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2018年04月26日

●家内中が心を揃えて

お母様と共に熱心にご信心をなされた娘さんが、結婚なさった相手の方は、何と大変な大酒飲みだったのです。飲んだら何日も帰って来ないという程で、酒に狂ってまともに仕事も出来なくなり、アルコール依存症で、入退院を繰り返されました。

★奥さんは親先生から「何かの時にはお結界に言うてきなさい。お友達や近所に恥を売り歩く、というようなことをしてはいけませんよ」とみ教え頂かれましたから、子供さん達を連れて毎日お参りなさり、「今までのご無礼不行届きをお許し下さい。主人のアルコール依存症が治りますように、しっかりした働きが出来ますように、神様にお使い頂きますように」と一生懸命お願いなさったのでした。

★そうしますと、ご主人も参拝されて、神様に治して頂くと言う心持ちになられたのは実に有難いことです。入院するのではなく、自らお願いをして神様におすがりさせて頂くようになられ、お酒を飲むことを辛抱できるようになられたのでした。

★再就職の際には、数社の中から選ばせて頂くのに、親先生にお取次頂きますと、「一番月給が安くて、遠い会社にさせて頂きなさい。今までのあなたの働きぶりでは、たくさんお給料を頂いては月給泥棒となり、めぐりを積みます。だから給料は安いところで、寄り道の出来ないように遠い会社にさせて頂きましょう。しっかりと働かせて頂いて、人の二倍も三倍も値打ちのある仕事ぶりにならせて頂いたら、その苦労に対してお徳を頂けるのですから」とみ教えを頂きました。朝食を済ませてから朝にお参りさせて頂いて、一日のお願いをしてから出勤し、帰りにお参りをさせて頂いて、一日の御礼を申してから寄り道をせずに家に帰る、という毎日が続かれたのです。その後5年間無欠勤で勤められ、驚くほど早く昇給・昇進のおかげを蒙られたのでした。

★奥様が熱心にご信心を進められ、家族中が心を合わせて、本気になってお願いをさせて頂かれましたので、こんなに有難いおかげを蒙らせて頂けたのですね。そのようなご両親のお姿を見られた子供さん達にもご信心が伝わって現在も有難い信心が続いておられるのです。

★『信心には何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作がよくできるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心するには、末の安心を楽しみにしないと信心が続かない。末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではならず、子孫に伝わる信心をすることが大切である。痛いのを願うのは信心の糸口ではあるが、それでは、治ればお礼参りをして、その後は参らないということになる。自分の心を改めて、よい子供を得るということを、信心の第一の目的としなければならない。一代の信心は神様が喜ばれない。』

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2018年04月25日

●信心を放すことなく

昨日は、二代教会長伊藤コウ師のお姉様であられます、伊藤カツ氏の御命日でした。コウ師のお父上・房次郎氏は信心に大反対でしたが、コウ師のご母堂ハル氏は、どこまでも諦めず、心が変わって頂けるように一心におすがりなさいました。

★ある時、房次郎氏は、「神様なんぞいるはずがない。もしいるなら、このわしの手足が動かなくなるはずだ。神様を拝むくらいなら、わしを拝め」と言われ、家にお祀りしてあった小さな御神殿を、庭に投げつけて壊してしまわれたのでした。すると、程なくして愛娘・カツ氏の手足が動かなくなり、水も喉を通りにくい状態になられたのでした。毎日色々手を尽されましたが一向に良くならず、とうとう房次郎氏が「どうしたら良かろう…」とハル氏に尋ねる心になられたのです。するとハル氏は、「お父さんが教会に参拝なさってお取次を頂いて下さったら、必ず良くなります。」と信念を持って伝え、初めて教会へ一緒に参拝なさったのでした。

★房次郎氏は、お結界で畳が濡れるほど涙を流し「どうぞ助けて下さい。」と願われたのです。するとお結界の先生は「伊藤さん、貴方の心は神様に届きました。帰ってご覧なさい。」と仰せられました。急いで帰られると、それまで口もまともにきけない、水も喉を通りにくい、身体も自由に動かない状態であられたカツ氏が、お父さんが帰ってこられる下駄の音を聞いて「お父さん、お帰り!」と玄関まで出たのでした。そこで親子が抱き合って泣いて喜び、そこから家族中が勢信心のおかげを頂かれたのです。

★子供たちの病気を通して、信心がより一層進み、勢信心のおかげを頂かれて、明治33年に教徒の列に加えて頂かれました。そして、京都から大阪へ移ってこられて、1年後の、明治35年に、大黒柱である房次郎氏が、胃がんでお国替えされたのです。娘三人と、女ばかりの所帯ですので、ハル氏は「京都へ戻って親戚を頼るべきか?大阪へ残るべきか?」と悩まれ、お結界でお取次を頂かれたのです。先生より「伊藤さん、信心しなさいや、信心しなさいや、しっかり信心しなさいや」とみ教えを頂かれ、ハル氏は、「何処へ行こうが自分がしっかり信心させて頂いて、めぐりをお取払い頂き、お徳を積ませて頂くことが大切なのだ」と悟らせて頂かれて、大阪に残られる決心をなさったのです。こうしてハル氏は、どんなことが起きてきても信心を放すことなく、神様を杖にご修行して下さったおかげで、伊藤の家のめぐりをお取り払い頂き、子孫がおかげを頂いております。
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2018年04月24日

●初めの心を忘れない

今月に入って、ご信者のご家庭が教会で結婚式を挙げられることが続きました。小さいころから教会にお参りさせて頂かれ、立派にお育てを頂かれました方々が、教会で結婚式を挙げられ、神様に今日迄の御礼の報告をさせて頂かれましたことは、真に有り難いことと思わせて頂きます。

★教祖様は、『信心と夫婦は、初めのことを忘れるな』とみ教え下さっています。結婚させて頂くときは皆、円満で、互いを立て合い、よい家庭を築かせて頂けますようにとお願いさせて頂くでしょう。その通りに、いつまでも相手を敬い立て合って、「あなたのおかげで結構な今日があります」と、お礼を申しながら生活させて頂くことが出来ましたら、有り難い家庭を築かせて頂くことができますね。ところが、年月が経ってくると、段々とお互いに我情我欲が強くなり、自分の都合を先に立てたくなってしまうことが多いのではないでしょうか。謙虚さを失い、「我良し」と思う心は、おかげの受け物を小さくしてしまいます。

★また、仕事でも、就職したてのころは、それまでに身に付けた能力を十分に発揮させて頂いて、早く一人前になり、少しでも会社のお役に立たせて頂きたいと、懸命に働かせて頂くでしょう。ところが、年が経ってくると、初心(純真さ、素直さ、謙虚さ、熱烈さ、相手を敬い立てる心)を忘れてしまいがちになります。仕事とは、お育て頂いた方々へのお礼、また、お世話になった社会へのお礼の為に働くのであり、また、会社に就職したのであれば、仕事を一から教えて頂き、育てて頂いたご恩を忘れてはなりませんね。何事も、初心を忘れることなく、ご恩を知ってご恩に報いる働きを心掛けさせて頂きたいと思います。

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2018年04月23日

●「我(われ)良し」と思う心を取り去る

あるご信者さんが入信以前は、体が弱く毎日の食事も作れず、家事も放棄しようかというような状態でした。そのご主人も病気にかかり、お仕事も出来ない精神状態になり、早く仕事を辞めたいと思っていました。子供を授かっても、まともに養育も出来ず、家の中がバラバラで崩壊寸前の状態で、離婚したいとばかり思っていたのでした。

★そうした中でお引き寄せ頂かれ、日参なさるようになられました。そしてお取次ぎを頂かれますと、「今のような状態を続けられますと、家の中がばらばらになり、立ち行かなくなりますよ。このままではめぐりが積み重なって、病気が治らないどころか、命に関わることになりますよ」とみ教え頂かれました。そのみ教えを頂かれた奥さんは「このままではダメだ」と思われて、一生懸命改まってお参りされ、家族、親族、縁に繋がる方々のことを毎日お届けされました。すると、ご主人は元気に働くことが出来、奥さん自身も家事も育児も、一生懸命心を配ってさせて頂けるようになられました。子供さんは、細い虚弱な体質であられたのが、有難い事に健康な体に仕替えて頂く事が出来たのです。お引き寄せ頂かれて、日参なさるようになられて、結構な家に生まれ変わることが出来られたのです。そして、その有難い事が家族中、親戚中に広まり、お宅祭が仕えられますと、両方のご両親や親族皆が集まって下さり、お宅祭を拝ませて頂けるようになったのです。

★おかげを頂きますと、その良い状態がずっと続かせて頂けるように、油断せずに日参と聴教に励ませて頂く事が大切です。そこに日々の信心の稽古の大切な部分があります。日々稽古に励んでおられる方は、昨日よりも今日、今日よりも明日というように、「私は広大無辺なおかげを頂いている!日々有難い!」「おかげを頂いておりながら、私はまだまだ信心が行き届いていない!」と、毎日謙虚な心持ちで生活なさっておられるからこそ、日々向上していかれるのです。「我(われ)良し」と思う心を取り去って、自分自身を戒め・改まりをさせて頂くところに、結構なおかげを頂く受け物になってゆくのですね。
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2018年04月22日

●み教えを本当に頂いたら改められる

阿倍野教会のあるご信者が、胃の調子が悪くなりお届けに来られましたら、お結界の先生が「あなたは食べ物のご無礼があるに違いないでしょう」と仰ったそうです。

★ご信者は「先生、食べ物のご無礼とおっしゃいますが、長年ご信心させて頂いておりますから、滅多に食べ物を捨てたりすることはございません。ご無礼なことはせんように心掛けております。」とお話しすると、先生は「あなたはゴミ箱に捨てたりはなさらんでしょうが、あなたの胃袋に捨てておられる。信心するものはよくよく気を付けねばならん。『これも放っておいたら腐るからもったいない』と家族の食べ残しを食べたり、『これも少し傷んでいるが、もったいないから』と食べたりして自分の胃に捨てておる。それで胃の調子が悪いんですよ。」とみ教えなさったそうです。

★さらに「心配りをさせて頂かねばなりませんよ。家族が残さないようにちょうど良い量を、腹八分目で作らせて頂いたらよろしい。それが奥さんの務めですよ。何でも余計にと思って作りすぎてはそれが段々と溜まっていく。信心しているがゆえにゴミ箱にはよう捨てないでしょうけれども、ちょっと傷んで酸っぱくなったようなものも、もったいないからと言って食べる。それで自分の体を壊すのです。」とみ教えなさったのです。

★毎日の生活でもお米一粒・野菜のひとかけらを粗末にしないように心掛けておりましても、冷蔵庫の中で使わずに腐らせてしまうということもあるでしょう。常から心配りさせて頂いていても、至らないところはたくさんあるのです。お結界という場所、そしてみ教えを頂けるということが有難いですね。自分自身の至らないところに気が付かせて頂けるということは幸せですね。

★み教えを聞かせて頂いても「そんなことは以前からよく知っている」というように、おごりがましくも思ってしまう人こそ、物事を本当に分かっていなかったり、実践出来ていなかったりします。知っていると言いながら、知らないことや分からないことの方が多いのです。そうしたところを、見直し・聞き直し・考え直しをさせて頂いて、自分自身の心の中身を改めさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きたいですね。

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2018年04月21日

●長期に亘った大きな願いを持つ

阿倍野教会が借家での布教間もない頃から、初代教会長伊藤徳次師と二代教会長伊藤コウ師は「どうぞ将来は百畳のお広前、千坪のお土地を頂かせて下さい。」とお願いし続けてこられました。布教当初のお広前というのは、八畳の間の床の間に神様と霊様をお祀りさせて頂き、そのわきに御結界を置かれていましたので、ご信者のご拝礼なさる所はわずか六畳しかありませんでした。そのような頃から、「百畳のお広前、千坪のお土地」という願いは、「夜空の星を物干し竿でかき落とす」というような、手の届きそうもない大きなお願いでしたが、諦めることなく、何が何でもという強い願いを持ち続けられ、御修行して下さいました。

★借家住まいの頃は、コウ師が小学校で勤められた月給は、すべてお供えされ、家賃を支払っておられました。家に風呂がないので、徳次師もコウ師も、夏は行水をして、冬にはお湯で絞った手拭いで身体を拭いて、風呂屋へ行くことも始末なさったのです。しかし、そのような状況下でも御本部参拝は「ふんどしを質へ入れてでも参拝させて頂く」と決めておられましたので、月々欠かさず参拝されました。そのような尊いご修行のお徳によりまして、布教の初めから5年後には「借金なし、分担金なし、寄付の強要なし」でお土地を買わせて頂き、24畳のお広前の建築が出来られたのです。コウ師は旧広前の新築落成奉告祭に参拝された方々に「まことに手狭ではございますが…」とご挨拶されました。そうして、5年5年と願いを立てられ、その願い成就に向けて、起きて来ることを全て神様の有難いお差し向けと頂かれながら、一心に御用をなされたのです。30年後には800坪のお土地を購入させて頂き、旧広前を合わせますと、千坪のお土地となり、百畳のお広前を建築させて頂くという大きなお願い成就のおかげを頂いたのです。

★阿倍野教会では、布教当初から5年5年と五ヵ年計画を立てて、大きなお願いを持って願い続けることを教えて頂いてきました。10年先にはどうありたいかを、家中で心を合わせて願いを立てさせて頂く事が大切です。この5年間で生活の中で何をお願いとし、改まってゆけばよいか考えさせて頂きましょう。今日一日を大切にするからこそ将来が開けてくるのですから、今日一日を真剣に生き、ご修行に取り組ませて頂きましょう。
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2018年04月20日

●有り難い「今日」を積み重ねる

画家の松本光治氏は、36歳の時に網膜色素変性症のため失明されました。それまでに、台湾で総督府展に昭和8年より毎年入賞し、昭和11年、12年、13年、17年に文部省展、昭和16年、18年に一水会展で入賞されるという、画家としての華やかな経歴をもっておられましたが、36歳の時に突然症状が現れ、みるみる視力を失われたのでした。

★終戦後、帰国して大阪に戻られた時には、歩くのも奥様に手を引いてもらわなければならない状態に絶望し、自殺未遂までに至ったのでしたが、お導きを頂かれて昭和26年入信されました。二代教会長・伊藤コウ師より、「今日まで、体を思うように使わせて頂いてきたことを、神様にしっかり御礼を申し、またお願いしながら絵を描かせて頂きましょう」と、有り難いみ教えを頂かれたのでした。

★それから、日参してみ教えを頂かれるようになられると、朝に1分ほど、針程の視野に見える時間が出来るようになられたのです。松本氏は、その1日に1分の記憶を頼りに、再び筆を握られるようになられ、昭和27年より連続14回、一水会で入賞し、盲目の画家として新聞や雑誌で全国に紹介して頂かれたのでした。また、後進の指導も積極的になさり、報酬なしで絵を教えられたり、若い人の縁談のお世話をなさったりと、生涯お役に立つ働きに喜んでお使い頂かれたのでした。

★人の心はとても不安定で、今、有り難い心にならせて頂いたかと思えば、次の瞬間には心配や不足で心が一杯になって、先の希望を見失ってしまうような、危うい部分を誰しもがもっているのです。日々、神様にお礼と、お詫びと、お願いを丁寧に申し上げ、ご信心に基づいた確かな一日を積み重ねさせて頂きましょう。

★『先へ先へ、これで、先がどうなるやらと、わかりもせぬことを心配ばかりなさるなよ。ご信心しておられたら、神様が、さしつかえるようなことはなさりはせぬわい。日々おかげをもらえば、先がなんぼうあろうと心配はないじゃないか。日々身や心にまつわるお断りをして、昨日のお礼を申し、今日のおかげを願うてありがとうに暮らし、来る明日を楽しんで迎えれば、みなおかげになって、先の心配はないぞ』

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2018年04月19日

●心を亡くさないように

三代教会長先生が甘木教会の御大祭へ参拝なさった際、御祭典終了後の教師の座談会に出席された時のお話です。あるご信者の子供さんが、木から落ちて意識不明の状態になり、ご信者が血相を変えて、甘木教会初代教会長・安武松太郎師が座っておられるお結界に駆けつけて来られました。子供の状態をお届けされますと、安武松太郎師は「まあ、落ち着け、話を聞かねば、おかげは受けられぬ。今から金光様のお話をするから、心を落ち着けてとにかく私の話を聞きなさい。」と仰せになられたそうです。初めは心配でたまらずにジリジリとしていたご信者は、あまりの気迫に押されて、お結界で正座をし直して、み教えを頂いている間に段々と有難くなり、30分、1時間と時間が経つのを忘れてみ教えを頂かれたのでした。そうして、ご信者は家へ帰られますと、子供が息を吹き返して回復のおかげを頂いておられたのです。

★信心の世界には、理屈や常識で判断できない、素朴で純真、純粋なご神徳の世界があるのです。今すぐに、おかげを頂かねばならないというような、急を要するような時に、手っ取り早くおかげを頂くことを考えるのではなく、落ち着いてみ教えを頂く心になるということが、原点に帰ることであり、おかげを頂く一番の近道となります。

★現代、社会ではスピードが速くなり、新幹線が走るようになりますと、目的地へ行く時間も短時間で行くことができます。また、パソコンやテレビや携帯電話を持つようになり、情報も早く手に入り、人と連絡を取ることも簡単に早くできるようになりました。毎日効率を上げるところにばかり力を入れてしまって、大切なところを置き忘れてしまってはないでしょうか。「忙」という字は心を亡くすと書きます。現代のように忙しい世界にあって、忙しさを理由に、心を亡くさないようにしなければなりません。お広前に座り、み教えを頂くという事は、自分を見つめ直す時間でもあります。み教えを頂く時間さえも勿体ないと感じ、四拍手だけして帰るというのでは育ってゆきません。

★『うろたえ信心をせぬがよろしい。また、早くおかげを受けたいと思うて、うろたえるのは、近道をしようと思うて、知らぬ道をうろたえるのと同じことである。此方には大道を行けというようなものである。一心になりて信心しなさい。』
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2018年04月18日

●どのようなことが起こってきても

 二代教会長伊藤コウ師は、「幼少の頃、信心がまだ分からせて頂いていない私は、人生の幸せということについて、大きな考え違いをしていました。それは、裕福でお金がたくさんあって、きれいな着物を着て暮らし、女中さんの数人もいて、上げ膳据え膳で楽をすることが幸せな生活と思っていました。しかし、それは大間違いでした。信心を自ら本当にさせて頂くようになりましたら、み教えを頂けるようになり、本当の幸せとは、難儀な事、困った事、辛い事、悲しい事、世の中の難儀がしっかり身に受け止められて、その難儀と取り組んで、逃げ出さないで信心辛抱させて頂ける人になることだ、と分からせて頂いたのです。どんな事でも『生神金光大神様、天地金乃神様…』とお縋りして、その難儀を打ち破っていくだけの徳と力のある人間が世の中で一番幸せなのです。」と仰せになっておられます。

★夫であられる初代教会長先生が亡くなられた時には、二代教会長として後継をなさる覚悟を決められましたが、次々と大変なことが起こってきました。(建築委員の総辞職・役員の辞職等々…)後になって述懐なさっておられましたのは「夫が亡くなって淋しくない、悲しくない妻がおりますか。しかしそこを生神金光大神様・天地金乃神様におすがりをして、一日一日助けて頂いて、私も霊様も助からせて頂けるのです。私が取り乱していては霊様も助かりませんから、それでは神様・霊様に申し訳ないことです。なんとしてでもご信心を基にしておかげを頂いていかねばならんと思い、一生懸命おすがりさせて頂きました」と仰っておられたことでした。

★『心配が増したり、物事に苦を病むようになるのは、ご信心が落ちた証拠ぞ。この折、これをありがとう思うてご信心すると、これが修行になって、また一段とご信心が進んでくるが、そうでないとご信心が落ちてしもうて、心配や難に負けて、どうならぬようになってしまう。』

★私共も、常平生からどのような大きなことに出会ってもうろたえない、驚かない、へこたれない人間にならせて頂きたいものです。また、どのような人と付き合っても、困らない人間にならせて頂けますように、どのような仕事でも有難く喜んでさせて頂ける人間にならせて頂けますよう、それぞれにお願いさせて頂いておかげを蒙らせて頂きたいと思います。

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2018年04月17日

●婦人の五徳

1)平素人と競争せず…人と比べて見栄を張ったり、体裁を飾ることのないように。自分自身に打ち克つことを心掛ける。

2)苦難の時に恨み事を言わず…自分に不都合なことが起こってきますと、つい世間や政治のせいにしたり、或いは周囲の人のせいにしたり、酷いときには親や御先祖のせいにしてしまいやすいものです。人が自分の言うことを聞いてくれないとしましたら、自分自身に徳も力も足らないことを自覚することが大切です。苦難の最中でも、良いことを思い、良いことを口にし、助かる方向に舵取りをさせて頂きましょう。

3)飲食を節する。…衣食住すべてに節度を保ち、心身共に健全な生活を心掛ける。そして、収入と支出のバランスを取ることを適切にして、無理・無駄・むらのない生活を心掛けることが大切です。

4)感情をむき出しにしない。…喜ばせて頂くことは、たとえ小さなことでも大きく喜ばせて頂き、腹立ち、不安、苛立ちという感情は、神様にご祈念させて頂き、お預かり頂ける様に日々稽古させて頂きましょう。

5)よく尊敬する。…神様・ご先祖霊様、周囲の人に対してよく尊敬し、敬いの念を大きくしてゆくことが、徳を受ける元になる。

★『女の信心が、神様のお楽しみお喜びである。懐妊の時、心を改め磨き、真心の子供を産んで養育し、日々食べ物を取りあつかい、この注意不注意によりて、病気のできることもあり病気を除くこともあり、子供の間は母親が子供の真心を作るのである。また、着物の洗濯をするのも体の養生である。この役目を油断なく注意する氏子を見て神は楽しみ喜び、ここに女の大責任があるぞ。神様の前に参りて自分の思うことを頼むばかりが信心ではない。神様へ参らん時に信心することがたくさんあります。』
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2018年04月16日

●昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ

 二代金光四神様は、教組様が『昨日を忘れ、今日を喜び、明日を楽しめ』と仰せになったと、お伝え下さっておられます。

★「昨日を忘れる」ということは、過去のことは神様にお預けするということです。おかげを頂いたこと、人からお世話になったこと等を心に留めておいて、お礼の心を忘れないことは、大変有難いことで常に心がけてゆきたいものです。しかし、そうしたことは忘れがちで、反対に、「あんな辛いことがあった、あんな嫌なことをされた(言われた)」というような、恨みつらみの記憶は、なかなか忘れることが出来にくいものです。過去への執着、自分で自分を縛り付けるような記憶から心を解放するのです。そして、「今日を喜ぶ」ことです。今、神様から与えて頂いているおかげに感謝して、今月今日の信心に一心になるのです。今、自分が置かれている環境にお礼を申し、与えて頂いているお役目を喜んで、お礼の働きに一心に打ち込ませて頂いていると、過去一切もおかげにさせて頂くことが出来ます。そして、「明日を楽しむ」ことです。良いことを思い、良いことを願っていけば、未来も希望に満ちた有り難いものにさせて頂くことが出来るのです。

★二代金光四神様は、『神の前に泣いてお縋りするような信心をするので、おかげにならない。神の前に悟りを開いて、いつもお礼のできる信心をせよ。』とも、み教え下さっておられます。生神金光大神様のお取次ぎを頂き、み教えを素直に頂いておりますと、今まで御礼が申せなかったことに御礼が申せるようになり、これまで当たり前に思っていたことが心の底から有難く思えるようになって参ります。それは小さなことのように思いますが、日常の生活の中で「悟りが開ける」ということです。そのような有り難い心の状態で、どんな難儀の中にあっても、正しい願いを持たせて頂き、身にも心にも十分なおかげを頂けるご信心に進ませて頂きたいと思います。

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2018年04月15日

●有難いと分からせて頂ける私に

あるご信者が、何ヶ月か前から体に不調を抱えておられ、改まった心持ちでみ教えを頂き直して、ご信心を進めておられるのですが、

先日「このように体が動かないようになってから、初めて分かることがありました。それは今まで当たり前のようにしていたことが、大変なおかげであったということが分からせて頂けました。私は海外の出張も当たり前のように行かせて頂いて、他の人が経験出来ないほどの様々なことを次々と経験させて頂きました。有難いと分かっておりながら、お礼の足りないことでございました。

また海外の出張の時には様々なトラブルが起こってきました。しかし全てお願い以上のおかげを頂いて、ご都合お繰り合わせを頂いてきました。あれもこれも、おかげを頂き続けているのに、それが当然のことのように思ってしまっていた自分自身であったということに、改めて気付かせて頂いたのです。神様は私に気付くように体の不調を通して教えて下さっています。神様は私を可愛がって下さっているのですね。」とお届けが出来られたのです。そうしましたら、その後に感じておりました不調がすっと楽になられたのでした。

★神様はよく分かって下さっているのです。そして「今のままでは結構にならんぞ。このままでは先々が立ち行かないから、今のうちに心持ちを変えておきなさいよ」と教えて下さっているのです。有難いことですね。自分に都合の悪いことは、早く取り除いて頂きたい、とだけ願ってしまいますが、『難はみかげ』とみ教え頂いておりますように、何もかも出来てくることは有難いことばかりなのです。

「神様が一番良いようにして下さってる」「今こうして出来てくることは、神様が私を可愛がって下さっている証拠であり、その結果一番良いことが起こってきている」と有難いことが分からせて頂けましたら、そこからおかげを頂けるのです。

★『あなたが、親神様にああして下さいこうして下さいと色々に願うのも結構じゃが、それよりは、親神様あなたのおっしゃることがすぐ素直に有り難うございますと頂けるような人間にならせて下さい、というて願う方が心配がないぞな』

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2018年04月14日

●周囲の人のことを祈る稽古

 二代金光四神様は、九州布教の始めとなられた桂松平師・ミツ師ご夫妻のご出立に際して、ご夫婦を前にして各々にみ教えをなさいました。

★ご主人の桂松平師に対しては、「長い年月の間には、塩の辛いこともあれば、甘いこともあるが、甘い辛いを言うなよ。(味付けのこと)」

★「私(金光四神様)があるとき、妻に、『同じいただくご飯なら、もう少し軟らかく炊いたら食べよかろうにのう』と言うたら、妻は謹んで、『さようでございます。何とも申しわけございません。ちょうどご飯のできます時、子供が手をとりましたので』と詫びた。それからご神前に出ようとすると、普段なら当たるはずのない八足の角で、いやというほど頭を打った。そのとき、神さまからお声があり、『頭の痛いのが苦しいか、ご飯の硬いのが苦しいか』とご意見を受けたことがあるからのう。」

★奥様であられる桂ミツ師には、「のう、おミツさん。この桂という人間は、世界中に一人というか二人というか、三人とはない者になろうという所存であるから、ずいぶん難しいぞ。…いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐ神にあげよ(ご祈念してお預けせよ)。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ」とみ教えなさいました。

★そうして、一番甘えが出やすい存在である夫婦の間で、相手のことを祈り、相手の心になるというご修行を続けられたのです。それは、真剣に稽古する気にならなければ、出来ることではありません。ミツ師は翌日作られる食事を神様に「何を作らせて頂けばよろしいでしょうか?」と御祈念してお伺いなされたのです。そして神様から教えて頂かれた食事を用意しますと桂松平氏に喜んで頂いたそうです。家庭の中で、本気になって相手の心になるという稽古ができてゆきますと、他の方々の助かりも真剣にお願いするという事ができてゆくのです。日常卑近なところから、相手のことを祈り、相手の心になる稽古をさせて頂きましょう。

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2018年04月13日

●一心に真の信心を目指し、信用して頂ける氏子に

教祖様のお広前の近くに、目を病んだおばあさんが住んでおられました。そのおばあさんは、お広前にお参りされ「どうぞ目が見えますように」と願いました。教祖様も、天地金乃神様にお取次下さり、ご祈念下さいますと、何と晴眼になるおかげを頂かれたのでした。そのおばあさんは大変喜ばれたのですが、目が見えたことにより、信心が止まってしまわれたのでした。すると、またその後にそのおばあさんの目が見えなくなってしまわれたのです。そこでおばあさんは、またお広前に来られ、「また目が見えなくなりましたので、見えますようによろしくお願いいたします。」とお願いされました。そこで教祖様も天地金乃神様にお願いされますと、また目が見えるおかげを頂かれました。おばあさんは「目が見えた!目が見えた!」と喜ばれ、また信心が止まり、改まりのない生活に戻ってしまったのでした。それから、また信心が止まった生活を続けておりますと、また目が見えなくなってしまわれたのでした。そこで三度目にお広前に来られお届けされました。教祖様は、天地金乃親神様にご祈念されましたところ、「もうあの女のことは願うな。」とみ教え頂かれたのでした。その折に、教祖様は「私が代わりにお詫び申し上げますので、あの者のことを願うことをお許し下さい。」と代わりにお詫びを申されて、お願いして下さったのでした。このお話は、他人事ではありません。私共もどこでそのようなことを神様に対してしてしまっているやら分かりません。

★二代金光様は、信心させて頂く者の心得として、『嘘をつくこと、盗みをすること、腹を立てることの三つをしないように』と仰せになっておられます。人には嘘はつかないけれど、神様に対して嘘・偽りの生活になっている事はないでしょうか?ついさっきまでは「このように改まらせて頂きます」と思っていても、少し経てばすっかり忘れてしまっていることはないでしょうか。神様に対して一心に真の信心に進むよう心掛け、神様から信用して頂ける人間にならせて頂きたいものです。
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2018年04月12日

●すべてを有り難く受ける稽古を

『心配が増したり、物事に苦を病むようになるのは、ご信心が落ちた証拠ぞ。この折、これをありがとう思うてご信心すると、これが修行になって、また一段とご信心が進んでくるが、そうでないとご信心が落ちてしもうて、心配や難に負けて、どうならぬようになってしまう』

★初代教会長・伊藤徳次師が32歳でお国替えされ、十日祭の当日のこと(11月6日)、旧広前のご建築の建築委員が、総辞職の連判状を持ってこられました。それを伊藤コウ師は、御神殿にお供えされ、「神様から可愛がって頂きまして有難うございます。この度は、人に頼るな、神様におすがりせよとみ教え下さいました。有難うございます。どうぞ建築を成就させて頂けますように」とお礼を申し上げられました。そして5日後の11月11日の御大祭には、以前より増して盛大にお仕えすることが出来られたのでした。

★旧広前のお土地は購入済みで、すでに材木が積んでありました。建築委員に名を連ねておられたのは、学校の校長先生や地域の有力者、大きな会社の社長等のご信者達でした。コウ師は「あのご信者達は、初代教会長先生がお育てになられた方々です。先生の亡き後、おられなくなっても当然のことと思います。」と、人を責めず恨まず、神様におすがりし続けられ、借金なし、分担金なしでご建築の大みかげを頂かれたのでした。

★どんな難しい仕事や、めんどうな用事でも、神様の御用として自分の手足を喜んで使わせて頂き、自分が責任を持ってさせて頂こうとする人は、人からも神様からもお喜び頂き、ご信用頂けるお徳を身に頂くことが出来ます。また、喜び上手の人の周りには、有り難いことが次々と起こってくるのです。反対に、自分の手足を使うことを嫌がって、用事を人に押し付けようとする人は、そこから一層に気を煩わす因を作ってしまい、不足心が膨らんでしまいます。人からも神様からも、ご信用頂くことは出来ません。目の前に起きてくることを、どのような心で受けさせて頂くのか、日々の生き方の積み重ねが大切なのです。

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2018年04月11日

●心についているシミを取るつもりで

しみ抜きの仕事を専門に営んでおられるご信者にお聞きした話ですが、衣服にシミが付いた時に、間違えた洗い方をして、クリーニングに出しますと、そのシミは落ちないそうです。服の生地の種類や汚れの種類によって、汚れの落とし方は異なるのだそうです。衣服に何箇所かついているシミは、一遍に全てを取ることが出来ないようで、一つ一つ手作業で取っていくようです。ご信者は、その汚れに合う洗剤や溶液を見極めて、正しい落とし方を日々研究なさっておられます。私たちの心も同じことで、心についているシミを取るのには、一遍に全てを取ることはできません。自身が変わるという事は大変な時間を要しますが、毎日小さなところから改まることを積み上げてゆくことによって、自分の弱い部分が分かり、我情我欲が段々とお取り払い頂けるのです。

★人の心を鈍らせるあり方
1)我見になる(無心になれず、自我に執着する。自分の意志や行動を押し通そうとすること。)

2)偏見を持つ(一面一辺を取って、結論を出そうとする。全面的、多面的に物事を見ない。)

3)邪心を持つ(よこしまな見方・考え方。ねじけ根性。)

4)先入観に囚われる(自分の主義、理論にこだわって、すべてを型にはめようとする。)

★お広前という場所は、我情我欲を置いて帰り、神様のみ教えを頂いて帰る場所です。自分の考え方に偏って考えるのではなく、心を空にして、素直にみ教えを頂く稽古をさせて頂き、様々な立場から物事を見られるように、我情我欲を放す稽古をさせて頂きましょう。

★物事を見る、考える上の三大原則
○出来るだけ長い目で見る。(目先のことに囚われない)

○出来るだけものを多面的、全体的に見る。(一面を見て決め付けない。偏見をもたない。)

○根本的に考えて、枝葉末節にとらわれない。
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2018年04月10日

●日々頂いている大きなおかげ

『今はもう、ちょっとした小さいおかげは、おかげのように思わぬようになった。よほど大きなおかげをもらわぬとおかげをいただいたと言わないが、もったいないことである。毎日、神さまのお徳の中に生かされてある大きなおかげは、なかなか分からないものとみえる。病み患いが治ったのが、大きなおかげではない。平常壮健(まめ)なが大きなおかげである。』

★大きなおかげを頂いている私達が、小さなおかげと思うようになり、さらにはおかげをおかげと思わずに、当たり前のように思ってしまうということになってしまったのでは、誠に申し訳ないことですね。先日の御本部御大祭への参拝はもちろんのことですが、日々の教会への参拝でも、参拝をさせて頂けたことが誠に有難いことなのです。ちょっとしたことが起こってきて、参拝出来ないということが起こってこないとも限りません。それを健康で何の支障も無しに参拝をさせて頂けて、昨日のことにお礼・お詫びを申し、今日一日のことのお願いをさせて頂く、といった日々のご信心がさせて頂けるということが大きなおかげなのです。その有難さをしっかりと分からせて頂きたいものですね。

★与えて頂いている命を喜ばせて頂いて、お礼を申して、今日一日を嬉しく有難く、喜びに満ちて過ごさせて頂いて、また明日を楽しんでお願いしてゆく。毎日がその連続です。小さなことから喜べることを書き出して、日々喜ばせて頂く稽古をさせて頂きましょう。お礼を申させて頂く稽古をさせて頂いておりましたら、元気な心にならせて頂けて、元気な心にならせて頂きましたら、体も健康になっていくのです。そうして昨日より今日、今日よりも明日というように、良い方へ良い方へと進ませて頂けるおかげを蒙らせて頂けるのです。

★『教祖さまは、「信心と夫婦は、初めのことを忘れるな」と教えてくだされたが、おかげをいただいて信心するようになっても、日にちがたつに従って次第に初めのことを忘れて、ありがたさが薄くなる。もったいないことである。夫婦でもそのとおり、初めのことさえ忘れねば、一代むつまじゅう暮らすことができる。よく心得ねばならぬことである。』

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2018年04月09日

●親に習い、手本とする

昨日は、御本部天地金乃神大祭に共々に参拝のおかげを頂きまして、真に有り難いことでございました。有り難い御本部の御大祭のご庇礼を頂き、5月11日の阿倍野教会の天地金乃神大祭に向けて、銘々に願いをもって御礼のご用にお使い頂き、行き届いて準備をさせて頂けますよう、おかげを頂きたいと思います。

★7日には、みかげ会例会が開催され、加納氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。母方のお祖母さまが、川田先生の奥様にお導き頂かれて入信なさり、昭和16年に、お母様も初参拝なさいました。お母様は、家族の健康と立ち行き、子供達の信心相続を願って、朝参りに励まれ、針仕事に夜遅くまで精を出されたそうです。一日中座ってのお仕事だったので、15分ほど歩いてのお参りをとても楽しみになさっていたそうです。

★お母様は、加納氏の奥様のことも親切にお導きなさり、奥様が妊娠を機に退職なさってからは、家まで誘いに出向かれて一緒にお昼のご祈念にお参りなさったそうです。奥様は今でもその頃のことを有り難く振り返られ、「結婚してすぐにお母さんによくお参りに誘って頂き、帰りに家に寄ると、いつも食事を作って下さって喜んで下さった。私も、あの時のお母さんの年になって、子供達夫婦、孫達も立派に成長のおかげを頂いている。私もお母さんの様に、子供達、孫達をお参りに誘っていきたい」と、話しておられるそうです。

★お父様、お母様も、晩年には体調を崩されてそれぞれに病院に入院なさったのでしたが、加納氏はその都度奥様と相談なさって、退院後には自分達の家に住んで頂いて、ご両親に安心してすごして頂けるようにと、良いお部屋を準備なさったのでした。そのように、真心こめて親孝行なさったお姿をお子さん方も見ておられたので、今日、皆さんが親孝行のおかげを頂いておられます。銘々が、信心のよいお手本とならせて頂いて、信心相続、お導きのおかげを頂きたいと思います。

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2018年04月07日

●心に信心の肥をする

先日、真栄根会例会でおかげ話をなさった吉岡氏は、小さい頃よりご両親・お母様と共に子供会に参拝させて頂かれました。男子学生会では、信心と勉強と御用について親切丁寧に教えて頂かれたのです。大学受験に向けて、京都の相楽郡から毎朝日参され、朝参りなさってから予備校に通われました。努力の結果、志望なさった東京大学と京都大学に両校とも合格のおかげを頂かれたのです。どちらの学校へ進むかを考えられた時に吉岡氏は、今日まで学生会でお育て頂いたお礼に、今度は是非とも後輩に勉強指導をさせて頂いて、ご恩返しさせて頂きたいと願われ、自宅から通える京都大学への進学を選ばれたのでした。

★吉岡氏は、40歳を過ぎてから、蕁麻疹が全身に強く出て、アレルギー体質であることが判明しました。休日にはお届けをなさって、お取次ぎを頂かれ、重責で常に心配りを要する仕事ですが、御神米を常にお伴させて頂き、心中御祈念をして勤務なさったのです。すべて神様にお任せさせて頂くように心がけられ、生活習慣と食生活を改められますと、少しずつ体質改善のおかげを蒙られたのでした。

★仕事の上にも家庭の上にも、身体の上にもお願いが成就させて頂くためには、一心になるという事と、我が心を改め磨いてゆくことが必要ですね。

★心を汚してしまう5つの心
(1)貪欲…食欲一つとっても分かるように、欲深く貪る(むさぼる)ことは心も体も壊してしまう。
(2)瞋(怒り)…私利私欲で腹を立てて、神経をとがらせる。人間のあらゆる病気の一番悪い原因は、怒りである。怒りに囚われると、血の巡りも悪くなり、体は硬直し、周囲にも自分にも計り知れないほどの悪影響を及ぼす。
(3)痴…非理性的になって、愚痴不足を言って、道理から離れた生き方。
(4)慢心…横着、怠け心。わがままを言う。
(5)疑…天地の道理、み教えを素直に頂けない。
★『心正しくして後に身修まるということがあるが、何事によらず人間は心が第一ぞ。心には信心の肥をせぬと、なかなか正しゅうはならぬ。』
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2018年04月06日

●信心して幸せになる鍵を授けて頂く

二代教会長伊藤コウ師のお母様・ハル氏は、娘であられるコウ師に対して、「あなたは、欲が深い。」と仰られたことがあられました。コウ師は、三人姉妹の一番下の身でありながら、親の物など自分が欲しいと思うものは、自分の物にしたいと思われた時期があられたそうです。

★ハル氏は、「お母さんがよいことを教えてあげましょう。あなたが欲しい欲しいと思うのであれば、信心しなさい。しっかりお参りをして神様を拝み、お話を聴かせてもらいなさい。欲しいものがあれば神様にお願いさせて頂くのです。ここに大きな長持(衣類や布団等を入れておく蓋つきの大きな箱)があるとします。その長持の中には、あなたが欲しい物、金銭や衣服等がたくさん入っているとします。しかし、それには鍵がかかっており、開けることが出来ません。その鍵は神様から頂けるのです。その鍵を与えて頂くには、ご信心してみ教えを頂き、ご信心のお徳を頂くと神様から与えて頂くことが出来るのです。すると、必要な時に必要な物を与えて頂けるようになっていくのですよ。」と仰られたのでした。

★当時の自分を振り返ってコウ師は、「幼稚な話です。幼稚な私にも分かるように親が例えて話をしてくれたのです。これは親の慈愛です。どの様にして子供に信心を教えようか。いつまでも結構に暮らさせて頂く様にと願って下さってのことです。」と話しておられるのです。神様は、氏子が幸せになることばかりを願って下さっています。この天地には、銘々が幸せになるところのものがどこにでも転がっています。しかし、誰もがそれを手に入れることが出来るわけではありません。教祖様は、その幸せになる道を我々に教えて下さっています。み教えを聴かせて頂いて、幸せになる鍵を授けて頂いたら良いのです。

★ハル氏は、学問といえば寺子屋を出られただけでしたが、長年の実意丁寧・正直親切なご信心によって、御神徳を頂いておられたのです。そして、 3人の娘さんを教育なさる上でも、常に心中御祈念をなさって何事も神様にお伺いされ、神様を第一にした信心教育を貫いておられました。ですから、信心を基に信念を持って、正しい方向へ導いていかれたのですね。

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2018年04月05日

●信心辛抱のお徳

旧広前の頃、阿倍野教会について中傷する内容のビラを書いてまいた方が近所におりました。そのビラをもってこられたご信者に、二代教会長伊藤コウ師は「結構なことです。無料で宣伝して頂いて有難いことです。どんな所か見に行ってやろうと思う人が参拝して頂いたら、結構なお導きになりますよ。」と気にもとめず、決して腹を立てられることはあられなかったのです。

★『「信心する人は、第一の心得が、腹の立つことがあっても腹を立てないようにせよ。腹を立てては家内の不和を起こす。人と仲違いをする。世間を見よ。後にはわが身を捨てる者がある。これは堪忍が足らないのである。堪忍は、ごく大切なものと心得よ」

このご理解があって数年を経た後に、「あなたは、ものの堪忍をよくされるから、神様も非常におほめになっている。結構なことであるが、もう一つ進んでおかげを受けるがよい。神様が『申の年(津川治雄)はよく聞け。堪忍はよくするが、腹の立つのをおさえこんでいる。そのおさえこむので気分をいためる。それでは、まだいけない。もう一つ進んで、腹の立つということを知らないというようにせよ。そうすれば、身の薬である』とおっしゃる」と仰せられた。』(津川治雄師の伝え)

★信心辛抱のお徳を頂いておりませんと、ことが起こった時におかげを受け損ねてしまいます。信心辛抱させて頂くことによって力を養って頂いて、信心辛抱させて頂くことによってお徳を頂くのです。『神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。』とみ教え頂いておりますが、

お参りの道中のことだけではありません。人生の上で雨の日もあれば風の日もあり、暑い日もあれば寒い日もありと色々な日がありますが、そういったことを「えらい(大儀)」と思わないような心構えを作らせて頂いて、自分たちが良いお手本とならせて頂けるような、日々の生活にならせて頂かねばと改めて思わせて頂きます。

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2018年04月04日

●本心の魂の成長を願って

2日には勧学祭をお仕えし、お子さん方の進学進級の御礼と、新年度も心身共に健康で学業成就のおかげを頂けますよう、共々にお願いをさせて頂いたことでした。

★祭典後には、小畑正明先生より「学生生活の進め方」のご講演を頂きました。その中で、進学、進級にあたって大切な「3つのこと」というお話がありました。

一、友達とは仲良くし、学生時代にいいお友達を作る・・・嘘はつかない、約束は守る。これは、「自分がされて嫌なことは人にしない」という、いい人間関係を築く一番の基本に基づくもの。また、苦手な人に会ったり、嫌な思いをさせられることがあっても、育った環境が違う人達と出会うのだから、それも当たり前のこと。すぐには仲良くなれなくても、大きな心になって相手に親切にさせて頂いて、相手の気持ちを推し量れる余裕のある人間に成長させて頂くことを願っていく。しかし、何でも友達の言うことをきくと言うのではなく、間違ったことには引きずられない、賢さと勇気を持つこと。もし、間違ったことをしてしまったら、すぐに反省し、少しずつ心(魂)を成長させて頂けるように。

二、「知りたい」という心、好奇心を大切にし、自分の気持ちには正直でいるように・・・知りたいという気持ち、感動する心、潜在能力はみんな平等に与えられていることを自覚する。この生まれつき与えられている尊い力を開発するのが勉強。

三、本に親しみ、良い本、面白い本を見つけてどんどん読む・・・言葉は、人間だけに与えられた素晴らしい能力。良い本をたくさん読むことによって、文字と言葉をたくさん知ることが出来る。言葉を通して人とコミュニケーションを図り、言葉を学ぶことで心と頭が発達していくので、物事を深く理解することにつながる。テレビや、インターネットなど、簡単に興味のある情報が手に入る今の世の中だからこそ、自分から求める力を養うことが大切。

★これらは、社会人にとっても同様に大切なことですね。日常の一切をご信心を元に受けきらせて頂いて、本心の魂の成長を願わせて頂きたいと思います。

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2018年04月03日

●内なる神様のお働きを頂いて…

昨日は、平成30年の勧学祭を無事にお仕え申し上げることが出来まして、真に有難いことでございました。

★私たちは、天地の親神様の御神徳に満ち満ちた世界で、天地のお恵みを享受させて頂き、様々な命を分けて頂いて、お命を繋いで頂いて生活させて頂いております。それは、いわば外から神様のお働きを受けていますが、身体の中では内なる神様がお働き下さっています。人間の身体には、60兆ほどの細胞があり、日々生まれ変わり、互いに隣接しながら、それぞれに連携し合いながら、見事に調和し合って、一つ一つ正しく働いてくれているのです。そして、一つ一つの細胞に免疫力を高めてくれたり、自然治癒力が働くように遺伝子が備わっています。例えば、成人の体内の赤血球は、一日に数千億も壊れ、そして同じ数の赤血球が新しくできるそうです。また、腎臓や肝臓のたんぱく質も速いスピードで再生されるということです。さらには、一日に1500ほどもの癌細胞ができるそうですが、免疫細胞が働いて、癌を消滅させてくれているのです。すなわち、健康な人は、毎日1500戦中、1500勝しているという事です。私たちの意識していないところで、神様のお働きを受けて、健康な身体を維持して頂いていることに気付かされますね。

★それでは、病気を患ったとすれば、まず何を考えさせて頂けば良いでしょうか。これからどういう治療になるのだろうかと考えるよりも、先に今日まで生命を頂き、神様から授けて頂いた身体を長い年月に亘って使わせて頂いてきたことにお礼を申すのです。神様のお働きにより、日々細胞が新しく生まれ変わってきていたことにお礼を申すことが先決です。そこに、気付かせて頂きますと、病気を患ってもお礼を申しながら、元気な心で治療に取り組むことができますね。様々なことが起きてきますが、神様のお働きの中で、おかげの中で起きていることに気付かせて頂き、元気な心で先を楽しみにおかげを頂きましょう。
★1)明き…明朗活発というだけでなく、先を楽しみに願い、思い分けの出来る賢さを持つ。

2)清き…生涯かけてみ教えを頂き続けて、自分の心を改め磨き純粋な清い心を保つ。

3)直き…心を空にして、み教えを心から有難く頂き、素直に実行させて頂く。
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2018年04月02日

●生命を授けて頂いているお礼に勉強しお礼に働く

二代教会長・伊藤コウ師が13歳の時、肋膜炎と腹膜炎を併発され、医師がさじを投げてしまわれた時に、 コウ師のお母様であられるハル氏は、これまで我が娘だと勘違いされていた事を神様にお詫びされました。そして「病気全快後は、伊藤家のためには使わず、神様の御用にお使い頂きます」と神様とお約束し、覚悟を決められたのでした。コウ師は骨と皮のガリガリの体で、お腹だけは腫れている状態でありましたが、2週間で全快のおかげを頂かれたのでした。その二週間、昼も夜もハル氏は御神前にひれ伏して一心にご祈念をなさっておられたのですが、コウ師は生死の境をさまよっているような状態の時に眼を開けたらハル氏のご祈念なさっている姿が見え、まぶたに焼き付けておられたということです。

★コウ師は、大阪女子師範学校に入学され、寄宿舎から週に一度実家に帰られ、教会への御礼参りを欠かすことなく続けられました。生命を助けて頂いたからこそ勉強も出来るのですからお礼参りは何があっても欠かされなかったのです。ある時、寄宿舎の同僚3人が同じ病気に罹られました。他の2人は病気が治らずに卒業することが出来られませんでした。しかし、コウ師はお礼を申すことを教えて頂かれ、その通りになされて全快のおかげを頂かれたのでした。そして四年間一日の欠課もなく、優秀な成績で卒業なされたのでした。

★お取次ぎを頂き、神様にお願いさせて頂いた上で起きてくることに、決して無駄ごとはないのです。起こってきた出来事には意味があり、神様の思し召しがあります。その思し召しを悟らせて頂き、有難く受け切っておかげにさせて頂きましょう。

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2018年04月01日

●恩知らずにならぬよう

二代教会長・伊藤コウ師のご時代に、あるご信者が自分の住まいのことについてお届けなさいました。そのご信者は、知人のご厚情で、「家賃は一切要りませんから、住んで頂いて構いませんよ」と言って頂かれ、その言葉に甘えて、本当に何のお礼もせずに住んでこられたのでした。

ところが、家主さんの都合で、「家を明け渡して欲しい」と言われて、困って、慌ててお届けに来られたのでした。伊藤コウ師は、「それは当たり前のことですよ。いくら、相手がご好意で言って下さった話しとはいえ、人様の家に、何のお礼もせずに住み続けたら、いつか出て行かねばならないようになるのは当然のことです。お世話になったら、そのお礼は、どんなに親しい間柄であっても、たとえ親子、兄弟であっても、きちんとさせて頂かなければ、めぐりを積むことになってしまうのですよ。」と、み教えになられたのでした。

★御礼の足りない生き方は、知らず知らずのうちにご無礼を重ね、徳を失い、神様からも人からも信用して頂けなくなって、良い関係が築けなくなってしまいます。また、物に対しても御礼の心が足りず粗末な扱いをしていると、身に付かず何もかもが自分から放れていってしまうのです。常に、ご恩返しの働きを心がけて、ご無礼のないように、積徳の信心生活をさせて頂きたいと思います。

★とりわけ親孝行は、育てて頂き、何もかもお世話になり、祈って頂いてきた親様に対するご恩返しですから、しっかりと心掛けてさせて頂くことを、神様も一番お喜び下さいます。どこまでも行き届いて親孝行をさせて頂けるよう、おかげを頂きたいと思います。

★親孝行とは・・・・
1)自分の手足を親の為に働かせる。
2)自分の妻子だけを大切にするというのではなく、親を養う。
3)耳目の欲(金銭欲、名誉欲、権力欲)にとらわれないようにする。
4)腹を立てない(怒りに我を忘れて、親の身分、名誉まで危うくすることのないように)
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