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2018年02月02日

●神の綱を離さない

『神の綱が切れたというが、神からは切らぬ。氏子から切るな』

★ある時、二代教会長伊藤コウ師は「神の綱とは一体どの様な綱でしょうか?ロープのようなものでしょうか。それとも鎖のようなものでしょうか。皆さんはどの様なものだと思われますか。」とお尋ねになられました。そして、「神の綱とは、神様から銘々に頂いたみ教えです。」と教えて下さいました。

★「あなたの家はこのようにおかげを頂きなさいよ。」と頂いたみ教えは、その家に必要だからお下げ頂いたものです。そのみ教えを、親の代も子供の代も、孫の代も曾孫の代もずっと頂き直してゆき、掴んで離さないようにさせて頂く事が大切です。皆それぞれに、日々為すことが成就させて頂けますようにとお願いさせて頂いて生活しております。ところが自分自身の不行き届きやご無礼によって、事が思い通りにいかないことがあります。それを「何ぞの祟りだ…。」とか「神様の罰が当たった。」等と思うのは、人間中心の考え方で、神様に大変ご無礼なことです。

★さらに言えば出来てきた事柄は、神様が私達氏子のことを思って下さり、与えて下さっているお気付けとも言えます。その神様の御心を知って、その御心に適う生き方が出来ますようにと願わせて頂き、「ご無礼があるぞ、今のうちに改まりなさい。」と慈愛深く与えて下さっている出来事を、取り違えることなく有難く受け切っておかげにさせて頂くことが大切です。 思い通りにいかないのは、私達氏子の方が神様の綱を離してしまっているからです。神様が氏子を見離されることは決してありません。ご慈愛に満ち満ちた天地の親神様の御心に応えさせて頂けますように、常に日参聴教を欠かさず、頂いたみ教えを掴んで離さず、素直に守り通してゆきましょう。

【金光教阿倍野教会 日参と聴教 おかげは足運びにあり】

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posted by 金光教阿倍野教会 at 05:41 | 平成29年の「み教え」