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2018年02月21日

●信じて疑わず、素直に頂く

御隠居様は御霊地でご祈念を込めて頂いた、御神酒の一升瓶を持って帰って来られては、ご近所に少しずつお分けになられました。周りの方々にもおかげを蒙って頂きたい、助かって頂きたいという願いを込めて、神様のお徳のおすそ分けをなさっておられたのでした。そこから、現在では信行期間のお直会として、一合びんをお下げさせて頂いております。日々ご祈念を込めさせて頂き、ご神徳に満ちたご神酒を有り難く頂けば、たとえ一滴であろうとも結構なおかげを蒙らせて頂くことが出来るのです。

★私は、幼い頃より中耳炎を患い、中耳炎から両耳とも難聴になっておりました。両親が御神酒を耳に付けてご祈念して下さり、自らもお願いさせて頂いておりましたら、年を重ねるずつによくならせて頂き、小学校高学年までには全快のおかげを頂き、何の支障もなく聞こえるまでにおかげを頂いてまいりました。

★先日、あるご信者が「リウマチに似たような症状で痛んでおります。温めたらいいのか、冷やしたらいいのかよく分かりません。」と仰っておられました。常に体に合うようにさせて頂くということは簡単なことではありませんね。羽衣教会二代教会長・松岡安枝師は、全身の関節リウマチで動くこともままならないような状態であられたところを、御神酒をつけさせて頂かれ、正座できられるようにおかげをいただかれました。最晩年まで、毎日阿倍野教会まで日参なさることが出来られたのです。医師が「座ることは出来ないですよ」と診断なさったのですが、伊藤コウ師が「ぜひおかげをいただきましょう。」とおっしゃってくださって、それを信じて直して頂かれたのでした。

★そこで「御神酒は有難いですよ。二代教会長先生が『御神酒を付けさせて頂いておりましたら、温めるべき時は温めて下さり、冷やすべき時は冷やして下さる』と仰っておられました。それを信じて疑わずに御神酒でおかげを頂こうという心にならせて頂きましたら、大変結構なおかげを蒙らせて頂けますから、そのようにお考えになられてはどうですか」とお話をさせて頂いておりました。

★石や金属等、重い物は水に沈んでしまいますが、船に乗せれば浮かびます。ご信心をさせて頂いて、おかげの船に乗せて頂けましたら、大変有難いですね。おかげの船に乗せて頂くには、頂いたみ教えを信じて疑わずに、素直に頂かせて頂くということが大切です。ご信心を基に生活をさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2018年02月20日

●常の備え・常の信心の大切さ

18日には、天候を初め、すべてにご都合お繰合せを頂きまして、無事に御本部御礼参拝をさせて頂き、共々におかげを蒙らせて頂きましたことは大変有難いことでございます。寒くなるであろうと予想されていた天候でしたが、大変温かく有難い参拝となりました。

★18日に御本部へ参拝のおかげを蒙られました、滋賀県木之本のご信者は、豪雪の地域におられ、福井県より積もるということです。2月の上旬に、北陸地方では記録的な大雪となりました。特に福井市では、昭和56年豪雪以来、37年ぶりに1m40cmを超える積雪が観測されました。昭和56年の豪雪の時には、木之本では、3m50cm積もったのだそうです。今年も大変な豪雪だそうですが、大きなニュースにはなっていません。それは常に積雪が激しいものですから、常の備えが出来ておられるからだということです。木之本では、常に雪かきをしておくのは、鉄則だそうです。一日中シャベルの音が絶えないので、その音が耳に残っているほどで、常から雪かきをして日々の生活に支障が出ないように備えておられるのです。最高気温がマイナス3度という日もあるようですが、低温の中で生活しておられますので、水道管が凍ってしまい、断水している地域もたくさんあるという話を聞かせて頂きました。

★そうしたことを聞かせて頂きますと、私たちは毎日喜びようが足りないということが分からせて頂けますね。水道の蛇口をひねれば水が出てきますし、雪かきをせずとも家の出入りをすることができます。その有難さを日々自覚し、全てお礼を申し上げることに上達させて頂きましょう。また、常から備えをしておく大切さが分からせて頂けますね。信心も同じことです。常日頃からみ教えを頂いておりますと、いざ問題が起きてきた時に間に合います。さっと神様に心を向けることができ、正しい判断がさせて頂けるのです。そして「難をみかげ」にさせて頂く事が出来るのです。日々の生活にお世話になる全ての人々にお礼を申すという事や、家族を拝むという事、日々使わせて頂いている物にお礼を申すというように、生活に信心を表す稽古をさせて頂いておりますと、段々と信心を基にした生活の有難いことが、家族や職場に伝わってゆき、周囲の方が助かって頂けるようになるのです。

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2018年02月19日

●喜び上手がおかげの頂き上手

三代教会長伊藤良三師が、三度目のマラリアの症状が発症した時のことです。その症状は再発する度にきつくなり、熱が出るだけでなく、両手足の神経が麻痺し、お茶碗を持つことさえ出来られませんでした。何事にも辛抱強いお方であられた良三師ご自身が「半年でも寝ていよう」と思われたほどの重い状態で、常識では安静にしている他はないようなご容態でした。

★ある時、良三師が二階の部屋で休んでおられますと、下から二代教会長伊藤コウ師が階段を上がって来られました。良三師は、「何か滋養になるものを持って来て下さったのだなあ」と思われたそうです。しかし、ガラッと戸を開けられると、コウ師は「あなた、いつまで寝ているのですか」と仰られたのです。さらに「大体あなたは、この頃偉くなり過ぎて、手も足も使わない。ほうきも持たないのなら、手も足も要りませんね」と仰って、すうっと下へ降りて行かれたのでした。良三師はその時「本当にその通りだ」と思われて、早速寝床を上げられ「ご用に少しでもお使い頂けますようお願い致します」とご祈念をなさったのでした。そして、まず雑巾を持つこと、廊下を拭くこと、トイレ掃除等から始められました。

★すると、徐々に手足も動くようになっていかれたのでした。同じ病で半年、一年と寝ておられた方は、足が子供の腕の細さになって、完全に廃人になってしまわれました。そうならないために、神様がコウ師の口を通してみ教え下さったのだ。「これをおかげにさせて頂こう」と、その厳しい教えを有難く頂かれたことにより、それがおかげとなって、後々まで健康で御用にお使い頂かれる様になられたのです。

★そうして、良三師はどの様な厳しいみ教えを頂かれても、すぐに思い分けをされ、心を切り替えられて、一度も不足に思われることなく、素直に有難く受け切っていかれたのでした。晩年になられてから「私は親先生のみ教えに対して、一度も不足に思った事はありませんでした。」と仰っています。自分にとって「これは有難い」「これは都合が悪い」という選り好みは一切なされませんでした。起きてくる出来事、頂いたみ教えに対して「今の自分にとって必要な事なのだ!」とすべてをご自身のご修行と決めて、有難く受け取り、お礼を申す事が上手な人こそが、おかげを頂いてゆくのですね。

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2018年02月17日

●遠い近いも自分の心次第

昨日は、婦人会総会が開催され、山中氏の有り難いおかげ話を聴かせて頂きました。山中氏は、お義母様に真心からの親孝行をされながら、訪問ヘルパーのお仕事をなさっておられます。お義母様にも、信心なさることに理解をして頂かれ、島根県の浜田市から、阿倍野教会の御本部御礼参拝に合わせて、毎月車でご主人と御本部御礼参拝を続けておられます。

★お祖母様が入信の初めとなられ、家内中が勢信心にならせて頂かれました。お祖母様が亡くなられた後も、お母様がご信心を受け継がれ、お子さん達の無事の成長、家の立ち行きを願われ、熱心にご信心なさってこられたのです。

★山中氏の妹さんは、平成25年頃から激しい腰痛に悩まされ、「脊柱後側湾症」と診断されました。御大祭に参拝になられた時にお取次ぎ頂かれ、おかげの中に、手術を受ける病院も決めて頂かれました。手術の時には、山中氏が教会に電話でお届けなさり、頂かれたみ教えを妹さんに伝えられ、妹さんは、大きな安心のおかげを頂かれたのでした。そうして、御大祭月の5月に、二度に亘る大手術を無事成功のおかげを頂かれたのでした。そして、昨年の開教95年記念大祭には、何としても御礼を申し上げたい、との願いを持たれ、下の妹さんに付き添われて、体調の上にも、交通の上にも、何もかもご都合お繰り合わせを頂いて、参拝のおかげを頂かれたのでした。

★山中氏、ご兄妹やそのご家族もそれぞれに、愛知県、茨城県、山梨県と、教会から遠方にお住まいになりながらも、春秋の御大祭にお参りなさり、また、毎朝配信されるみ教えメールを、大変有り難く頂かれながら、素直にコツコツとご信心を進められ、出来てくることに次々とおかげを頂いておられます。山中氏は、み教えを頂かれましたら、すぐ素直に「私にはこういうところが足らないなあ、早速に改まらせて頂きます!」と自分自身が有難く頂かれるところが、素晴らしいところだと感じます。み教えを求め、信心向上を求める心こそ、有難い受け物が出来てゆかれる元だと分かります。さらに、遠い近いも自分の心次第ということがよく分からせて頂きますね。

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2018年02月16日

●神様から守って頂く生き方

三代教会長伊藤良三師がお若い頃、向学心に燃えられて、「大学へ行って勉学に励ませていただきたい。」と願いを持っておられました。そこで、二代教会長伊藤コウ師にその旨をお願いなさいますと、コウ師は「大学へは行かなくてよろしい。」ときっぱり仰いました。しかし、良三師は納得することが出来られず、何度もお願いなさいました。あまりにも何度もお願いなされたので、コウ師は良三師と共に御本部まで行かれ、三代金光様にお伺いに上がられたのでした。そして、金光様にお届けなさると、「行かないでよろしいでしょう。」とみ教え下さったのでした。

★そのみ教えを頂かれた良三師は「三代金光様が仰せになられたということは、神様が仰せになられたということだ。その神様が仰せになられたことに背いて、私が世界中どこへ行こうとも、自分のしたいことをしようとも、お守りを受けることは出来ない。命がなくては何も出来ないことである。神様から守って頂く生き方をさせて頂くには、今このみ教えを守らせて頂くことだ。」と思い分けをなさって、大学へ行くのを断念なさったのです。しかし、それが後になっておかげとなりました。同年代で大学へ行かれた方々は、多くが学徒動員などで後に軍隊に徴兵されることになったのです。

★良三師は、第二次世界大戦時に陸軍砲兵として招集され、内地だけではなく満州、中国とフィリピンの戦地にも赴かれました。戦地に赴かれる時、コウ師より「あなたは戦地に人を殺しに行くのではありません。人を助けに行かせて頂くのです。場所がお広前でなく戦地での御用となるのです。」とみ教え頂かれたのでした。良三師は、頂いたみ教えをひた受けに受けられ、過酷な戦地に於いて、「部下全員が遺骨なしで帰国させて頂けますように」と願われ、中隊長としての任務を全うさせて頂くべく、尽力されました。日々、生命の危険を感じられることが度々あられたのですが、御神米を身につけてお伴し、常に心中御祈念を続けられ、良三師は九死に一生という体験を三度もなさって助けて頂かれ、部下に配属された100名の方々が一人も欠けることなく無事に帰還なさったのでした。

★良三師は、後に「あの時にみ教えを守っていなければ、生命はなかった」と仰っておられます。頂いたみ教えを守らせて頂きますと、行くところ行くところで神様が守って下さるということが分からせて頂けます。
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2018年02月15日

●迷いなく改まる

『何事かなくてはここへ参らない者がある。勝手なものである。平常、無沙汰にしている人には、ものが頼みにくいであろうが。神さまの大恩を悟ったら、平常の礼拝に重きを置かねばならぬ。教祖さまも、「壮健(マメ)なとも信心の油断をすな」と教えてくだされてある。』(二代金光四神様のみ教え)

★日々、自分自身の心を改め磨いていくことをさせて頂ける場所は、お広前であります。家でお道の本を読んでいたり、CD等でみ教えを拝聴させて頂いておるつもりでも、衣服を改めたりしませんし、姿勢も正すことは充分ではありません。更に「あれもしなければ、これもしなければ」と家の用事等、気が散りがちになってしまいます。しかし、お広前にお参りをさせて頂くとなりますと、朝起きてから衣服を改め、準備をさせて頂いて家を出るといった間に、段々と心が神様に向かわせて頂け、受け物が出来た状態でお参りさせて頂くことになるのです。

★受け物が出来た状態でみ教えを頂きますと、み教えを鏡として自分と照らし合わせて、自分自身の中にどういうところがあるかを気付かせて頂けるようになるのです。『ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは舟にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。』とみ教え頂いておりますが、この一心とは、み教えを頂いた瞬間に、改まることに迷いがないということです。「私が至らなかった」「私がわがまま気ままであった」「神様に対して御無礼であった」ということに気付かせて頂けることが、有難いことであり、おかげの元になっていくのです。

★「自分は良く出来ている」と思い違いをしないよう、頂いたみ教えを常に自分自身と照らし合わせて、至らないところを改まることを迷いなくさせて頂き、おかげを蒙らせて頂きましょう。

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2018年02月14日

●伝わる信心、伝える信心

先日あるご信者に、「伝わる信心と伝える信心、両方とも大事なことですよ。」とお話させて頂いたことでした。

★伝わるということは、自ずと周囲に伝わっていくような信心にならせて頂くということですね。自分自身が日常生活に於いて信心に基づいた、有難い手本になる生き方をさせて頂くように、おかげを頂いていくということです。また日々の生活の中で、伝える努力をさせて頂くということも、どちらも大事なことで、両方とも心掛けていかねばならないのです。自分から求めてご修行させて頂いて、機関車になって周囲の方を良い方向へ導いてゆくことが出来るように、生活の在り方を考えるのです。

★毎日お参りさせて頂く道中も、つまらない事を思わないようにして、我情我欲を取るつもりで、御礼を申しながら歩かせて頂きます。思うことは願いになるからです。「今日も有難いお命を頂いている。今日も繁盛させて頂けるように、お役に立てることは有難い事だなあ。」とお礼を申しながら歩く人と、「あぁ、今日も寒いからお客さんが少ないだろうな…あれもこれも作っても残るだろうなあ…。」等とつまらないことを思って歩いている人では、大きな違いが生まれてきます。それぞれが願いになり、全く正反対の生き方になってしまうのです。

★周囲に有難いことが伝わるのか、それとも有難くないことが伝わるのか、おかげを頂く道を伝えるのか、それともおかげを落とす道を伝えるのかは、各自の心の持ち方次第です。心得違いをしておりましたら、正反対のものを伝えてしまうことになるのです。本当に有難いものを伝えなければなりませんし、おかげを頂く道を伝えなければなりません。私達も自分自身の中身をしっかりと見直し、真心で一筋にご信心させて頂く事が伝わるようにおかげを頂きましょう。
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2018年02月13日

●神様の御教えを頂く

 二代金光四神様は、桂松平師・ミツ師ご夫妻に対してご布教に出られる際に、夫々にみ教えを下されました。奥様の桂ミツ師に対しては、「いかに夫婦というても、長の年月にはよいことばかりではない。腹の立つ時もある。腹を立てれば心の鏡がくもるぞ。そうすれば、神のおかげは映らぬ。腹の立つ時には、すぐ神にあげよ(ご祈念しておあずけせよ)。夫が腹を立てて茶わんを投げた時には、石にならず、綿になっておれ。石になると茶碗は割れる。綿になっておりさえすれば、茶碗は割れぬ」とみ教え下さったのです。

★ミツ師は、瀬戸内の温暖な土地にお生まれになり、その上、夏でも座布団を3枚敷いて座らなければお体に障る程に、お弱かったそうです。桂松平師がご布教に出られた北九州の小倉は、玄界灘に面し冬の寒さは厳しいものでした。冬のある日、ミツ師は、指の赤切れがひどくなって、滴る血が御神飯に入ってしまわれたそうです。松平師にことの次第をお詫びなさいますと、厳しいお叱りを受けたのでした。

★ミツ師は、松平師のお言葉を「神様のみ教え」と頂かれ、「神様からのお恵みであるお水で出来た赤切れですので、どうぞ明日までに、神様からのお恵みであるお水で治るようおかげを頂かせて下さいませ」と、お水に手をつけて神様に一心にお縋りなさったのでした。そして、お願い通り、翌日にはかさぶたが出来て、血が滴らないようになるおかげを頂かれたのでした。

★出来てくることをおかげにさせて頂けるかどうかは、自分の受け物次第です。問題が出来てきた時に、苦に病んだり、腹を立てたりせずに、「有り難うございます。これをおかげにさせて頂けます様に」と、神様にお縋りさせて頂くのです。そして、その出来事を拝み、人を拝み、どんなお仕事も拝んでさせて頂くところに、神様のお徳が現れ、全てをおかげにさせて頂くことが出来るのですね。

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2018年02月12日

●今日一日今日一日おかげを頂く

『金光様はその日その日のおかげを受けねばならんと仰っておられるが、その日その日のおかげを受けるには、着物を着替えたような心持ちでご信心をせよ。』

★先日、あるご信者が、職場で足を怪我をなさって足の親指を骨折されました。職場へ行くことも困難になり、仕事も今まで通りできなくなりました。すると上司より、今までは機械を使ったり力仕事が必要であったところを、デスクワークへの変更を伝えて下さり、さらには上司が、毎日車で自宅まで来て下さって職場までの往復を送迎して下さることになったのです。ご信者は、それまで何かにつけて嫌味な言い方をする上司に対して、悪い印象しかありませんでした。しかし怪我を通して、上司の一面一片しか見ていなかったことに気付かれ、上司の素晴らしい部分を見て有難く思えるようになられたのです。

★出来事を通して、180度見方が変わられ、自分の小さな殻が破れ、世界が広がったのでした。怪我をなさったことは痛くて辛いことであり、不自由になられたのですが、毎日有難い心で上司と接することができられ、職場が嫌でなくなり御礼を申して仕事に励んでおられます。自分自身の心が変わりますと、これまでと同じ職場でありながら、その中にあって喜ばせて頂くことができるのですね。日々を新たな心持ちで、神様にお願いしながら、信心の稽古させて頂くが大切ですね。

★昨日は、建国記念日でした。日本書紀には、建国の精神として、4つのことが記されています。
「養正」…正しきを養う。日参と聴教に励ませて頂き、正しい心(神心)を養う。
「積慶」…喜びを積み重ねる。毎日喜びを探して、喜ぶ稽古をする。
「重暉」…お礼の働きを重ねていく。命を与えて頂き、恵まれた環境でお育て頂いた御礼に勉強し、仕事をさせて頂く。
「為宇」…誰とでも円満にさせて頂く。相手の助かりを願い、相手を立てる稽古をする。
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2018年02月11日

●梅の花の信心

三代教会長先生の奥様は、実母が亡くなられた後、小学校4年生の御頃に、親元を離れて一人東京より阿倍野教会に入所されました。入所された際、二代教会長伊藤コウ師は奥様に「10年辛抱しなさいや。」と仰せになりました。9歳であられた奥様は、10年間1度も実家に帰られず、コウ師のもとでご修行され、着物の縫い物、布団の打ち直し、お食事の準備等、教えて頂かれ、身につけられて御用なさってこられました。

★10年経った時に、奥様がコウ師に「両親の元へ顔を出して親孝行させて頂いてよろしいでしょうか。」とお伺いされますと、コウ師は「もう10年辛抱しなさい。」と仰られました。奥様はそのみ教えを素直に守られて10年辛抱なさった後、また同じことをお伺いされました。するとコウ師は「もう10年辛抱しなさい。」と同様のみ教えをされました。奥様は時節を待って実に30年辛抱なさったのです。有難いことにその後には、関東からご両親を大阪へ来て頂いてお世話させて頂けるようお許し頂かれ、大阪で暮らして頂いて十分にお世話が出来られるようになられたのでした。

★『桜の花の信心より梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから長く散らぬ。』とみ教え頂いておりますとおり、桜の花は華やかで一度にパッと花を咲かせますが、10日ほどですべて散ってしまいます。梅の花は、厳しい寒さの中を耐えてつぼみを付け、長く咲いて馥郁(ふくいく)とした香りが漂います。更に花が散った後には梅の実が残り、料理にも・菓子・梅干し等にしても頂くことが出来、人の健康に役に立ちます。先に楽を考えずに、厳しい状況を乗り越え苦労させて頂くからこそ、喜びが訪れるのです。梅の花のように長く咲いてお役に立つ様に、日々鍛錬を積み重ねさせて頂き、苦労を苦労と思わずおかげにさせて頂きましょう。

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2018年02月10日

●お徳を身に頂かせてもらう修行

ある学生さんが学校でクラスの委員長になり、一生懸命クラスの数人と放課後に残って話し合いをし、催しの準備に向けて真面目に活動していました。しかし、クラスの中で「お前は気に入らん、ええ格好しやがって、半殺しの目にあわせてやろうか!」等とひどく妨害をする生徒がいたそうです。

なぜこのような言いがかりを付けられて、嫌なことばかり言われないといけないのかと無性に腹が立ったので、その方はお結界に来られ「どういう風に考えさせて頂いたらよろしいでしょうか?」とお届けされました。

★すると三代教会長先生は「あなたは、10代にして徳を頂くということについて考える良い機会を与えて頂きました。有難い事ですね。知識があり成績だけ良くても、それだけでは解決できないことがあります。そこで大切なことは、一生懸命努力に努力を重ねて、どこまでも諦めずにクラスの人からも一目を置かれるぐらいに、ずば抜けていくということが大事なことですよ。

あの人の言う事なら付いていこう、と思ってもらえるようなお徳を頂いていかねばなりません。それが今あなたに求められていることですよ。そして認めて頂けるまでは、どんな嫌がらせを受けても悪口を言われても、くじけずに自分自身を磨き上げてゆく覚悟を持たなければなりません。脇目も振らず一生懸命になり実力を付けていくことです。

★そして、次に大切なことは、謙虚であるということです。人の口をもって、自身の足りない部分を神様が教えて下さっていると思わせて頂いて、相手にお礼が言えるくらいにならせて頂くことが謙虚な姿勢なのです。そのためには人を目当てにするのではなく、常に神様を目当てにすることです。

そうしますと、どんな場面に遭遇しても、どんな環境に置かれても、謙虚な姿勢はぶれず、自分を見失うことなく、実力を十二分に発揮させて頂くことが出来るのです。日々教会に足を運び、お広前で教えて頂くのです。この経験を通してあなた自身も結構なおかげを頂きなさい。これが本当に分からせて頂いたら、世の中に出た時には本当に役に立つ人間にならせて頂けるでしょう。」とみ教え頂かれたのでした。

★厳しいことを言って下さった方に対して「有難うございます」と頭を下げてお礼を申す心持ちになれるのは、人の後ろに神様がおられる、と分からせて頂いているからですね。信心を基に、有難いお徳を身に頂かせてもらうおかげを蒙らせて頂きましょう。

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2018年02月09日

●み教えにより心が開ける

 昨日はみかげ会例会が開催され、三好氏のおかげ話を有難く聴かせて頂きました。

★昭和29年、お父様が勤めておられた会社が倒産した上に、お父様は肺結核で療養生活を余儀なくされました。お母様は、和裁で家計を支えながら子育てをなさったのですが、経済的な不安と先の心配が積もり、33歳の時には厄年の不安も重なって、あちこちの神仏に縋っておられたところを、阿倍野教会のご信者にお導き頂かれたのでした。二代教会長・伊藤コウ師より、「厄年はしっかりお役に立たせて頂く年です。取り越し苦労することは要りません」と、み教えを頂かれ、有り難く思われたお母様は、翌朝から朝参りを始められたのでした。

★お父様も、体調が回復してから繊維関係の会社に就職のおかげを頂かれました。ところが、大手の紡績会社が、加工中に不具合が生じた大量の生地の処分に困り、協力を依頼されたのです。どこの生地問屋にも商談に乗ってもらえず、途方に暮れておられたところを、三代教会長先生にお取次ぎ頂かれました。その時に、「よくお願いしましょう。必ずおかげは頂けます。しかし売れたら良いのではありませんよ。買って下さる相手様も、この商品によって都合よく、あなたの会社も結構に、どちらも立ち行くようお願いするのですよ」とみ教え頂かれ、それまでの思い違いを反省なさり、有り難い思いになられ、朝参りなさるようになられたのでした。すると、そのわずか一ヵ月後に、依頼された商品の取引先が見つかるおかげを頂かれたのでした。このことを機に、お父様も熱心にご信心なさるようになられ、家族勢信心のおかげを頂かれたのでした。

★ご両親は、ご実家の家族にも、孝養を尽くしつつ親切丁寧に、お道の信心にお導きなさいました。今日も、子孫の方々が、皆さん親孝行で、親様にご安心頂けるようにと願って、ご信心を進めておられますことは、真に有り難いことでございます。

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2018年02月08日

●自分のことは次にして、人の助かりを先に願う

阿倍野教会に修行生として入所された方の中に、結核の方やひぜん(皮膚病)に罹られた方がおられました。

ひぜんという病気は、激しいかゆみがあり、かき傷から細菌が入り、化膿し血膿が出てひどいにおいがして、人に感染する病気です。この二つの病気は感染することもあり、当時は大変治りにくい病気とされており、周りから避けられていたのです。

しかし、二代教会長伊藤コウ師は伊藤ハル氏(コウ師のご母堂)より、「あなたの体は、神様に助けて頂いた身体だから絶対にうつりませんから、一生懸命お世話させて頂きなさい。」と仰って頂かれたことを思い出され、 その方の包帯を換えたり、下着を洗われたり、身の回りのお世話を一生懸命なさったのです。

すると、「うつったら嫌だ」とお世話から逃げていた人に病気がうつり、傍でお世話なさったコウ師にはうつらなかったのでした。相手の助かりだけを考えて、看病なさったコウ師の真心が神様に通じたのだと思わせて頂きます。

★『自分のことは次にして、人の助かることを先にお願いせよ。そうすると、自分のことは神がよいようにしてくださる。』とみ教えを頂いておりますが、頭ではわかっていてもいざその時になれば、人のことよりも自分のことを優先してしまう人間の弱さがあります。

そこを、改め磨いてゆく稽古を積み重ねることにより、自分のことは横において、人のことを第一に考えて、親切丁寧にお世話させて頂くことが身についてゆくのです。

★現在、インフルエンザが流行しており、学級閉鎖や学年閉鎖になっている学校もあります。そうした状況の中で、「どうぞ早く回復のおかげが頂かれますように」と周囲の人のことをお願いさせて頂く稽古をいたしましょう。

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2018年02月07日

●思うことが願いになる

ある熱心なご信者がおられました。その方は、一生懸命働いて商売をなさって家計を成り立たせていたのですが、ご主人がまともに働かずに怠けているように感じておりました。そのことを近所の人に相談すると、「あなたが働いているからご主人が働かないのですよ。商売をやめなさい。」と言われたのでした。奥さんも「その通りだ。」と思われ、教会で二代教会長伊藤コウ師にそのことをお届けされました。

★するとコウ師は「ご主人が怠け者だと言うけれど、あなたが怠け者です。それが証拠に商売をやめたがっている。『牛は牛連れ、馬は馬連れ』というように、主人も怠け者と言うのであれば、あなたも怠け者です。『私の働きが足りませんでした。もっともっと働かせて下さい。主人を養えるような私にならせて下さい。しっかり繁盛する店にならせて下さい。もっときれいで広いお店にならせて下さい。』とお願いさせて頂くのです。自分が一生懸命になってわき目も振らず働き、主人にはゆっくり休んでもらえるほど、繁盛させて頂けるような店にならせて頂いたらどうですか。」とみ教えを頂かれたのでした。奥さんは早速改まってお願いし、工夫して商売させて頂いておりますと、段々とお客も増え、繁盛する店に変わらせて頂けたのです。さらに、今まで何もしなかったご主人も、家事を手伝ってくれるようになり、一生懸命精を出して働いてくれるようにまで変わられたのです。

★本当に商売を辞めておられましたら、家が立ちゆかないようになっておられたでしょう。ご信者は働かせてもらえることが有難く、皆さんに喜んで頂けることを有難いと思えたから、おかげを蒙られたのですね。思う事が願いになると教えて頂いております。ですから、どんな時でも悪い事を思わずに良い事を思うように、自分自身の心の中身を見直していくことが大切です。実意丁寧に、正直親切に、和らぎ喜ぶ心におかげがあるのです。常に神様に心を向けて和らぎ喜ぶ心になるようにお願いをさせて頂きましょう。

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2018年02月06日

●将来のことも実意をもって遠慮なく願う

先日あるお方が、[ご信者さんのお話の中で、「隣もどうぞ私のうちが使わせて頂ける土地と家になりますように」とお願いしながらお掃除をしていますと、結構に先方から「買って下さい」と要望があって、土地を売って頂かれたお話がありますが、それは、厚かましいお願いにはならないのでしょうか?]とお伺いされた方がありました。

★このお話は、将来的に先方から「土地家屋を購入して下さい」と言って頂けるように、神様にお願いしながら、お掃除なさることを続けておられたという内容です。こちらから無理に「売って下さい」と言っていくようなことではありませんから、決して厚かましいことではありません。先方から「購入して頂けませんか。この金額で買って下さい」と要望があったところを、値切ることはなく、きちっと金額をお支払いして購入させて頂くという話ですから、先方にとっても有難く感じられることでしょう。

★このお話の大切な所は、何事も早くからお願いさせて頂くということです。早くからお願いさせて頂くということは、心の準備が出来るのです。準備を行き届いてさせて頂くということは、先方から言って頂いた時に、さっとそのチャンスを掴ませて頂けるようになります。心の上での準備、また経済の上での準備等をさせて頂いて、チャンスを逃さぬように、都合良くおかげを頂いてゆくということです。そういう意味ですから、早くから心積もりをして神様にお願いをして、準備をさせて頂くというお話なのです。もちろん「近所近辺に、火災盗難等のありませんように。事故事件等のありませんように。」とお願いしながら、お掃除をさせて頂くということが基本のところです。そうしたことを、行き届いてさせて頂ける様になっていくのが、日々のご信心の大切なところです。

★先を見通すことがなかなか出来ない毎日の生活ですから、日々神様におすがりして、先のことは分からないながらも遠慮なしにお願いさせて頂いたら良いのです。ただし、実意をもって願い、日々のご信心をより一層に向上させていくように、自分自身が小さなところから改まりを心掛けてゆくのです。すると、一番良いようにご都合お繰り合わせを付けて頂き、有難いご庇礼を頂く事が出来るのですよ。
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2018年02月05日

●日々の改まりが肝心

★二代金光四神様は、『人は、欲しい、惜しい、憎い、かわいいということを放れさえすれば楽じゃ』と、み教え下さっておられます。
1)欲しい…貪欲にあれもこれもと自分だけに取り込みたくなる心。
2)惜しい…人に何かしてあげるのに惜しみがかかること。見返りを求めること。
3)憎い…人を恨んだり憎んだりする心。
4)かわいい…溺愛すること。自分の子供と他人の子供とが同時に転んだら、他人の子供を先に起こしてあげるように。そうすれば、自分の子は神様が起こして下さり、それが本当に親としての情が厚いということになるのだと、み教え下さっておられます。

★人をも自分をも苦しめる元になる、人間の醜い心は、外から来るものではなく、自分の内から湧き出てくるものです。今、良い心を持ったかと思うと、次の瞬間、醜い心が表に出てしまう…そのような危うさを誰もが持っているのです。出来るだけ多くお広前に足を運ばせて頂き、み教えを頂いて、自分の心を見つめ直させて頂くということは、実に有り難いことなのです。

★また、我良しと思う心、慢心、油断は、難儀を生む元です。「どんな仕事でも有難く喜んでさせて頂けますように。どんな人でも重荷に感じないような広く大きい心になりますように。どんな問題でも乗り越えていく徳と力を与えて頂けますように」、神様にお願いさせて頂きましょう。何も問題がない時、健康な時、そんな時こそ、気を引き締めて日参と聴教、ご修行に励ませて頂き、改まりのご信心に真剣に取り組ませて頂きましょう。

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2018年02月04日

●良い心を持つ稽古

1月5日から始まりました信行期間も、昨日を以て無事に終えさせて頂きました。皆様には自らご修行に取り組ませて頂かれ、有難いことと神様に御礼を申し上げます。

銘々がお結界で日参表を提出なさって、神様に御礼を申し上げられましたら、御神酒一合瓶をお下げ頂きます。御神酒をつけさせて頂くことにより、悪毒病毒をお取り払い頂かれ、心身共に健康にならせて頂くおかげを蒙られますように、お祈りいたしております。

★教祖様は大西秀師に
「日に日に悪い心を持つなよ。人に悪い事を言われても、根に持ってはいけない。」
と言い抜いておられました。
「それでも向こうが悪い心を持ってくれば悪い心になります。」
と申したら「それでも、悪い心を持ってはいけない。良い心をもっているようにしなければ」とみ教え下されたのです。

★今日は立春ですね。昨日は節分でした。節分では豆まきの時に「鬼は外、福はうち」と言いますが、鬼は外から入ってくるのではありません。自分の心の中にいるのです。そして福(有難い心)も自分の心の中にあるのです。人間の心には、慈愛深い、人をかわいそうに思う良い心と、心で人を殺すような悪い心を持ち合わせております。

★家族の間でも、自分の意見を言い通したり、自分の方が我慢してやっているという心でいますと、相手に譲るという心や、自分が至らないという謙虚な心持ちになることはできません。

それぞれに生まれ持った気質・性質を改めてゆくという事は、よほど自分自身が自覚をして、日々意識をしてお願いさせて頂き、稽古をしていかなければ改め続けることはできません。

例えば、「腹を立てない」というみ教えを一つ守らせて頂くことでも、容易なことではありません。それぞれに神様から頂いた尊いものに気付き、それを表わして頂けるように、日常卑近なところから神様にお願いしながら取り組ませて頂きましょう。

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2018年02月03日

●親が子供の真心を育てる

あるご信者の子供さんが、反抗期でとても暴れることがあるようです。親としては手に負えない、という気になってくるそうです。そこで「そういう時こそ子供を拝むのです。今日まで無事成長させて頂いたことを、御礼申し上げるのです。そしてご信心を基に、慈愛の心でもって、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると伝えさせてもらうのが躾ですね。しかしご信心を基にさせて頂きませんと、つい自分の感情が入ってしまい[これだけ言っているのに、どうして分からないんだ!]と思ってしまいます。自分の子供だと思っているから[私が産んで、一生懸命育ててやったのに]という気持ちが湧き出てくるのです。そこを[神様からお預かりしている氏子である]ということ、そして[親が子供の真心を育てるのであり、そのためにはどうしたらいいのか?]と考えることを心掛けましょう。そうしますと、親として至らない点を気付かせて頂くことが出来ますし、真心の足りない所や、不行き届きをお詫びさせて頂ける心持ちになってくるのです。そうした姿が、神様に実意をもって願わせて頂くあり方になっていくのですよ。」ということをお話しさせて頂いたことでした。

★『神様を拝礼するには、此方では別に決まりはない。実意丁寧正直、真一心がかなめである。日々生かしてもらっているお礼を申し、次に、お互い凡夫の身であるから、知らず知らず、ご無礼お粗末お気障りなどをしている道理、それをお断りおわび申して、それがすんだら、身の上のことを何かと実意をもってお願いさせてもらうがよい』

★お広前や家の御神前で拝ませて頂いている時は、そのような心持ちでありますが、そこから離れますと、信心が抜けてしまうということが起こりやすいものです。『信心とはわが心が神に向かうのを信心というのじゃ』とみ教え頂いておりますが、ことの大小を問わず、全てをご祈念させて頂いて、おかげを蒙らせて頂きたいですね。

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2018年02月02日

●神の綱を離さない

『神の綱が切れたというが、神からは切らぬ。氏子から切るな』

★ある時、二代教会長伊藤コウ師は「神の綱とは一体どの様な綱でしょうか?ロープのようなものでしょうか。それとも鎖のようなものでしょうか。皆さんはどの様なものだと思われますか。」とお尋ねになられました。そして、「神の綱とは、神様から銘々に頂いたみ教えです。」と教えて下さいました。

★「あなたの家はこのようにおかげを頂きなさいよ。」と頂いたみ教えは、その家に必要だからお下げ頂いたものです。そのみ教えを、親の代も子供の代も、孫の代も曾孫の代もずっと頂き直してゆき、掴んで離さないようにさせて頂く事が大切です。皆それぞれに、日々為すことが成就させて頂けますようにとお願いさせて頂いて生活しております。ところが自分自身の不行き届きやご無礼によって、事が思い通りにいかないことがあります。それを「何ぞの祟りだ…。」とか「神様の罰が当たった。」等と思うのは、人間中心の考え方で、神様に大変ご無礼なことです。

★さらに言えば出来てきた事柄は、神様が私達氏子のことを思って下さり、与えて下さっているお気付けとも言えます。その神様の御心を知って、その御心に適う生き方が出来ますようにと願わせて頂き、「ご無礼があるぞ、今のうちに改まりなさい。」と慈愛深く与えて下さっている出来事を、取り違えることなく有難く受け切っておかげにさせて頂くことが大切です。 思い通りにいかないのは、私達氏子の方が神様の綱を離してしまっているからです。神様が氏子を見離されることは決してありません。ご慈愛に満ち満ちた天地の親神様の御心に応えさせて頂けますように、常に日参聴教を欠かさず、頂いたみ教えを掴んで離さず、素直に守り通してゆきましょう。

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2018年02月01日

●おかげの元を作る生き方

 一月も、一ヶ月間何もかも有難いご都合お繰り合わせを頂きまして、こうして共々に2月の月を迎えさせて頂きましたことは、真に有り難いことでございます。目に見えるところ、見えないところもお守り頂いて、日々お命を頂き、それぞれの働きをさせて頂けることは、決して当たり前のことではありません。

★天地の親神様は、「這えば立て、立てば歩め」の親心で私達氏子に願いをかけて下さり、私たちが命をつなぐ為のあらゆるお恵みを、日々与えて下さっておられます。であるにもかかわらず、思うように働けない、物事がうまく運ばないという時には、自分の常の生活のありようを見直させて頂く時です。

★食物は、お礼を申しながら、体に合うように頂きますと、大変有難いことに体を作ってくださり、生きる力を与えて下さいます。しかし私たちは、満腹を感じても、我欲を抑えられずに更に食べてしまったり、自分の体に合わないと分かっていてる食べ物を、欲に負けて食べてしまったりすることがあります。せっかくのお恵みである食物を、頂き方を間違えたばかりに、体を壊す元にしてしまっては、大変なご無礼となってしまいます。

★食物だけではなく、お金の扱い、物の扱い、人への心配り…一つ一つを、お礼を申して、生かしてゆけば、二度手間三度手間もなくなり、仕事のありようもより有り難いものとなり、人間関係も円満になります。一時が万事で、有難い生き方にならせて頂くことが出来るのです。

★甘木教会の安武松太郎師は、「マッチ一本、釘一本、銅版の切れ端一つ、薪一本、紙一枚、お水一滴、お湯一杯、木炭一塊、縄切れ、落葉、お米の一粒、醤油の一滴、また、タオルの使い方しぼり方、石鹸の使い方、下駄の履きよう、全て神様の賜わり物だから粗末にしては相済まない」と、み教え下さっておられます。一つ一つの実意丁寧な生き方が積み重なって、豊かな生活が出来るようにならせて頂けるのです。反対に、様々なものを疎かにする生き方を積み重ねると、お徳が目減りし、めぐりを積んでしまい難儀の元を作ってしまうのです。日々頂いている天地のお恵みを自覚し、御礼の心に満ち満ちた、実意丁寧な生き方にならせて頂けるよう、自分の生活を見直させて頂きましょう。

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