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2018年10月19日

●自身を見直し、油断のないご信心を

 佐藤範雄師のみ教えに「貧乏になる人」の特徴を説いて下さったものがあります。
(1)人の欠点のみ数えて、己の欠点を改めない人。
(2)百芸に器用にして、一芸に通じない人。
(3)くだらない長話をして要領を得ない人。
(4)夜更かしをして朝寝をする人。
(5)金銭・物品の貸借を延び延びにする人。
(6)いたずらに希望のみ大きくして、実行に努力しない人。

★時間を無駄に過ごすことを色々な場所で繰り返しておりますと、自分自身の与えて頂いている仕事に打ち込んで、邁進するということにはなっていきませんね。

★「早起きは三文の得」と表現されますが、三文どころではありません。健康の上でも有難いおかげを頂けますし、朝参りをさせて頂きますと、今日一日の段取りを考えて、計画通り進むようにお願いをさせて頂いてから、取り組ませて頂きますから、一日を大変有効に使わせて頂けます。仕事の上でも体の上でも生活の上においても有益なことばかりですね。

★ご信者の中には朝参りをなさって、そのまま会社に出勤なさる方がおられます。始業時間より一時間ほど早く到着して、昨日の片づけや今日の準備を先にさせて頂いたり、オフィスの掃除をなさっておられます。日々陰の徳を積んでおられるのです。

★陰の徳を積むとは「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す(桃やすももが何も言わなくても、美しい花や実に惹かれて招かなくても人が集まり、その下には自然に小道ができると言う意味)」と同じです。「私はこんないいことをしておりますよ」と言わなくても、おのずと伝わっていくものなのです。それがお徳です。

★結構にならせて頂きたければ、貧乏になる人の反対のことをさせて頂けばよいのです。私達は日々の生活の中で神様にお願いをさせて頂くと共に、自分自身のあり方を見直していくことを、常に心がけさせて頂かねばなりません。大事なところを忘れぬように、油断のないご信心を進めさせて頂きましょう。

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2018年10月18日

●信心辛抱

16日の婦人会例会で、おかげ話をなさった吉村氏は、ご信心のあられました家に嫁がれ、昭和46年に教会で結婚式を挙げて頂かれました。

★吉村氏のお家は、昭和27年に近所にお住まいの堀中モト氏が、吉村八重子氏をお導きされたことに始まりました。ご主人のお母様・吉村八重子氏は、お父様にもお参りして頂きたいとお願いされていました。その後、お母様の願いが叶い、お義父様も一生懸命にお参りされる様になり、その後、大きな借金を返済させて頂かれるおかげを頂かれたそうです。そして、昭和29年に帰教式をお仕え頂いて、教徒の列に加えて頂かれました。

★ご主人のお母様・吉村八重子氏は、昭和42年にお国替えされ、その後ご主人のお父様は、吉村氏が結婚する半年位前に、再婚されました。再婚された新しいお母様は、大変気難しい方であられたそうです。吉村氏は、大変辛い思いをされましたが、そのような時でもお父様は、「信心辛抱、信心辛抱」と言っておられました。その様な中、ご主人に不足ばかり言って泣いている吉村氏を、お父様は教会に連れて参って下さり、お結界で二代教会長・伊藤コウ師にお取次を頂いて下されました。コウ師は、何も言えない吉村氏に優しくうなずいて下さいました。そして、「いくら辛くても実家に泣いて帰ってはいけません。心配をかけるだけです。辛いことがあればここでお話しを聞いてもらいなさい」とみ教え下さいました。

★お義母様が、平成6年11月頃から体調が悪く寝込むようになられ、検査して頂かれますと、胃癌と診断されました。翌年に、手術して頂かれましたが、余命半年位と診断され、2ヶ月の入院後、自宅療養されました。胃を全部切除して頂かれた為、食事は消化の良いものを1日6回に分けて食べられました。お商売をしながらのお世話は、相当なご苦労であられましたが、家族皆で協力してさせて頂かれました。お義母様は、病気になられてからは、大変気弱になられ、家族を頼りにして下さったそうです。

★その後、再入院され平成8年2月22日67才でお国替えされました。辛いことも沢山あられましたが、吉村氏は信心辛抱を貫かれて、最後までお義母様をお世話なさったのです。その他、様々なご修行により、子孫が皆結構におかげを頂かれて、信心相続と子孫繁盛のおかげを頂いておられるのです。
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2018年10月17日

●謙虚な人ほど成長が早い

 二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、あるご婦人が、息子さんのお嫁さんのことについてお届けなさいました。「うちの嫁の為にと、着物や色々なものを買ってあげても、お礼の一つも言いません。真に困った嫁です。」ということでした。伊藤コウ師は、「それは、あなたのお嫁さんに対するお礼が足りないのです。かわいい息子さんのお世話を日々して下さって、おかげで息子さんは元気に仕事にも行かせて頂けるのでしょう。あなたがお礼が足りないから、それがお嫁さんに現れるのですよ」と、み教えになったのでした。ご婦人は、「先生、有り難うございます。真にその通りでございました。早速改まらせて頂きとうございます。」と、おっしゃったので、伊藤コウ師は、「よく分かって下さいました。あなたは、毎日お参りしてみ教えを頂いておられるから、私の話をすぐに理解することが出来るのですね。」と、大変喜ばれたのでした。

★誰一人として、お礼の十分に足りている人、心配りが十分に行き届いている人はいません。家庭も、職場も、至らない者同士の集まりと言えるでしょう。日々しっかりとみ教えを頂いている人ほど、自分の至らなさが見え、だれに対しても謙虚に、相手を立てて、円満な関係を築くことが出来るのです。自分の至らなさの自覚が、改まりの原動力になるのです。

★常に自分の役割を自覚し、謙虚な姿勢で、「もっと親切を尽くせますように」「もっと行き届いて心配りがさせて頂けますように」とお願いしながら、それぞれの場所でおかげを頂いてまいりたいと思います。

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2018年10月16日

●神様の仰せのままに

明治6年、教祖様のご時代に、お上のお触れ(通達)で神前を撤去しなければならないという事態が起こりました。それだけではなく、参拝者と共に御祈念したり、教えを説いて聞かすことも禁止され、それまでの信仰の形態の全てを取り上げられた、といっても過言ではないような状態になられたのでした。しかし、教祖様は決してお上に逆らうことなく、取り乱されるこもあられませんでした。事前に神様のお知らせを受けておられたご内容をお守りなさったのです。『家内中、神のこと忘れな。何事あっても人を頼むことすな。良し悪ししことも、神任せにいたせい。心配すな。世は変わりもの、五年の辛抱いたし。とにかく、内輪きげんようにいたせい。もの言いでも、あなたこなたと申してよし。何事もあだ口申すな。』と神様はお知らせをなさったのでした。そして、『力落とさず、休息いたせ。』と神様は仰せつけられたのです。教祖様は、神様からのみ教えをただただ素直に守られたのでした。

★そして、本教の真髄ともいえる、「天地書附」は、銘々がどこにいても神様を拝む目当てと出来るように、この時期に神様からお下げ頂かれたのです。また、『五年の辛抱』の覚悟をなさったところ、わずか31日間で神前撤去のお触れ(通達)は解かれ、再び神様をお祀りさせて頂き、拝ませて頂けることとなられたのでした。教祖様は、どのような状況にも人に心を向けられることなく、一筋に神様の仰せのままになさっておられるということが分からせて頂きますね。

★私達も毎日の生活の中で、神様がさせなさるご修行というものを経験することがあります。例えば、家庭の上に、また家族の身の上に問題が起こってくるということもありますし、また仕事の上に問題が生じたりすることがありますね。そのことに対して、人やまた社会に対して愚痴や不足が生じやすいものです。神様がさせなさるご修行として有難く頂く稽古をし、一筋に神様に心を向けておすがりさせて頂くことにより、神様の思召しが分からせて頂けるのです。また、どこを改まり正しい努力をさせて頂けばよいのかを分からせて頂くことができ、そこから自分自身が新しく生まれ変わらせて頂き、一段と成長させて頂けるのです。そうしたところを日々意識しながら、毎日の仕事の上にも家庭生活の上にも、おかげを頂いてゆくことが大切であると思わせて頂きます。
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2018年10月15日

●有難い信心教育の場

 昨日は子供会日曜例会が開催され、有難い信心教育の場を与えて頂きました。阿倍野教会では、ご布教の初めからずっと子孫の信心教育・信心相続に力を入れて頂き、その大切さを教えて頂い参りました。毎日の子供会や、月に一度の日曜例会・土曜の集い、また8月の子供会列車…等といった活動が、今日までずっと続かせて頂いておりますことは、真に有難いことと神様に御礼申しております。

★橋詰さんという御信者は入信前、任侠の世界にあこがれていました。喧嘩が好きで、無理難題を言うことが男らしいと思って生活をし、その名は警察のブラックリストに載ってしまっているほどでした。家賃も払わずに何年間もためていて、あらゆる所に借金を重ね、誰からも信用されない状態に陥っておられたのです。

★ところが息子さんが教会の子供会にお参りされるようになり、息子さんがお母さんを、さらに、お母さんが橋詰さんをお導きなさり、入信されました。二代教会長伊藤コウ師よりみ教えを頂かれ、橋詰さんは本職であったブリキ屋に戻られ、御神米をお供して御用聞きに廻られました。最初は門前払いばかりでしたが、あるお屋敷を訪ねた時に、奥様がちりとりを注文して下さいました。信心によって心を入れ替えた橋詰さんは、頂いた仕事を実意丁寧にさせて頂き、その確かな腕を認めて頂けるようになり、そこから道が開けていったのです。そしてお礼のお宅祭を仕えられ、住んでいた長屋を買わせて頂くほどに、立ち行くおかげを頂かれたのでした。任侠に憧れていた橋詰さんの真面目な姿への変わり様に、周囲の方々も、阿倍野警察の警察官の方々も大変びっくりなさったそうです。

★このように阿倍野教会のご信者の中には、親が子供さんに導かれて参拝され、おかげを頂かれて現在まで信心が続かれているご家庭がたくさんあられます。また、学校の友達を連れて参拝される方もいらっしゃいます。子供会という場は、子孫の信心教育のみならず子供から親へ、友達から友達へ…と信心の輪を広げさせて頂ける有難い場であるのですね。

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2018年10月14日

●仕返しをする心を去れよ

二代教会長先生と三代教会長先生が車に乗っておられた時のことです。教会の運転手さんは常に丁寧に安全運転をなさる方でしたが、車が阪神高速を走行中に長距離の大型トラックが車線を越えて近寄ってきて、先生方の乗っておられた車に接触したのでした。車体右側にトラックのホイールが接触し、大きな傷が付くほどでしたので、双方が路肩に止まったのです。

相手の大型トラックの運転手は車を降りるなり、開口一番「ちょっと急いでいます。」と言われたのです。三代教会長先生は、「そうですか。お急ぎでしたらどうぞ行かれて結構ですよ。後はこちらで修理させて頂きます。」とだけおっしゃり、事故扱いにはなさらず、そのままトラックは去ってしまったのでした。

後にこの事故のことについて「あのように、誰も怪我をすることなく、軽く済ませて頂いたのは大変有難いおかげです。このことによって、私共のめぐりをお取払い頂けたのです。こちらが喜んで有難く修理させて頂いたらよいのです。」と、仰ったのでした。

★『金光様のご信心をしております、毎日神様を拝んでおります、おかげを受けております。というだけでは、まだ金光様のお道は分かってはおらん。色々の御修行を頂いて、骨折って、ご信心しておると、次第に金光様のお道が本当に分かってくる』

★二代教会長伊藤コウ師は、「幼少の頃、信心がまだ分からせて頂いていない私は、人生の幸せということについて、大きな考え違いをしていました。それは、裕福でお金がたくさんあって、きれいな着物を着て暮らし、女中さんの数人もいて、上げ膳据え膳で楽をすることが幸せな生活と思っていました。

しかし、それは大間違いでした。信心を自ら本当にさせて頂くようになりましたら、み教えを頂けるようになり、本当の幸せとは、難儀な事、困った事、辛い事、悲しい事、世の中の難儀がしっかり身に受け止められて、その難儀と取り組んで、逃げ出さないで信心辛抱させて頂ける人になることだ、と分からせて頂いたのです。どんな事でも『生神金光大神様、天地金乃神様…』とお縋りして、その難儀を打ち破っていくだけの徳と力のある人間が世の中で一番幸せなのです。」と仰せになっておられます。

★仕返しをする心になりましたら、人を恨んだり憎んだりすることになります。そうしますと結局は、自分が心豊かに過ごさせて頂くことが出来なくなってしまいます。ご信心させて頂いている私達は、仕返しをする心を取り払って、ここからおかげを頂いていくことを考えればよいのです。
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2018年10月13日

●神様に一心になる姿とは

 肋膜炎に罹られ、翌年肋骨カリエスを患い3回手術を受けられましたが再発されたご信者が、先々が不安で仕方がないので、甘木教会の初代教会長・安武松太郎師に「この病気は全快しますでしょうか?」とお届けなさいました。すると、安武松太郎師は御祈念なさり『ここは札がかかっている通り教会所です。金光大神のみ教えを氏子に取次ぎ教えるところです。祈祷所ではない。また私は神様ではない。取次者ですから、氏子の願いを神様に取り次ぎ、神様の教えを氏子に取次ぐ、これが私の御用です。そこで、あなたの願いが願い通り叶えて頂けるかどうかまだ何とも言えません。この天地の神様はまる生かしにして下さる神様じゃからなあ。…』『まず信心の稽古をなさるがよかろう。親神様じゃからなあ。』『あんたの願いどおりに神様がおかげを下さればよいが、万一おかげが頂けなかった場合、あんたは神様に不足が出ませんか?口には出さなくても、心のどこかに不足の思いがしませんか?それでは本当に信じたことにはならない。本当に信じたということは、願いが右になろうが左になろうが、たとえ死んでも有難いということです。つまり、一切神様のして下さるままがおかげとそのまま受けさせてもらう、これが信心ということです。』と仰せになられました。ご信者は、それからというもの心配や不安もすべて神様にお預けされ、一心に改まって元気な心で信心なさった結果、病気全快のおかげを頂かれ、83才までご長寿のおかげを頂かれたのでした。

★自分の願いが成就すればおかげが頂けた、願い通りにならなかったのでおかげが頂けなかったと思うのは、本当に神様を信じてお任せしている心持ちではありません。また、自分の願い通りにいかないことを不足に思うのは、自分自身の受け物ができていないのです。出来事を通して、神様からどのような思召しを頂いているのかを知り、どこを改まらせて頂けば良いのかを神様にお願いして、考えさせて頂かねばなりません。それが、神様に一心になる姿ではないでしょうか。起きてくる出来事すべてをおかげと有難く頂いて、神様が一番良いようにして下さると信じて疑わず、先を楽しみに信心を進めさせて頂きましょう。

★『天地金乃神は天地を一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるけれども、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。すべて、神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは何か。死んでもままよのことぞ。』

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2018年10月12日

●日を切ってお願いをする

あるご信者が、首の後ろに出来物ができ、二代教会長・伊藤コウ師に「出来物ができましたので、病院で診察して頂きたいと思います。」とお届けされました。そこで、コウ師は、「病院に行く前に、三日間の日を切らせて頂きましょう。お剣先をお神酒に浸して、首の後ろの腫れ物に貼らせて頂いてお願いさせて頂きましょう。」とみ教えなされました。コウ師ご自身も、三日間という日を切られたからには、責任を感じられ、御用しておられようが、奥の台所におられようが、道を歩いておられようが、どこにおられても、そのお方のことをお願いせずにはおれなかったということです。そして、一生懸命お願いなさっておすがりされますと、ちょうど三日目の晩に腫れ物から口が開いて、膿をお取り払い頂かれたのでした。それからコウ師はそのお方に、「今度は一週間の日を切って追い願いをさせて頂きましょう。その一週間の間に、腫れ物の口が開いたところから悪毒病毒のお取り払いを頂きましょう。」と、さらに日を切られたのでした。そうしますと、有難いことに一週間の間に膿のお取り払いを頂かれて、全快のおかげを頂かれたのです。

★ご信者も、三日間という日を切って頂いたからには、「三日の間に何としてでもおかげを頂こう!」と本気になっておすがりされました。そして、お結界でみ教えなさったコウ師ご自身も、責任を感じられ、何をしておられようとも、一生懸命お願いして下さったのです。そのように、共に一心におすがりなさったことにより、有難いご庇礼を頂かれたのです。

★人間ですから、様々な気持ちが沸き起こってきます。お願いしているのに邪念を起こさせるような人が現れてきたり、出来事が起こってきたりします。しかし、それは神様のおためしですから、その中を迷わずに一心にならせて頂く稽古が必要です。日々、お広前でみ教えを頂いておりますと、心にかかる叢雲な気持ちをお取り払い頂くことが出来、神様に一心におすがりすることが出来るのです。
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2018年10月11日

●真心で願うことが神様に届く

 私が教師にお取り立て頂いて間もなくの頃、お結界に座らせて頂いておりましたら、あるご信者が「先生、Y君をご存知ですか?」と私に尋ねられました。Y君とは私が学校に勤めておりました時に、担任を受け持たせて頂いた生徒でした。そのご信者と彼は近所に住んでおられ、ご信者は「Y君は卒業したのですが、志望校へ進学できなかったので今、浪人中です。あの子に助かって頂きたいので、おかげを蒙られますようにお願いして下さい」とお届けなさったのです。そこで「Y君に会う機会がありましたら、阿倍野教会に連絡を取るように仰って頂けますか?私も御祈念させて頂きますから、どうぞよろしくお願い致します。」とお話しさせて頂きました。

★その翌日、Y君からお電話を頂き「昨日○○さんとお話ししてたんですよ。○○さんから事情を聞かれましたか?」と聞くと「いいえ」というのです。話を聞きますと「どうしても電話がかけたくなってかけました。今日参拝させて頂いてもよろしいですか?」とのことでした。その日に参拝なされ、一緒に横についてお結界でお届けをさせて頂くことが出来たのでした。Y君は色々悩みを抱えておられたのですが、その後も機会あるごとにお参りをなされ、翌年の春には無事志望校へ合格のおかげを頂かれました。

★それまで、私と彼が連絡を取り合っていたわけではありませんのに「参拝したい!」と思われたのは、彼のことをお届けして下さった、ご信者の真心が神様に届いたからです。生神金光大神様のお取次を頂いて、天地の親神様が本人の心に働きかけて下さり、助かる道をつけて下さったのです。私達の体は、神様のお徳や霊様のお徳を現わさせて頂く器なのです。その器を有難いものに育てて頂くのが、お広前です。心と体の掃除をさせて頂くつもりで、今月今日でご信心をさせて頂きましょう。

★『天地金乃神様は天地を一目に見とおし、守っておられる。人間は神の氏子、神様のおかげを身いっぱいに受けるように、この身この心を神様に向けて信心せよ。何事も無礼と思わず一心に取りすがっていけば、おかげが受けられる。枯れ木にも花が咲くし、ない命もつないでいただける。わが身におかげを受けて、難儀な人を助けてやるがよい』

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2018年10月10日

●神心を大きく育てる

教祖様は大西秀師に『どんな物でも、よい物は人に融通してやれば人が喜ぶ。それで徳を受ける。人にやるのでも、自分によい物を残しておくような事ではいけない。人に物をやる時には、たとえ前かけ一枚やるのでも、よい方を人にやり、悪い方を自分が使うようにせよ。』と仰せになられました。

★また、別のみ教えに『日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない。』と言い抜いておられました。『それでも向こうが悪い心を持ってくれば悪い心になります。』と申したら『それでも、悪い心を持ってはいけない。良い心をもっているようにしなければ』とみ教え下されたのでした。大西秀師は、教祖様から様々に頂かれたみ教えを生涯守られたということです。

★このお道では『たらいの信心』とみ教えて頂いています。たらいに水を入れて向こうへ向こうへと水をやると、向こう側に当たって返ってきます。こちらの方へと取り込もうとすると、向こうへ返ってしまいます。相手の事を先に考えて行動させて頂きますと、その人からではなく他所から返ってくるのです。

★人間は誰しも生まれながらにして神様から尊い心を授けて頂いています。
1、惻隠の心…慈愛の心。かわいそうだと思う心。(仁)
2、羞悪の心…己の悪を恥じ憎む心。(義)
3、辞譲の心…辞して譲る心。(礼)
4、是非の心…善悪(是々非々)を判断する心。(智)「孟子・四端の説」

★これら4つの心「仁」「義」「礼」「智」を大きく育てていけば、立派な人物になれるとあります。「相手に譲る」、すなわち「相手を立てる」という事を、心掛けさせて頂く稽古をし、周囲の方々が助かって頂ける信心に成長させて頂きましょう。

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2018年10月09日

●日々、新たな心で

 昨日は、みかげ会例会にて、田中氏の有り難いおかげ話を聞かせて頂きました。三代目のご信心を頂いておられ、お子さん方もご信心を受け継がれて、ご家族それぞれに結構なおかげを頂いておられます。

★田中氏は、お父様から家業を受け継がれ、学校の記念文集などを企画制作するお仕事をなさっておられます。有り難いことに、20年間、毎年決まった時期に写真集の注文を受け続けている顧客もあられるそうです。そのお仕事は、屋外と室内の2チームで、朝10時から夕方5時まで、約二週間連続の撮影となるそうですが、その間、天候や交通など全てにお繰り合わせを頂ける様に、また、カメラマンや編集担当などのスタッフの方全てが、体調良く事故の無いように、お結界でお届けなさっておられます。そして、20年間スタッフ全員に事故無く、その都度おかげを頂いて、無事納期に間に合うよう納品のおかげを頂いてこられたそうです。

★また、お体の上にも大難を小難におかげを頂いておられます。二年前には、右肩の棘上筋腱断裂の為の手術を受けられ、20日間入院されました。手術は無事成功し、執刀医の先生は、肩の専門で西日本ナンバーワンと言われる名医であったことを、手術の後で知り、改めて神様にお礼申されたのでした。入院中は、阿べの誌を拝読なさったり、定時の御祈念の時間に合わせて心中ご祈念をなさるなどして、不安にかられることなく、お礼の心で過ごすことが出来られたのでした。それでも、教会の御門をくぐることが出来ないと、知らないうちに心に靄(もや)のようなものがかかるのを感じられたそうです。退院後、右肩に装具をはめたまま初めて朝参りをなさり、お届けをなさった時には、朝参りをさせて頂ける有り難さを身に染みて感じられたのでした。また、お参りをさせて頂くのも、「自分でする」というのではなく、神様にさせて頂いているのだということを、実感なさったということです。

★積み上げてきた信心にあぐらをかくようなことなく、日々新たな気持ちで教会に足を運ばせて頂き、お取次、み教えを頂き、改まりを続けさせて頂くことが、繁盛の元になるのですね。

★『神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。』 『信心は手厚くせよ。うちで信心しておりますと言うのは、信心の抜けはじめじゃ。』

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2018年10月08日

●「何が何でも!」という心で 

昨日は、台風25号の影響も心配が無くなり、天候初め万事にご都合お繰り合わせを頂き、共々に御本部に於いて、生神金光大神大祭を拝ませて頂くことが出来ましたことは、真に有難いことでございました。

★毎月の御本部御礼参拝は、布教当初は、初代教会長先生お一人の参拝であられました。初代教会長先生は「御恩の分からせて頂けるご信者が増えさせて頂いて、どうあっても毎月御本部御礼参拝が続かせて頂けますように。」との願いの元に、「ふんどしを質へ入れてでも毎月御本部参拝をさせて頂く。」というご覚悟で月々の参拝を続けられました。当時、借家にお風呂はなく、二代教会長先生が学校へ勤めて得られた給料すべてを神様にお供えなさり、その中から家賃の支払いをなさっていました。そのような中で、御本部参拝の費用を出すことは、とても大変なことであられたと推察できます。

★鈴木コトエさんというご信者は、体が弱く電車にも乗れない状態(現在でいうパニック障害)であったのですが、二代教会長先生が一緒に付き添って下さり、お手厚い御祈念を頂かれて、初めて阪堺上町線に乗ることが出来られました。そのお礼にお供えがあり、初代教会長先生は布教初めての御本部参拝が出来られたのでした。

★私は中学二年生の夏から、月例祭の時に羽織・袴を身に付けさせて頂き、お広前の端に机を置かせて頂いて、記帳の御用にお使い頂いておりました。鈴木さんが月例祭に参拝されました時、私の所へ来て下さり、初代教会長先生のご時代に、初めておかげを頂かれた時のお話をして下さいました。そして一番初めに頂かれたおかげを、常に忘れずにお礼のご信心を続けておられるお姿を拝ませて頂けたのでした。

★戦後は、二代教会長先生、三代教会長先生とご信者のたった3人での御本部参拝であられました。今日私達が、楽に安全に毎月の団体参拝をさせて頂けますのは、歴代教会長先生、ご隠居様が願い続けて下さり、守り続けて下さった結果です。私共は何が何でも、これから後も続けて月々の御本部御礼参拝がさせて頂けますよう、願わせて頂いております。

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2018年10月06日

●不自由を喜びに変える

中山亀太郎先生は、5才の時に貨車にひかれて両腕片足を失われました。その時、お父様は既に亡くなっておられ、お母さまは鉱山で男性同様の、もしくはそれ以上の働きをしながら、女手一つで、娘さんと体の不自由な息子さんを育てられました。

★小学校では石を投げられたり、突き飛ばされて転ばされたりと、いじめに遭うこともあられたそうですが、お母様は「悔しかったら、神様におすがりさせて頂いて、しっかり勉強しなさい。」と、常々話して聞かせられ、優しく励まして下さったそうです。そして、神様にご祈念させて頂きながら、自分で何でも出来るように一つ一つ稽古をさせられたのでした。亀太郎師は、「信心させて頂いての三つの幸せ」として1)「より健康にならせて頂いたこと」2)「不自由の少ないこと」3)「明朗になったこと」とおっしゃったのです。

★亀太郎師は「真剣に苦しみ、真実に生き、運命を愛し、運命を生かす」と表現され、[(中略)運命を愛するということになった私は、一本足になったことさえも有難く思えるようにならせて頂いたのです。金光様のお取次を頂いて、神様のお心に添い奉るような信心をさせて頂きましたならば、いかなる難儀からも救い助けられ、真のおかげ・真の幸せというものを得ることが出来るようになってまいります。運命を呪う苦悩の生活から解放され、運命を素直に受け入れて、それを生かしていく信心の世界のあることを分からせられ、「あれもおかげ、これもおかげ」と生活全体が有難くならせて頂けるようになりました。(中略)金光教の信心をさせて頂いて頂くおかげとは、信心させて頂くということによって、自分自身の命が生き生きとさせて頂く、自分の生活が力強く輝かしいものにならせて頂いて、助かっていくということになっていくのだと悟らせて頂きました。]とお話し下さいました。そして亀太郎師は、満99才を越えてご長寿のおかげを頂かれたのです。

★不自由の中に幸せを見つけ、今ある境遇を最大限に喜んで生活させて頂いておりますと、同じ境遇の中にあっても以前より生き生きと輝いた人生を送らせて頂くことが出来るのですね。
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2018年10月05日

●目先の欲を放し先の徳を取る

 あるご信者が、先日このようなことをお話なさっておられました。

★職場に早めに出勤し、同僚の人の仕事が少しでも早く進むように、手伝うことになさったそうです。ところが、ご信者の思惑とはちがって、その同僚の方は、本来自分の仕事であるのにもかかわらず、その後毎日のようにご信者に任せっきりにして、その仕事をしなくなってしまったそうです。ご信者は腹が立って、「なぜ、あの人は自分の仕事をしないのか?私は手伝ってあげるだけのつもりだったのに…」と、心が晴れずお届けに来られたのでした。そこで、「あなたは、結構な機会を与えて頂いていますよ。その同僚の方のおかげで、給料以上の働きをさせて頂いているのです。給料以上の働きをさせて頂くと、それが有り難いお徳の貯蓄となります。不足を思うどころか、その同僚の方にお礼を言っていも良いくらいの有り難いことです。」とお話しさせて頂いたことでした。

★たとえ、「相手の為に」と思って始めたことでも、「なぜ、私がここまでする必要があるのか・・・」「これだけしてあげているのに、お礼の一つも言われない・・・」等と、不足を思いながらしていますと、めぐりを積んでしまい、自分が損をすることになるのです。

★常日頃、知らず知らずのうちに、様々な人や物のお世話になっているお礼の働きを念頭に置いて、どんな相手にも、またどんな難しい、あるいは薄利な仕事でも、実意丁寧にさせて頂いておりますと、それが、有り難いお徳を頂く働きとなるのです。ご神徳を頂くと、人からも信用を頂けるようになり、「同じお金を払うなら、この人に仕事をお願いしたい」「この人に仕事をお願いすれば、先々のことまで責任を持った、素晴らしい仕事をしてもらえる」と思って頂けるようになり、相手にも喜んで頂け、自分も繁盛させて頂ける有り難いおかげを頂いていくことが出来るのです。

★『神徳を受けよ 人徳を得よ。生きたくば 神徳を積みて 長生きをせよ。』『神徳は人間心の位も思わず、理屈も言わず、学問のうぬぼれ心もなく清い一心さえあれば受けられる。』

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2018年10月04日

●信心の辛抱を強くせよ

教祖様御在世中のことですが、片岡次郎四郎師は月々14里(約56キロ)の道を歩いて御本部へ参拝なさっておられました。教祖様が御帰幽になられるまでの16年間に、月参拝を欠かさず続けられたのですが、初めの12年間は、家の者が病気になったり、留守宅に問題が起こったり、天気が悪くなったりと、参拝に差し支えるようなことばかり起きてきたそうです。

しかし、その中を繰り合わせて参拝させて頂かれますと、教祖様はいつもニコニコと迎えられて、「道が悪くて困ったじゃろう」「えらかったなあ(大変だったなあ)」というような事は一切おっしゃらず、「よう参られた。良い修行であったなあ。おかげを受けたなあ。」と仰って、その信心ぶりをお喜びになられたのでした。

★片岡次郎四郎師は勝手参りではなく、教祖様から「来月は〇日に参拝しなさい」と決めて頂かれていたのですが、12年間の神様のお試しの中でも、天候気象の都合や、自身や家族の中で色々と問題があられる中、欠かすことなく有難く参拝を続けられたことにより、めぐりを取り払って頂かれ、神様からご信用を頂かれまして、それから後は楽々と参拝のおかげを頂かれたのでした。

★『神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ』自分を悪い方へ向けてしまう元とは、おごりや慢心や油断です。「しんどいなあ」「めんどくさいなあ」「仕方ないから」というような思いでの参拝は、決して結構になっていきません。

いつも有難く、先を楽しみに信心させて頂きますと、一回一回の参拝で有難いお徳を頂けるのです。心の洗濯をして頂くつもりで、どこまでも謙虚に、毎日の日参と聴教を続けさせて頂けましたら有難いですね。

★『何事も辛抱ということが肝心である。信心においてはなおさらのこと、辛抱が弱くてはおかげが受けられない。中には、やけを起こして信心をやめる人がある。気の毒なことである。(中略)ただただ、信心の辛抱でおかげが出るのである。神様からおかげが出ると思わずに、信心からおかげが出ると思って、信心の辛抱を強くせよ。』

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2018年10月03日

●『おかげは和賀心にあり』

 淡路島にお住いのあるご信者は、80才を過ぎた頃に、両眼ともに白内障の症状が出て、医師から手術が必要だと告げられました。阿倍野教会の御大祭の直前に、「次回の来院で手術の日時を決めましょう。」という段取りになったそうです。

★ご信者は、長年に亘って阿倍野教会の春秋の御大祭には、大阪の縁故の家に泊めて頂いて参拝され、御大祭の後に御本部にお礼参拝をなさってから、淡路島に帰られるということを続けておられました。ご信者は御本部に参拝されますと必ず御神水を頂いて帰られ、御神水で目を洗って御祈念なさり、また普段からも目に御神酒を頂いておられました。そして、その年も阿倍野教会の御大祭に参拝の後、御本部にお礼参拝をなさってから、眼科の診察を受けられますと、なんと、「手術の必要はありません。白内障の症状が治まって、視力が回復しています。」と言って頂く大みかげを頂かれたのでした。

★実意とは、心が行き届くことであり、真心です。御恩を知って、御恩に報いさせて頂く生き方にならせて頂けるように、お願いさせて頂くのです。そして丁寧とは行いが行き届くこと・まだまだ至らないと思って、何度も反復練習して求めて現わしていくことです。いつも喜んで和らぎ賀ぶ心で、家族が互いに御礼を申し合いながら、実意丁寧な生活をさせて頂きますと、このような有難い御庇礼が頂けるのですね。

★『おかげは和賀心にあり』について『和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である。』
 『「今月今日で一心に頼めい おかげは和賀心にあり」という見識を落としたら世が乱れるぞ。神々のひれいもなし。親のひれいもなし』

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2018年10月02日

●御礼を申す稽古を積み重ねる

 昭和38年4月13日に三代金光様が神上がられました後、四代金光様がお跡を継がれ日々ご神勤なさいました。

★四代金光様は朝お出ましの際に、お宅の玄関で下駄をお履きになられる時に、小さい声で「お世話になります。」といつも仰せになられ、また眼鏡を外して拭かれる時に「有難うございます。」と仰せになられたということです。それを、そばで御用なさっている弟様は、御礼を申されているという事は分かっておられましたが、改めて四代金光様に「何を仰っておられるのですか?」とお聞きになられました。すると、四代金光様は「兄さんはなあ、御礼を申すことが足りんのじゃ。だから、御礼を申す稽古をしておるんじゃ。人間はなあ、お世話になっておっても、御礼を申すことが足りん。御礼を申すことが足りんところから、難儀が起きてくるんじゃ。」と仰せになられたそうです。

★御礼を申すことが抜けていることが、難儀というところに直結しているのです。例えば、病気を患うとしましょう。その際に、「この度は、いつも使わせて頂いている身体のお手入れをして頂き、有難うございます。病院にお世話になり、お医者さんにお世話になります。有難うございます。」とお礼を申させて頂きますと、その病気は難儀となるでしょうか?「結構な機会を頂いた」「この病気のおかげで身体を手入れをさせて頂ける」という捉え方ですから、おかげの中の一部と受け止めていますね。反対に、「ここが痛い、あそこが痛い。」「長い間入院生活は辛い。」と言いますと、後には難儀だけが残りますね。

★『おかげは和賀心にあり』『難儀になるのもわが心、安心になるのもわが心からである。』とみ教えを頂いておりますように、すべてわが心から生み出されるのです。出来てきたことにお礼を申し、おかげにさせて頂くためには、普段から自分の身体に、周囲の人に、また些細なことにお礼を申す稽古が必要です。御礼を申すこと、お詫びを申すことを稽古させて頂いて上達してゆきますと、真心で一心にお願いさせて頂くことができてゆくのです。
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2018年10月01日

●わが心の神様がお働き下さる

 片岡次郎四郎師は、大変実直なお方であられたのですが、気性が激しく正義感が強いお方なので、人が曲がったことをすると許せずに、承服させるまで言い負かさなければ気が済まない性分であられました。

★ところがご信心なさるようになられて、金光様の元へ参拝されますと『人に悪く言われた時に、信心するからこらえなければならないと思ってこらえるくらいでは、まだいけない。先方の心を、どうぞゆるしてやってください、直してやってくださいと拝んであげるようにならなければならない』『その性分ではおかげが受けられない。性分を改めなければならない』と教えて頂かれ、そのみ教えによって生まれ変られたのです。これまで自分が正しいと思って行ってきたことが、信心を基にしてみ教えを頂きますと間違っていたのだと理解できられたのです。

★ある寒い日のことです。片岡次郎四郎師は、御本部へお参りをされる道中に、気の毒なおじいさんに遭われました。あまりに可哀想に思われて着ていた物を脱いでそのおじいさんに差し上げられました。それから教祖様の元へお参りされますと、金光様が「才崎金光(片岡次郎四郎)、今日は結構なおかげを受けたなあ。不幸せな者を見て、真にかわいいの心から、わが身を忘れて人を助ける、そのかわいいと思う心が神心じゃ。その神心におかげがいただけるのぞ。それが信心ぞ」と仰られました。おかげを受けた者は、その有難いことを忘れずに、神様の心になって不幸せな人を助けさせて頂く事を教えて下さったのです。

★『此方のことを、神、神と言うが、此方ばかりではない。ここに参っておる人々がみな、神の氏子じゃ。神とは、ここに神が生まれるということで、此方がおかげの受けはじめである。みんなもそのとおりにおかげが受けられるぞ。』私達は神心を授かっております。目の前の人を拝み、助かりと立ち行きを願わせて頂くところに、わが心の神様が表に現れて働いて下さるのです。私達は一人一人がそのように尊い存在である、と神様が仰って下さっておられるのです。わが心の神様が働いて下さるおかげを蒙られるよう、ご信心を基に日々心掛けさせて頂きたいですね。

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