さった叔母と、神様、霊様(家内の兄)のおかげです」と、感激してお帰りになりました。その後、その息子さんは御神米を目当てに常々ご祈念が出来られるようになり、発作が激減したのです。夏休みにはお父様も共に家族が車で阿倍野教会にお礼参拝が出来られたのでした。

★今、ご神縁を頂いている私たちが、「ここからおかげを頂こう」「私がしっかりご信心させて頂いて、ご先祖も、子孫も、助かるおかげを頂こう」という心で、今月今日、ご信心をさせて頂けば、必ず有難い助かりの道が開かれるのです。

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2018年11月23日

●隙のない信心を                

『普段から神に取り縋っておれば神と心安くならせてもらっているのも同様である。無理も聞いて頂ける。大難は小難にまつり替えて下さり、小難は無難にお取り払い下さる。』

★毎月の御本部参拝の前には、貴教会の奥城と親教会に参拝させて頂き、日々の御礼・お詫びと、御本部参拝道中の天候気象をはじめ無事故安全・ご信者各家庭の留守宅の無事安全のお願いをさせて頂いております。

★三矢田守秋師が御健在の頃のことです。いつものように、奥城で歴代教会長先生や伊藤家の霊様に、そして親教会の御神前・御霊前で御祈念をさせて頂き、お結界にお届けに行かせて頂きました。

★その際にたまたま、お届けの時にだけ留守中のお願いをさせて頂くことが抜けてしまったのです。すると守秋師は、御神米をお下げ下さる時に、「伊藤先生、今日は留守宅のお願いが抜けておられましたなあ。何事も抜けることなくお願いさせて頂かねばなりませんよ。」とみ教えを下さいました。そして、あるお教会に御本部参拝の留守中に、不審者が入り込んだものの、神様が人を使わしめにして下さって、無事におかげを頂かれた例話を聞かせて下さいました。私の心のゆるみを守秋師のお口を通して、神様がみ教え下さったのです。自身の至らなさを改めて反省させて頂いたことでした。

★神様からお守り頂くには、事が起こってから慌てて信心させて頂くのではなく、常平生から油断なく信心の地を肥やして、隙のない信心をさせて頂くことが大切であるのですね。
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2018年11月22日

●油断のないご信心を

 「これから改まって、ご信心させて頂きますから・・・」とお願いが出来る人は、「今までおかげだけは頂いておりながら、行き届いて信心が出来ておりませんでした」と自覚が出来られたということです。例えば、人を頼りにしていたことや、心が十分に神様に向けられていなかった、ということを自覚されたということです。

★「どこにどのような御無礼があるやら分かりませんが、どうぞお許し頂いて、ここからのおかげを蒙らせて頂けますように」と改まっておすがりさせて頂く心になる、ということが大切ですね。事故に遭ったり事件に巻き込まれたりするのは、相手のめぐりと自分のめぐりが行き合ってしまうからなのです。1分あるいは10秒でも5秒でも、時間のお繰り合わせを頂いて、行き合わないようにして頂きましたら、事故や事件に出会わなくて済むのです。時間だけではなく、人間関係の上にお繰り合わせを頂いて、危ないところに近寄らないようにして頂くことも、ご信心のお徳によっておかげを蒙られるのです。

★ラジオでしたらアンテナを伸ばしておりませんでしたら、受信できませんね。ご信心させて頂く私達のアンテナも同様に、神様に心を向けるということで、神様のお知らせを心にも身にも受けさせて頂くことが出来るのです。アンテナを伸ばさず、周波数を合わせる調整もせず、受信する体制になっていなければラジオは聞こえませんね。私達人間が心を神様に向けず、受け物が出来ていなければ、神様がいくらお知らせを下さっていても、その受信が出来ていかないということです。それぞれの家で受信をさせて頂く体制を整えていかねばなりませんね。ですから、日参と聴教に励ませて頂いて、日々お届けをして油断のない信心をさせて頂くことが必要なのです。休日でも、出かける前に教会にお参りさせて頂いてから出かけたり、御本部参拝には必ず予定を繰り合せて参拝させて頂くなど、受け物を作らせて頂く為に信心を進めさせて頂くのです。

★そうして受け物をしっかり作らせて頂いて、み教えを守らせて頂きますから、神様から守って頂けるようになるのです。危ないところは避けて通れるようになり、良い人との縁を頂いていけるようになるのです。与えて頂けるものも、それぞれのお徳の頂きようによって違ってくるものです。あれもこれもと、両親や祖父母にしてもらって、して頂くことばかり考えて、お恵みだけは享受してきたということでは、つり合いが取れません。信心の自立をして、自ら進んで日参と聴教に励ませて頂き、日々お取次ぎを頂いて、足らないところは足して頂けるよう、油断のないようご信心を進めさせて頂きましょう。

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2018年11月21日

●信心の辛抱からおかげが出る

19日には、教徒会例会が開催され、田中氏より有難いおかげ話を聴かせて頂きました。田中氏の御実家のご両親は、御長命のおかげを蒙られ、お母様が95才で2月14日に、そしてそのことをお伝えする前にお父様が3日後の17日に97才でお国替えされ、一緒に告別式をお仕えになられたのでした。ご生前中より、ご両親は円満で心穏やかに生活なさっておられ、田中氏の御兄弟も手厚くお世話をされ、特に妹さんが12年間お傍でお世話をされたのです。

★お父様は御晩年、両眼ともに視力を失われましたが、お参りされお結界にこられますと、お参りさせて頂かれたことに感激なさって、今日までの御礼を申され、ご自分のことよりもご家族のことを一生懸命お願いしておられたことが記憶に焼き付いております。有難いことに、田中氏のご夫婦の双方のご両親をお祀りなされ、家内中も御霊様も勢信心のおかげを頂いておられます。そうして、日々御霊様にお守り頂かれながら、また共に信心を進めて下さっていることは、大変有難いことです。田中氏は朝に晩に参拝され、朝には今日一日のお願いをされ、家業が終わられてからは今日一日の売り上げを初め仕事の内容の帳面を、御祈念して頂くようにお願いされ、神様にご報告なさっておられます。田中氏は、様々な出来事を通して、心を神様に向けられて信心辛抱なさってこられました。そして、頂いてこられたおかげを忘れることなく、今日まで日参を続けられ、御礼の信心に励んでおられるのです。

★『何事も辛抱ということが肝心である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。(中略)ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神様からおかげが出ると思わずに、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』

★二代教会長伊藤コウ師は、常々「水たまりにはボウフラしか湧かない。大海にはクジラが住む。小さな器には何も入りません。目の前の方々の立ち行きを根気強くお願いをしていますと、段々と自分の器が大きくなってゆくのです。大きな心になるようにお願いをしなさい。」と仰せになっておられました。日々自分の信心の至らなさに気付きながらも、感情が追い付かないことがあります。人間は自分の心をも治められないものです。自分の力ではどうにもならないところを、神様にお願いさせて頂き、おすがりしながら日々の生活を送る稽古をしてゆくことで、辛抱させて頂く力がついてゆくのです。

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2018年11月20日

●時間を繰り合わせて工夫をして稽古に励む

 あるご信者が、先日剣道の昇格試験を受けられました。会場には大勢の剣道家が会して試験を受けられたそうですが、ご信者も四段の腕前を持っておられるので、人の所作や、構え一つ見られても、「この方は合格されるだろうな」ということが、分かったのだそうです。普段から心身を鍛えて精進なさっていることが一目に見て取れる程に、積み上げた稽古は、身に付いて離れないものとなるということなのでしょう。

★また、剣道が上達するということは、稽古を重ねることによって、試合でどんな場面に遭遇しても、その瞬間、瞬間に、相手の姿がはっきりと見え、今するべきことが分かるということだと、おっしゃっておられました。上達すれば、これまでは見えなかったものが見えるようになってくる。聞こえなかったことが聞こえるようになってくるのです。そこまでに上達しようと思えば、「あれが忙しい。これも忙しい。」と言い訳を作って、稽古の時間を削るようではいけないのですね。仕事、勉強、家での役割、様々な立場で責任を持ちながら、それでも工夫して時間を作り、より多くの稽古を積み重ねる人が、どの道でも上達し、一流となることが出来るのだということです。

★ご信心も同じことです。忙しい中でも時間を工夫し、日参と聴教に励み、油断なくお取次を頂く人は、次第次第に信心が進み、「あれもおかげを頂いている、これもご都合お繰り合わせを頂いている」と言うことに気が付かせて頂くことが出来、心が和らぎ、喜びに満ちた姿にならせて頂けるのです。反対に、不足が増えてくるのは、信心が止まってしまっており、おかげを受け続けている自分の姿が見えなくなっている証拠です。銘々に時間の工夫をして、信心の稽古に励ませて頂き、今日頂いているおかげを自覚し、更に繁盛させて頂く為の正しい願いをもって、油断のない信心を進めさせて頂きましょう。

★『金光様は、ありがたき、恐れ多き、もったいなきのみきを供えて祈れ。一切の願い事を成就させてやるとおっしゃったが、このありがたき、恐れ多き、もったいなきのみきの心に、 新気、根気、お礼の働きが立ち揃うてこそ一切成就のご信心がそなわるのじゃ。これが真の神徳を受けるもとになるのぞ』

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2018年11月19日

●参拝の心構え                        

片岡次郎四郎先生(才崎教会初代教会長)は、片道十四里(約五十六キロ)の道のりを、教祖様のお広前に歩いて月参拝なさいました。しかも、初めの十二年間は、天候や、家族の体調等、参拝に支障の無い日がなかったそうですが、それでも毎月欠かす事無く参拝を貫かれたのです。教祖様は、「今月の道中は大変だったなあ」というような事は一切仰らず、「よう参られた、よい修行じゃったなぁ」「おかげを受けられたなぁ」とだけ仰るのでした。万障繰り合わせて参拝なさる事が、有難いご修行となっておられたのです。そのことで、めぐりをお取り払い頂かれ、ご神徳を頂かれました。

★ある寒い雪花が散っていた日のことです。片岡師は、御本部へお参りをされる道中に、気の毒なおじいさんに遭われました。あまりに可哀想に思われて、着ていた物を脱いで、そのおじいさんに差し上げられました。それから教祖様の元へお参りされますと、金光様が「才崎の金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」と仰せられました。

★御本部参拝はお広前に参拝させて頂いて、お願いさせて頂くことだけが神様に届いているのではなく、その道中も神様は見ておられるのです。時にはお試しがあったりして、私達の信心を鍛えて下さる事もあり、道中の私達の信心の中味をお受け取り下さっています。道中で愚痴話や不足話に花を咲かせるような事では、おかげを落としてしまうのです。阿倍野教会では団体列車・バスを出して頂き、車中での研修会や御本部参拝だよりの拝読を通して、喜びに満ちた参拝にならせて頂くようにと願わせて頂いております。

★御霊地に参拝させて頂き、初心に帰らせて頂くことが信心向上に繋がってゆきます。1回1回の御本部御礼参拝がどれほど大切であるのかを自覚し、御霊地での御祈念や御用、また参拝道中で信心の勉強をさせて頂き、有り難いお徳を積ませて頂ける参拝をさせて頂きましょう。
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2018年11月17日

●女の信心が、神様のお楽しみお喜び

『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり。子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも身体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。』

★婦人は神様から有難いお役目を頂いています。そのお役目を喜んでさせて頂くことが、神様のお喜びお楽しみであると仰せであります。そうして、家庭の健康と真心を作ってゆくことが大切なのです。家庭に於いては、子供さんが小さい頃から、神様にご先祖の霊様に手を合わせて拝むことが出来るように、親が子供の真心を作ってゆくのです。また、万物を拝むということを親が手本となってしてみせて、すべての物に生命があり、その「いのち」を大切にすることを教えさせて頂くのです。その家庭環境を作っていくのは親の役目ですから、それを怠りなくさせて頂くことは大変大切なことです。幼小の頃からみ教えを頂き、すべての「いのち」に対して、手を合わせて拝ませて頂く稽古をさせて頂いておりますと、自ずと真心が育っていきます。さらに家族の健康と真心を作り、それぞれに与えて頂いたお役目を全うし、社会のお役に立つことが出来るおかげが頂けるのです。

★婦人の五徳
1)平素、人と競争せず…他の人や家庭と比べない。
2)飲食を節する…節制を心掛け、与えて頂いている物を有難く頂く。
3)苦難の時に恨みごとを言わない…難儀なことが起きてきた時に、人を責めず、自身の改まりを心掛ける。
4)感情をむき出しにしない…喜ぶことはしっかり喜び、怒りや悲しみといった負の感情はむき出しにしない。
5)よく尊敬する…神様、御霊様、人様に対して、敬う心が大きいほど、我が身にお徳が頂けます。

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2018年11月16日

●小欲を放し、大欲を持つ

 昨日お話しさせて頂いた税理士のご信者ですが、顧問先に、船場のある大きな卸問屋さんがありました。店主がお父さんのご時代は、堅実にお仕事をなされて、お店は実に繁盛していたのですが、お父さんが亡くなられて息子さんに代替わりしますと、息子さんは相続税を申告せずに自分のものにしてしまったのです。

★それが分かったご信者は息子さんに、「相続税を払わなければいけませんよ。修正申告しましょう。」と忠告なさいましたが、息子さんは、「あんたは私の敵か!うちの顧問の税理士ならなんとか税金を払わなくてよいように私の味方をしろ!」と言われ、忠告に従わずにそのお金で土地を買って、大きな屋敷を建てられたのです。すると、何年か後に「丼池の大火」と言われる大火事に遭われ、帳簿も金庫も持ち出せずに店が焼けてしまいました。そして、税金をごまかして手に入れた土地も屋敷も、全て売り払わなければならなくなり、後にその家は絶えてしまうことになったのです。

★『欲得にふけりて身を苦しむることなかれ。』 「欲にふける」とは、「人はどうでもよい。自分さえ良ければよい」という考えから起こる、我情我欲の虜になることです。させて頂くべき御礼をすることなく、分不相応に取り込むことばかりしていると、例え人が見ていなくても、神様は全てご存知なのです。

★本来の「欲」とは、生きるために必要なもので、食べたい、寝たい、あるいは、豊かになりたい、と思う欲も、神様から与えて頂いた大切な心なのです。肝心なのは、「大欲を持つ」ということです。「あれも欲しい、これも欲しい」という我情我欲は、先細りの小さな小さな欲なのです。教祖様は『世界中の人を助けたいという欲がある。』とまで、仰せになっておられます。道理に基づいた正しい欲、大欲を持って、世の中にみ教えが満ち満ちてゆくように天地の親神様に一心にお縋りしながら、お導きをさせて頂きましょう。人の助かりを一番に願わせて頂き、お礼の働きを通してお徳と力を頂いて、共に安心、繁盛のおかげを頂いてまいりたいと思います。

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2018年11月15日

●相手の立ち行きを願う

三代教会長先生の同期で、子供会の頃から共にご信心なさり、共に住吉中学へ進まれ、共に軍隊へ行かれたご信者がおられました。そのお方は国税局の監察官をなされ、税務署の署長を歴任されて、後に税理士として開業しお役に立たれたのでした。

★そのご信者は、生前中しみじみと「世の人々に金光教のご信心が満ち満ちて、天地の道理に基づいた生き方がさせて頂ける方が増えますと有難いですね。そして『たらいの水の信心』が世の中に次々と伝わって、お広前にお引き寄せ頂かれて、おかげを頂く道を教えて頂けることが出来ましたら、どれほど有難いことでしょうか。また『めぐりのお取払い』ということを、皆がしっかりと分からせて頂いたら、どれほど結構な世の中になるでしょうか。」と、仰っておられました。

★ご信者の事務所は所長であるご信者として、所員、事務員の3人で仕事をなさっていました。先々、若い所員のお方に事務所を任せると伝えておられたのです。しかし、その所員さんは、事務員さんを連れて、無断で事務所をやめ、担当の顧問先をもって独立されたのです。ご信者は、2人に対して一切腹を立てずに「これまで積んできためぐりを、神様がお取り払い下さったのだと思います。不行届きをお詫び申し上げます。どうぞ、やめた方々が立ち行かれますように。これをおかげにさせて頂いて、後々の人手の御都合を頂かせて下さい。」と神様にご祈念され、やめた方々を恨む事無く、得意先に対しても悪いことを一言も言わず、立ち行かれることを願われたのです。するとすぐに、心配りがよく出来られる有能な、2人のお方が事務員として来て下さり、以前にもまして、丁寧親切なお仕事が出来られるようになったのでした。また、顧問先が「やはりあなたに仕事をして頂きたい。」と戻って来られたところも出てきたのでした。

★教祖様は、津川治雄師に『あなたは、腹が立ってもこらえてこらえて、それを腹の中へおさえこんでおられる。それでは、わが体をこわす。もう一つ進んで、腹の立つことを知らないということになるがよい。それには、悪いことがきても、「これは自分が犯した罪のめぐりか、先祖が犯した罪のめぐりであろう。これで、一つめぐりを取り払ってもらうのだ。」と思うがよい。またそれに相違ないのであるから』とみ教えをなさっておられます。どんなことが起きてきても、相手を責めるのではなく、神様がさせなさる御修行と分からせて頂きましたら、腹を立てることはないのです。そのような心持ちになるには、普段から信心の稽古を進めさせて頂くことが大切ですね。
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2018年11月14日

●徳切れにならぬよう

 二代金光四神様は、『世の中に徳切れということがある。その徳切れが一番恐ろしいものじゃ。ちょっと見は立派な顔をして、髭の一つも生やしている旦那さまで、牢の中で赤い着物を着て苦悶している者がある。これは徳切れのために、めぐりが出てきて、白いものが黒う見え、黒いものが白う見え、悪いことが面白うなったのじゃ。信心も広大なおかげを受けた時は、これまでの信心の徳によって助かったのであるから、それからは、また改めて一心に信心させていただいて、徳を積んでおかぬと、後の大難が来たとき助からぬわい』と、み教え下さっておられます。

★後の大難が、いつどのような形で起こってくるかということは私達には分かりません。しかし人生には、物事が起こり通しに起こってきます。そして命には限りがあります。神様からどのような思し召しがあって、どのような御用を頂いて将来を過ごさせて頂けるかは、一人一人違いますが、生きているからこそ様々なことが起こってくるのです。そこで後の大難が起きてきた時に助けて頂けるように、常平生に信心のお徳を積ませて頂くことが大切です。

★さらに二代金光様は『神は、手付けの信心に一升のおかげをお授けくださる。願いどおりにおかげをいただいた時には、手付けだけの信心ができたと悟れ。願いごとが成就した時には、大海の暗がりに山が見えたのじゃ。商売に手付けを打ったと思え。大海の暗がりに、山が見えたと思って安心するな。もし、安心しておる時に風が吹いてきたら、取り返しがつかぬ。二挺の櫓で港に向かう時なら、四挺の櫓にしてでも、早く港へ着けよ。港へ入った時が初めて安心なのじゃ。世の中の者が手付けを流して難儀をしておる。手付けを流さぬように、よくよく注意をしてやれ。』とみ教えを下さっておられます。品物を買う時に手付け金だけ前払いして、残りの代金を支払わなければ、品物は自分自身のものにはなりませんね。そういったご信心をしないようにと仰っておられるのです。先に先にとおかげを授けて頂いているのですから、日々み教えを頂き直し、お礼のご信心をしっかりとさせて頂きましょう。

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2018年11月13日

●願う以上のおかげの中で           

一昨日の教祖135年金光大神大祭には、これ以上ない爽やかな小春日和の下、各地から2,000名を超える方々が参拝のおかげを蒙られました。全く心配の無い天候気象を与えて頂きましたので、他の所への心配りをさせて頂くことが出来ました。そして、誰一人として怪我人や体調不良の方もなく、有り難い御祭典が仕えられましたことは真に有難いことです。御用奉仕の方々におかれましては、老若男女問わず早朝から夜遅くまで御用奉仕を賜りましたおかげで、夜7時過ぎには全ての平常復帰を終えさせて頂くことが出来ましたこと、誠に厚く御礼申し上げます。皆様が嬉々として連日の御用奉仕に励んで下さり、皆様の真心が集結され、11日の生神金光大神大祭として結実させて頂きましたことは誠に嬉しく有り難く、神様に御礼申させて頂いております。

★私共人間が精一杯させて頂くといいましても、人間の出来ることには限りがあります。天候気象のことだけではなく、公共交通機関や道路交通の上にも全く支障なくおかげを頂きましたことは、まさに神様・霊様のお守りを頂いてのことです。つい先日も人身事故があり、あるご信者は会社からの帰りの電車の中で2時間ほど待たれたそうです。また過去の御大祭では、高速道路が事故で通行止めになり、遠方からのご信者のご到着が御祭典終了間際になってしまわれたこともありました。

★このように、何時何処でどのようなことが起こって来るか分かりません。人間が自分の力で為そうとしても、出来ることではありません。ですから、11日の御大祭は何もかも神様がご都合をつけて下さった御大祭であったのです。願う以上のおかげを頂き続けておりながら、では、私はそのように全て良いようにおかげを頂けるような信心が出来ているかと申しますと、全くさせて頂けておりません。一番足らないのは、私の信心であり、私の修行であります。その事を神様にお詫び申させて頂く毎日です。そして、来年の春5月11日の天地金乃神大祭に向けて、より一層信心を向上させて頂けますよう、願わせて頂いております。皆様のご家庭におかれましても、ここからさらに信心向上のおかげを頂いてまいりましょう。
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2018年11月12日

●神様に心を向け、神様のお声を聴く

 昨日は、天候気象を初めとして万事万端に御都合お繰り合わせを蒙り、教祖135年金光大神大祭を盛大にお仕え申し上げることが出来ましたことを、厚く御礼申させて頂きます。

★祭典後のお説教を、島之内教会長・三矢田光師より「三矢田守秋大人をお偲びして」という御講題で、有難い御教話を賜りました。守秋師は、人に腹を立てたり憎んだりと、自分の情けない姿を見せつけられ「なんと助かっておらん自分なんだろうか」という暗澹(あんたん)たる気持ちで金光教学院を卒業されたのでした。

★卒業後に高橋正雄師に「先生、私はいくら修行しても努力しても、どうもみ教えのような者になれません。いつも変な心が動き通しに動いております。どうしたら先生のようになれますか?」とお伺いなさったのでした。高橋正雄師は「わしもあんたの言うような心が動き通しに動いておるがなあ。」と仰り、続けて「起こり通しに起こっとる。ただそういう思いが起こったら、心の中でお取次を頂いてスッと転換させてもろうてる。それだけのことじゃ。そのスピードが速いから外から見ておったら見えんのじゃ。飛行機のプロペラは止まっておる時には羽が何枚あるかよく見えるが、回り出したら羽があることが見えんじゃろう。それと同じじゃ」と仰ったのでした。守秋師は「教えというのは聞かんといかんなあ」とつくづく思われたそうです。それまでは自分一人でなんとかしようとあがいたけれども、どうにもならなかったところを、高橋正雄師に思いをぶつけるとたちまち道が開けたのでした。

★その後も守秋師は、どんな時にでも神様に呼びかけ、お願いなさっておられたそうです。「神様はいつも応答して下さるわけではないが、おられることは確かなんだから…」という思いであられたそうです。私達も三矢田守秋師のご信心を見習わせて頂き、より一層信心向上のおかげを蒙らせて頂けますよう、ここからのご信心を進めさせて頂きたいと思います。

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2018年11月11日

●神からも氏子からも両方からの恩人

皆様、おめでとうございます。本日、教祖135年金光大神大祭をお仕え申し上げます。万事万端に、有難いご都合お繰り合わせを頂きまして、また、ご信者皆様の真心からのご祈念と御用奉仕を賜りまして、無事に御大祭当日を迎えさせて頂きましたことは、真に有り難いことでございます。

★教祖様のご生前中から金光大神祭り日(まつりび)として10月10日に御祭典をお仕えになっておられました。生神金光大神様がお仕えになられる金光大神祭りとは、取次によって人が救い助けられる生神金光大神様の働きに対して、お礼を申し上げるというご意味であられました。神上がられてからは、永世生き通しの取次の神としてお働き下さっておられる、その働きに対するお礼のお祭りということでお仕えになっていかれたのです。

★『金乃神は何千年来、悪神邪神と言われてきたが、此方金光大神あって神は世に出たのである。神からの恩人は此方金光大神である。氏子としても、此方金光大神があればこそ金乃神のおかげが受けられるようになった。氏子からも恩人である。神からも氏子からも両方からの恩人は此方金光大神である。』

★ご生前中のご信心のご修行によって頂かれたお徳でもって、信奉者一同が助かっていき、霊神になられてからは、霊神としてお働き下さっておられるそのお徳によって、氏子が皆助かっているのです。私達信奉者は、金光大神様が天地金乃神様を現わして下さったこと、私達も『金光大神のようになれる』とみ教え下さったこと、ご信心させて頂いて生き通しのお徳を頂いていくということ、をしっかりと心に頂かねばなりません。肉体の働きが終えたらそれで終わりということではなく、生き通しのお徳を頂いていくお道である、ということを分からせて頂きましょう。

★私達は各自が神様の分け霊を頂いているのです。いわば神様の分身を頂いている存在です。自分もそのように心掛けましたら、有難いおかげを頂いていくことが出来ますし、そういった心構えで相手を拝ませて頂きましたら、そこに神様のお働きが現れるのです。一人一人がそうしておかげを蒙らせて頂き、信心させて頂きましたら、一年一年有難うなっていき、年が寄る程位(くらい)がつくのです。ご信心の中身によってより一層有難い姿にならせて頂けるのです。
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2018年11月10日

●己を見つめ、改まりを願う

 明日の金光大神大祭に向けて、昨日はお餅付きをさせて頂き、本日は大そうじ・小判餅くくりと有り難い準備が次々と整えられております。それぞれに、有り難い御大祭のご庇礼を蒙らせて頂きたいと思います。

★ご信心が進ませて頂くほどに、神様のお心が分からせて頂けるようになり、お願いの立て方も分かるようになってまいります。願い成就に向けて、自分は何をどのように改まらせて頂いたらよいのかが、分からせて頂けるようになるのです。ご信心をしっかり頂いていましたら、難儀に直面しても、そのことを通して、自分の改まりをしっかりお願いさせて頂き、難儀を生む元となるものをお取り払い頂きますと、苦難も乗り越えさせて頂き、そこから一層有り難い世界が開かれるのです。

★しかし、ご信心から離れてしまって、「あの人が悪い・・・」「あの時あんなことさえなければ・・・」というように、自分の不徳から目を背けて、他に責任を転嫁していると、難儀が難儀を生んでしまうことにもなってしまうのです。明日の御大祭の御庇礼を十分に頂く受けものを作らせて頂くためにも、自分の心の有り様、仕事のあり方、人との関わり方、物の扱い方…等々を見直させて頂き、本当にご信心を頂いている有り難い姿に一歩ずつ進ませて頂きますよう、おかげを頂いてまいりましょう。

★『ご信心するからには、しっかりとした願いがなければならん。何かなしに願っているというのではなしに、ご信心しておれば何をおかげを受けねばならんか分かろうが。いつも心にかけて願っておれば、身の立つおかげが受けられる』

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2018年11月09日

●「実意・丁寧・正直・親切」を基に…         

昨日はみかげ会例会が開催され、中山氏の有難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★中山氏のご両親は、洋品雑貨等の販売のお商売を営んでおられました。中山氏が大学を卒業される年にお父様が胃潰瘍で入院され、この時初めてご自身から進んで家業を継がせて頂こうと決心されました。そこで、お父様は商売の修行をするための店を、親しい問屋さんを通じて探して下さいました。するとなんとその店は、阿倍野教会の当時の信徒総代であられた沖氏のお店であったのです。沖氏のお店に就職なさった中山氏は、沖氏の信心を第一とした生活、接客、販売等を心掛けておられるお姿を見て衝撃を受けられました。

★数か月後、中山氏は信行期間中の青年会例会に連れて参って頂きお話を聞かれました。そのお話を聞かれた中山氏は、心が洗われる思いがされ、これを機に日参と聴教に励まれました。三年間、沖氏に指導を受けられた中山氏は、毎日沖氏と共に日参され、信心を基にした商売の有り方を学ばれました。沖氏は「君は商売を習いに来たのではなく、信心を習いに来たのです。商売の方法は年と共に変化し、又、場所によっても変わる。しかし、ご信心はいつの時代であってもどこに行っても同じです。絶対に離さないようにしなさいよ。」と教え導いて下さったのでした。

★信心を商売の上に起こってくるさまざまな問題に対しても、ご家族みなが心を揃えて「実意・丁寧・正直・親切」のみ教えを基に、辛抱強く対応なさいました。その姿勢により得意先の方々からの信頼を頂かれ、お店も徐々に発展させて頂かれ、学校の制服等の衣料販売を初め、会社や工場へ制服・事務服等の納品、また春秋の観光シーズンには土産物店も経営なさるまでに拡大されました。今では百社ほどの会社との取引をさせて頂かれるまでに発展のおかげを頂いておられるのです。

★また、ご両親や子供さん達の身の上にも次々とおかげを頂いてこられ、現在では子供さん達が皆それぞれに家業を手伝って下さり、家業相続・信心相続の大変有難いおかげを頂いておられます。このような有難いおかげを次々に頂いてこられたのは、み教えを心の支えとし、「実意・丁寧・正直・親切」を基にした生活をずっと続けて来られたお徳によるものであるのですね。
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2018年11月08日

●信心は日々の改まりが第一じゃ

 願う生活とは「どうぞ改まらせて頂けます様に」と日々お願いをさせて頂く生き方です。願いがありませんと、いつまで経っても変わらないのです。しっかりとお願いを立てることがないと、人間の徳性も家も商売もいつまでも成長がありません。そんなことでは神様に申し訳ないですね。願いがありますと、願いに沿って正しい努力・最大限の努力をさせて頂けて、前に進ませて頂く力を与えて頂けるのです。ですから、本気でお願いして本気で取り組むのです。口では「体の丈夫のおかげを頂けますように」とお願いしているのに、夜更かしをしたり、酒やたばこは辞められず、体に悪いことばかりしているような、勝手気ままな生活をしていては、体の丈夫は頂けません。そういう口だけのお願いはお願いをしているとは言いません。お願いするならば本気でお願いをさせて頂き、本気で改まらなければならないのです。

★例えて言いますと、受験等で「どうぞ合格出来ます様に」とお願いをしても、本気になって打ち込んで勉強させて頂きませんと合格出来ませんね。ですから私達は「どうぞ合格させて頂けるだけの努力が出来ます様に」とお願いさせて頂くのです。そして毎日「今日も神様・霊様・両親のおかげで勉強させて頂けます、有難うございます。どうぞ集中して最大限の努力がさせて頂けます様に、どうぞ思い違い考え違い書き違いのありませんように、行き届いた準備が出来ます様に」とご祈念して勉強させて頂けば良いのです。

★願うということは『真の値で買う』ということです。経済が立ち行くようになりたいのに「宝くじが当たります様に」というお願いをするようなことでは、本当の助かりはありません。自分自身がどのように改まらせてもらうのかということをお願いさせて頂くのです。ですから、『信心は日々の改まりが第一じゃ』と教えて下さっているのです。毎日み教えを頂いて、毎日真剣にお願いして、毎日改まりをさせて頂けるようにおかげを頂きましたら、神様がその実意を汲んで下さって、いくらでも足して下さり、良い方へおかげを頂いていきます。それぞれに本気でお願いさせて頂くということを考えさせて頂き、日々改まりを第一におかげを蒙らせて頂きましょう。

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2018年11月07日

●我良しと思う心をお取り払い頂く

安武松太郎師(甘木教会初代教会長先生)は、「我良しと思う心」に対しての戒めとして多くのお歌を残しておられます。
「我よしと 思うは智慧の行きづまり 怪我あやまちもそこよりぞ来る」
「我良しと思う心は 道の仇 我が身の仇と戒めてゆけ」
「我良しと思う心を仇として 戦いて行け 日ごと夜ごとに」

★「私は一生懸命している…」という思いが、考え違いの原因となります。また、「私が努力したから、相手が助かったのだ…」等と慢心をしましたら、有難い結果を生むことには繋がらないでしょう。自分の至らなさを自覚し、どこまでも謙虚に相手の助かりを願っておりますと、その一心を神様が受け取って下さるのです。

★さらに、安武松太郎師は「慢心と不平は成功の障害」とみ教えを下さいました。心に不平・不足を思うのは、自分中心になっているからです。慢心も卑下も成功の障害になります。自分がしているという心に間違いがあるのです。その心に気が付かせて頂きお取り払い頂かねばなりません。どれ程神様にご辛抱頂き、人のお世話になっているか分かりません。「至らない自分であるのにお使い頂いている」というお礼とお詫びの心を中心に、何事もお願いしてさせて頂くことが大切なのです。そして、足らないところは神様が足して下さっておられますから、そのことを自覚させて頂いて、日々謙虚な心でお仕事に、また家庭生活の上におかげを頂いて参りましょう。
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2018年11月06日

●人の助かりを願い、お導きさせて頂く

 あるご信者は、お届けの際に、毎回お知り合いの方の助かりを願っておられます。その方に腫瘍が見つかり、手術を受けられることとなりました。ご信者は、その方のことを「治療が無事に成功され、心も身体もどうあっても助かって頂けますように。お導きがさせて頂けますように」と願っておられるのです。しかし、ご祈念をさせて頂きながら、「お導きをして受け入れてもらえなければどうしよう。今までの関係が壊れてしまったらどうしよう。」と思ってしまう心も湧き出てきます。そうした心情もお届けされたご信者に[相手のことを思い、助かりを先ず願わなければ、お導きというものはできません。相手の助かりを願われていることは、大変有難いことであり、神様もお喜び下さっています。「どうあっても助かって頂きたい!」と願う心は神心です。その願いを強く持ち、お願いし続けておりますと、一番良い時期に相手の心に伝わり、「あなたがそこまで思って下さっているのであれば」という心になって下さり、お導きをさせて頂くことができるのです。どれほどその方のことを思って、心底から祈らせて頂いているかという事が大切であり、相手の方に伝わってゆくのです。相手の方が素直に受け入れて下さる時期まで、しっかりとお願いさせて頂き、神様とその方とのご縁がつながってゆく、橋渡しの御用がさせて頂けますようにと願わせて頂きましょう。]とお話をさせて頂いたことでした。

★人の助かりを願う心というのは、神心であり、その神心を大きくさせて頂きますと、自分自身はもちろんのことですが、周囲が助かってゆくことになるのです。人が助かる御用にお使い頂きましょう。それが、神様への御礼の信心となるのです。

★『人一人助ければ一人の神である。十人助ければ、十人の神である。』『自分のことは次にして人の助かることを先にお願いせよ。そうすると、自分のことは神様が良いようにして下さる。』

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2018年11月05日

●『一心とは迷いのないことぞ』        

二代教会長伊藤コウ師のご時代に、思春期の息子さんの暴言暴力に悩む男性がお参りになられました。その時に頂いたみ教えは、『あなたの息子さんを、毎日拝みなさい。』という内容でした。その方は、頂いたみ教えを守らせて頂くため、「どうぞ本気で息子を拝める私にならせて下さい。」という願いを持たれ、日参と聴教に励まれました。

★一日で何かが変わる訳ではありません。しかし、何年と続けておられるうちに、いつの間にか、息子さんの様子は落ち着いていかれ、やがて、大学に進学し、就職も出来られました。有難いことに良縁と子宝にも恵まれ、いつの頃にかその息子さんも一家でお参りが出来るようになられたのでした。それでもご信者は、「まだまだ、私は息子を本気で拝むことが出来ておりません。真の信心にはまだまだ程遠いです。どうぞ息子を神様だと思って本気で拝めるようにならせてください。」と、どこまでも油断なく願い続けられ、生涯を通して朝晩の日参と聴教に励まれたのでした。

★御晩年には「今では息子が孫を連れて教会へ参拝してくれています。そして、親の健康や親孝行がさせて頂けるようお願いをしてくれています。こんなに有り難い結構なおかげを頂けるようになるとは、夢にも思っていませんでした。それでも、私はまだ本物にはなれておりません。私の信心が至りませんのに、神様は次々におかげを授けて下さっています。もったいないことです。まだまだ至りません私ですので、どうぞ信心が進ませて頂けますように…」とお願いをなさっておられました。そのお話を聴かせて頂き、誠に尊いお姿であると感銘を受けさせて頂いたことでした。

★もしこのお方が「私は悪くありませんから、息子が改まりますように」とお願いをしておられたら、このようなおかげを頂くことは出来なかったでしょう。また、「私が努力したから、息子が落ち着いたのだ」と慢心をしましたら、有難い信心相続は出来られないことになっていたでしょう。自分の至らなさを自覚し、どこまでも謙虚に「本当に心から子供を拝める親にならせて下さい」と願い続けられた、その一心を神様が受け取って下さったのですね。
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2018年11月04日

●常に信心向上を願って

 二代教会長・伊藤コウ師は、信心の向上を生涯かけてお願いさせて頂くよう、いつもみ教え下さっておられました。熱心なご信者ほど、高齢の方でも、心も、またお姿も若々しく、「私はもう年ですから・・・」というようなことを口になさらず、自らを限るようなことをなさいません。日々丁寧に、生神金光大神様のお取次を頂いて、身に起こるあらゆることにご都合お繰り合わせを頂くようにお願いさせて頂かれますから、日々心も体も健康でおられるのです。御用のお徳、お導きのお徳をつませて頂くことに、生涯つとめさせて頂かれることは大変有り難いことなのです。

★神様は、皆それぞれに成長を願って下さっており、成長を促して下さっておられます。自分の身に起こってくること、与えて頂く仕事に責任をもって当たらせて頂き、ご信心をもって受けきる覚悟が出来ますと、難しい問題に直面しても、「このことを通して勉強させて頂いて有り難うございます。どうぞ信心が向上させて頂けます様に。この責任を全うさせて頂けます様に」と、しっかりとしたお願いを持つことができます。

★反対に、身に起こってくることを受けきる覚悟が持てずにいますと、不足ばかりが湧いてきて、「あれも面白くない、これも面白くない」と感じてしまいます。「私の周りにはろくな人がいない」などと思えるのは、自分のことを棚に上げて、人の悪い面ばかりを見る癖がついているのであり、「冷たい人ばかりだ」と感じるとしたら、それは、「人に同情して欲しい。優しくしてほしい」というような、自分に甘い心ゆえと言えるでしょう。

★ご信心が進みますと、知らず知らず頂いているおかげにお礼が申せるようになり、知らず知らず重ねているご無礼に対するお詫びの心、慎みの心が、自然と湧いてきて、心も穏やかに、体の上にも健康におかげを頂くことが出来るようになるのです。

★また、お礼の御用に喜んでお使い頂きますと、『氏子が神の用をすれば、神が氏子の用をしてやる。』とみ教え頂いておりますように、人間の考えの及ばないところまでも、神様がご都合お繰り合わせ下さり、万事に有り難いおかげを蒙らせて頂くことが出来るようになるのです。

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2018年11月03日

●自分の中から尊いものを生み出す

松山成三師は、戦後満州・大連より、ご夫婦が着の身着のままで引き揚げて来られました。お子達とも離ればなれになったままで内地に引き揚げてこられ、まだお住まいも定まらない状態であられた時に、お道の教師の方々に対して講演をなさられたのでした。三代教会長伊藤良三師は、その講演を聴かせて頂かれたのです。

★松山先生のお話が終わられますと、その場にいた先生方が「これから後はどこに落ち着かれるのでございましょうか?」と質問されました。すると松山先生は「毎日、神様がお使い下さるままに、来いと仰る所へ参ります。京都へ来いと言われたら京都に行かせて頂きますし、大阪に来いと言われたら大阪に参りますし、御本部に留まれと言われたら御本部で御用させて頂きます。その日その日、今日一日、御用にお使い頂くことだけを考えております」と仰ったのでした。さらに、松山先生は「着ることでしたら着の身着のままですけれども、今着てるものがございます。当分これでいけます。食べることでしたら、私共は年寄り夫婦二人のことでございますから、何か少しでもあれば二人で分けて頂きます。何もなければ断食のご修行をさせて頂きます」と仰ったのでした。

★そうして、日本に帰られた時も、後のことは全て神様にお任せして、今日一日どのように御用にお使い頂くか、そればかりを一生懸命考えて御用にお使い頂いておられました。すると、それから一年も経たぬ間に、時は終戦直後の混乱期で、何もかも無い無い尽くしの時代で、建築資材も不足していたにも関わらず、檜造りの立派なお広前が完成し、岡山中部教会の初代教会長となられたのでした。三代教会長先生は是非参拝したいと思われ、岡山中部教会に参拝なされ感心なさって帰られたのです。

★お伽噺の中に、様々な欲しいものが出てくるとされる「打ち出の小槌」がありますが、実は自身の心の中に「打ち出の小槌」はあるのです。お金や物や人に頼らず、「命のある限り、しっかり神様の御用にお使い頂きたい!」と願わせて頂きますと、神様はどこまでも元気で御用に使って下さり、衣食住等は神様が全て整えて下さるということが分からせて頂けますね。神様から与えて頂いた心と身体が健康であれば、気力と体力を十二分に発揮させて頂くことができ、自身の中に神様から頂いている有難い尊いものを、いくらでも表すことが出来るのです。
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2018年11月02日

●実意丁寧に値打ちのあるお仕事をさせて頂く

 あるご夫婦が五ヶ年計画を立てられ、三代教会長先生にお届けに来られました。ご主人はあるお店で働いておられ、将来は自分の店を持ちたいと願っておられ、その為の準備をさせて頂く為に五ヶ年計画をお立てになったのでした。

★三代教会長先生は「お店を持たせて頂くという大きな願いを成就させて頂く為には、資金の準備も技術を身に付けることも努力も必要ですが、何といってもお徳を積むことが大事です。私達は天地にお命を頂いて生かして頂いているからこそ、何でもさせて頂けるのです。まず命を頂いていかねばなりません。次には健康のおかげを頂いていかねばなりません。しかし、毎日愚痴不足ばかり言っていたのでは、結構になっていきません。めぐりを積みながら生きていくのか、それともめぐりをお取り払い頂いて、しっかりお徳を身に付けて、お仕事をさせて頂くようになるのかということです。あなたがお徳を積ませて頂くには、今勤めさせて頂いているお店の為に、給料の2倍も3倍も値打ちのある働きをさせてもらうのです。一般的な考えで言えば、損に思えるかもしれませんが、それは天地にお徳の貯蓄が出来ていくということです。仕事をさせて頂く上で体裁だけ整えれば良いということではなく、たとえ面倒くさくても邪魔くさくても本当に真心込めて、相手が喜んで下さるような仕事を実意丁寧にさせてもらいましょう。そうしましたら[あの人に頼めば間違いない。値打ちがある。ごまかしがない。有難いことだ!]と、また頼んで頂けるようになるのです。実意丁寧にさせて頂こうと思いましたら、時間も手間もかかります。親切にさせて頂こうと思いましたら、親切・心配りが大切です。それがお徳を頂いていくことになるのですよ。」とお話しなされたのでした。

★給料の2倍も3倍もと言うと勘違いして「そんなこと言うてたら寝る暇もありません。」という方もおられます。しかしそうではなくて、同じ時間でも生かして使わせて頂き、充実した時間の使い方をさせて頂きましたら、有難いことに2倍も3倍も値打ちのある仕事になっていくのです。

★『実意丁寧、これが金光様が神様からご信用を受けられて生神様になられたもとじゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わねばならぬ。』

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2018年11月01日

●心から喜んで御礼が申せると身体にも変化が現れる

私が金光教学院にご修行中に、学院長として御用なさっておられました内田守昌師は、大変立派な先生であられました。重厚なお人柄であられましたから、私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。」「私の家族はどうなるのか。」と心配に捉われて、不安でたまらない日々を過ごしておられたのでした。

★そんなある日、松山先生の奥様であられます、松山いち先生が病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中に、すべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んで、あれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思うことが出来られたのでした。涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。

すると次の日に、担当の医師が「内田さん、薬が効いた!」と告げて下さり、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しく毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★人は何か難儀なことが起きてきますと、心が乱されてしまいがちです。また、人の言われることに惑わされ、不安や心配にとらわれて身動きが取れない状態になってしまいます。

しかし、出来事を通して、神様に心を向けさせて頂きますと、神様の思召しが分からせて頂き、御礼の申したりない部分が分からせて頂けるのです。神様に心からお礼が申せるようになりますと、そこからおかげが頂けるのですね。心配は神様にお預けし、神様から与えて頂いた出来事を心から御礼が申せる信心に向上させて頂きましょう。

★『氏子らは小さい所に気を付けて、夜分に提灯を借りても、手みやげをつけて、大きにありがとうと礼を言って返すが、日乃神様(太陽)には、どのくらい大きな御礼を申しても、過ぎることはあるまい。』

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