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2018年10月31日

●真に有難しと思う心すぐにみかげのはじめなり

 先日、あるご信者が、手術を受けられ、無事成功して、退院なさり、お礼のお届けに来られました。30センチほど開腹しての手術であったとのことで、傷口は表面は塞がっているものの、完全に痛みが取れ、回復するにはこれから月日がかかるということでした。そこで、毎日傷口に御神酒を頂き、お洗米を頂いておかげを頂かれるよう、お結界で、お洗米と御神酒をお下げさせて頂きますと、「有り難うございます」と、額に押し頂かれ、それはそれは実意丁寧にお礼を申されました。ご信者の厚いお礼のお心で、これから結構なおかげを頂かれることと思わせて頂き、神様にお礼を申し、引き続き、順調に回復なさることをお願いさせて頂いたことでした。

★また、あるご信者の弟さんが東京で手術を受けられ、無事成功したのでしたが、縫った傷口がなかなか塞がらず、医師もどうすることも出来ない状態が数日続いたのでした。傷口が塞がらないことには、歩く事もできず、リハビリも始められないので、身体は衰弱してしまいます。ご信者は、そうした弟さんの術後の経過をお届けなさり、傷口が順調に塞がるようお願いなさったのでした。すると、お届けなさったすぐ後日に、入院なさっている弟さんの夢に金光様がお出まし下さり、心から有り難く涙ながらに拝ませて頂かれたそうです。その翌日から、傷口が付き始め、順調に回復に向かうおかげを頂かれたのでした。

★日々天地のお恵み、お働きを受けて生かして頂いていることへの喜びに満ち満ちて、自分だけではなく相手も助かり、周囲全体の助かりにつながっていく正しい願いを持つことが出来れば、必ずおかげが頂けるのです。我情我欲からのお願いでは、天地の道理に適わず、神様にも通じていきません。皆、家族の一員、地域の一員、国全体、この天地全体の一部分を担う存在だということを忘れてはなりません。

★自分のお礼、お詫びの足りないところ、また、お願いの未熟なところは、自分だけで分かるものではありません。本気になって、生神金光大神様のお取次を頂き、真心から神様におすがりする心にならせて頂けば、一歩一歩信心が向上させて頂けるのです。

★『うろたえ信心をせぬがよろしい。また、早くおかげを受けたいと思うてうろたえるのは、近道をしようと思うて知らぬ道をうろたえるのと同じことである。此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。』

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2018年10月30日

●喜び上手になりますように… 

あるご信者は、37才の時に目の病気を患われ、緑内障で失明するかもしれないとのことで、三ヶ所の病院を回られましたが、手術することもできないということで医師からも手を放されたのです。

★お導きを頂いてお引き寄せを頂かれ、二代教会長伊藤コウ師より、「ここへお導き頂いてお参りしてきたということは、神様の思し召しによってお引き寄せ頂いたということです。神様が願って下さっているからには、きっとおかげが受けられますから、信じてお願いしなさい。あなたも少しなりとも御修行をさせて頂きなさい。おかげを頂けることを信じることと、今まで喜べなかったことが喜べるように、毎日喜ぶ稽古をしなさい。」とみ教えを頂かれたのです。

★それからは、毎日朝に昼に、2人のご信者さんが左右について、手を引いて一緒に参拝して下さって、み教え・お取次ぎを頂かれたのです。ご信者は、薄紙を剥ぐようにおかげを頂いてゆかれ、視力も徐々に回復のおかげを頂かれ、1人で参拝させて頂けるまでになられたのでした。何と針に糸が通せるまでに視力も回復され、全快のおかげを頂かれたのです。一人で参拝の折に、コウ師より「目が見えなくなり、お医者さんからも見放されて、死にたいと思っていたあなたが、痛みも取れ、熟睡も出来、一人で参拝できるまでにならせて頂いた。それだけ有り難いおかげを頂いておられるのに、どうして明るく嬉しい顔で『今日は一人で参拝させて頂けました!有り難うございました!』と御礼が申せないのですか?」と尋ねられました。それを聞かれたご信者は、「確かにその通りです。今日は足袋の繕いもさせて頂いてきましたが、それも当たり前のことと思ってしまっていました。」と、自分が喜びの足らない人間であることに、そして不足を思うことは上手であることに、改めて気付かれたのでした。

★今まで不足を言う癖が染みついておりますと、生まれ変わったように喜ぶことはなかなか難しいのです。私達誰もがそのような部分を持っています。だからご修行が必要なのです。「喜び上手にならせて頂けます様に」と日々お願いさせて頂き、稽古をさせて頂きましょう。
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2018年10月29日

●初代教会長・伊藤徳次彦霊神の例年祭をお仕えして

 昨日は初代教会長・伊藤徳次彦霊神の92年廻れる例年祭をお仕えさせて頂きました。

★初代教会長・伊藤徳次師と二代教会長・コウ師は、23歳の時にご縁を頂かれ、ご結婚されました。ご結婚後、徳次師は大阪で布教なさるため、四条教会にて半年間、島之内教会にて1年間御修行なさいました。徳次師が24歳の時に、島之内教会にご修行なさっている際、当時流行していた悪性のインフルエンザ(スペイン風邪)に罹られたのです。なんと意識不明の重体になられ、心臓麻痺を起こされ、医師からも手を放されたのでした。徳次師は自宅へ戻られ、コウ師が一心に神様にお願いし、教師の職務も学校閉鎖・学級閉鎖とお繰り合わせ頂き、5週間手厚く徳次師の看護が出来られ、快方に向かわれたのです。

★そして島之内教会でのご修行の後、阿倍野の地にご布教を始められました。それから5年後、大正15年32歳で徳次師は「おかげやで、おかげやで」と言い残され、お国替えされました。徳次師は最期の最期まで死んでもままよの信心を貫かれたのです。徳次師がお国替えなさった時、コウ師は「主人は24才でスペイン風邪にかかり命の無いところを助けて頂き、8年間寿命を伸ばして頂きました。そのことを神様にお礼申し上げます。どうあっても初代教会長先生のご遺志を継がせて頂けます様に。」と御礼を申され、徳次師の御心を無にしないように、すべてが神様の思し召しとして受け切ってゆき、おかげにしてゆく信心を表して下さったのでした。

★徳次師の十日祭の当日のこと(11月6日)、建築に携わっていた方全員が、教会長夫人であるコウ師に対して、建築委員総辞職という連判状を提出なさったのでした。コウ師は、その連判状をご神殿にお供えされ「人を頼りにせず、神様を頼りにしなさいとの良い機会を与えて頂きました。ありがとうございました。どうぞ、恩借やご信者の分担金、銀行借入金なしで建てさせて頂きますように」と神様に御礼を申され、お願いなさったのです。

★境内地の土地は購入済みで、建築用の木材が積んである中、工事は一旦中断されました。ご建築にご尽力下さった竹本駒蔵師は、その状況を見られて「建築は到底先になるだろう」と思われて、京都に帰られたほどのことでした。そんな中、コウ師は四面楚歌でありながら、初代教会長先生のご遺志を引き継がせて頂きたいと願われる心と、ハル氏を思う心を両輪になさって、真心で一心に神様におすがりなさって、ご建築に取り掛かられたのです。そして、なんと翌年昭和2年11月11日に旧広前の新築落成祝祭を挙げられることが出来られ、次々とおかげを頂かれるご信者が増えていかれる礎を築いて下さったのです。

★五ヵ年計画第2年目に当たり、願いを立て直し、物や人に頼らず、ただひたすらにどこまでも神様にお縋り通され、使命を全うされた信心を私共も頂き直しましょう。

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2018年10月28日

●有難いということの自覚

本日午後2時より、初代教会長・伊藤徳次彦霊神の92年廻れる例年祭をお仕え申し上げます。ご家族ご親戚、お導きの方々が揃って参拝のおかげを頂かれ、日々お守り頂いているお礼を申し上げ、11月11日の金光大神大祭に向けて、願いを新たにさせて頂きたいと思います。

★ご信心を続けさせて頂く上で、御恩を分からせて頂くということが大切です。奇跡的なおかげを頂いたということだけでは、ご信心は続いていきません。どうすればご信心が続いていき、次の代そのまた次の代が結構になっていくのかと言いますと、天地の親神様の御恩・ご先祖の御恩・すべての御恩を分からせて頂かければなりません。

おかげを頂いていくという事と共に、お道のご信心のなんたるかということを教えて頂いて、自覚を促していかないことにはご信心が続かず、信心相続も出来ないのです。ですから、お礼のご信心が大切なのです。

★初代教会長先生がお国替えになられて92年になりますが、毎年例年祭を大勢の方々と真心込めて仕えさせて頂けるのは、初代教会長先生が金光教甘木教会に足掛け8年ご修行をして下さり、その後も並々ならぬご修行とお取次の御用に専念なさって下さったからです。そしてそれが基となり、その後二代教会長先生・三代教会長先生が御用して下さり、今日の阿倍野教会があるのです。

そして有難いお導きを頂いて、現在の私達がご信心をさせて頂けるのです。その有難いことをしっかりと伝えさせて頂きませんと、真心からのご祭典をお仕えすることも出来ませんし、参拝なさる方々も助かってゆかれません。皆が有難い事を分からせて頂くということが大切です。

★入信以来、今日まで結構におかげを頂いているということに心が至りませんと、自覚も成長もありません。入信前はどうであったか?ご信心させて頂くようになり、生かされて生きてゆくというご意味が本当に分からせて頂いているか?自分自身がどのように生まれ、お育て頂いてきたのか?その有難いことを自覚させて頂くということが大事なことなのです。

それは誰かが何とかしてくれるという話ではありません。おかげを頂いていかねばならないのは自分自身です。しっかりとお礼のご信心をさせて頂いて共におかげを蒙らせて頂きましょう。
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2018年10月27日

●困難の受け止め方

 教祖様は、ご養父、義弟、お子様三人、飼い牛2頭(当時は一般に家族同様に大切にしていた)を次々と亡くされ、七墓築かれるという難に遭われました。しかし、「これだけお願いしているのに何故…」というような不足の心を神様に向けられることも一切あられませんでした。ただただご自身の在り方を見つめ直され、家長としてもっと取るべき行いがあったのではないかと反省され、「残念至極と始終思い暮らし」と、当時の思いを書き残しておられます。そのように、神様のことはどこまでも信じて、お立て申し上げ、自らを反省なさるご姿勢が、神様にご信用頂かれる「実意」となっていかれたのでした。

★三代金光様の奥様の金光キクヨ姫は、授乳する際に乳首が切れる「乳切れ」をご経験なさいました。そのことについて、「こうして乳首が切れて、痛み悩んでお願いに参る人がどれほどあるんじゃろうかなあ。』と自分の疼きを自分自身が痛みながら、自分のことよりも『全国の教会にこうして乳の疼きをお願いに来ておる人が、おかげを頂きますように。』とお願いさせてもらうことが出来ました。この痛みは、人の話を聞いたぐらいのことで分かるもんじゃあない。神様が体験をさせて下さったのです。」と仰せになっておられます。

★困難にぶつかった時、「なぜ自分がこんな思いをしないといけないのか…」などと嘆いたり、自分以外のものに責任を押し付けたり、他に怒りを向けたりすることは、簡単かもしれません。しかし、「神様が自分に必要なご修行をさせて下さっている」という心にならせて頂き、問題を正面から受け止める覚悟ができると、神様から信用して頂くことができ、困難の中からおかげを頂く道が開かれてゆくのです。

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2018年10月26日

●我情我欲をお取り払い頂く

ある学生さんが学校でクラスの委員長になり、一生懸命クラスの数人と放課後に残って話し合いをし、催しの準備に向けて真面目に活動していました。しかし、クラスの中で「お前は気に入らん、ええ格好しやがって、半殺しの目にあわせてやろうか!」等とひどく妨害をする生徒がいたそうです。

★何故このような言いがかりを付けられて、嫌なことばかり言われないといけないのか、と無性に腹が立ったので、その学生さんはお結界に来られ「どのように考えさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けされました。

★すると三代教会長先生は「あなたは10代にして、徳を頂くということについて考える良い機会を与えて頂きましたね。有難い事ですね。知識があり成績だけ良くても、それだけでは解決できないことがあります。そこで大切なことは、一生懸命努力に努力を重ねて、どこまでも諦めずにクラスの人からも一目を置かれるぐらいに、ずば抜けていくということが大事なことですよ。あの人の言う事なら聞く耳を持とう、と思ってもらえるようなお徳を頂いてゆかねばなりません。それが今あなたに求められていることですよ。そして認めて頂けるまでは、どんな嫌がらせを受けても悪口を言われても、くじけずに自分自身を磨き上げてゆく覚悟を持たなければなりません。脇目も振らず一生懸命になり、実力を付けていくことです。

★そして、次に大切なことは、謙虚であるということです。人の口をもって、自身の足りない部分を神様が教えて下さっていると思わせて頂いて、相手にお礼が言えるくらいにならせて頂くことが謙虚な姿勢なのです。そのためには人を目当てにするのではなく、常に神様を目当てにすることです。そうしますと、どんな場面に遭遇しても、どんな環境に置かれても、謙虚な姿勢はぶれず、自分を見失うことなく、実力を十二分に発揮させて頂くことが出来るのです。日々教会に足を運び、お広前で教えて頂くのです。この経験を通してあなた自身も結構なおかげを頂きなさい。これが本当に分からせて頂いたら、世の中に出た時には本当に役に立つ人間にならせて頂けるでしょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★お取払い頂くべき我情我欲
 1)克(こく)…人に勝ちたがる。
2)伐(ばつ)…自慢する。
3)怨(えん)…人に恨みを抱く。仕返しをする心。
4)欲(よく)…貪欲なこと。自分に必要以上に取り込もうとする心。
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2018年10月25日

●刃先の焼き直し

 魂の働きは、生き死にを通して永遠に続きます。生きているうちにしっかりとお徳を積ませて頂けば、死んだ後には徳の高い霊となって活き活きと働いて子孫を守らせて頂くことが出来ますし、また、死を恐れることもなくなるのです。

★三代教会長先生は、お若い頃から、二代教会長・伊藤コウ師に、お徳を積む生き方を徹底して教えて頂かれました。学校では、先生方から言って頂く用事は何でも有り難くさせて頂かれ、用事が終わったら寄り道をせずにすぐに帰宅され、中学生の時には、教会の子供会の御用を毎日なさいました。子供会の後には、勉強の遅れておられるお子さん方を集めて、時には夜まで勉強を教えてあげられ、それが終わってから、ご自分の勉強をなさいました。また、定期試験の最中であっても、月例祭の記帳の御用に出られ、最後のお掃除の御用まで、必ずなさったのでした。そのようにして、神様の御用、人様の為の御用に、心も体も時間も使わせて頂くことを教えて頂かれたのでした。

★お徳を頂くには、ただ年を重ねさえすればよい、という訳ではありません。日々しっかりとお取次、み教えを頂いて、御用を通して、またあらゆる出来事を通して、心と体を鍛えて頂くことによって、次第次第に心が磨かれていくのです。鍛えて頂く最中は、苦しかったり、面倒に感じたり、あるいは損をしているように思えたりすることもあるかもしれません。しかし、その中を辛抱して、稽古させて頂くことによって、人のお役に立つこと、神様の御用にお使い頂くことが、「嬉しくて有り難くて仕方がない」というような、有り難い姿にならせて頂くことが出来るのです。

★『鉄でも使えばちびるぞ。人間、生身に痛いかゆいは当たり前ぞ。物にたとえれば、くわでも刃先の焼き直しをしたら、はじめよりよう切れるようなもので、人間、時々痛いかゆいがあるのが、刃先の焼き直しじゃ』

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2018年10月24日

●何事も神様にお願いしてさせて頂く

ご信心させて頂いている私達は「我が力で何事もする」ということにならないようにしなければなりません。教祖様が『何事にも無理をするな。我を出すな。わが計らいを去って神任せにせよ。天地の心になっておかげを受けよ』とみ教え下さいました。我が力でするということになりますと、自分中心・人間中心の考え方になってしまい無理が生じます。神様にお願いしてさせて頂きますと、時間や人のお繰り合わせをつけて頂けて、全てに良いように神様がさせて下さるのです。

★また、み教えを頂いて「己を知る」ということを常に心掛けて、見直し聞き直し考え直しをさせて頂くのがご信心です。「無理が生じてないだろうか?」「道理に適っているだろうか?」「神様にお願いしてさせて頂く、ということになっているだろうか?」と常に見直し、神様のお徳を身にも家にも頂くおかげを蒙らせて頂きましょう。

★二代教会長先生は「集金に行く時にでも、おかげを頂かねばなりません。お願いして行かせて頂きましたら、ちょうどよい所に来たと先方から言って頂き、丁度いま現金が手元にあるからと喜んで支払って頂けるのです。神様がお互いの都合をつけて下さるのです。どんなことでもご都合付けて頂かなければなりません。同じ集金をさせて頂くのでも、お徳も力も頂いておりましたら、おかげの頂きようも違います」とみ教え下さいました。

一生懸命お願いをさせて頂いて、全てに良いように物事を運ばせて頂かねばなりません。「これもあれも上手いこといかない・・・」という時はお願いが足らないのです。そして心配りや真心や準備が足りない為に、物事がうまくいかないのです。

★『氏子、商売するというから神は見ておる。商売さしていただくという心になれば、神はつきまとうてさしてやる』人間の見る範囲や聞く範囲には限界があります。よく見てよく聞いて心の眼を開かせて頂いて、天地万物から学ばせて頂くつもりで、おかげを蒙らせて頂きましょう。
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2018年10月23日

●無駄にするという事は、命を粗末にするという事

 阿倍野教会では、初代教会長先生が御布教なされた当初から、お説教の演台は実に95年以上も同じものを使わせて頂いております。初代、二代、三代教会長先生と長きに亘って、力を込めて説き続けて下さったその熱き心を感じ取ることが出来ます。阿倍野教会にとっては大切な宝物です。その天板の無垢の一枚板には力を込めて説かれる為に、両手の親指の爪の跡が刻まれています。そうした精神を失わないように大切にしながら、毎日の4回のお説教時に今日も現役で使わせて頂いております。

★私が結婚後、住宅の屋根裏の物置を整理させて頂いておりましたら、二代教会長・伊藤コウ師のご母堂、伊藤ハル氏のご時代から使っておられたタンスなどが置いてありました。その中に、ハル氏が嫁入り道具として持参なさった鏡台が、バラバラになって置いてあったのでした。それを使わせて頂くことを、三代教会長先生にお許しを願いましたら、「それは有難いことです。ご隠居様が大変お喜びのことでしょう。」とお許し下さったのです。それを木工ボンドで組み合わせますと、元通りに使用させて頂くことが出来、現在まで30年以上毎日使わせて頂いております。

★現代の社会では、壊れたものを直すというよりは新しく買い替えたり、まだまだ使えるものでも買い替えをして、物を大切に使うという心が失われつつあります。大事に拝んで喜んで使わせて頂いておりますと、物も喜びます。さらには、初代教会長先生もハル氏も喜ばれることに繋がるのです。そして、物に歴史が刻まれてゆき、何物にも代えがたい物となるのです。人の心も同じことで、相手を拝んで立て、尊敬してゆくことで、相手の心を大切にすることになり、唯一無二の存在となってゆくのです。人や物の命や時間を無駄にするということは、その命を粗末にすることになります。生きた働きとなるように、無理無駄のムラをなくし、人や物を大切にさせて頂きましょう。

★『十銭の無駄をするから十円の罰をこうむる。それは天地が許さないからである。百円の無駄は何でもないと思うであろうが、千円の罰をこうむるから貧乏をする。無駄にしないようにすれば出世もできる。』

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2018年10月22日

●子孫の端々までおかげを頂く信心のお徳

10月21日は、初代教会長・伊藤徳次師のご尊父であられます、池田太市老翁霊神の御命日でした。★太市氏は、福岡の浮羽郡吉井町という所で熱心なご信心をなさった方で、息子・庄五郎氏(徳次師のお兄様)の尿の出ない病気を片道4里(16キロ)ある甘木教会へ病気平癒のため歩いて参拝され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★太市氏は、吉井町から甘木教会へ参拝なさる途中、筑後川を渡って参拝されていました。小料理屋を営んでおられた太市氏は、ある日、生きた鯉をお供えさせて頂こうと、藁で縛って下げ持っておられたのです。川を渡られる際に渡し船に乗って、鯉が元気になるだろうと船べりから水につけたところ鯉が逃げてしまったのでした。太市氏は、どうしてもその鯉をお供えしたいと思い、対岸へ渡って後に投網を探して回り、借りることが出来ました。しぶる船頭さんにお願いをして、もう一度鯉が逃げたであろう所まで戻ったのです。船頭さんに頼みましたが、「網にかかるはずがない」と断られます。そこを是非にとお願いして投網を打ってもらいますと、鯉が網にかかったのでした。 流れがあるにもかかわらず、鯉が逃げたその場所にとどまっていたということです。 そして、再び藁つとに入れて歩いて、甘木教会へお供えさせて頂くことが出来られた時に、甘木教会の安武先生が「御供えさせて頂きたい、というあなたの真心が神様に届いて神様が喜んでお受け取り下さったのです。」と仰って下さったのでした。

★太市氏の4男であられた徳次師は16歳の時、兄の庄五郎氏の病気全快のおかげを頂かれた身代わりに、家中が助からせて頂く為に甘木教会にご修行に入られ、足かけ8年間御修行して下さり、伊藤コウ師と御縁を頂かれて23歳の時にご結婚なさって大阪に布教をなされました。

★太市氏の熱心な信心と、初代教会長先生の御修行して下さったお徳により、縁につながる多くの親族が、戦時中の戦死者なしにおかげを頂かれました。また神戸の長田に住んでカメラ屋を営んでおられた親族の方は、阪神淡路大震災で陳列したカメラが一つも落ちることなく、またガラス一枚も割れることなく無事のおかげを頂かれたのでした。ご先祖の信心のお徳によって今日まで子孫の端々まで立ち行くおかげを頂いているのです。
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2018年10月21日

●改まりが進むおかげ

 あるご信者は、原因不明の発熱が続き、入院検査を受けられました。血液検査や、レントゲンなど、あらゆる検査をして頂いても、はっきりとした原因が分からず、その間も高熱が続いて大変な思いをなさったのでした。

★お医者様も為す術なし、という状態が続かれたのですが、それがおかげだったのです。その間に、長年止めることが出来なかった、お酒もタバコもやめることが出来られ、思い当たる悪習慣を改まっていかれたのです。そうするうちに、熱も下がるおかげを頂かれたのでした。ご信者は、熱が下がったこともさることながら、長年の悪習慣を改まらせて頂けたことを、「結構なおかげを頂きまして有り難うございました」と、お礼申しておられました。

★おかげを頂くといえば、病気が治ることや、思う様に物事が運ぶことばかりではありません。難儀を生み出してしまう、自分自身の悪癖悪習慣を改まらせて頂くことが、大きなおかげなのです。日々み教えを頂き、改まりのご修行を積み重ねさせて頂きますと、天地の道理に沿った生き方が身について離れないものになり、年を取るほどにお徳を頂いた、有り難い姿にならせて頂くことが出来るのです。

★阿倍野教会の金光大神大祭まで、あと三週間となりました。御大祭のご庇礼を頂いて、「何が何でもおかげを頂こう!」と、日を切って心を決めてご修行に励ませて頂けば、必ず結構なおかげを頂けます。一回でも多くお広前に足を運ばせて頂き、それぞれに決めたご修行に打ち込んで、御大祭に向けて信心向上のおかげを頂きたいと思います。

★『金光様がお一人おかげを受けられたので、今日のように諸人万人が天地金乃神様のおかげをもらうようになったのじゃ。一家の内に一人、本当にご信心な者があれば、一家はみな信心になる。一村に一軒、本当にご信心な家があれば、一村みんなおかげを受けるようになる。信心は一粒万倍じゃから、はじめに信心する者がよい種をまいておかねばならぬ。』

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2018年10月20日

●『恨みに報いるに徳を以ってす』 

あるご婦人は、阿倍野教会に参拝なされた当時、体のあちこちに病を患い、子宮には大きな筋腫が出来、大変苦しい思いをしておられました。その時には既に離婚なさっていましたが、別れたご主人は、事業を起こしては失敗をして借金をする…という事を繰り返して行き詰まってしまわれ、そのご婦人も大変な苦労をなさっておられたのでした。

★当初は、「別れた主人が私を苦労させた。あの人が悪い」と、心が不平不満・憎しみで一杯だったその方が、み教えを頂くうちに、有難い心にならせて頂かれ、「このお道でおかげを頂こう!」と覚悟を決められたのでした。それからというもの、日参と聴教に励まれ、お取次ぎを頂き続け、心にみ教えの肥をして頂いて、有り難い心に生まれ変わっていかれますと、病も一つ一つ全快、根切れのおかげを頂いていかれたのでした。

★ある時、その別れたご主人が「お金を貸して欲しい」と来られたのです。ご信者は「かわいそうやなぁ」と思い、生活費を助けてあげられました。すると次は、一緒に住んでいる女性を連れて現れたのでした。ご信者は、「今はこの方が私の代わりに苦労しているのだなぁ。かわいそうになぁ。」と思われたそうです。そこまで慈愛に満ちた心に変わられたのでした。晩年には「あの主人がいたからこそ、金光様のお道にお引寄せ頂けた。私にとっては恩人です。」と仰るまでに、すっかり心のおかげを頂かれ、90歳を超えるまでご長寿のおかげを頂かれました。そのお方の娘さんは、後に「母は父を恩人だと言っていましたが、私にはとてもそうは思えませんでした。しかし、母の姿を見させて頂いておりますと、ご信心によっておかげを頂いたのだ、ということがよく分からせて頂けます。」と仰っていました。

★日々み教えを頂いて、心に栄養を頂くことで、恨み、憎しみ…といった心のしこりが取り払われ、慈愛の心に満ちることが出来るのですね。

★『真あれば徳ありと言うてあろうが。真で損をするように思うのはやっぱり真が足らんのぞ。恨みに報いるに徳を以ってすということがあろうが。ご信心する者はこれじゃ』
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2018年10月19日

●自身を見直し、油断のないご信心を

 佐藤範雄師のみ教えに「貧乏になる人」の特徴を説いて下さったものがあります。
(1)人の欠点のみ数えて、己の欠点を改めない人。
(2)百芸に器用にして、一芸に通じない人。
(3)くだらない長話をして要領を得ない人。
(4)夜更かしをして朝寝をする人。
(5)金銭・物品の貸借を延び延びにする人。
(6)いたずらに希望のみ大きくして、実行に努力しない人。

★時間を無駄に過ごすことを色々な場所で繰り返しておりますと、自分自身の与えて頂いている仕事に打ち込んで、邁進するということにはなっていきませんね。

★「早起きは三文の得」と表現されますが、三文どころではありません。健康の上でも有難いおかげを頂けますし、朝参りをさせて頂きますと、今日一日の段取りを考えて、計画通り進むようにお願いをさせて頂いてから、取り組ませて頂きますから、一日を大変有効に使わせて頂けます。仕事の上でも体の上でも生活の上においても有益なことばかりですね。

★ご信者の中には朝参りをなさって、そのまま会社に出勤なさる方がおられます。始業時間より一時間ほど早く到着して、昨日の片づけや今日の準備を先にさせて頂いたり、オフィスの掃除をなさっておられます。日々陰の徳を積んでおられるのです。

★陰の徳を積むとは「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す(桃やすももが何も言わなくても、美しい花や実に惹かれて招かなくても人が集まり、その下には自然に小道ができると言う意味)」と同じです。「私はこんないいことをしておりますよ」と言わなくても、おのずと伝わっていくものなのです。それがお徳です。

★結構にならせて頂きたければ、貧乏になる人の反対のことをさせて頂けばよいのです。私達は日々の生活の中で神様にお願いをさせて頂くと共に、自分自身のあり方を見直していくことを、常に心がけさせて頂かねばなりません。大事なところを忘れぬように、油断のないご信心を進めさせて頂きましょう。

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2018年10月18日

●信心辛抱

16日の婦人会例会で、おかげ話をなさった吉村氏は、ご信心のあられました家に嫁がれ、昭和46年に教会で結婚式を挙げて頂かれました。

★吉村氏のお家は、昭和27年に近所にお住まいの堀中モト氏が、吉村八重子氏をお導きされたことに始まりました。ご主人のお母様・吉村八重子氏は、お父様にもお参りして頂きたいとお願いされていました。その後、お母様の願いが叶い、お義父様も一生懸命にお参りされる様になり、その後、大きな借金を返済させて頂かれるおかげを頂かれたそうです。そして、昭和29年に帰教式をお仕え頂いて、教徒の列に加えて頂かれました。

★ご主人のお母様・吉村八重子氏は、昭和42年にお国替えされ、その後ご主人のお父様は、吉村氏が結婚する半年位前に、再婚されました。再婚された新しいお母様は、大変気難しい方であられたそうです。吉村氏は、大変辛い思いをされましたが、そのような時でもお父様は、「信心辛抱、信心辛抱」と言っておられました。その様な中、ご主人に不足ばかり言って泣いている吉村氏を、お父様は教会に連れて参って下さり、お結界で二代教会長・伊藤コウ師にお取次を頂いて下されました。コウ師は、何も言えない吉村氏に優しくうなずいて下さいました。そして、「いくら辛くても実家に泣いて帰ってはいけません。心配をかけるだけです。辛いことがあればここでお話しを聞いてもらいなさい」とみ教え下さいました。

★お義母様が、平成6年11月頃から体調が悪く寝込むようになられ、検査して頂かれますと、胃癌と診断されました。翌年に、手術して頂かれましたが、余命半年位と診断され、2ヶ月の入院後、自宅療養されました。胃を全部切除して頂かれた為、食事は消化の良いものを1日6回に分けて食べられました。お商売をしながらのお世話は、相当なご苦労であられましたが、家族皆で協力してさせて頂かれました。お義母様は、病気になられてからは、大変気弱になられ、家族を頼りにして下さったそうです。

★その後、再入院され平成8年2月22日67才でお国替えされました。辛いことも沢山あられましたが、吉村氏は信心辛抱を貫かれて、最後までお義母様をお世話なさったのです。その他、様々なご修行により、子孫が皆結構におかげを頂かれて、信心相続と子孫繁盛のおかげを頂いておられるのです。
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2018年10月17日

●謙虚な人ほど成長が早い

 二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、あるご婦人が、息子さんのお嫁さんのことについてお届けなさいました。「うちの嫁の為にと、着物や色々なものを買ってあげても、お礼の一つも言いません。真に困った嫁です。」ということでした。伊藤コウ師は、「それは、あなたのお嫁さんに対するお礼が足りないのです。かわいい息子さんのお世話を日々して下さって、おかげで息子さんは元気に仕事にも行かせて頂けるのでしょう。あなたがお礼が足りないから、それがお嫁さんに現れるのですよ」と、み教えになったのでした。ご婦人は、「先生、有り難うございます。真にその通りでございました。早速改まらせて頂きとうございます。」と、おっしゃったので、伊藤コウ師は、「よく分かって下さいました。あなたは、毎日お参りしてみ教えを頂いておられるから、私の話をすぐに理解することが出来るのですね。」と、大変喜ばれたのでした。

★誰一人として、お礼の十分に足りている人、心配りが十分に行き届いている人はいません。家庭も、職場も、至らない者同士の集まりと言えるでしょう。日々しっかりとみ教えを頂いている人ほど、自分の至らなさが見え、だれに対しても謙虚に、相手を立てて、円満な関係を築くことが出来るのです。自分の至らなさの自覚が、改まりの原動力になるのです。

★常に自分の役割を自覚し、謙虚な姿勢で、「もっと親切を尽くせますように」「もっと行き届いて心配りがさせて頂けますように」とお願いしながら、それぞれの場所でおかげを頂いてまいりたいと思います。

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2018年10月16日

●神様の仰せのままに

明治6年、教祖様のご時代に、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを取り上げられた、といっても過言ではないような状態になられたのでした。しかし、教祖様は決してお上に逆らうことなく、取り乱されるこもあられませんでした。事前に神様のお知らせを受けておられたご内容をお守りなさったのです。『家内中、神のこと忘れな。何事あっても人を頼むことすな。良し悪ししことも、神任せにいたせい。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱いたし。とにかく、内輪きげんようにいたせい。もの言いでも、あなたこなたと申してよし。何事もあだ口申すな。』と神様はお知らせをなさったのでした。そして、『力落とさず、休息いたせ。』と神様は仰せつけられたのです。教祖様は、神様からのみ教えをただただ素直に守られたのでした。

★そして、本教の真髄ともいえる、「天地書附」は、銘々がどこにいても神様を拝む目当てと出来るように、この時期に神様からお下げ頂かれたのです。また、『五年の辛抱』の覚悟をなさったところ、わずか31日間で神前撤去のお触れ(通達)は解かれ、再び神様をお祀りさせて頂き、拝ませて頂けることとなられたのでした。教祖様は、どのような状況にも人に心を向けられることなく、一筋に神様の仰せのままになさっておられるということが分からせて頂きますね。

★私達も毎日の生活の中で、神様がさせなさるご修行というものを経験することがあります。例えば、家庭の上に、また家族の身の上に問題が起こってくるということもありますし、また仕事の上に問題が生じたりすることがありますね。そのことに対して、人やまた社会に対して愚痴や不足が生じやすいものです。神様がさせなさるご修行として有難く頂く稽古をし、一筋に神様に心を向けておすがりさせて頂くことにより、神様の思召しが分からせて頂けるのです。また、どこを改まり正しい努力をさせて頂けばよいのかを分からせて頂くことができ、そこから自分自身が新しく生まれ変わらせて頂き、一段と成長させて頂けるのです。そうしたところを日々意識しながら、毎日の仕事の上にも家庭生活の上にも、おかげを頂いてゆくことが大切であると思わせて頂きます。
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2018年10月15日

●有難い信心教育の場

 昨日は子供会日曜例会が開催され、有難い信心教育の場を与えて頂きました。阿倍野教会では、ご布教の初めからずっと子孫の信心教育・信心相続に力を入れて頂き、その大切さを教えて頂い参りました。毎日の子供会や、月に一度の日曜例会・土曜の集い、また8月の子供会列車…等といった活動が、今日までずっと続かせて頂いておりますことは、真に有難いことと神様に御礼申しております。

★橋詰さんという御信者は入信前、任侠の世界にあこがれていました。喧嘩が好きで、無理難題を言うことが男らしいと思って生活をし、その名は警察のブラックリストに載ってしまっているほどでした。家賃も払わずに何年間もためていて、あらゆる所に借金を重ね、誰からも信用されない状態に陥っておられたのです。

★ところが息子さんが教会の子供会にお参りされるようになり、息子さんがお母さんを、さらに、お母さんが橋詰さんをお導きなさり、入信されました。二代教会長伊藤コウ師よりみ教えを頂かれ、橋詰さんは本職であったブリキ屋に戻られ、御神米をお供して御用聞きに廻られました。最初は門前払いばかりでしたが、あるお屋敷を訪ねた時に、奥様がちりとりを注文して下さいました。信心によって心を入れ替えた橋詰さんは、頂いた仕事を実意丁寧にさせて頂き、その確かな腕を認めて頂けるようになり、そこから道が開けていったのです。そしてお礼のお宅祭を仕えられ、住んでいた長屋を買わせて頂くほどに、立ち行くおかげを頂かれたのでした。任侠に憧れていた橋詰さんの真面目な姿への変わり様に、周囲の方々も、阿倍野警察の警察官の方々も大変びっくりなさったそうです。

★このように阿倍野教会のご信者の中には、親が子供さんに導かれて参拝され、おかげを頂かれて現在まで信心が続かれているご家庭がたくさんあられます。また、学校の友達を連れて参拝される方もいらっしゃいます。子供会という場は、子孫の信心教育のみならず子供から親へ、友達から友達へ…と信心の輪を広げさせて頂ける有難い場であるのですね。

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2018年10月14日

●仕返しをする心を去れよ

二代教会長先生と三代教会長先生が車に乗っておられた時のことです。教会の運転手さんは常に丁寧に安全運転をなさる方でしたが、車が阪神高速を走行中に長距離の大型トラックが車線を越えて近寄ってきて、先生方の乗っておられた車に接触したのでした。車体右側にトラックのホイールが接触し、大きな傷が付くほどでしたので、双方が路肩に止まったのです。

相手の大型トラックの運転手は車を降りるなり、開口一番「ちょっと急いでいます。」と言われたのです。三代教会長先生は、「そうですか。お急ぎでしたらどうぞ行かれて結構ですよ。後はこちらで修理させて頂きます。」とだけおっしゃり、事故扱いにはなさらず、そのままトラックは去ってしまったのでした。

後にこの事故のことについて「あのように、誰も怪我をすることなく、軽く済ませて頂いたのは大変有難いおかげです。このことによって、私共のめぐりをお取払い頂けたのです。こちらが喜んで有難く修理させて頂いたらよいのです。」と、仰ったのでした。

★『金光様のご信心をしております、毎日神様を拝んでおります、おかげを受けております。というだけでは、まだ金光様のお道は分かってはおらん。色々の御修行を頂いて、骨折って、ご信心しておると、次第に金光様のお道が本当に分かってくる』

★二代教会長伊藤コウ師は、「幼少の頃、信心がまだ分からせて頂いていない私は、人生の幸せということについて、大きな考え違いをしていました。それは、裕福でお金がたくさんあって、きれいな着物を着て暮らし、女中さんの数人もいて、上げ膳据え膳で楽をすることが幸せな生活と思っていました。

しかし、それは大間違いでした。信心を自ら本当にさせて頂くようになりましたら、み教えを頂けるようになり、本当の幸せとは、難儀な事、困った事、辛い事、悲しい事、世の中の難儀がしっかり身に受け止められて、その難儀と取り組んで、逃げ出さないで信心辛抱させて頂ける人になることだ、と分からせて頂いたのです。どんな事でも『生神金光大神様、天地金乃神様…』とお縋りして、その難儀を打ち破っていくだけの徳と力のある人間が世の中で一番幸せなのです。」と仰せになっておられます。

★仕返しをする心になりましたら、人を恨んだり憎んだりすることになります。そうしますと結局は、自分が心豊かに過ごさせて頂くことが出来なくなってしまいます。ご信心させて頂いている私達は、仕返しをする心を取り払って、ここからおかげを頂いていくことを考えればよいのです。
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2018年10月13日

●神様に一心になる姿とは

 肋膜炎に罹られ、翌年肋骨カリエスを患い3回手術を受けられましたが再発されたご信者が、先々が不安で仕方がないので、甘木教会の初代教会長・安武松太郎師に「この病気は全快しますでしょうか?」とお届けなさいました。すると、安武松太郎師は御祈念なさり『ここは札がかかっている通り教会所です。金光大神のみ教えを氏子に取次ぎ教えるところです。祈祷所ではない。また私は神様ではない。取次者ですから、氏子の願いを神様に取り次ぎ、神様の教えを氏子に取次ぐ、これが私の御用です。そこで、あなたの願いが願い通り叶えて頂けるかどうかまだ何とも言えません。この天地の神様はまる生かしにして下さる神様じゃからなあ。…』『まず信心の稽古をなさるがよかろう。親神様じゃからなあ。』『あんたの願いどおりに神様がおかげを下さればよいが、万一おかげが頂けなかった場合、あんたは神様に不足が出ませんか?口には出さなくても、心のどこかに不足の思いがしませんか?それでは本当に信じたことにはならない。本当に信じたということは、願いが右になろうが左になろうが、たとえ死んでも有難いということです。つまり、一切神様のして下さるままがおかげとそのまま受けさせてもらう、これが信心ということです。』と仰せになられました。ご信者は、それからというもの心配や不安もすべて神様にお預けされ、一心に改まって元気な心で信心なさった結果、病気全快のおかげを頂かれ、83才までご長寿のおかげを頂かれたのでした。

★自分の願いが成就すればおかげが頂けた、願い通りにならなかったのでおかげが頂けなかったと思うのは、本当に神様を信じてお任せしている心持ちではありません。また、自分の願い通りにいかないことを不足に思うのは、自分自身の受け物ができていないのです。出来事を通して、神様からどのような思召しを頂いているのかを知り、どこを改まらせて頂けば良いのかを神様にお願いして、考えさせて頂かねばなりません。それが、神様に一心になる姿ではないでしょうか。起きてくる出来事すべてをおかげと有難く頂いて、神様が一番良いようにして下さると信じて疑わず、先を楽しみに信心を進めさせて頂きましょう。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』

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2018年10月12日

●日を切ってお願いをする

あるご信者が、首の後ろに出来物ができ、二代教会長・伊藤コウ師に「出来物ができましたので、病院で診察して頂きたいと思います。」とお届けされました。そこで、コウ師は、「病院に行く前に、三日間の日を切らせて頂きましょう。お剣先をお神酒に浸して、首の後ろの腫れ物に貼らせて頂いてお願いさせて頂きましょう。」とみ教えなされました。コウ師ご自身も、三日間という日を切られたからには、責任を感じられ、御用しておられようが、奥の台所におられようが、道を歩いておられようが、どこにおられても、そのお方のことをお願いせずにはおれなかったということです。そして、一生懸命お願いなさっておすがりされますと、ちょうど三日目の晩に腫れ物から口が開いて、膿をお取り払い頂かれたのでした。それからコウ師はそのお方に、「今度は一週間の日を切って追い願いをさせて頂きましょう。その一週間の間に、腫れ物の口が開いたところから悪毒病毒のお取り払いを頂きましょう。」と、さらに日を切られたのでした。そうしますと、有難いことに一週間の間に膿のお取り払いを頂かれて、全快のおかげを頂かれたのです。

★ご信者も、三日間という日を切って頂いたからには、「三日の間に何としてでもおかげを頂こう!」と本気になっておすがりされました。そして、お結界でみ教えなさったコウ師ご自身も、責任を感じられ、何をしておられようとも、一生懸命お願いして下さったのです。そのように、共に一心におすがりなさったことにより、有難いご庇礼を頂かれたのです。

★人間ですから、様々な気持ちが沸き起こってきます。お願いしているのに邪念を起こさせるような人が現れてきたり、出来事が起こってきたりします。しかし、それは神様のおためしですから、その中を迷わずに一心にならせて頂く稽古が必要です。日々、お広前でみ教えを頂いておりますと、心にかかる叢雲な気持ちをお取り払い頂くことが出来、神様に一心におすがりすることが出来るのです。
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2018年10月11日

●真心で願うことが神様に届く

 私が教師にお取り立て頂いて間もなくの頃、お結界に座らせて頂いておりましたら、あるご信者が「先生、Y君をご存知ですか?」と私に尋ねられました。Y君とは私が学校に勤めておりました時に、担任を受け持たせて頂いた生徒でした。そのご信者と彼は近所に住んでおられ、ご信者は「Y君は卒業したのですが、志望校へ進学できなかったので今、浪人中です。あの子に助かって頂きたいので、おかげを蒙られますようにお願いして下さい」とお届けなさったのです。そこで「Y君に会う機会がありましたら、阿倍野教会に連絡を取るように仰って頂けますか?私も御祈念させて頂きますから、どうぞよろしくお願い致します。」とお話しさせて頂きました。

★その翌日、Y君からお電話を頂き「昨日○○さんとお話ししてたんですよ。○○さんから事情を聞かれましたか?」と聞くと「いいえ」というのです。話を聞きますと「どうしても電話がかけたくなってかけました。今日参拝させて頂いてもよろしいですか?」とのことでした。その日に参拝なされ、一緒に横についてお結界でお届けをさせて頂くことが出来たのでした。Y君は色々悩みを抱えておられたのですが、その後も機会あるごとにお参りをなされ、翌年の春には無事志望校へ合格のおかげを頂かれました。

★それまで、私と彼が連絡を取り合っていたわけではありませんのに「参拝したい!」と思われたのは、彼のことをお届けして下さった、ご信者の真心が神様に届いたからです。生神金光大神様のお取次を頂いて、天地の親神様が本人の心に働きかけて下さり、助かる道をつけて下さったのです。私達の体は、神様のお徳や霊様のお徳を現わさせて頂く器なのです。その器を有難いものに育てて頂くのが、お広前です。心と体の掃除をさせて頂くつもりで、今月今日でご信心をさせて頂きましょう。

★『天地金乃神様は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。何事も無礼と思わず一心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい』

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2018年10月10日

●神心を大きく育てる

教祖様は大西秀師に『どんな物でも、よい物は人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人にやるのでも、自分によい物を残しておくような事ではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。』と仰せになられました。

★また、別のみ教えに『日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない。』と言い抜いておられました。『それでも向こうが悪い心を持ってくれば悪い心になります。』と申したら『それでも、悪い心を持ってはいけない。良い心をもっているようにしなければ』とみ教え下されたのでした。大西秀師は、教祖様から様々に頂かれたみ教えを生涯守られたということです。

★このお道では『たらいの信心』とみ教えて頂いています。たらいに水を入れて向こうへ向こうへと水をやると、向こう側に当たって返ってきます。こちらの方へと取り込もうとすると、向こうへ返ってしまいます。相手の事を先に考えて行動させて頂きますと、その人からではなく他所から返ってくるのです。

★人間は誰しも生まれながらにして神様から尊い心を授けて頂いています。
1、惻隠の心…慈愛の心。かわいそうだと思う心。(仁)
2、羞悪の心…己の悪を恥じ憎む心。(義)
3、辞譲の心…辞して譲る心。(礼)
4、是非の心…善悪(是々非々)を判断する心。(智)「孟子・四端の説」

★これら4つの心「仁」「義」「礼」「智」を大きく育てていけば、立派な人物になれるとあります。「相手に譲る」、すなわち「相手を立てる」という事を、心掛けさせて頂く稽古をし、周囲の方々が助かって頂ける信心に成長させて頂きましょう。

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2018年10月09日

●日々、新たな心で

 昨日は、みかげ会例会にて、田中氏の有り難いおかげ話を聞かせて頂きました。三代目のご信心を頂いておられ、お子さん方もご信心を受け継がれて、ご家族それぞれに結構なおかげを頂いておられます。

★田中氏は、お父様から家業を受け継がれ、学校の記念文集などを企画制作するお仕事をなさっておられます。有り難いことに、20年間、毎年決まった時期に写真集の注文を受け続けている顧客もあられるそうです。そのお仕事は、屋外と室内の2チームで、朝10時から夕方5時まで、約二週間連続の撮影となるそうですが、その間、天候や交通など全てにお繰り合わせを頂ける様に、また、カメラマンや編集担当などのスタッフの方全てが、体調良く事故の無いように、お結界でお届けなさっておられます。そして、20年間スタッフ全員に事故無く、その都度おかげを頂いて、無事納期に間に合うよう納品のおかげを頂いてこられたそうです。

★また、お体の上にも大難を小難におかげを頂いておられます。二年前には、右肩の棘上筋腱断裂の為の手術を受けられ、20日間入院されました。手術は無事成功し、執刀医の先生は、肩の専門で西日本ナンバーワンと言われる名医であったことを、手術の後で知り、改めて神様にお礼申されたのでした。入院中は、阿べの誌を拝読なさったり、定時の御祈念の時間に合わせて心中ご祈念をなさるなどして、不安にかられることなく、お礼の心で過ごすことが出来られたのでした。それでも、教会の御門をくぐることが出来ないと、知らないうちに心に靄(もや)のようなものがかかるのを感じられたそうです。退院後、右肩に装具をはめたまま初めて朝参りをなさり、お届けをなさった時には、朝参りをさせて頂ける有り難さを身に染みて感じられたのでした。また、お参りをさせて頂くのも、「自分でする」というのではなく、神様にさせて頂いているのだということを、実感なさったということです。

★積み上げてきた信心にあぐらをかくようなことなく、日々新たな気持ちで教会に足を運ばせて頂き、お取次、み教えを頂き、改まりを続けさせて頂くことが、繁盛の元になるのですね。

★『神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。』 『信心は手厚くせよ。うちで信心しておりますと言うのは、信心の抜けはじめじゃ。』

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2018年10月08日

●「何が何でも!」という心で 

昨日は、台風25号の影響も心配が無くなり、天候初め万事にご都合お繰り合わせを頂き、共々に御本部に於いて、生神金光大神大祭を拝ませて頂くことが出来ましたことは、真に有難いことでございました。

★毎月の御本部御礼参拝は、布教当初は、初代教会長先生お一人の参拝であられました。初代教会長先生は「御恩の分からせて頂けるご信者が増えさせて頂いて、どうあっても毎月御本部御礼参拝が続かせて頂けますように。」との願いの元に、「ふんどしを質へ入れてでも毎月御本部参拝をさせて頂く。」というご覚悟で月々の参拝を続けられました。当時、借家にお風呂はなく、二代教会長先生が学校へ勤めて得られた給料すべてを神様にお供えなさり、その中から家賃の支払いをなさっていました。そのような中で、御本部参拝の費用を出すことは、とても大変なことであられたと推察できます。

★鈴木コトエさんというご信者は、体が弱く電車にも乗れない状態(現在でいうパニック障害)であったのですが、二代教会長先生が一緒に付き添って下さり、お手厚い御祈念を頂かれて、初めて阪堺上町線に乗ることが出来られました。そのお礼にお供えがあり、初代教会長先生は布教初めての御本部参拝が出来られたのでした。

★私は中学二年生の夏から、月例祭の時に羽織・袴を身に付けさせて頂き、お広前の端に机を置かせて頂いて、記帳の御用にお使い頂いておりました。鈴木さんが月例祭に参拝されました時、私の所へ来て下さり、初代教会長先生のご時代に、初めておかげを頂かれた時のお話をして下さいました。そして一番初めに頂かれたおかげを、常に忘れずにお礼のご信心を続けておられるお姿を拝ませて頂けたのでした。

★戦後は、二代教会長先生、三代教会長先生とご信者のたった3人での御本部参拝であられました。今日私達が、楽に安全に毎月の団体参拝をさせて頂けますのは、歴代教会長先生、ご隠居様が願い続けて下さり、守り続けて下さった結果です。私共は何が何でも、これから後も続けて月々の御本部御礼参拝がさせて頂けますよう、願わせて頂いております。

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2018年10月06日

●不自由を喜びに変える

中山亀太郎先生は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられたそうですが、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。亀太郎師は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として1)「より健康にならせて頂いたこと」2)「不自由の少ないこと」3)「明朗になったこと」とおっしゃったのです。

★亀太郎師は「真剣に苦しみ、真実に生き、運命を愛し、運命を生かす」と表現され、[(中略)運命を愛するということになった私は、一本足になったことさえも有難く思えるようにならせて頂いたのです。金光様のお取次を頂いて、神様のお心に添い奉るような信心をさせて頂きましたならば、いかなる難儀からも救い助けられ、真のおかげ・真の幸せというものを得ることが出来るようになってまいります。運命を呪う苦悩の生活から解放され、運命を素直に受け入れて、それを生かしていく信心の世界のあることを分からせられ、「あれもおかげ、これもおかげ」と生活全体が有難くならせて頂けるようになりました。(中略)金光教の信心をさせて頂いて頂くおかげとは、信心させて頂くということによって、自分自身の命が生き生きとさせて頂く、自分の生活が力強く輝かしいものにならせて頂いて、助かっていくということになっていくのだと悟らせて頂きました。]とお話し下さいました。そして亀太郎師は、満99才を越えてご長寿のおかげを頂かれたのです。

★不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても以前より生き生きと輝いた人生を送らせて頂くことが出来るのですね。
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2018年10月05日

●目先の欲を放し先の徳を取る

 あるご信者が、先日このようなことをお話なさっておられました。

★職場に早めに出勤し、同僚の人の仕事が少しでも早く進むように、手伝うことになさったそうです。ところが、ご信者の思惑とはちがって、その同僚の方は、本来自分の仕事であるのにもかかわらず、その後毎日のようにご信者に任せっきりにして、その仕事をしなくなってしまったそうです。ご信者は腹が立って、「なぜ、あの人は自分の仕事をしないのか?私は手伝ってあげるだけのつもりだったのに…」と、心が晴れずお届けに来られたのでした。そこで、「あなたは、結構な機会を与えて頂いていますよ。その同僚の方のおかげで、給料以上の働きをさせて頂いているのです。給料以上の働きをさせて頂くと、それが有り難いお徳の貯蓄となります。不足を思うどころか、その同僚の方にお礼を言っていも良いくらいの有り難いことです。」とお話しさせて頂いたことでした。

★たとえ、「相手の為に」と思って始めたことでも、「なぜ、私がここまでする必要があるのか・・・」「これだけしてあげているのに、お礼の一つも言われない・・・」等と、不足を思いながらしていますと、めぐりを積んでしまい、自分が損をすることになるのです。

★常日頃、知らず知らずのうちに、様々な人や物のお世話になっているお礼の働きを念頭に置いて、どんな相手にも、またどんな難しい、あるいは薄利な仕事でも、実意丁寧にさせて頂いておりますと、それが、有り難いお徳を頂く働きとなるのです。ご神徳を頂くと、人からも信用を頂けるようになり、「同じお金を払うなら、この人に仕事をお願いしたい」「この人に仕事をお願いすれば、先々のことまで責任を持った、素晴らしい仕事をしてもらえる」と思って頂けるようになり、相手にも喜んで頂け、自分も繁盛させて頂ける有り難いおかげを頂いていくことが出来るのです。

★『神徳を受けよ 人徳を得よ。生きたくば 神徳を積みて 長生きをせよ。』『神徳は人間心の位も思わず、理屈も言わず、学問のうぬぼれ心もなく清い一心さえあれば受けられる。』

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2018年10月04日

●信心の辛抱を強くせよ

教祖様御在世中のことですが、片岡次郎四郎師は月々14里(約56キロ)の道を歩いて御本部へ参拝なさっておられました。教祖様が御帰幽になられるまでの16年間に、月参拝を欠かさず続けられたのですが、初めの12年間は、家の者が病気になったり、留守宅に問題が起こったり、天気が悪くなったりと、参拝に差し支えるようなことばかり起きてきたそうです。

しかし、その中を繰り合わせて参拝させて頂かれますと、教祖様はいつもニコニコと迎えられて、「道が悪くて困ったじゃろう」「えらかったなあ(大変だったなあ)」というような事は一切おっしゃらず、「よう参られた。良い修行であったなあ。おかげを受けたなあ。」と仰って、その信心ぶりをお喜びになられたのでした。

★片岡次郎四郎師は勝手参りではなく、教祖様から「来月は〇日に参拝しなさい」と決めて頂かれていたのですが、12年間の神様のお試しの中でも、天候気象の都合や、自身や家族の中で色々と問題があられる中、欠かすことなく有難く参拝を続けられたことにより、めぐりを取り払って頂かれ、神様からご信用を頂かれまして、それから後は楽々と参拝のおかげを頂かれたのでした。

★『神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ』自分を悪い方へ向けてしまう元とは、おごりや慢心や油断です。「しんどいなあ」「めんどくさいなあ」「仕方ないから」というような思いでの参拝は、決して結構になっていきません。

いつも有難く、先を楽しみに信心させて頂きますと、一回一回の参拝で有難いお徳を頂けるのです。心の洗濯をして頂くつもりで、どこまでも謙虚に、毎日の日参と聴教を続けさせて頂けましたら有難いですね。

★『何事も辛抱ということが肝心である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。(中略)ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神様からおかげが出ると思わずに、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』

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2018年10月03日

●『おかげは和賀心にあり』

 淡路島にお住いのあるご信者は、80才を過ぎた頃に、両眼ともに白内障の症状が出て、医師から手術が必要だと告げられました。阿倍野教会の御大祭の直前に、「次回の来院で手術の日時を決めましょう。」という段取りになったそうです。

★ご信者は、長年に亘って阿倍野教会の春秋の御大祭には、大阪の縁故の家に泊めて頂いて参拝され、御大祭の後に御本部にお礼参拝をなさってから、淡路島に帰られるということを続けておられました。ご信者は御本部に参拝されますと必ず御神水を頂いて帰られ、御神水で目を洗って御祈念なさり、また普段からも目に御神酒を頂いておられました。そして、その年も阿倍野教会の御大祭に参拝の後、御本部にお礼参拝をなさってから、眼科の診察を受けられますと、なんと、「手術の必要はありません。白内障の症状が治まって、視力が回復しています。」と言って頂く大みかげを頂かれたのでした。

★実意とは、心が行き届くことであり、真心です。御恩を知って、御恩に報いさせて頂く生き方にならせて頂けるように、お願いさせて頂くのです。そして丁寧とは行いが行き届くこと・まだまだ至らないと思って、何度も反復練習して求めて現わしていくことです。いつも喜んで和らぎ賀ぶ心で、家族が互いに御礼を申し合いながら、実意丁寧な生活をさせて頂きますと、このような有難い御庇礼が頂けるのですね。

★『おかげは和賀心にあり』について『和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である。』
 『「今月今日で一心に頼めい おかげは和賀心にあり」という見識を落としたら世が乱れるぞ。神々のひれいもなし。親のひれいもなし』

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2018年10月02日

●御礼を申す稽古を積み重ねる

 昭和38年4月13日に三代金光様が神上がられました後、四代金光様がお跡を継がれ日々ご神勤なさいました。

★四代金光様は朝お出ましの際に、お宅の玄関で下駄をお履きになられる時に、小さい声で「お世話になります。」といつも仰せになられ、また眼鏡を外して拭かれる時に「有難うございます。」と仰せになられたということです。それを、そばで御用なさっている弟様は、御礼を申されているという事は分かっておられましたが、改めて四代金光様に「何を仰っておられるのですか?」とお聞きになられました。すると、四代金光様は「兄さんはなあ、御礼を申すことが足りんのじゃ。だから、御礼を申す稽古をしておるんじゃ。人間はなあ、お世話になっておっても、御礼を申すことが足りん。御礼を申すことが足りんところから、難儀が起きてくるんじゃ。」と仰せになられたそうです。

★御礼を申すことが抜けていることが、難儀というところに直結しているのです。例えば、病気を患うとしましょう。その際に、「この度は、いつも使わせて頂いている身体のお手入れをして頂き、有難うございます。病院にお世話になり、お医者さんにお世話になります。有難うございます。」とお礼を申させて頂きますと、その病気は難儀となるでしょうか?「結構な機会を頂いた」「この病気のおかげで身体を手入れをさせて頂ける」という捉え方ですから、おかげの中の一部と受け止めていますね。反対に、「ここが痛い、あそこが痛い。」「長い間入院生活は辛い。」と言いますと、後には難儀だけが残りますね。

★『おかげは和賀心にあり』『難儀になるのもわが心、安心になるのもわが心からである。』とみ教えを頂いておりますように、すべてわが心から生み出されるのです。出来てきたことにお礼を申し、おかげにさせて頂くためには、普段から自分の身体に、周囲の人に、また些細なことにお礼を申す稽古が必要です。御礼を申すこと、お詫びを申すことを稽古させて頂いて上達してゆきますと、真心で一心にお願いさせて頂くことができてゆくのです。
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2018年10月01日

●わが心の神様がお働き下さる

 片岡次郎四郎師は、大変実直なお方であられたのですが、気性が激しく正義感が強いお方なので、人が曲がったことをすると許せずに、承服させるまで言い負かさなければ気が済まない性分であられました。

★ところがご信心なさるようになられて、金光様の元へ参拝されますと『人に悪く言われた時に、信心するからこらえなければならないと思ってこらえるくらいでは、まだいけない。先方の心を、どうぞゆるしてやってください、直してやってくださいと拝んであげるようにならなければならない』『その性分ではおかげが受けられない。性分を改めなければならない』と教えて頂かれ、そのみ教えによって生まれ変られたのです。これまで自分が正しいと思って行ってきたことが、信心を基にしてみ教えを頂きますと間違っていたのだと理解できられたのです。

★ある寒い日のことです。片岡次郎四郎師は、御本部へお参りをされる道中に、気の毒なおじいさんに遭われました。あまりに可哀想に思われて着ていた物を脱いでそのおじいさんに差し上げられました。それから教祖様の元へお参りされますと、金光様が「才崎金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」と仰られました。おかげを受けた者は、その有難いことを忘れずに、神様の心になって不幸せな人を助けさせて頂く事を教えて下さったのです。

★『此方のことを、神、神と言うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。』私達は神心を授かっております。目の前の人を拝み、助かりと立ち行きを願わせて頂くところに、わが心の神様が表に現れて働いて下さるのです。私達は一人一人がそのように尊い存在である、と神様が仰って下さっておられるのです。わが心の神様が働いて下さるおかげを蒙られるよう、ご信心を基に日々心掛けさせて頂きたいですね。

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