金光教阿倍野教会ページ内リンク


2018年03月31日

●年度の締めくくり

平成29年度の締めくくりの3月も無事に最終日を迎えさせて頂き、この1年間おかげを頂いて参りましたお礼をしっかりと申し上げさせて頂きたいと思います。4月は新年度を迎え、進級・進学の有難い月です。社会人であれば異動があり、この新年度に新しく環境が変わられる方もあられますが、それぞれに新たな心持ちで今日までおかげを頂いて参りましたお礼の信心を進めさせて頂きましょう。

★新しい環境に移られることがありましたら、周囲の方々を立てるということを忘れずに、謙虚な心で努めさせて頂くことが大切です。先輩方の様々な意見を聞かせて頂く耳を持ち、以前はどのようになさっておられたかをよく伺った上で、自分自身の業務を遂行させて頂けますよう、お願いをさせて頂きましょう。しかし、人間のすることに完全無欠ということはございませんから、今しなければならないと思っていても次の瞬間忘れてしまうことがあります。ですから、気が付いたらすぐにメモに書き残して、間違いの無い様に一つ一つチェックをして確かめ確かめしておりますと、漏れがなくなりチャンスを逃すことがないのです。常平生から心中ご祈念させて頂いて、心配りをしてお願いしてさせて頂き、4月から新しい一歩を踏み込ませて頂けますよう、おかげを蒙らせて頂きましょう。

★中国宋時代の朱新仲というお方が人生には五つの計画が大切であると伝えておられます。『人生の五計』 1、生計(体の健康、健やかに生きる道を考える) 2、身計(自分の身をどのように役立てるか、社会生活を考える) 3、家計(家庭をどのように維持していくかを考える) 4、老計(衰えないために、いかに年を重ねるかを考える) 5、死計(どのように死に向かうか、死を考える、人生の大切なことを学ぶこと)

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:43 | 平成30年の「み教え」

2018年03月30日

●我を離して神様におまかせする

私が金光教学院にご修行中に学院長として御用なさっておられました内田守昌師は大変立派な先生であられました。重厚なお人柄であられましたから私はいつも尊敬いたしておりました。その先生がネフローゼ症候群を患われ入院なされた時のお話です。

★入院されて薬を毎日投与して頂かれ、一週間が経ってもなかなか効果が表れず、医師から「今日も効果が無い。」とばかり言われたそうです。毎日効果がないと言われますと、「もうこれで私は死んでしまうのではないか。」「私の家族はどうなるのか。」と、心配に捉われて不安でたまらない日々を過ごしておられたそうです。

★そんなある日、松山先生の奥様であられます、松山いち先生が病院にお見舞いに来て下さり「お願いしておりますよ。」と仰せられたそうです。そのお言葉がすとんと内田師の心に納まり、「そうだ、御祈念して頂いてるじゃないか。この親奥様の願いの中にすべてお任せしたらいいじゃないか。自分で力んであれこれ心配せずともよいじゃないか。」と思われたそうです。

涙があふれ「今日がおかげ日だ!」と大変有難い気持ちになられたのです。すると次の日に医師から「内田さん、薬が効いた!」と告げて頂かれ、それからどんどんと良くなられて、病院食も美味しくて毎日完食され、全快のおかげを頂かれたのでした。

★『病気になると、欲しい物が食われんので困る。その時に、不自由を行と思い、物を不足に思わず、物を苦にせず、万事、神様を一心に頼み、万物をありがたくいただくという心を磨いておると、早くおかげが受けられるのである。信心はむつかしいことはないなあ。家内中、心そろうて親切な信心がよろしい。一時に心そろうようになるのも、めいめいの心々でおかげを受けるのである。親子でも、一様になければ一様にいかんなあ。』

★病気だけでなく様々な問題に遭遇した時にも「これが自分の為になり、先々の為に神様が与えて下さったご修行で、おかげになるんだ!」と悟らせて頂いて、我を離して神様に心が向かわせて頂きましたら、物事が良い方へと好転していくのです。どんな時にでもどんなことにでも心から喜んで神様にお礼を申し上げる、という稽古をさせて頂きたいと思います。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:39 | 平成30年の「み教え」

2018年03月29日

●全てに拝んで、有難く頂く生活

難儀に陥る因は、人間中心の考え方・自己中心の考え方にあるとみ教え頂いております。

★自分の力で何事も出来ていると考え違いをし、自分の物である、自分のお金である、自分の土地・建物であると思い、生活をしておりますが、それらのすべては、この世において一時的にお預かりしているだけに過ぎません。この世を去るときには全て置いてゆかねばならないのです。自分の物と言えることではないのです。食物はもちろんのこと、仕事、家族、土地家屋、全ては神様からの尊い賜りものです。日々み教えを頂き、お取次ぎを頂いて信心に油断のないようにしませんと、いつのまにか、「自分の家」「自分の家族」と人間中心・自己中心の心になったり、頂いている有難い仕事や、有難い勉強をすることに、おごりがましい心が湧き起こってきたりしてしまうのです。

★水や食物を、拝んで御礼を申して頂きますと、その中に含まれている天地のお徳を、体内に取り入れることが出来るのです。同様に、仕事も土地も家屋も人間関係も、全てに拝んで生活させて頂きますと、御神徳を蒙ることが出来るのですね。例えば、自身の体に御礼を申しているつもりでも、自身の臓器一つ一つ、もっと言えば60兆の細胞の一つ一つに御礼を申せていることにはなっておりません。それらがバランスを取り合って、それぞれにどれ程の働きをして下さっているのかということは知らずに、当たり前のように思ってしまっていることの方が多いでしょう。また、お水を使うときに、つい出し過ぎたり、お湯が沸いているのに火を消し遅れたり・・・御礼の足りないこと、無駄を生んでご無礼をしてしまうことは、誰しもが意識して気をつけなければなりませんね。

★『神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:46 | 平成30年の「み教え」

2018年03月28日

●実意丁寧な信心が、将来を開いてゆく

ある家庭で、息子さんの家庭内暴力や暴言がひどく、両親が大層悩んでおられました。そこでお導き頂かれ、お参りなさるようになられ、二代教会長伊藤コウ師にお届けされましたら「息子さんを拝みなさい」とみ教え頂かれたのでした。

★しかし、これまでお父さんは、「自分が働いて息子をここまで育て、子供の為にお金も費やしてきた」と、自分が育てたという感情の方が先に立ち、なかなか息子さんを拝む事が出来られませんでした。そこでお父さんは毎日毎日、「どうぞこの息子を心の底から拝めますように」とお願いなされたのでした。

★しかし、息子さんを目の前にするとなかなか拝む事が出来られません。そこを繰り返し繰り返し年月をかけて、神様におすがりして拝む稽古を続けられるうちに、いつしか家庭内暴力も収まっていったのです。さらにその息子さんは立派に成長なさり、大学を卒業して就職し、また結婚もされて子宝を頂かれ、有難いことにその子供さんを連れて教会へお参りしてくれるようになられたのでした。

★そのお父さんが亡くなる直前に、「私は、おかげだけは人一倍頂いております。息子は教会に参拝してくれるようになりました。勿体ないことでありますが、私はまだ心から息子のことを拝むことが出来ておりません。お許し下さい。どうぞ本当に有難く拝むことが出来る私にならせて下さい」とお礼とお詫びを申され、入信の初めに頂かれたみ教えを、生涯かけて素直にまた謙虚に守り通されたのでした。

★『実意丁寧、これが金光様が神様からご信用を受けられて生神様になられたもとじゃ。天地金乃神様を信心する者は、このもとの実意丁寧を一番に見習わねばならぬ』氏子の方が諦めてしまったり、投げ出してしまったりすることがありますが、神様が見離してしまわれることは絶対にありません。私達がご信心をさせて頂いて、それぞれに正しい道を歩ませて頂けるようになりましたら、いくらでも将来は開けてゆくのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆

posted by 金光教阿倍野教会 at 05:45 | 平成30年の「み教え」

2018年03月27日

●神様に一心になる稽古

脊椎カリエスを患われ、思うように体が動かないご信者が、参拝しみ教えを頂いたら涙が流れるほど有難く感じ、家に帰ると見ること聞くことに腹が立つということを打ちあけてお届けさせて頂いた時に、甘木教会の初代教会長・安武松太郎先生は『ここは教会だから、神様の教えをお話してきかせ、信心の稽古をするところで、家庭はいわば、檜舞台。教会で習ったところを、家の檜舞台で踊りそこなわないように、しっかり信心の稽古をさせて頂きなさい。』さらに『この神様は、病治しの神様ではない。心を直す神様であるから、心が助かれば、病気もおかげになる。神様にお願いした以上、神様にお任せ、お預けして、自分は病気のことを忘れて、ひたすらに信心の稽古をさせて頂きなさい。』とみ教えを下さっています。

★人間ですから、病気を患えば先が見えませんから、心配や不安な気持ちが押し寄せてきます。しかし、その心配や不安な心を神様にお預けさせて頂いて、お願いに変えさせて頂きますと、その心が和らぎ喜ぶ心に変わらせて頂くことができるのです。神様には「病気が治りますように」とお願いしていても、心の中では、「もう無理かもしれない」とか「もうどうにでもなれ」とやけくそになるというような正反対のことをしているのでは、二心になっており、神様に対して真心を尽くせていない姿です。二心になって氏子がうろたえている姿を見て、神様はお嘆きになっておられます。私たちは、どんな時にも神様に一心になるという事を、稽古をさせて頂く必要があります。

★『我、日に三省す』という言葉がありますが、それは「一日に三度省みる」ということではなく、「一日に何度も省みる」という意味です。常に自分自身の心の内を見つめ直し、反省と改まりを重ねてゆき、心の曇りを払ってゆくことが大切です。もうこれで出来たと思わずに「こんなことでは相済まん、まだまだ行き届いておらん」という気持ちで、生涯かけて信心の向上をお願いさせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:54 | 平成30年の「み教え」

2018年03月26日

●親も子も共に育つあり方

私が幼い頃、二代教会長伊藤コウ師にご注意を受け、み教えを頂きます時には、三代教会長先生や奥様が私の横に座り、一緒にみ教えを頂いて下さり、一緒にお詫びして下さいました。私がコウ師にお詫び申しますと、「何が分かって、これからどのように改まらせて頂くのですか?」とお聞きになられました。そして「真に申し訳ありませんでした。ここが間違っておりました。ここを改まらせて頂きますのでどうぞよろしくお願いいたします。」とお詫びを申して、お願いさせて頂くことを教えて下さいました。

★コウ師からご注意頂いた後、三代教会長先生は私に「親先生はまことにお忙しいお体であられながら、あなた方に時間をとってお話をして下さることは、大変有難いことですよ。よくその有難さを分からせて頂かねばなりませんよ。」と諭して下さったのでした。コウ師が、私の成長を願って下さりみ教えを下さっている内容は、理解させて頂いているのですが、子供ながらに親が一緒にお詫びして下さり、一緒にみ教えを頂いて下さる姿を見せて頂いて、「本当に申し訳ないことだなぁ」と感じ反省させて頂いたことでした。

★もし親が考え違いをして「うちの子供にそんなことを言わないで下さい!」と言ってしまいますと、子供も「その通りだ」と思い、教えが教えとして機能せず、心が育ってゆくことはありません。ましてや親の正しい在り方というのも示せず、すべてが無になり、おかげにはなってゆきません。

★同様に、様々な難儀や問題の中に神様が示して下さるみ教えをよく悟らせて頂き、神様のお心を分からせて頂きますと、神様もよく分かってくれたとお喜び下さり、全てがおかげになってゆくのです。起こってきたこと全てが、本当におかげになるように親も子も正しい舵取りをしてゆくことが大切ですね。日々、時間の工夫をしてお広前に参拝して聴教に励み、有難い受け物を育てさせて頂きましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:44 | 平成30年の「み教え」

2018年03月25日

●日々、大難を小難に、小難を無難に、

 三代教会長先生のお宅祭の随行をさせて頂いた時のことです。お車に乗ってお宅祭に出向かれたのでしたが、無事にお宅祭がお仕えになられ、教会の駐車場に到着した途端に、車が動かなくなったということがありました。お宅祭の御用に支障なく、また、どなたかにご迷惑をおかけすることもないよう、有り難いご都合お繰り合わせを頂かれたことでした。

★また先日も、教会の車庫から車を出そうとしましたら、車にトラブルが起きて動かせない状態になりました。18日の御本部参拝には、御本部まで往復運転させて頂きましたし、故障する前日には、他教会の先生をお乗せする機会もあったのですが、その時には何の問題もなく使用させて頂きました。いつもお世話になっている車の販売店に連絡すると、早速に車載車で引き取りに来て下さり、数日で修理して頂けるということで、今後の御用にも全く支障のないおかげを頂いておりますことは真に有難いことです。

★車は精密な機械ですから、決められた通りに点検をして頂き、大切に使わせて頂いていたとしても、不具合が生じる可能性はあります。高速道路を走行中に故障したり、お宅祭のご用に行く道中に故障したりしては、危険を伴ったり、多くの方にご迷惑をおかけすることにもなりかねません。そうした中を、大難を無難のおかげを頂き続けておりますのは、私自身に徳も力も足りませんが、伊藤ハル刀自から初代教会長先生、二代教会長先生、三代教会長先生と御修行して下さったお徳によりご都合お繰り合わせを頂いてきたことに他なりません。真に有り難いことと、御礼を申し上げている今日です。

★『石金でも、舟に積めば水に浮かぼうが、人はおかげの舟に乗れよ。』長い人生の中には様々な出来事に遭遇するものですが、日々何事もお取次ぎを頂き、心中ご祈念をさせて頂きながら、信心の稽古に油断なく励ませて頂きますと、めぐりをお取り払い頂き、有り難いご神徳を蒙ることが出来るのです。そして、大難を小難、無難におかげを頂くことが出来、末々まで安心のおかげを頂くことが出来るのですよ。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:18 | 平成30年の「み教え」

2018年03月24日

●神様のお心を分からせて頂くため

ある高校生の学生さんが、お結界に来られて、三代教会長先生に「母親が口うるさいので、腹が立って仕方ありません。こないだも勉強している時に横に来てゴチャゴチャ言うので、ついカッとなって、鉛筆を投げつけてしまいました。うちの母親、何とかなりませんでしょうか。」と言われたのです。

★三代教会長先生は、この学生さんは考え違いをしておるなあと思われ、[思春期になり、親がうるさく感じる時期ですが、親になってみればよくわかるものです。私も子供に言いたいことがいっぱいあります。言うても言うてもいくら言うても、それで十分だと思わない。親は子供がかわいいものですから、「こうなってほしい、ああなってほしい」と腹の底から沸き起こってくるのです。それが親心というものです。子供の時分に、親の心を分かるようになることが信心です。親になって親の心が分かるのでは、世間並みです。信心をすると、み教えを頂くことにより、親の心が分かる。元来信心は、神様のお心を分からせて頂くためにさせて頂くのです。目の前におられる親の心が分からないのですから、神様のお心がどうしてわかるでしょうか。信心させて頂いて初めて、神様のお心が分かるのです。み教えを頂いて、親の心が分かりましたら、あなたの受け取り方は変わりますよ。美しい花が咲いていても、目につかなければ、見えないのと同じです。月が煌々と光っていても、心が闇で閉ざされていれば、一向に光は差しません。一番うるさく言ってくれる人は、一番親切なのです。み教えを頂いて、有難く頂く受け物を作らせて頂きましょう。]と仰せになりました。

★日々み教えを頂きませんと、自分中心の我情我欲に偏った、狭い世界に閉じこもっていることに、気付かせて頂くことができません。日々み教えを頂き直して、御神徳に満ち満ちた、広い世界に住ませて頂いていることを分からせて頂いて、自分の心を広く大きくさせて頂き、受け物を作らせて頂くことにより、すべてが有難く頂けるようになるのです。『今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:56 | 平成30年の「み教え」

2018年03月23日

●徳の貯蓄が出来てゆく働き

会社で部長のお役目を頂かれておられるご信者があられます。昨年、部下の方が退職なさり人手が足りないということになりました。募集をかけてもその仕事に見合う方はなかなか採用出来なかったそうです。「今はご修行の時期だと思わせて頂いております。しっかりと自分自身が人の分までお役に立たせて頂けますように。」と丁寧にお願いをなさっておられました。

★ご信心にご縁を頂かれていない方に「人の倍も3倍も値打ちのある働きが出来るように、お役に立たせて頂けますようにお願いをさせて頂きましょう。」とお話しをさせて頂きますと「そんなことをしたら給料に見合わないではないですか。それでは損です」となってしまいがちですが、実はそうではないのです。給料以上の値打ちのある働きをさせて頂いて、お徳を積ませて頂くということは、その分は天地に徳の貯蓄が出来ていくのです。そしてすべて良い時期に良いように自分自身に返ってくるのです。

★そして先日、そのご信者が子供さんと一緒に子供さんの大学合格のお礼届けに来られました。その時に「何事もおかげを頂かないとさせて頂けませんよ。まずお命を頂いて、次に身心共に健康でないと勉強もさせて頂くことは出来ません。日々の生活を神様のお守りを受けてさせて頂いているからこそ、自分が思うように体を使わせて頂くことが出来て、働かせて頂くことが出来るのですよ。ですから、全てにおいて、ご信心を基にさせて頂きましょう。信心を基にして勉強も御用もさせて頂き、信心を基にしてお仕事もさせて頂きましょうね」とお話をさせて頂いたことでした。

★良い種をまけば良い物が生えてきます。それを収穫することが出来るのです。反対に悪い種をまけば悪い物が生えてきます。それを責任を持って刈り取らなければならないのです。普段から実意丁寧に信心のお徳を積ませて頂いて、どんな時でも足らないところは足して頂けるように、金光大神様のお取次を頂いて、天地金乃神様の御神徳を蒙らせて頂く生き方にならせて頂けますよう、おかげを蒙らせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:10 | 平成30年の「み教え」

2018年03月22日

●霊様にご安心頂ける信心

昨日は、天候の上に思う以上のおかげを頂き、春季霊祭をお仕え申し上げることが出来ましたことは真に有難いことでした。教徒・信徒が共々に霊神様にお礼申し上げ、霊徳高くなられご安心なさいますように御祈念させて頂けましたことは、真に有り難いことでございます。

★あるご信者の御主人が、長年に亘り胸の病気を患われ、30代半ばでご信者と3人の小さい子供を残して、お国替えされました。御主人は病床に伏しておられましたので、収入もなく多額の借金もあり、お葬式も出せない状態でした。そこで、二代教会長伊藤コウ師が「教会が引き受けてあげましょう。」と仰って、お葬式が有難く仕えられたのでした。

★親戚が集まり、今後のことを色々と話し合いなさって、3人の子供を別々に三軒の親戚が引き取ったらどうかという事になり、奥様は働きに出るか、または再婚を考えた方がよいのではないかという話が出たそうです。コウ師はそんな話しを親戚の方々がしていることは全くご存知ではありませんでしたが、お祭りの席上で奥様に[これからは神様におすがりして、誰にも頼らずに生きていきなさい。しっかりと3人の子供を育てさせてもらって、それぞれ立派に一人前になって、社会のお役に立つ人間に育てることが親の務めであり、責任です。親子4人で一緒に生活していきなさい。ご主人の一年祭を仕えさせて頂く時には、親戚の方々を呼んで、ごちそうして「私達はこのように結構にならせて頂きました。」と言わせてもらえるおかげを頂きなさい。]とみ教えなさいました。親戚の方々はびっくりなさったそうです。

★そして、コウ師より、「しっかりと働いて生活が立ち行くおかげが頂けるように、親子で毎日朝参りを欠かさず、一つ一つ神様にお願いしてさせてもらいなさい。これからは何でも教会に言いに来なさい。物を買うのでもすべて神様にお届けして買わせて頂きなさい。」とみ教えを頂かれ、奥様はそのみ教えを守られ、神様を杖にして、今までしたことのない商売をさせて頂き、借金を返しながら、赤字を出さない生活をされました。お結界でお取次ぎを頂いて、お許しを頂いた物だけを買わせて頂くようにするという生活をされますと、少しずつ貯金が増えていかれたのでした。

★20年後には、上の娘さんは結婚され子宝を授かり、息子さんは御主人がしておられた料理の道を歩ませて頂かれたのでした。一番下の息子さんは、自分の家を購入できるほど結構になられたのです。子供3人がバラバラになりましたら、霊神様となられた御主人に安心して頂けなかったでしょう。後に残った者が、しっかりと信心をして神様を杖にしていきますと、道をつけて下さり、霊神様にご安心して頂き、さらには生き生きとお働き下さるのです。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:03 | 平成30年の「み教え」

2018年03月21日

●親も神様も共に辛抱し、願って下さっておられる

二代教会長・伊藤コウ師が13才の年に肋膜炎・腹膜炎を併発され、医者もさじを投げてしまわれました。その時、昼夜なく看護に努められた御母堂ハル氏は、「この私のご無礼により、幼い子供がこんなに苦しんでおります。数々のご無礼の点、何卒お許し下さいませ。今日迄この子を私の子供だと思っておりましたが、これは大きな間違いでした。今日限り私の子供だとは思いません。」と、一心にお詫びを申し上げられました。

さらに、「成長後も決して伊藤の家の為には使いません。神様の御用にお使い頂けるような人間に育てさせて頂きますから、今一度、神様のおかげによりまして弱い体は強い体に作り変えて頂きますように、どうか宜しくお願い致します。」と一心に願い続けられました。

すると、骨と皮のガリガリの細い体に、お腹だけは腫れている状態であられたコウ師は、2週間で全快のおかげを頂かれたのでした。その後、ハル氏が何十年と願い続けられご修行して下さったことにより、コウ師はお道の教師としてお引き立て頂かれ、現在の阿倍野教会の礎が築かれていったのです。

★神様は、可愛い氏子に決して無駄事をなさることはあられません。与えて下さったご修行は、氏子の成長のためであり、おかげを頂いてほしいと願って下さってのことです。それは、氏子だけが辛抱しご修行しているのではなく、神様も共に願って下さり、ご辛抱して下さっているのです。神様はどのように願って下さっているのか、神様の願って下さっているところを自分自身が気付かせて頂き、悟らせて頂くことが大切です。その為には、まず親の心を悟らせて頂くことの出来る私にならせて頂けますようにおかげを頂かねばなりませんね

★本日、お昼の2時から春季霊祭をお仕え申し上げます。共々に参拝させて頂き、霊様にお礼を申し、一層のご霊徳とご安心を頂かれますようお祈りさせて頂きたいと思います。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:05 | 平成30年の「み教え」

2018年03月20日

●自ら進んで有難くさせて頂く

ある学生さんは「めんどくさい」「しんどい」が口癖でした。何か事にあたる時には、すぐにイライラして辛抱が続かなかったので、ご両親は「どうぞ子供がイライラせず、しんどい・めんどくさい、という言葉を出さずに、喜んでさせて頂けますように」とお願いをなさっておられました。近頃では段々と辛抱が出来られるようになり、学校での生徒会の活動やクラブ活動、塾に通ったり習い事までさせて頂けるようになられたことは本当に有難いことです。

★先日その学生さんに「言われてする・仕方ないからする・決められたから嫌々するということでは能率も上がりませんし、楽しくもありません。ましてや有難いとも思えませんね。有難いと思えるようになろうと思いましたら、自分から進んでさせて頂かねばなりませんよ。

自ら進んでお願いしてさせて頂くということになりましたら、しんどい・めんどくさい、ということは無くなっていきます。能率も上がり、楽しくさせて頂けて、二度手間三度手間がないということにならせて頂けますよ。

ですから、信心も勉強も御用も自分から進んでさせて頂けるように[有難くさせて頂けますように、好きにならせて頂けますように]とお願いをしていきましょう。その為にも朝参りをさせて頂いて、み教えを頂いて、今日一日のことを[今日はこれとこれがありますから、どうぞ順序良く、時間の使い方が間違いなく、無理無駄がありませんように]とお願いさせて頂いておかげを蒙らせて頂きましょう」とお話をさせて頂いたことでした。

★三代金光様は『有難い、有難いとばかり思う人には、有難いことばかりできてきます。』とみ教え下さいました。信心させて頂くことも、御用させて頂くことも自分から進んで有難くさせて頂くということはどれほど大切であるかと思わせて頂きます。三代金光様のみ教えとは正反対に、毎日愚痴不足ばかり言っている人には、愚痴不足を言わなければならないことが次々と起きてくるということですね。

それは自分自身が呼び寄せているのです。人生においても、良い方向へ良い方向へおかげを頂いていくには、自分自身が有難く信心をさせて頂いて、身に徳を頂いてゆくことで、良い運を開いてゆくことになるのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:54 | 平成30年の「み教え」

2018年03月19日

●一回一回の参拝の積み重ねによって…

昨日は、天候気象の上にも、全てに於いて万事万端にご都合お繰り合わせを頂きまして、団体列車1車輌とバス6台を運行させて頂き、御本部御礼参拝を共々におかげを頂きましたことは、真に有難いことでございました。

★四代金光様がご生前中、スーツをお召しになられて、病院に受診なさる前にお広前にお出ましになられた時のことです。お広前でご祈念されているご信者の後ろを通って、四代金光様がご神前の中央までお歩きになられ、ご祈念なされました。その後、霊様をご拝礼なさる時に、そのまますっと横へお歩きになって行かれるのではなく、またご祈念なさっておられるご信者の後ろを通られて、霊様の前へ進まれてご拝礼なされたのでした。ご祈念が終わられますと、またご祈念なさっておられるご信者の一番後ろを通られて、中へお入りになられたということです。

★このお話を、私が金光教学院に在籍中、御本部で御用なさっておられた先生から聞かせて頂いたのです。四代金光様は、後ろでご祈念なさっておられたご信者がありましたので、そのご祈念なさっておられるご信者の前を横切りますと、神様との間を遮ることになりますから、わざわざ後ろを通られてご神前と御霊前まで進まれたということです。そのお話を聞かせて頂いて、何とも尊いご姿勢であられるなあと有難く聴かせて頂いたことでした。

★一回の参拝によって、み教えの全てを頂いて帰るという事は出来るはずもなく、ほんの一部分しか頂く事が出来ません。しかし、一回一回の参拝の積み重ねによって、「こういうご信心であられるのか…、このように心掛けておられるのか…」等と、自分自身が「今日は一部分でも頂いて帰らせて頂こう!」という心持ちが大切です。頂いても頂いても至らないことばかりですから、常に頂き直してゆく心構えを持ち続けてゆくことが大切だと思わせて頂きます。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:00 | 平成30年の「み教え」

2018年03月17日

●お礼を申しながら生活する

先日お宅祭に行かせて頂きました時、そのご家庭の子供さん達に「あなた達が住まいさせて頂いているお家は立派で有難いですね。お父さんとお母さんが一生懸命働いて下さるからですよ。それだけではなく、おじいさんとおばあさんが一生懸命働いて下さったから、こうして生活させて頂けるのですよ。ですから、お食事の時にただ手を合わして[いただきます]と言うだけではなく、[おじいさんおばあさん、お父さんお母さん有難うございます。今日もこうして美味しいお食事が頂けます。おじいさんおばあさん、お父さんお母さんが働いて下さるからです。有難うございます。]とお礼を申すのですよ。

また朝起きさせて頂いたら[目を覚まさせて頂いて有難うございます。昨日は有難うございました。今日もよろしくお願い致します。]夜休ませて頂く時には[今日は有難うございました。どうぞゆっくり休ませて頂けますように。明日もよろしくお願い致します]と御祈念をさせて頂くのですよ。そしてお礼にお掃除をさせて頂き、御礼に整理整頓をさせて頂くのです。」とお話しをさせて頂いたことでした。

★親の働きのおかげで後々の者が生活をさせて頂いているのです。産んで頂いたお礼、お育て頂いたお礼をさせて頂く為に「親孝行させて頂けますように!」と願いながらも、まだまだお世話になることが多いですね。『信心は親に孝行するも同じこと』とみ教え頂いておりますが、信心のある生活とは、親が子供のことを拝み子供が親のことを拝み、ご主人が奥さんを拝み、奥さんがご主人を拝む。お互いに拝み合いをすることが大切です。その中に神様がお働き下さり、あいよかけよで立ち行くのです。

★私達は神様のお徳の中に生活させて頂いております。天地があって私達が日々生活をさせて頂いているのですから、天地全体のお世話になっていることにお礼を申し、全てに手を合わせてお礼を申させて頂くのです。天地の親様、教えの親様、産みの親、育ての親、親のお世話になって毎日の生活をさせて頂いていることを忘れずに、信心を基にしておかげを蒙らせて頂きましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:56 | 平成30年の「み教え」

2018年03月16日

●一心にみ教えを守ると神様が守って下さる

昨日は、卸売市場で果実商をなさっておられる岸本氏のお父様の御命日でした。岸本氏のお母様がご近所の方にお導き頂かれ入信なさったのです。二代教会長伊藤コウ師の、有難いみ教えを頂かれたお母様は、感銘を受けられて朝・昼・夜と熱心に日参しておられました。ある時お父様が「どんな有難い話が聞けるのか…」と半信半疑で教会へ参拝され、コウ師のお説教を聴かれたのです。隠れるようにして参拝なさったお父様は、有難いお説教を感涙して聴かれたのでした。そうして、帰る道々、「親先生のもとで、家内と共にご修行させて頂こう」と決心し、帰宅され奥様に伝えられますと、赤飯を炊いて喜んで祝われました。

★それからというもの、お父様は一心に日参と聴教に励まれ、今までの生活や商売の在り方を改められ、どうあっても金光様の信心を子々孫々まで続けさせて頂くために、帰教式を願われ、翌年に帰教式を仕えられたのでした。

★お商売についてコウ師より、「恩借をしない。金融機関に借金をしない。一升瓶には、一升しか入りません。一級酒に特級酒のレッテルは張れませんよ。収入の中で支出をするように。そして、ごまかしのないように、背伸びをしないように。」とみ教えを頂かれたのです。お兄さんから借りていた店の準備資金は返され、神様におすがりなさって、収入の中で支出をするという分相応な商売をされたのです。店舗は大変狭く条件の悪いところにもかかわらず、頂かれたみ教えを守られ、実意丁寧正直親切を以って、お客様に接客されましたら、日勝り、月勝り、年勝りに繁盛のおかげを頂いてゆかれました。

★借家でお宅祭を仕えられた時には、お祝詞の最中に大雨が降ってきて、タライやバケツや鍋で雨漏りを受けられたほどの不自由があられたのですが、辛抱なさって有難い時期に、教会近くへ家購入のおかげを蒙られたのでした。

★入信当初は、み教えを守らせて頂くことに、苦労と努力を要されたそうですが、頂かれたみ教えを一心に守られた信心により、現在も子孫へと家業と信心の相続のおかげを頂かれ、繁盛させて頂いておられます。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:51 | 平成30年の「み教え」

2018年03月15日

●わが心の改まりがおかげの元

以前、お商売をなさっているあるご信者に、「商売をさせて頂く上では、二度手間三度手間のないように心がけましょう。以前に納品の際、間違いがあって先方にご迷惑をおかけしたことがありましたから、再度、相手先にご迷惑をかけることのないように、実意丁寧に何度も確認をしてから納品することを心掛けましょう」とお話しさせて頂きました。するとそのご信者が、「結構なみ教えを頂きました。さっそく、下請けの業者に伝えたいと思います」とおっしゃいますので、「そうではありませんよ。私はあなたにお話をしているのです。あなた自身が改まらなければ何もなりません。み教えは、自分自身に頂くものですよ。」と、伝えさせて頂いたことでした。

★二代金光四神様は、『一、信心は、立ち聞きする心で信心することを心がけること。』と、み教え下さっておられます。耳だけではなく、心をしっかりと向けさせて頂いて、み教えの真意を受け損なうことのないように、心がけなくてはなりませんね。また、『一、信心は、わが身わが心に克つことを心がけること。』とも、み教え下さっておられます。「自分は間違っていない。間違っているのは相手の方だ」「自分ばかりが我慢している」という思いがあるうちは、いくらみ教えを頂いても、自分が改まることが出来ません。

★問題が起こった時に、人のせいにしたり、環境のせいにしていては、何の解決もありません。相手に悪意を持ったり、相手との関係を切り捨てるような思いになっては、道は開けてゆきません。心は常に神様に向かわせて頂き、相手の立ち行きと、自分の改まりをどこまでも願わせて頂くのです。そうして、謙虚な気持ちでみ教えを頂き、一心に神様にお縋りする心にならせて頂けば、自分も助かり、相手も立ち行くよう、全て神様がご都合お繰り合わせ下さるのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:56 | 平成30年の「み教え」

2018年03月14日

●皆が助かる為に…

昨日は、平成18年に82歳でお国替えいたしました、家内の父の御命日でありました。家内の父は大変辛抱強い人であられました。家内には、姉が4人兄が一人で計6人の兄弟です。一人息子である兄は、第五管区海上保安庁に勤めておられました。

★昭和55年、兄は仕事の帰りに車ではねられ、意識不明の状態で病院に運ばれましたが、28歳という若さでお国替えされました。相手の方は、20歳くらいの若い方で、その父親は家内の父に土下座して謝罪されました。家内の父は、警察へ行かれて「相手の方はまだ若く将来がありますから、なるだけ罪を軽くしてあげて下さい。」と嘆願書を出されたのでした。一人息子を亡くした義父にとって、大変悲しい出来事でありましたが、その後、義父は生涯恨みがましいことを一切口に出されませんでした。義父は、相手を恨むのではなく、皆の幸せを願われ、後々にめぐりを残されぬように祈りに変えられたのでした。それは、どのようにすれば、霊様となられたお兄さんをはじめ、家族、加害者の方が後々結構に立ち行く道につながるかを考えて下さったからだと思います。私は、義父のそのような生きられ方を大変尊敬しております。

★有難いことに、家内の父がお国替え後、家内のお姉さん御夫婦が実家の姓を受け継いで下さり、後継に入って下さったのです。現在は、家内の父から申しますと、ひ孫にあたる方まで実家の姓を受け継いで下さっており、大変有難いことと喜ばせて頂いております。

★二代金光四神様は、瀬戸廉造師に信心の心得を箇条書きにしてみ教えを下さっています。
1)信心は立ち聞きをする心で信心すること。
2)信心は我身我心に克つことを心がけること。
3)堪忍辛抱を去って、自己の不行き届きを悟ること。
4)ただ一心に願って我が心に思い来る曇りを払うこと。
5)めぐりがきても我が心を苦しめず、明日の幸福の来ることを楽しみに願う事を心がけること。
金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:53 | 平成30年の「み教え」

2018年03月13日

●お礼・お詫びの足らないことの自覚

『人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである。だから、家族が一人よりは二人、二人よりは三人、三人よりは五人と大勢いるほど、家庭の中に種々の難儀がある。幸いに信心をしていると、まあ、それを除いていただくのであるが、下地(生まれつき)の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかも知れない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける。』

★教祖様は42歳の御頃に、のどけという九死に一生の大患を経験されました。その当時、母屋を建築・移転なさった頃で、そのご建築に際して日柄方位に捉われる等、神様にご無礼があったことに気付かれたのです。その時「この度の建築に当たり、どの方角へ無礼しておりますか。凡夫で相分かりません。方角を見て済んだとは、私は思っておりません。以後、ご無礼のところ、お断りお詫び申し上げます」と神様に心からお詫びなされたのです。

★お詫びをなさった教祖様に対して、神様は「いま言うた氏子の心得遣い、その方は行き届いておる」と認めて下さいました。そして「この度は熱病では助からないので、のどけに神がまつりかえてやったのぞ。神徳をもって神が助けてやる」と仰せになったのです。教祖様は常に、「私共人間の生活にはどこまでも至らないところがある」という心持ちであられたのです。

★心も体もおかげを頂かないことには、手も足も思うように動かせず、充実した働きになっていきません。何事も自分の力ですると思いがちですが、それは大きな心得違いであります。み教えを頂いてご信心を進めさせて頂きましたら、より一層謙虚な姿になり、実意丁寧にならせて頂けます。それは「自分には分かっていないところがたくさんある」ということを分からせて頂けるようになるからです。お礼・お詫びの足らないところを、しっかりと分からせて頂いた上で、正しいお願いをさせて頂くのがお道のご信心です。どこまでも謙虚に「神様・霊様に、私共が分かっていないところ、見えてないところをお守り頂いて、結構なおかげを頂いております。有難うございます。」と丁寧にご祈念させて頂くことが大切です。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:54 | 平成30年の「み教え」

2018年03月12日

●共に助かる道を歩む

『死んでおかげの者もあり、命をつないでもろうておかげの者もある。いっさいがっさい、この世のことは神様のご支配じゃから、親神様のおかげに任すよりほかはない』

★ここにみ教え頂いております深いご内容を、本当に理解させて頂く事が大切である、と思わせて頂きます。また『ご信心しておるのに死んだりすると、おかげがなかったと言うて、信心をやめる者があるが、信心して死ぬる者はうちの者の身代わりになっておることがあるから、後々の者がご信心して達者で繁盛せぬと、せっかくの身代わりになった者を無駄死にをさしたことになり、なお不幸せが続くことがあるぞ。うちの者が難に負けぬご信心をすることが第一ぞ』のみ教えからも、深く大切なご意味を読み取らせて頂く必要があります。

★家族中が健康で長生きさせて頂くことを、誰もが願っておりますし、また神様の一番のお喜びは、氏子が代を重ねて子孫繁盛・家繁盛のおかげを頂くことだとおっしゃるのです。そうした中で、人の誕生と人のお国替えにどのようなご意味があり、過去・現在・未来を通して、その家にどのようなおかげを受けことになるのかは、神様のみがご存知のところです。神様はどの様に願って下さっているのか、神様の願って下さっているところを、私達氏子が気付かせて頂けますように、と願うことが大切ですね。

★家族や親しい方がお国替えされるという事は、誰にとっても大変辛いことです。しかし、残して頂いている家族の身代わりになってお国替えなさっている、ということであれば、その一つ一つを、大きな思し召しの中の出来事として捉えるところに、霊様になられた方も残して頂いて生かして頂いている方も、共に助かる道が開けるのです。そして、残された者の役目を自覚して、信心を基に健康で繁盛し、一日一日を大切に、与えて頂いている生活すべてを、心から有難く頂くところに、本当のご信心に近づかせて頂くことが出来るのです。

★阪神淡路大震災や、東日本大震災という私達が経験させて頂いたことは、後世に正しく伝えさせて頂き、正しい生き方を示していかねばならないと、改めて願わせて頂いております。21日の春季霊祭にも、真心込めてご奉仕させて頂き、引き続き霊様方の助かりと立ち行きをお願いさせて頂きたいと願っております。天地のお働きによって、生かされて生きているということを悟り、現在頂いている生命を大切にし、世のお役に立たせて頂けるよう、日々信心の稽古を進めさせて頂きましょう。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:16 | 平成30年の「み教え」

2018年03月11日

●全てはおかげの中に

初代教会長・伊藤徳次師は、大正15年10月28日、32歳の若さでお国替えになりました。「おかげやで、おかげやで」と、仰せになりながらの、尊いお国替えであられました。

★「自分が肉体の働きを終えて霊となることはおかげである。そのことによって信奉者一同がおかげを受ける。伊藤家もおかげを受ける。」と、死んで霊となることをおかげの中の出来事と言い残されたのです。

★二代教会長・伊藤コウ師も、初代教会長先生のお志を受け継がれ、「何が何でもおかげにせねばならない。初代の先生は24才でスペイン風邪にかかり命の無いところを助けて頂き、8年間寿命を伸ばして頂いての、お国替えでした。そのことを神様にお礼申し上げます。 どうあっても初代教会長先生のご遺志を継がせて頂けます様に。」と、ご神意を一心に頂くべく、奮闘なさったのでした。

★命は、神様がお授け下さり、お引取り下さるのもご神意の中のことであり、神様にお任せするより他はないのです。家のめぐりを背負って家族の身代わりになってお国替えになる霊様もあられますから、その深い深いご意味は、私達には到底計り知ることが出来ません。しかし後に残った者が、信心を実意丁寧にさせて頂き、後々が健康で繁盛させて頂けるように、役目を全うさせて頂けるように、正しい方向へ家族親族を導いてゆけるように力を尽くしていくことが大切です。今日頂いている命に御礼を申し、命の元である神様のお働き、霊様のお働き、また親様のお働きに感謝して、精一杯お役に立つ働きがさせて頂けることを願わせて頂きたいと思います。

『自分の思うとおりを聞いてくださるのがおかげとは限らぬぞ。死んでおかげの者もあり、命をつないでもろうておかげの者もある。いっさいがっさい、この世のことは神様のご支配じゃから、親神様のおかげに任すよりほかはない。ご信心しておれば、その時は都合が悪いようでも、神様の仰せにそむかずにおると、後になってから、あれもおかげじゃった、これもおかげじゃったということがわかってくる。これがわかるくらいの信心をせねば、信心するかいがないぞ。』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 06:01 | 平成30年の「み教え」

2018年03月10日

●親孝行・ご恩返しを願いの中心に

大正15年10月28日、阿倍野教会(旧広前)ご建築を目前に、初代教会長伊藤徳次師がお国替えなされました。徳次師の10日祭をお仕えさせて頂く日に、建築に携わっていた方全員が、教会長夫人であるコウ師に対して、建築委員総辞職という連判状を提出なさったのでした。

★コウ師は、その連判状をご神殿にお供えされ「人を頼りにせず、神様を頼りにしなさいとの良い機会を与えて頂きました。ありがとうございました。人に建てて頂く教会は人の教会、神様に建てて頂いた教会は神様の教会。どうぞ、恩借やご信者の分担金、銀行借入金なしで建てさせて頂きますように」と神様に御礼を申され、お願いなさったのでした。

★境内地の土地は購入済みで、建築用の木材が積んである中、工事は一旦中断されました。ご建築にご尽力下さった竹本駒蔵師は、その状況を見られて「建築は到底先になるだろう」と思われて、京都に帰られたほどのことでした。そんな中、コウ師は神様に「初代教会長先生のご遺志を何としても受け継がせて頂けますように。私は現在32歳でどんなご修行もさせて頂く所存でございますが、母親が68歳ですので、お広前のご建築が3年先、5年先と悠長なことは言っておられません。母親が元気な間に建築させて頂いて、ご安心頂きとうございますので、1年間でおかげが頂けますように。」とお願いなさって、四面楚歌の中ご建築に取り掛かられたのです。コウ師は、初代教会長先生のご遺志を引き継がせて頂きたいと願われる心と、親の心を思う心を両輪になさって、真心で一心に神様におすがりなさったのでした。

★ある時、竹本駒蔵師より、建築費の7割程の現金を「無期限・無利子ですから、遠慮なく使いなさい」とわざわざ京都からお持ち下さいましたが、コウ師は丁寧にお断りになられました。すると、竹本師は「それでは、お供えさせて頂こう」と仰って下さいましたが、コウ師は「先生がお供えなさるのは、御本部があられ、親教会があられますから、それは筋違いでございます。神様の心に適いませんので、お受けすることはできません。」とお断りなさったのです。そしてついに、借金なし、分担金なし、寄付の強要なしで、翌年の昭和2年11月11日、開教5年の記念大祭と新築落成の祝祭を盛大に奉行させて頂くことが出来られたのでした。
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:40 | 平成30年の「み教え」

2018年03月09日

●今日まで生かして頂いたお礼の働きを

昨日は、みかげ会総会が開催され、小畑氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。

★小畑氏は大学院卒業後に海外の大学院に留学をなさり、海外で2年間研究員生活を送られた後に、帰国なさり大学の助教授として迎えて頂かれたのです。しかし、海外での研究員生活と日本社会とのカルチャーショック、環境の変化や精神的なストレス等によりアレルギー性鼻炎の症状が現れ、ひどい時には頭痛で一日中横になっていなければいけないような状態になられました。そんな時、遠ざかっておられたお広前に参拝され、三代教会長先生にお取次ぎを頂く気になられたのです。

★三代教会長先生はあるご信者のお話をして下さいました。そのご信者も大学に勤められるようになってノイローゼにかかってしまい、家から出られない状態になったそうです。家の人に連れられて参拝なさったそのご信者に、三代教会長先生は「お礼の心が足りません。これまで結構に生かして頂いてきたことを神様にしっかりお礼申しなさい。例えば40年生かして頂いたなら、これから40年はお礼のご信心御礼の働きをさせて頂けるように願いなさい。そしてどこに行くにもいつも御神米を身に付けさせて頂きましょう」とお話しなさり、おかげを頂かれたというお話でした。

★小畑氏は、今までの自分は自己中心の考えで何事もしてきて、感謝の気持ちや謙虚さがなくなっていたということに気付かれました。それからどこに行かれるにも御神米を身に付けられ、心も元気になられ、アレルギーの症状も軽くなるおかげを蒙られました。小畑氏は今日まで70年生かして頂いた御礼を土台に、これから命ある限りお礼の働きに打ちこませていただけますよう、そしてこの有難いお道のご信心を子孫に相続させて頂けますようにと心新たに願いをお立てになっておられます。

★今日という日がどういう日であるかということについて、三代教会長先生は『今日と言う日は過去一切を含んだ今日である。そして今日以降、未来一切を救うことの出来る今月今日でもある。(中略)人間が真に幸せになる生き方は今月今日にあるのです。』とみ教え下さっておられます。今月今日を大切に、それぞれのご信心をしっかりとさせて頂いて、銘々がお徳を積ませて頂く事を目標にお礼の働きを生涯かけて心掛けさせて頂きましたら、何もかもが思う以上に有難いおかげを蒙らせて頂けるのだと思わせて頂きます。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:55 | 平成30年の「み教え」

2018年03月08日

●心と体の正しい使い方

三代教会長先生が中学生の頃、伊藤ハル氏(伊藤コウ師のご母堂)に、「学校の先生から、私ばかり用事を言いつけられて、いつも帰るのが遅くなってしまいます・・・」と、ご相談なさったことがあられました。

★ハル氏は、「組に50人程も生徒がいる中で、あなたに用事を言って頂けるということは、あなたに用事を頼んだら安心やと、思って頂いてのことですよ。用事をするのが損だと思うのは間違いです。用事をさせて頂くことでお徳を頂いて、より一層お役に立つ立派な人間にならせて頂くことが出来るのです」と、み教え下されたのでした。

★人より多く用事をすることは損で、人からしてもらう方が得だと思うのは大きな間違いです。これまでの御礼に、手足を使い、心を配らせて頂くことによって、より一層お役に立つ働きをさせて頂けるような、心と体に作り変えて頂くことが出来るのです。お徳とは、自らの働きによって頂けるものなのです。

反対に、自分のことだけにしか、時間も体も使わないような生活をしていると、手足の働きも、心の働きも疎かになっていき、役に立たないものになっていってしまいます。世の為・人の為になり、人に喜んで頂き、神様に喜んで頂けるような御礼の働きをさせて頂くことが、お徳を頂く有り難い生き方なのです。

★また、人から注意を受けるのは損で、黙って許してもらうことが得だと思うのも、間違った安易な考え方です。厳しく教えて頂けるということは、「この人間なら、教えたことを分かってもらえるだろう。そして一層成長してくれるだろう。」と、願って頂いてのことです。人から教えて頂くこと、また、神様から出来事を通して教えて頂くことや、ふと心に思わせて頂くことも、自分に必要なみ教えとして有り難く頂いておりますと、心も体も立派にお役に立つ人間へと、日々成長させて頂くことが出来るのです。

★『信心を、すぐに難しく考えるが何も難しい事はない。金光大神の言う事をはいはいと聞いておけばよいのじゃもの、楽なものじゃ』

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】
金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆

posted by 金光教阿倍野教会 at 05:42 | 平成30年の「み教え」

2018年03月07日

●ご信心を基にして、互いに助け合い願い合う

先日、あるお方が御礼のお届けに来られました。[この度は、有難いおかげを頂きまして、一千万円以上の借金を返済させて頂く事が出来ました。真に有難うございます。立ち行かない状況になっておりましたところ、立ち行くように全てにご都合お繰り合わせ頂きました。家業を終束させて頂いて、後始末をさせて頂いた時は、「これからどうなるのだろうか…。立ち行くのだろうか…。住む家はどうなるのだろうか…。残された借金は払えるのだろうか…。仕事はどうなるのだろうか…」等ばかり考えておりました。しかし、返済するまでの間、家族がみな健康で夫々に働く場所を与えて頂き、住む家も仕事も与えて頂いて、月々ずっと返済させて頂くおかげを頂きました。願う以上におかげを頂き、有難い事に無事に生活させて頂いて、昨日で返済を終えさせて頂きました。有難うございました。]とお礼申されました。

★健康のおかげを頂かないと働けませんし、勤務している会社が繁盛しなければ雇って頂く事も出来ません。また自分の働きを認めて頂かなければ、働くことが出来ません。家族の内でたった一人でも仕事を与えて頂けませんと、生活が成り立ってゆきません。健康で円満で、家族がみな力を合わせる事が出来る、ということが大前提で、それが崩れてしまいますと、たちまち立ち行かなくなってしまいます。「大丈夫だ。皆が協力するのは当たり前だ。」と思っていましても、油断をしますと、あっという間にバラバラになり、もろくも崩れてしまいます。そういう危うさを、みな秘めているのです。

★そこをご信心を基にして、一人一人が神様と繋がっておりますと、家族がみな勢を揃えて力を合わせて、一つの方向へ努力をさせて頂く事が出来るのです。それには願いが一つになっていかなければそのようにはなってゆきません。親が願っているところを子どもが共に願わせて頂き、また子どもが願っているところに、親が共に願わせて頂き、兄弟が共に同じ方向を向いて歩ませて頂く事が出来るのは、おかげを頂いてこそです。

★ご信心を基にして、銘々にご信心を長く続かせて頂き、互いに助け合い願い合いをして、共におかげを頂いてゆく道を歩ませて頂く事が、長く繁盛させて頂く基となるのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:50 | 平成30年の「み教え」

2018年03月06日

●手厚い信心

工場を経営なさっておられるご信者は、機械の一つ一つに御神米をお祀りさせて頂いて、毎日出社されますと、機械一つ一つ丁寧に拝んでおられます。毎日お取次ぎを頂かれて、機械を拝まれ、従業員の方を拝まれ、出来た製品を拝まれる、というように、実意丁寧な油断のない信心をなさっておられます。そうして、物言わぬ機械に対しても、御礼を申して使わせて頂きますと、神様がお引き立て下さり、納期に間に合うように製品が作られ、繁盛のおかげを頂いておられるのです。

★日々、人に対しても物に対しても御礼を申し、また事の大小、軽重を問わずに御祈念させて頂く、手厚い信心をさせて頂きましょう。

★私達は日々の生活の中で、小さなことから大きなことまで何事によらず、御祈念してさせて頂いているでしょうか?

★事の大小や軽重を問わず、何事も「生神金光大神様、天地金乃神様…」と心中御祈念してからさせて頂く稽古をさせて頂きましょう。心がけていなければ、仕事の上でも、家庭の中でも「これは荷が重い、大きなことだからお願いしよう。」、「これは小さな軽いことだから自分でできる。」となりがちです。そういうことを続けてゆきますと、目の前の利害損得や出来事にとらわれて、本質的な部分を置き去りにしてしまうのです。物に対しても、安いからとか古いからと、いい加減な使い方をする。高いからとか新しいから大切に使う、というような使い方では、本質的な部分を見ることができていませんね。物を大切に拝めるようになれば、物の価値が分かるようになります。四代金光様は『実意を込めてすべてを大切に』とみ教え下さっています。

★『病気災難があったからと言うて、にわかに信心を始めるよりは、常平生から手厚く信心をしておれ。手厚い信者であれば神から心配してやる。いかに大病とか九死とかいう病難でも峠をこえさせて全快させてやる。とかく信心の地を肥やしておけよ。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:40 | 平成30年の「み教え」

2018年03月05日

●正しい願いを持つ

 阿倍野教会のご布教の初め頃、ある方が参拝なさって、伊藤ハル刀自に悩みを聴いて頂かれました。

★その方の家には、ある、身寄りのない人が居候しており、その人は腎臓の病気によって体が浮腫で腫れ上がって、働くことも出来ないので、居候を決め込んで居ついてしまっている、ということでした。ほとほと困って参拝なさり、「この神様はどんな願いでも聞き届けて頂けると聞きましたので、どうぞ、厄介者の居候が、早く死ぬようお願いしてください」という、お願いだったのです。

★ハル刀自は、「天地金乃神様は、この天地を丸生かしなさっておられる命の親様です。どんな人間であっても、神様の可愛い氏子です。ですから、『死にますように』というようなお願いは出来ません。『そのお方の浮腫が治って、元気になられるように』というお願いなら、させて頂けます。教会でもお願いさせて頂きますが、願い主であるあなたが、しっかりお願いさせて頂きましょう。3日で、浮腫がひくよう、しっかりお願いさせて頂きましょう」と、み教え下さったのでした。

★そうして、み教え通りにお願いさせて頂いておりますと、本当に3日で体中の腫れがひいて、元気になる大みかげを頂かれたのでした。そして、「私のような者を、ようお世話して頂いて、有り難うございます。このご恩は忘れません。」と、御礼の心に満ちた人に変わらせて頂かれたのでした。そうして、お世話なさるご信者も、お世話になられた方も、双方心のおかげを頂いて、有り難い日々を送らせて頂かれたのでした。

★子供の頃から教会に参拝させて頂いて、子供会、学生会、青年会…と各会でお育て頂くことによって、神様のお心に適う正しい願いの立て方、また、全ての命を大切にさせて頂く、有り難い生き方を教えて頂くのです。そうして、ご信心によって、世の中のお役に立つ立派な人が次々と育っていかれるよう、信心の稽古に励ませて頂き、また、お導きのご用にしっかりお使い頂きたいと思います。


【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会

 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:52 | 平成30年の「み教え」

2018年03月04日

●守り続けて下さり、与え続けて下さることに対して

3月21日には春季霊祭をお仕えさせて頂きますが、霊様方のことを願わせて頂くことが出来るということが有難いのです。生き死にを通して生神金光大神様のお取次ぎを頂いて、生き死にを通して天地金乃神様の御神徳を蒙らせて頂いて、おかげを頂かせて頂くということを共に願わせて頂くのです。「亡くなられた霊様のことを知りませんから…」ということでは真心が足りないですね。

★子供のことを願うのは親の役目でもありますが、無償の愛でもって、無条件に願うのが親であります。子供が幸せになるからこそ、親も幸せを感じるのです。同様に、私達子孫が助かっていくことをご先祖の霊様方も喜んで下さっておられます。

慈愛深く願って下さっておられるご先祖の霊様方に対して、子孫が「どうぞ御霊様方も助かって下さり、御安心頂けるような子孫にならせて頂けますように。また御霊様方のことを願わせて頂ける私にならせて下さい」とお願いをさせて頂いて、願って頂いている万分の一でもお返しをさせて頂くのです。

★愛情にも様々な表し方「好む愛」「求める愛」「与える愛」がありますが、吾に注いで頂いている愛に「応える」という愛情の表し方があります。親子の間でもそうですし、神様と氏子の間でもそうです。

「こうして欲しい」「ああして欲しい」という求めることばかりをしてしまいがちですが、守り続けて下さり「見返りを求めずに与え続けて下さる愛」に対して「応える愛」が大切です。

その為には知恩(生かされて生きている、おかげの中で生活をさせて頂いていることを知る)・感恩(御恩を感じる。お世話になっているすべてに対してお礼を申す心にならせて頂く)・報恩(日々御礼の心で、ご恩返しの心で働き、御恩に報いる生活をさせて頂く)の心、即ち真心が育っていかねばなりません。真心を育てていくということが信心向上の根本になっていくのだと思わせて頂きます。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:50 | 平成30年の「み教え」

2018年03月03日

●反省と改まりのよい機会

先月、24日頃から喉に異変を感じ、だんだんと喉の痛みが強くなって、月例霊祭の日には声の出にくい状態になりました。それから熱も上がって参りまして、随分皆様にご心配をおかけしたことでした。有難いことに、熱もお取り払い頂きまして、およそ心配のないように体調回復のおかげを頂いております。

★当初は、喉が痛みますので、御洗米さんやお粥は頂く事が出来たのですが、他のものは全く飲み込むことが出来ませんでした。そのことを通して、あれもこれも食べたいと思えることは、素晴らしいことではあるけれども全く我欲であって、本当に必要な時に、必要なものだけしか頂けないものだということが分かり、必要な食物を頂くことが出来るということは、本当に有難いことであるのだなあと実感させて頂きました。

★「立って半畳、寝て一畳」という言葉がありますが、生活させて頂いている空間や、身に付けさせて頂くもの、また食事を頂くという生活の基本のところ、即ち衣食住には、与えて頂いていることを充分に満足し、贅沢は慎むということが大切だと改めて感じます。また、体を思うように動かせることや、お風呂に入らせて頂ける事など、普段当たり前のようにさせて頂いていたことが、どれ程有難いことであったのかと改めて感じられました。そして、体調回復と共に体に溜まっている悪毒病毒等、不要なものを全てお取払い頂き、さらに一から考え直しをさせて頂く、良い機会を与えて頂いたことを神様にお礼を申し上げております。

★熱があったり、体に変調をきたしておりますと、味がわからなくなったりするのと同様に、おかげを頂いている有難さも分からなくなってしまうのでは申し訳ないことです。しんどいことや辛いことの方が先に立ってしまわないように改まらせて頂く所存です。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:58 | 平成30年の「み教え」

2018年03月02日

●井戸さらいをするが如く

あるご信者が、長年放置していた井戸を掃除するため、専門の方に依頼されました。安全を確保して井戸さらいをして頂きますと、スリッパの片方が出てきたり、ボールが出てきたりと色々なものが出てきたのです。それは、40年、50年も前にご信者が小さい頃に、いたずらをして放り込んだものがそのまま出てきたのでした。ご信者は、この井戸さらいを通して、何十年も前のことですでに忘れていることでも、自分がしてきたことというのは、勝手に消えてしまうものではなく、放っておきますと、いつまでも消えずに残ったままである、という事に改めて気付かれたのです。

★今起きている問題が解決すれば、それでよいという事ではないのです。自分のしてきたご無礼不行き届き・めぐりというのは、勝手に消えてゆくものではなく、信心させて頂いてお詫びをして改まり、お徳を積ませて頂かなければ、いつまでもお取り払い頂けないのです。過去一切にお礼とお詫びを申して、井戸水が清水になるまで改まりを進めてゆくことにより、井戸さらいができてゆくのです。そうして、井戸水が清水になりましたら、子々孫々、親戚中に有難いものが伝わってゆくことになります。積ませて頂いた徳は、自分自身だけではなく、過去の霊様も助かり、未来の子孫もおかげを頂いてゆく元になるのです。

★『ご信心しておくがよい。ご信心してあなたがおかげを受けると、あなただけではない、後々の孫、子、ひ孫の末の末までがおかげを受けるし、また、ご先祖・ご先祖の精霊御霊までが、あなたがご信心して、おかげを受けてくれるからと、安心してお浮かびなさる。あなたの受けたおかげは、いつまでも離れずについてゆくものじゃから、できるだけこの世でご信心して、おかげのもとを作っておくがよい。』『先の世まで持ってゆかれ、子孫までも残るものは神徳である。神徳は、信心すればだれでも受けることができる。神徳は尽きることがない。』
【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆
posted by 金光教阿倍野教会 at 05:52 | 平成30年の「み教え」

2018年03月01日

●体験を通しておかげを頂いてゆく

先日から、一度も経験したことのないような、喉の痛みを体験させて頂きました。御洗米は頂くことが出来たのですが、つばを飲み込み難く、食事を頂く事も出来難い状態でした。つい痛いところが生じますと、そのことばかりに気が捉われてしまいます。本来ならば、手も足も自由に動かせて頂き、横にならせて頂きますと、休ませて頂く事が出来、お礼を申さねばならないことがたくさんありますのに、お礼の申し足らないところがたくさんあったことだと、改めて思わせて頂きました。そこで痛みがあっても「金光様、有難うございます」とお礼を申しながら生活させて頂く事が、大切なことであるなあと改めて分からせて頂きます。

★また、不行き届きな点がたくさんございますが、その中でも自分の力で何事も出来ている、と考え違いをしていることが一番不行き届きなことです。神様・霊様のおかげを頂いて、周囲の方のお世話になって生活させて頂き、様々な方が補佐の御用をして下さり、また自分の身の回りのことは、家内が何もかも行き届いてして下さるおかげによりまして、休ませて頂く事が出来ているのです。そのことを考えさせて頂きますと、どれ程お礼を申さねばならないか、ということを分からせて頂きます。そこで、先日から神様に「どうぞ、私自身のここのところを改まらせて頂きますので、全快のおかげが頂けます様に」とお詫びを申して、改まらせて頂くところを誓わせて頂いております。そうしますと、有難いことに段々と症状も軽くして頂いて、お繰り合わせを頂いているのです。

★自分自身の経験することを通して、人の痛みや苦しみが理解でき、真剣に本気になって人様のことが願わせて頂けるように、必要な体験を神様がさせて下さっているのです。病気や厳しい仕事、或いは人間関係の問題など、今与えて頂いている出来事は、自分自身の本心の玉を磨いてゆく有難いご修行となってゆくのです。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

金光教阿倍野教会 公式ホームページへ◆

posted by 金光教阿倍野教会 at 08:16 | 平成30年の「み教え」