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2018年03月13日

●お礼・お詫びの足らないことの自覚

『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

★教祖様は42歳の御頃に、のどけという九死に一生の大患を経験されました。その当時、母屋を建築・移転なさった頃で、そのご建築に際して日柄方位に捉われる等、神様にご無礼があったことに気付かれたのです。その時「この度の建築に当たり、どの方角へ無礼しておりますか。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のところ、お断りお詫び申し上げます」と神様に心からお詫びなされたのです。

★お詫びをなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得遣い、その方は行き届いておる」と認めて下さいました。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様は常に、「私共人間の生活にはどこまでも至らないところがある」という心持ちであられたのです。

★心も体もおかげを頂かないことには、手も足も思うように動かせず、充実した働きになっていきません。何事も自分の力ですると思いがちですが、それは大きな心得違いであります。み教えを頂いてご信心を進めさせて頂きましたら、より一層謙虚な姿になり、実意丁寧にならせて頂けます。それは「自分には分かっていないところがたくさんある」ということを分からせて頂けるようになるからです。お礼・お詫びの足らないところを、しっかりと分からせて頂いた上で、正しいお願いをさせて頂くのがお道のご信心です。どこまでも謙虚に「神様・霊様に、私共が分かっていないところ、見えてないところをお守り頂いて、結構なおかげを頂いております。有難うございます。」と丁寧にご祈念させて頂くことが大切です。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:54 | 平成30年の「み教え」